⇒メディア時評

★震災とマスメディア-6-

★震災とマスメディア-6-

 2007年7月16日、能登半島地震と同じ日本海側で新潟県中越沖地震が発生し、新潟県や長野県が震度6強の激しい揺れに見舞われた。震源に近く、被害が大きかった新潟県柏崎市は原子力発電所の立地場所でもあり、地震と原発がメディアの取材のポイントとなっていた。そんな中で、「情報こそライフライン」と被災者向けの情報に徹底し、24時間の生放送を41日間続けたコミュニティー放送(FM)があった。このコミュニティー放送が何をどのように被災者に向け発信したのか、具体事例を通して「震災とメディア」を考察したい。

      「メディアにできること」の可能性を追求したFMピッカラ

 震災から3ヵ月後、被災地を取材に訪れた。住宅街には倒壊したままの家屋が散見され、柏崎駅前の商店街の歩道はあちこちでひずみが残っていて歩きにくかった。復旧半ばという印象だった。コミュニティー放送「FMピッカラ」はそうした商店街の一角にあった。祝日の午前の静けさを破る震度6強の揺れがあったのは午前10時13分ごろ。その1分45秒後には、「お聞きの放送は76.3メガヘルツ。ただいま大きな揺れを感じましたが、皆さんは大丈夫ですか」と緊急放送に入った。午前11時から始まるレギュラーの生番組の準備をしていたタイミングだったので立ち上がりは速かった。

 通常のピッカラの生放送は平日およそ9時間だが、災害時の緊急編成は24時間の生放送。柏崎市では75ヵ所、およそ6000人が避難所生活を余儀なくされた。このため、市の災害対策本部にスタッフを常駐させ、被災者が当面最も必要とする避難所や炊き出し、仮設の風呂の場所などライフライン情報を中心に4人のパーソナリティーが交代で流し続けた。

 コミュニティー放送局であるがゆえに「被災者のための情報」に徹することができたといえるかもしれない。インタビューに応じてくれた、パーソナリティーで放送部長の船崎幸子さんは「放送は双方向でより深まった」と振り返った。ピッカラは一方的に行政からの情報を流すのではなく、市民からの声を吸い上げることでより被災者にとって価値のある情報として伝えた。たとえば、水道やガスの復旧が遅れ、夏場だけに洗髪に不自由さを感じた人も多かった。「水を使わないシャンプーはどこに行けばありますか」という被災者からの質問を放送で紹介。すると、リスナーから「○○のお店に行けばあります」などの情報が寄せられた。行政から得られない細やかな情報である。

 また、知人の消息を知りたいと「尋ね人」の電話やメールも寄せられた。放送を通して安否情報や生活情報をリスナー同士がキャッチボールした。市民からの問い合わせや情報はNHKや民放では内容の信憑性などの点から扱いにくいものだ。しかし、船崎さんは「地震発生直後の電話やメールに関しては情報を探す人の切実な気持ちが伝わってきた。それを切り捨てるわけにはいかなかった」と話した。

 7月24日にはカバーエリアを広げるために臨時災害放送局を申請したため、24時間放送の緊急編成をさらに1ヵ月間延長し8月25日午後6時までとした。応援スタッフのオファーも他のFM局からあったが、4人のパーソナリティーは交代しなかった。「聞き慣れた声が被災者に安心感を与える」(船崎さん)という理由だった。このため、リスナーから「疲れはないの、大丈夫ですか」とスタッフを気遣うメールが届いたほどだった。

 ピッカラの放送は情報を送るだけに止まらなかった。夜になると、「元気が出る曲」をテーマにリクエストを募集した。その中でリクエストが多かったのが、女性シンガー・ソングライターのKOKIAの「私にできること」=写真=だった。実は、東京在住のKOKIAが柏崎在住の女性ファンから届いたメールに応え、震災を乗り越えてほしいとのメッセージを込めて作った曲だった。KOKIAからのメールで音声ファイルを受け取った女性はそれをFMピッカラに持ち込んだ。「つらい時こそ誰かと支えあって…」とやさしく励ますKOKIAの歌は、不安で眠れぬ夜を過ごす多くの被災者を和ませた。そして、ピッカラが放送を通じて呼びかけた、KOKIAによる復興記念コンサート(8月6日)には3千人もの市民が集まった。人々の連携が放送局を介して被災地を勇気づけたのだった。

