⇒メディア時評

☆地デジ、アメリカ流~下

☆地デジ、アメリカ流~下

 では、ミラー・ジェームス氏はアウトリーチでどのような活動をしたのだろうか。自身が地元のテレビ局に出演して、地デジをPRしたり、家電量販店に出向いて、コンバーターの在庫は何個あるのかを確認した。また、ボーイスカウトや工業高校の生徒や大学生が高齢者世帯で、UHFアンテナを設置するボランティアをしたり、NG0や電機メーカーの社員がコンバーターの取り付けや説明に行ったりと、行政ではカバーしきれないことを地域の住民や団体が連携してサポートした。そうした行政以外の支援を活用するコーディネーションをミラー氏は現地で行った。

       日本のテレビ局はもっと地域に入り普及活動を

 法律家であるミラー氏は、「日本の場合はテレビを受信することは権利」とらえられているが、アメリカでは受信するかしないかは個人の自由という受け止め方になる」と話す。隣地にビルが建って電波が受信できなければ、日本では民法上で権利として主張できる。アメリカの場合は、コモン・ロー(判例法)をルーツとしており、権利的な保護はなく、あくまでも受信者の責任と負担で、となる。これを地デジの現場に当てはめれば、アメリカでは困っている人を助けるという発想でボランティア活動が活発だった。一方日本では、政府による「新たな難視」を出さないためのあらゆる手が打たれ、自治体も手を差し伸べているが、アメリカのような地域のNPOや民間団体による支援の動きは目立っていない。日本では、「地デジは国が責任を持って行うもの」との雰囲気が強いからだ。

 そうした日米の意識や文化の違いのツボを押さえると、アメリカと日本の地デジの課題と現状がよく見えてくる。2009年6月12日に地デジ移行を終えたアメリカでは、地デジ未対応の世帯は貧困層を中心にまだある。クーポン配布プログラムは7月末で受け付けを終えた。下院からは、アンテナ救済とクーポン延長の法案が出されたが、廃案に終わった。この時点で申し込みがないとすれば、後は「受信するかしないかは個人の自由」との解釈になる。では、テレビが完全に視聴できなくなったのかというとそうではない。デジタル化の対象外である、宗教団体や自治体、学校などが運営するLPTV(低出力のコミュニティー局)が地域にある。こうしたローカルな番組はアナログのテレビで視聴ができるのだ。

 最後にミラー氏は、1年後に地デジ移行する日本へのアドバイスとして次のことを挙げた。「地デジ移行は官製のキャンペーンだけではなく、例えば大学に働きかけて、お年寄り宅の地デジ化をサポートする学生ボランティアの輪を広げるなど、もっと民間のチカラを活用すべきだ」と。また、テレビ局に対しては、「地デジはテレビの魅力やパワーを訴えるよいチャンスととらえて、テレビ局の人たち自身がもっと地域に入ってキャンペーンを繰り広げてはどうか」と提案し、講演を締めくくった。日本の地デジ移行では、行政と視聴者の中間で動く地域団体やNPO、ボランティアの存在が成否のカギとなるに違いない。

※写真はポートランドの学生による手作りのアンテナ。学生ボランティアとして高齢者宅などに設置した(ミラー氏提供)

⇒8日(土)朝・金沢の天気  はれ

★地デジ、アメリカ流~上

★地デジ、アメリカ流~上

 アメリカは日本よりひと足早く2009年6月12日に地上デジタル放送(DTV)への移行を終えた。アメリカの地デジ移行はさほど混乱はなかったというのが定評となっているが、果たしてそうだったのか。ことし7月24日に地デジ移行を控える日本の現状を見るについそんなことを考えてしまう。アメリカのどのようなパワーがあって地デジ移行を終えることができたのか。友人でもあるアメリカ連邦通信委員会(FCC)工学技術部の法律顧間であるミラー・ジェームス弁護士を昨年7月、金沢大学に招きセミナーを開催した。そのときの講義メモを紹介する。

