☆デープな能登=4=
同じ石川県でも能登と金沢では随分と考え方、言葉、習慣が異なる。能登で生まれた私は15歳から金沢で下宿をして高校に通った。下宿先は金沢市寺町の民家だった。賄いつきだったので、その家族と接することになり、それが金沢の人との生活上の出会いとなった。
子猫がじゃれるような…
下宿先のおばさんは「・・・ながや」「・・・しまっし」と話す。語尾にアクセントをつけ、念を押すような典型的な金沢言葉を話す人だった。当初慣れない間は、しかられているような錯覚に陥ったものだ。というのも、逆に能登の言葉は語尾を消すように、フェイドアウトさせるので、優しい言葉に聞こえる。
後に学んだことだが、この違いは歴史に由来する。金沢の場合は、前田利家が家臣団を引き連れて築いた、百万石という強大な「財政」をハンドリングする武家社会だ。この社会では上意下達、命令をしっかり伝えるために語尾をはっきりさせる。こためにアクセントをつける、あるいは言葉にアンカーを打つような言い回しになる。ところが、能登はフラットな農漁村である。争いを避けるため、言葉の角を取るように話す。むしろ能登の言葉は、福井や富山の隣県で話されている言葉に近い。たとえば、「疲れた」という言葉は能登ではチキナイ、富山でもチキナイ、福井ではテキナイと話す。金沢はシンドイである。歴史的に言えば、北陸は新潟を含めた同じ「越の国」なのだが、金沢だけが異文化社会だった。
宗教観でも異なる。北陸は「百姓の持ちたる国」の浄土真宗だ。ところが武家社会だった金沢は曹洞宗、つまり禅宗の家が多い。この2つの宗教観の違いは葬儀に参列すれば理解できる。能登だと、「亡くなられたこの家の主は若いときに両親を亡くされ、とても苦労されたが、その分、極楽浄土に行かれて・・・」などと弔辞を読む。ところが、金沢の曹洞宗のお坊さんは「この世も修行、あの世も修行」と言って、死者にエイッと大声で喝を入れる。曹洞宗が武家社会に受け入れられた理由はこの「修行」がキーワードなのだろうと解釈している。
この異なる宗教観がどのように日常に表れるかというと、たとえば、「能登の人は我慢強い」とよく言われるように、逆境に耐え黙々と働くような強さがある。金沢の人にはストイックな強さがある。このストイックさは、たとえば、礼儀作法が厳しい茶道など習い事の師弟関係の世界で生きているとの印象を持っている。
ところで、能登の言葉は優しいと述べた。実は、この言葉ではディスカッションで論理的に追及する、あるいは理論を構築していくという作業ができない。論理だけではなく、たとえば大きな組織の運営、あるいは緻密さを要求される共同作業といったリレーションは難しい。なぜなら語尾にフェイドアウトの「逃げ」があり、コミュニケーションで誤解が生じ易い言葉だからである。逆に、「もてなし」や「癒し」という雰囲気を醸し出すには耳触りのよい言葉である。
能登、とくに奥能登は「ニャニャ言葉」とも称される。語尾をノキャーと軽く薄く引っ張りながら消す。土地の人の会話を聞いていると、まるで子猫がじゃれあっているようにも聞こえる。
※写真は、伝統的な能登の「かやぶき民家」
⇒31日(金)夜・金沢の天気 くもり
北海道旅行で撮った写真から、何点かを紹介する。題して、北海道の写真グラフ3題。
こんなに公衆電話はいらない、それより… 最後に千歳空港の搭乗口の待合ロビーでのこと。壁側に公衆電話がズラリと並んでいる。そこで30分間観察していたが、利用した人はゼロ。ということは、ここにこれだけの数の公衆電話を置く経済的理由はないと判断してよいだろう。
その文を紹介する。「…地球の温暖化は異常気象を引き起こすことになり、世界的に農産物の減収を招き、食糧は不足し、産地は北へ北へと移動する」とし、「…北海道の、温暖化進行で産地が北へと移行する中でその使命は益々重大になると考えています」と。北海道は食糧自給率180%を超え、農業生産額が1兆円を超える農業生産基地である。地球の温暖化によって、さらに農業の適地化が進むことになり、北海道の役割は大きくなる、と。「21世紀半ばには世界の人口が100億人で安定すると言われていますが、そのとき安定的に供給を実現するためには、現在の3倍もの食糧が必要とされているのです」
