⇒ランダム書評

★昆虫をスキャンする

★昆虫をスキャンする

 夏といえば昆虫の季節である。金沢大学「角間の里山自然学校」の研究スタッフが、「すごいことできますよ」と見せてくれたのが昆虫写真。ご覧の通り、クワガタの裏と表がくっきりと写っている。まるで、図鑑のようである。さぞかし特殊なカメラ(スリットカメラなど)でと思ったがそうではない。これがなんと、市販のスキャナで撮った画像なのだ。

  スキャナなのでフタをするが、直に載せると虫が潰れてしまうので、フタとガラス面の間に薄手の雑誌など挟んで隙間をつくる。1㌢ほどの大きさならば十分に足の毛まで写るのである。小さなものをこうして撮影できるとなると格段に昆虫への理解も深まる。研究スタッフはさっそく「子どもたちの学習プログラムに取り入れましょう」と意欲満々である。

  電子レンジでつくる「押し花」にも目を見張ったが、スキャナにもこんな得意技があったとは正直驚きである。偶然発見したのではない。ネタ本がある。「養老孟司のデジタル昆虫図鑑」(日経BP社)である。この本では、養老氏がこの撮影方法を作家の山根一眞氏から教わったことを述べている。ひょっとして、「デジタル昆虫撮影」はこの夏のブームになるかもしれない。

  これだとお気に入りの昆虫標本をスキャナで撮って、A1サイズで拡大して研究室や部屋に飾っても、随分と癒されるかもしれない。こうなるデジタルアートと言えるかもしれない。

 ⇒10日(月)夜・金沢の天気  はれ

☆見栄あり母心あり

☆見栄あり母心あり

  北陸・石川県は四季を通して食材の宝庫でもある。飲んで食べてさまざな話題が弾むのだが、実は人間模様もその食には投影される。きょう打ち合わせ先でふと手にした「いしかわ食の川柳入選集」(社団法人石川県食品協会刊)が面白い。川柳に映す家族の情景である。

  北陸といえば冬の味覚、カニである。冬のシーズン、金沢の近江町市場では観光客がよく手にぶら提げる姿を目にする。「加賀の旅帰りはカニと手をつなぎ」(三重・男性)。太平洋側の人にとっては日本海のカニは珍味でもある。それを持って帰宅するのだが、「手をつなぎ」でニコニコと連れて帰ってきたという雰囲気、そしてどこか誇らしげな雰囲気が伝わる。

  もう一つカニの句を。「香箱の卵をねらう父の箸」(金沢・男子高校生)。金沢ではズワイガニのメスを香箱(こうばこ)ガニという。金沢人には身がつまって小ぶりの香箱ガニを好む人が多い。何より、高くても1匹1000円前後でオスのズワイガニより格段に安い。そしてその卵は酒のサカナである。家族の食卓で、晩酌の父親の箸が妙に小まめに動くのが気になる。そんな家族の光景である。

   もう一つの冬の味覚は「かぶら寿し」だろう。青カブにブリの切り身をはさんで漬け込む。ただ、漬かり具合でカブの部分がまだ硬かったりする。でもそれは食べてみなければ分からない。そこで「かぶらずし入れ歯の意地の見せどころ」(金沢・女性)。少々硬くても食べなければ、金沢を冬を食べたことにはならない。何しろかぶら寿しは料亭ものだと1枚1000円もするのである。そして、食べた感想がご近所の女性同士のあいさつにもなる。「暖冬のせいか、(かぶら寿しは)あんまりいいがに漬かっとらんね」といった具合である。高根の花のかぶら寿しをもう食べたという見栄の裏返しと言えなくもない…。一方、男は単純だ。「かぶら寿し九谷に盛って炬燵酒」(鳥取・男性)。とっておきの九谷焼の皿に盛るかぶら寿しはそれだけで最高の贅沢ではある。こたつに入って辛口の吟醸酒でも飲めば、天下人になったような気持ちにもなる。これは男の妄想である。

  さらに、「からすみを高価と知らず丸かじり」(金沢・女子高校生)。からすみはボラやサワラなどの卵巣を塩漬けにした高級珍味。これをがぶりと食べるのは若気のいたりである。