       地域の中に入り支援するアウトリーチという考え

  ミラー氏を講師に招いた理由が2つある。1つ目は、FCCのスタッフとして、アメリカの西海岸(オレゴン州ポートランドなど)に出向き、地デジの広報活動や視聴者対応の現場にかかわってきたこと。2つ目は、 マンスフィールドフェローシップ・プログラム(連邦政府職員の日本研修)の一員として、2004年から2006年の足掛け3年、 総務省(総合通信基盤局電波部)や経済産業省、知的財産高等裁判所などで知見を広め、日本の電波行政やコンテンツ政策にも明るいこと。ちなみに、私はミラー氏の金沢でのプログラム(2005年)で知己を得た。

 1996年のアメリカの通信法の改正で「アナログ停波、デジタルヘの移行義務」が定められた。その目的は、日本と同様に電波割り当ての再編だった。例えば、FCCは放送に割り当てていたUHF帯域を縮小し、24MHz帯幅のチャンネルを警察など公安利用に割り当てる一方で、固定通信や移動通信、放送などに開放し、競売で免許交付を行った。当初、アメリカは地デジ移行に楽観的だった。何しろアンテナ受信が日本に比べ少ない。アメリカの場合、85%の家庭はケーブルテレビなどで視聴しており(2009年統計)、 アンテナで見るのは15%だったからだ。逆に、日本の場合は76%がアンテナでの視聴となる(2009年統計)。これを人口で換算すると、 日本(人口1億2700万人)のうち約9600万人、アメリカ(同3億900万人)は約4600万人がアンテナで視聴していることになる。このため、アメリカでは移行の時期について、当初「視聴世帯の80%Jがデジタル対応の準備を終えていることを目安にし、段階的に2006年までにアナログを停波するとしていた。ところが、2005年の調査で視聴世帯のわずか3.3%しか地デジの準備がされておらず、2006年の法改正では「2009年2月17日」をハードデートとして無条件に地デジヘ移行する日と決めた。

 2008年元旦から、アメリカ商務省電気通信情報局(NTIA)がデジタルからアナログヘの専用コンバーター購入用クーポン券の申請受け付けを始めた。アメリカ政府は40ドルのクーポンを1世帯2枚まで補助することにした。2009年に入り、クーポン配布プログラムの予算が上限に達してしまい、230万世帯(410万枚分)のクーポン申請者が待機リストに残されるという事態が起きた。オバマ大統領(当時は政権移行チーム)は連邦議会に対して、DTV移行完了期日の延期案を可決するように要請した。同時にDTV移行完了によって空くことになる周波数オークションの落札者だったAT&Tとベライゾンの同意を得て、4ヵ月間延期して「6月12日」とする法案が審議、可決された。FCCの定めた手続きでは、「2月17日」の期限を待たずにアナログ放送を打ち切ることができるため、この時点ですでにアメリカの1759の放送局(フル出力局)の36%にあたる641局がアナログ放送を停止していた。

 オバマの「チェンジ!」の掛け声はFCCこも及び、スタッフ部門1900人のうち300人ほどが地域に派遣され、視聴者へのサポートに入った。ミラー氏は2008年11月から地デジ移行後の7月中旬まで、カリフォニア州北部、シアトル、ポートランドに派遣された。その目的は「コミュニティー・アウトリーチ」と呼ばれるもので、アウトリーチとは援助を求めている人のところに援助者の方から出向くこと。つまり、地域社会に入り、連携して支援することだった。

※写真は、ポートランドで地デジの説明会を開くミラー氏。高齢者や貧困層への対応が課題だった(同氏提供)

⇒7日(金)朝・能登の天気  はれ

☆地デジ伸るか反るか

☆地デジ伸るか反るか

 2011年7月24日正午に地上波テレビのアナログ波が停止し、デジタル放送に完全移行する。地デジ完全移行後のアナログ対応テレビは「砂嵐」のような画面になる。NHKと民放の各局はこの画面のイメージを今月から告知番組で繰り返し流し始める予定だ。

 現実に目を向けてみよう。地デジの世帯普及率は、昨年3月の総務省の調査では、薄型テレビなどのデジタル対応受信機の世帯普及率は83.8%だ。これ以降で、テレビの買い替えが進んでいるとしても90%に届いているかどうか。さらに、ビル陰による受信障害が約319万世帯、山間部のデジタル波が届かない地域は72万世帯にも上る。さらに、地デジに対応しないVHFアンテナしかない世帯は大都市圏を中心に220万世帯から460万世帯もあるとされる。これら問題が解決されないと、「7月24日」に仮に10%の世帯が取り残されたとして、全国約5千万世帯のうち500万世帯の「テレビ難民」が発生する。

