⇒メディア時評

☆メディアのツボ-48-

☆メディアのツボ-48-

 能登半島地震の被災現場を訪ねた(26日)。家屋被害が集中しているのは、輪島市門前町や河井町などだ。中でも、門前町道下(とうげ)地区では一気に50戸が全壊し、余震があるごとにその数が増えている。以下はそこで見たマスメディアの光景だ。

     倒壊の瞬間を期待するカメラマン

  道下には地元テレビ局をはじめ、東京キー局のSNG車(通信衛星を使った映像素材をリアルタイム伝送)が6台あった。NHK、日本テレビ、TBS、新潟テレビ21(テレビ朝日系)、テレビ東京、石川テレビ(フジ系)と日本のテレビ系列が勢ぞろいしている。朝、昼、夜のニュース番組に中継を入れるためだ。

  通りを歩いていると、テレビカメラを据えつけたグループがあった。中には、スチールカメラを持ったカメラマンもいる。彼らが見つめて方向はただ一点。道路向こうの傾きかけた家屋だ。この家屋が余震で倒壊する瞬間を撮影するためだ。この日も14時46分に震度5弱の揺れがあり、被害は拡大している。

  プロのカメラマンとすると、家屋倒壊の瞬間というのは迫力ある映像に違いない。しかし、住民感情に立てば、隣家が砂ぼこりを立てながら崩れ落ちるを見るのは忍びない。ましてやその家の持ち主にとってはいくら修復は難しいとはいえ、家が倒壊する姿を見るのは心痛だろう。

  確かに、クールにマスメディアの論理で考えれば、被害状況が迫力ある映像を持って放送されることにより、国や地方自治体を動かし、復旧活動も進むという効果はある。しかし、いま住民はそこまで考えてはいない。

 人権侵害でもなく、メディアスクラム(集団的過熱取材)でもない。が、崩れ落ちるのを期待して待つカメラマンの存在に静かな憤りを感じる。これが率直な住民感情であろう。

 ⇒27日(火)朝・金沢の天気  はれ  

★メディアのツボ-47-

★メディアのツボ-47-

 関西テレビの「発掘!あるある大事典」のデータ捏造問題で、関テレが委嘱した外部調査委員会は3月23日、調査報告書を公表した。報告書は150ページ余り。小委員会で元検事の弁護士18人を配置し、事件捜査の手法で、かつての番組関係者、広告代理店担当など70人から「事情聴取」を行った。延べ5000時間、2ヵ月かけて520回の番組すべてをチェックし報告書をまとめた。内容は相当に厳しい。報告書要旨に関しては24日付の朝日新聞が詳しい。

     浮かび上がった「捏造現場の闇」

  問題があった番組は「納豆ダイエット」(07年1月7日放送)を含め16番組。その内訳は、日本語のボイスオーバー(吹き替え)による捏造4件、データ改ざん4件、そのほか実験方法が不適切であったり、研究者の確認を取ってないものが8件となっている。「調査委員の指摘」の欄では委員の憤りを感じることができる。「足裏刺激でヤセる」(06年10月8日放送)では「中性脂肪などの数値で実際には増加している被験者もいるのに減少者のみ(のデータ)を採用している」と指摘し、「狡猾(こうかつ)に番組テーマに沿って視聴者の心理を操作する演出をしている」とコメントをつけている。これが刑事事件だったら、詐欺罪が成立しそうな「論告文」の書き方ではある。

  報告書では関テレの責任についてこう記述している。番組を捏造した責任は再委託(孫請け)先の制作会社(「アジト」など)にあるものの、委託した日本テレワークとのその制作担当者、さらにその管理・監督する立場にある関テレのプロデューサーら番組制作担当者はその不正をチェックし、防止することができなった。また、これまで健康情報を扱った番組の不祥事が相次いだが、放送責任を負う関テレの経営幹部には危機意識が薄く、再発防止のための内部統制の仕組みを構築するなどしてこなかった。これは「(関テレの)構造的な要因」とし、「関テレの取締役と番組の制作担当者らの社会的責任は極めて大きい」と指摘している。