  最後に、「芝寿しを土産に持たす母が居る」(松任・男性)。これは石川の多くの人が経験していることだろう。帰省した息子や娘がUターンする際、母親が「小腹すいたら食べて」と持たすのがこの芝寿しなのである。寿しネタを笹の葉でくるんだ押し寿しで、地元では本来、笹寿しと呼ぶ。これを手土産に持たせる。母心がにじみ出る、しばし別れの光景でもある。

  ところで、この芝寿しは金沢市にある笹ずしの食品メーカーの社名である。もともと東芝系列の街の電気屋さんだった。電機炊飯器を売るために、「笹寿しもおいしくつくれます」と実演して見せた。この笹寿しが人気を呼んで業種転換した。そして社名に東芝の「芝」を一つをつけて「(株)芝寿し」とした。いまでは社名が笹寿しの代名詞のようになった。甘系の酢の利いた押し寿司である。

⇒22日(木)夜・金沢の天気  雨     

☆ウォールストリート最大の失敗

☆ウォールストリート最大の失敗

  アメリカ史上最大の合併といわれ、ウォールストリート最大の失敗に終わったAOLとタイムワーナー社との合併劇の結末を描いたルポルタージュ「虚妄の帝国の終焉」(アレック・クライン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン社刊)を先日読み終えた。その感想を多くの経済誌や専門誌が評論しているが、失敗に終わった合併劇の報告書という観点から冷静に見つめれば、ワシントン・ポストの「スピード違反をしていたのは誰か、居眠り運転をしていたのは誰か、サイレンの音が近付く中、逃走したのは誰か…アレック・クラインの語り口は鮮やかだ」と交通事故にたとえた書評が一番的確に思える。

   ルポルタージュは小説ではない。ノンフィクション、つまり事実の積み上げである。交通事故にもフィクションは一片もない。警察官が両者からその原因を丹念に事情を聴取すれば、その事故は起こるべくして起きた事故なのである。

  2000年1月にAOLのスティーブ・ケースとタイムワーナーのジェリー・レビンが合併をぶち上げた。01年1月にようやく政府から合併が承認され、AOLタイムワーナーとなったものの、AOL側で広告収入のうち1億9000万㌦を不適切に処理してしていたことが発覚。この過程でAOL側の最高幹部が次々と辞職を余儀なくされ、そして03年1月にスティーブ・ケースも会長職を辞任する。隆盛を誇ったオランイン事業は1部門に属する1部署に降格され、同年10月には社名から「AOL」の文字が削除される。

   この合併劇の失敗は「放送と通信の融合の失敗」とも日本では喧伝されている。が、果たしてそうなのか。私はこの著書を読むに当たって、CNNなどを擁しメディア帝国と呼ばれたタイムワーナーがなぜ企業風土も違う新興のAOLとの合併を決意したのかという点を注視した。つまり、タイムワーナーのジェリー・レビンがなぜ「合併のアクセル」をかけたのか、である。そこを読み解かなければ放送と通信の融合はいつまでたってもこの失敗例が引き合いに出され、話が前に進まないのだ。

   このルポを読む限り、実はAOL側のボブ・ピットマンらが放送と通信のシナジー(相乗効果)を盛んに唱え、協調を促したのに対し、タイムワーナー側は「礼儀知らずで利益追求に余念がない」とAOL側を嫌悪した。AOLのEメールプログラムを使うことにすら抵抗したのはタイムワーナー側の社員である。AOL側からすれば、「保守的で意欲がない、お高くとまっている」と見えただろう。では、なぜタイムワーナーのジェリー・レビンが意欲的に合併を打ち出したのか。レビンはこうしたタイムワーナーの企業風土にネット企業のDNAを注入することで現状を打破したいと考えていたからだ。

