⇒メディア時評

☆メディアのツボ-38-

☆メディアのツボ-38-

 宮崎県の官製談合事件での前知事の辞職に伴う出直し知事選がきのう21日行われ、新人の元タレント・そのまんま東氏(49)=無所属=が初当選を果たした。知名度を生かし、草の根選挙を展開。入札制度改革や農産物を「そのまんまブランド」として売り出すことなどを訴え、激戦を制した。

   「そのまんま東」トップにせず

  当初、「泡沫候補」とも言われていた元タレント候補が激戦を制したとあって、各新聞やテレビはトップニュースの扱いで報じた。ところが、このニュースを朝日新聞大阪本社はトップ扱いにしなかった。同じ朝日新聞でも、東京本社はトップだったのにである。大阪本社の一面トップは生活福祉資金の貸付金の272億円が未回収であることを報じたものだ。ホットなニュースである「そのまんま東氏当選」は準トップだった。なぜか、である。

  きょう、私が担当する「プロと語る実践的マスメディア論」の授業の中で、その答えを直接聞くことができた。授業で講義をお願いした朝日新聞大阪本社の嶋田数之編集局長補佐が授業の中でこう説明した。「確かに、(そのまんま東氏の)当選はニュースだ。しかし、未知数のものをトップで扱って、最初から持ち上げることはできない」と編集判断で抑制を効かせたことを語った。

  その背景の一つは、「横山ノックの記憶」がまだ新しいからだろう。大阪府知事だった横山ノック氏は1999年、APECの成功など実績も評価されて2期目の選挙で235万票という大阪新記録の得票によって再選された。しかしその選挙活動の際に自陣営の運動員をしていた女子大生にセクハラをしていたことが選挙終了後に発覚し、当初は否定して2期目に就任したものの、同年12月に強制わいせつ罪で在宅起訴され、2000年1月に辞職に追い込まれた。

  嶋田氏が「未知数」というのも、今回の選挙は官製談合事件が背景にあり、田中康夫氏(前長野県知事)の「脱ダム宣言」のように新しい政治の風をつくったというわけではない。さらに、1998年に当時16歳の少女からいかがわしいサービスを受けて、児童福祉法違反で事情聴取を受けるなど、「横山ノックの記憶」と微妙にダブってくる。トップ扱いにするには、確かに「未知数」な部分が多い。

  当選後の会見で、そのまんま東氏は本名の東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお)で今後、政治活動をしていくと言う。確かに、選挙中もかつての同僚のタレントの応援を断って草の根運動を「マラソン」で展開した。それだったら、「脱タレント宣言」をして、立候補の段階から本名を名乗るべきだったろう。

  当選のニュースを聞いて、何人かと話題にした。すると、「宮崎県政はさらに混乱するのではないか」との話になり、巷間では決して好意的には受け止められていない。当選は驚きであったが、期待感がついてこない。この意味でも、ニュース価値としてトップにしなかった朝日新聞大阪本社の扱いはプロの冷静な判断であったと言える。

 ⇒22日(月)夜・金沢の天気  くもり

★メディアのツボ-37-

★メディアのツボ-37-

 これからのテレビメディアを考える上で、ポイントとなるのがデジタル化後のビジネスモデルだ。広告収入の伸びが期待できない現状で、ITを使って、さらに地デジという新たなメディアツールを駆使してテレビ局はどのように広告放送以外の収入(以下、放送外収入)を得ればよいのか…。このテーマで、「地デジとコマース~新たな事業の可能性を探る~」研究会(月刊ニューメディア編集部主催)が昨年10月、金沢大学などで開かれた。全体コーディネーターを担当した立場から今回の論議のポイントをまとめてみた。

  テレビ局がモノと向き合う時

 「単なる物販サイトではない。地域おこしの心意気でやっている」。北陸朝日放送(HAB)業務部、能田剛志部長は力を込めた。講演タイトルは「ECサイト『金沢屋』の6年で得たローカル独自のコマース展開とは」。放送エリアである石川県の地場産品にこだわり、この6年で生産者とともに100余りの商品を開発した。商品の採用が決まると、プロの写真家とライターが現地に入り、取材する。生産者の人となりや商品ができるまでの物語がテキストベースで紹介される。単に商品の画像を並べただけのショッピングモールとは異なり、手間ひま(コスト)をかけている。そのせいもあり、売上は緩やかな右肩上がりであるものの、単年度の黒字決算には至っていない。「(単年度黒字は)08年を目標にしている」と。今年5月、姉妹サイトとして「山形屋」(山形テレビ)が誕生した。システムと運営ノウハウを系列局にのれん分けするほどになったのである。

