⇒ランダム書評

☆続・マエストロ岩城の視線

☆続・マエストロ岩城の視線

   名人芸というのものがある。物をつくらせたら、話をさせたら、アイデアを出させたら「天下一品」という境地である。指揮者の岩城宏之さんもある名人芸をもっている。テレビで放送する毎年4本の「オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)アワー」の番組プロデューサーなどを通算10年間させてもらった私の感想である。「岩城さんの名人芸」というのは指揮ではない、岩城さんの指揮を論評するなんて私にできるはずもない。岩城さんの名人芸というのは「にらみ」である。

   2003年9月、石川県立音楽堂で開催されたOEK&仙台フィルのコンサートでのこと。「外山雄三 管弦楽のためのディベルティメント」をテレビ番組用に収録した。その時、ステージ上のイントレ台のカメラマンを、指揮をしていた岩城さんが一瞬にらんだ。タクトを振り上げるようにして顔を上げ、斜め後ろを向きながら0.1秒くらいの早業でにらみつけたのである。ステージの袖にいた私にははっきり見えた。

   コンサートが終了し、楽団員の何人かが言葉を交わしていた。「演奏中にノイズがした」と。コンサート終了後に、そのカメラマンが「カメラのネジが一本取れて落ちました」と1㌢ほどの小さなネジを拾ってきた。試しにネジをステージ上で落としてみると確かにボトッという音がする。ノイズはネジが落ちた音だったのである。岩城さんはそのノイズに気がつき、ノイズがした方向を一瞬にらんだ。その目線の先がカメラマンだったというわけである。

   翌日、岩城さんに謝りに行った。「今後は気をつけてほしい」と一言だけだった。実はカメラマンも岩城さんの「にらみ」をとっさに感じた。でも、なぜにらまれたのかその時は理解できなかった。「刺すような怖い目で身震いした」とカメラマン。テレビ局の番組スタッフはそれ以降、ノイズに敏感となり、楽譜のコピーも普通紙だとめくる音がするというので、音が少ない和紙を使うようになった。マエストロの「天下一品のにらみ」が、番組制作の改善運動へとつながっていったのである。

⇒12日(日)午前・金沢の天気 曇り

☆マエストロ岩城の視線

☆マエストロ岩城の視線

  バス通勤の行き帰りに、文庫本「オーケストラの職人たち」(文春文庫・ことし2月第1刷)を読んでいる。実はこの本、著者の岩城宏之さんからいただいたものだ。ことし1月に会社を辞した際、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の事務局の方が、「岩城さんからのプレゼントです」とわざわざ届けたくれた。「暇になるだろうから本でも読んで」という岩城さんの心遣いはありがたかったが、その後の身内の不幸や再就職でそれどころではなかった。最近部屋の整理をしていて、思い出して読み始めたのだ。退社から5ヵ月余り、心のゆとりが少し出来たということかもしれない。

  文庫本はことし2月だが、内容自体は98年から01年にかけて「週刊金曜日」に掲載されたものだ。オーケストラというプロ集団の群像を描いた本ではない。オーケストラを支える「裏方」を描いている。私自身も裏方だった。テレビで放送する毎年4本の「OEKアワー」の番組プロデューサーなどを通算10年間させてもらった。モーツアルト全集・25回シリーズ(東京・朝日新聞浜離宮ホール)、中村紘子・ルービンシュタイン・コンサート(東京・サントリーホール)などざっと40本に上る。このほとんどが岩城さんの指揮だった。「岩城さん」と書くのも、実は岩城さんからしかられたからである。初めてお会いしたとき、「岩城先生、よろしくお願いします」とあいさつすると、ムッとした表情で「ボクはセンセイではありません。指揮者です」と。そう言えば周囲は「先生」とは呼んでいない、「岩城さん」か「マエストロ」と。初対面で一発かまされたのである。

  岩城さんが「裏方」に注ぐ目線は温かい。岩城さんはハープの運送会社「田中陸運」(東京)のアルバイトを自ら経験し、裏方の職人技はこうだと描いている。威張ったり、権威ぶったりしない人なのだ。先の「岩城さん」のエピソードも実はそんな人柄がにじ出た話であって、これを「気難しい」と誤解する人も多い。本では能登出身の元N響ステージマネージャー延命千之助さんや、演奏旅行のドクターである川北篤さん(金沢市)、写譜名人の賀川純基さんらオーケストラとかかわる多彩な顔ぶれを紹介している。

   岩城さん自身が書いているように、小さいとき音感教育を受けなかったので「耳にまったく自身がなかった」「多くの指揮者たちに、すごく劣等感を持っていた」。その分、徹底した現場主義を通した。その岩城さんが昨年の大晦日にベートーベンの交響曲1番から9番を一晩で振り、クラシック界の話題をさらった。私は、262本のヒットを放ち84年ぶりにアメリカ大リーグの年間最多安打記録を更新したイチロー選手に匹敵する「偉業」ではないかと思っている。その時、イチロー選手を「野球小僧」と称した人がいた。それに倣えば、岩城さんは「音楽小僧」だ。72歳の今でも挑戦を続けて止むことがない。

⇒10日(金)午前・金沢の天気 晴れ

☆デジタル兼六園を散策す

☆デジタル兼六園を散策す

   池の向こうに茶亭の静なるたたずまい。水面に林と空の相克がある。この「和の空間」には緊張感すら漂う。江戸時代、歴代の加賀藩主は兼六園(金沢市)の造り始めから現在のかたちにするまで180年余りの歳月をかけた。明治以降、庭の主(あるじ)が代わり、兼六園が公園として市民の庭になってから130年、毎日のようにこの庭に手入れが施されてきた。金沢の人々や旅人が感動するのは、庭の造形美や草木の美しさもさることながら、営々とこの庭に注がれてきた人の心血を思うからである。その兼六園が21世紀にデジタル映像で表現された。