 ピッカラの災害放送対応を他のコミュニティー放送が真似ようとしても、おそらく難しいだろう。コミュニティー放送局そのものが被災した場合、放送したくても放送施設が十分確保されないケースもある。そして、災害の発生時、その場所、その状況によって放送する人員が確保されない場合もあり、すべてのコミュニティー放送局が災害放送に対応できるとは限らない。その意味で、発生から1分45秒後に放送ができた「FMピッカラ」は幸運だったともいえる。そして、「情報こそライフライン」に徹して、コミュニティー放送の役割を見事に果たした事例としてピッカラは評価される。

⇒30日(水)朝・金沢の天気  はれ

☆震災とマスメディア-5-

☆震災とマスメディア-5-

 28日付の産経新聞インターネット版で「『避難所にテレビを』岩手出身の小笠原が“お願い”」との見出しが目に留まった。記事によると、Jリーグ選抜の小笠原満男選手は「ひとつお願いがあるんですが…」と報道陣に切り出し、「被災地ではテレビを見られない人もたくさんいるんです。より多くの人に見てもらえる方法を協力してもらえませんか。避難所に小さなテレビを持ち込むとか…」と呼びかけたという。小笠原選手は、今月18日に高校時代を過ごした岩手県大船渡市と妻の実家がある陸前高田市の避難所を訪れている。「現地の実情を知るからこそ、の言葉だった。」と記事は報じている。

      「避難所にテレビを」放送インフラを急げ

 被災地に放送が果たす役割は大きいが、なんといってもインフラの整備だ。テレビを視聴できるようにすることだ。2007年3月25日、震度6強の能登半島地震では全体で避難住民は2100人余りに及んだ。多くの住民は避難所でテレビやラジオのメディアと接触することになった。注目すべきことがった、被害が大きかった輪島市門前町を含め45ヵ所の避難所すべてにテレビが完備されていたことだ=写真=。地震で屋根のテレビアンテナは傾き、壊れたテレビもあったはず。一体誰が。

 この「テレビインフラ」をわずか2日間で整えたのはNHK金沢放送局だった。翌日26日から能登の全避難所45カ所を3班に別れて巡回し、アンテナなどの受信状態を修復し、さらにテレビのない避難所や人数が多い避難所には台数を増やし、合計12台のテレビを設置した。用意周到だったのは、2006年5月に金沢放送局では災害時に指定される予定の避難所にテレビが設置されているかどうか各自治体に対し予備調査を行っていた。このデータをもとにいち早く対応したのだった。

 NHKは報道機関では唯一「災害対策基本法」が定める国の指定公共機関であり、災害報道と併せハード面のバックアップは両輪である。が、それだけではない。金沢放送局はこんなアフターフォローも行った。地震が起きたのは3月の最終週に入る日曜日とあって、被災者から当時人気だった連続テレビ小説「芋たこなんきん」の最終週分を見たいとの要望や、大河ドラマ「風林火山」を見損ねたとの声があり、著作権をクリアにした上で、要望があった13カ所の避難所に収録テープを届け、またビデオの備えがない7カ所にビデオデッキを届けた。こうした被災者のニーズを取り入れた細やかな活動があったことはテレビ画面からは見えにくいが、避難住民を和ませたのだった。

 しかし、東日本大震災は能登半島地震に比べとてつもなく広範囲だ。避難所は2100ヵ所もある。さらに、中継鉄塔などが損傷し、その対策も追われ、すべての避難所にNHK技術陣の手が回りきれていないのだと想像する。避難所にテレビがなく、情報が入らなければ余計に不安が増す。小笠原選手が取材陣に述べた「避難所に小さなテレビを持ち込むとか・・・」は、技術陣だけでなく、現地を取材するNHKや民放の記者やカメラマンにもできることだ。