  問題は、これら一連の不正が放送法3条の2第1項3号にある「報道は事実をまげないですること」に抵触しているかの解釈についてだ。新聞掲載の報告書要旨によると、「『発掘!あるある大事典』は報道そのものには当たらないとし、さらに関テレ側は捏造を見過ごし、結果として事実に反する内容を放送したものの、「この規定に違反したとまではいえないと考える」としている。つまり、関テレが意図的に事実を曲げたわけではない、との解釈である。

  放送法との照らし合わせによる指導や処分は、関テレが総務省に3月27日に提出する最終報告書を見ての総務省判断となるが、行政指導ならば「厳重注意」「警告」、あるいはもっと重く行政処分ならば「電波停止」「免許取り消し」となる。ただし、日本のテレビ放送の歴史53年間で行政処分が発動されたことはない。

  今回の報告書で注目したいのは再発防止への提言。ポイントは2点である。一つは経営側のコンプライアンス(法令遵守)。取締役会決議による番組制作ガイドラインや倫理行動憲章の制定と情報開示、社外取締役の選任など。二つ目は番組制作現場のコンプライアンス。番組を制作する過程での注意事項をまとめたチェックフローを作成し、捏造や人権侵害を内部的に監視する考査部門を増強することなど。中でも、制作現場における制作者の良心を養護する役割を担う「放送活性化委員会(仮称)」の設置提案は目を引く。

  この意味は、逆に言えば、これまでの制作現場は自由闊達な論議の上で成り立っていたのではなく、制作ノルマに縛られ、一部のディレクターが有無を言わさぬ雰囲気をつくり、硬直化した制作現場だったことを伺わせる。業種は違っても、「不正の現場」の雰囲気はおおむね共通している。番組の問題点を洗い出した「ヤメ検」たちはこの「捏造現場の闇」を鋭く見抜いたのである。

 ⇒24日(土)夜・金沢の天気  雨

★メディアのツボ-46-

★メディアのツボ-46-

 日本の裁判で、弁護手法はこれでよいのか、と思う。被告を精神鑑定に持ち込んで、量刑を軽くする。その落とし込み先は決まって、外見は健常のように見えるが、健常ではない、いわゆる発達障害である。しかも、発達障害の中でも名前が聞き慣れない、アスペルガー症候群である。「病名からして精神病様状態なんです、だから量刑を軽く」と弁護士は公判の中でまくしたて、あえて争点にする。

  精神鑑定という弁護手法

  2005年12月、京都・宇治市の学習塾で女児(当時12歳)がアルバイト講師に刺殺された事件の裁判の判決が6日あり、被告に懲役18年の刑が言い渡された。この裁判で、責任能力の有無のために精神鑑定があり、上記のアスペルガー症候群と診断された。

  きょうの記事を丹念に読むと、「アスペルガー症候群に罹患(りかん)し…」という記事(朝日新聞)が出てくる。発達障害は先天性であり、伝染病などのように罹(かか)る病気ではないのである。この罹患という言葉を弁護側が使ったのか、裁判官が使ったのか、この記事では定かではないが、アスペルガー症候群や発達障害がきちんと理解がされないまま公判が進んだように思えてならない。

  発達障害ならば過去の診断歴があるはずである。第一段階として、小学校に入る前の予備検診があり、普通教育なのか養護教育なのかの判断にされる。中学、高校ではどうだったのか。発達障害でよく見られる奇声や繰り返し行動、言葉のオウム返し、ノッキング(体の前後ゆすり)などの行動のうち、いくつかあったはずである。裁判で罹患という言葉が使われていたとなると、「何かのきっかけ(後天的)に病気になった」という誤った認識が法廷にあったのではないか。

