⇒メディア時評

★デジタル・ブラックホール

★デジタル・ブラックホール

  テレビ業界の3月期決算が出そろった。新聞などで見る限り、スポンサーである企業の業績回復を受けて広告収入が伸び、多くが経常増益となっている。営業収入は各社でバラツキはあるものの4%から8%の伸び、民放テレビ局の経営陣はホッと胸をなで下ろしているだろう。しかし、新聞記事から読めるいくつかの問題もある。

  5月31日付の朝日新聞経済面では、関西の主な民放テレビ5社の3月期決算が紹介されていた。おおむね好決算の内容の記事の末尾は「だが、地上デジタル放送に対応した放送機材の高度化費用が負担となっており、06年3月期はほぼ全社で経常減益を見込む」と締めくくられていた。簡単に言えば、今年度はデジタル放送関連の設備投資が膨らみ、経常利益は減るというのだ。この記事の意味するところは何か。

  東京、大阪、名古屋のいわゆる東名阪地区はローカル局より早く地上波のデジタル化を終えている(2003年12月)。記事にある「放送機材の高度化費用」とは、データ放送の充実や、携帯向けの「1セグ放送」などの次なるデジタル化への設備投資なのだ。放送機材はそれぞれの局に応じたオーダーメイドで生産されるため高コストが常だ。問題は、データ放送や1セグ放送の設備投資をしたからと言って、十分なペイがあるかという一点に尽きるが、これはない。企業の広告宣伝費がデータ放送、つまりテキストコンテンツにまで回るだろうか。さらに、地上放送とは別の番組を流すことになっている1セグ放送も余程魅力あるコンテンツでないと課金などのビジネスモデルの構築は難しいだろう。

  民放は利益率が高い。国はそこをよく見ていて、地上波のデジタル化によるさまざまな可能性を試すことによって、家電の売れ行きなど経済への波及効果を期待している。これは、とりもなおさず「大いなる産業実験」なのだ。いくら利益を出しても、国の産業実験に次から次へと付き合わされ利益を吐き出していく。際限なきデジタル化投資、まるで、ブラックホールかアリ地獄に落ちた徒労感を感じている経営者も少なくないはずだ。民放が国のライセンス事業である限りつきまとわれる。

  そうこうしているうちにインターネットの広告市場がテレビCM市場を追い上げてくる。ブロードバンド放送(ビデオ・オン・デマンド)が爆発的に普及し始めるのも時間の問題だ。そうなればテレビメディアのそのものの存在感が薄れ、広告シェアが落ちる。テレビ業界は今後どう新たなビジネスモデルを開発していくのか。

→1日(水)午前・金沢の天気 晴れ

★イリジウムのトラウマ

★イリジウムのトラウマ

   誰にだって二度と思い出したくないことがあるものだ、特にそれがひどいのをトラウマ(精神性外傷)という。その言葉を聞いただけで、神経症やヒステリーなどの精神障害の発生原因となる。私の場合、そこまではいかないが、トラウマの一つになっているのが「イリジウム」である。きのうある新聞を広げると見出しが目に飛び込んできて、過去の暗い思い出が一瞬によみがえってきた。

   以下は記事の要約である。衛星携帯電話「イリジウム」が復活する。KDDI子会社のKDDIネットワーク&ソリューションズ(KNSL、東京)は6月上旬にもイリジウムサービスを始める。日本では一度終了したサービスだが、一般の固定電話や携帯電話がつながりにくくなる災害時への備えとして官公庁や地方自治体などに売り込む予定。初年度300台の契約を目指す。

   あれは、1999年のことだった。当時、地元金沢の民放テレビ局の報道制作部長だった私は、山間地が多く取材上で携帯電話がつながりにくいことにヤキモキすることが多かった。その時、テレビのCMで流れていた、砂漠や南極からも電話がかかるというキャッチコピーのイリジウムに随分魅せられ飛びついた。その時、導入を渋っていた当時の総務局長に「NTTの衛星電話という手もあるのではないか。君はあのCMにほだされているのではないか」とまで言われたが、「NTTはセットアップに時間がかかる。山岳遭難があってもこれがあれば電話中継もできる」と大見得を切って、最終的にイリジウムを導入してもらったのである。