  「注文を受けた豆腐が崩れて配達されたらどうするか」。金沢屋での意見交換のときに出た実際にあったケースだ。HABは配達先(北海道)からの苦情で即、同じ商品を別便で送り注文主の許しを得た。と同時に、最初に配送した運送会社には集配上のトレーサビリティ(追跡可能性)に弱点があると判断して別の運送会社に変更した。こうして受注、生産、配送、決済という一連の流れの中で発生した大小の問題点を一つひとつ改善した結果、受け取り拒否や返品は極めて少ない。能田氏は、放送外収入としてコマースはすぐに儲かる事業ではないとした上で、「これまでテレビ局は視聴者の顔を見ないで視聴率ばかり気にしていた。その延長線で、売上高だけを気にして顧客対応をおろそかにしたらビジネスは成り立たないだろう」と従来のテレビ局の発想でコマース事業を展開することを戒めた。

  「地元テレビ局は商店街とIT連携をどう展開すればよいか」のタイトルで講演した金沢大学経済学部、飯島泰裕助教授はITを駆使して地域をどのように活性化するかをテーマに数多くの事例を手がけてきた。輪島市の山村集落である金蔵(かなくら)地区では、お年寄りたちが稲はざで天日干した米を「金蔵米(きんぞうまい)」のネーミングで売り出している。ところが地元の店頭ではなかなか売れない。そこで飯島ゼミの学生たちがブログで金蔵の丁寧な米作りづくりを紹介して、食にこだわりを寄せている人たちのブログに片っ端からトラックバックを貼った。すると徐々に手応えが出てきて、生産量は少ないもののブランド米としての道を歩むきっかけをつくった。「Web2.0」のコミュニティ形成力を活用して、学生が支援に乗り出した事例である。そこで、飯島氏は、「表現者のプロとしてのテレビ局ならばもっと多彩なことが展開できるはず。ITを組み合わせれば、地域の特色ある生産者や商店街の人たちとテレビコマースを連動させた多様なコンテンツができる」と指摘した。

  続いて、「生産者にとって使い勝手のよいECサイトと放送局への期待」の演題で話した「夢一輪館」(石川県能登町)、高市範幸代表は生産者として熱く語った。「頑張っている生産者というのは得てして口下手、売り込むのも下手。ホンモノを掘り起こし伝えてくれるメディアこそ生産者にとって使い勝手がいいのです」と。高市氏は前述の金沢屋に出品する生産者の一人。「畑のチーズ」(豆腐の燻製)や「牡蠣いしり」(魚醤)のヒット商品はコマースがなければ世に出なかったかもしれない。むしろ、コマースサイトの運営側と生産者のよい関係から生まれたシナジー(相乗効果)とも言えるだろう。

  ホンモノの時代とテレビではよく叫ばれるが、テレビ局自身はリアルな「モノ」を扱ってこなかった。2000年ごろからテレビ局の何社かはショッピングサイトを立ち上げた。しかし、その多くはテレビのメディアパワーを背景にした「テナント」であって、自らモノを扱ったわけではない。結局、楽天など「銀座の目抜き通り」となったサイトに店子は流れていってしまった。そして、地デジ時代という新たなメディア環境に入って、コマース事業の再構築に迫られている。そこで何を売ればよいのか、どう商品の独自開発を行うのか、テレビ局が本気でモノと向き合わなければならない時代になったと、今回の研究会で改めて実感した。

 ⇒17日(水)午後・金沢の天気  くもり

☆メディアのツボ-36-

☆メディアのツボ-36-

 テレビ局には「モルモット」といわれる番組がある。深夜帯にこれまで使わなかったタレントを起用して試しに番組をつくる。それが、視聴率を稼げると判断するとゴールデンタイムなどに持ってくる。実験動物にたとえた「モルモット番組」はタレントだけでなく、若手のディレクターの登竜門になったりする。 しかし、得てしてこのような野心的な番組には落とし穴が多い。