  これまでの公判では、謝罪の言葉を述べる一方、「僕を殺してください」「助けてください」と大声をあげるなど、異常な言動も目立った、と記事にある。アスペルガー症候群を裁判官に印象づけるための陽動作戦ではないのか、と私は勘ぐる。発達障害者は自分を対象化することができない。だから罪を苛(さいな)んで「僕を殺してください」などとは言わない。言うとすれば、死刑に対する恐怖から「僕は死ぬのですか。僕は死ぬのですか」と繰り返し叫ぶだろう。

  罪を軽くするために、精神鑑定で発達障害に持ち込み、それを声高に争点にすることに不信感を持つ。一人の被告の量刑を減らすために、罪なきアスペルガー症候群の人たちに「犯罪者予備軍」のレッテルを貼っているのと等しい。発達障害者支援法ができるなど社会救済の法整備が進んでいる一方で、このような障害を背負った人たちを巻き添えにする弁護手法がまかり通っている。一度ではない。犯罪が繰り返される度にエンドレスに病名が使われる。これこそ発達障害者に対する人権侵害ではないのか。

  判決を傍聴した被害者の父親は「反省はしていないと思う。『うそつき。娘を返せ』と言いたい」と話したという。被告は、被害者の入塾から事件当日まで9ヵ月間、個別指導と称して女児を繰り返し呼び出していた。公判を傍聴してきた母親は「平然と反省もなく娘のことを悪く言い、うそをつき、罪を逃れようとしています。人間ではありません。悪魔です」と非難した、という。一連の記事を読んで、桶川ストーカー殺人事件を連想した。 計画的な執拗さ。発達障害者と人の病(やまい)のジャンルが違う。

⇒7日(水)夜・金沢の天気   雪

☆メディアのツボ-45-

☆メディアのツボ-45-

 3月5日付の読売新聞インターネット版で、「スポーツ」に関する全国世論調査の結果が出ていた。少し不可解に思ったのは、聞き慣れないキーワードでの設問だった。

   世論調査と設問

  そのキーワードは「ポストシーズンゲーム」(PSG)。世論調査の結果によると、「ポストシーズンゲームによって、プロ野球が面白くなると思うか」との設問で、「そう思う」が44%となり、「そうは思わない」14%、「どちらとも言えない」28%を上まわったとの内容だ。

  そこで「ポストシーズンゲーム」でインターネット検索をかけてみる。Googleで56000件余り(6日2時現在)。プロ野球改革の目玉として、今季新たに取り組むにしては、件数がちょっと少ない。しかも、この論議は04年からスタートしているのに、である。ともあれ、ポストシーズンゲームとは、ペナントレースで優勝チームを決めた後、各リーグの上位3チームが日本シリーズ出場権をかけて戦う。2位と3位が戦い、勝者が1位と対戦する。「クライマックスシリーズ」という名称だ。翻して言えば、リーグ優勝チーム同士で日本一を争ってきた、57回の歴史を持つ日本シリーズは昨シーズンを最後に消滅している。

  話を世論調査に戻す。それほど認知されていないようなPSGについて、「プロ野球が面白くなると思うか」と質問されて、「そう思う」と答える人が果たして44%もいるものだろうか。そこで調査方法を検証する。調査時期は2月17、18日に実施し、方法は面接方式だった。世論調査における面接方式は、調査員が調査対象者を自宅を訪問し、口頭で質問を行い、その回答を調査員が調査票に記入する方式である。ここがポイントだが、設問がいかにも誘導的な場合がある。これは私の想像だが、「新しいプロ野球改革で、日本シリーズと違ってこんな面白さが特徴としてあります。名称はクライマックスシリーズといいます…」と設問にあって、それを調査員が読み上げた場合、対象者は「初めて聞いた名称だけど、面白そう」などと答えてしまう。こんな調査現場のやりとりが目に浮かぶのである。