   ところが、そのイリジウムは米イリジウム社が経営不振に陥り、2000年にサービスが打ち切られた。結局、山岳遭難もなく、取材らしい取材には一度も使わずに、イリジウムは私の目の前から去っていった。総務局長から「だから言ったろう、CMにほだされるなって」とニコニコ顔だったもののきつい言葉を浴びた。

   私は前向きに物事を考える性格で、失敗があれば人生の教訓として生かすことにしている。が、このイリジウムの一件は、見通しの甘さだったのか、単なる倒産というハプニングだったのか、教訓を引き出せなかった。トラウマのようになったのは、むしろ自分なりの心の割り切りができないまま今日に至ったからだろう。確かに、「たかがイリジウムで」というレベルの話ではある。最後にイリジウムのサービスを再開するKNSL社に言いたい、経営が傾くほどCMに力を入れるなよ、と。

⇒5月30日(月)午前・金沢の天気 晴れ

★またも「ニュースの天才」

★またも「ニュースの天才」

 アメリカ誌ニューズウィークのワシントン支局長がCNNに出演し、イスラム教の聖典コーランを米軍の尋問官がトイレに捨て冒涜(ぼうとく)したとの同誌5月9日号の記事について「誤りがあった」と述べ、異例のテレビ会見となった。何しろ、コーラン冒涜のニュースでアフガニスタンやインドネシアではイスラム教徒による反米デモが沸き起こり16人もの死者が出た。ニューズウィークが内外から責任を問われるのは必至だろう。

   ことし2月にアメリカ映画「ニュースの天才」を鑑賞した。かいつまんで内容を紹介すると、大統領専用機内に唯一設置されている米国で最も権威のあるニュース雑誌の若干24歳のスティーブン・グラス(ヘイデン・クリステンセン=写真=)が政財界のゴシップなど数々のスクープをものにし、スター記者として成長していく。グラスの態度は謙虚で控えめ、そして上司や同僚への気配りを忘れない人柄から、編集部での信頼も厚かった。しかし、ある時、グラスの「ハッカー天国」というスクープ記事に、他誌から捏造疑惑が浮かび上がり、グラスの捏造記事が発覚していくというストーリーだ。実話をもとに制作された映画でもある。
 
   今回の「コーラン冒涜」記事も、アフガン旧政権タリバンの関係者らが拘束されているキューバのグアンタナモ米海軍基地での虐待問題を取材したニューズウィークの記者がアメリカ政府高官からコーラン冒涜の匿名情報を入手。基地を管轄する南方軍の報道官はコメントを拒否したが、「国防総省の高官は否定しなかったため記事にした」(ニューズウィーク誌支局長)との説明だったが、結果的に記事に誤りがあると認めた。匿名情報を否定しないからとの理由でニュースにした記者も「ニュースの天才」だったに違いない。

   日本にも「やらせ」や捏造の記事は過去にもあった。しかし、アメリカのジャーナリズムは日本より、ある意味で「ニュースの天才」を生みやすい。日本のように記者クラブで取り決めた横並び取材は好まず、「一匹オオカミ」のような取材手法だ。また、日本の新聞社の場合、先輩、キャップ、デスク、部長のチェック機能があるものの、アメリカでは記者とデスク、編集長らが直接話し合って紙面構成の話し合いをするため、その場の雰囲気、たとえば記者が面白く説明すると「それはいい」と盛り上がってしまい、その場で紙面化が決まってしまうのではないか。映画「ニュースの天才」でもそのような場面が何度か強調されていた。

   しかし、米軍によるイラン人捕虜虐待事件などのスクープがどんどんと出てくるのがアメリカのジャーナリズの凄いところ。日本のような横並び取材がよいと言っているのでは決してない。