     「モルモット番組」

 その代表格の番組がテレビ朝日系・火曜日夜9時の「ロンドンハーツ」かもしれない。何しろ、系列内部では「平均14%を超える高い視聴率をマークした」と評判がすこぶるいい。中でも05年10月に放送された「青木さやかパリコレへ!」は19.2%を獲得して、裏番組のガリバー「踊る!さんま御殿!!」を9.8%と1ケタに落とすというテレ朝にとっては「快挙」も成し遂げた。

  正確に言うと、「ロンドンハーツ」は冒頭に記したモルモット番組ではない。同じテレビ朝日系の深夜0時45時の番組「ぷらちなロンドンブーツ」の主力スタッフが制作していたため、「ぷらちな」のゴールデン昇格番組と思われているが、実際は99年のスタート同時期では「ぷらちな」も放送されていたので兄弟番組である。

  落とし穴というのは、その後、「ロンドンハーツ」は日本PTA全国協議会が小学5年生と中学2年生の保護者らを対象にした「子どもとメディアに関する意識調査」で、子どもに見せたくないテレビ番組の1位になる。しかも、3年連続である。PTAの調査内容をもう少し細かく紹介すると、「ロンドンハーツ」は親の12.6%が見せたくない番組に挙げ、2位の日本テレビ系「キスだけじゃイヤッ!」(8.3%)を大きく引き離している。若者には14%を超える人気番組かもしれないが、子を持つ親には「2ケタもの反感」を買っているのだ。

  これまで見た番組の印象では、女性タレントが言い争うコーナー「格付けしあう女たち」が人気のコーナーだが、冷静に考えば、ギスギスした人間関係を助長し、「だからそれが何だ」と思いたくもなるシーンもある。そしてコーナータイトルも「ドすけべホイホイ」など、子どもからその意味を聞かれて親が返答に窮する内容なのだ。

  テレビ局側は「頭の固いPTAが感情論で…」などと軽んじないほうがよい。子どもを持つ親たちは感情論ではなく、医学や発達心理学の論拠を得て理詰めで、テレビが子どもたちに与える影響を考え始めている。そして、NHKを含めテレビ業界を見つめる社会の目は年々厳しくなっている。

 野心的で若手ディレクターの登竜門となる番組を制作をすることはテレビ局の生命線である。ただ、その評価の尺度が視聴率だけであってよいのか、いまがその価値基準に一定の線引きをする潮目の時だろう。

 ⇒10日(水)朝・金沢の天気  くもり

★メディアのツボ-35-

★メディアのツボ-35-

 一部の事務職を法定労働時間規制から外し、残業代をゼロとする「日本版ホワイトカラーエグゼンプション」制を導入するための労働基準法改正案は、今月25日召集予定の通常国会への提出が微妙になってきる。これには、与党内に「賃金の抑制や長時間労働を正当化する危険性をはらんでいる」(丹羽自民総務会)といった慎重意見があるためだろう。

    残業「青天井」のワナ

 法案を出す出さないは内閣が今夏の参院選挙をにらんだり、各種の経済指標と照らし合わせてを決定することで論評する気はない。ただ、私自身、この残業問題というのは、この言葉を聞いただけでも正直うんざりするくらい憂鬱な気分になる。この問題で2年間苦しんだことがある。

  民放テレビ局の部長だったころ。もう6年前のことだ。その頃、民放業界では高収入にもかかわずら20代や30代の社員が自己破産するという現象が相次いでいた。その構図は実に単純だった。報道記者や制作ディレクターは残業が上限なしの「青天井」だった。すると月80時間ぐらい残業をすると数十万円になる。これを「第二本給」と称していた。第一と第二の本給を合算すると非組合員である部長クラスの給料を軽く超えるくらいになる。恒常的に続くとこれが当たり前になり、高級車や一等地のマンションをローンを買う。ところが、社内異動となり総務や編成といった事務部門に回されると途端に残業が少なくなり、組んだローンが返せなくなり、デフォルト(債務超過)に陥るというパターンなのだ。当時「独身貴族」と称された層に多かった。

