⇒メディア時評

☆総選挙へのシナリオ

☆総選挙へのシナリオ

  前総理の突然の辞任のときも、そして今回も驚いた。福田康夫総理が1日夜、官邸で緊急に記者会見し、退陣する考えを表明した。8月の内閣改造後も求心力は回復せず、臨時国会の召集を控えて政権運営の継続は難しいと判断した、という。それにしても、総理が2代続けて1年足らずで辞任するのは異例の事態だ。

 辞任の理由をメディアの記事から拾うと。福田氏は「国民生活を考えた場合、態勢を整えた上で国会に臨むべきだと考えた。新しい布陣で政策実現を図っていかなければいけない」と強調し、参院で野党が多数を占める「ねじれ国会」を念頭に「私が首相を続けて国会が順調にいけばいいが、私の場合には内閣支持率の問題もある」などと言及。辞任を決めた経緯に関しては8月29日の総合経済対策の取りまとめを踏まえ、「先週末に最終的に決断した」と明かした、という(日経)。

 ここで意外だったのは内閣支持率をとても気にしてたということ。最新の朝日新聞社の世論調査(8月30-31日実施・電話)の結果で、福田内閣の支持率は25%。前回調査(同1-2日)の24%に引き続き低い水準だった。むしろ福田氏が気にしたのは不支持率で55%、前回と同じだった。総合経済対策を打ち出した直後にもかかわらず、国民には響かない、しかも同じ与党の公明サイドから「バラマキ」と一部批判が出て、「与党内支持率=福田離れ」に限界を感じたのではないか。

 福田内閣の支持率は就任直後が53%(07年9月)だったが、年金記録問題をきっかけに30%前後(12月)に下落。後期高齢者医療制度が始まった今年4月に25%となり、ガソリン税を道路財源に使うための法案の再議決を受けた5月の調査では19%まで下がった。一度「19%の地獄」を経験したのだから、今回の25%はそう気にするほどでもないと言ってしまうと気の毒か。

 アメリカのブッシュ大統領も苦笑いしているだろう。森、小泉、安部、福田と4人も総理が変わったのだ。国民はどう思うだろうか。「官僚がはびこるのはよくない。霞ヶ関改革が必要だ」と政治家が言ったとしても、一国の総理がコロコロ変わると、かえって霞ヶ関の官僚にはしっかりとしてもらわなければと思うのが国民の心理だろう。実はここが日本の政治が行き詰っている点なのだ。

 ともあれ、福田氏は自民党に総裁選の実施を指示したので、今月中旬に新総裁が決まり次第、正式に内閣を総辞職する見込み。新内閣も体制を整えた段階で来春の国会明けで解散となる。しかし、新内閣でスキャンダルが出れば年末に衆院解散、1月に総選挙だろう。総選挙へのシナリオはこのどちらかだろう。

⇒1日(月)夜・金沢の天気   はれ

★「能登の花ヨメ」の完成度

★「能登の花ヨメ」の完成度

 「ご当地映画」とでも言おうか、住む土地が主な映画のロケ地になった場合、地元の人たちはそのような表現をする。その言葉には、映画に対する愛着とちょっとした気恥ずかしさがこもっているものだ。全国上映に先駆けて、石川県で先行上映会がきのう10日から始まった、「能登の花ヨメ」もそのご当地映画の一つ。

 この映画制作にはまったく関わりがないが、ちょっとした縁がある。去年秋、私は大学コンソーシアム石川の事業「地域課題ゼミナール」で能登半島の珠洲市をテーマにケーブルテレビ向けの番組をつくった。お祭りのシーンの撮影は同市三崎町小泊地区のキリコ祭り=写真=だった。その撮影が終わった1ヵ月後、今度は、「能登の花ヨメ」の撮影が始まり、小泊地区では映画撮影用のお祭りが行なわれた。小泊の住人のひとたちは「年に2度、まっつり(祭り)が来た。こんなうれしいことはない」ととても喜んでいたのを思い出す。

