⇒メディア時評

☆メディアのツボ-08-

☆メディアのツボ-08-

 東京出張でJR浜松町駅に立ち寄った。ある広告を見るためである。もったいぶるつもりはない。東芝本社が浜松町駅に近くにあり、この駅だけにある東芝の広告を見るため。というのも、この広告には毎回、ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手が登場しているからだ。

      されど松井秀喜

 今回は東芝のノートパソコン「Qosmio」のPRに松井選手が登場している。地上デジタル放送と地上アナログ放送が視聴できるパソコンというのが触れ込み。テレビの録画機能も備え、専用画像処理チップを搭載する。大口径のステレオスピーカーも搭載して、画像と音質の機能をアップした。ご覧の写真のように、「ノートで地デジ、ノートでW録」のチャッチコピーがついている。つまり、テレビ化したノート型パソコンの広告である。しかし、どこか平板な広告だ。

  ご覧頂きたい。去年の大晦日に見た松井選手の東芝の広告は本物のゴジラと顔を並べていた=写真・下=。ユーモラスで、人目を引く工夫がある。それに比べると、やはり今回の広告は随分と控え目に思える。ケガでゲームに出場していない松井選手は使いにくいというのが広告デザイナーの本音なのだろうか…。

  松井選手は海外進出企業にもてはやされる。野球のメッカであるアメリカに乗り込んで、老舗のニューヨーク・ヤンキースで堂々の4番のポジションも得た。このキャラクターを広告として使わない手はない。広告出演料は想像を超える契約金だろう。しかし、その松井選手がバッターボックスに立てなければ意味はない。広告はある意味で「ばくち」でもある。

 とはいえ、その松井選手は左手首骨折のためリハビリを行っていたが、ようやくチームに合流できそうだと、各紙が報じている(9日付)。休場中でもメディアに取り上げられ、耳目を集める。されど松井である。

⇒9日(水)夜・東京の天気  くもり  

★メディアのツボ-07-

★メディアのツボ-07-

  「自在コラム」にはコメントの書き込みやメールを通じてご意見をいただいている。先日、金沢市在住の知人からのメールでこんな意見が寄せられた。

     政治家のインターネット

  「『メディアのツボ』で、メディアのおかしいところいろいろお話しになっているますが、私も、インターネットが出現してからの既存メディアのあり方について疑問を持っています。例えば、馳(浩=衆院石川1区選出)議員の肩を持つわけではありませんが、馳サイトのトップに『金沢への3つの主張』として金沢への主張が掲載され、1週間ほど経っています。新聞やTVがどう取り上げるかと思っていたら、どこも取り上げません。自分たちが選びその活動をよく知りたい国会議員の言動を、たとえインターネットであってもを紙面に掲載し、論評を加えることがジャーナリズムの義務であると思うのですが…。せっかくニュースがあるのに、インターネットだから取り上げない。不思議な気がして、知り合いのメディアの方にいろいろ感想を聞いているのですが…。どう思われるのでしょうか」

  馳氏は先月26日にファン1900人を集め、石川県産業展示館(金沢市)でプロレスからの引退試合を行った。相手の両足を脇に挟んで振り回す大技「ジャイアントスイング」を30回転も見せて、会場を大いに沸かせた。45歳である。メールにあった馳氏のサイトでの3つの提言は「危機感」「夢・将来構想(ビジョン)」「勇気・挑戦」。要約すれば、財政難であり危機感を持って、政令指定都市という器をつくり、学園構想などのビジョンを打ち立てよう、というもの。

  石川1区(金沢市)選出の国会議員なので、提言はあって当然だろう。知人の問題提起は、既存メディアはなぜそうしたインターネット上で発した提言を取り上げないのだろうかと疑問に感じている。確かに、テレビのワイドショーでは、タレントがブログで書いた交際宣言などをよく取り上げている。また、新聞などでも事件を起こした容疑者や被害者の心中が吐露されたブログの内容を伝えるケースが最近増えた。とは言え、政治家のブログやホームページでの政策提言が新聞やテレビで取り上げられているかというと、希(まれ)だろう。

  馳氏は文部科学副大臣である。その政治家が「学園都市」構想を進めようと提言していて、具体的な政策を盛り込んでいるとなれば、確かに、構想の実現の可能性やさらに構想の詳細について問えば、ニュースとして成立するはずである。読者あるいは視聴者の立場としても、馳氏の構想に耳目を傾けてみたいものだ。既存メディアが政治家のネット(ブログやホームページなど)に関心を示さないのは、ネットを個人メディアとしての位置づけではなく、パンフレットなどのPR媒体と同一視しているからかも知れない。