  これは当時、東京のキー局の事例で聞いた話だ。報道部門から営業部門に異動となり、ある20代の男性社員が「残業のワナ」にはまってしまったことに気がついた。その社員は残業代を何としても稼ぎたいので、しなくてもよい残業をするようになった。そうなると机にかじりつくようにして離れない。用件もないのに残業をしているので上司が「そんな残業は認められない」というと、「訴えてやる」と社員はくってかかるようになった。残業代を稼ぐために「理由なき残業」をする。完全な労働のモラルハザートに陥ってしまった。

  自分自身の話に戻る。そのころ報道記者職にも裁量労働制が法的に認められていた。一定の時間分を固定的に残業代として支給し、さらに記者に不利益が出ないようにフレックス制(出退社時間を自分で調整)とセットで導入した。その導入までの2年間は職場討論を繰り返し、その導入までのプログラムとスケジュールの作成、要は何を基準にして固定時間数(見なし残業)を算出するか苦痛の連続だった。そのころテレビ業界でも数社が裁量労働制の導入を組合に提案し、ことごとく潰されていた。かろうじて1社が導入したが、組合との軋轢を生む要因になっていた。

  一人ひとりの出勤簿に記載された残業時間とその理由の分析は深夜に及ぶ孤独な作業だった。それを1年間続けた。「これで誰も損はしないはず」と導入に踏み切った後も、あからさまに不満を口にする者もいた。他人の給料に手をつけることの怖さである。

  いまでは報道職場の残業が青天井というテレビ局は少ないだろう。CM収入が落ち込む中、特にローカル局はデジタル化投資の返済で自社番組の制作予算そのものを抑制している。ニュース番組の枠も縮小傾向にある。独身記者のデフォルト問題はもう過去の話かもしれない。

 ⇒8日(祝)午後・金沢の天気  くもり

★メディアのツボ-34-

★メディアのツボ-34-

 「ちょっと待て」と言いたい。今回のNHK紅白歌合戦で不評を買った、DJ OZMAのヌードスーツについてのNHKの釈明が問題だ。

    公共放送の「トップレス」事件    

  NHKホームページの紅白歌合戦のページでお詫びが出た。3日午後11時ごろにチェックした。文面は以下だった。「DJ OZMAのバックダンサーが裸と見間違いかねないボディスーツを着用して出演した件について、NHKではこのような姿になるということは放送まで知りませんでした。衣装の最終チェックであるリハーサルでは放送のような衣装ではありませんでした。今回の紅白のテーマにふさわしくないパフォーマンスだったと考えます。視聴者の皆様に深いな思いをおかけして誠に申し訳なく考えております」

  ところが、インターネットのポータル(ヤフーなど)のニュースで「NHKがDJ OZMAを突き放す」などと掲載されると、今度はその紅白ページのくだんのお詫び文を消去したのである(4日午前1時30分現在)。「ちょっと待て」と冒頭に書いたのは、そうした「お詫び掲載」と「消去」の真意と一貫性がどこにあるのかと問いたいからである。

  もともとお詫びには、「責任の所在はNHKにはない。DJ OZMAがゲリラ的にやったことで、NHKも被害者だ」というニュアンスが感じられた。これはこれで問題なのだが、他メディアに取り上げられたから消去する(隠滅という表現が正確かもしれない)というのは合点がいかない。

  こう推測した。このお詫び文は、ヌードスーツの反響の大きさに反応した現場の責任者(プロデューサークラス)判断でホームページ制作担当者に指示してお詫び文をアップロードした。その後、そのお詫び文がさらに他メディアに取り上げられ、上部層の知るところとなった。そして、上部層がホームページのアップを指示した責任者に「橋本会長の会見前に火に油を注ぐことはするな」と一喝したのだろう。そこでお詫び文を消去した。そんな構図が見えるようである。

  ともあれ、きょう4日のNHKの橋本会長の記者会見の釈明を聞きたい。何しろ、この公共放送のヌードスーツ事件、すでに「国際ニュース」になっているのである。※写真はヤフー・アメリカで掲載されたロイター電

                                       ◇

 NHKの橋本会長は4日、職員に向けた年頭のあいさつで、「視聴者に不快な思いをさせるパフォーマンスがあり、『これがNHKの品格か』と厳しい意見をいただいた。視聴者に方々に申し訳なく思う」と謝罪した(サンケイ新聞インターネット版)。

