2011年 12月 の投稿一覧

★「歴史的な旅に出る」

★「歴史的な旅に出る」

 「国連生物多様性の10年」のキックオフイベントが17日午後、石川県立音楽堂(金沢市)であり、記念式典と基調講演に出席した。「国連生物多様性の10年」は去年10月の名古屋市で開かれた生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で、NGOの提言をもとに日本政府が国連に提唱し採択されたもの。国連は今年から2020年までの10年間を生態系を守る集中的な行動期間と定めた。COP10では、生態系保全のためにそれぞれの国が2020年までに実行すべき目標を定めた「愛知ターゲット」を採択していて、金沢でのキックオフイベントで目標達成に向けてスタートを切ることになる。

 式典は30ヵ国から政府関係者が集まりにぎやかだった。でも、なぜ金沢で開催するのか、と疑問符がつく。歓迎レセプションで谷本正憲石川県知事と、武内和彦国連大学副学長(東京大学教授)がその理由を明かした。キックオフイベントは環境省と国連大学などが中心となって5月に東京で開催する方向で準備が進んでいた。ところが3月11日に東日本大震災、そして福島の原発事故などがあり、中止となった。「愛知ターゲット」を何とかスタートさせたいと思いを募らせた関係者に浮かんだアイデアが、昨年12月「国際生物多様性年クロージングイベント」を開催した金沢市でキックオフイベントができないか、だった。会場はどこでもよいという訳にはいかない。生物多様性という意味合いが地域で理解され、これに協力的で、国際会議の開催経験があり、しかもそれなりの開催費も負担する自治体となると絞られてくる。知事はどうやら武内氏らに懇願され最終的に引き受けたらしい。

 記念式典でアフメド・ジョグラフ生物多様性事務局長=写真=は「次世代を担う子どもたちの間でも生物多様性の認知度は低い。分かりやすく説明することから始める必要がある。日本の良寛は最後に残すことは何かと問われ『春の花、丘になく鳥、秋の紅葉』と言った。愛知ターゲットの達成に向けてこれから国際社会は歴史的な旅に出る。選択肢はない」と呼びかけた。また、2012年10月にハイデラバードでCOP11を開催するインドのヘム・パンデ環境森林省担当局長は「インドも生物多様性の恩恵を受けている。COP11のスローガンを『もし私たちが自然を保護すれば、自然は私たちを守ってくれる』としたい」と述べた。

 2008年5月にボンで初めてジョグラフ氏を知り、COP9とCOP10でのスピーチを、また金沢大学でもスピーチ(2009年5月)をいただいた。その中でも、今回のジョグラフ氏の「歴史的な旅に出る。選択肢はない」の言葉が一番強く印象を受け、覚悟のようにも聞こえた。

⇒18日(日)朝・金沢の天気  くもり

☆天からの雪便り

☆天からの雪便り

 昨夜から金沢でも雪が降り、きょう17日朝は自宅周辺で20㌢ほど積もった。北陸に住む感覚から述べると、「冬のご挨拶」だ。毎年この時期、12月半ばになると初回の積雪がある。これが「そろそろ雪を本格的に降らせますので、みなさん心の準備と積雪の備えをよろしくお願いします」という自然からの挨拶のように思える。

 ただ、この挨拶も度が過ぎるというのもある。ちょうど6年前の2005年12月17日、いきなり金沢市内で50㌢という積雪に見舞われた。こうなると挨拶どころか、ケンカを売っているようにも思える。「人間ども見ておれ、自然をなめるなよ」といった感じだ。すると、人々は「ちょっと待ってくださいよ。二酸化炭素の排出などで地球は温暖化に向かっているのではないですか。それなのになぜ大雪なのですか」と思ってしまう。すると自然の声もさらに荒々しくなる。「地球温暖化は人間が引き起こしていると思っているようだが、オレに言わせれば、地球の寒冷期がたまたま温暖期に入ったわけで、これはオレが差配している自然のサイクルだ。今後雪を降らせないとか少なくするとかは一体誰が決めたんだ、それは人間の勝手解釈だろう。オレは降らせるときはガツンと降らす。2008年1月にはバクダットにも雪をプレゼントしてやったよ」と。北陸という土地柄では、冬空を見上げながら自然と対話ができる。1936年に世界で初めて人工雪を作ることに成功し、雪の結晶の研究で知られる中谷宇吉郎(1900-62、石川県加賀市出身)は「雪は天から送られた手紙である」という言葉を遺している。