  国民に広く認知されていないアイテムの設問には無理があるのではないか。Googleで56000件余りしかない設問アイテムである。むしろ、「日本シリーズがなくなったことをご存知ですか」と聞いたほうがスポーツ世論調査としては意義があったのではないだろうか。

  プロ野球に対する関心度が落ちていることは否めない。2月26日、日本テレビの久保伸太郎社長が記者会見でプロ野球巨人戦の中継で放送延長はしないと述べた。すると翌日27日の日テレの株価は社長発言を好感して、一時前日比420円(2.15%)高の1万9940円まで上昇した。この数字は現実である。

 ⇒6日(火)朝・金沢の天気    あめ

☆メディアのツボ-44-

☆メディアのツボ-44-

 情報番組「発掘!あるある大事典2」の捏造問題は随分と面白い展開になってきた。きょう21日、関西テレビの千草社長が自民党通信・放送産業高度化小委員会に出席した後、記者団に対し、番組を制作した番組制作会社に損害賠償を請求する可能性を示唆したという(日経新聞インターネット版)。

    「賠償請求」の意味を考える

  記事を引用する。関テレの社長は、自らの責任問題を尋ねた記者の質問には直接答えず、「責任は重く受け止めている。再発防止、原因究明に努め信頼回復を図る」と話し、さらに「制作会社との契約では賠償責任があり、検討する」と語った。これが「賠償請求の可能性」として報道された。

  今回の問題の一連の報道で見えてこないのは、関テレ自身が番組の欺瞞性に気づいていたのかどうかという点である。放送法第四条(訂正放送)の2項に「放送事業者がその放送について真実でない事項を発見したときも」、訂正放送をしなけらばならないと記している。要は、当事者から指摘を受けなくても、常日ごろから放送の内容に留意し、事実の誤りや人権侵害などは自ら見つけ、糾(ただ)すよう求めているのである。このため、各テレビ局は「考査」というセクションを置いている。

  この考査セクションでは、編成あるいは業務局に置かれ、CMや番組の表現内容をチェックして、時に営業から持ち込まれた誇大表現が含まれるCMなどをストップさせたりする。問題視したいのは、このセクションが520回にも及ぶ番組でいささか疑問を感じなかったのだろうか。あるいは、番組づくりの手の内を知り尽くしている制作部からは何の疑問の声も上がらなかったのだろうか。このテレビ局内のいわば自浄機能を伏して、制作会社の責任だけを問うのは無理がある。放送の最終的な責任はテレビ局にある。

  社長が述べた「制作会社との契約では賠償責任があり」云々は本来、納品が間に合わず番組にアナを開けた場合などであって、番組の構成やつくりにはテレビ局のプロデューサーやディレクターが参加し、チェックしゴーサインを出しているのだから、これも話の筋が間違っている。日本語の吹き替え捏造などはオリジナルのVTRをチェックすれば簡単に分かる。

  それでも関テレが制作会社の賠償を問うのであれば、相当の返り血を浴びる覚悟でやらなければならない。裁判の過程では「関テレ側の黙認」あるいは「暗黙の了解」という、番組の「闇」の部分があぶりだされるはずである。ウミを出し切るためにはむしろ裁判をやったほうがよいのかもしれない。

 ⇒21日(水)午後・金沢の天気   はれ

★メディアのツボ-43-

★メディアのツボ-43-

 日本のテレビは2011年7月にアナログ放送が完全停止され、デジタル放送に全面移行する。その大前提として、デジタル対応テレビの普及率の問題がある。11年に機械的に現在のアナログ波を停波すれば、テレビ視聴ができない大量の「テレビ難民」が出るなど、下手を打つと国政を揺るがすほどの問題となる。だからデジタル化という国策を進める政府も慎重だ。

