2006年 9月 10日の投稿一覧

☆メディアのツボ-10-

☆メディアのツボ-10-

 同時多発テロ「9・11」ほどその後のメディアのあり方を変えた事件はないだろう。あす11日を前にこれまでのメディアの論調に触れてみたい。

     9・11とメディアの論調    

  国家VS国家の戦いではなく、アフガンで展開したようにテロ集団と国家の図式である。国際法にもとづく定義とか、もちろん戦争作戦でもなく、紛争あるいは掃討作戦という地域限定の争いである。その延長戦上にイラク攻撃もあった。実はこれならメディアは乗りやすい。国家と国家の争いならイスラエルとパレスチナのようにそれぞれの言い分がある。しかし、テロは絶対悪である。その理由はどうであれ報道しやすい。そのことに反発する世論が形成されないからである。

 その事例がある。2001年のテロの翌年、「テロ支援国家」「悪の枢軸」とブッシュ大統領が決めつけたイラクへの攻撃を想定してアメリカ国防省が02年10月から軍とメディアの合同演習を開き、これにメディアも参加した。翌03年2月には500人以上の記者とカメラマンが参加する一大イベントとなった。いわば「従軍」である。アメリカ兵と寝食を共にして、食料も移動車も提供される。分担金はあったにせよ丸抱えだった。

  その後のメディアの論調は、「テロが発生」「報復攻撃」「市民が犠牲」「アメリカ兵が合計で何人死亡」と発表文を基にした報道の繰り返しだった。イラク人捕虜の虐待などのスクープはあったものの、この報道パターンはいまも同じである。そのうち読者や視聴者の感覚は段々と麻痺してきた。それは人が死ぬということが特別なことではなく日常の紙面であり、あるいは自爆テロということに遠い国の日本人も恐怖心を抱き、JR駅からゴミ箱が撤去されても当たり前という感覚にいつの間にかなってしまった。

  そして、テロに対しては「やられる前にやりかえせ」という風潮がいつの間にか醸成される。03年1月、北朝鮮が日本にミサイル攻撃を仕掛けてきた時の対応が論議された際、時の石破防衛庁長官は「(北がミサイルに)燃料を注入し始めたら(攻撃に)着手する」と答え、物議をかもしたが、それも一時的だった。その延長線上で、ことし7月5日の北朝鮮ミサイル発射問題が起きた。額賀防衛庁長官も同じ発言を繰り返した。が、その時は物議にすらならなかった。韓国の盧大統領が「北東アジアの平和をかき乱すような事態を引き起こす可能性がある」と思いつきの日本政府批判を展開したものの、逆に韓国内で「攻めるべきは北であって日本ではない」と反発を招いた。

  日本のメディアの中で、この先制攻撃論について論陣を張った社はあるだろうか。アルカイダ、イラク、北朝鮮の延長線では斬り込み難いと思っているメディアが多いのだろう。そして「北朝鮮がミサイル再発射か」というニュースが流れる度にドキリとしている我々である。01年9月9日から06年7月5日の5年間で心理の底に堆積したテロ、戦争の膨大なニュースのおかげで、「身構えること」だけが本能となったかのようである。

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