 2009年6月12日に地デジ移行したアメリカはもともとケーブルテレビ局の普及が85%もあり、無理なく移行できると踏んでいたが、それでも2度延期した。デジタル放送を従来のアナログ受信機で視聴できように変換するデジタル・コンバーターを購入するクーポン券(40㌦)を1世帯2枚まで発行した。コンバーターは1台40㌦からあるので無料で、あるいは10㌦を家庭が負担すればよいコンバーターが買える仕組みだが、それでも最終的に2.5%に相当する280万世帯は取り残された。ただ、アメリカの判断は日本と違って、「アメリカでは受信するかしないかは個人の自由という受け止め方」(FCC法律顧問ミラー・ジェームス氏)と割り切る。現実に、クーポンの発行延長も議会では否決された。ところが、日本では地デジを視聴することは「国民の権利」と見なされている。それゆえ、生活保護世帯や独居老人宅には無料でチューナーが配布される。

 生活保護世帯などに無料でチューナーが配布されれば準備万端かというと、それほど単純な話ではない。チューナーが渡されるが、セットアップまでケアしていない。取り付け、新たなリモコンの操作が分からない人が実に多い。1つのチューナーで家庭のテレビすべてが視聴できるようになると勘違いしている人も多いのが現状だ。さらに、生活保護世帯はある意味で把握しやすいが、生活困窮のボーダーランにいて生活保護も受けることができず、チューナーを入手できない、地デジ対応テレビも購入できない層は数知れないのだ。そうしたボーダーライン層の声は国や地方自治体に届いていない。仮に、声が自治体に届いても、驚くことに、地デジ対策は自治体の仕事ではなく、国とテレビ局の仕事だと反発している自治体もある。

 そして、問題なのは、地デジ移行の本来の目的が国民の間で十分に理解されていないことだ。こうなると、電波の再編ために、高価な地デジ対応テレビの購入を国民に負担させるのかという論議が台頭し蒸し返される。こうした様々な後ろ向きの論議が「7月24日」に向けて、沸き起こってくるだろう。そのときに、懸命になって対応するのは一体誰なのか、政府か、テレビ業界か、自治体か・・・。果たして「7月24日」を突破できるのだろうか。あるいは延長法案の提出か。日本の地デジ、伸るか反るかの正念場だ。

※写真は、アメリカの地デジのキャンペーン。デジタル・コンバーターの普及に向け、設置の仕方を説明するTVアナウンサー(2009年)=ミラー・ジェームス氏提供

⇒3日(月)午後・金沢の天気  はれ

★未だネット選挙解禁せず

★未だネット選挙解禁せず

世界に向かって大声で言えない3つのことがあると個人的に思っている。一つは、自由貿易を目指すべき日本が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)をためらっていること、日米安保条約のもとで巣ごもり状態の日本の防衛のこと、そして日本の選挙ではインターネットの利用が禁止されていること、である。最初と2つめについては世論が割れる。ただ、3つめは有権者なら誰しも不可解に思っているだろう。なぜなら、有権者の間で是非をめぐる論争は聞いたことがない。政治家が決断できずに先送りしているだけなのだ。

 世界から嘲笑が聞こえる。「ネットを政治や選挙に活用できなくて、何がICT(情報通信技術)先進国だ、笑わせるな」と。アメリカでも韓国でも、「YouTube選挙」と言われるくらいに選挙でネット動画が盛んに利用されている。一方、日本の選挙で唯一の動画ツールである政見放送などは視聴率数%の低レベルだ。税金を無駄遣いするなと言いたくなる。

 ネット利用が公職選挙法で違法という意味合いは実に消極的な理由だ。現行法では、選挙期間中に、法定ビラなどを除きチラシやポスターなどの図画の頒布が制限されているからだ。公選法第142条(文書図画の頒布)では、衆院選(小選挙区)で使える選挙ツールは候補者1人につき、通常葉書35000枚と選管に届け出た2種類以内のビラ7万枚と決まっている。これ以外は選挙期間中使えないのだ。ネットが出始めた平成8年(1996)に総務省は「パソコン画面上の文字や写真は文書図画に該当」との見解を出し、今でも選挙期間中にホームページやブログを更新することや、電子メールを送信することを「不特定多数への文書図画の頒布」とみなして禁止している。選管などがチェックしている。