⇒26日(水)午前・金沢の天気 晴れ

★テレビに子育てを託す愚

★テレビに子育てを託す愚

 日本PTA全国協議会による2004年度「テレビ番組に関する小中学生と親の意識調査」が先日発表された。それによると、親が子供に見せたくない番組の上位3位はテレビ朝日系「ロンドンハーツ」、フジテレビ系「水10!」、テレ朝系「クレヨンしんちゃん」の順で、前の年と同じだった。毎年発表されるこのニュースを見て、いつも逆のことを考えてしまう。テレビは教育のためにあるのではない、エンターテイメントのためにあるのだ、と。だから、「見せたくない理由」が「内容がばかばかしい」(61.9%)、「言葉が乱暴」(38.7%)、「常識やモラルを逸脱」(37.4%)などなっていても、私は「テレビとはそんなものですよ」と居直りたい気分になる。
   テレビは子育てのツールではない
  問題にしたいのは、先に述べたようにテレビは教育のツールとしては成立しないのにもかかわらず、親がそれを期待する愚である。さらに、刺激的な表現をすると、子どもにテレビを見せておけば、子育てになると思っている親のなんと多いことか。「ドラえもん」を子どもに見せておけば、夢多き子どもに育つと思っている親も相当多いと思う。その幻想の裏返しで、「クレヨンしんちゃん」がヤリ玉に上がっているだけではないのか。
   バーチャルで深刻化する「壊れる日本人」  
  いまの子どもたちは、テレビやテレビゲーム、携帯電話やパソコンのインターネットなどバーチャルの環境にどっぷりと浸かり、リアリティーの感覚が希薄になっている。この現状を、ノンフィクション作家の柳田邦男氏は「壊れる日本人」と喝破し、その同名の著書の中で、バーチャルに慣れきったがゆえに起きる事件の数々を一つ一つ取り上げ検証している。去年6月、長崎県佐世保市で起きた小6女児による同級生殺害事件で、女児が映画「バトル・ロイワヤル」で殺人をゲームとして覚え、メールで相手を攻撃し、そして殺害を実行した経緯を心理分析の記録から浮かび上がらせている。警鐘を鳴らす柳田氏は日本小児学会の提言▽2歳児までのテレビ・ビデオ視聴は控える▽子どものメディアへの接触を1日2時間(テレビゲームは30分以内)まで-などの具体的な対策を紹介している。
   親がテレビのスイッチを切るべき
  「子どもに見せたくない」を実行に移すべきだ。子どもに見せたくないのであれば、親がテレビのスイッチを切る、またテレビタイムを制限する、さらにノーテレビ・デイを設けるくらいの教育的措置を取るべきなのである。テレビの内容の問題より、柳田氏が指摘するように、テレビやテレビゲームの見せ方をめぐる親と子のあり方が深刻な問題なのである。

⇒24日(火)午前・金沢の天気 雨

☆詐欺罪は成立するはず

☆詐欺罪は成立するはず

 そのNHK職員は内部調査で「年度末で仕事が多く、給料以上に働いていると感じていた」と述べたという。「詐欺」を働いた理由がこれである。NHKは19日、39歳の男性職員が自分で作製したコンピューター・グラフィックスを外部のデザイナーに依頼したように見せかけて470万円を着服したとして、この職員を26日付で懲戒免職処分にすると発表した。
発注と受注が同じという詐欺の構図
  NHKの記者発表などによると、この職員は番組のセット制作を担当する映像デザイン部に所属し、去年3月から10月にかけて4回の詐取行為をした。その手口は、子会社のNHKアートを通じて新しいセットのイメージを描くCGを制作する際、自分が作ったCGを外部デザイナーに発注したように見せかけ、NHKアートから親族名義の口座に計557万円を支払わせた。このうち、源泉徴収分を除く470万円を着服した。つまり、この男はNHKアートを経由して、おそらく親族が経営するデザイン会社に発注し、自分のCG作品を買わせたということだろう。発注と受注が同じということなり、これは立派な詐欺である。
  不正流用事件を知りつつ
  今年3月末にNHKアートへの税務調査があり、本人も事情聴取を受け怖くなり、上司に告白し、NHKの内部調査で実態が明らかになった。NHKとすれば、本人が告白したので、今月分の給料(おそらく25日支給)を支給した後の26日付で懲戒免職、さらに着服分は全額返済されており、NHKは刑事告訴はしない方針という。しかし、この処分は甘い。税務調査で本人が聴取を受けたことが告白のきっかけであり、いずれ司直の手が入ると読んだ職員が「告白」という先手を打ったのであり、罪を悔いて「自首」したのではない。しかも、去年7月に元チーフプロデューサーによる6230万円にも上る番組制作費不正流用が発覚したが、職員はその後も不正行為を続けていたことになる。悪質である。
甘い処分、退職金の行方に注目
  刑事事件としての展開もさることながら、退職金の支払いに注目したい。NHKの職員就業規則には、「懲戒免職に該当する行為で解職された時は退職手当は支給しない」とあるが、情状によって100分の35を上限として支給することがあると規定されている。この職員が「告白」したということで処分が甘くなっており、退職金が支払われる可能性が高い。受信料を横領して、受信料で退職金が払われる。しかし、今後、国会でこの問題が追及されても、NHKは「退職金を支払ったかどうかも含めて、個人情報保護の観点から答えられない」と強弁を張るだろう。例のごとく…。