     「テレビ難民」問題化に国の先手

  そんな中、短文ながら日経新聞のインターネット版でこんな記事を見つけた。2月17日付である。「地デジチューナー、低所得者に無料配布―政府・与党が検討」という見出し。要約すると、政府・与党はテレビの地上波がデジタル放送に全面移行をスムーズに進めるため、低所得の高齢者世帯などへ、外付けのデジタル受信機(チューナー)を無料配布する支援策を検討している。外部取り付け型の受信機は2万円弱から市販され、簡易型なら1台数千円程度で調達可能とみている。配布は地方自治体が担い、国が財政支援する。新たな交付金のほか、地方債発行を認めて元利償還費用を交付税で賄う案を軸に調整。自治体の負担は1割程度に抑える見通しだ。

  つまり、政府とすれば、「テレビ難民」が問題化する前から手を打っておこうというものだ。すでに47都道府県でデジタル放送の視聴が可能となっているので、この4年余りで対策を講じるというわけだ。

  しかし、問題はそう簡単ではない。対象となるのは低所得の高齢者宅など。確かに、余命いくばくもない独り暮らしのお年寄りが今後10数万円もするテレビを購入するとは想像し難い。そこで、独居老人宅の統計を拾う。総務省の「2005年国勢調査抽出速報集計結果の概要」によると、65歳以上の「一人暮らし高齢者」は405万人となっている。この数字は急速に増加していて、2000年の統計と比べると102万人(34%)増。さらに5年後となると500万人を超えても不思議ではない。この数字は生易しくはない。

  1台1万円のチューナーとして500億円である。これに取り付けの人件費やPRなどを加えて1000億円という対策費が必要だろう。「一人暮らし高齢者」対策だけでこの数字である。配布の対象を生活保護や母子家族などに広げるとさらに数字は膨らむ。

  デジタル放送を日本より早く始めた韓国では、当初2010年としていたアナログ停波の期日を2年延期したようだ。デジタルテレビの普及率は06年末で24%と想定され、このペースでは10年になっても50%余りと試算、当初もくろんでいた95%とは程遠い数字になるからだ。このため、アナログ放送の停止時期を12年12月31日とし、生活保護300万世帯にチューナーの購入費用を支援するという方針を打ち出している。

  日本と韓国の対応を比べると、韓国の方が現実的に思えるが、ロスという面では韓国の方がダメージが大きいのではないか。2年の延長で、さらにデジタル対応テレビの普及のテンポが落ちる。するとさらに対応が困難となり、再延期となる可能性も出てくる。こうなると政争の具にもなり、長い議論が始まる。何しろ韓国ではデジタル放送の方式をヨーロッパ方式(DVB-T)にするのかアメリカ方式(ATSC)にするのかで5年近くももめた。

  日本でも今後、いろいろな論議が出てくるだろう。経費の負担をめぐって「テレビ業界にも応分の負担をさせよ」とする意見などである。ちなみに、アナログ放送の周波数を変更して、デジタル放送のための周波数を空ける「アナアナ変換」対策で投じられた国費は1800億円だった。このときも論議を呼んだ。その第二幕が始まる。この論議に、例の番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」データ捏造問題が絡められると、話はややこしくなる。「国と自治体は借金までして(デジタル化)対応しているのに、民放業界は偽のデータを垂れ流し、ぬくぬくと収益をむさぼっている。こんなことで国民の理解が得られるのか」とったたぐいの意見が必ず噴出する。

 ⇒17日(土)夜・金沢の天気  あめ

★メディアのツボ-42-

★メディアのツボ-42-

 それにしても関西テレビは番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」の不祥事で大きな負債を背負ったものだ。自業自得と言えばそれまでなのだが、ひょっとして再起不能ではないかと思ったりもする。何しろ、一度や二度ではすまない、520回という気の遠くなるような時間との戦いなのである。

