★京都の街で考えたこと
京都市左京区は広い。大原の三千院も、そして9月18日に訪れた「京女の森」も同じ区である。ここは民主党の新しい代表、前原誠司氏の地盤でもある。山奥の小さな集落にも前原氏のポスターがまだ貼ってあり、衆院選挙の余韻が残る。
私は京都という土地を踏むたびに、幾多の怨念や無念が渦巻いた歴史のことを想像してしまう。新選組や坂本竜馬らが行き交い、そして血を流した土地なのだ。そして何より、地元の人が「前の戦争の時、この当たりは焼け野原やった」という場合、「前の戦争」は太平洋戦争ではなく、「応仁の乱」(1467年-78年)を指す。この地に息づく独特の歴史感覚に京都人の凄みを感じる。
もう一つ、凄みを感じさせるのが、京都ならではの「権威」という存在感だ。街には「大本山○○寺」「宗教法人○○本部」「茶道○○家元」「華道○○流本部」「財団法人○○会」などの寺社、ビル、看板がやたらと目に付く。会員100万人を擁する茶道家元があったとする。本部に上納する年会費が1万円だと100億円が自動的に集まる。また、有名なお寺は拝観料収入が入る。拝観料は非課税だ。そのようなマネーがこの地に一体いくら吸い込まれているのか、おそらく税務署でも全体を把握するのが難しいのではないか。
よい意味で解釈すれば、日本における「知的財産権」をいち早く確立したのが京都人と言えるだろう。教義と流儀と作法を全国に流布し、広く薄く定期的にお金を集める「集金システム」こそ、京都におけるビジネスモデルの真骨頂ではないか。国際観光都市は京都の表の顔だが、上納で潤う「権威の都」という別の顔を持つ。この地を歩きながらそんなことを考えた。
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