   というのも、タイムワーナー自身に結婚歴があった。映画のワーナー・ブラザーズと、活字文化の雑誌タイムが合併(1989年)したものの、「契約のみで結ばれた中世の封建制度のような結束力のない集合体」だった。収益は上がっていたが、デジタルへの取り組みが遅れ、それを何とも思わない現場にレビンは業を煮やしていたのである。そんなタイミングでAOLの勇ましい連中がやってきて、求愛が始まった。求愛に積極的だったのはタイムワーナーのレビンの方だったのである。

   AOLの不適切な経理処理もどちらかというとタイムワーナーとの合併を何とか成功させようとした結果の「ボロ隠し」ともいえる。合併効果で得られるはずのシナジーが十分に得られなかったのは、その言葉にすら嫌悪感を持ったタイムワーナーの現場のせいではなかったか。江戸時代、武家に嫁いだ宮家の姫が「なじまぬ」とダダをこねるさまを想像してしまう。

   こうなると放送と通信の問題というより、それぞれの生い立ちによる企業風土の問題ともいえる。失敗するべくして失敗した。ネットバブルの崩壊という時代状況も重なった。どちらが正しく、どちらが悪いとも言えない。それぞれに原因がある。で、冒頭の交通事故のたとえである。ただ、「タイムワーナー」が生き残ったので、「AOL」が悪役を引き受けてしまった。

⇒26日(金)朝・金沢の天気  くもり 

★ノンフィクションの凄み

★ノンフィクションの凄み

 優れたルポルタージューというのは最初からひたすら客観的な文章で構成されているため、森の茂みの中を歩いているように周りが見えない感じだが、あるページから突然に視界が開けて森全体が見えるように全体構成が理解できるようになる。読み終えると、あたかも自身がその場に立っているかのような爽快な読後感があるものだ。

 アメリカのネット革命の旗手とまでいわれたAOLがタイムワーナー社との合併に踏み込んだものの、その後に放逐されるまでの栄光と挫折を描いたルポルタージュ、「虚妄の帝国の終焉」(アレック・クライン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン社刊)を読んでいる。実はまだ第3章「世紀の取引」を読んでいる途中で、茂みの中である。それでも、アメリカのメディアとインターネット産業をめぐる大事件として記憶に新しい。370㌻の出だしの3分の1ほどしか読み進んだあたりから、人間の相克と葛藤が次ぎ次ぎと展開されていく。このブログを書いている時点で私も読んでいる途中だが、それでも書評をしたためたくなるほどのボリユーム感がすでにある。

 マイクロソフトがAOLの買収を仕掛けたとき、AOL側が「もし、オンラインサービスが技術の問題だと考えているのなら、これはマイクロソフトにとってベトナム戦争になるよ」とすごんだ話や、マイクロソフトがネットスケープとの「ブラウザー戦争」でAOLを味方に引き入れて、ネットスケープを追い落としたいきさつなど実に詳細にリアリティーをもって描かれている。

 AOLの転落はタイムワーナーを飲み込むかちで合併を発表した2000年1月が「終わりの始まり」で、これからページにはAOL側の不正会計疑惑の発覚、そしてスティーブ・ケースの放逐、そして瓦解への道と進んで行く。事実は小説より奇なり、とはこの著作のことかもしれない。そしてこの場合、野望より司直を巻き込んだ滅びの構図により真実味を感じさせる。

⇒22日(月)朝・金沢の天気  くもり

☆権力を挑発するメディア人

☆権力を挑発するメディア人

 ジャーナリストの田原総一朗氏が司会をするテレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」や「朝まで生テレビ!」を視聴していると、田原氏の手法はあえて相手を挑発して本音を引き出すことを得意技としている。アメリカCNNのトーク番組「ラリー・キング・ライブ」のインタビューアー、ラリー・キング氏の手法は執拗に食い下がって相手の感情をさらけ出してしまうというものだ。手法は似て非なるものかも知れないが、要は相手に迫る迫力が聞き手にあるということだろう。

 田原氏の近著、「テレビと権力」(講談社)を読んだ。内容は、権力の内幕をさらけ出すというより、田原氏がテレビや活字メディアに出演させた人物列伝とその取材の内幕といった印象だ。岩波映画の時代から始まって、テレビ東京のこと、現在の「サンデープロジェクト」まで、それこそ桃井かおりや小沢一郎、小泉純一郎まで、学生運動家や芸能人、財界人、政治家の名前が次々と出てくる。

