☆鯉のぼり掲揚記念エピソード
金沢大学の創立五十周年記念館「角間の里」でこの26日に「鯉のぼり」が揚がった。晴天が続き、気持ちも春へと高まったのだろう。市民ボランティアの人たちがひと足もふた足
も早く季節を先取りした。その「角間の里」がオープンしてから間もなく1年、実にいろいろな人がここを訪れた。その時の言葉などをまとめてみた。
イギリスの大英博物館名誉日本部長、ヴィクター・ハリス氏が訪れたのは去年7月9日だった。ハリス氏は日本の刀剣に造詣が深く、宮本武蔵の「五輪書」を初めて英訳した人だ。日本語は達者である。年季の入った梁や柱を眺めて、「この家は何年たつの?えっ280年、そりゃ偉いね。大英博物館は250年だからその30年も先輩じゃないか…」とハリス氏は黒光りする柱に向かって軽く会釈した。古きもの、価値あるもを大切にするイギリス人の所作を見た思いがした。
文部科学副大臣の馳浩氏がこの「角間の里」で林勇二郎学長と広報誌向けの対談をしたのはことし2月4日のこと。文部行政から人づくり、さらに話は政治や外交にまで及び時事放談のように熱くなった。炬燵(こたつ)に入っての対談。最後に「こんなにボクをしゃべらせたこの家が悪い」と茶目っ気たっぷりにミカンをパクリと。それにしても、こんなにエキサイトした馳氏を見たのは久しぶりだった。
金沢大学が外国プレスの東京特派員を招いたのは同じく2月の16日。女性記者のイリス・ジェラートさんはここで「劇的」な出会いをした。近寄ってきた金沢大の留学生ミハルさんと抱き合って喜んでいた。二人はイスラエル出身。初対面だったが、とても懐かしそうにヘブライ語で語り合っていた。その光景が何となく理解できるような気がした。極東の日本、しかも東京から離れた北陸。外は雪。こんな場所で同国人と出会ったら懐かしさが込み上げてくるのも無理はない。
「人を懐かしくさせる場の演出」「価値ある古建築」「会話を醸し出す雰囲気」などこの建物にはいくつもの魅力がある。この家で交わった数々の人のエピソードの中からほんの触りを紹介した。
⇒31日(金)朝・金沢の天気 くもり
部で氷点下1.3度だったとテレビの昼のニュースで伝えていた。金沢大学角間キャンパスでも数㌢の積雪があった。
場所は金沢大学角間キャンパスの北側隣接地に当たる。尾根伝いに道があり、「仏教道」と土地の人は呼んでいる。15世紀の終わりごろ、浄土真宗の蓮如上人が北陸布教の折に利用した道と言われ、「蓮如の力水(ちらかみず)」という湧き水や「御講谷(おこうだん)」と呼ばれる地名も残っている。尾根の道は幅1㍍ほど。偉いお坊さんと村の人々がこの道ですれ違う度に、お坊さんは「極楽へいくために念仏を唱えるのじゃ」などと声をかけ、蓮如ファンを獲得したのだろうなどと想像しながら歩いた。
ミステリーゾーンはその仏教道から横道にそれる。M氏が30年ほど前の記憶をたどりながら歩いて行く。途中で道はなくなった。笹薮だ。それをかき分けて進むとまた道らしきもものがあり、ようやく御瀑野にたどり着く。M氏はここで何度も何度も道に迷う不思議な感覚に襲われ、命からがら自宅に戻った。すると、父親から「よう戻った。あそこには魔物がいる。近づくな」と昔からの言い伝えを聞かされた。だからM氏がこの地に立つのは30数年ぶり。
この地は海で言えば岬の突端にようになっていて、三方が谷にかこまれている。見晴らしがよい。向こうにはゴルフ場が見える。M氏は「ゴルフ場が見えるようじゃ、魔物の力も落ちたのかな」とつぶやいた。すると私を含め同行した4人のうちの1人が「あっ」と叫んだ。そして「あのゴルフ場はバブルの末期に造成したんですが、確か工事中に2人が死んでいますよ」と。この後しばらく沈黙が続いた。
通りには花見のぼんぼりが取り付けられ、春のムードを醸し出している。その広坂通りを歩いていると、旧・県庁の正面にある2本の巨樹の目立つ。
なんとも威風堂々とした感じだ。
進出。今大会では2戦2勝している韓国に6-0で雪辱して決勝進出と、運も手伝った薄氷の勝利だった。
一枚を紹介しよう。イタリアのフィレンツェにあるサンタ・クローチェ教会の壁画に描かれている「聖十字架物語」の一部。フレスコ画である。金沢大学は国際貢献の一つとして、この壁画全体(幅8㍍、高さ21㍍)の修復プロジェクトにかかわっており、ことし1月、現地を訪れた。
である。
サンデープロジェクト」にも見入った。
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注文したのが海鮮とろろ丼(950円)。マグロとブリなど魚介類に山芋のトロロをかけたどんぶり、それに油揚げの入った味噌汁と小鉢が一品つく。メニューを見渡すと「団塊世代のカレーライス(辛口)」(700円)というのもある。どんな味かと思いつつも2つ注文するお腹の余裕はなかった。
天然塩」と書いてあった。食塩一つにもこだわった店なのだ。
で自分をカラオケモードに切り替える。1969年のデビュー曲だから、私もかれこれ30年余り歌い込んできたことになる。
ている地区もあるのだとか。坂の街の福祉ではある。 