2005年 10月 の投稿一覧

☆NHKにCMは流れるか…

☆NHKにCMは流れるか…

  一連の不祥事が表面化し受信料の不払いへと連鎖しているNHKを遠巻きに見ながら、民放業界はその周囲の動向をうかがっている。何しろ、受信料未納による減収は年間おそよ500億円にも上る。近い将来NHKが経営危機に直面した場合、国営化なのか民営化なのか、政府はどのように判断するのか、いつ口火を切るのか-。民放が注視しているのはこの点だ。

  NHKにとってショッキングな数字が10日付の日経新聞に掲載された。インターネットによる調査(サンプル1034)で、「NHKがなくなり、テレビ局が民放だけになったら困ると思いますか」の設問に、56.7%が「困らない」と回答した。困らない理由として▽NHKの番組がそれほど優れていない▽ほとんどNHKを見ていない▽受信料を払わなくてよくなる-などといった回答が並んだ。「困る」としたのは23.0%だった。この調査はインターネットによるもので、NHKを比較的よく視聴する高齢層の意見が反映されていないことを加味したとしても、NHKサイドは動揺しただろう。

   実はこの日経の調査でもう一つショッキングなデータが載った。「NHK受信料制度を今後どうしていくべきだと思いますか」の設問で、「廃止して民放のようにCM収入で運営」の回答が56.5%と過半数を占めた。「廃止して国の税金で運営」はわずか12.5%、「現状のままでよい」は10.5%である。つまり、NHKを民営化しろ、との意見が圧倒的に多い。確かに、ちまたでも「郵政も民営化するのだから、NHKがそうなって不思議ではない」という声を聞く。でもこの数字で衝撃を受けているのはむしろ民放の方だ。「民業圧迫だ」と。

   では、NHK民営化の議論が政府内部であるのだろうか。今年3月15日、衆議院総務委員会でNHKの予算審議が行われた。この中で何人かの委員が広告放送や有料放送化について質問している。その審議のやり取りはインターネットの「衆議院TV」でアーカイブされている。4時間余りの集中審議だ。この中で、麻生太郎総務大臣は「NHKがいまやらなければならないのは信頼回復」「(広告放送などを)検討すべきだと考えているが、今直ちにというつもりはない」との主旨の答弁を繰り返している。麻生大臣でこのレベルの発言ならば当面、 NHKの民営化やCM放送はないと見るべきだろう。

   それにしてもである。テレビ受信は全国で4600万件、うち未契約は985万件、1年以上の滞納は135万件、そして支払い拒否が130万件に及んでいる。つまり4件に1件以上が支払っていないのだ。上記のインターネット調査に応じた世代が世帯主になれば、この数字は加速度的に増えるだろう。NHKの経営危機は見えている。

   経営危機に見舞われたとしても、「小さな政府」の流れではNHKの国営化は可能性が薄い。とすれば、上記の世論調査のようなCM放送や民営化論が台頭してくるのは時間の問題だろう。では誰がその口火を切るのか。ひょっとして、「番組でもめた」安倍晋三あるいは中川昭一の両氏かもしれないというのはうがった見方か…。

⇒12日(水)朝・金沢の天気  はれ

★「メディア戦略」で負けたのか

★「メディア戦略」で負けたのか

  9月11日の衆院選挙での敗北の理由を、民主党は「メディア戦略」のせいにしているようだ。負けた側がその理由を分析できないのであれば、次の可能性はない。

  9日付の新聞報道によると、メディア対策で自民党に大きく後れをとったのも敗北の一因との反省から、民主党は「メディア戦略室」(仮称)を新設するという。前原代表の強い意向らしい。その理由として、民主党は選挙期間中に、年金制度改革や子育て支援などを政策を訴えたにもかかわらず、テレビなどはもっぱら「刺客」と言われた女性候補や、ホリエモンこと堀江貴文氏と亀井静香氏が演じた郵政対立劇を取り上げた、との見方をしているようだ。TVカメラが向いてくれなかった、だから民主党は負けたとの論理だ。