     捏造番組の大きな負債

  捏造問題で、関テレの社長が2月7日、総務省近畿総合通信局を訪れ、捏造についてまとめた報告書を提出した。ところが、近畿総合通信局側は納得しなかったと、報じられている。なぜか。疑惑が次から次と出てきて、7日の説明は説明にならなかったからである。どとのつまり、「520回すべてを調査し報告しなければ、調査したことにはならない。これはあくまでも途中経過説ある」と監督官庁である近畿総合通信局側から灸を据えられたに違いない。こんなことは素人でも想像がつく。

  では、どのように520回の調査を行うか、手順はこのようなものだろう。まず、①第三者の専門家による55分番組の検証、②シナリオ台本のチェック、③当時のプロデュサーとディレクター、カメラマンからのヒアリング、④放送後の視聴からの苦情の分析など、これらをワンセットにした報告書の作成しなけらばならない。これが1回分である。

  その道の専門家を探し出し、番組をチェックしてもらい、当時の関係者を呼び寄せる。疑義があれば、その理由をチェックし、さらに第三者の専門家のコメントを聞く。つまり、一本の番組を制作するくらいの労力が発生する。これを520回やり遂げて、ようやく報告ができる。1回につき1㌢の報告書を積み上げれば520㌢となる。

  近畿総合通信局を訪れた後、記者のインタビューに答えた関テレの社長は「調査委員会で検証する」と12回も繰り返し、「3月中旬に全容を解明して報告する」と述べたそうだ。これは無理だ。毎日1本の番組について検証したとしても、520日かかる。ここで、なぜ520回すべてを検証しなけらばならないのか。理由は簡単である。もし、3月中旬の報告で「問題なし」と報告した番組に後日疑惑が生じた場合、今度は「検証が甘いのではないか」というさらなる不審を生み、検証のやり直しが要求される。だから、520回について徹底して検証をしなければ、この問題は収拾がつかいない。

  ちなみに、電波法では「総務相は無線局の適正な運用を確保するため必要があると認めるときには、免許人などに対し、無線局に関し報告を求めることができる」(81条)と記されている。つまり、報告は義務なのである。

  番組検証の現場の様子が目に浮かぶ。外部調査委員の厳しい査問、当時の制作スタッフ同士の責任のなすりつけ合い、責任逃れに終始する弁明、罵倒…。おそらく誰も責任を取ろうとしないから、収拾はつかない。こんな後ろ向きの調査をさせられる外部調査委員会(委員長=熊崎勝彦・元最高検公安部長)はたまったものではない。3月中旬に全容を解明するなどというのはそもそも見通しが甘い。

 ⇒9日(金)夜・金沢の天気   あめ  

☆メディアのツボ-41-

☆メディアのツボ-41-

 連絡や意見調整をEメールでやり取りしていて気づくことがある。それは、マスメディア業界からのレスポンスが遅いとう点だ。とくに、テレビ業界は格段に遅いように感じるのは私だけだろうか。もちろん、全員というわけでない。すばやく返信をもらえる人も中にはいるが、全体として遅いと感じる。

      視聴者の顔は見えているか

  先日、あるテレビ局から金沢大学に取材の申し込みが電話あった。ニュースリリースなどの詳細をメールで送る旨を伝え、教えてもらったメールアドレスに送り、届いたら返信をくださいとお願いしたが、それがない。果たして送信できたのかとこちらが心配になって電話で確認すると、相手は「受け取りました」と。それだったら、受け取った旨の返信をくれればよいのにと思うことはしばしばある。その点、地元紙と呼ばれる新聞社は割とこまめに返信をくれる。

  この違いは何か。自らの経験も踏まえて言うと、おそらく視線の差ではないか、と思う。テレビ局の場合、「系列」という世界がある。東京キー局を中心とした放送ネットーワークのことである。金融ビックバン以前は旧・財閥と呼ばれる銀行を中心とした系列や、自動車メーカーなど部品の裾野が広い産業でも系列があった。しかし、その旧・財閥系の銀行そのものが合併するなどしたため系列意識は薄れた。いまのビジネス界で「系列」は死語と化している。ところが、テレビ業界では系列という言葉も意識も脈々と生きているのである。

