☆失恋海岸の指輪物語

で、ドライバーはというと日銀の入り口で女性ともめていた。二人とも若い。さりげなく近づき耳をそばだてると、どうやら「別れる」(女)「別れたくない」(男)の会話である。「こんなところで車を停めたらダメやろう」と注意した人がいて、二人はようやく車に戻り、去った。非常識と言えば非常識な話なのだが、二人にとっては周囲の状況がまったく見えないほど深刻な別れ話なのだ。夏に燃えるような恋をして、秋風が吹くころに失恋する。国や時代を超えて繰りかえされる人生の儀式みたいなものだ。
その人生の儀式のメッカのようなところが石川県にもある。内灘海岸だ。先日、友人と話をしていたら、失恋しプレゼントしようと買った指輪を内灘海岸に投げ捨てたという。25年ほども前の話である。実は私の弟も20年前にこの海岸で指輪を投げている。さらにかつての会社の後輩も13年前に社内恋愛をして失恋、そして内灘海岸に指輪を投げ捨てたと聞いた。ちなみにこの3人に共通することは、夕日に向かって「バカヤロー」と叫びながら投げていることである。
しかし、よく考えると、周囲に3人も同じ行動をしているということは、相当な確率である。ひょっとして何千という指輪が内灘海岸に投げ捨てられたのではないか、とも想像する。ここでちょっと現実的な話を。捨てられた指輪が落下した海は海岸べりからせいぜいが数十メートルの範囲だろう。引き潮のときを狙って、アサリを採る越し網で海底をさらえば指輪がアサリ以上にザクザクと出てくるのではないか。現に内灘海岸の波打ち際で指輪を拾ったという知人もいる。
恋愛の数だけ失恋もある。内灘海岸でこうだから、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」で有名な茅ヶ崎海岸ではエボシ岩に向かって何万という指輪が投げられたに違いない。指輪1個が平均20万円として一体何億円になるのか。そしてきょうもまたどこかで月収分くらいの指輪を海に向かって投げている男がいるかと思うと、妄想する男の脳の滑稽さや切なさを感じる。結論の出ない、締まりのない話題なってしまった。
⇒1日(木)午後・金沢の天気 はれ