⇒29日(火)朝・金沢の天気  はれ

★震災とマスメディア-4-

★震災とマスメディア-4-

 メーリングリストで、福島県の「里山のアトリエ坂本分校」支援物資会津基地のスタッフからこんなメールが届いた。「必要なものをタイミングよく必要なところに送らないと、相手方が保管する場所もない所が多いので迷惑になります。会津基地では新品・未使用・一箱一品目、リスト付を原則にしています。とにかく、仕分けの労力は大変です。長期戦になります。冷静に行動して判断、と思うのですがなかなか難しいです。」

       避難所に必要なのは「かわら版」的な情報ペーパー

 2007年3月25日の能登半島地震から4年になる。現地でのボンラティア活動でも上記と同じ思いをした。各地からさまざま善意が届けられる。しかし、それを受ける現地の状況が理解されていないために、返って混乱を招いている。私が目撃した一つの例を述べる。被災者の避難所には毎日、新聞各紙がどっさりと届けられる。ところが、避難所となっている地区の集会場は体育館のように大きくはない。被災者は肩を寄せ合っている状態だ。そこに新聞が山積みされても、まず新聞を広げて読むスペースが十分にない。しかも、新聞を広げても被災者が欲しい情報、たとえば回診や被災相談などの細かな情報は掲載されていない。読まれない新聞が日々どっさりとたまる。それを廃棄場所に持って行き始末するのはボランティアの役目だった。

 そのような事情の中で、被災者が「かわら瓦」と呼んで手にしていたのは朝日新聞社が避難住民向けに発行した「能登半島地震救援号外」=写真=だった。タブロイド判の裏表1枚紙で、文字が大きく行間がゆったりしている。住民が「役に立った」というのは、災害が最も大きかった被災地・輪島のライフライン情報に特化した「ミニコミ紙」だったからだ。救援号外は、朝日新聞が阪神淡路大震災の体験から、より被災者に役立つ情報をと2004年10月の新潟県中越地震で初めて発行した。能登半島地震では、カラー写真を入れるなど、より読みやすく工夫された。

 日々改良も加えられた。1号(3月26日付)で掲載された、給水車から水を運ぶおばあさんの顔が下向きで暗かった。これでは被災者のモチベーションが下がるのではないかとの配慮から、2号からは笑顔にこだわり、『毎号1笑顔』を編集方針に掲げた。さらに、長引く避難所生活では、血行不良で血が固まり、肺の血管に詰まるエコノミークラス症候群に罹りやすいので「生活不活発病」の特集を5号(3月30日付)で組んだ。義援金の芳名などは掲載せず、被災地の現場感覚でつくる新聞を心がけ、ごみ処理や入浴、医療診断の案内など生活情報を掲載した。

 カラーコピー機を搭載した車両を輪島市内に置き、「現地印刷」をした。ピーク時には2000部を発行し、7人から8人の印刷・配達スタッフが手分けして避難所に配った。夕方の作業だった。地震直後、同市内では5500戸で断水した。救援号外は震災翌日の3月26日から毎日夕方に避難所に届けられ、給水のライフラインが回復した4月7日をもって終わる。13号まで続いた「避難所新聞」だった。

 これは提案だが、新聞各社がそれぞれにこうした「避難所新聞」をつくってはどうだろうか。いまからでも遅くはない。ただ、東日本大震災では2100ヵ所の避難所がある。各紙が話し合って配付地域を決めて実施してはどうだろうかと提案したい。

⇒28日(月)朝・金沢の天気  はれ
 

☆震災とマスメディア-3-

☆震災とマスメディア-3-

  今回の震災で、これまでのテレビ局画面と違うことがいくつかある。連日の放送体制でNHK、民放とも生放送の番組を拡大させている。そんな中、字幕の放送を積極的に行っていることだ=写真=。リアルタイムで話すインタビュー内容も「生字幕」化している。これは放送で一番難しいといわれてきたことだ。日本語特有の同音異義や、専門用語の表記の対応、誤植や誤記を行わない確認体制が必要となる。聴覚障がいの人はもちろんのこと、耳に不自由を感じる高齢者、さらに避難所で1台のテレビを見るときは遠巻きの健常者にとっても字幕表示は役立つ。夜、周囲で寝ている人がいて音声を絞る場合に字幕は見やすい。