 田原氏の眼からみた人となりの評し方も面白い。週刊文春で連載した「霞ヶ関の若き獅子たち」の宮内庁の章。民間の妃と結婚した皇太子(現・天皇)は同庁の中での評判が悪かった。75年7月、沖縄訪問でひめゆりの塔を参拝したときに火炎瓶を投げつけられた皇太子は「それをあるがままのもとして受けとめるべきだと思う」と発言した。それについても庁内では、威厳がない、あるいは弱気すぎるなどと批判があったそうだ。その皇太子の姿は官僚の操り人形にはならないぞとの姿勢にも見えて、「皇太子時代の頑張りは、天皇となった現在も続いていると私は見ている。(…中略…)声援したい気持ちでいる」と田原氏は好意的に記している。

 冒頭で紹介した「挑発する田原総一郎」はテレビ朝日「朝まで生テレビ!」が始まりだ。スタートが87年4月だからかれこれ20年になる。ソ連にゴルバチョフ書記長が登場し(85年)、東西ドイツの「ベルリンの壁」が崩壊する(89年)。そして日本でも自民党の安定政権が揺らいだ時代だ。このころの田原氏はジャーナリストとしてフリーとなっている。おそらくテレビ局員だったらこの番組は成立しなかったかもしれない。何しろ、タブーとされた天皇論、原発問題など果敢に切り込んでいくのである。とくに原発問題はテレビ局自身が営業的な観点から最もタブーとした事柄だ。この意味で番組と「内なる権力」との相克があったことが述べられている。

 政治権力との相克は「サンデープロジェクト」から始まる。著書の「政局はスタジオがつくる」の項は、佐藤栄作から軍資金をもらいにいった竹下登と金丸信のエピソードが書き出しだ。その金丸の後ろ盾で小沢一郎が自民党内を牛耳る。小沢が海部俊樹を総理に担ぎ上げる。そのとき、「トップは軽くてパアがよい」と小沢がいったとのうわさが広がる。ここあたりになると私自身の記憶も鮮明に蘇ってくる。

 この本の面白さはこうした場面展開が次々と出てきて、そういえばかつてそんなテレビ画面があったと思い起こさせてくれる点だ。映像のプレイバックとでもいおうか、読み進むうちに時代の記憶を誘発して呼び起こす駆動装置のようでもある。そのスタートはそれぞれが田原氏の番組と視聴者としてかかわった年代となる。これまで政治に無関心であった人にとっては、この著書を読んでもその記憶の駆動はスタートしないだろう。

⇒17日(水)夜・金沢の天気   くもり 

☆観察好きな教養人の本

☆観察好きな教養人の本

  「この本は当社の唯一の商品です。買ってください」。昨年末、知人からそんな内容の書き付けが添えられて書籍が郵送されてきた。送り主は富山市の甲田克志さん(60)。北日本新聞社の金沢支局長だったころからの付き合いで、定年退職した。その後、父親名義の会社を引き継ぎ、さっそく商売を始めたというわけだ。その商品が書籍なのだ。

 代金を振り込んでそのままにしてあったが、年度末に部屋の整理をしていて、ひょっこり出てきた。その書籍は498㌻もある。タイトルは「ゆずりは通信~昭和20年に生まれて~」。自らのホームページで掲載していた、2000年から05までのエッセイ147編を本に仕立てた。自費出版ながら、ニュースキャスターの筑紫哲也氏が前文を添えている。「地に足のついた教養人の観察をお楽しみあれ」と。なぜ筑紫氏かというと、富山県魚津市で開催されているコミュニティー講座「森のゆめ市民大学」の学長が筑紫氏という縁からから親しくしているらしい。心強い応援団ではある。

 さっそくページをめくる。まず面白いのは147編のエッセイのタイトルだ。「純粋さにひそむファシズム」「おじいちゃんにもセックスを」「邪宗の徒よ我に集え」「こんな夜更けにバナナかよ」「済州島、消された歴史」「国際テロリスト群像」…。日常の話題から国際問題まで実に幅広い。