  それでは、政治家のネットがマニフェスト(政策綱領)並みに注目されることはあるのだろうか。それはある。来年07年の参院選に向けて、インターネットの選挙利用を解禁する法案づくりが進んでいる。つまり、ネットが選挙に組み込まれる時代になるのだ。解禁の理由は、衆院選小選挙区での在外国有権者の投票を可能するためだ。政治家のネットに既存メディアが一目を置くようになるのはこのタイミングだろう。ネット表現の出来や不出来が有権者の投票行動を左右することになるからだ。

  ところで、その馳氏が先週の8月3日、私のオフィスがある金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」に。「暑い日が続くね」とウチワ4本を差し入れしてくれた。今年2月にこの記念館で学長と馳氏の対談(学内誌で掲載)があり、場所を覚えていただいたようだ。馳氏は軽四自動車の「タント」で市内を走り回っている。写真ではポーズまで取ってくれた。

 ⇒7日(月)夜・金沢の天気   はれ    

☆メディアのツボ-06-

☆メディアのツボ-06-

 先日、年齢がひと回りも上のテレビ業界の先輩と話す機会があった。年齢にして64歳、テレビの成長期、一番よい時代を経験したといわれる世代である。その先輩が言う。「われわれの現役のときはテレビ局は時代の寵児(ちょうじ)といわれた。しかし、いまは『テレビ局という会社もある』といった普通の存在になったね」

    米紙ダウンサイジングの衝撃

  確かに、アナウンサー職を除けば、テレビ局に応募者が殺到するという現象は見られなくなったという話を最近、ある局の人事担当者から聞いた。これは何もテレビ局に限った話ではない。春の選考で予定していた人数を採りきれず、秋にも引き続き採用活動を行う新聞社などマスコミ企業が増えている。マスメディアのダウンサイジング現象である。

  読んで字の如く「縮小する」動きも現れてきた。アメリカの大手紙ニューヨーク・タイムズが紙面の幅を2008年4月から3.8㌢縮小すると発表したニュースだ(7月18日)。紙面の縮小により、記事スペースは11%減るが、増ページも行って減少を5%に抑えるという。紙面サイズの縮小とともに、印刷工場も統合する。アメリカを代表する大手紙の紙面のリストラだけに、そのインパクトは内外の新聞業界に他人事ではない衝撃を与えたはずである。

  この紙面縮小の背景には、新聞部数の減少がある。アメリカでは新聞発行部数が去年、全米で5300万部だった。これはピークだった1984年に比べ15%も落ちている。その原因はといえば、インターネットの普及による購読者数や広告収入の減少に尽きる。もう少し詳しく説明すると、新聞のビジネスモデルがインターネット企業によって侵食されているからである。情報を掲載して読む人の数の多さに比例して広告単価を上げるというネット広告の手法は、新聞の発行部数で広告単価を決めてきた従来の手法と重なる。こうして経営基盤が揺らぎ、傘下に32紙を持つ全米第2位の新聞グループ「ナイトリッダー」が身売りするという事態も起きた。

 日本の新聞業界は宅配制度によって部数(5252万部・05年10月の日本新聞協会調べ)を維持しているものの、それでもピークだった1999年(5375万部)に比べ減少傾向にある。また、日本の新聞社は株式を公開していないので、アメリカのように株主がその経営実態に不安を抱いて経営改善を要求するといった実態が表に現れない。表面化した時は、倒産か身売りというせっぱ詰まった状態になってからだろう。

 テレビのビジネスモデルもネット企業によって侵食されつつある。USENのブロードバンド放送「Gyao」(ギャオ)はユーザーが好きな時にネットを通じて番組が無料で視聴できるビデオオンデマンド方式を採用している。収益はサイトの広告収入がメインである。そのギャオの視聴登録者がすでに1000万人に達した。映画やアニメなど常時1500番組をそろえ、サービスを開始したのは去年4月である。すさまじい勢いで登録者を増やしたことになる。まだ黒字化はしていないものの、登録する際に入力する属性情報で、性別や年齢に応じた効果的な広告配信を試みている。また、7月からは地域・県別の広告配信も行っている。こうした小回りの効いた広告対応は既存の民放テレビ局ではできない。