 先行上映の封切りの日、きのうさっそく「能登の花ヨメ」を鑑賞に行った。そのストーリーを簡単に説明する。映画は女性の人間模様と能登の祭りがテーマ。ヒロイン役の田中美里が演じるのは東京のキャリアウーマン。結婚式を前に、泉ピン子が演じる婚約者の母が交通事故でけがをする。あいにく、海外出張でフィアンセは母がいる能登には行けない。そこで、代わりに看病のために能登へ行くというところから物語は始まる。都会育ちの女性にとって能登は刺激がなく、しかも慣れない人づき合い、大きな田舎造りの家の掃除、ヤギの世話…。しかも、姑(しゅうとめ)となる母親はつっけんどん。でも、能登には震災にもめげず、心根が優しい、自然をいつくしむ人たちがいて、都会にはない豊かさがあると気付く。

 親しくなって、キノコ採りを教わった近所のおばあちゃん(内海桂子)からキリコ祭りを楽しみにしているという話を聞かされた。その数日後、おばあちゃんは急逝する。季節は秋へと移り、お祭りのシーズンがやってくる。地震で仮設住宅の人たちもいるのにお祭りはできるのか…。しかも、キリコは担ぎ手が不足していて、ここ数年は出していない。土地の人たちはキリコ祭りを楽しみにしているのにどこか遠慮している。そこで、都会からきた花嫁がキリコ祭りの復活を呼びかけて立ち上がる。

 監督は白羽弥仁(しらは・みつひと)氏。3年も前から能登に通って、映画の構想を温めてきたという。そして撮影を始めようとする矢先に能登半島地震(07年3月25日)が起きた。神戸出身で自ら被災経験がある白羽監督はその2日後に被災地に駆けつけた。そして、映画づくりを続行すべきかどうか迷っていたときに、これまで協力してきた能登の人たちから「こんなときにこそ映画を撮って」と要望され、撮影を決断したという。映画が完成するまでの経緯がまるでストーリー仕立てのようだ。

 冒頭でご当地映画には気恥ずかしさがあると述べた。それは方言のことである。方言は内々の言葉で、ほかの地域の人が聞けば野暮ったいものだ。「能登の花ヨメ」では能登弁を上手にさらけ出している。それが映画の味にもなっているのだが、能登出身者とするとちょっと気恥ずかしい。逆に言えば、能登人の言葉と心の襞(ひだ)までが映像表現されて完成度は高い。

⇒11日(日)朝・金沢の天気   くもり

☆メディア縦乱‐6

☆メディア縦乱‐6

 04年3月31日、東京ドームで行われたアメリカ大リーグ、ヤンキース対デビルレイズの第2戦(3月31日)、松井秀喜選手は2番レフトでスタメン出場して、タイムリーとホームランで3打点。第1戦でもいきなり公式戦、初安打を飾った。大リーグの公式戦というステージも松井選手の活躍ぶりも鮮烈だった。あれから4年。日本時間の今月7日、松井選手がレジェンズ・フィールドのロッカールームで水漏れ事故に遭遇したとのニュースが流れていた。右ひざや首が治りかけたところに、今度は“災難”に見舞われたかっこうだ。

        松井選手にふりかかる「不運」    

  スプリンクラーか水道管が破裂。ロッカールームが水浸しになった。たまたま松井選手が残っていて被害に遭った。右ひざのリハビリが進むと首痛、首痛の治りかけに今度は水難。見方によれば、不運続きだ。「故障持ち」のレッテルが貼られた上に、今度は「不運なヤツ」という新たなレッテルが貼られそうである。

  現地では松井選手の賞味期限はとっくに終わっているのではないだろうか。本来メディアは辛らつである。一度イメージがおかしくなると、手の平を返したような態度に出るものだ。前サッカー日本代表監督、イビチャ・オシム氏はかついてこう述べていた。「若い選手が少し良いプレーをしたらメディアは書き立てる。でも少し調子が落ちて来たら一切書かない。するとその選手は一気に駄目になっていく。彼の人生にはトラウマが残るが、メディアは責任を取らない」

