★中越沖地震から3ヵ月
今月21日と22日、中越沖地震で震度6強の震災に見舞われた新潟県柏崎市を訪ねた。被災直後、同市では避難所が71カ所で開設され、ピークで9859人の被災者が避難所生活を余儀なくされた。JR柏崎駅のすぐ近くに仮設住宅が建てられていた。9万4千人の都市のど真ん中が被災地だった。
震災から3カ月を経ているものの、思ったより復旧が遅れているとの印象を受けた。何しろ、アーケード商店街の歩道のあちこちにおうとつがあって歩きにくい。2回もつまずいた。路地裏の住宅街に入ってみると、全壊した家屋がそのままの姿で残っていた=写真=。
復旧は遅れているのか。その理由について、取材のため訪れた同市のコミュニティ放送「FMピッカラ」の放送部長、舟崎幸子さんがこう解説してくれた。最近の中越沖地震の関連ニュースは柏崎刈羽原発の「地盤問題」に集中していて、街の復興にはスポットが余り当たっていない。すると、傍から見る視聴者は、街中はすでに復興しているものと視聴者は錯覚するのではないか、と。
解説を加える。能登半島地震の場合、能登有料道路が随所に崩壊し、それが「生活の大動脈が断たれた」と繰り返しマスメディアで取り上げられた。すると、行政も復旧ポイントに優先順位をつけて全力投球で工事をする。能登有料道路は2ヵ月後の5月の観光シーズンには仮復旧していた。それを「県土木の意地」と地元の人たちも賞賛したものだ。
ところが、中越沖地震の場合、マスメディアを通した耳目が柏崎刈羽原発に集中してしまうと街の復旧や復興の様子が県民・視聴者には見えにくくなってしまう。もちろん行政は全力投球しているだろう。被災地も能登に比べ広く、復旧工事が行き渡っていないのかもしれない。中越沖地震の復興は、原発というシリアスな問題がある分、盲点ともなりかねないのではないか。柏崎の街を歩きながら、そんな気がした。
⇒23日(火)朝・金沢の天気 くもり
きのう19日(金)は3週目の講義だったが、ハプニングが起きた。講義タイトルは横浜国立大学・松田裕之教授の「身近に起きる生態系のリスク」。教授は羽田空港から能登空港に飛び、午後3時5分に到着予定だった。ところが、能登空港の上空まで飛行機は来たが、霧のため着陸できず、30分も上空を旋回した後に羽田に引き返した。「しかたない。今回は休講にしよう」と話し合っていた。すると、フラントインフォメーションで「再び能登空港にフライトする」というのである。その時間は、午後5時50分に羽田発で到着は午後6時30分。教授からも連絡があった。「この時間だと開始は遅れるものの授業は内容的にできる」と。「休講はしない。準備を始めよう」と教員スタッフの動きは再び慌しくなった。
生という4文字に敢えて挑むプログラムに携わっている私に友人はエールを贈ってくれたのだ。
能登半島はキリコ祭りで有名だ。秋田の竿灯(かんとう)、青森の「ねぶた」と並び称される。キリコは担ぐものだが、写真のようにキリコに車輪をつけて若い衆が押している。かつて、集落には若者が大勢いた。しかし、人口減少と担い手不足で地域コミュニティーで運営されるキリコ祭りが成立しなくっている現実がある。車を付けてでもキリコを出せる集落はまだいい方だ。そのキリコすら出せなくなっている集落が多くなっている。
たとえばこんな話。金沢の野田山は加賀藩の歴代藩主、前田家の墓がある由緒ある墓苑だ。7月の新盆ともなるとにぎやか。市街地とも近い。そんなところにクマが出る。お供え物の果物を狙って出没するのだ。だから、「お供え物は持ち帰ってください」という看板が随所にかかっている、と。もう一つ。クマは柿が大好物だ。一度食べたら、また翌年も同じところに柿を食べにくる。ある日、痩せたクマが市街地の民家の柿木に登って、無心に柿の実を食べていた。通報を受けたハンターが駆けつけたが、その無心に食べる姿を見て、「よほどお腹がすいていたのだろう」としばらく見守っていた。満足したのか、クマが木から下りてきたところをズドンと撃った。クマはたらふく食べることができてうれしかったのか、クマの目に涙が潤んでいた…。