 ネット企業が情報メディアを目指して台頭すれば、それだけ既存のマスメディアの存在感が薄れる。そんな構造なのである。それはかつて圧倒的な存在感を誇っていた新聞メディアが高度成長期に乗って台頭してきた放送メディアによって影が薄くなったプロセスと重なる。

⇒4日(金)朝・金沢の天気   はれ

   

★メディアのツボ-05-

★メディアのツボ-05-

 いま金沢大学「角間の里山自然学校」の研究員がはまっているのが「デジタル昆虫図鑑」である。市販のスキャナで撮った昆虫の画像だ。スキャナなのでフタをするが、直に載せると虫が潰れてしまうので、フタとガラス面の間に薄手の雑誌など挟んで隙間をつくる。1㌢ほどの大きさならば十分に足の毛まで写るのである。小さなものをこうして撮影できるとなると格段に昆虫への理解も深まる。

     クローズアップのジャーナリズム

  実はこれは放送でいうクローズアップの手法なのである。普段見ない小さなもの、肉眼では見えないもの大きく拡大することで新鮮さを演出したり、人々を驚かせたり、ひきつけたりする。科学番組などでよく使う手法だ。NHKには「クローズアップ現代」という番組もある。

 テレビ朝日の政治討論番組「サンデ-プロジェクト」のキャスターを務めるジャーナリストの田原総一朗氏は実はこのクローズアップの演出方法に精通した一人だ。著書「テレビと権力」(講談社)の中で、「『たのしい科学』が私のルーツ」という小見出しがあり、岩波映画社時代のことを振り返ってこう書いている。 「…たとえば、シャ-レの上に、細いスポイトでミルクを一滴落とす。その瞬間を日立ハイタックスという、通常のカメラの1万倍の速度で回るカメラで接写する。すると、うまくいくと水滴(しずく)がゆっくり跳ね上がって見事な王冠のかたちをつくることができる…」

 田原氏はこうした岩波映画で培った見せ方のノウハウを、東京12チャンネルに入ってドキュメンタリー番組に応用していく。大きな社会の中のミクロの人間模様をクローズアップの手法で描き出す。たとえば、少年院を出た青年がどのように社会復帰を果たしていくのか、というテーマである。田原氏のクローズアップの手法はさらに、人々がこれまでタブーとして、直視しなかった天皇制や差別問題といったジャンルにまで討論という形式を用いて映像化していく。小さなもの、見えないもの、見ようとしないものすべてを「これでもか」と拡大してテレビ画面に露出させていく。

 見えてしまえば、驚きとなり、感動やイメージがわく。そして、考えさせる。田原氏のジャーナリズは反権力という政治的な立場を鮮明にするものではない。政治課題や問題点をテレビ映像で鮮明に浮き上がらせることで、争論化させるのである。

 ところで写真はスジクワガタである。本来なら2㌢ほどの大きさがA1サイズ(59㌢×84㌢)の大判にプリントされている。このプリントを子どもたちに見せると、たいていは「すげぇっ~」と声を出し、好奇の目をらんらんと輝かせる。そして触ろうとする。

⇒3日(木)朝・金沢の天気   はれ 

☆メディアのツボ-04-

☆メディアのツボ-04-

 前回は「映像表現と政治家」というテーマでカメラ撮影が投げかけた問題を取り上げた。続いて今回は生番組におけるキャスターのコメントと政治家を取り上げる。話は去年6月にさかのぼる。自民党の岡田直樹参院議員(石川県選挙区)がテレビ朝日の番組「報道ステーション」で事実に反する内容が取り上げられたとして、放送法に基づく訂正放送と謝罪を求める通知書をテレビ朝日あてに送った。

   コメント表現と政治家

  いきさつはこうだった。05年6月10日、北朝鮮への経済制裁を検討する参院拉致問題特別委員会で、参考人として呼んだ拉致被害者の家族代表の横田滋さん夫妻に、岡田氏は「聞くに忍びないことをお聞きしますけれども」と前置きし、北朝鮮に経済制裁をすれば、めぐみさんが本当に殺されるかもしれない、その覚悟のほどはどうですか、とたずねた。それに対し、横田氏は「それを恐れていれば結局このままの状況が続く」と経済制裁を強く求めた。岡田氏とすれば、「家族はリスクを覚悟して経済制裁を求めている。だから、政府もやるべきだ」というセオリーで、慎重な言い回しだった。これには、横田夫妻も、参考人として発言の機会が与えられたことに対して、岡田氏に感謝をしていた(05年6月16日付「救う会全国協議会ニュース」)。