 ネットの選挙利用に政治家が消極的な理由として、政党や候補者になりすましたメールが出回ったり、ネットで政党や候補者の誹謗中傷が想定されるからだ。また、他国の国益に反する公約を掲げた候補が国外からのサーバ攻撃にさらされることを危惧する向きもある。

 とはいえ、ネット選挙は時代の流れであり、ことし7月の参院選前には解禁するよう与野党でガイドラインがまとめられたが、鳩山退陣など政局で混乱があり、公選法改正は先送りとなった。現在の公選法は1950年に制定されたもの。この60年も前の縛りで、当時はテレビやインターネットを使用した選挙活動は視野に入っていなかったが、21世紀に入ってもネットの解禁どころか、「政見放送」(第150条)によって、候補者はテレビ広告すら流せないでいる。

 さる11月28日投開票の金沢市長選の期間中に、初当選を果たした山野之義市長の支持者がツイッターで投票を呼びかけたとして、市選管がこの支持者に削除を求めていたとの記事が14日付の新聞各紙で掲載された。山野氏本人は告示後、ブログ、ツイッターとも更新していない。石川県警は警視庁と相談し、「(ネット利用を解禁する)公選法改正の動きがある微妙な時期なので立件は難しい」と警告などの措置は見送りと判断した。

 アメリカは1996年の大統領選挙が実質的な「ネット解禁」元年だった。アメリカに遅れること14年。さらに日本でのインターネットの利用者数が9408万人、人口普及率が78.0%(総務省「2009年通信利用動向調査」)に達しても、まだ法が現実に追いついていない。問題にすべきはこの点ではないか。

⇒14日(火)夜・金沢の天気   くもり

★むべなるかな

★むべなるかな

 ムベという果実をご存知だろうか。先日、その実を初めて食べた。アケビ科なのだが、熟すると裂けるアケビとは違って、ムベは赤くなるが裂けない。筋目を読んで両手で裂くと、半透明の果肉をまとった小さな黒い種子が多数あり、ほのかに香りを漂わせている。これをアケビのように種子ごとほうばるようにして口に入れる。甘い果汁が口の中で広がる。

 ムベは、いただいた能登半島の珠洲市でオンベと呼ばれている。インターネットで方言名を調べていると、グベ(長崎県諫早地方)、フユビ(島根県隠岐郡)などいろいろある。ニホンザルが好んで食べる、とある。「むべ」の語源を示唆するようなページもあった。面白いので、以下、引用して紹介する。

 琵琶湖のほとりに位置する滋賀県近江八幡市の北津田町には古い伝説が残っているそうだ。7世紀のこと。狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の男子を持つ老夫婦に出会った。「汝ら如何(いか)に斯(か)く長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で取れる珍しい果物が無病長寿の果実であり、毎年秋にこれを食するためと答えた。これを賞味した天皇は「むべなるかな」と納得して、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた、という。そのころから、この果実をムベと呼ぶようになったという。10世紀の「延喜式」には、諸国からの供え物を紹介した「宮内省諸国例貢御贄(れいくみにえ)」に、近江の国からムベがフナ、マスなど、琵琶湖の魚と一緒に朝廷へ献上されていたという記録が残っているそうだ。この地域からのムベの献上は1982年まで続いた。

 「むべなるかな」は、「まったくそのとおり」の意味で使う。大量のアメリカ外交公電を公表し、オバマ政権と世界の外交当局を揺るがせている内部告発サイト「Wikileaks(ウィキリークス)」。外交公電のほとんどは、過去3年間にアメリカ国務省と270の在外公館の間で交わされたもので、大使館員らと駐在国の閣僚や政府高官の会話が中心となっている。では、ウィキリークスで公表された内容は果たして内部告発なのか。4日付の各紙によると、中国の外務次官が2009年4月にアメリカ大使館幹部に「北朝鮮は大人の気を引く『駄々っ子』のような行動をする」「中国も北朝鮮のことが好きではないかもしれない」と語ったとの公電が暴露されたとあった。中国高官が本音を語ったものだが、「むべなるかな」ではないのか。普段ニュースに接していれば、誰だってそう思うだろう。どこに告発性があるのか。

