2006年 9月 12日の投稿一覧

☆メディアのツボ-12-

☆メディアのツボ-12-

  小泉総理の靖国神社参拝に対しては数々の意見がある。しかし、政治家としてみれば、「ぶれない政治家」としての印象を得たし、政治家はぶれてはいけないという手本を示した。それより何より、総理の靖国参拝を通して日本人が中国と韓国の外交戦略というものを見てしまったのだ。

     小泉政治とメディア②

 総理は一貫して「靖国は外交カードにはならない」と主張してきた。この意味が当初理解し難かった。ところが、小泉政権の5年間で日中をめぐる事件がはっきりと見えるようになった。たとえば東シナ海の日中中間線付近でのガス田の一方的な採掘、国連の安全保障理事会に日本の常任理事国入りに反対、今なお強化している反日教育(中国版ホロコースト博物館の各地での建設)、反日デモの意図的な煽動…などを冷静に観察した日本人は次のような印象を持っているのではないか。

  「中国政府は小泉首相の靖国神社参拝が中国人民の感情を傷つけ、中日関係の政治的基盤を壊したために日中関係が悪化したと主張しているが、中国はもともと日本の対外政策全般に批判的で、日本を弱者の立場に抑えておくことが真の目的ではないか。これは外交戦略ではないか」と。

  だから、もし日本側が中国側の要求に応じ、日本の総理が戦争の歴史に正直に直面して対中関係を修復するためだとして▽靖国神社を参拝しない▽日中間で問題が起きるたびに第二次大戦での残虐行為について謝罪し続ける▽中国が不満を表明する歴史教科書はすべて書きかえる…などを約束し実行しても、中国は日本を許しもしないし、発展的な外交案を提示したりはしない。むしろ中国側は「日本はまだ十分に悔い改めていない」とし、あくまでも日本の国連安保理常任理事国入りには反対し、また日本領海への潜水艦での侵入を繰り返し、時には大規模な反日デモを扇動を続けるだろう。

  手短に言えば、中国側が日本からのさまざまな実利上の譲歩を獲得するために日本側の贖罪意識を責めることで、外交手段としているからだ。その日本攻撃の材料の一つが靖国参拝である。小泉総理が「靖国は外交カードにはならない」と言い切ったのはこの中国側の対日戦略が露骨に見えてきたためだ。韓国の対日外交ついても同様の意図が読める。

  もう一つ見えてきたことがある。それは、中国における日本のメディアのあり方である。新聞であれ放送であれ日本のメディアは正面切った中国に対する批判記事や番組を避けてきた。なぜか。中国には取材拠点となる支局の開設、取材の許可制など制限が数々あり、批判記事に躊躇せざるを得ないという事情がある。

 たとえば、こんな事例ある。駐中国の外国人記者協会(FCCC)はことし8月、北京で声明文を発表し、中国政府は北京オリンピック開催資格の条件付けとして「中国にいる外国記者に自由な取材環境を提供する」と誓約したにもかかわらず、現状では実現されていないと指摘し、さらにメディアへの干渉や妨害の撤回を求めた。この取材妨害とは、取材対象が環境汚染やエイズ病問題、農民の集団暴動などに及ぶと公安警察から干渉と妨害が入ることを指す。

  このような状態だから、ましてや日本のメディアが中国の外交戦略を真っ向から批判をしようものならどうなるか。日本のメディアは沈黙することで、その「難」を避けているのである。だから、前記のFCCCの声明ですら日本では記事にならなかった。

  こう考える。「正面切って中国を論評できない日本のメディアはもどかしい。中国に対し毅然とした態度を取っているのは小泉総理だけではないか」と日本人は見透かしてしまったのではないか。さらに言えば、1990年代からの中国側の外交戦略(前述のガス田問題など)は本来きちんと論評すべきであったのに、「ぼかしの表現」で隠してしまった。これはメディアの責任ではないか、と。(※写真はことし5月、石川県輪島市の千枚田を訪れた小泉総理)

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