  ところが、横田さん夫妻が参考人として出席した特別委員会の様子をニュースとして取り上げた同日夜の「報道ステーション」で、古舘キャスターが、岡田氏の質問に対し、「北をとっちめたいと思うあまり、まるで非常に苦しい立場にいるご夫妻に、この覚悟はありやなしやと聞いているふうに聞こえる」などとコメントし、「無神経な質問」と決めつけたことから、岡田氏は「事実とは違う、名誉を毀損された」と謝罪と訂正放送を求めたのだった。これに対し、「報道ステーション」(7月4日放送)の番組の中で古舘伊知郎キャスターが岡田氏に謝罪し、一応けりがついた。

  確かに映像の一部だけを見れば、無神経な質問に見えるかもしれない。しかし、前後の隠れた文脈をきちんと伝えてこそニュースとしての論理が成立するのである。自分に都合のよい部分の映像を抜き取って構成すれば、ただのプロパガンダ映像である。テレビの報道番組では、想像でものを言うこと自体、信憑性が失われ負けである。

⇒1日(火)朝・金沢の天気  はれ  

☆メディアのツボ-03-

☆メディアのツボ-03-

 このところテレビメディアの事件が多い。それも傾向がある。NHKならば番組関係者による出張費などの横領、フジテレビは一時期「やらせ」が続いた。そしてTBSは政治家がらみの表現の問題である。それにしても今月21日(金)のTBSの報道番組「イブニング5」で問題となったシーンはよく理解できない。

   映像表現と政治家

 実際に「イブニング5」の問題シーン(当日午後6時13分ごろ)を見ると、池田裕行キャスターが「旧日本軍の731部隊の石井隊長の日記の中に、終戦直後、上陸するアメリカ軍を細菌兵器で攻撃しようと計画していた記述があったことが分かった」と前ふりをしてVTRがスタートする。カメラマンがドーリー撮影をしながら、小道具置き場から数㍍離れて電話取材をする記者がいるブースまでの数秒間を移動する途中で、床にある安倍晋三官房長官の写真パネルが映っている。1秒間も映ってはいないが、安倍氏とはっきり認識できる。

  何点か疑問がわく。第一、なぜ雑然とした道具置き場でドーリーショットで撮影しなければならなかったのか、という点だ。電話をする記者を強調したいのならばムーズインでもよかったのではないか。しかもこれはVTRの冒頭のシーンである。このドーリーのシーンには「終戦直後もゲリラ活動」という女性のナレーションが入る。ひょっとしてこのコメントをイメージさせるためあえて雑然とした雰囲気が必要だったのか…。

 それにいくら使用済みの写真パネルとはいえ、あれほど雑然と、うっかりすると踏みつけてしまいそうな場所に置くものなのだろうか。次期首相を狙う政治家の写真である。普通に考えれば、再度あるいは緊急にスタジオで利用すことも想定して、パネルに傷がつかないように保管しておくのが常識だろう。キー局だったら大道具小道具を整理し保管する担当者がいるはずだ。

  新聞報道によると、TBSの広報は「決して意図的なものではありませんでした」とコメントしている。が、TBSは03年11月の「サンデーモーニング」で、石原慎太郎東京都知事の「日韓併合の歴史を100%正当化するつもりはない」という発言を「100%正当化するつもりだ」と字幕を付けて放送。知事から告訴と損害賠償訴訟を起こされた。そして、ことし6月の「ニュース23」で、小泉総理の靖国神社参拝について「行くべきでないと強く感じているわけではない」と語ったヘンリー・ハイド米下院国際関係委員長(共和党)のコメントを、「行くべきではないと強く思っている」との日本語字幕を付けて放送。今月5日になって、番組中で釈明した。意図的ではなかったにしろ、何度か続いた後だけに「またか」と思ってしまうのだ。

  関連法として、「放送法」の第三条の二には、テレビが番組の編集に当たって守るべき点が強調されている。一・公安及び善良な風俗を害しないこと。二・政治的に公平であること。三・報道は事実をまげないですること。四・意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。今回は、三のポイントが焦点だろう。事実を曲げる意図があったかどうか。テレビ局側のお詫びのコメントだけで安倍氏が納得できるかどうか。