  松井選手の理解者といわれたジョー・トーリ監督が辞めてから、松井選手はチームでは“箱入り”ではなくなった。オーナーのスタインブレナー氏は造船会社を経営し、シビアなビジネス感覚の持ち主といわれる。おそらく、フロントに対し、松井選手の今季の可能性を数字化して出せ、と命じているに違いない。年俸と試合出場数、ホームラン数などで予測し、数字が悪ければペナントレース前にチームから外される可能性だってある。日本のように負傷を公傷扱いにしないのが大リーグ流とされる。勝ったか負けたか、打ったか打てなかったのかが基準。アメリカ流の考えが徹底されているのが大リーグといえる。

  日本のメディアは松井選手を温かく見守っているのだが、果たして現地アメリカの評価はどうなのか。松井選手を高校野球時代から見つめてきたので、その方がむしろ気になる。

  最後に、オーナーのスタインブレナー氏のことを鬼のように書いたが、03年秋、大リーグで松井選手が最優秀新人賞(新人王)を獲得する資格があるかどうかと問題になったとき、「日本で10年もプレーした松井選手には新人王の資格はないのでは」と疑問を投げかけたデビルレイズのピネラ監督に対し、スタインブレナー氏は「松井は新人王に値する。松井は紳士で、成績(通算打点106)もこの上ない」とオーナー自らが松井バッシングの矢面に立って反論した。「BOSS RIPS PINIELLA FOR MATSUI BASH」(03年9月25日付・ニューヨーク・ポスト紙)。なかなか選手思いの一面もある。

 ⇒8日(土)夜・金沢の天気    はれ

★メディア縦乱‐5

★メディア縦乱‐5

 農業と環境の問題にいち早く警鐘を鳴らしたレチェル・カーソンは1960年代に著した「サイレント・スプリング(沈黙の春)」に、「春になっても鳥は鳴かず、生きものが静かにいなくなってしまった」と記した。農薬を使った農業で収量は上がったが、生き物は静かになったと警告したのだ。最近、ある現象を肌で感じた。

         「そして人は静かになった」

  「パソコンのキーボードはにぎやかだが、人は静かになった」。所用である会社を訪ねると、社員は黙々とパソコンに向かっている。受け付けのカウンターに来訪者が来ても、誰も席を立って応対しようとしない。「あのう」と声をかけて、ようやく振り向く。朝なのに、その職場には「おはよう」とあいさつを交わす言葉も飛び交っていない。沈黙の職場だった。おそらく、隣の席との会話もやり取りはメールで行なっているに違いない。

  「固定電話のベルはにぎやかだが、人は受話器を取ろうとしない」。最近よく「自宅にいると固定電話に恐怖に感じる」と耳にする。日中かかる電話はセールスやらアンケートがやたらと多く、応対にうんざりする。しつこく何度でもかかってくる電話もある。受話器を取っても、「はい、○○ですが」とこちらから名乗らないという人が多い。オレオレ詐欺もある。ヘタに電話に出るととんでもことになる、いっそうのこと固定をなくし、携帯電話だけでもよいと考えている人が意外と多い。

  「テレビはにぎやかだが、人は見ていない」。テレビはつけておくだけ、という人が増えている。CM総合研究所は、3ヶ月ごとに実施するモニターへのテレビ視聴実態調査で各年齢層のテレビ視聴パターンを「ながら視聴」と「専念視聴」に分けてデータを採集している。それだと、テレビ視聴時間のうち「専念視聴」と「ながら視聴」はそれぞれ5割。つまり、半分の時間はなんとなくテレビをつけているだけ。「テレビは第2の空気」化しているのである。

  パソコン、電話、テレビを象徴的に取り上げたが、われわれを取り巻くの通信手段やメディアの有り様が変化しているように思える。そして、人は知らず知らずのうちにコミュニケーション能力を失いつつある。レチェル・カーソンの「サイレント・スプリング」流にいえば、「パソコン、電話、テレビはにぎやかだが、人は静かになった」。これはある意味で次に到来する社会の予兆かもしれない。ちょっと気が重い。