 アメリカ政府の外交公電流出については、イラク駐留当時に秘密文書を閲覧できる立場にあった陸軍上等兵の関与が濃厚になっている。25万点という数には驚くが、ロシアのプーチン首相の評価「プーチン首相がバットマンでメドベーチェフ大統領は相棒のロビン」、イタリアのベルルスコーニ首相の評価「軽率でうぬぼれが強い」、北朝鮮の金正日総書記の評価「体がたるんだ年寄り、精神的、肉体的なトラウマを抱える」などは、どれも「むべなるかな」であり、どこに機密性があるのだろうか。ただ、アメリカの外交公電とは、悪口に満ちた外交官の内緒の話だとうことはよく理解できた。

 内部告発は、ある種の目的を持って発掘するものだろう。歴史の舞台裏で権力者によって隠されていた事実を赤裸々にしてこそ価値がある。内部告発サイトならば、「むべなるかな」ではなく、「げにあるまじきこと」の暴露だ。

⇒5日(日)夜・金沢の天気  はれ

★対岸の戦火

★対岸の戦火

 昨夜、中国に出張している知人からメールがあった。「北朝鮮の件の影響で、上海空港で飛行機の中に2時間以上缶詰になってました。おかげで仕事ははかどりましたが。地球環境うんぬん以前の問題が、まだ地球上には山積みのようですね」と。課題の優先順位から言えば、地球環境問題というのは、平和が達成されないと難しいとの感想だ。

 それにしても、「戦争」を伝えるメディアは内容もすさまじい。以下は、各紙の引用だ。

 「これは訓練ではない。実戦だ」と呼び掛ける放送が響き、何の前触れもなく砲弾が降ってきた。北朝鮮の朝鮮人民軍による砲撃を受けた韓国・延坪島。集落では次々と火柱が上がり、韓国メディアは、なすすべもなく逃げ惑う住民の様子を伝えた。(24日付・フヤーでの「共同通信」記事)

 韓国大統領府によると、李明博(イミョンバク)大統領は、北朝鮮の砲撃直後、韓国軍合同参謀本部とのテレビ会議で、「何倍でもやり返せ」と指示し、強硬姿勢を示した。3月の北朝鮮による韓国海軍哨戒艦「天安(チョンアン)」沈没事件では46人が死亡しており、再び被害を出す事態は看過できないからだ。(24日付・読売新聞インターネット版)

 24日の東京株式市場で、日経平均株価は朝鮮半島情勢の緊迫化を嫌気して3営業日ぶりに1万円を割って取引が始まった。(24日付・朝日新聞インターネット版)

 「戦闘状態」に入り、すべてのニュースが対岸(朝鮮半島)の火に目を向けている。メディアは、閣僚の放言など問題にしている暇はないとばかりに、報道姿勢が「戦時モード」になる。おそらくこれで、菅内閣はホッと胸をなでおろしているに違いない。そして、有事では現政権というのは結束して「磐石」になるものだ。

 結論を急ぐが、私は「メディアの限界は戦争にある」と思う。メディアの絶対価値というのがあって、何が何でも一面トップの記事はすでに決まっている。「大地震」「政権交代」「天皇崩御」、そ市て「戦争」だ。ニュースというのは、優先順位がつけられていること、内容が裏づけされていること、速報することで価値が高まる。しかし、ひとつのニュースが日常化されたかのように報じられると、取材する側も視聴・読者側もそのほかのニュース感覚がマヒしてくる。

 近年では湾岸戦争、同時多発テロ、イラク戦争などにわれわれは毎日、まるでエンターテイメントのように関心を示したものだ。こうした「戦争報道」の裏で、本来ニュースとして価値のあるも出来事がどれほど葬り去れたことか。