⇒21日(土)午前・金沢の天気  

★TVマン、デフォルトの構図

★TVマン、デフォルトの構図

 テレビ業界の社員が高収入であることはすでに知られている。その高収入に憧れて入社をめざす学生も多い。概要を説明しておこう。民間のテレビ局の総売上高はざっと2兆円あり、そのうちの70%を在京の5つのテレビ局(フジ、日本テレビ、TBS、テレビ朝日、テレビ東京)が占める。関西と名古屋が20%、そしてローカル局が10%である。国の放送免許制に守られ、新規参入が難しいので、企業として高収益は保たれ、社員の賃金水準も非常に高い。かつての銀行によく似ており、テレビ業界は「最後の護送船団」と揶揄(やゆ)されたりもする。

 高収益の恩恵を一番受けているのが東京キー局の社員である。ヤフー・ファイナンスの企業概要を見ても、フジが平均39.8歳で平均年収1529万円、日本テレビが39.4歳で1481万円である。これは社員全体の平均であり、たとえば記者や番組ディレクターは時間外(残業)が無制限に近い状態、いわば「青天井」で支給されるはずである。30代で時給2200円ならば100時間の残業をしたとして、割り増しがついて月30万円ぐらいにはなる。年収で360万円も他のセクションの社員と差がつく。

 これは実際に起きている話である。あるテレビ局の労働組合が若手の社員=組合員を対象に「人生設計」の勉強会を催した。というのも、高収入を得ていながら、裁判所に自己破産の申し立てをする若手社員が目立つようになってきたからである。そのデフォルト(破産)の構図はこうだ。若手がクリエイティブ部門、つまり番組制作やニュース部門に配属されると、残業が先の「青天井」状態になる。2、3年もすると軽く1000万円近くの蓄えができ、人生に自信がつく。これを頭金に会社近くの都心の高級マンションを思い切って購入する。ついでに憧れのBMWも買う。ところが、5、6年目で業務・管理部門に異動になったととたんに残業が減り、ローン返済がサラリーを上回り、極端な話が自己破産に追い込まれるというケースである。

 また、ローンに負われた社員が残業代を稼ごうと仕事もないのに「先方からのアポ待ち」などと理由をつけて必死に机にしがみつく姿もあったり、モラル・ハザード(職業倫理の欠如)さえ招くケースもある。「若手社員が頻繁に組合の小口融資を利用し始めたら赤信号」とある管理職が嘆いた。もちろん、自己破産はほんの一部の現象であろう。しかし、これに似たケースはキー局だけでなく、ローカル局でも聞き及ぶ話である。高収益、高収入の体質に潜む「甘さの構図」でもある。

⇒16日(月)午前・金沢の天気 

☆罵声飛び交う記者会見

☆罵声飛び交う記者会見

 JR福知山線脱線事故の記者会見の様子をテレビで見ていて、テレビの特性を理解していない記者がいると実感した。「遺族の前で泣いたようなふりをして、心の中でベロ出しとるやろ」「あんたらクビや」 などの記者の罵声が事故後のボウリング大会が発覚したJR西日本幹部の会見(4日)の席上で飛び交っていた。この激しい言葉に幹部が唇をかみ締め、耐えている様子が痛々しく感じられた。逆に、罵声を浴びせかけた記者に対しては、「犠牲者の遺族の代表でもないのに何の権利があって…」とほとんどの視聴者が感じたのではないか。

 もちろん、問題の本質は、大阪・天王寺車掌区の社員らが重大事故と認識しながら当日にボウリング大会を開催したことを会見の席上で指摘され、その幹部がメモを見ながら説明したことによる。つまり、メモを用意しながら、記者から指摘されなければ黙って済まそうとしたJR幹部の隠蔽(ぺい)体質に記者の怒りの声が上がり、勢い冒頭のような罵声も浴びせられたのである。これは、後日の新聞報道で知った。しかし、普通のテレビ視聴者は後日の新聞を広げ、記者がなぜあのような激しい言葉を吐いたのかという脈絡を読み取ろうとはしない。視聴者は、記者の傲慢さや、客観報道とは程遠いという印象だけを残したのである。