       ユニバーサル・サービスに好感、では7・24はどうなる

  健常者でも障がい者で同じようにマスメディアから情報を得ることをユニバーサル・サービスという。内閣の、たとえば総理や官房長官の会見では、小画面に手話通訳者が出ている。会見場に手話通訳があることで、聴覚障がい者がリアルタイムでテレビから情報を得ることができる。今回の震災は原発事故と連動したため、メディアによるリアルタイムの放送に被災者の耳目が集まる。内閣の伝えようとする意志が見える。災害会見の手話放送はこれ以降、定番化するのではないだろうか。

 好感の持てることばかりではない。震災でCMスポンサーが減っているせいで、CMの空き枠に公共広告機構(AC)のCMがやたらと入っている。しかも、「思いやり」や「生物多様性」など種類が少なく、繰り返しの放送で、このACが画面に流れると、チャンネルサーフィン(切り替え)を始めてしまう。もう条件反射のようになっている。それに、最後の「AC」というサウンドがうるさいと思う。これは視聴者が誰しも感じていることではないだろうか。番組のフォーマットでCM枠がすでに固定化されているので、CMスポンサーが少ないからと言って、CM枠を間引くことはできないのだ。民放の宿命だろう。

 被災地の民放には同情する。放送そのものもさることながら、電波を視聴者に届ける前線である中継設備では、ミニサテと呼ぶ小さな局が多数損傷を受けているだろうことは想像に難くない。電気不通によるトラブル、それをカバーする自家発の燃料を届けられないこともあるだろう。テレビ局には、国の放送免許と引き換えに放送電波を人々が「あまねく」受信できるように設備を整えることが使命として課せられている(放送法第2条の6)。震災という困難なときほど使命が問われる。

 3月17日、民放連会長による定例会見があった。注目されたのは、ことし7月24日に予定されているアナログ停波(デジタル完全移行)のスケジュールをそのままで進めるのかという点だった。東北地方はデジタル未対応の世帯が少なくない。広瀬道貞会長は「7月24日に(アナログ波を)停波できるような環境作りに対し、歩みを止める必要はない。全国一斉が原則。私自身は(震災でも)引き延ばす理由はないと思っている」、「人とお金をかけ、(地デジへの)切り替えができる環境を作ることが大切」とし、支援策としてデジタル対応テレビを支給するよう政府に求めていきたいと述べた(毎日新聞インターネット版)。難題が次々と。

⇒22日(火)朝・金沢の天気  くもり

★震災とマスメディア-2-

★震災とマスメディア-2-

 私は大学を卒業してから満50歳になるまで、新聞記者とテレビ局報道のセクションに携わった。津波も経験した。日本海中部地震。1983年(昭和58年)5月26日11時59分に秋田県能代市沖の日本海側で発生した地震で、10㍍を超える津波で国内での死者は104人に上ったが、そのうち100人が津波による犠牲者だった。

      報道目線と被災者目線のギャップをどう埋めたらよいのか

 そのころ、能登半島の輪島市で記者活動をしていた。デスクから電話があり、輪島漁港に行ってみると、足元まで波が来て、危うく逃げ遅れるところだった。1枚だけ撮った、渦に飲み込まれる寸前の漁船の写真は翌日の一面を飾った。2004年にテレビ局を退職し、大学の地域連携コーディネーターという仕事をしている。2007年3月25日の能登半島地震(震度6強)、翌日26日に被害がもっとも大きかった輪島市門前町に現地入りした。そこで見たある光景がきっかけで、「震災とメディア」をテーマに調査研究を実施することになる。

 震災当日からテレビ系列が大挙して同町に陣取っていた。前回のコラムで述べた現場中継のため、倒壊家屋に横付けされた民放テレビ局のSNG(Satellite News Gathering)車をいぶかしげに見ている被災者の姿があった。この惨事は全国中継されるが、被災地の人たちは視聴できないのではないか。心象的だったのは、半壊の家屋の前で茫然(ぼうぜん)と立ちつくすお年寄り、そしてその半壊の家屋が壊れるシーンを撮影しようと身構えるカメラマンのグループがそこにあった=写真=。「でかいのがこないかな」という言葉が聞こえてきた。「でかいの」とは余震のこと。余震で、家が倒壊する瞬間を狙っているのである。周囲では余震におののいて子どもが泣き叫ぶ声も聞こえる。カメラマンのこの身構える姿は被災者の人たちにどう映っただろうか。