⇒4日(木)朝・金沢の天気   くもり

☆メディアのツボ-33-

☆メディアのツボ-33-

 前回の「自在コラム」はある意味で痛烈な政治批判でもあった。何しろ、ある国会議員の個人名を挙げて、「タウンミーティングの『やらせ』は実は事務方がピントがずれている大臣のことを思い悩んでしたことではないのか」との主旨のことを書いたのだ。

     批判対象者との遭遇、沈黙の10数秒

  そのおさらい。政府のタウンミーティング調査委員会の最終報告書(12月13日)を読んでいくと、15回の「やらせ」のうち6回が法務省がらみ。04年12月18日(東京)、05年1月15日(香川)、05年4月17日(宇都宮)、05年6月25日(金沢)、05年10月23日(那覇)、06年3月25日(宮崎)の6回のうち、宮崎を除く5回で一致点があった。そのすべてに当時の法務大臣、南野(のおの)知恵子氏(参議員)が出席していた。南野氏と言えば、04年8月の第2次小泉改造内閣で法務大臣に就任して以来、「なにぶん専門家ではないもので」と述べて失言が取りざたされていた。もともと看護婦さんだったので、支援団体は日本看護協会。法務とは畑違いなので、前述のような発言になったのだろう。

  ここからは推測の域を出ないのだが、法務省の事務方は、南野氏が大臣に就任して以来、自信のなさからくる失言に神経をつかってきた。国会の場ならあらかじめ質問が分かるので用意できるが、タウンミーティングとなるとどんな質問が飛び出すか分からない。そこで、「やらせ発言」を苦肉の策として考えた、と推測である。森山真弓氏が引き続き大臣だったらこんな「やらせ」はなかったろうとまで書いた。前回、ここで話は終わっている。

  きょうはその後日談である。この批判コラムを書いたのは12月16日である。その3日後、私(筆者)はその南野知恵子氏とエレベーターで遭遇することになった。

  場所はイチョウの枯葉が舞い散る国会議事堂近くの参議員会館。19日、ある用事で訪れた。打ち合わせが終わり、地下の食堂で食事をして再度、訪問先の4階の部屋に向かおうとエレベーターに乗り込んだ。すると「待って」という声と同時に2人の女性がドカドカという感じで入ってきた。その2人のうちの1人がまぎれもない南野氏だった。身長は150㌢ぐらいだろうか、それまでテレビでしか見ていなかったので実物は随分と小柄だ。そして、すっかりトレードマークとなったピンクの上下は実に目立つ。

  時間は午後1時30分ごろ。南野氏は3階で降りた。遭遇はそれこそ沈黙の10数秒だったろう。その必要もないのだが、言葉が思い浮かばない。他の人にはいつもの空気だったろうが、私にとってはなんとも落ち着かない異様な雰囲気であった。何しろ、ブログでつい先日書いた人物が、目の前にその存在感を持っていきなり現れた。たじろぐのはこちらの方だ。

 周囲の人と共有するものが何もなく、ブログとはかくも個人的の世界なのだと実感した瞬間でもあった。つまり、私の意識の中で起きたちょっとしたハプニングだった。結論めいたものはなく、話はこれで終わる。

 ⇒21日(木)朝・金沢の天気   はれ

★メディアのツボ-32-

★メディアのツボ-32-

 12月14日付の新聞各紙に、「金沢の司法改革タウンミーティングでも『やらせ』」の見出しが躍った。一連の政府主催のタウンミーティングは01年6月からことし9月まで174回開かれ、うち金沢など15会場で国から特定の発言内容の依頼を受けた52人が発言したというもの。これが「やらせ発言」あるいは「世論誘導」に当たると物議をかもしたのである。

     広聴からイベントへの変質

  政府が発表した「タウンミーティング調査委員会最終報告」(今月13日)をもとに金沢でのタウンミーティングの「やらせ」を検証すると、法務省から金沢地検と金沢地方法務局に質問者探しの指示があった。実際、去年6月25日のタウンミーティングでは地検や法務局の職員の友人・親戚3人が発言した。