  番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」のデータ捏造事件で、制作していた関西テレビとキー局のフジテレビの関係は、厳密に言うならばフジテレビは番組の購入者側であり、テレビ局の信頼を著しく傷つけられた「被害者」でもある。ところが、フジの社長は1月29日の定例会見で「視聴者、スポンサー、放送業界全体に迷惑をかけた」と陳謝している。この不祥事は系列全体の責任との意識だろう。ことほどさように系列の絆(きずな)は強いのである。

  話を元に戻す。言いたかったことは、系列というある意味でのムラ社会にいると、足元の地域の人たちや視聴者よりキー局や系列の動き、あるいは同業他社の動向が気になる。すると地域とのかかわりが意識の上で薄れる。現場から離れた管理職になり、上にのぼるほど薄いのではないか。それがEメールのレスポンスの遅さとどう関係するのかという論理とは直接結びついてこない。が、系列局間のやりとりで、メールを放っておくだろうか。

  「発掘!あるある大事典Ⅱ」のプロデューサーやディレクターにしても、視聴者の顔は見えていたのだろうか。視聴率という数字だけが見えていたのではないか。視聴者の視線を感じれば、ごまかしはできないし、怖くなる。人の顔は納豆の粒か、白インゲンか、カボチャぐらいにしか映らなかったのかもしれない。

 ⇒6日(火)夜・金沢の天気 はれ

☆メディアのツボ-40-

☆メディアのツボ-40-

 大学でマスメディア論の授業を持っていることから、新聞の切り抜きは絶やさないが、きょう30日の朝刊ほどマスメディア関連の記事スクラップが多い日はなかった。

     「期待権」とメディアの奇観   

 列記すると、各社一面を飾ったのが、NHKの番組が放送直前に改変されたとして、取材を受けた市民団体がNHKなどに総額4000万円の賠償を求めた控訴審判決で、東京高裁が取材された側の「期待権」を認めてNHKに200万円の賠償命令を命じたニュース。さらに同じ一面で、裁判員制度フォーラムを共催した産経新聞社などが謝礼を払ってサクラ(参加者)を集めていたこと。

  そして、社会面や特集面などでは、「あるある大辞典」の納豆データ捏造事件の続報の見出しが躍っている。「関テレ、看板失墜で広告減も」「ひっかかりやすい中高年女性に照準」など…。  NHK、民放、新聞社がこれだけそろって、マスメディアネタになることは稀有なこと。しかも、一面と社会面のトップを独占しているのである。まるで、マスメディアが自家中毒でも起こして悶え苦しんでいるような、まさに奇観である。また、その当事者のコメントを読むと、版で押したように、「信頼回復に努める」と。

  欧米のメディアは今、新聞の紙面改革や身売り、放送メディアは合併の嵐が吹き荒れている。インタ-ネットの普及拡大で、メディアそのものの利用価値が揺らいでいるからだ。いわば存在価値が問われ、構造改革に迫られている。ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は新年から従来の紙面の横幅を38㌢から30㌢に縮小し、つまりスリム化してコスト削減と紙面の改革(解説・分析記事を50%から80%に拡大)を図っている。改革の痛みに身悶えしているのである。早晩、日本にもこの改革の嵐が来る。あるいはその序章としてスキャンダルが噴出しているのかもしれない。

  それにしても、NHKの今回の裁判はこれも奇観である。取材される側が番組内容に対して抱く「期待権」を高裁が認めたのである。こうした「期待権」が取材のたびに常に成立するとなると、おかしなことになる。たとえば、あるテーマで政治家にインタビューしたとする。ところが取材を重ねていく過程で編集方針は変化するものである。そして別の政治家にインタビューすることになり、先の政治家のインタビューを反故(ほご)にするとういケースが生じる。放送後に「期待権」を盾にとってその政治家が「なぜ私のインタビューを使わない。だいたい番組は私がイメージしていたものと異なる」などとねじ込んでくる可能性があるのだ。