⇒24日(水)朝・金沢の天気 くもり

☆ジャーナリズムの現場

☆ジャーナリズムの現場

 私は金沢大学の教養科目で「マスメディアと現代を読み解く」「ジャーナリズム論」「いしかわ新情報書府学」の3科目を担当していて、授業はかれこれ5年目になる。授業では、いろいろなゲストスピーカーを招き、報道やメディアの現場を語ってもらったが、今回の講義ほど「生々しさ」を感じたことはなかった。きょう(10月19日)のジャーナリズム論で話していただいた、朝日新聞大阪本社編集局社会エディター、平山長雄氏の講義のことである。

 朝日新聞は、ことし9月21日付の紙面で大阪地検特捜部の主任検事による押収資料改ざん事件をスクープした。この特ダネが評価され、平山氏は今月15日に開かれた第63回新聞大会(東京)で、取材班を代表して新聞協会賞を受賞した。学生は200人、私自身も多少緊張して耳を傾けた。

 一連の事件の発端は、ある意味で当地から始まる。2008年10月6日付けで、印刷会社「ウイルコ」(石川県白山市)が「低料第3種郵便物」割引制度(郵便の障害者割引)を不正利用してダイレクトメールを大量に発送していたことを朝日新聞が報じる。1通120円のDM送料がたった8円になるという障害者団体向け割引郵便制度を悪用し、実態のない団体名義で企業広告が格安で大量発送された事件が明るみとなった。これによって、家電量販店大手などが不正に免れた郵便料は少なくとも220億円以上の巨額な金になる。国税も動き、さらに大阪地検特捜部は2010年2月以降、郵便法違反容疑などで強制捜査に着手した。事件の2幕は舞台が厚生労働省へと移る。割引郵便制度の適用を受けるための、同省から自称障害者団体「凛の会」へ偽の証明書が発行されたことが分かり、特捜部は2009年7月、発行に関与したとして当時の局長や部下、同会の会長らを虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴した。

 ところが、元局長については、関与を捜査段階で認めたとされる元部下らの供述調書が「検事の誘導で作成された」として、ことし9月10日、大阪地裁は無罪判決を下した。そして、同月21日付紙面で、大阪地検特捜部が証拠品として押収したフロッピーディスク(FD)が改ざんされた疑いがあると朝日新聞が報じる。その後、事件を担当した前田恒彦主任検事が証拠隠滅容疑で 、上司の大坪弘道特捜部長、佐賀元明特捜副部長(いずれも当時)が犯人隠避容疑で最高検察庁に逮捕される前代未聞の事態となった。

 一連の事件の概略は以上だ。では、なぜ元局長が無罪となったのか。報道してきた責任として検証しなければならない。さらに、浮かんできたのが主任検事による押収したフロッピーの改ざん疑惑だった。取材記者はすでにこの端緒となる話を7月ごろに聞いていた。元局長無罪の判決を受けて、疑惑を検事に向けて取材しなけらばならない。相手は政治家も逮捕できる検察である。その矛先が新聞社の取材そのものに向いてくる場合も想定され、一歩間違えば、「検察vs朝日新聞社」の対決の構図となる。被告側に返却されていたフロッピーを借りに行った記者に、被告側の弁護士は「検察そのものを取材にあなたは本当に入れるのか」とその覚悟の程を問うた、という。

 こうした伸るか反るか、取材者側のギリギリの判断があったことが淡々と授業では語られた。それが返って、私には臨場感として伝わってきた。最後に平山氏は「権力の監視、チェックこそがジャーナリズムの本来の使命であるということを改めて心に刻んだ」と締めた。ジャーナリズムの現場の重く、そして尊い言葉として響いた。

⇒19日(火)夜・金沢の天気   くもり

★ニュースは毒を飲んだか

★ニュースは毒を飲んだか

 テレビの電源を入れれば、新聞を広げれば、ニュースは目に入ってくる。最近はパソコン画面でインターネットを経由してニュースを読むことも多い。われわれはそのニュースを脳に入れて生活している。最近は、痛ましいニュースが多すぎると感じている。幼児への虐待死、保険金殺人、高齢者の死亡放置と年金詐取など。このようなニュースに毎日接すれば、視聴する側の精神構造は一体どのようになってしまうのかと考えてしまう。

