★メディアのツボ‐51-
能登半島地震(3月25日)をさまざま視点で検証する金沢大学の震災学術調査に参加している。テーマは「震災とメディア」である。これまで3回にわたり、被害が大きかった輪島市門前町に入り、110人余りの被災者にアンケートを実施した。「震災直後、最初に使ったメディアはなんですか」と。
ユウセンの威力
現在、集計中なので気がついた点だけを述べる。実は「最初に使ったメディア」はテレビでもラジオでもなく、「ユウセン」なのだ。カラオケなどの音楽配信サービスのユウセンではない。門前町地区の人たちがユウセンと呼ぶのは防災無線と連動した有線放送のこと。街頭のスピーカーと、家庭で特別に敷設したスピーカー内臓の有線放送電話が同時に音声を発する。門前町地区オリジナルの防災情報システムだ。
震災当日、発生5分後の午前9時47分に津波情報を発し、「沿岸の人は高台に逃げてください」と呼びかけた。「天地がひっくり返るほど」の揺れで、自失茫然としていた住民を我に戻させ、高台へと誘導にしたのはユウセンだった。
普段は朝、昼、夜の定時配信で門前町地区のお知らせを有線放送電話室から録音で流している。ところが、いざ火災など緊急連絡となると、輪島消防署門前分署の署員が生で放送する。電話の利用料は月額1000円で同地区の8割が加入し、加入者同士ならば、かけ放題となる。さらにこの有線放送電話の優れた点は、同地区のさらに小単位の各公民館エリアでの放送も可能であること。震災後、診療時間のお知らせや、避難所での行事の案内などきめ細かく放送している。
地震の際、テレビは吹っ飛び、配線はちぎれ、しかも停電した。ところが、震度6強の地震にもかかわらず、縦揺れだったために電信柱の倒伏が少なく、火災も発生しなかったので、市街地の電話ケーブルは切れなかった(門前分署)。つまり、有線放送電話は生きていたのである。これに加え、同地区の人たちが一斉に高台に避難できたのは、去年10月にユウセンを利用して津波と地震を想定した防災訓練を実施していたということも起因している。
この防災無線と連動した有線放送電話システムば、30年以上もたったアナログ技術である。でも、その威力は大きかった。
⇒30日(月)夜・金沢の天気 くもり
現在は無職の32歳の男性の話だ。震災では自宅が全壊した。9時41分、母親はたまたま愛犬をシャンプーするため、風呂場に入っていて被災した。家は全壊したものの、ユニットバスというある意味で「シェルター」に守られ、九死に一生を得た。男性は、全壊した自宅や地域の惨状をなんとかしてほしいと思い、取材に来た新聞記者に惨状を訴えるつもりで上記の話をした。
フレッシュしてもらおう、そのために、お猿さんのパワーを借りようという内容のコラムを書いた。今回はその続編である。
今回の公演に先立つ20日、奥能登のある旧家を村崎さんと訪れた。この旧家に江戸時代から残る猿回しの翁(おきな)の置き物を見せていただくためだ。チョンマゲの翁は太鼓を抱えて切り株に座っている。その左肩に子ザルが乗っている。村崎さんによると、古来からサルは水の神の使いとされ、農村では歓迎された。それを芸として、全国を旅したのが周防の猿回しのルーツである。この置き物のモデルはひょっとして、村崎さんの先祖かも知れない。
被災者へのアンケート調査や、マスメディアへのヒアリングなどを重ね、全体像を浮かび上がればと考えている。しかし、足元がおぼつかない。アンケート調査では、学生の協力を得ようと先日、講義室で100人ほどの学生に「被災者の生の声を聞いてみよう」と呼びかけたが、反応はいまひとつ。19日と20日に開くアンケートの事前説明会では学生が集まるだろうかと不安もよぎる。何しろ新学期で、学生は何かと忙しそうだ。
先日、乳母車を押した女性が鯉のぼりを見物に来ていた。大学の長い坂道を乳母車を押して来たのだろう。金沢市内では鯉のぼりを上げるスペースを持った自宅となると、郊外などに限られてくる。確かに、いまどき金沢で鯉のぼりは珍しいのである。
被災者だから、本当に何が必要なのかよく理解できる。その経験を生かし、新潟県中越地震(2004年10月)では被災地で支援活動をした経験を持つ。2週間余り、炊き出しやがれきの後片付けをした。前回のブログ(4月10日付)で紹介した「猿回し慰問ボランティア計画」は、避難所生活のお年寄りはストレスや疲労がたまりやすく、エコノミークラス症候群などにかかりやすいので、「何とか、外に出て歩いてもらうきっかけを」とアイデアを出し合ってひらめいたのが猿回し公演だ。細やかなことにまで気が回るのも、被災地で支援活動をした経験を持つからこそだ。
中越地震でボランティア経験もある地元・輪島市門前町のN・Oさん(52)から聞いた話では、避難所生活が長くなってくると、気力が弱ってくるせいか、お年寄りは外に出たがらなくなる。「外に出て深呼吸するだけでも随分といいのだが」と心配する。
や連絡調整を行うための「金沢大学能登半島地震対策本部」が設置された。今回の学術調査部会は対策本部のセクションとしての位置づけである。
曜日、本来ならば金沢の兼六園などは花見の客でにぎわうころだ。ところが「異変」が起きている。
取りもいない。市民は花見を忘れたかのような静けさだ。