  確かにテレビの取り上げ方は「ワイドショー選挙」という印象だ。しかし、民主党が敗北した理由は①郵政民営化に賛成の議員がいるにもかかわらず支持基盤の労組に配慮して反対した②郵政民営化に反対したことで国の構造改革にブレーキをかけていると有権者から判断された-の大きく2点だろう。小泉総理は選挙結果を受けた会見で「民主党の敗北は郵政民営化に反対したからだ」と即座に語ったが、的を得ている。テレビでの露出が少なかったから負けた、というのは分析が間違っている。

  今後、民主党がメディア戦略に力を注ぐというのであれば、それはテレビではなくインターネットだろう。9月14日に最高裁が判断した「在外選挙権訴訟」の違憲判決を受けて、インターネットの選挙利用について自民党や総務省が動き出しており、2007年夏の参院選には解禁となるはずだ。民主党にはブログを開設している議員が多い。いっそうのこと、すべての議員と立候補予定者にブログを書かせ、いまから「インターネット選挙」に向けて技を磨かせたらどうか。

  それでもテレビを利用したいというのであれば、笠(りゅう)浩史氏や小宮山洋子氏らテレビに精通した人材を軸に広報戦略チームをつくることだ。笠氏はテレビ朝日の政治部記者だった人。あの人当たりのよさは広報マンとしての素養には十分だ。小宮山氏はNHKの元アナウンサー。そもそも今回の総選挙で民主党は新聞広報に偏ったのが失敗だった。岡田代表の全面カラー広告を何度見せつけられたことか。有権者の中には「その金はどこから出ている。政党助成金という税金じゃないか」と反感を持った人も多かったはずだ。広告代理店にPR戦略を丸投げした弊害とも言える。一方、小泉総理を起用した自民党の全面広告は控えめに白黒が多かった。民主党のメディア戦略はそのようなところから考え直す必要があると思う。

⇒11日(火)午前・金沢の天気  はれ

☆アートな古民家

☆アートな古民家

     私のオフィスである金沢大学五十周年記念館「角間の里」にいろいろな才能を持った市民ボランティア「里山メイト」や大学のスタッフが集まる。中でも、女性たちがさりげなく創作している作品に見とれることがある。

    オフィスに入る際にくぐる「のれん」がある。里山メイトの女性グループがつくってくれた。ガーゼのような柔らかい布地に藍染めをほどこしたのれんだ。そののれんには、絣(かすり)などの古着の布でつくったトンボが3匹つけてある。のれんなのだが、私の目には秋晴れの空を泳ぐトンボを描いたコラージュ作品と映る。こののれんをくぐるとき、私は大空に飛び込むような気持ちになる。そして、柔らかな布地がほほに当たる感触はまるで雲に入ったような感じだ。そして癒される。

   「角間の里」の土間から見る部屋の前の廊下に、ひときわ香りのよいキンモクセイが生けられた。香りもさることながら、障子の板戸、キンモクセイ、甕(かめ)、藍染めの敷き物、柿渋で磨いた廊下を組み合わせ。この4つのエレメントで構成されるスケール感のある生け花だ。だから、美術館や会社の受付玄関に置いても見栄えはしない。土間のある築280年の古民家だからこそ華やぐ。

   こうした作品がさりげなく置かれるたびに、私は鑑賞する喜びを感じる。そして彼女たちも作品づくりが楽しそうだ。故・中川一政画伯の作品集「いのち弾ける!」(二玄社)の一文を思い出した。「目に見える形はかれる。目に見えない形はかれない」。作品より、創造への意欲や着想が湧き上がることが芸術にとって大切だ、との意味だろう。芸術論を語るつもりはない。「角間の里」という建物は、人の創作意欲や着想をちょっと刺激してくれる雰囲気のある空間だ、と言いたかったのである。

⇒9日(日)午後・金沢の天気  はれ   

★「岩、動く」「もはや運命」

★「岩、動く」「もはや運命」

                                                         インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」で、「岩城宏之」と検索すると、「…近年の顕著な活動としては、2004年12月31日のお昼から翌2005年1月1日の深夜にかけて、東京文化会館でベートーヴェンの全交響曲を一人で指揮したのが知られている」と記されている。クラシック界のことをきちんと理解し評価できる人が執筆していると思う。

