☆名残り雪
徐々に暖かくはなるものの、寒の戻りがある。それを繰り返しながら本格的な春になる。北陸に住んでいると、「三寒四温」と「名残り雪」は春を迎える儀式のようでもある。きょう26日朝、名残り雪が降った=写真=。
自家用車のスノータイヤをノーマルタイヤに履き替えたので、滑らないかとヤキモキした。が、強い降りではなく、30分ほどしたら青空が見えてきたので一気に雪は消えた。ふと庭を見ると、梅の花が咲いていたので、名残り雪とピンクの梅の花の組み合わせは妙に風情があるものだと感じ入った。
金沢大学で同僚の研究員は別の春の感じ方をしている。春特有の香りが漂っているという。この香りをかぐと、そわそわした落ち着かない気分になるそうだ。それはヒサカキの小さな花の香り。里山を知る人にとって、春の訪れを感じさせる香りという。日当たりのよい場所の株には、その枝に下向きの白い小さな花がびっしりと咲いている様子を見ることが出来きる。ヒサカキは花のつけ方がおもしろく、雄花だけをつけるオス株、雌花をつけるメス株、雄花と両性の花をつける両性株の3つがあることが報告されている。ネットで調べると、伐採や山火事などのストレスで性転換することが知られているとのこと。
ヒサカキは地域によって「ビシャ」とか「ビシャギ」「ビシャコ」「ヘンダラ」など別名で呼ばれる。「樹木大図説」(上原敬二著)には、60近くの異名が記載されている。神聖な木として取り扱われ、神様や仏様に供えられることもあるヒサカキだが、この異名の多さは身近な里山の木として、いかに人に親しまれてきたかを物語っているのではないか、という。
名残り雪からヒサカキまでなかなか話は尽きない。すると、別の研究員が入ってきて、話を交ぜ返した。日本の花屋で売られているサカキの8割は中国産だそうだ。神聖な木を外国に委ねるなんて、と憤る。外国を責めているわけではない。里山にふんだんに自生しているのに、それを採取し、市場に出荷しないのは日本人の怠慢ではないのかというのだ。つまり、人々は里山に入らなくなった。経済価値としての里山に魅力を感じる人が少なくなった、ということか。それならば、逆転の発想でビジネスチャンスがあるのはと思ったりもする。
⇒26日(木)朝・金沢の天気 ゆき
それまで大切に「箱入り娘」のように大切に育てられたあのトキが野生に目覚めて、本州に飛んだのである。最初の1羽は、飛来が新潟県胎内市で確認されたので、もし佐渡の放鳥場所からダイレクトに飛んだとすれば、胎内市まで60キロとなる。このニュースに胸を躍らせているのは能登に人たち。佐渡の南端から能登半島まで70キロなので、ひょっとして能登半島に飛んでくるかもしれないと期待している。それは見当外れでもない。放鳥されたトキは、背中にソーラーバッテリー付き衛星利用測位システム(GPS)機能の発信機を担いでいて、3日に一度位置情報を知らせてくる。データによると、トキは群れていない。放鳥された場所から西へ行っているトキ、東へ行っているトキ、北へ行っているトキとバラバラだ。中でも、2歳のオスは佐渡の南端方面でたむろしている。これが北から南に向かう風にうまく乗っかると、ひょっとして能登に飛来してくるかもしれないというのだ。
石川県珠洲市で廃校になっていた「小泊小学校」という学校施設を借りして、研究と交流の拠点をつくった。このとき、地域の人からこんなことを言われた。輪島の人は「奥能登の中心と言ったら輪島やぞ。なんで輪島につくらんがいね」と。そして、珠洲の人は「珠洲の中心は飯田やがいね。なんで辺ぴな小泊みたいなところにつくるのや。なんで飯田につくらんがいね」と。中村教授を始めとして我われは天邪鬼(アマノジェク)でもあり、なるべく過疎地へ行って拠点を構える。そうすることによって、新たな何か発見があると考えたのだ。買い物や人集めに便利だとか考えて中心に拠点を構えて何かをやろうとするのはビジネスの世界だ。研究の世界ではそうはいかない。まず、人気(ひとけ)のいない過疎地で研究拠点を構え、そこでじわじわと地域活性化の糸口をつかんでいく、あるいは大学の研究のネタを探していく。足のつま先を揉み解すと血行がよくなり体の全体がポカポカしてくるのと同じだ。
福沢は新聞事業と出版事業を巧みにメディアミックスしている。時事新報の社説で自らの論説を一つのテーマで連続的に掲載していく。そのテーマの中から読者から手応えがあったものを、今度は出版するという手法だ。「時事大勢論」「帝室論」などのヒット作品が次々生まれた。いまの手法で言えば、コンテンツの二次利用。テレビの連続ドラマの中で視聴率が高かったものを映画化して劇場公開、その後にDVD化、BC放送やCS放送で放送し、最後に「地上波初放送」とPRして自社の映画番組で放送する。一粒で二度も三度もおいしい(利益が出る)コンテンツビジネスの先駆けである。
「政府の提灯は持たぬが、国家の提灯は持つ」。そう言い切って、福沢は明治15年(1882)3月1日に
福沢諭吉展のテーマは「異端と先導~文明の進歩は異端から生まれる」。1万円札に描かれている人のどこが異端なのかというと、明治維新後、蘭学を修めたような知識人たちはこぞって官職を求めたが、福沢は生涯を無位無官、一人の民間人で通した。「独立自尊」を身上とし、政党に属さず、民間人の立場から演説をし、言論というものを追求していった。請われても、権力に属さなかった。幕府を打倒し新たな権力構造をつくり上げていった薩摩や長州の「藩閥の群像」とは明らかに異なる。「際立つ個」、明治という時代にあってこれは異端だった。
ジョグラフ氏は名古屋市で開催された第16回アジア太平洋環境会議(エコアジア、9月13日・14日)に出席した後、15日に石川県入り、16日と17日に能登を視察した。初日は能登町の「春蘭の里」、輪島市の千枚田、珠洲市のビオトープと金沢大学の能登学舎、能登町の旅館「百楽荘」で宿泊し、2日目は「のと海洋ふれあいセンター」、輪島の金蔵地区を訪れた。珠洲の休耕田をビオトープとして再生し、子供たちへの環境教育に活用している加藤秀夫氏(同市西部小学校長)から説明を受けたジョグラフ氏は「Good job(よい仕事)」を連発して、持参のカメラでビオトープを撮影した。ジョグラフ氏も子供たちへの環境教育に熱心で、アジアやアフリカの小学校に植樹する「グリーンウェーブ」を提唱している。翌日、金蔵地区を訪れ、里山に広がる棚田で稲刈りをする人々の姿を見たジョグラフ氏は「日本の里山の精神がここに生きている」と述べた。金蔵の里山に多様な生物が生息しており、自然と共生し生きる人々の姿に感動したのだった。
