2005年 8月 の投稿一覧

★大学に在り、政変を想う

★大学に在り、政変を想う

   私が勤める金沢大学はこの6日から夏休みに入った。大学行きのバスは大幅に間引かれ(夏季ダイヤ)、乗客も少ない。キャンパスではTシャツ姿の学生がまばらに行き交う。合宿でも始まるのか、学生が重そうにオーケストラの楽器を運んでいた。学生1万700人、教職員3500人の「この町」は蝉時雨の音が妙に大きく響く。

   人間の脳というのは不思議なものだ。野にあっては街を想い、夜にあっては昼を想う。静寂にあっては喧騒を想い、学問の場にあっては政争の国会を想ったりする。でも人間はなぜこのように逆の場面をイメージしてしまうのか理由が分からなかった。またまた、司馬遼太郎のエッセイや講演録をまとめた「司馬遼太郎の考えたこと・7」(新潮文庫・平成17年6月1日発行)の中の「願望の風景」を読んでいると面白い下りがあった。司馬さんの家の周囲で(選挙か)マイクなどが響いて騒がしかったので、高野山の宿坊を借りて、日本近世の小説を書こうとしたが、結局、一字も書けず下山してしまったというエピソードである。桧皮葺(ひわだぶき)の屋根や床柱の黒漆など、目に見える宿坊そのものが中世の風景で、肝心の頭の中での中世の風景描写が湧いてこなかったというのだ。司馬さんは「心理学的にはごくあたりまえの願望現象ではないか」と結んでいる。

    前置きが長くなった。郵政民営化のことである。テレビ局の報道を離れて(今年1月退職)、むしろ政治の動きに鋭敏になったような気がする。テレビ局時代は椅子に腰掛けていても「永田町の情報」が入ってきた。それがなくなった分、たとえば「小泉内閣メールマガジン」(毎週木曜日に配信)を丹念に読んでいる。特に小泉総理が発する郵政民営化についてのコメントはその行間まで読んでしまう。

    以下、行間からにじみ出た小泉総理の本音を読む。「一国の首相が5年間、情熱を傾けてやろうしてきた郵政民営化の公約が果たせないのであれば、日本という国の将来ビジョンを語る政治家は誰もいなくなる。金と技術はある、が、夢やビジョンがないからこの国は閉塞している。これまでタブーとされてきた郵政民営化を突破するだけで、この国の政治の未来は随分と明るくなるのだ。自民党が頑迷固陋の輩(やから)で支配されるのならば壊す。8日に。私は政界の突破者(とっぱもの)である」

    あす8月8日、参院本会議での郵政民営化法案の採決後に「政変」が始まり、学生がキャンパスに戻ってくる9月の終わりには政界地図が大きく塗り変わっている。

⇒7日(日)午前・金沢の天気  晴れ

☆「集団自決」の真実追う

☆「集団自決」の真実追う

  「8月27日」というタイトルの自費出版本がある。著者は金沢市の重田重守(しげた・しげもり)さん、73歳。石川県教育文化財団理事長として、「自分史同好会」を長らく主宰してこられた。自分の歩んできた人生を振り返り、手記にしようという集いである。しかし、「8月27日」は自分史ではない。語られることのなかった地域史であり、日本史である。

  終戦直後の1945年8月27日、旧満州(現在の中国東北部)に入植していた石川県出身の開拓団の人々350人余りが「集団自決」を遂げた。終戦の混乱の中、入植者は学校に集められ火が放たれた。熱さに耐え切れずに井戸に飛び込んだ親子もいた。「集団自決」とされた事件は本当に自決だったのか、重田さんは生き残りの日本人のほか、中国で現地調査を重ね、中国人からの証言も丹念に拾い集めた。そして一つの証言を得る。それは「自決」というより、錯乱状態で一部の指導者が「もはやこれまで」と火を放った集団焼死であった。実際、死亡したのは母親や15歳未満の子供たちが多かった。また、同じ地域の出身者が多かっただけに、生還者はこれまで真相について語ることはなかった。取材は10年にも及び、わずかな証言を一つひとつ積み上げて生還者に問い、それをまた積み上げていくという手法で一冊の本にした。

   この本の正式タイトルは「旧満州 白山郷開拓団 8月27日」(北國新聞社刊)。先月、全国新聞社出版協議会が主催する「第1回ふるさと自費出版大賞」の優秀賞に選ばれた。そして、重田さんといっしょに旧満州に出かけ、現地でともに取材した北陸朝日放送の番組「大地の記憶~集団自決、57年目の証言~」は第39回ギャラクシー賞奨励賞を受賞した。この番組は、8月11日(木)午後4時からCS放送「朝日ニュースター」で放送される。

   戦後60年のいま、死ぬ必要がなかった人までも犠牲にした戦争の真実の一端が語られている。

⇒6日(土)夜・金沢の天気  曇り

★試合に勝ち勝負に負ける

★試合に勝ち勝負に負ける

   「勝つためにどう努力するかだ」。1992年(平成4年)、夏の甲子園球場で石川代表の星稜高・松井秀喜選手に「連続5敬遠」という物議を醸した高知代表の明徳義塾の馬淵史郎監督は当時、マスコミのインタビューでこう語っていたのを覚えている。明徳義塾はその10年後の2002年に全国優勝、去年まで戦後最多の7年連続出場を果たし、強豪にのし上がった。そして今年の大会で部員の不祥事で前代未聞の全国出場辞退(4日)という不名誉な記録をつくった。以下、新聞紙面で拾った辞退までの26日間のドキュメント。

