★「地デジ」以降‐下‐
アナログ停波の日(7月24日)に総務省テレビ受信者支援センター(通称「デジサポ」)への電話相談は12万4000件(0時~24時)と発表された。電話内容の多くは地デジ対応テレビやチューナーの接続方法などで、中には「チューナを買いたいが売っていなかった」といった苦情もあった。NHKのコールセンターには同日4万9千件、停波が延期された東北3県を除く44都道府県の地上民放テレビ115社に寄せられた電話での問い合わせは、24日の業務開始から25日14時の時点で2万1000件と発表されている。相談内容の分析はおそらくこれからされるだろうが、件数でいえばざっと19万余件が寄せられたことになる。この件数をどう見るか。
アメリカに比べ混乱は少なかったが…
先のブログで紹介したミラー・ジェームス弁護士によると、アメリカの「2009年6月12日」では当日31万7000件の問い合わせがコールセンターに寄せられたという。地上波をアンテナで直接受信する世帯はアメリカで15%、およそ4500万人。日本では76%(2009年統計)が直接受信なので、およそ9600万人となり、アメリカの2倍以上となる。相談件数で見る限り、少なくとも日本はアメリカより混乱は少なかったといえる。
相談内容では、アメリカの場合、受信機の使用についてが28%ともっとも多かった。これは日本と同じだ。ただ、日本と違った点は「特定のチャンネルの映りが悪い」26%もあったことだ。これは送信するテレビ局側の技術的な問題だった。
24日に記者会見した片山善博総務大臣は「想定の範囲内の件数」と述べた。言い換えれば、やれやれと何とかうまくいったとの意味だろう。しかし。問題はこれからだろう。先に述べたように、80歳以上の独り暮らし世帯が全国150万ともいわれ、文句も言わないサイレント層がいる。未対応世帯は大都市圏に多いという観測もある。この層をどうケアするのか。
テレビ局自身もこれからが大変だ。アメリカでは景気後退でテレビ局の経営が行き詰まり、身売りや合併が相次ぐ。記憶に新しいところでは、ことし1月、ケーブルテレビの最大手コムキャストがNBCユニバーサルの経営権を取得したことがニュースで流れた。NBCはアメリカ3大ネットワークの一つである。従来のCMを中心とした地上テレビ局のビジネスモデルだけでは成り立たなくなっている。さらに、アメリカではこうした買収などによるメディア集中の問題が浮上しており、メディアの多様性、市場原理、地域コンテンツをどう確保していくか、「地デジ」以降の問題が山積する。日本も同じだ。地デジが終わったのではなく、始まったのである。
⇒28日(木)朝・金沢の天気 あめ
オバマの「チェンジ!」の掛け声はFCCにも及び、スタッフ部門1900人のうち300人ほどが地域に派遣され、視聴者へのサポートに入った。ミラー氏は2008年11月から地デジ移行後の7月中旬まで、カリフォニア州北部、シアトル、ポートランドに派遣された。その目的は「コミュニティー・アウトリーチ」と呼ばれた。アウトリーチは、援助を求めている人のところに援助者の方から出向くこと。つまり、地域社会に入り、連携して支援することだ。
25日付の新聞報道によると、24日未明から同日午後6時までに総務省のコールセンターには9万8千件の電話相談や苦情があった。NHKには午後8時までに3万1千件、民放各社には午後7時までに1万6千件、まとめると14万5千件に上る。
私が生まれた1954年の1年前に日本のテレビ放送は開始した。1926年に高柳健次郎がブラウン管に「イ」の字を映すことに成功し、日本のテレビ映像の黎明期が始まった。1929年、すでに開始されいたNHKラジオの子供向けテキストに「未来のテレビ」をテーマにしたイラストが描かれた。当時、完成するであろうブラウン管は丸いカタチで想像されていた。東京オリンピック(1940年に予定していたが日本が返上)を目指してテレビ開発は急ピッチで進んだが、戦時体制に入り中断した。高柳博士の成功から28年かかってテレビ放送は開始されたことになる。