 ⇒30日(日)夜・金沢の天気  はれ

★メディアのツボ-02-

★メディアのツボ-02-

  地上デジタル放送対応の受信機、つまりテレビはかつて「1インチ1万円」といわれた。ところがいまは37インチのフルハイビジョン液晶テレビが19万円という価格革命が起きている。この激安戦法で薄型テレビ市場に殴りこみをかけているのはベンチャー企業の「バイ・デザイン」(東京)だ。この会社は工場を持たないメーカーで、部品メーカーからパネルなどを買い、主に中国のアモイの工場で組み立てを行う。しかし、この会社がせっせと低価格テレビを製造したとしても、おそらく「2011年7月24日」問題は解決しない。

    「2011年7月24日」問題~下~

   日本の世帯数は4600万以上といわれる。世帯数の4分の3近くを占める「2人以上世帯」のテレビ所有台数は1台と2台がほぼ3割ずつで、3台以上がほぼ4割を占める。以上を計算すると、家庭分だけで少なくとも8000万台から1億台以上のテレビが存在することになる。家庭以外の事業所、公共施設などの分も数えれば1億数千万台になるだろう。前回記したようにことし6月末時点での地デジ対応受信機の普及台数は1190万台だ。あと1億台ぐらいのテレビを5年間で普及させなければならない。経済的に余裕ある家庭は買い替えに積極的かもしれない。

   が、独居老人宅などではどうだろう。総務省の「2005年国勢調査抽出速報集計結果の概要」によると、65歳以上の「一人暮らし高齢者」は405万人となっている。この数字は急速に増加していて、2000年の統計と比べると102万人(34%)増となっている。さらに5年後となると500万人を超えても不思議ではない。中には余命いくばくもない独り暮らしのお年寄りの世帯もあるだろう。37インチのフルハイビジョン液晶テレビが19万円という価格革命が起きたとしても、こうした独居老人や生活保護を受けているの傷病や母子世帯に「まもなくアナログが停波するので19万円出してテレビを買い換えてください」と催促できるだろうか。この現状を無視してアナログ波を止めれば、「情報難民」が続出する。あるいは「弱者切り捨て」との批判が渦巻くだろう。これが「2011年7月24日」問題だ。

    改正電波法以前は、「地デジ対応受信機の普及率が85%に達し、放送局のエリア内のカバー率が100%に達するまでは、現行のアナログ波を終了しない」となっていた。しかし、国費を使ってアナログ周波数変更対策(アナ・アナ変換=デジタル放送用チャンネル確保のためのアナログチャンネル変更)を実施したことによって、期限を切らざるを得なくなった。それはデジタルとアナログの同時並行放送(サイマル放送)を続けるテレビ局の経営負担を軽くすることにもなる。今回の地上デジタル放送化は行政が主導する「大いなる産業実験」とも言われる。5年後、この「2011年7月24日」問題が間違いなく浮上する。  

  テレビの買い替えではなく、デジタルのチューナーを取り付けるなどの方策はあり、これはテレビ業界か行政がそれこそ戸別訪問して取り付けなければ解決しない問題かもしれない。  

 ⇒28日(金)夜・金沢の天気  あめ

☆メディアのツボ-01-

☆メディアのツボ-01-

  マスコミあるいはマスメディア、メディアとも言う。マスコミ業界では「媒体」とも呼ぶ。新聞やテレビのことである。では一体、メディアとは何かと問われるとなかなか端的に表現するのは難しい。そこで、メディアのさまざまなテーマを切り取りながらそのポイントを押さえるという手法で、メディアの全体像がぼんやりとながらでも浮かび上がらせたいと思う。このシリーズを「メディアのツボ」と名付ける。

    「2011年7月24日」問題~上~

 きょう7月24日、東京・霞ヶ関の総務省では総務大臣の竹中平蔵氏をテレビキー局(NHKを含む)の6人の女子アナたちが囲んで「地上デジタル移行まであと5年! カウントダウンセレモニー」を行われた。2011年7月24日に地上アナログ放送が終了するちょうど5年前ということで、銀座数寄屋交差点付近の「モザイク銀座阪急ビル」の広告スペースに「カウントダウンボード」が設置され、そのボードのスタートのボタンを押すというのがセレモニーの内容だった。竹中大臣らのスイッチオンで、カウントダウンボードには「あと1826日」と現れた。この様子は今夜、各テレビ局がニュースで報じていた。  