 私が前職(テレビ局報道担当)だったら、違和感を感じなかっただろう。むしろ、「倒壊の瞬間を撮ったら、すぐネット上げ(全国放送)だ」とカメラマンや記者に発破をかけていただろう。もともと26日現地を訪れたのは学生ボランティアの派遣が可能かどうかの見極めだったので、被災者の目線だった。報道目線と被災者目線はこれだけ違うのである。もちろん、被災者目線を大切にしたいというカメラマンもいた。共同通信の腕章をしたカメラマンは、半壊となり、割れたガラスが散乱している被災者宅でも、決して靴で上がろうとはしなかった。靴を脱いで、被災者に許可を得て、家屋に上がった。ちょっとした被災者への気遣いで十分なのだ。

 そのようなことを「震災とメディア」の調査報告にまとめた。報告書では以下のような提案もした。「(今回のメディアのありようは)阪神淡路大震災や新潟県中越地震など震災のたびに繰り返されてきた光景だろうと想像する。最後に、『被災地に取材に入ったら、帰り際の一日ぐらい休暇を取って、救援ボランティアとして被災者と同じ目線で、現場で汗を流したらいい』と若い記者やカメラマンに勧めたい。被災者の目線はこれまで見えなかった報道の視点として生かされるはずである」(「金沢大学能登半島地震学術調査部会平成19年度報告書」より)

⇒21日(祝)朝・金沢の天気  くもり

☆震災とマスメディア-1-

☆震災とマスメディア-1-

 16日朝、金沢は氷点下の冷え込み、雪だ。山沿いの一部では大雪注意報も出ている。被災地の東北地方もマイナス3度から4度と真冬並みの寒さという。農山漁村の集落で9200人が未だに孤立している。被災地に派遣されている自衛隊のヘリコプター190機のほか消防ヘリが捜索や救助活動を進めているが、学校や公民館などで肩を寄せ合って寒さと飢えをしのいでいる姿を想像すると心が痛む。

        その情報は被災地に届いているのか、問いかけて欲しい

 一方、今朝のニュースは、ニューヨーク外国為替市場で、円相場が一時1ドル=76円台に急騰し、1995年4月19日につけた1ドル=79円を超えて史上最高値となった。3月末の決算期を控えた日本企業の円需要が増しているのと、保険金の支払いに備え、保険会社が外貨資産を売るといった思惑、さらに日本政府が外貨準備として保有するアメリカ国債を売るのではないかとの観測まで広がっている。日本政府が国債増発ではなく、外貨準備に手をつけ、米国債を売却するのではないか、という憶測だ。アメリカとの外交問題が絡む。注視したい。

 今回の大震災でマスメディア(とくにテレビ)がネット上で批判を浴びている。その主なものは、「記者会見で東京電力の社員が必死になって説明しているのに、記者たちはの質問はまるで吊るし上げではないか」、「ニュース読むアナウンサーがヘルメットを被っていたが、そのバックヤードで働いくスタッフたちは被っていない。これも演出か」などなど。確かに、震災発生の11日の民放各社の報道番組で、スタジオのキャスターたちのヘルメット姿には違和感を感じた。東京も震度5強だったので、被災地といえば被災地だ。スタジオの天井には照明機器が吊るされている。ただ、言葉は悪いが、「私たちも被災者の目線でニュースをお伝えします」という意識が浮き上がっていて、「くさい」のである。スタジオ後方で走り回るスタッフが被っていなかったからなおさらに。

 そのスタジオのキャスターが現地で中継リポートをする記者に、最後に「気をつけて取材を続けてください」と声をかけている。その記者の背後では家が潰れ、乗用車がひっくり返り、まさに地獄絵図が広がっている。クギ付けになった。「気をつけて…」など通り一遍の記者へのねぎらいの言葉など不要である。「取材を続けてください」でいいのである。視聴者と伝える側の温度差を感じた。

