★割込企画「北海道異聞」中
小樽に足を延ばした(19日)。ぶらりと市立小樽美術館に入った。場所は日銀金融資料館の対面(といめん)にあたる。小樽在住の美術作家による展覧会が開かれていた。目を引いたのが観光化される前の小樽の街並みを描いた油彩画だった。作家は富沢謙氏(73歳)。展覧会場に、たまたまパンフの写真とそっくりの人、つまり本人がいたので、厚かましいと思ったがこちらから声をかけた。
2分化する小樽観光
「富沢さんご本人ですね。北陸・金沢から来たのですが教えてください。富沢さんが描かれている小樽の街並みは、いま私が見てきた街並みとは随分違います。富沢さんの街並みは運河を中心としてスケールが大きいような印象がありますが・・・」と思ったままを尋ねた。初対面ながら富沢氏の眼がキラリと輝くを感じた。「ご指摘の通りです。いまの小樽のにぎわは観光のにぎわいですが、かつては街全体が活気があったのです。その当時、運河はいまの倍はあったのです。私が描く街のスケール感は当時の様子を描いたものです」と丁寧に返事をしてくれた。
大正12年(1923年)に完成した小樽運河は戦後、物流の機能を失っていた。保存論議の末に昭和58年(1983年)から埋め立て工事がスタートし、運河は半分になり道路ができた。「当時の運河を見てもらえば、小樽の別がイメージを感じてもらえたはず。先見の明がなかったといえばそれまでなのですが…」と残念そうに話した。確かに、絵で見るような運河が現存すれば、小樽はかつて「北のウォール」と呼ばれ、その富をもたらしたものはこの運河だ、とストーリーが描ける。しかし、いまの小樽の観光戦略は旧銀行や倉庫、商家の建物だけを見せている。つまり歴史観光の入り口と出口のうち、出口しか見せてないのである。富沢さんにお礼をして美術館を出た。
実は6年前にも家族で小樽を訪れている。そのときのイメージは街全体が「レトロな観光土産市場」という感じだった。ガラス、カニ、チョコレート…、オール北海道という感じだった。ところが、街の様子が変化しているのに気がついた。一部はブランド化して新しい提案型のショップへと変貌しているのである。チョコレート専門店「Le TAO」は外観=写真・上=も従来の小樽のイメージを脱して、モダンを追及しているし、店内のショーケースは宝石店さながらの高級感を醸し出している。ここで味わったシャンパン風味のチョコレートは12粒で1050円もする。それが飛ぶように売れているのである。また、お昼に入った寿司屋は、入り口に日本酒をズラリと飾ったレストランバーの感覚の店だった=写真・下=。
街をそぞろ歩きしていると、中国語か台湾語らしい会話をしながらワイワイと歩くグループとよく出くわした。観光をする客層も6年前と随分と違ってきている。おそらく従来の「レトロな観光土産市場」は中国や台湾の人には珍しいかもしれないが、日本人客は飽きがきて寄り付かなくなるだろう。小樽に所在しながら「小樽」を脱する、ある意味での2分化が始まっている。いや、分化しないと生き残れないのだろう。観光は流行り廃りがはやい。観光コースの最後に立ち寄った「石原裕次郎記念館」はガランとしていた。
⇒20日(月)午後・札幌の天気 はれ