【7月9日】明徳義塾の野球部寮内のボイラー室で、たばこの吸い殻2本が見つかる。キャプテンが全部員を集める。1年生と2年生のおよそ10人が喫煙を申し出る。馬淵監督は、自主申告であり、また、集団喫煙ではないとして学校には届けなかった。

【7月15日】1年生部員の保護者が野球部寮を訪ねてきて、「子どもが暴行を受けているので学校をやめる」と訴える。

【7月16日】全国高校野球選手権高知大会が開会。開会式の終了後、馬淵監督はいじめた側の部員6人とその保護者らと、大阪のいじめられた部員の保護者宅を訪ねて謝罪。学校側は被害者側に入学金や寮費、教科書代などを返還した。

【7月末~8月3日】高知県高野連などへ匿名の投書が寄せられ、一連の不祥事が判明。日本高野連は高知県高野連を通じて事実を確認し、馬淵監督に対する事情聴取を行う。

【8月3日】組み合わせ抽選会で、明徳義塾は大会5日目に日大三高(西東京)との対戦決まる。

【8月4日】午前中、明徳義塾が大会本部に出場辞退を申し入れ。大阪の宿舎で、馬淵監督が選手を集め、辞退を伝える。日本高野連は午後、臨時審議委員会と同運営委員会を開き、大会規定により高知大会での明徳義塾高の優勝を取り消し、準優勝だった高知高を優勝校と決定し、午後2時半、高知高に電話で出場を要請した。午後3時、大阪市西区の日本高野連で馬淵監督が記者会見に臨み、辞任の意向を表明した。

    馬淵監督は、「勝つため」にあらゆる手段を講じていたことが分かる。いめじた側の部員6人と保護者、学校関係者ら少なくもと13人を擁した謝罪行動(7月16日)などはその真骨頂であろう。しかし、馬淵監督はここで被害者心理を読み違えたのではないか。推測だから確かではないが、監督はここでいじめた側の生徒の親に謝らせた。その証拠に「6人の親たちは慰謝料を払った」との報道もある。しかし、被害者とその親が本当に問うたのは監督の管理責任だったはずである。配下の選手や親を手駒のように使い、手段を選ばず「勝ちに急ぐ」。13年前の「連続5敬遠」と同じパターンではないか。「試合に勝って勝負に負ける」。歴史を繰り返したにすぎない。ただし、今回は名実ともに敗れた。

⇒5日(金)夜・金沢の天気 晴れ 

☆古民家とハワイアン

☆古民家とハワイアン

   この夏は劇的な変化だ。転職した先の職場には冷房エアコンがない。扇風機とうちわで十分しのげる。特に玄関から入った土間は下が地べたのせいか涼しささえ感じる。データーロガー(温度測定レコーダー)で調べればこの家の持つ「天然エアコン」機能が立証されるのではないかと同僚らと話し合っている。古民家を再生して造った金沢大学五十周年記念館「角間の里」での職場ライフのひとコマである。

  これまでの職場(テレビ局)は寒いくらいの冷房で、夏によく風邪をひいた。というのも、テレビ局の冷房というのは人間のためというより、熱を帯びた放送機材を冷やすための冷房で、通常のオフィスの冷房に比べ、体感温度で2、3度低い。古民家の現在のオフィスに冷暖房エアコンがないのも、実は家そのものの耐久性を高めるためにあえて自然のままの乾燥と湿気を取り入れることにしたのだとか…。ともあれ職場環境が一転したのである。 

   では古民家はなぜ涼しいのだろうか。周囲を緑に囲まれ、しかも、前庭を下ると谷川もあって風通りがよい。特に土間を伝う風は心地よく涼感もある。また、床は板場なので見た目にも涼しげである。冬はまだ経験していないのだが、この分だと井戸水のように「夏涼しく、冬暖か」かと。

   昼休み、インターネットラジオの「アロハ・ジョー」を聞きながら、板場でちょっとの間横になる。蝉時雨とウクレレの音、頬をなでる風。贅沢な昼下がりのひと時をしばしまどろむ。

⇒4日(木)午後・金沢の天気  晴れ

★「いのち」弾む8月

★「いのち」弾む8月

    金沢大学角間キャンパスもそろそろ夏休みに入ります。下の写真をご覧ください。五十周年記念館「角間の里」の前庭の畑で、5月14日に植えた雑穀のアワがこんなに青々と大きく生長しました。この畑を横切ると、草いきれのムッとしたものを感じます。植物の生命力が迫ってくるようです。ここは市民ボランティア「里山メイト」が耕作してくれている畑です。アワのほかにトウモロコシ、キビ、サツマイモもあります。

    5月の日照りでは「本当に育つのか」と心配し、6月中旬の大雨のときは土壌が流され、倒れるのではないかと天を仰いだものです。その大雨の後、一気に生長したようです。穂先に青いものがついています。夏が過ぎ、キャンパスに学生たちが戻ってくるころ収穫の季節を迎えます。

    石川県ゆかりの故・中川一政画伯の作品集「いのち弾ける!」(二玄社)にこんな一文があります。「草となって草を描く時、草が見えた時、画家は自然と溶合する」。草木の息遣いを感じながら描くことの大切さを述べているのだと私は解釈しています。きょうから8月。「いのち」の弾む音、息遣い、におい。あなたは真夏の生命の躍動を感じていますか…。

(※「石川県ゆかり」と表現したのは、中川一政画伯の母親が旧・松任市出身という縁で、現・白山市には市立中川一政記念美術館=076-275-7532=がある)

⇒1日(月)午前・金沢の天気  晴れ