  こうなると「編集の自由」はどうなるのか。判決では今回の「期待権」は例外的としているが、それでも一度認められると拡大解釈される。そのつど裁判をやり、このケースは例外であるのか否か認定をしなければならなくなる。この意味で、今回の判決は単にNHKではなく、メディア全体にかかわるやっかいな判決であると言っても過言ではない。

 ⇒30日(火)夜・金沢の天気  あめ

★メディアのツボ-39-

★メディアのツボ-39-

 1月7日放送の番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」で、週刊朝日が11項目のデータについて関西テレビに質問状を送ったのが18日。その返事を催促したのが20日。しかし、関テレが応じたのは社長の緊急記者会見だった。その会見も、関テレ社長は当初は「納豆のダイエット効果の有無は学説で裏付けられている」として、「番組全体は捏造ではない」と主張していた。しかし、捏造データの余りにも多さ(関テレ発表だけで5ヵ所)を記者陣から追及されてしぶしぶ捏造を認めたのだった。

   フードファディズム煽ったツケ

  関テレが20日にホームページで公表した内容によると、捏造は3パターンである。一つは「データの捏造」。今回、被験者のコレステロール値、中性脂肪値、血糖値の測定せず、また、比較実験での血中イソフラボンの測定せず、さらに血液は採集をするも実際は検査せず、数字はすべて架空だった。二つ目が「コメントの捏造」である。米国テンプル大学アーサー・ショーツ教授の日本語訳コメントは内容は本人の話したものとはまったく違っていた。三つ目が「写真の捏造」である。やせたことを示す3枚は被験者とは無関係の写真だった。

  「納豆でやせる」の結論ありき番組なので、裏付け事実(データ)の構成をする番組ディレクターは結局、作為に走った。調べてみると、この番組の制作は9チーム150人で回している。つまり、1チームが2ヵ月(9週)に1本のローテーションで制作することになる。科学データを取り、結果を出し、分析する事実構成を60日余りですべてそろえるには時間的に無理がある。

 たとえば、テンプル大教授のインタビュー取材は2泊4日の取材旅程だったという。正味2日の取材で、キーマンから研究の核心をインタビューするわけである。研究者の立場からすれば、日本からわざわざ来た取材クルーとは言え、苦労して積み上げた研究成果をホイホイと出すはずがない。普通なら、取材の狙いや番組の構成、自分のコメントの使われ方まできちんと聞いた上でようやく自分の研究の触りを語る程度だ。取材クルーの方も、アメリカで納得いくまでインタビューをする、あるいは片っ端からデータを収集するというつもりはなく、アリバイ的に取材をしたかたちにしたかっただけだろう。

  1992年9月30日と10月1日の2夜で放送されたNHK番組「禁断の王国・ムスタン」の「やらせ」とは違う。ムスタンの場合は、番組の完成度を求めて、イマジネーションを膨らませて(一面で楽しく)捏造した。しかし、「あるある大事典」の場合は時間に追いかけられながら、あたかもネズミのサキュレーションのごとく回転しても、事実を構成することは時間的にできなかった。だから、その時間を埋め合わせるために捏造したのである。その現場の苦境を放置しておいたツケが関テレに回ってきた、と言える。

  その後、「みそ汁で減量」(06年2月放送)、「レタスで快眠」(98年10月放送)などで疑惑が出ている。おそらく520回の番組すべてについての検証を関テレはしなければならない。監督官庁である総務省近畿総合通信局からそのようなお達しが来ているはずである。大きな負債を関テレは抱えたことになる。特定の食品の効能を信じ偏食するフードファディズム(food faddism)を視聴者に煽り、利益をむさぼったたツケでもある。同情の余地はない。

 ⇒29日(月)夜・金沢の天気  くもり