☆寝まり牛起きて猛進す
「金沢大学の地域連携」の一年を振り返る。大きく三つある。一つは、能登半島に大きく展開したということ。二つには、生物多様性条約第9回締約国会議(CBD-COP9、ボン)に参加し、石川県と国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットなどと連携して、COP10関連会議の誘致に向けて足がかりをつくったこと。三つ目として、里海とトキの研究事業に新たに着手できたということだ。
一つ目の能登半島に展開するプログラムでは、「能登半島 里山里海自然学校」と「能登里山マイスター」養成プログラムに加え、大気観測・能登スーパーサイト(黄砂研究)のチームが能登学舎に仲間入りし、能登における環境研究は3本柱となった。このほかにも能登で展開する研究チームと協力体制をつくり、「能登オペレーティング・ユニット」といった学内機構化を目指すバックグラウンドができた。こうした研究プログラムを地域に紹介し理解と協力を得るため、11月から12月にかけて輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の4ヵ所で地区懇談会も開催した。あわせて190人の参加があり、援軍を得た喜びがあった。
石川県と国連大学高等研究所オペレーティング・ユニットとの関係構築も大きな一歩だ。2010年のCOP10では関連会議を誘致するが、それに先立って生物多様性条約事務局(カナダ・モントリオール)のアハメド・ジョグラク事務局長を能登視察(9月16日、17日)に招待できた。1泊2日で能登を回ったジョグラフ氏は輪島市金蔵(かなくら)地区で棚田で稲刈りをする人々の姿を見て、「日本の里山の精神をここに見た」と高く評価したのだった。金蔵はいわゆる限界集落の村。それでもよき日本の里山の景観を維持し、自然と調和しバランスを保っている。
これまで里山の生物多様性や保全活動などを通して地域とかかわってきたが、里海にも目を向けた。手始めは「七尾湾創生プロジェクト」(環境省の事業助成)。これも大学単体ではなく石川県、国連大学高等研究所オペレーティング・ユニットなどと協働して進める。来年2月22日には環境省などとシンポジウムを開催する段取り。また、トキの分散飼育地に石川県、島根県出雲市、新潟県長岡市の3ヵ所が選ばれた(12月19日)。石川県能美市の「いしかわ動物園」に来年度、2つがい4羽のトキがやってくる。中村浩二教授が研究代表となり、トキが能登で生息するための生態学的な調査、地域合意形成のための調査を県からの委託で始めている。能登は本州最後の1羽のトキがいた場所だ。「まだ、生態学的な環境は十分残されている」と中村教授は強調する。環境に配慮した農林業が広まることでトキが生息する環境は再生できる。「トキが再び能登の空を舞う」をキーコンセプトに地域との連携を図っていく。
来年は「能登半島における里山里海復権と持続可能型の地域再生」をさらに追求していきたい。この復権という意味合いはそこで人の生業(なりわい)が成立する、端的にいえばビジネスができるということである。われわれはよく「自然との共生」を口にする。が、目指すべきはむしろ「自然との調和と活用」だろう。活用しなくなったから里山や里海が荒れた。つまり自然が持つ価値が失われた。もう一度、そこに価値を見出すことが必要になってきた。それが復権への行程の一歩だ。
「寝まり牛」は起きて猛進する…。新年をそんなダイナミックな変革の年にしたい。文章は少々粗いが、備忘録として書いた。
※写真は、伝統工芸のテーマパーク「ゆのくにの森」(小松市)で展示されている牛をモチーフにした竹細工
⇒31日(水)朝・金沢の天気 あめ
「恐慌」の文字を使わないようにしている。が、数字は強烈に物語っているではないか。
食を豊かにするのは味付けや食材の多さだけではない。「もてなし」という情感のこもった気づかいや応対が伴ってこそ、膳に並ぶ食も輝きを増す。もてなしは英語でホスピタリティといい、最近では学問として研究されてもいる。ところで、このもてなしの原点ともいえる農耕儀礼が能登半島に伝承されており、先ごろ、文化庁はユネスコ(国連教育科学文化機関)が無形文化遺産保護条約に基づき作成するリスト(09年9月)の登録候補の一つとして申請した。「あえのこと」である。「あえ」は饗応(ご馳走をしてもてなすこと)を意味する。
金沢大学地域連携推進センターが主催する「金沢大学タウン・ミーティング in 内灘」が12月20日、内灘町役場で開催された。金沢大学はタウン・ミーティングを平成14年度からこれまで石川県内7地区(輪島市、加賀市、鶴来町、珠洲市、能登町、羽咋市、穴水町)で開催しており、今回で8回目.。地域からの話題提供の中で、内灘町のボランティア団体「クリーンビーチ内灘作戦」代表の野村輝久さんが「内灘砂丘を蘇らせる」と題して、角間の里山から切り出したモウソウチクを利用した砂丘の復元運動を紹介した。
石の胸像が配置されている。カトリック教会から異端者として審問にかけられ、自説を取り消さなかったため、軟禁され8年後にこの世を去った(1642年)。裁判の後、ガリレオはつぶやいたという。「それでも地球は動く」
ッションが、「番組の構造改革」ともいえる大胆な編成に背中を押した、ともいえる。
んでしまった。
んでいる。もう一つの活動の目玉が「食文化プロジェクト」だ。
心安全な食材である。
教育界では子供たちの理科離れが進んでいるとよくいわれるが、メディアの世界では科学記事の割合が広がり、たとえば朝日新聞社では30年前に20人ほどだった科学担当記者は現在では50人ほどに増えている。戦後は60年安保、70年安保と大学キャンパスでも政治闘争の嵐が吹き荒れた。が、高度成長に伴ってハイテク、ロボット、宇宙、IT、新型感染症、医療・生命倫理、食の安全と危機管理、そして環境へと、メディアの記事テーマは政治・社会から科学への「理系シフト」が起きている。それが極まったのが、ことし8月の洞爺湖サミットだ。地球温暖化についての科学的な研究の収集、整理のための政府間機構であるIPCCの科学者たちが動いて、地球環境問題をサミットの主議題に押し上げたといわれる。少なくとも、政治家が地球環境問題を無視できないような状態になった。科学者のメッセージで世界が動く時代に入ったともいえる。
想像したのは強盗が入るなどの最悪の事態。すると奥の方で懐中電灯の明かりが揺れている。「やっぱり」と思い。大声で「誰かいるのか」と凄んだ。すると奥から家内の声、「停電なの」。力が抜ける。