 私がむしろ懸念するのは、今後の記者会見の運営方法をめぐって、テレビと新聞の記者が対立することである。今回、どのメディアの記者が罵声を浴びせたのかは判らないが、「修羅場の取材では罵声が飛ぶこともある。マスコミ全体の印象を悪くするようなテレビ報道は差し控えて欲しい」などと言ったプリントメディア側からの注文は十分予想される。テレビ側ではむしろ混乱した記者会見という映像では、飛び交う激しい言葉は音声として使いたいのである。このメディアの手法の違いが浮き上がってくると、対立関係に発展していく。こうしたケースはたとえば、テレビ側と警察でもある。ある県警と記者クラブの誘拐事件での報道協定では、警察側の発表に関してカメラ撮影はOKだが、記者と警察の質疑応答はカメラを天井に向け、音声はメモ録音とすることで協定が結ばれた。確かに、誘拐報道では人命にかかわるナーバスな表現もあり、テレビ側に不満はあったものの、こういう妥協がなされたのである。取材現場でも利害は常にあり、調整も必要だ。

 遺族や被害者の立場に立った報道は取材側のモチベーションとしては必要で、時には質問する記者の声も大きくなるだろう。さらに、記者会見という取材現場も混乱している。だからこそルールが必要で、質疑をする際は社名と名前を名乗ること、これだけでも随分とマスコミ側の客観性や冷静さは保てる。あの見苦しい記者会見は繰り返して欲しくない。相手がうろたえるくらいの理詰めの追及がなされる記者会見を期待する。

⇒7日(土)午後・金沢の天気

☆2011年問題がやって来る

☆2011年問題がやって来る

 近い将来、郵政民営化の問題より国民的な議論となると言われているのが、2011年7月までに全国2400万世帯に地上デジタル放送を普及させ、アナログ波を停止する国の計画です。何が議論となるかというと、今から6年後には現行のアナログ波を映らなくする計画なので、その時までにすべての家庭がデジタル対応のテレビに買い換えるか、既存のアナログテレビにSTB(セット・トップ・ボックス=外付けのデジタル放送チューナー)を取り付けなければならない。つまり、ある意味で視聴者に「金銭的負担」を強いることになるのです。「なぜ国策のためにテレビを買い替えなければならないのか」と、その時が迫ってくれば国民は疑問を投げかけることでしょう。これは文字通り「2011年問題」なのです。

 一方で、2011年7月までにデジタル放送が「あまねく普及」するのかという論議があります。デジタル放送を実施するテレビ業界自身が慎重な見方をしています。NHK放送研究所のアンケート調査によると、2011年までに全国すべての世帯(4800万)でデジタル放送が普及していると予想する放送事業者は全体の12%にすぎません。テレビを売る側の家電業界も21%です。それを裏付けるように、NHKの視聴者に対するアンケート調査でも高齢者ほど「デジタル放送を見たいとは思わない」傾向にあり、60代では49%にも上ります。確かに、「さらに複雑なリモコン操作を想像するだけでゾッする」という高齢者は私の身近にもいます。

 このままだと国のプランにズレが生じてくる可能性、つまり、アナログ波を停止する時期が2011年7月よりさらに遅れることが予想されます。仮に遅れるとなると、一番困るのは誰かというと、放送事業者(NHK、民放)なのです。2011年までデジタルとアナログの2波をサイマル放送しなければならない放送事業者にとって、人の配置や設備のメンテナンスだけでも莫大な出費です。さらに、データ放送や1セグメント放送(携帯端末向け放送)、EPG(多機能テレビ欄)などデジタル放送の新サービスでかなりの人とコストの投入が必要となってきます。本来ならさっさとアナログ波を停止してデジタル放送に集中したいというのがテレビ業界の本音でしょう。

 「2011年問題」が尾を引き完全デジタル化への移行が遅くなればそれだけテレビ業界の痛手は大きくなるのは自明で、その可能性が十分にあると言えます。早計かもしれませんが、テレビ業界が高齢者や低所得層の家庭のテレビに「善意でSTBをセットする」キャンペーンを張るぐらいのことをしなければ、「2011年問題」の国民の理解は得られないのではないかと考えます