 「こんな夜更けにバナナかよ」って一体どんな内容だろうと読んでみると、「俺が生きて、日本の福祉を変えてやる」とボランティアを激しくこき使った、自称「カリスマ障害者」鹿野靖明さん(故人)を描いたルポルタージュの本の題名である。要介護1の父親、同じく3の母親を持つ甲田氏。そして自ら老いる先を見つめて、「老いたる鰥夫(やもお=妻を失った男)の尊厳を守る会を発足させたい」と結ぶ。書評なのだが、自らの生き様と対照されていてまるで我がことの様に描き切っている。

 「返り討ち」は自らの大腸のポリープの切除の話。手術は20分も要しないものであったが高校時代から入院するのを「ひそかな楽しみしていた」のでそれを実行した。引用している俳句が面白い。「おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒」(江国滋)。

 筑紫氏は前文で甲田さんの文章についてこうも述べている。「一言で言えば、あまり好きな言葉ではないが、『教養』が要る。世の中で起きていることを、世間が言っている通りに単純には受け取らず、自分なりに考えたり、感じ取る能力のことを、他によい言葉が思い当たらないので私はそう呼んでいる。知識やウンチクをひけらかせることでは決してない」。ウンチクをたれるのではなく、観察好きな教養人が甲田さんなのである。私は「磨かれた常識人」とも評したい。

⇒1日(月)夜・金沢の天気   あめ

★子育ての視点から

★子育ての視点から

   「高度に文明化した社会で、どう子どもを育てればよいのか」、この本の中で一貫して流れているテーマだ。これまでの伝統的な子育てのシステムが壊れてしまったことによる「ひずみ」があちこちに噴出していて、痛ましい光景が社会のあちこちで見られる。これに対し、「子どもと自然」(岩波新書)の著者の河合雅雄氏は、気を揉みながら人間の成り立ちをもっと見つめようと示唆している。

   河合雅雄氏は京都大学名誉教授で日本の霊長類学の創設に加わった一人。この12月17日に開催する朝日・大学パートナーズシンポジウム「人をつなぐ 未来をひらく 大学の森―里山を『いま』に生かす」で基調講演をしていただくことが決まり、河合氏を知る大学教授から薦められたのうちの一冊が上記の「子どもと自然」だ。

   霊長類学者という立場からサル社会の事例がこの本でよく出てくる。たとえば、京都大学霊長類研究所で行われているチンパジーの言語学習だ。その中のテーマで、罰型と報酬型という伝統的な調教の仕方がある。正解したチンパンジーに干ブドウを与えるのが報酬型で、不正解に罰として電気ショックを与えるのが罰型である。しかしチンパンジーの調教の方法では、罰型は学習の進度が遅く、報酬型が有効というのが定説になっている。しかも、ただ干ブドウを与えるだけでなく頭をなでたり、声をかける「ほめる」という行為がチンパンジーの学習効果をいっそう高める、と記されている。

  もう一つ事例。チンパンジーとオランウータンでは食べ物の入った箱の鍵の開けたが異なる。チンパンジーは騒がしく手でつついたり、叩いたりして試行錯誤を繰り返して鍵を開ける。オランウータンは最初はつついたりしているが、あきらめたかのように一端その場を離れボーッとしている。そのうちに確信に満ちた眼差しで一気に鍵を開ける。最終的にはチンパンジーもオランウータンも鍵を開けるまでの時間はほぼ同じ。つまり、知能にそう差はないのだ。

   翻って人間の社会、特にわれわれ日本人の社会はどうか。法律で禁止されていても、まだ体罰が後を絶たない教育現場。人間社会でも、チンパンジー型とオランウータン型などさまざまなタイプがいるのに、いまの日本の社会では大人も子どももチンパンジー型の「ハキハキ・行動」タイプが良しとされている。オランウータン型は「引きこもり」や「ニート」と言ったマイナスイメージで見られ、理解され難いのだ。