  8月に肺の手術を受け療養中だったオーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督で指揮者の岩城宏之さんがきのう(4日)、金沢市での復帰公演となる「モーツアルトフェスティバルIN金沢」(6日)を前に記者会見をした。今回で25回目の手術。岩城さんが音楽堂のオフィスに入るや、スタッフから拍手が沸き起こった。声の張りも以前と変わらず。その気迫に私は、「不死身(ふじみ)」という長らく忘れていた言葉を思い出した。石川県立音楽堂での記者会見の1時間ほど前に岩城さんにお目にかかることができた。時間にして15分間ほど。

  今回お目にかかって改めて岩城さんの超人ぶりに心を揺さぶられた。上の2枚のチラシを見ていただきたい。チラシは表と裏の一枚チラシなのだが、岩城さんの生き様を2つの意味で表現している。向かって左は「岩、動く」「岩城宏之、大いに暴れる」のキャッチコピー。10月30日のコンサート(東京)のチラシだ。最初、選挙ポスター風のチラシなので、9月11日の総選挙のパロディー版だと思った。そこで私の方から「面白いコピーですね」と水を向けた。すると意外な言葉が返ってきた。「あと10年、周囲は無理せず穏やかにと言う。これでは面白くないと思ってね、三枝さんの所で暴れることにしたんだ」(岩城さん)。なんと10月から、これまで自らつくり育てた所属事務所「東京コンサーツ」から、作曲家の三枝成彰氏の事務所「メイ・コーポレーション」に移籍したのである。「大いに暴れる」ために「岩、動く」(つまり移籍)。これは「移籍記念」コンサートのチラシなのだ。

  もう一枚のチラシ。「もはや運命」「岩城宏之ベートーベン第一から第九まで振るマラソン」。ことしも12月31日、東京芸術劇場で9時間かけて、ベートーベンの全交響曲を指揮する。ウィキペディアで記載されたように、評価が定まった偉業をことしもさらに続ける。あくなき挑戦だ。「チャンスを見てヨーロッパに。三枝さんは誇大妄想だから」と笑う。額面どおり受け止めれば、西洋クラシックの総本山、ヨーロッパに乗り込んでベートーベンの第一番から第九番までのチクルス(連続演奏)をやる、そのために身柄を三枝さんに預けたと言うのである。入院中にこの壮大なプランが生まれたのか。73歳、岩城さんから鬼気迫るものを感じた。

  手術を25回もして、「生きる」とか「生き抜く」というレベルを超越して、オーラがみなぎっている。岩城さんの凄まじい生き様を文章表現することは私には到底できない。この眼で見届けてみたいと願うだけである。たまにその様子を描写してみたいとも思う。

⇒5日(水)朝・金沢の天気  くもり

☆実りは美しい

☆実りは美しい

  決して美しい棚田ではない。田も畦(あぜ)も草がぼうぼう。それでも収穫の喜びは格別である。

   金沢大学の里山自然学校ではきのう(1日)、角間キャンパスの北谷(通称「キタダン」)の棚田で稲刈りがあった。当初、稲刈りは9月24日を予定していたが生育を少し待って1週間遅らせた。

  普通の田とちょっと違っているのは冒頭の草ぼうぼうだ。3年前に市民ボランティア「里山メイト」の手で復元された棚田だ。田んぼは14枚あり、学術調査も実施されている。稲が植えられることでどのような昆虫や植物が棚田にやってくるのか、が研究テーマだ。土中や空中にトラップ(わな)を仕掛け調査が続けられてきた。だから、田植えの後はあえて草取りや農薬散布はせず、自然のままに保たれてきた。

   刈り取られた稲は五十周年記念館「角間の里」脇の稲はざにかけ、天日干しする。359束をすべてかけ終えると、作業に携わった人たちからパチパチと拍手が自然にわき起こった。収穫の喜びである。田起こしから始め、苗床づくり、田植え、ようやく稲刈りにたどりついた達成感だ。そして「実りは美しい」という実感もわいた。

   今回刈り取った稲はモチ米だ。それをどうするかと言うと、12月17日の「里山の収穫感謝祭」でもちつきをして皆で食べる。もちろん、ボランティアで参加してくれた市民や手伝ってくれた学生も招待する。収穫は皆で分かち合う。こんな美徳も農作業から自然と生まれたのであろう。田んぼに学ぶことは実に多い。

⇒2日(日)夜・金沢の天気  くもり