  それぞれが「(裁判員制度になった場合)アメリカのマイケル・ジャクソン訴訟のように、テレビ報道が加熱すると裁判員が公平に判断できるかどうか心配」、「司法を身近にするため、社会的に関心が高い裁判を国会のようにテレビ中継すべきではないか」「司法過疎とはどういう意味か、石川県にも司法過疎地域があるのか」と質問した。

  質問の内容的にバリエーションがあって面白い。しかし、広辞苑によれば、「やらせ」は事前に打ち合わせて自然な振舞いらしく行わせることなのだから、まさに「やらせ」である。

  そして、最終報告書を丹念に読んでいくと、なぜ15回の「やらせ」のうち6回が法務省がらみなのか理解できる思いがした。04年12月18日(東京)、05年1月15日(香川)、05年4月17日(宇都宮)、05年6月25日(金沢)、05年10月23日(那覇)、06年3月25日(宮崎)の6回のうち、宮崎を除く5回で一致点があった。そのすべてに当時の法務大臣、南野(のおの)知恵子氏(参議員)が出席しているのである。

  南野氏と言えば、04年8月の第2次小泉改造内閣で法務大臣に就任して以来、「なにぶん専門家ではないもので」と述べて失言が取りざたされていた。出身母体は日本看護協会、もともと看護師である。畑違いだった。

  ここからは推測の域を出ない。金沢のタウンミーティングでも、南野大臣が「仕込み」の質問に答えた。その際、回答案が用意されていたという。つまり、法務省の事務方は、南野氏が大臣に就任して以来、「専門家ではない」自信のなさからくる失言に神経をつかってきた。国会の場ならあらかじめ質問が分かるので用意できるが、タウンミーティングとなるとどんな質問が飛び出すか分からない。そこで、「やらせ発言」を苦肉の策として考えた、と想像する。

  法務省の事務方は「森山真弓さんが大臣だったころはこんな苦労はせずに済んだのに」とボヤいているに違いない。確かに森山法務大臣(01年ー03年)在任期間中のタウンミーティングでは「やらせ発言」はなかったのである。

  事務方の苦労は理解できないわけでもないが、タウンミーティングは小泉前総理が所信表明演説(01年5月)で「国民が政策形成に参加する機運を盛り上げいきたい」と述べて、国民の声を聴く集いがスタートした。つまり趣旨は「広聴」なのだ。それが、174回も重ねられ、いつのまにか変質し、質問にうまく答えたかというトークショーのようになってしまった。つまりイベント化したのである。

  その変質の一端を担ったのは、タウンミーティングを政府から高額で請け負った電通と朝日広告社であることはいうまでもない。もともとイベントになりかねない素地があったと言える。

 ※写真はバチカン宮殿「アテネの学堂」(ラファエロ作)

 ⇒16日(土)夜・金沢の天気  くもり

☆メディアのツボ-31-

☆メディアのツボ-31-

 過日、ある大手新聞社の世論調査担当の記者と話す機会があった。「世論調査は調査自体が難しくなっている」と随分と危機感を募らせているという印象的だった。

     悩み多き世論調査

  大手紙の全国調査は選挙人名簿から3000人を地域的や性別・年代などの偏りがないように無作為で選び、「有権者全体の縮図」をつくる。全国の有権者は1億330万人(05年)なので、1人がおよそ3万人余りの代表となるわけだ。ちなみに私が住む石川県の場合だと28人が調査対象数だ。

  世論調査は大きく分けて、対面調査、電話によるRDD(ランダム・ディジット・ダイヤリング)、郵送によるものの3つがある。「調査自体が難しくなっている」というのも、面接の場合だと核家族化が進んだせいで在宅率が低い、防犯意識の高まりでインターホンの段階で門前払い。電話だと「オレオレ詐欺」や「振り込め詐欺」の影響で電話が鳴るだけで不審感が先立つことが多くなった社会風潮もあり、のっけから断られる。あるいはナンバーディスプレーが普及して、知らない電話番号は受話器を取らない人が多くなった。郵送は回収率が低い。

