☆ドイツ黙視録‐5-
5月27日、アイシャーシャイド村の生け垣の景観を眺めながら、愛用のICレコーダーで聴いたベートーベンのシンフォニー第6番「田園」。その日の夕方、生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)の関連会議が開かれるボンに入った。午後7時半から開催される、ボン市長のベルベル・ディークマン女史主催のディナーレセプションに出席するためだ。会場となったのはボン大学付属植物園だった。18世紀に造られたという宮殿とその庭園がいまは植物園になっている。ハスの池からはカエルの鳴き声が聞こえ、ここにいても「田園」の心象風景がぴったりくる。おそらく、レセプション会場を選定するにあたって、COP9の開催地を相当意識してこの場を選んだのだろうと、市長の心意気を感じた。25ヵ国80人ほどがガーデンパーティーを楽しんだ。
ボンの謎、ベートーベンとワイン
このパーティーが始まる前、少し時間があったのでボン大学近くにあるベートーベンの生家=写真・上=を訪ねた。夕方であいにく閉まっていた。外観だけの見学となった。ベートーベンの誕生は1770年12月16日。通称「ベートーベンハウス」は、注意していないと見落とすくらい街に溶け込んで、日本でいう町家という感じ。ガイドブックに載っていた、ベートーベンが使ったバイオリンやピアノ、ラッパのように大きな補聴器をぜひ見たいと思ったのだが。それにしても、ベートーベンは意外と「都会っ子」だったのだと認識を新たにした。
その時代をウイキペディアなどで調べてみた。18歳のベートーベンはケルン選帝侯マキシミリアン・フランツが開いたとされるボン大学の聴講生となる(1789年5月)。その翌年90年にボンに演奏にやってきたハイドンと出会う。1792年11月、ハイドンに師事する許しを選帝侯から得て、ボンからウィーンへ旅立つ。青年ベートーベンは人生の選択をしたのである。フランス革命が派手に展開し、ルイ16世がジロンド派による人民投票でわずか1票差でギロチン台に上がったのは3ヵ月ほどたった93年1月21日のことである。
ベートーベンが大学の聴講生だったころによく通ったという書店兼レストラン(現在はレストランのみ)=写真・下=が今でもあり、ボン市長主催のガーデンパーティーの後に訪れた。奥の広まったホールの一角に、ベートーベンがよくすわっていたという座席があった。その場所にベートーベンの肖像がかかっている。読書会によく参加していたらしい。1389年に創業したというその店の自慢は牛肉をワインで漬けて煮込んだもの。それに自家製の白ワイン。かつてベートーベンも愛飲したというシロモノで、味わい深く飲んだ。
ところで、20代後半から難聴に悩まされたベートーベン。確か中学校のころに音楽の先生から学んだ記憶では、父親ヨハンから音楽のスパルタ教育を受け、たびたび頬をぶたれたことが聴覚障害の原因と脳裏に刷り込まれている。ところがウイキペディアでは、若いころ愛飲したワインに起因する新説が出ている。それは、最近の研究で、「ベートーベンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出され、これが肝硬変を悪化させ死期を早めた(ベートーヴェンはワインが好物で常飲していたが、当時のワインには酢酸鉛を含んだ甘味料が加えられており、鉛はこの酢酸鉛に由来する)とも」と。
当時のワインが聴覚障害を引き起こす原因になったとは信じ難い。が、くだんの店で飲んだあのワインがひょっとして、と思うと少々複雑な気分に陥った。
⇒21日(土)夜・金沢の天気 くもり
実は、ダライ・ラマはヨーロッパで抜群の集客力を誇る仏教徒だ。ことし5月13日から23日にイギリスとドイツを巡った折、ブランデンブルクの集会には2万人を集めたという。しかも、講演会形式で日本円換算で数千円を払ってである。ダイラ・ラマは、経済のグローバル化が進展するのであれば、それにふさわしい倫理もまた必要と説いたそうだ。ダライ・ラマは1973年に初めてヨーロッパの地を踏んで、毎年のように欧米を訪れ一般市民らと対話を交わしてきた。確固たる人気は、その積み重ねなのだろう。しかも、異教の地で。北京オリンピックの聖火リレーで反中国の狼煙(のろし)が上がり、妨害が先鋭化したのはヨーロッパだった。中国政府がダライ・ラマをバッシングすれば反中国のリアクションがヨーロッパで起きるという構図が出来上がっているかのようである。
そのミュスターでいま注目されるのが環境である。その取り組みを象徴する言葉として、自転車、エネルギー・パス、エコ・プロフィットがある。以下は、ミュスター市環境保全局長のハイナー・ブルンス氏の説明による。同市は、ドイツのNGOであるドイツ環境支援支援協会(DUH)が選ぶ「ドイツ気候保護首都」に1997年と2006年の2回認定された。2004年には国連環境計画暮らしやすい街コンテストで金賞も得ている。とにかく、省エネルギーを徹底している。ミュスターでは住宅でも古い建物が多く、これをリフォームによって高気密・高断熱化することでエネルギー効率を高めようという政策である。窓を2重、3重ガラスにしたり、外壁の断熱材を10㎝から15cmに、また屋根にも断熱材を入れて熱を逃がさない。