 「不明100歳超 279人に」「京阪神3市に集中」との見出しがきょう13日付の朝日新聞に躍った。朝日新聞社が集計した、不明100歳超279人のうち221人が京阪神、つまり京都府、大阪府、兵庫県の3自治体なのだ。また、東北や北陸など26県は1人もいなかった。人口が1300万人の東京都が13人なので、人口比としては京阪神は異常に多いことになる。すると、印象として「行政の怠慢」「年金詐取」「老人への虐待死」などいろいろと考えてしまう。もし私が京阪神に住んでいたら、思いはもっと複雑だろう。

 こんなニュースを書いてもらって迷惑だと言っているのではない。このようなニュースで心が憂鬱になったり、会話の話題が暗くなる。京阪神の人たちはこのニュースをいつものように、明るく笑い飛ばせているのだろうか。こんなニュース、誰も目にしたくはない。不快なのである。

 この「不明100歳超 279人に」のニュースは始まりであって終わりではない。いまは住民登録上の話であるものの、実態調査が行政と警察が一体となって今後進むはずである。すると何が暴かれるのか。想像しただけでさらに身震いが起きるほどの現実が見えてくることになる。そこに「金(かね)」という現実が見え隠れしてくると「詐取」という刑事事件となる。

 このニュースに終わりもない。さらに、世論に突き動かされて、「不明100歳超」から「不明90歳超」の実態調査へと進んでいくだろう。恐らく何年と実態解明に時間がかかるだろう。奇妙、奇怪、おぞましい、空恐ろしい…。これから続々と出てくるであろう「ニュース」である。肉親、家族にまつわる深淵が暴かれる。

 このニュースを突破口に浮かび上がるのは日本の社会の現実だ。フランスの社会学者デュルケームはかつて、社会の規範が緩んで崩壊に至る無規範状態をアノミー(anomie)という言葉を使って説明した。個人レベルでは、欲求と価値の錯乱状態、つまり葛藤(かっとう)が起きている。「不明100歳超279人」のニュースが今後映し出していくのは、まさに社会の混乱や崩壊へと至る個人の葛藤の数々ではないか。それにしても、そのようなニュースを取り上げざるを得なくなったメディアには同情せざるを得ない。「ニュースは毒を飲まされてしまった」あるいは「お気の毒」と。

⇒13日(金)夜・金沢の天気  くもり

☆人々の死の告知

☆人々の死の告知

 ローカル紙あるいは全国紙の地方版には、新聞社が独自に判断して著名人の死を掲載する記事死亡や、企業経営者ら名士の死を告知する死亡広告とは別に、「おくやみ欄」や「おくやみページ」というものがある。掲載は無料で、短信ながら、市町村別に亡くなれた方の名前や年齢、死亡日、葬儀の日程と場所、喪主、遺族の言葉で構成され、このページのニーズは高い。

 おくやみ欄に目を通すといろいろなことが脳裏をよぎる。若い人の死亡が散見される。20代、30代、40代での死亡は、その死亡原因を想像してしまう。病死か、交通事故死か、あるいは自殺か、と。その喪主が父母だったりすると心中をはかるに忍びない。遺族の言葉に「やさしい子でした」とあると病死か、「精一杯頑張りました」とあると自殺かとつい思いをめぐらしてしまう。喪主が妻だと、妻子の生活や将来を他人ながらつい案じてしまう。

 ことし5月の連休に訪れた沖縄では、地元紙に日々掲載される死亡広告の多さに圧倒された。おそらく、沖縄では名士でなくとも、人の死を電話ではなく、地元紙に死亡広告を出して親族に知らせるのが普通なのだろう。その方が、迅速に広範囲に告知できるからだ。現地で「カメヌクー」と呼ばれる亀甲墓はとにかく大きい=写真=。1000坪の敷地の墓もあると観光ガイトから聞いた。このお墓の大きさからして、確かに数十人の参列の葬儀は合わない。死亡広告でファミリーに広く知らせるのが沖縄流なのだろう。ちなみに、沖縄の亀甲墓の形は母親の胎内を象徴しているのだという。死者は常に産まれた所に還り、ご先祖さまはまたいつか赤ん坊になって還って来るという「あの世観」があるそうだ。