  こんな状態なので、面接調査だと80年代は回収率80%だったものが、最近は60%ぐらいの回収率が目立つ。調査現場では苦戦を強いられているのだ。確かに調査人の質の問題もあるだろう。調査人にはアルバイトの学生も多く、中には一回目の調査でけんもほろろに断られると意欲を失う者もいる。粘って食い下がるという若者が少なくなったのかもしれない。

  回収率が低いということは調査の品質が低下していると同義語である。かといって、登録制による調査のような「協力的な人」や、割と親切に答えてくれる高年齢の「在宅率の高い人」に偏った調査では民意は反映できない。忙しく、つっけんどんで、言葉のきつい人にも調査をしなければならない。無作為とはいえ、有権者3万人の中から選んだ人なのだ。「忙しいから」と断れたくらいで簡単に引き下がっては調査にならないので、再度アポを取る。すっぽかされてもまた翌日、ドアをノックする。これが世論調査の基本だろう。

  世論調査という民意が劣化したら、おそらく内閣や政党の信任の度合いのバロメーターが機能しなくなる。また、個々の重要な政策についてもマスメディアそのものが論評する根拠を失ってしまう。つまり議会制民主主義の補完機能が失われるのだ。

 ただ、マスメディアが行う世論調査で異常に関心を呼ぶものがある。投票前の選挙情勢調査と投票場前での出口調査だ。ところが、投票が終了していないにもかかわらず、候補者の選対本部がマスコミ各社の中間集計の情報を知っていて、マスメディア内部での情報漏えいが問題になったりする。あるいは、投票が終わった直後に選挙特番が始まり、出口調査の精査と分析をしないまま生データだけをグラフにして、「大躍進」や「惨敗」の見出しを躍らせるテレビ局も多い。そして誤報が繰り返されている。

 日ごろの地道な世論調査が回答拒否や回収率の低下という大きな壁にぶつかっている一方で、数年に一度の華々しい選挙調査ではモラルハザートを起こしている。調査対象者の変化を嘆く前に、マスメディア自体に問題、あるいは危機感というものがないのだろうか。

 ⇒26日(日)朝・金沢の天気  くもり

☆メディアのツボ-30-

☆メディアのツボ-30-

 朝日新聞大阪本社の社会部記者(41)が和歌山県発注工事をめぐる談合事件で、ゴルフ場経営者(56)から、餞別名目などで15万円を受け取っていたとされるニュースがいろいろと憶測を呼んでいる。

     臆すること、マイナス思考の螺旋

  記事によると、記者はゴルフ場に生息してたオオタカの取材をきっかけにゴルフ経営者と知り合った。そして、02年8月に記者が異動する際、餞別として封筒を受け取り、04年9月に大阪本社に戻った時にも、出産祝いとして封筒を渡された。記者は「いつか返そう」と思い、封筒の封を切らずにカンバに入れていた。ところが、今月15日に一部の情報誌が「ゴルフ場経営者が大手紙記者に現金百万円」とする記事を掲載したことから、記者が上司に報告した。そして、未開封だった封筒を弁護士立ち合いで開けて、異動祝いが10万円、出産祝いが5万円だったことが分かったという。

  私はこの記者の心境が理解できない。なぜ4年間も封を開けずに、いつか返そうと思っていたのか。そんな思いが募っていたのであれば、即返せばいい。この記者は41歳である。ジャーナリズムの世界に浸っていたのであれば、その良し悪しが瞬間的についたはずである。それをわざわざ弁護士立ち合いのもとで封を切るいうのは狡猾である。もらったのは事実で、「うかつでした」と釈明すればいい。それをわざわざ弁護士立ち合いで封を切る必要性と意味合いがどこにあるのか。

  私も新聞記者時代に同じような経験がある。駆け出しのころだ。金沢市の郊外のお祭りの取材に出かけた。すると、顔見知りの世話役の人が、「記者さん、ご苦労さま」と封筒を差し出した。私は新人だったが、それが何であるかピンときた。30年も前、そのころはおおらかな時代で、ご祝儀は断るものではないという風潮だった。でも、私は後ろめたい気がして、一計を案じた。そして、そのまま「ありがとうございます。では、お祭りの寄付金にさせてください」と封筒の宛名を町会にして返した。すると、その世話役の人は「お祭りの寄付だったら受け取らない訳にはいかないね」と言って、受け取ってくれた。