 セレモニーの席上、竹中大臣は「つい先日、ようやく我が家にデジタル対応のテレビセットを買うことができました。私が買うぐらいだから、相当普及しているということでしょう」と語っていた。社団法人地上デジタル放送推進協会(D-pa)も「今年度にアナログ終了の認知率50%以上、地上デジタル対応受信機の普及2000万台以上を達成する」と目標を掲げていた。では、実際の認知率や普及率はどうか。総務省の3月の調査で、アナログ放送の終了時期を正しく知っている人は32.1%である。さらに、6月末時点での地デジ対応受信機の普及台数は1190万台だ。目標と現実の差はかなりある。キー局の人気の女子アナを並ばせての派手な演出も理解できるような気がする。

  そもそも、なぜ2011年7月24日なのだろうか。総務省北陸総合通信局のホームページによると、平成13年(2001年)の電波法改正で、アナログ周波数変更対策(アナ・アナ変換=デジタル放送用チャンネル確保のためのアナログチャンネル変更)に電波利用料(国費)を当てるための要件の一つとして、アナログテレビ放送による周波数の使用は10年以内に停止することと規定された。

  もう少し詳しく説明が必要だ。アナ・アナ変換は、テレビ電波が過密状態にあるため、アナログからデジタルへの周波数変更の前に必要となる、アナログからアナログへの周波数変換をいう。具体的には、デジタル地上波はUHF13~32チャンネルを使うため、その周波数帯を使っている中継局を、別のアナログ周波数帯に移す。地域によっては家庭のテレビ1台1台のチャンネルを設定し直したり、アンテナを交換した。これには国費850億円が投じられた。つまり、国費を出して周波数を変更する以上は、古いシステムから新たなシステムへの移行が速やかに行われなければならず、古いシステムがダラダラと居座るようなことは困る、というわけだ。そこで、アナログ地上波は切りよく今後10年という期限が設けられた。改正電波法によるアナ・アナ変換計画の公示の日(平成13年7月25日)から起算して10年目の日、つまり平成23年(2011年)7月24日がアナログテレビ放送で使用する周波数の使用期限となったのである。

  ところで、この電波利用料はテレビ局も払っているが、そのほとんどは携帯電話会社が払っている。もともと目的税で使途が決まっていたため、改正電波法で「特定周波数変更対策業務」を新たに追加したのである。2011年7月25日以降、それまでテレビ局が使っていたVHF帯は携帯電話用に開放される見通しで、すでに「取引」は成立しているというわけだ。

  余談だが、改正電波法以前は、「地デジ対応受信機の普及率が85%に達し、放送局のエリア内のカバー率が100%に達するまでは、現行のアナログ波を終了しない」となっていた。この方針に不満を持っていたのはテレビ局側だった。つまり、受信機の普及が進まなければ、デジタルとアナログの同時並行放送(サイマル放送)を果てしなく続けることになり、経営を圧迫する。改正電波法で10年のタイムリミットが設けられ、テレビ局側も胸をなで下ろしたのだ。

  しかし、テレビ業界は安心したかもしれないが、一般の視聴者にそのツケが回ることになる。それは次回で。

 ⇒24日(月)夜・金沢の天気 くもり

☆国論分裂

☆国論分裂

 北朝鮮によるミサイル連続発射(7月5日)の波紋がついにここまできたか、という思いで毎日記事をチェックしている。その状況は、国論分裂と言ってよい。ただし、お隣、韓国のことである。

  韓国の朝鮮日報や中央日報のインターネット版(日本語)には連日、ミサイル関連の記事が大きく扱われている。国論分裂とはマスメディアと、政府ならびに与党であるヨルリン・ウリ党との鋭い意見対立である。まずは、ホットなニュースから。国会統一外交通商委員会・金元雄委員長(ウリ党)は14日、北朝鮮に対し強硬姿勢を示している日本について「日本が核問題とは全く関係のない日本人ら致被害者問題を取りあげ続け、6カ国協議を成功裏に展開させるうえで障害物となっている」とし「(6カ国協議の)当事国としての資格を再検討すべき。日本が抜けるほうがさらに柔らかいだろう」と述べた(中央日報)。さらに、ウリ党議員43人が13日、「日本主導による国連の対北制裁決議案は明白な侵略主義」という声明を発表し、「日本が露骨に軍事大国化を試みている。膨張戦略を中断せよ」と主張した(朝鮮日報)。

