☆佐渡とグアムの島旅4
グアム島の地図を眺めていると、ぽってりとした芋虫の這う姿に似ている。その西側はフィリピン海、東側は太平洋である。ホテルがあるタモン湾はフィリピン海に面している。18日午後から島の南、太平洋側に注ぐタロフォフォ川をさかのぼるリバー・クルーズのツアーに参加した。ここで思いがけず「グアムの森は海の恋人」を目の当たりにすることになった。
~ 「母なる川」と呼ばれるタロフォフォ川 ~
クルーズのガイドはジョンとマンティギという先住民チャモロ人の血を引く男性2人だ。クルーズはジャングルの中を縫うように流れるタロフォフォ川をさかのぼり、途中、川沿いの古代チャモロ村落跡を訪ね、ラッテ・ストーン(建造物の土台)などの遺跡を見学するほか、ハイビスカスの乾木を使った伝統的な火おこしやヤシの葉編みのアトラクションを見学するという4時間ほどのツアーだ。
川の流れはタロフォフォ湾に注ぐ、グアムでも比較的な大きな川だ。上流へとさかのぼるにつれ、うっそうとしたジャングルの樹木の枝が川面に垂れ、遊覧船はそれを押しのけるようにして進む。ジョンが「この川にはワニはいないけど、大きなマナズがいるんだ。あそこにうようよいる」と流ちょうな日本語で指をさした。そしてあらかじめ用意してあったパンをちぎって川面に投げると70~80㌢はあるナマズやサヨリに似た小魚の群れがワッと集まり=写真=、辺りが黒くなるほどだ。ブラックバスやウナギなどもこの川には豊富にいる、という。
ジョンが「ヨコイはこの川の上流で28年間も自給自足の生活をしていたんだ。彼が発見されて、この川のナマズの焼いたのがうまかったと言っていたらしい」と解説した。クルーズに参加した10人のほとんどは若いカップルや家族で、おそらく若い世代にはヨコイは何者か理解できなかったはずだ。横井庄一(1915‐1997年)、元日本兵。終戦後も配属先のグアムに潜み、1972年にタラフォフォ川でエビを採っていたところを現地の猟師に見つかった。彼はグアムでは英雄だ。28年間も完全自給自足、究極のサバイバルに挑んだ男として。横井が暮らした穴居は「Yokoi Caves」として観光マップにも掲載されている。
興味を持ったのは、ヨコイも漁をしたタロフォフォ川だ。この川の水はうす茶色だ。ジョンとマンティギに「上流で工事をしているか」と尋ねたところ、「昔からこんな色の川だ」との返事だった。そこで思い出したのが畠山重篤氏の『鉄は魔法つかい』の中で北海道・襟裳岬の「はげ山復旧事業」を紹介した下りだ。「うす茶の色は、まちがいなくフルボ酸鉄の色です。復活した森の中で生まれたフルボ酸鉄が、ゆっくり地下に浸透し、水路から海に流れ出しているのです。森の土は、粒子が細かく赤茶けていて、鉄分が多そうでした」(P.177)。川の水が茶色に濁っているのは、フルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)を多く含むからだ。そしてフルボ酸鉄は、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせない。この川にナマズやウナギ、エビなどの魚介類が多く見られるのは本来の豊かな川なのだと気がついた。そして切り立った川べりの土を見ると鉄分を多く含む赤土だった。
そこでジョンとマンティギに聞いた。「この川は海にも恵みをもたらしているのではないか」と。するとジョンは「そうだ。チャモロ人は昔から母なる川と呼んでいるよ」と。グアムでは、「森は海の恋人」ではなく「川は海の母」なのだ。
⇒19日(月)朝・グアムの天気 はれ