  いったん手にしたご祝儀をいつまでもカバンに入れて、「いつか返そう」という心理に何か不自然さを感じる。「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」ということわざがあり、記者仲間でもよく論議になる。自ら血まみれになる覚悟で現場に入り、そこでしか知りえない事実を仕入れる。そんな気構えがなければ記者はつとまらない。ところが誤解を招くということに過敏になっている記者はそんな場に躊躇する。そして発表文だけで書いている記者のなんと多いことか。そのことこそが問題なのだ。

  この記者は虎穴に入って取材を重ねた。それは記者の本分であり原点である。返さなかったのはミステイクである。だから弁護士立ち合いということを「免罪符」にせず、受け取りましたと正直に言って社内の処分を粛々と受ければいいのである。いまさら弁護士を立ち合わせるような小細工をする必要がどこにあるのか。消防士が火の粉を払うように、記者は取材先のワナにはまらないようにとっさの判断をするのは当然である。それが出来なかったのであれば謝るしかない。それが記者という職業ではないのか。ここで沈黙して、マイナス思考の螺旋に陥る必要はない。

 もし「それ以上のこと」を会社が言ってきたら、「それじゃ、先輩記者を含めてここ10年以内に取材先から祝儀をもらったすべての記者に自己申告をさせてください」と凄めばいい。堂々としていればいいのである。

 ⇒21日(火)夜・金沢の天気 くもり

★メディアのツボ-29-

★メディアのツボ-29-

 「ITの伝道者」、あるいはカヤックでの冒険家としても知られる月尾嘉男氏(東大名誉教授)の講演が金沢大学であり(11月10日)、その打ち上げの席でお話しする機会を得た。月尾氏はある東京キー局の番組審議会の委員長もしており、なかなかテレビに関して辛口である。「日本が滅びるならテレビから滅びる」と。

   「パンとサーカス」とテレビ

  月尾氏は文明批評家でもある。金沢での講演では、経済優先主義で没落したカルタゴ、造船の技術革新に出遅れたベネチアなどの事例を挙げ、「現代の日本は歴史に学ぶべき」と。

  「では、なぜテレビから滅びるのか」。月尾氏の持論はこうだ。世界最大の消滅した国家は古代ローマ帝国である。末期になり腐敗した帝国は「パンとサーカス」の政策で国家を維持しようとした。ローマ市民には食料と娯楽を無料で提供したのである。巨大なコロセウムで開催される残虐な闘技、いつでも利用できる巨大な浴場を無償で提供する愚民政策により、政治への不信、社会への不満を解消しようとしたのである。そして市民が娯楽に耽った結果、ローマ市民が蛮族と蔑視していたゲルマン民族により、帝国は短期で崩壊した。衰退の原因はサーカスであった、と月尾氏は強調する。

  その現在のサーカスがテレビ放送なのである。月尾氏は番組審議委員に就任し、いくつもの番組を視聴することになる。そして、レベルの低さに驚嘆する。背景となる知識のない芸人が社会を評論する番組、占師の独断と偏見に満ちたご託宣に若者が感嘆する番組、学者が世間に迎合するためだけの意見を開陳する番組など。50年ほど前、ジャーナリストで批評家だった大宅壮一が喝破した「一億総白痴化」は着実に進行していると実感する。

  そして日本の広告市場のうち2兆円余りがテレビ業界に投じられる。古代ローマ帝国が各地に壮大なコロセウムや浴場を建造し、そこでの娯楽に巨額を投入してきた状況と似ている。古代では大衆が歓迎するということが唯一の評価基準であり、現代日本では視聴率が唯一の達成目標となっている。どのように低俗であろうとも、その勝負に勝利すれば勝者であり、制作を担当した人間は名ディレクターであり、大物プロデューサーとなる。

  さらにテレビの問題は、何事も画像で表現しようとすることだ。人間の重要な能力は物事を抽象し、言葉で表現し文字で記録することである。しかし、テレビは最初に画像ありきで、一字一句までをも画像で表現しようとする。このため日本人は現実を抽象する能力と、言葉から現実を想像する能力を急速に喪失しつつある。最近の若者の短絡した行動は、この能力の喪失と無縁ではない、と。月尾氏のテレビ批評は尽きることはない。

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