 人の死を告知する「おくやみ欄」は、地方紙の販売戦略という意味合いもあるが、それは別として、この欄があることで、人々の死はオープンであり、身近な存在に感じる。もちろん、遺族によっては掲載してほしくないというケースもあるだろう。ともあれ、朝刊で知って、弔電を打ったり、数珠を持って出社して夕方帰りに通夜に参列したりということも日常である。ところが、全国紙の東京都内版ではこの「おくやみ欄」はない。都内版で「おやくみ欄」を入れると数が膨大でニュースのスペースが圧迫されるからだろう。せいぜいが著名人の死亡記事が散発的に掲載される程度だ。

 ここで、東京・足立区で111歳の男性とみられる白骨遺体が見つかった事件を、「人の死の告知」という観点で考えてみる。地方に住む者にとって、「おくやみ欄」を通じて、人の死は告知されるのが普通と考える。では、都内はどうだろうか。おそらく、人の死の告知は死亡記事で書かれるような名士、つまり上場企業の元経営者、作家、あるはよく知られた芸能人とか限られたケースと考えられているのではないか。

 人の死の告知というシステムがなければ、人の死は遺族が知りえる親戚、限られた友人、知人だけの周知にとどまってしまう。ところが、人生は遺族が知りえるほどの狭さではない。その人に会社というステージがあれば、さまざまにかかわってきた人がいて、喜怒哀楽があったはずである。葬儀場に赴かなくとも、どこかで哀悼してくれる人がいるはずである。自身もそうだ。お世話なった人の名が「おくやみ欄」にあればその場で悼む。

 「111歳の男性」は告知されるどころか、その死すら否定されてきた。その後の報道によると、100歳以上の10数人の生存が確認されていないという。これは氷山の一角だろう。生死観は人間のモラルの原点である。人の死の尊厳とは何か。放置される死もあれば、放置される命もある。生と死に関する人々の関与が希薄になっている。

⇒4日(水)朝・金沢の天気  はれ

★地デジ化の扉・下

★地デジ化の扉・下

 7月24日の「地デジカ大作戦」は1年前イベントであり、全国で展開された。あえて沖縄での様子を各メディアのニュースで拾ってみる。今年3月に総務省が実施した地デジ世帯普及率調査で、沖縄県は全国平均の83.7%に対し65.9%と17.8ポイントも低く、全国最下位にあまんじている。

         沖縄の「いちでージーサー」

  沖縄の地デジカ大作戦は、那覇市で実施された。イベントには「沖縄県地デ~ジ支援し隊」をはじめ、沖縄県の放送局各局のキャラクターたちも参加し、うちわを配布するなどして地デジ化をアピール。また、舞踊集団がパフォーマンスを披露し、イベントを盛り上げたという。このまま地デジ完全移行の日が近付くと、テレビの購入や工事などが同時期に殺到し、環境整備が遅れる可能性があり、イベントでは早めの地デジ対応を県民に呼び掛けたのは言うまでもない。

  イベントとは別に、沖縄県では、県地上デジタル放送受信者支援事業として「地デ~ジ支援し隊」のキャンペーンを張り、市町村役場に相談窓口を設置している。とくに、経済的困難などの理由で地デジ受信が困難な世帯に対する支援が中心で、市町村の公営住宅などを中心にキャラバンを行うなどしている。補助の対象は県在住で世帯全員が市町村民税非課税であること。支援金は地デジテレビ関連機器購入費用のうち最大12,000円(対象経費を超えない額)となる。この支援を受ければ、少なくともデジアナ変換のチューナーが買える。

  こうした手厚い支援がこの一年でどこまで浸透するのか、注目したい。実は、地デジの延期論が起きている一つの根拠に県別の普及率が大きすぎるとの意見がある。普及率トップの富山県(88.8%)と沖縄の差は22.9ポイントもある。このまま格差が開けば、日本の地デジ政策を揺るがす火ダネとなりかねない。沖縄県庁のホームページを閲覧すると、情報政策課の地デジ対策のアイコンで「早く地デジにしないと いちでージーサー」とシーサー(沖縄の魔よけ)キャラクターが呼びかけている=写真=。「いちでージーサー」は「一大事だ」の意味だ。

 基地問題と同様に、地デジ問題も「沖縄の憂鬱(うつ)」の一つになっているのは想像に難くない。なにしろ、アナログ停波は「予定された災害」なのである。「ナンクルナイサー(なんとかなるさ)」では済まされない事情を沖縄で検証してみた。

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