 写真は、2007年3月25日に発生した能登半島地震の被災地、輪島市門前町での写真である。倒壊した家屋に横付けしたSNG車(衛星回線を利用した映像伝送車)をにらむように見つめる被災者。被災地にドカドカと入ってきて、最初は「悲惨な被災地の現場」を見せるだった。ところが2日、3日もすると、テレビ各社のリポーターは美談を探し始めた。「愛犬が救った飼い主の命」などワイドショー仕立ての取り上げ方が目立つようになった。そして1ヵ月もするとあれほどいた取材クルーは潮が引くようにいなくなった。

 その取材の行動パターンは、被災地ではどこも同じである。悲惨な映像、美談仕立て、行政の対応批判、そしてさっといなくなる。被災地の様子をいち早く現地から全国の視聴者に伝えることは大切なことだ。メディアでしかできない。でも当時、現地に赴いて思った。被災地におけるメディアって何だろう、と。

⇒17日(木)朝・金沢の天気  ゆき

☆地デジ、東京の陣・下

☆地デジ、東京の陣・下

  東京スカイツリーが完成すれば634㍍となり、自立式電波塔として世界一の高さを誇ることになる。この高さ634を「むさし」と呼ばせて、「武蔵」の漢字を当てる。武蔵は今の東京、埼玉、神奈川の一部を含む武蔵の国のこと。歴史的な味わいのロマンを演出している。知恵者がいるのだろう。

            「武蔵の国」では地デジは2度切り替わる

  すでに観光名所になっているスカイツリー本来の役割はテレビ塔としての機能である。問題は、「本家テレビ塔」の東京タワーとの電波の切り替えだ。ことし2011年7月24日正午にアナログが停波された後は、東京タワーから地デジの電波が発射されるが、来年2012年春にスカイツリーがオ-プンすれば、試験放送期間を経て、地デジの電波は東京タワーからスカイツリーにスイッチされる。つまり、武蔵の国では地デジは2度切り替わる。

  スカイツリーのもともとの建設目的は、都心部に建てられる超高層ビルが増え、東京タワーからの送信が電波障害を生じるようになったからで、地デジのために建設計画が持ち上がったわけではない。というもの、関東地区で地デジをスタ-トさせた2003年12月にNHKと在京民放キー局5社が600㍍級の新電波塔を求めて、「在京6社新タワー推進プロジェクト」を発足したのがきっかけだった。2006年3月に建設地が決まった。当初は2011年7月に間に合わせようとしたがスケジュールがずれた。

 ここで懸念される問題がある。東京タワーにアンテナを向けて地デジを視聴している世帯が、来春の東京スカイツリー切り替え時に、アンテナの向きを調整しなくていいのかという問題だ。総務省は情報通信審議会情報通信政策部会の「地上デジタル放送推進に関する検討委員会」(第42回・2009年1月16日)で、関東広域圏の地デジの発射局(親局)が東京タワーから東京スカイツリーに移行することが視聴者にほとんど影響を与えないという見解を示している。また、 情報通信審議会の第6次中間答申(2009年5月25日)でも、 東京スカイツリーへの親局移転にかかわる影響について、「移転による受信設備への影響はほとんどなく、デジタル対応した設備がそのまま使えること」「影響が発生した場合には、放送事業者による対策等がなされること」が記載された。

  本当に影響はないのだろうか。確かに、地デジはビル陰であっても、近隣のビルで反射された波(反射波)を受信できてしまうので、電波の比較的強い地域の場合では、アンテナの向きが違っていても反射波を拾って地デジが映ることもある。 ただ、常識的に考えて、現在の東京タワーに向けている家庭用のUHFアンテナを来春にはスカイツリーに向けてアンテナを調整をした方がより良い画質が得られるのはは当然だろう。とくに東京タワーとスカイツリーを直線でつないだ中間の地域の場合は逆向きになる。地デジが2度切り替わることの影響については、来春のスカイツリーのオ-プン後、試験電波を発射し、測定車で受信する検証作業が行われるので、それまでは憶測でしかない。

 もし、それで影響が出てテレビ視聴に混乱が生じた際は、「放送事業者による対策等がなされること」(前出の第6次中間答申)になっている。今さら蒸す返すのも大人げないが、スカイツリーの開業と、アナログ停波の順番が逆になっていることがそもそもの原因だ。

