★文明論としての里山8
能登半島の先端、珠洲市三崎町に「へんざいもん」という言葉がある。自家で栽培した野菜などを知人や近所におすそ分けするときに使う。「へんざいのもんやど食べてくだし」と言って、ダイコンや菜っ葉を手渡す。「へんざいもん」を漢字で当てると「辺採物」、「この辺で採れた物」である。「手作りのもので、立派な商品ではありませんが、どうぞ食べてやってください」と少々へりくだった言い回しの贈り物である。誤解されがちだが、これは単なる物々交換ではない、隣人愛に満ちた贈与なのである。
失われた価値を求めて
この「へんざいもん」という言葉を数年前に知って、中沢新一著『愛と経済のロゴス』(講談社・2003)を想起した。グローバル経済を突き動かしているのは欲望だ。しかし、愛もまた欲望に根ざしている。となれば、愛と経済は深いところでつながっている。そんなところからいまの資本主義の有り様を批判したのが『愛と経済のロゴス』である。以下、著書を自分なり解釈しながら、経済とは何かを考えてみる。
いまの商品経済を支えているのは交換原理だ。近代資本主義は、この交換原理を全世界にゆき渡らせた。このグローバル経済で、かつてないほど豊かなはずなのに、なぜ幸福感も豊かさも感じられないのか。それは、資本主義という商品経済だけが発達し、何かのバランスが崩れているからだ。そのバランスとは、近代資本主義以前にあった、「贈与」「純粋贈与」という経済の要素である。著者が、例としてあげるのはバレンタインデーのチョコレートだ。もともとチョコレートには値札が付いていたが、贈るときには外され、「商品」としての痕跡が消される。同じチョコレートでも買うのと、贈られるでは価値が違う。そこには贈与とう愛がある。
贈り物にはそれ以外にも特性がある。例えば、朝市での物々交換ならば、モノはその場で交換しなければ、交渉が成立しなくなってしまう。だが、贈与の場合は違う。その場でお返しをするのではなく、時間をあけてからお礼をした方が隣人愛や信頼関係が持続している証(あかし)とされる。交換はマネーによって価値を決めることで可能となるが、贈与の方は、贈るモノの価値を極力排除することからスタートする。つまり、値札を付けて贈り物をする人はいない。前述の「純粋贈与」は、贈り物と返礼の関係ではなく、一切の見返りを持たない贈与、贈られたことの記憶も見返りも求めない贈与を「純粋贈与」と著者は表現している。
本来あった経済の「贈与」「純粋贈与」の部分を徹底的にそぎ落とし、「交換」に集約して近代資本主義は完成する。そして、幸福感も豊かさも感じられない経済に突き当たったのが現在である。著者は、最近の自然農法や有機農業、里山保全活動に共通するのは、数万年の時空を超えて、失われた贈与理論を復活させようとする試みではないか、と指摘している。重農主義とも言う。人間は農地に対して労働を注ぐ。重要なのは、贈与において相手を思いやる繊細な心が何よりも大切なのと同じように、耕す人々が細心の心遣いを農地に対して払うことだ。これによって、農地の価値が発生する。つまり、労働は農地に対する一種の贈与なのである。
話は「へんざいもん」に戻る。大地の恵みを得て、人は感謝すると同時に物質的な豊かさではなく、「隣人との関係価値」を求めて贈与を行う。人と人が結びつくことでより豊かになれると考えるからである。富の独占ではなく配分だ。収奪型のマネーゲームとは対極の構図である。私は何も昔に戻れと言っているのではない。人々は失われた経済の贈与価値を再び求めて始めているのではないかと思っている。
⇒18日(月)金沢の天気 ゆき
痛切に感じる「もったいない」は「土」と「人」の失われた関係である。耕作放棄地や荒れ放題の山々を見るがいい。祖先は生きる糧を食料に求め、開墾し耕した。心血を注ぎ、田を耕し命をつないできた。それを子孫はあっさりと捨てて都会に出て行く。労働と引き換えに貨幣を得て、商品を得る。コマーシャルリズムに踊らされて、トレンドだ、ブランドだと物への欲望をかきたてる。商品取引イコール経済活動という交換経済の中に埋没していた。
白山ろく、旧・白峰村(現・白山市)に焼き畑の伝統技術を現代に伝える人たちがいる。焼き畑の研究をしている橘礼吉(たちばな・れいきち)氏からこんな話を聞いた。「かつて焼き畑は原始的、粗放的な農耕といわれてきたが、そうではない。循環型の、持続可能な農法なのです」と。焼き畑というと、森林破壊の元凶とのイメージを持つ人が多い。化学肥料をまいて、その土地が持つ地力以上の農産物を搾り取るのが近代農業だ。焼き畑はそうではなく、地力を生かした農業であり、休閑地を設けて自然な森林の再生を促す。ヒエやアワをつくり、木から道具をつくる。炭を焼く、薬草を採取する。
本文を引用しながら、いまから1千年以上前にメキシコ・ユカタン半島とその周辺で崩壊したマヤ文明の謎解きをしてみる。その崩壊のプロセスはこうだ。マヤ民族は少なくとも500万人はいた。「入手可能な資源の量が人口増加の速度に追いつけなくなった」ことで人口と資源の不均衡が始まる。「森林破壊と丘陵地の侵食」が農地の総面積を減らす。減少する食料資源をめぐって、人間が争いあうようになり「戦闘行為が増加」した。小国同士がつばぜり合いを演じた。統一帝国ができなかったのは、マヤにはウマやロバといった運送に利用できる家畜がいなく、陸路の運搬は人の背に載せて行われたからだ。つまり、長距離の戦闘はできなかった。しかも、主食であるトウモロコシを兵士も荷役も食べるので、長期間の戦闘でできなかった。マヤの軍事行動は「期間も距離も大きく制限されていた」のである。そして、マヤを気候変動が襲う。旱魃(かんばつ)だ。
前回述べたように、<SATOYAMA=里山>は国際用語として認知されようとしている。環境省がG8環境大臣会合(08年5月)で採択された「生物多様性のための行動の呼びかけ」を受け、「実行のための日本の約束」として「SATOYAMA=里山イニシアティブ」(以下「里山イニシアティブ」)を打ち出した。生物多様性条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏は、人と自然が共生するモデルとして描く里山イニシアティブに対し、「日本は成長を続けて現代的な社会を形成した一方で、文化や伝統、そして自然との関係を保ってきた。そのコンセプトは世界で有効であり、日本の経験に大きな期待が集まっている」(COP9での発言)と、条約事務局として支援を表明している。2010年10月にCOP10が名古屋市で開催されることもあり、日本発の<SATOYAMA=里山>は国際会議のキーワードになりつつある。