   上記の話を引き合いに出すと、サル社会と人間社会は違う、と目くじらを立てる人もいるだろう。自明の理だ。もちろん、河合氏も著書の中で、「サルの話がたくさん出てくるが、それらは比喩や相似として述べているのでなく…」とことわりながら話を展開している。ただ、「ひずみ」が生じているいまの社会の中で、進化したサルである人間を見つめ直すには、霊長類の進化をベースにそのレールの上に人間がいるという視点を持つと、見えてくる世界も多くあるのだ。

 ⇒1日(木)朝・金沢の天気  はれ

☆81歳、「伝説の天才」に会う

☆81歳、「伝説の天才」に会う

 チンパンジーとオランウータンはどちらが賢いか。チンパンジーには枝を使ってシロアリを釣る、あるいは、石を使ってアブラヤシの堅い実を割るといった道具使用行動が見られるのに対し、オランウータンはおっとりしていてどちらかたというとチンパンジーの方が知能が高いように思われる。そこで、簡単な錠がかかった箱からバナナを、どちらが早く取り出すか実験が行われた。

 チンパンジーは箱をゆすったり、錠をいじくったりするが、開かないので跳び上がったりしてにぎやかに試行錯誤を繰り返す。これに対し、オランウータンは最初ゆっくり近づき箱や錠をいじくるが、すぐに離れる。一見ボーッと座って関心がないように見えるが、そのうち急に体を起こして箱に近づき、確信に満ちた手つきで錠を開けてバナナを取り出す。結局、チンパンジーもオランウータンもバナナを取り出す所要時間はほぼ同じ。つまり、知能程度はそれほど変わらないのである。所作が違うだけだ。

 上記のことは京都大学名誉教授で霊長類学者の河合雅雄氏が著した「子どもと自然」(岩波新書)の中で記されている。河合氏が言いたかったのは、実は人間にも2種類のタイプがあって、活発で積極的な子は評価されるが、ボーッとして懐疑的でスピード感がないオランウータンのタイプの子が損をするのがいまの日本の教育制度ではないのかと問題提起をしているのである。霊長類の進化をベースに、人間社会を照射する数々の洞察には心が打たれる。

 先日、著者の河合氏を兵庫県の自宅に訪ねた。12月17日に朝日・大学パートナーズシンポジウム「人をつなぐ 未来をひらく 大学の森―里山を『いま』に生かす」に河合氏をお呼びする。その打ち合わせのためだ。河合氏は京都大学で「伝説の天才兄弟」と呼ばれた河合兄弟の兄、弟はいまの文化庁長官、隼雄氏である。実際に言葉を交わすと、頭脳明晰でアイデアが斬新、しかも20年前の数字、人名、理論もスラスラとよどみなく口から沸いてでてくる抜群の記憶力。天才とはこういう人のことをいうのだと、同行した大学教授(複数)が言う。どんな思索の空間があるのだろうかと、「河合先生、書斎を拝見させてくださいませんか・・・」と水を向けてみたが、「本が散らかっているから・・・」とこれは断られた。81歳。眼差しが優しい好々爺とした風貌である。

 12月17日のシンポジウムでの河合氏の講演は龍谷大と金沢大どちらでも聴くことができる。講演タイトルは「森あそびのすすめ」。市民の参加は自由。

⇒15日(火)朝・金沢の天気  くもり  

☆「集団自決」の真実追う

☆「集団自決」の真実追う

  「8月27日」というタイトルの自費出版本がある。著者は金沢市の重田重守(しげた・しげもり)さん、73歳。石川県教育文化財団理事長として、「自分史同好会」を長らく主宰してこられた。自分の歩んできた人生を振り返り、手記にしようという集いである。しかし、「8月27日」は自分史ではない。語られることのなかった地域史であり、日本史である。