 ⇒26日(火)夜・金沢の天気   くもり  

☆メディア縦乱‐4

☆メディア縦乱‐4

 関西テレビのホームぺージに2月19日付で「お詫び」が掲載されている。北京オリンピックの広報文をマスメディア各社に流した際に、誤解を与える内容があったと釈明したものだ。まずはその文面を以下読んでみる。

    関テレ「お詫び」とオリンピック番組の行方

  【お詫び】2月4日付で「北京オリンピック」を放送するかのような誤った番組広報情報を報道各社にリリースしてしまいました。日本民間放送連盟を除名され、現状では「北京オリンピック」の放送ができないにもかかわらず、このような事態をまねき、視聴者の皆様はじめ、関係各位に多大なるご迷惑をおかけし、深く陳謝いたします。改めて今回の件を肝に銘じ、原因の究明と再発防止に努め、再生への取り組みに邁進してまいる所存です。

  しかし、これだけではなぜ関西テレビが北京オリンピックを放送できないのか、視聴者は釈然としないだろう。もう少し背景の説明が必要だ。去年1月に発覚した関西テレビの番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」の納豆データ捏造問題で、日本民間放送連盟は(民放連)は4月19日付で関西テレビを除名処分にした。このことになぜ北京オリンピックが絡んでくるかというと、日本におけるオリンピックの番組を取り仕切るのはNHKと民放連で構成するジャパンコンソーシアム(Japan Consociam=JC)という組織だからである。JCは1984年のロサンゼルス五輪以来この枠組みでオリンピックのほかワールドカップ・サッカーなど大型の国際スポーツイベントを取り仕切っている。民放連から除名処分を受けている関西テレビはこの枠組みから自動的に外れるのでオリンピックの番組は放送できないことになる。

  このような状況であることを知りながら、関西テレビの宣伝部はフジテレビから北京五輪の番組広報データを受け取って、主語に自社名を加えて「フジ・関西テレビ」と書き直して、2月4日付で報道各社にニュースリリースした。広報文には「フジ・関西テレビの北京オリンピック中継…」など、五輪中継を前提とした表現になった。このリリース文を受け取った新聞各社は、「関西テレビは民放連に復帰することを見越してリリースを出しているのか」と問い合わせてことの次第が分かったということらしい。

  単純ミスなのだろうが、それにしてもタイミングが悪かった。関西テレビの民放連復帰について意見集約していた近畿の民放18社の社長らが、この広報のあり方を問題視し、2月18日の会合では結論を持ち越した、との新聞報道もあった。慌てた関西テレビ側はそのけじめとして、22日に記者会見して、平井誠信・常務取締役を減俸10分の1(1カ月)、編成局長と広報を作成した編成局宣伝部の部長をそれぞれ賃金日額2分の1の減給(1カ月)にしたと発表した。しかし、この処分が致命傷になったと私は分析する。民放連とすると、1年後くらいに「粛々と制裁を解除」のシナリオを描いていたのが、関西テレビが役員を処分したことが返って今回のフライング問題を大きく見せてしまう結果になり、民放連は「粛々」とやれなくなったのではないか。単なるフライングとしては済まなくなったのである。

 民放連に復帰できないと、関西エリアではフジ系のオリンピック番組は視聴できなくなる。可能性として、関西テレビやフジが資本参加しているKBS京都や、サンテレビなど関西の独立U局(系列に属していないローカル局)に番組を流してもらうことになるのではないか。経営陣はそのようなことも視野に入れながら対応策を練っているに違いない。あくまでも想像である。(※写真は1月11日、中国・西安空港で撮影したオリンピックのPR塔)