★業務提携を考えるヒント

★業務提携を考えるヒント

 先日、家族で金沢市の焼肉店に行きました。冷麺がおいしい店なので去年も何回か通い、ことしに入って初めて。繁盛しているせいか、改装で席も増えていました。焼肉の新メニューもいくつかあり、この店の売りとなっている「七輪の炭火」で焼いて堪能しました。トイレもホテル並みにワインカラーを基調に改装されていて、清潔感が一気に高まっていました。

 面白いと思ったのはこのトイレでの新サービスです。写真のように、手洗いの隅に口臭を防ぐうがい液、衣服用の消臭スプレー、つまようじ、うがい用の使い捨てコップの4点がさりげなく置いてあるのです。私は別に必要性を感じなかったので使いませんでしたが、おそらく、2次会で別の人と会うのでニンニクのにおいを消したいとか、洋服についた焼肉のにおいを取りたいとか、人前でつまようじを使いたくないとか、いろいろなニーズがあってこのサービスが始まったのではないかと察しました。

 ここからが今回の本題です。いま模索が始まっているテレビメディアとインターネットの業務提携とは簡単に言えば、互いに補完しあって顧客の満足度を高めることではないかと思うのです。本筋はおいしい焼肉を食べる(テレビ)、テ-ブルではできない補完のサービスをする(インターネット)という図式です。たとえば、旅番組が流れ、関連サイトでは番組で紹介したコースの確認と予約ができるというのが初歩的な業務提携でしょう。

 これが高度になってくると、生のクイズ番組に視聴者が携帯電話のインターネットを通じて参加、スタジオではMC(司会者)が正解者の中から電子ルーレットで賞品の当選者を選び、その視聴者に電話をして喜びの声を聞く、さらに正解者には漏れなくクーポンが配信されるーといったきめの細かいレベルになります。このケースのポイントは①双方向で視聴者の満足度を高める②リアルタイムの演出で視聴者を一定に時間に集めることで視聴率を底堅くする③クーポンを携帯電話に配信することでスポンサーの満足度を高めるー。テレビとネットの業務提携で、視聴者、メディア側、スポンサーの3者の満足度が格段に上がるのです。すでにあるテレビ局で実用例がありますが、別の機会で…。 

☆TVデジタル化でも閉塞感

☆TVデジタル化でも閉塞感

フジテレビとライブドアによるニッポン放送株の争奪戦から一転して「和解」へ両社が業務提携をするという。テレビ業界にはもともと業務提携を前向きに受け止める流れがあると思う。1996年、ソフトバンクと豪News Corp.がテレビ朝日の発行済み株式の21.4%を取得した当時、テレビ朝日の社員の間にも「乗っ取られる」と動揺があった一方で、実際に話をした制作現場のスタッフの中には、「番組をグローバルに展開できるよいチャンスかもしれない」や「ソフトバンクと組めばテレビ局のIT化が一気に進むかもしれない」と先を読んでいた人たちもいた。

 業務提携を望む流れがテレビ局側にあるというのは、地上波のデジタル化で経営サイドあるいは制作現場にはある種の閉塞感があるからだ。ハイビジョン、高音質、データ放送、携帯電話向け放送などデジタル放送の機能は多様であるが、「視聴者は果たしてデジタル化を望んでいるのか」「技術的には可能でも、莫大な投資が将来の重荷になるのではないか」などデジタル化の先が見通せない。2006年までに終えなければならないデジタル化のその後のビジネスモデルや番組モデルをどのように構築するか、これはテレビ業界が等しく悩んでいることなのである。ましてや、2004年の日本の広告費で、インターネットとラジオが並んだ(電通調べ)となると、ラジオを兼営しているテレビ局にとっては死活問題ともなっている。テレビ業界がインターネット業界と業務提携し、デジタル化後の活路を見いだすというのは自然の流れなのである。

 すでに、IT企業が配信するブロードバンド(高速大容量)放送に、著作権などをクリアした上で番組を提供したり、携帯電話インターネットのコンテンツ制作会社に出資したりと、着々と手を打っているテレビ局もある。フジテレビとライブドアの業務提携が本格的に進めば、ほかの系列局も雪崩を打ったようにパートナー探しを始めるに違いない。株式の買収劇に目を奪わたが、本筋はテレビメディアの業態を大きく変えるエポックメーキングと捉えたい。