2005年 8月 23日の投稿一覧

☆小泉総理と徳川幕府

☆小泉総理と徳川幕府

  先日、名古屋市を訪れた際、徳川美術館に立ち寄った。昭和10年(1935)の開館以来70周年に当たり、尾張徳川家に伝えられる名品や家康の甲冑など見ごたえのある品々だ。しかし、国宝「源氏物語絵巻」は11月12日から特別展として公開され、今回は複製のダミーが展示されていた。これで入館料1200円は高い、と思いつつも名古屋人の商売上手に脱帽した。

   ところで、徳川と言えば私は小泉総理を思い出す。以下は「風が吹けば桶屋が儲かる」と言ったような話の展開になる。朝日新聞「AERA」スタッフライターで軍事問題に詳しい田岡俊次さんは「今の日本は江戸幕府時代の加賀藩と同じだ」が持論の人だ。東西の冷戦に終止符が打たれ、西側の代表アメリカが名実ともに世界のナンバー1となった。これは、天下分け目の戦いといわれた関が原(1600年)で東軍が勝ち、徳川家康が幕府という統治機構を築いたことと重なる。加賀の前田利家は関が原の戦いの前年に没するが、病床にあった時、見舞いに来る家康を「暗殺せよ」と家臣に言い残しこの世を去る。遺言は実行されなかったが、「謀反の意あり」と見抜かれ、利家の妻・まつは江戸で人質となり、その後も加賀藩は百万石の大藩でありながら外様大名の悲哀を味わうことになる。日本も太平洋戦争でアメリカに宣戦布告して、4年後に占領統治される。いまだに国連憲章の「旧敵国条項」は生きている。

   地元・金沢ではこんな話が伝わっている。前田家は、徳川家の警戒心を解くことに腐心した。このため、自らの金沢城に戦時の司令塔となる天守閣は造らなかった。また、三代藩主の利常は、江戸城の殿中ではわざと鼻毛を伸ばし、立ち居振舞いをコミカルに演じたそうだ。ここまでやって加賀藩は264年続いた幕藩体制を生き抜いた。駐留米軍に「思いやり予算」と称して、15億ドルをポンと「上納」する日本。田岡さんの「日本は加賀藩と同じ」という論拠は、地元では実に理解しやすい話なのだ。

   そろそろまとめに入る。小泉さんの鼻は長くて高くてかっこいいが、ローアングルのカメラから顔に寄った時の映像で、鼻毛が覗くのが気になる。特にNHKのハイビジョンカメラだと鮮明に見えるときがある。「何もそこまで(加賀藩を)真似することはないだろう」と笑うのは私だけか…。

   先日宴席があり、この話をマンスフィールド財団の政府間交流事業で金沢を訪れていたアメリカ人弁護士(35歳)にしたら、「このユーモアはアメリカ人にも通じる」と喜んだ。彼は20代に金沢に4年間滞在した経験があり、日本語と日本史に対する造詣は深い。宴席後のカラオケで、彼はこの話のお礼にと十八番の沖縄の「島唄」を歌ってくれた。これだけの話である。他意はない。

⇒23日(火)朝・金沢の天気 雨