★台湾旅記~2~
加賀屋の「もてなし」のノウハウを注入
「台湾では、日本語ができて、格式を誇る旅館の最前線の社員ですので、日本でいえばスチュワーデスのような憧れの職業なんです」。 後日、台北・北投温泉の加賀屋を経営する株式会社「日勝生加賀屋」の副社長、徳光重人氏に取材するチャンスを得た。会社は台湾のデベロッパー「日勝生活技研」と日本の「加賀屋」がともに出資する合弁会社だが、主な出資と土地建物の所有は日勝生活技研である。2004年6月に日勝生加賀屋が日本の加賀屋とフランチャイズ契約(20年間)を結び、台湾の加賀屋は建築から料理、もてなしの様式、すべてが日本の加賀屋流だ。
副社長の徳光氏は日本人ながら日勝生活技研の出向社員である。台湾に移り住んで17年になるという。フランチャズ契約を申し込んだのは台湾側から。「それ以来、開業に当たってずっと台湾と日本の文化摩擦の間に立ってきた」と振り返る。それを乗り越え、昨年2010年12月にオ-プンさせた。日本の加賀屋にとっては海外進出第1号となる。
加賀屋にも「出店」への思い入れがあった。同社は1906年の創業であり、「100年」という節目を迎えて記念すべきメモリアル事業を起こしたい、また、今後ブランドビジネスを海外に展開していくためにもフランチャイズ契約の成功例をつくりたいという思い。また、北投温泉は明治16年(1894年)にドイツ人商人が発見したといわれ、1896年、大阪人の資本によって北投で最初の温泉旅館「天狗庵」が開業される。その後、日露戦争の際に日本軍傷病兵の療養所が作られ、北投温泉は名実ともに台湾の温泉の発祥の地となる。その天狗庵の跡地を日勝生が取得し、加賀屋が建つことになり、歴史的な意味合いやストーリー性があった。4番目の思いは徳光氏によれば、「加賀屋による台湾への恩返し」である。1990年の日本のバブル崩壊で、投資を先行した温泉旅館はどこも苦境にあえいだ。加賀屋もその例外ではなかったが、15年前、台湾トヨタの外国社員研修が初めて加賀屋で開かれ、そのもてなしが評判となり、ピークで台湾人宿泊者が2万人も訪れるようになった。
この間、加賀屋も台湾人との接し方、もてなし方のノウハウを蓄積した。たとえば、青畳は日本人では新鮮な香りがして気持ちがよいものだが、台湾人はこの匂いが苦手だ。そのような経験知が生かされ、加賀屋が北投温泉に生まれた。
開業から11ヵ月、宿泊客の6割は地元台湾から、2割が日本人観光客、そして1割が香港・マカオの客だ。リピーターも増えた。香港の実業家夫妻はこの間13回も宿泊に訪れた。日本のもてなしを心地よく感じてくれる素地が東アジアにはあると徳光氏は手応えを感じている。
※写真は、車のドアを開けたところ、「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた接待係の女性従業員たち。車内からのカメラ撮影。和服の着こなし、身のこなしはきっちりと加賀屋流のトレーニングを受けている。それぞれ自分で選んだ源氏を持つ。
⇒7日(月)夜・金沢に天気 はれ