  終戦直後の1945年8月27日、旧満州(現在の中国東北部)に入植していた石川県出身の開拓団の人々350人余りが「集団自決」を遂げた。終戦の混乱の中、入植者は学校に集められ火が放たれた。熱さに耐え切れずに井戸に飛び込んだ親子もいた。「集団自決」とされた事件は本当に自決だったのか、重田さんは生き残りの日本人のほか、中国で現地調査を重ね、中国人からの証言も丹念に拾い集めた。そして一つの証言を得る。それは「自決」というより、錯乱状態で一部の指導者が「もはやこれまで」と火を放った集団焼死であった。実際、死亡したのは母親や15歳未満の子供たちが多かった。また、同じ地域の出身者が多かっただけに、生還者はこれまで真相について語ることはなかった。取材は10年にも及び、わずかな証言を一つひとつ積み上げて生還者に問い、それをまた積み上げていくという手法で一冊の本にした。

   この本の正式タイトルは「旧満州 白山郷開拓団 8月27日」(北國新聞社刊)。先月、全国新聞社出版協議会が主催する「第1回ふるさと自費出版大賞」の優秀賞に選ばれた。そして、重田さんといっしょに旧満州に出かけ、現地でともに取材した北陸朝日放送の番組「大地の記憶~集団自決、57年目の証言~」は第39回ギャラクシー賞奨励賞を受賞した。この番組は、8月11日(木)午後4時からCS放送「朝日ニュースター」で放送される。

   戦後60年のいま、死ぬ必要がなかった人までも犠牲にした戦争の真実の一端が語られている。

⇒6日(土)夜・金沢の天気  曇り

☆デジタルアーカーブの勃興

☆デジタルアーカーブの勃興

  ブログが全盛期だ。では、その先、あるいは次に来るものは何か、それはデジタルアーカイブではないか…。そう予感させる本が「デジタルアーカイブの構築と運用」(笠羽晴夫著・水曜社)だ。なぜそう思うかというと、デジタルアーカイブはとても日本人の性格に合ったジャンルだからだ。今回は、それを解きほぐしてみる。

   笠羽氏は財団法人デジタルコンテンツ協会の研究主幹で、著書では日本のデジタルアーカイブの現状を手引書ふうにまとめ、分かりやすく解説している。それによると、アーカイブ(archives)はもともと公文書や古文書保管所、文庫などの意。これが転じて、記録・整理の活動など広意義に使われている。テレビ映像では「NHKアーカイブス」が知られ、過去に放送した番組をストックしておき、タイムリーに再放送する、といったイメージがある。デジタルアーカイブはその記録保存を静止画、動画、音声のデジタル手法で取り込んだものである。

   具体的に言うとデジタルアーカイブとは何か。笠羽氏はこんな分かりやすい例を上げている。週刊「明星」の50年分の表紙601枚をデジタルで保存することはもちろん可能である。それを年代順に並べてみると「芸能の顔」の50年史が読めてくる。つまり、人によってはノスタルジーという感情もさることながら、日本における芸能史、景気循環と芸能の傾向など、学問分野への切り口や発想も生まれてくるのではないか。50年というスパンと601枚の表紙から湧き上がってくるイメージはそれほど奥深い。

   問題点もある。それだったら個人がストックしている「明星」の表紙をアーカイブしようと個人がヤル気になってアップロードしてもこれは著作権や肖像権に引っかかり難しい。芸能人に求める許可と肖像権、それに撮影者・出版社に対する著作権をクリアする時間とコストを勘案すると個人では不可能に近い。しかし、アーカイブの対象が自分で集めた昆虫標本や雲の写真、先祖代々が持っているコレクションなど著作権を離れたものだったら可能性は大いにある。

   私が冒頭で「日本人に性格に合っている」と言ったのは、いろいろなジャンルのコレクターが日本人には多いからだ。ブログのように、アーカイブ用のテンプレートが立ち上がれば、そうした日本のマニアックな土壌とマッチして、ネット上で私設資料館や博物館、ミュージアムのサイトがどんどんと生まれてくるに違いない。その延長線上に、貴重な写真や映像のコピー販売といったビジネスも見えてくるはずである。

   著書では、すでに作家の死後50年を経て著作権がフリーとなった小説などをネット上で公開している電子図書館「青空文庫」などを事例として紹介している。ここを読んだだけでも、多種多様なデジタルアーカイブの可能性が具体的なイメージとして浮かび上がってくる。

⇒19日(火)朝・金沢の天気  くもり