 ⇒24日(日)夜・金沢の天気   雪

★メディア縦乱‐3

★メディア縦乱‐3

 韓国の新聞社「朝鮮日報」のインターネット版をたまに閲覧する。2月11日付の記事に目が覚めた。「韓国のゴミ海洋投棄の実態 下水汚泥の70%が海へ」。日本海側に住む我々がいつも実感していることだ。海岸を歩くと、ハングル文字のペットボトルやプラスチックの漂着ゴミが目立つ。「そうか、ゴミは人為的に流されているのか」と見出しだけで理解した。

     記事になった日本海のこと

 以下、朝鮮日報の記事を要約して紹介する。海洋汚染を防ぐため、1972年に採択された「ロンドン条約1972」は、海にゴミを投棄することを厳しく規制している。これまでに81カ国がこの条約を批准しており、韓国も93年にようやく批准した。ところが韓国政府は、地上のゴミ埋立地が不足していることや、生ゴミの埋め立てによって悪臭や地下水の汚染といった公害が発生していることを理由に、88年からゴミの海洋投棄を認めてきた。93年にロンドン条約を批准した後もそれは続いてきた。廃棄物の海洋投棄にかかる費用は、種類によっては陸上処分に比べ90%近くも安くつくため、廃棄物処理業者はゴミを海に捨ててきた、という。

  韓国に比べ、日本は海の川下にあたる。韓国でゴミを捨てれば、その流れていく先はどこか、まずは能登半島、佐渡島である。地元では民間団体が「クリーン・ビーチ」キャンペーンなど行なっているが、この事実を聞けば愕然とすると同時に義憤が沸くだろう。「これは外交問題ではないのか」と。

  もう一つ日本海で問題となっているのが厄介者のエチゼンクラゲである。重さが200㌔にもなり、魚網や魚を傷める。かつてエチゼンクラゲの大量発生は40年に一度ほどといわれてきた。ところが、ここ数年は毎年のように日本海で多くの漁業被害をもたらしている。エチゼンクラゲの発生海域は東シナ海・黄海と見られる。そこで、調査が必要となるのだが、2月11日付の朝日新聞によると、昨年11月、エチゼンクラゲ問題を日中韓で研究する会合をつくり、日本側がDNA分析の費用負担を中国側に申し出たが、中国側は難色を示した。なぜか。中国側は「発生源」とされることを嫌っているのだ。エチゼンクラゲは1日に20㍍プール2杯分の海水に含まれる動物プランクトンを食べ、稚魚や卵を食べる(同日付・朝日新聞)。中国にとって、韓国、日本は川下に当たり、「そんなの関係ねぇ」という雰囲気だ。

  中国製ギョーザの中毒事件発覚(1月30日)を象徴として、我々は食の安全や環境汚染に敏感になっている。こんなことが解決できないで、経済だ外交といわれても国民の目線からは納得できない。洞爺湖サミット関連の会合が3月14日から始まる。そのスタートが「気候変動、クリーンエネルギー及び持続可能な開発に関する対話」だ。世界の温室効果ガス主要排出国20ヵ国の環境・エネルギー担当大臣に加え、関係国際機関、産業界やNGO・NPOの代表等が参加し、気候変動・地球温暖化問題について議論する。開催地は千葉となっているが、この時期はそろそろ黄砂の季節だ。むしろ、日本海側でやってもらった方が、地球環境問題の実感が沸くかもしれない。

⇒17日(月)夜・金沢の天気  くもり

☆メディア縦乱‐2

☆メディア縦乱‐2

 来年09年5月までに裁判員制度がスタートする。司法のプロに加え、一般市民が評決に加わることになり、メディアも対応を迫られている。日本新聞協会は1月16日に「裁判員制度開始にあたっての取材・報道指針」を公表した。しかし、それは指針というよりガイドラインで、各社の自主性に委ねるとの内容だ。日本雑誌協会などは見直し不要との見解(1月22日公表)を示すなど、メディアの足並みもそろっていない。

       裁判員制度で供述報道はどう変わる

  なぜメディアが対応を迫られているかというと、分かりやすく言えば、プロの裁判官と違って、評決に加わる一般市民はテレビや新聞の報道に引きずられる可能性があるとの懸念が司法側にあるからだ。踏み込んで言えば、容疑者や被告を犯人(有罪)と決めつける、いわゆる「犯人視報道」が裁判員に予断を与える恐れがあるというのだ。