「富沢さんご本人ですね。北陸・金沢から来たのですが教えてください。富沢さんが描かれている小樽の街並みは、いま私が見てきた街並みとは随分違います。富沢さんの街並みは運河を中心としてスケールが大きいような印象がありますが・・・」と思ったままを尋ねた。初対面ながら富沢氏の眼がキラリと輝くを感じた。「ご指摘の通りです。いまの小樽のにぎわは観光のにぎわいですが、かつては街全体が活気があったのです。その当時、運河はいまの倍はあったのです。私が描く街のスケール感は当時の様子を描いたものです」と丁寧に返事をしてくれた。
実は6年前にも家族で小樽を訪れている。そのときのイメージは街全体が「レトロな観光土産市場」という感じだった。ガラス、カニ、チョコレート…、オール北海道という感じだった。ところが、街の様子が変化しているのに気がついた。一部はブランド化して新しい提案型のショップへと変貌しているのである。チョコレート専門店「Le TAO」は外観=写真・上=も従来の小樽のイメージを脱して、モダンを追及しているし、店内のショーケースは宝石店さながらの高級感を醸し出している。ここで味わったシャンパン風味のチョコレートは12粒で1050円もする。それが飛ぶように売れているのである。また、お昼に入った寿司屋は、入り口に日本酒をズラリと飾ったレストランバーの感覚の店だった=写真・下=。
18日に札幌に着いて、さっそくナイトクルージングのバスツアーに参加した。サッポロビール園=写真=でジンギスカン料理を賞味する。2杯目のビールを注文し、ある「事件」を思い出した。当日タンクに残ったビールを、翌日客に出すタンクに継ぎ足して使っていたという問題だった。飲み放題の客にこの継ぎ足しビールを出したが、単品の客には出さなかったという。タンクからタンクの継ぎ足しだったので衛生上は問題はなかったろうと推測するが、北海道観光のキャッチフレーズである「試される大地」に水を差す問題として注目されたのを思い出した。もう5年ほど前のことである。ともあれ、肉も野菜もお代わりをさせてもらい、満足度も高かった。
その話を和倉温泉のある旅館の経営者から聞いたのは十数年前のことだが、いまもその「構造」は変わってはいないだろう。経営者の話は実に説得力があった。能登には七夕ごろから、それぞれの集落単位で地区の祭りが始まる。「キリコ祭り」と呼ばれ、高さ十数㍍の奉灯キリコを担ぐ。神輿を先導にして地区を巡り、最後に神社に集結して、神事を終える。鉦(かね)や太鼓、笛などの鳴り物と若い衆の掛け声で結構にぎやかな、そして伝統ある祭りが繰り広げられる。
海にぐっと突き出ているので、何か最果ての地に来たように旅情をかきたてる。
今月12日、家族ドライブで訪れた能登半島・七尾市の「食彩市場」で、夏の甲子園大会5日目、石川代表の星稜高校と長崎日大との対戦をしばらく観戦していた。星稜は3回、フォアボールとタイムリーで先制点を挙げた。が、6回に長崎日大はノーアウト1、3塁のチャンスを作り、センターにタイムリー、さらに犠牲フライで星稜は逆転をされてしまう。星稜はランナーを出すものの得点できず、2回戦で敗退した。
ベートーベンのシンフォニーのこと。ICレコーダーで3番と7番を録音していて、それを通勤のバスの中や、職場での休み時間に聴いている。最初は7番が圧倒的に多かった。ところが最近は3番なのである。7対3の割で3番を聴く聞く回数が多い。休日など一日中、3番を聴いていることがあるので「3度の飯より」と表現したりする。
中国から「カシミヤ100%」の表示で輸入されたセーターやマフラーに別の動物の毛が混じっていたとして85万点が回収された。「綿羊絨(めんようじゅう)」と呼ばれる羊の一種やヤクの毛などが、中国での製造過程で混入されたらしい。製造工程における中国製品のうさんくささがまたもや露呈した話だが、果たして責任は中国だけにあるのか、と言いたい。アパレルのプロだったら、カシミヤの手触りでだいたい真贋の判別はつくはずだ。混入を承知で販売し、利益を上げていたとしたら、日本企業の方が問題ではないのか。