 ウリ党議員らは、日本は6カ国協議から外れた方がいい、あるいは、対北制裁決議案は侵略主義と露骨に日本批判を展開しているのだ。ちなみに前述の金元雄議員は拉致被害者の横田めぐみさんの両親に「韓国には、日帝によって強制的に連行された数十万の『めぐみ』がいることを忘れるな」との手紙を送った人物である。

  こうした政府・与党の動きに敏感に反応しているのがマスコミだ。朝鮮日報の14日付のコラムは「・・・(北朝鮮のミサイル発射で)日本政府には北朝鮮への先制攻撃論が巻き起こり、これに対して大統領府は潜伏していた敵をようやく見つけ出したとでも言うかのごとく、戦争も辞さないような姿勢で日本を非難している。すでに北朝鮮のミサイル問題は、韓国と日本の紛争に発展したような様相を呈している。韓国が北朝鮮に代わって日本と争っているようなものだ」と政府の批判の矛先が違うと痛切に批判している。

 この政府・与党とマスコミの意見対立をさらに煽ったのが、釜山で開かれた南北北閣僚級会談。北朝鮮代表団が「韓国の一般国民は金正日総書記の先軍政治の恩恵にあずかっている」として、コメ50万㌧の援助を要求した(13日)。北朝鮮の軍隊が韓国を守っているのだからコメを寄こせと主張したのである。これで韓国世論がハチの巣をつついたような大騒ぎになった。

  韓国以外には向ける国もない射程距離300㌔のスカッド・ミサイルが何の目的で発射されたのかという点を検証せずに、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は6日間沈黙していた。そして、日本の「先制攻撃論」が出てきたタイミングで一気に日本叩きに出たことが裏目に出て、かえってマスコミの批判を浴びることになった。盧大統領は相当の策士なのだろう。が、今回は策を弄しすぎた。

 ⇒14日(金)夜・金沢の天気  はれ

☆イタリア優勝と視聴率

☆イタリア優勝と視聴率

 サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会を制したイタリア代表の選手団が日本時間11日未明に帰国し、ローマで優勝パレードが行われた。24年ぶりのW杯勝者となった英雄たちをたたえようとおよそ100万人が沿道や屋外の競技場に集まった、と新聞各紙が報じている。政府主催の祝賀パーティーで、プロディ首相は「努力と汗で目的が達成されることを若者たちに教えてくれてありがとう」と選手たちに感謝を表した。

  イタリアは今回で4度目の優勝である。まさにサッカー王国なのだ。そう言えば、ことし1月にローマ、フィレンツェ、ミラノを訪れた際も、街角にサッカーのCMのポスターが目立った。ごらんの写真は、ミケランジェロの「アダムの創造」をモチーフにしたポスターである。こんなポスターがあちこちに貼られていて、サッカ-が街の中に溶け込んでいるという印象だった。

 日本の話である。10日早朝にフジテレビ系で生中継された決勝戦「イタリア対フランス」の視聴率は延長戦開始前までは平均11.6%、延長戦以降の平均視聴率(関東地区)が16.6%だった(ビデオリサーチ社調べ)。この数字をどう評価するか。NHKが6月23日早朝に生中継した日本ブラジル戦は22.8%(関東地区)だった。実は、この数字は意味深い。この数字を04年8月13日未明から早朝に行われたアテネ五輪開会式の中継と比べると、その視聴率は12.7%(NHK、関東地区)だったので、少なくとも平均してオリンピック並みに視聴率が取れたわけだ。しかも日本チームが出場していない試合である。

 松井秀喜選手やイチロー選手がアメリカ大リーグに移籍してから、アメリカの野球をテレビで観戦する大リーグファンが増えた。同様に、サッカーの醍醐味を楽しむという習慣が日本人に定着してきた、ということなのだろう。未明から早朝の10数%というのは、相当の覚悟と意欲がないと視聴できない時間帯だけに、ゴールデンタイム(19時-22時)の数字より価値がある。その数字は、単なる視聴率というより、意識調査のようなものだ。「あなたは寝不足を覚悟でサッカーW杯をテレビ観戦しますか」…YES16.6%。

⇒11日(火)午後・金沢の天気  あめ