  02年に政府の司法制度改革推進本部の「裁判員制度・刑事検討会」では、公正な裁判を妨げないために取材や報道規制を法律に盛り込むべきだとの論議がなされた。翌03年3月の司法制度改革推進本部の「たたき台」では、「裁判の公正を妨げる行為の禁止」が組み込まれ、「報道機関は裁判員に事件に関する偏見を生じせしめないように配慮しなければならいないものとする」とする「偏見報道禁止規定」が明記され、報道の自由への侵害に当たるなどと大きな問題となった。最終的に04年1月の政府骨格案「裁判員制度の概略について」では、偏見報道禁止規定は盛り込まれなかったが、裁判員への接触禁止規定と個人情報の保護規定が設けられ、04年5月、裁判員法は国会で可決・成立した。

  しかし、司法側の懸念を残しながら成立した法律だけに、メディア側も自主ルールを作成するなどの対応が求められた。冒頭の日本新聞協会が公表した裁判員制度に伴う取材・報道の在り方の確認事項は次の通り。

  ▽捜査段階の供述の報道にあたっては、供述とは、多くの場合、その一部が捜査当局や弁護士等を通じて間接的に伝えられるものであり、情報提供者の立場によって力点の置き方やニュアンスが異なること、時を追って変遷する例があることなどを念頭に、内容のすべてがそのまま真実であるとの印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分配慮する。
 ▽被疑者の対人関係や成育歴等のプロフィルは、当該事件の本質や背景を理解するうえで必要な範囲内で報じる。前科・前歴については、これまで同様、慎重に取り扱う。
 ▽事件に関する識者のコメントや分析は、被疑者が犯人であるとの印象を読者・視聴者に植え付けることのないよう十分留意する。=日本新聞協会ホームページから=

  上記の3点事項を要約すると、供述やプロフィル、前科・前歴、識者の分析などを慎重に取り扱うように求めている。3点事項をもとに、今度は加盟各社が自主ルールをつくることになる。しかし、「ヘタにルールをつくって、取材現場が萎縮しては元も子もない」というのが新聞各社の本音だろう。典型的な例が、記者が「夜討ち朝駆け」で得た自供内容の取り扱い。捜査当局の取り調べ手法はまず自供を引き出すことにあり、この情報にいち早くメディアが接することでスクープ記事が生まれる。それをたとえば、「供述報道は犯人視報道とうけとられかねないので自粛する」とルール化すると、記者は夜討ち朝駆けの取材意欲を失う。特に社会部など取材現場は、警察(サツ)での取材を記者教育の基本と考えているので、「サツネタが取れなくなる自主ルールはジャーナリズムの自殺行為だ」と猛烈に反発するだろう。

 1980年代後半、新聞やテレビメディアは、それまでの被疑者の呼び捨てから容疑者や肩書呼称の報道へと改めた。推定無罪の原則に反すると司法側からの強い要請があったからだ。当時、呼び捨て報道を改めることで、随分と取材現場の意識が変わった、とは私自身の体験でもある。その後、プライバシーの尊重や、個人情報の保護といった司法の流れとある意味で同調しながら取材手法も徐々に変化してきた。

  しかし、供述報道は警察の取り調べ手法が自供である以上、変わらない。コインの表裏である。つまり、報道側だけが姿勢を改めるというのは無理があるのではないか。となると、自主ルールといっても、テレビ番組のお断りテップのように、記事の末尾に「自供に関しては裁判で覆される可能性もあります」の表現を入れるか、情報の出所を明記するなどの配慮が精いっぱいではないのか。

 ⇒11日(祝)夜・金沢の天気   はれ

★メディア縦乱‐1

★メディア縦乱‐1

  ディプロマ・ミルという言葉をご存知だろうか。Diploma Mill、直訳すれば証書工場となるが、ディグリー・ミル(Degree Mill)、学位工場の方が分かりやすいかもしれない。その国で大学と認定されていない機関から「学位」取得することである。学位商法とも呼ばれる。この問題がメディアを巻き込んだ「ある事件」へと展開した。以下、まとめる。

