2005年 9月 22日の投稿一覧

☆京都の森で考えたこと

☆京都の森で考えたこと

  「汗をかくことが嫌い」という若者が増えている。しかし、汗をかきながら野や森を歩けば何かが得られるものだ。今月18日と19日に京都女子大学で開かれた交流会に参加した。「里山」をテーマに参加したのは九州大、神戸大、龍谷大、金沢大、それに京都女子大の学生や社会人ら合わせて21人。発表会やフィールドワークが繰り広げられた。   

   フィールドワークは大学から30㌔、京都市左京区の大原の森であった。宿舎となったのは、市有林にある市営ロッジだ。このロッジの前を一本の山道が続いている。大原の奥山で暮らす下坂恭昭さん(77)によれば、この道は昔から越前小浜に続く「鯖(さば)街道」と呼ばれてきた。塩鯖を入れたカゴを前と後ろにくくりつけた天秤棒を担いだ小浜の人たちがよく往来したという。小浜でも「京は遠くて十七里」との言葉が残る。およそ70㌔の山道である。

   人間だけではない。1408年、南蛮船が小浜に着き、時の将軍、足利義持にゾウが献上された。「そのゾウはこの道を歩いて京に入った可能性もある。文献での確証はないが・・・」と、今回の交流会の主宰者である高桑進教授は推測する。初日の夕食、若狭湾の名物「鯖のへしこ」(塩鯖のヌカ漬け)を肴に学生たちと焼酎を酌み交わした。この夜は中秋の名月だった。 

  翌日、市営林の背中合わせにある京都女子大所有の山林(通称「京女の森」)にフィールドワークに出かけた。24㌶ある京女の森には手付かずの自然が残る。その中に、「女王」と呼ばれる赤マツの大木がある。樹齢500年を生きた。過去形にしたのは2年前、枯死したからだ。その姿をよく見れば、急斜面によく立ち、雷に打たれ裂けた跡もある。500年もよく生きたと、感動する。むき出しになった根の部分を切ってみると、琥珀(こはく)色の松ヤニが上品な香りを放った。

  尾根伝いに歩くと、金沢大の同僚の研究員N君が「ここのササは金沢のものに比べ小さい」とつぶやいた。ササはチマキザサのこと。京都では祇園まつりの時、このササで厄除けのチマキをつくるそうだ。しかし、四角形をした金沢の笹寿しを巻くには確かにこのササでは幅が足りないような気がした。標高800㍍ほど、チマキザサでもちょっと品種が違うのかもしれない。

   林道に出る。スズメバチにまとわりつかれた。スズメバチがホバリング(停止飛行)を始めた。「動かないで」の言われ、恐怖で体がすくんだ。ホバリングはスズメバチの攻撃態勢を意味する。その時、プシュッという音がした。N君がハチ駆除用のエアゾールを噴射してくれた。スズメバチはいったん退散したが、再度向かってきた、今度はエアゾールを手にとって自分で噴射した。スズメバチの姿が見えなくなったので、全員で足早にその場を去った。用意周到なN君のおかげで命拾いをした。後で聞くと、N君は刺された場合の毒の吸出しセットも持参していた。緊張感漂うフィールドワークだった。

   高桑教授はパソコンなどデジタルに慣れきった学生を見てこう指摘する。「自然環境で学生を学ばせることでバーチャルとリアリティーのバランスの取れた人間形成ができる。その場が里山だ」と。現代人は里山を離れ街に出た。しかし、人は癒しを求めて再び里山に入るときがくる。京女の森はそんなことを教えてくれた。

⇒22日(木)午前・金沢の天気  くもり