 さて、この時期、雪は生活の一部だ。積雪に備え庭の樹木に雪つりを施す。乗用車のタイヤをスタータイヤに交換する。除雪用のスコップを玄関に用意する。雪靴をゲタ箱に入れておく。慌ただしく準備をして、積雪期を迎える。きょうはさっそく除雪用のスコップの出番だった。道路に面した家の間口分だけ道路を除雪するのが暗黙のルールになっている。しかも、側溝付近の人が歩く側だけだ。不思議なもので、早朝近所の誰か始めると町内の人々が入れ替わりに出てきて除雪する。お昼ごろにはだいたい道路の歩道部分の除雪が終わっている。町内一斉の除雪というのもあるが、これはドカ雪で道路機能がマヒし、除雪車も来ないというときに、非常措置として町内会が音頭を取って実施する。5年か6年に一度ほどある。

 北陸の雪は長野や北海道と違って、湿り気が多く重い。五葉松などの庭木は雪つりがないとボキリと枝が折れる。写真は、きょう9時に撮影したもの。パラソルのように広がった縄が五葉松の枝を雪の重みから支えている。自然に対応する先人の知恵というのはかくも確かで、そのフォルムは美しい。

⇒17日(土)朝・金沢の天気  ゆき

★死は理解されているか

★死は理解されているか

 先日、自宅に配達を依頼した本が届き、目にした家人がいぶかった。「なんでこんな本を買ったの。気味が悪い」「50も半ばを過ぎると、こんなことに興味を持つようになるのか」。さんざんだった。その本の名前は『死体入門』(藤井司著、メディアファクトリー新書)。著者は法医学者だ。この本を購入したきっけは特別な趣味でも、年齢のせいでもない。ちょっとした背景がある。

 金沢大学の共通教育授業でマスメディア論を教えている。その中で、学生たちに問いかけるテーマの一つが、「マスメディアはなぜ遺体、あるいは死体の写真や映像を掲載・放送しないのか」という論点である。東日本大震災での遺体写真の掲載については、新聞各社は原則、死体の写真を掲載していない。被災地の死者(死体)の尊厳を貶めることにもなりかねないとの各社の判断があり、あえて掲載していない。リアルな現場というのは、遺体(死体)の写真をストレートに見せることはしなくても、なんらかの見せ方によって、犠牲者の多さや無念の死というものを表現することは可能との意見が多い。そのような話を周囲の研究者にすると、「では、これを読んでみてください」と薦められたのがこの本だった。マスメディアで掲載・放送するしないの論議以前の話として、日常生活で遺体(死体)と接することがめったになく、遺体(死体)そのものについて我々は無知である。これでは何も語れない、イメージと感情だけで論じることに等しいと思い、向学のために本を注文した。

 衝撃的な記述が次々と目に飛び込んでくる。アメリカのテネシー大学には「ボディ・ファーム(死体牧場)」がある。1㌶ほどの土地に、20体ほどの死体が地面に放置され、半ば埋められ、ゴミ袋に詰められたものもある。そして死体がどのような条件下でそのように腐敗していくかの実験が進めらている。これまで主観的や経験と勘で判断されていた死亡推定時刻を、科学的なデータの蓄積で解析していこうという研究なのだ。1981年に施設が設立された。同じ大学関係者や学生たちからの苦情やストライキなど難問が立ちふさがったが、それを乗り越え、いまやテネシー大学は死体の腐敗研究では最高権威となった、という。さらに驚くことに、この腐敗実験に用いられる死体は、生前に自身が登録して献体するボランティアなのだ。

 日本の大学での解剖学の献体のシステムについても語られている。献体登録した方が亡くなると、病院から解剖学教室に連絡が入る。教室員が遺体を引き取りにやってきて、遺族を意思も確認される。大学では遺体を清潔にし、髪も切る。血管に保存液を注入し防腐処置をする。その後、アルコール溶液に漬ける作業が行われ、遺体は一体一体丁寧に包まれ保管される。献体は「ホルマリンのプール漬けになっている」や「死体洗いのアルバイトがある」などは私自身も学生時代に噂として聞いたが、真実と嘘が混じっているようだ。ただ、この献体は解剖学教室員の以外の人は関与しないので、医学部の中でも知られていないは事実のようだ。

 日本人は死をどのように見つめてきたのか。写実的な観察した記録もある。九州国立博物館に所蔵されている『九相詩絵巻』(14世紀)はその最古の絵巻といわれる。女性の「生前相」「新死相」「肪脹相」「血塗相」など腐敗の過程が骨がバラバラになるまで9つのプロセスで描かれている。絵に描かれるほど、死体は古くから一般的でなく、謎だった。