       記事の裏づけ

   ディプロマ・ミル問題が明らかになったのは、私が勤める金沢大学。文科省は昨年末に公表した全大学・短大を対象にした調査で、44大学の教員49人の非認定学位が、採用・昇進の際に経歴に記載されていたと公表した。それを詳細に取材フォローした1月26日付の朝日新聞によると、金沢大学医学部保健学科で理学療法を教える男性教授は、2002年にニューポート大学の博士号を取得した。03年にこの学位も記載した書類で選考に臨み、助教授から教授に昇進した。教授選考では、業績、博士の学位、教育の経験など3つの条件が総合的に判断される。選考過程で「ニューポート大とは何だ」と話題になったが、業績が優れているため昇進が認められたという。また、同じく医学部保健学科の女性准教授(看護学)は1997年にこれも同じくニューポート大の修士号を取得して経歴に載せ、99年に講師から昇進した、との記事内容だった。

  今度は、これを報ずるメディア側に問題が起きた。この朝日新聞の記事を後追いしたかたちで、1月27日付の読売新聞石川県版では、金沢大学の男性教授と女性准教授がアメリカで学位と認められていない学位を取得し、経歴として使っていたこと、それに対する大学の見解についての記事が掲載された。ところが、大学側の見解は実際に取材しておらず、ネット上の「アサヒ・コム」などを見て執筆してたことが、大学側から読売新聞に対する問い合わせで判明した。ことの顛末は2月1日付の朝日新聞で「読売記者、取材せず記事」という3段抜きの見出しの記事となった。

  そのときの状況を推察すると、朝日の掲載日は1月26日、土曜日である。読売の掲載日は27日、つまり日曜日。とうことは、読売の男性記者が執筆したのは26日の土曜日である。大学の業務は休み。記者はおそらく広報に問い合わせたのだろうが、確認できなかった。そこで、やむなく他紙の記事を参考に書いてしまった、というパターンなのだろう。本来、広報が休みならば、学長に確認するというくらい気構えがないと記事は書けない。が、記者は「簡単、お手軽」なネットの記事を漁ったということなのだろう。記者はその後、休職1ヵ月の懲戒処分となった。

  取材の裏付けなしの記事は、新聞メディアの世界では「あるまじき行為」とされる。捏造とは次元が異なるが、いわば記者として「信頼を損なう行為」である。もちろん、メディア側の不祥事をあげつらって、ネタ元となった大学側の問題に煙幕を張るというつもりでブログを書いたわけではない。

 ⇒8日(金)夜・金沢の天気   くもり

★続・「ニュースの天才」

★続・「ニュースの天才」

 先日、7月24日の「自在コラム」で、中国の北京テレビが放送した、段ボール紙を混ぜた肉まん販売の報道は「やらせ」だったと中国当局が発表したものの、その続報が出てこないので、ひょっとしたらその発表報道に何か裏があるのでないか、と書いた。今回も中国の話である。

  中国から「カシミヤ100%」の表示で輸入されたセーターやマフラーに別の動物の毛が混じっていたとして85万点が回収された。「綿羊絨(めんようじゅう)」と呼ばれる羊の一種やヤクの毛などが、中国での製造過程で混入されたらしい。製造工程における中国製品のうさんくささがまたもや露呈した話だが、果たして責任は中国だけにあるのか、と言いたい。アパレルのプロだったら、カシミヤの手触りでだいたい真贋の判別はつくはずだ。混入を承知で販売し、利益を上げていたとしたら、日本企業の方が問題ではないのか。

  週刊誌やテレビの連日の報道に触れていると、そのうち中国産の製品は店頭からすべて追放されるのではないかと思うくらいだ。そうなると、今度は「国内産」と偽装した「中国産」が売られる可能性がある。本当に怖いのはその点だ。

