★世界を変えた書物
その部屋に入ると、何か歴史の匂いがした。古い建物ではないが、そこに所蔵されている書物から沸き立つオーラのようなものが充満している。その陳列ケースを眺めていくうちに、これが世界を変えた書物だと実感する。先日(25日)、金沢工業大学でのある研究会に参加した折、同大学ライブラリーセンター=写真=にある「工学の曙(あけぼの)文庫」に案内された。ここではグーテンベルグによる活版印刷技術の実用化(1450年ごろ)以降に出版された科学技術に関する重要な発見や発明を記した初版本が収集されている。
この文庫のコンセプトそのものが意義深い。ヨーロッパでは、中世まですべての知識は口伝か写本として伝達されるのみだった。つまり、知識は限られた人々の占有物だった。ところが、グーテンベルクの活版印刷術の発明によって、知識の流通量が爆発的に広がった。科学と技術の発展の速さは知識の伝達の速さに関係するとも言われる。つまり、「グーテンベルク以降」が科学・工学の夜明けという訳である。
43人の科学者や技術者の初版本が所蔵されている。いくつか紹介すると、白熱球など発明したエジソンの『ダイナモ発電機・特許説明書・特許番号No.297.584、1884年』、電話機のベルの『電話の研究、1877年』、ラジウムのマリー・キュリーの『ピッチブレントの中に含まれている新種の放射性物質について、1898年』、電磁波のヘルツの『非常に速い電気的振動について、1887年』、X線のレントゲンの『新種の輻射線について、1896-1897年』、 オームの法則のオームの『数学的に取扱ったガルヴァーニ電池、1827年』、電池を発見したボルタの『異種の導体の単なる接触により起る電気、1800年』、万有引力のニュートンの『自然哲学の数学的原理(プリンキピア)、1687年』、重力加速度や望遠鏡のガレリオの『世界二大体系についての対話、1632年』など、歴史に輝く科学の星たちの名前が目に飛び込んでくる。
面白いのは書物に添えられた解説である。引用しながら一つ紹介する。『電話の研究』のアレクサンダー・グラハム・ベル(1847-1922)。ベルの父親は聾唖(ろうあ)者に発声法を教える専門家だった。ベルもロンドン大学などで発声法を学び、父を継いで聴覚に障害を持った人々に発声を教えていた。1871年にスコットランドからアメリカへ移住し、73年にボストン大学で発声生理学の教授となる。このころ、ベルはヘルムホルツの音響理論を知り、機械的に音声を再現することに興味を持った。ベルの着想は、音の変化が電流の変化に変換でき、またその逆を行うことができれば、電流を用いてリアルタイムで会話を電線を通じて伝達できるのではないかとのアイデアだった。76年にベルは初めて音声を「波状電流」に変えることに成功する。最初の電話でのメッセージは、助手を呼ぶ「ワトスン君ちょっと来てくれ」だった。電話機はその後、エジソンらによって炭素粒を用いた、より再生能力の高い送受信機に改良され、世界に広がっていく。
電話の発明者としてベルは知られるが、生涯にわたって聴覚障害児の教育をライフワークとした。かのヘレン・ケラーに「サリバン先生」ことアン・サリバンを紹介したものベルだった。科学と人との出会い、そして科学への熱情。書物の背景にある偉人たちの生き様までもが伝わってくるライブラリーなのだ。
⇒28日(金)朝・金沢の天気 はれ
九谷焼の若手の絵付職人、造形作家、問屋、北陸先端大学の研究者らが集まり、現代人のニーズやライフスタイルに合った九谷焼をつくろうと創作した作品が並ぶ。九谷焼といえば皿や花器などをイメージするが、置物、それも昆虫のオブジェだ。
世界遺産の合掌集落で知られる白川村。1300年続くとされる祭りは、秋の豊作を喜び、五穀豊穣を祈る祭り。酒造メーカーではなく、神社の酒蔵で造られるのがどぶろくだ。冬場に蒸した酒米に麹(こうじ)、水を混ぜ、春に熟成するのを待つ。ろ過はしないため白く濁るため「濁り酒」とも呼ばれる。その年の気温によって味やアルコール度数に違いが生じる。暖冬だとアルコール度数が落ち、酸っぱさが増す。村内にはどぶろくを造る神社が鳩谷を含め3ヵ所あり、祭りは出来、不出来の品評会にもなる。だからつい飲み過ぎて、腰が立たなく人が多ければ多いほど、どぶろくを造る杜氏(とうじ)はほくそ笑むらしい。「杜氏みょうりに尽きる」と。どぶろく一升(1.8㍑)飲めば、間違いなく三日酔いだとか。そんな話をしてくれたのは、腰かけた境内の石段の隣に座った村の年配男性だった。
地域おこしを目指す草の根活動を表彰するイギリス・BBC放送の番組「ワールドチャレンジ」。世界中から600以上のプロジェクトの応募があり、「春蘭の里」が最終選考(12組)に残った。題して「春蘭の里 持続可能な田舎のコミュニティ~日本~」。日本の団体が最終選考に残ったのは初めてという。BBCでは現在、12組の取り組みを放映中で、内容は特設サイトでも見られる。投票は同サイトで11月11日まで受け付け、結果は12月に放送される予定。最優秀賞(1組)には賞金2万ドル、優秀賞には1万ドルが贈られる。最優秀賞をかけた
能登の製塩方法は「揚げ浜塩田」と呼ばれる。塩をつくる場合、瀬戸内海では潮の干満が大きいので、満潮時に広い塩田に海水を取り込み、引き潮になればその水門を閉めればいい。ところが、日本海は潮の干満が差がさほどないため、満潮とともに海水が自然に塩田に入ってくることはない。そこで、浜から塩田まですべて人力で海水を汲んで揚げる。揚げ浜というのは、人力が伴う。しかも野外での仕事なので、天気との見合いだ。監督のCさんが魅せられたのは、条件不利地ながら自然と向き合う人々の姿だった。
Bさん(28)は金沢市内の生花店に勤める男性だ。週2日ほど能登半島の北部、能登町で借りている家にやってくる。今年2月に発表された国勢調査の速報値でも、能登半島の北部、「奥能登」と呼ばれる2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)は軒並み5年前の調査に比べ、人口が10%減少している。高齢化率も35%を超え、人手が足りなくなった田畑の耕作放棄率も30%を超える地域だ。