 意外だったのはこんな数字。人間に限らずすべての動物には体の中に細菌が棲みつく。成人した人間の体内では約500種、100兆個の細菌が体内に同居して酵素を分泌している。その細菌の重量を合計すると、1㌔㌘にもなると考えられるという。人が死ぬと、これら体内の細菌は酵素を分泌してたんぱく質を分解し始める。これが腐敗、「自己融解」である。くだんの『九相詩絵巻』はその体の腐敗の過程を色の変化で見事にとらえている。

 終わりに、著者はこう訴えている。「不必要に死体をおそれ、死体への興味を育まない社会も問題ではないだろうか。死体に関心を持つことさえ許さない風潮がある」「誰もが最終的にたどり着く姿であり、ありふれた存在であるはずの死体が徹底的に隠される現状のほうが異常ではないですか?」と。そして、無縁社会と称される現在、たった一人で亡くなり、ミイラ化した死体が日本では約5日に1件発見されているという事実。孤独をまぎらわすために犬やネコを飼う独居老人も多い。飼い主が死亡した場合、その犬やネコはどのような行動をとるのだろうか…。
 
 この本を読んで、死を見つめるバリエーションはかくも多いと気づく。そして、死体について我々は知らぬことばかりだ。

⇒16日(金)夜・金沢の天気   ゆき 

☆ワインとカキの循環

☆ワインとカキの循環

 今月10日の日曜日、「能登ワイン と能登牡蠣のマリアージュ体験ツアー」と銘打ったバスツアーに参加した。金沢在住のソムリエ、辻健一さんが企画した。マリアージュはフランス語で結婚という意味で知られるが、もう一つ、「ワインと料理の組み合わせ」という意味もある。つまり、能登で栽培、生産されているワインと、いまが旬の海の幸・カキを食する旅ということになる。金沢から30人が参加した。

 最初の訪問地は能登ワイン株式会社(石川県穴水町)。2000年からブドウ栽培をはじめ、2006年より醸造を開始している。初出品した国産ワインコンクールで、「能登ロゼ」(品種マスカットベリーA)が銅賞(2007年)、「心の雫」(品種ヤマソーヴィニヨン・赤)が銅賞(2010年)、そして、ことし2011年で「クオネス」(品種ヤマソーヴィニヨン・赤)が銀賞を受賞した。年々実力をつけている。

 すでに収穫は終わっていたが、17㌶に及ぶブドウ畑を見学した。能登は年間2000㍉も雨が降る降雨地でブドウ栽培は適さないと言われているが、適する品種もある。それがヤマソーヴィニヨン。日本に自生する山ブドウと、赤ワイン主要品種カベルネ・ソーヴィニヨンの交配種で、山梨大学が研修者が開発した日本の気候に合うブドウ品種だ。実際、ヤマソーヴィニヨンは成長がよく、1本の木で15㌔から20㌔のブドウの実が収穫される。ワイン1本(720ml)つくるには1㌔の実が必要とされるので、実に15本から20本分になる。

 さらに興味深いのは、穴水湾で取れたカキの殻を畑に入れ、もともとの酸性土壌を中和しながら栽培していることだ。1年間雨ざらしにして塩分を抜いたカキ殻を土づくりに活用している。参加者が感動するはこうした循環型、あるいは里山と里海のマリアージュ(連環型)かもしれない。ブドウ畑は自社農園をはじめ一帯の契約農家で進められ、栽培面積も年々増えている。ヨーロッパスタイルの垣根式で約20品種を栽培し、剪(せん)定や収穫は手作業だ。

 醸造所を見学した=写真・上=。ここのワインの特徴は、能登に実ったブドウだけを使って、単一品種のワインを造る。簡単に言えば、ブレンドはしない。もう一つ。熱処理をしない「生ワイン」だ。さらに詳しく尋ねると、赤ワインならタンクでの発酵後、目の粗い布で濾過し、樽で熟成する。さらに、瓶詰め前に今度は微細フィルターを通して残った澱(おり)を除く。熱処理するとワインは劣化しないが熟成もしない。熱処理をしない分、まろやかに、あるいは複雑な味わいへと育っていく。もう一つ。能登の土壌で育つブドウはタンニン分が少ない。それをフレンチ・オークやアメリカン・オークの樽で熟成させることでタンニンで補う。するとワインの味わいの一つである渋みが加わる。そのような話を聞くだけでも、「風味」が伝わってくる。

 ツアーのクライマックはカキ料理だった。ソムリエの辻さんは「能登カキには赤が合うか、白が合うか、自分で確かめてください」と。魚介類だと白という感じだが、焼きガキ=写真・下=だと赤が合うような感じがする、カキフライだとシャルドネ(白)かなとも思う。いろいろ語り合い、食するうちに酔いが回り、マリアージュが完結する。

⇒13日(火)朝・金沢の天気   くもり