   兼六園の風景を収録したDVDとCD‐ROMの2枚組みの「名園記」が発売された。北陸朝日放送と博文堂が中心になって制作した。いわば、テキストと動画、画像による兼六園の集大成である。DVD(24分)の映像は、四季折々を1年間かけてハイビジョン撮影したもの。普段は入ることのできない茶室「夕顔亭」から滝の眺望、雪の積もった早朝の園内など、地元でもあまり知られていない兼六園の様々な表情を紹介している。ハイビジョン撮影は木々の色の深みを感じさせ、これまで肉眼では気付かなかった枝葉の表情までもが見て取れる。CD‐ROMには兼六園の貴重な古地図なども収録された。日ごろ見ることのできない画像もふんだんにある。内容としては、兼六園の百科事典と言える。

   今回のDVD化とCDーROM化は、石川県が進める「石川新情報書府」事業の一環として制作された。文化資産を、将来にわたって継承するために最先端の情報技術で記録・保存する試みだ。デジタル化された最新の映像で兼六園を改めて眺望する、これは「21世紀に生きる価値」というものではないだろうか。税込み3990円。問い合わせはシナジー社 <synergy@notomedia.com>。

⇒31日(火)午前・金沢の天気 くもり

☆ピンピンコロリの非常識

☆ピンピンコロリの非常識

  「PPKが最高!」、この本は独立行政法人・金沢医療センターの吉村光弘内科医長が執筆した新聞の健康コラムを本にまとめたものです。気になるPPKは「ピンピンコロリ」をもじったもの。丈夫で長生きして、倒れたらコロリと逝くのが「最高の人生の幕引き」という訳です。

  タイトルもさることながら、内容が私たちの「医学の常識」を衝いていて面白い。「長寿県で知られる沖縄は、米軍基地があり輸入豚肉の関税が安く、55歳以下の男性の2人に1人は肥満」というへエ~という話や、「インスタント食品に含まれる大量の防腐剤が腸内細菌を死滅させ、アレルギーを起こす体質にする」というドキッとする内容も。そして地元の医師の視点から、「石川、富山は死後に腎臓を提供する人が過去6年で両県合わせてたった3人しかいないのに、東海地方から51個もの腎臓をもらっている全国でもまれな輸入超過県だ」と問題点も指摘してます。

   「人は生きたようにしか死ねない」-。日ごろから命と健康について心がけ、無理せず実行しましょう。この本から学んだことです。
 ※「PPKが最高!」は85ページで一気に読める手ごろな本(400円)。問い合わせは丸善金沢支店(℡076‐231‐3155)

⇒25日(水)午前・金沢の天気 晴れ

★将軍家十五代のカルテ

★将軍家十五代のカルテ

  きょうの「自在コラム」は書評です。新潮新書の「徳川将軍家十五代のカルテ」(篠田達明著)を一気に読みました。歴代の将軍たちがどのような病気で死去したのかという縦軸が一本通っていて、横軸に時代背景やエピソードが散りばめられているのでコンセプトがしっかりしていて、分りやすいから面白いのです。作者の篠田氏は愛知県生まれ、整形外科医で作家です。この本が説得力を持っているのは、歴代の将軍が眠っている東京・芝の増上寺の改修工事(昭和33年)の際、徳川家の墓所が発掘され、埋葬された遺体ついて学術調査が行われ、その資料に基づいていること。また、「徳川実記」など史実を裏付ける古文書に篠田氏が鋭い読み込みを入れているからでしょう。
徳川家の菩提寺・増上寺 

   歴代将軍の平均寿命は51歳の不思議
 歴代の将軍の平均寿命は51歳。最長寿は十五代の慶喜で77歳、次が初代の家康の75歳です。これは意外でした。織田信長は「人生50年」と謡い能を舞いました。それから時代が下り、御典医ら江戸城の医師団の手厚いメディカル・チェックを受けていたにもかかわらず、信長時代と寿命が変わらないのです。平均寿命が短いのはほどんどが将軍直系の子どもたちで、「大奥で過保護に育てられた虚弱体質といえようか」と篠田氏は述べています。

  その「過保護」の具体的な例が、将軍たちの乳母。乳母たちは白粉(おしろい)を顔から首筋、胸から背中にかけて広く厚く塗りました。抱かれた乳幼児は乳房を通じて白粉をなめたと同時に、乳幼児にも白粉が塗られました。これがクセ者で、江戸時代の白粉は鉛を含んでいたのです。体内に蓄積された鉛で中毒を起こし、筋肉のマヒや知能障害などに陥るケースもあったのではないか、と篠田氏は考察しています。
  正室にのしかかったストレス
  歴代の将軍よりさらに短命だったのが公家・宮家から迎えられた正室で、その平均寿命は47歳でした。宮廷社会から武家社会に入り、言葉もまったく違う。こうした強いストレスが加わった場合、卵巣に排卵異常が生じたり、卵管けいれんが起こったりと順調な受胎ができない場合が多いそうです。子どもができない場合、それがまた次のストレスを生むといった悪循環にも。ですから、将軍の世継ぎを生んだのは正室ではなく、侍や農民、商人の娘である側室でした。これがまた大奥での確執=ストレスへと発展していくのです。年齢についての考察以外にも、「生類憐れみの令」で有名な五代・綱吉は内分泌異常で身長が124㌢だったことなど、これまでの歴史教科書や小説では見えてこなかった将軍たちの実像が医学の観点から浮かび上がってきます。一読の価値があります。

⇒22日(日)午前・金沢の天気 くもり