  中国製品の話ではないが、先日、大学の研究員から聞いた話である。北朝鮮と国境を接するある中国の山中に日本側の大学が観測機器を複数設置することになった。データは日中の大学で共有することとし、中国の大学に協力を求めた。ところが、中国側は観測機の見回り料金を月ごとに払えと主張してきた。データこそ価値があるのだが、中国側の目当ては研究もさることながら金だったのである。その話を聞いて、そのうち観測機器そのものが一つ減り、二つ減りしていくのではないかと邪推した。

  一連のニュースなどを見て、製品の完成度や顧客満足度など日本の価値観とは相容れない。この春、北京でディズニーランドそっくりの遊園地が出現したことが報道された。日本側の取材者が「これはミッキーマウスではないのか」とインタビューすると、遊園地の関係者は「いやこれは大きな猫である」と強弁して見せた。著作権違反というニュースの切り口だったが、一つの遊園地の次元を超えて、中国経済に潜む壮大なフィクションを感じさせた。

  アメリカの映画「ニュースの天才」では、若干24歳のスティーブン・グラス(ヘイデン・クリステンセン)が政財界のゴシップなど数々のスクープをものにし、スター記者へとのし上がっていく。彼の態度は謙虚で控えめ、そして上司や同僚への気配りを忘れない人柄から、編集部での信頼も厚かった。しかし、すべてがフィクションで構成された記事だった。中国の経済成長もすさまじい勢いだ。が、その綻(ほころ)びが出始めているのではないか。フィクションは一筋の綻びが延々と連なる。

⇒5日(日)午前・金沢の天気  はれ

★「ニュースの天才」

★「ニュースの天才」

 おととし(2005年)の話になるが、アメリカ映画で「ニュースの天才」を鑑賞した。かいつまんで内容を紹介すると、大統領専用機内に唯一設置されている米国で最も権威のあるニュース雑誌の若干24歳のスティーブン・グラス(ヘイデン・クリステンセン)が政財界のゴシップなど数々のスクープをものにし、スター記者として成長していく。グラスの態度は謙虚で控えめ、そして上司や同僚への気配りを忘れない人柄から、編集部での信頼も厚かった。しかし、ある時、グラスの「ハッカー天国」というスクープ記事に、他誌から捏造疑惑が浮かび上がり、グラスの捏造記事が発覚していくというストーリーだ。実話をもとに制作された映画だった。

  中国の北京テレビが放送した、段ボール紙を混ぜた肉まん販売の報道は「やらせ」だったと、日本で報道されている。しかし、真実がよく分からない。なぜなら、テレビ局側が当局に謝罪したというが、日本でいう「検証報道」がなされていないので、実態がつかみにくい。

  たとえば、臨時スタッフだったという記者が「紙くずを混ぜた肉まん」の通報を受けて市内を探し回ったが、問題の肉まんは発見できなかった。テレビ局の制作会議で番組として取り上げようと提案した手前、引くに引けなかった。そこで、身分を偽って露店主に段ボール肉まんをつくるように依頼した、という。身分を偽るとはどういう意味なのだろうか。その必要はあったのか。日本の新聞各紙は背景に中国で台頭してきた市場経済の波で、視聴率競争が過熱している、と伝えている。果たして、そんな複雑な経済的な背景があるのだろうか。そもそも中国における視聴率競争はどんな方法でデータを取っているか、公正に評価できるシステムとして確立されているのか聞いてみたい。

  中国の食の安全性の問題を海外にさらしたのである。国家の威信を傷つけたのだから謝罪では済まないだろう。「やらせ」と認めたのであれば、前述したように「検証番組」を制作してはどうか。ぜひ見てみたい。

  アメリカの「ニュースの天才」は架空の話を事実のように報道したが、事実を架空の話にして、事実を覆い隠そうとうするケ-スもある。もしそうだとしたら、一枚上手の「ニュースの天才」なのだが。想像でしか言えないところがもどかしい。

 ⇒24日(火)夜・金沢の天気   はれ