 そして、このことは関東エリアの多くの視聴者の関心事なのだが、NHKと在京民放キー局5社のホームページを閲覧しても、東京タワーとスカイツリーで地デジが2度切り替わることの視聴者への影響についてはよく説明やPRがされていない(見落としかもしれないが)。おそらく、キー局側とすれば、まず東京タワーでの完全地デジ化(7月24日)を乗り切って、その次にスカイツリー対策に重点を置くという戦略なのだろう。確かに視聴者は2重の混乱に陥るものの、それだったら、そのように順序だてて説明をすればよいのではないだろうか。

⇒13日(日)朝・金沢の天気   ゆき

★地デジ、東京の陣・上

★地デジ、東京の陣・上

 1月17日は東京へ日帰り出張だった。先日から大雪となり、風も風も強かったので、早朝JR金沢駅から「はくたか1号」に乗った。乗り換え駅の越後湯沢付近は1㍍を超える積雪で、屋根雪を下ろす人々の姿が車窓から見えた。上越新幹線で長野を過ぎると、とたんに顔空になった。目的地の市ヶ谷では駅のプラットホームから釣り堀が見え、のんびりと釣り糸を垂れる人々の姿があった。越後湯沢で見た屋根雪下ろしの光景と余りにも対照的だった。人は生まれた環境に育まれる。粘り強く、持続性がある北陸の人の行動パターンは案外、雪が育んでいるのかもしれない。

         越後湯沢の空とスカイツリーの空

 東京の空をにぎわせているスカイツリー。正式には「東京スカイツリー」。高さ634㍍の世界一の電波塔を目指している。ことし12月に完成、来年春に開業を予定している。NHKと在京民放5局が利用する。総事業費は650億円。このツリーを下から眺めると、いろいろなことを思う。その一つが、「電波は空から降ってくる」という発想は、東京のものだ、と。東京タワー(333㍍)しかり、東京にいるとシャワーを浴びるように、電波が空から降ってくる。もちろん一部にビル陰による電波障害があり、そのビル陰の障害を極力減らすために600㍍級のタワーが構想された。まるで「恐竜進化論」だ。電波塔(東京タワー)が立つ。周囲に200㍍を超える超高層ビルが林立するようになる。すると今度は、さらに高い電波塔(スカイツリー)を立てなければならないと、どんどんと図体が大きくなってきた。「電波を空から降らせる」ために、限りなく巨大化し続けているのだ。

 翻って、日本海の能登半島の先端。山陰で電波が弱い、届かない。あるいは、電波は届くが強風と塩害のため屋根に上げたアンテナは常にリスクにさらされる。このため、集落ごとにしっかりとしたアンテナを共同で立て、そこから有線で各家庭にテレビ線を引き込むというやり方をとってきた。これを「共聴施設」、あるいは「共聴アンテナ」という。テレビを視聴するのに住民が共聴施設を維持管理費を負担をする。簡易水道の維持費を払っているのと同じ感覚だ。同じ日に屋根雪を下ろしている地域があり、片や青空の下で釣り糸を垂れている地域がある。同じように「電波が空から降ってくる」地域と、「電波を金を払って取り込む」地域がある。不公平だと言っているのはない。電波は家庭に多様な届き方をしている、と言いたいのだ。

 ただ、スカイツリーは電波を空から降らせるためものだけではない。道路や橋、病院、公園などといった経済や生活環境のベースとなるインフラストラクチャー(略して「インフラ」)のモデル的な要素が強い。東京タワーのように、一つのシンボルとして何百万人の訪れる施設を目指している。その意味では公(おおやけ)の、パブリックな建物になる。イギリスの元首相チャーチルの有名な言葉に、「われわれは建物をつくるが、その後は、建物がわれわれをカタチづくる」と。いまは「東京のスカイツリー」だが、十年も経てば「スカイツリーの東京」となるのではないか。ただ、そのときの人々のメンタリーはどうカタチづくられているのかと気になる。

⇒18日(火)朝・金沢の天気   くもり

☆地デジ、電器屋の夏

☆地デジ、電器屋の夏

 前回のブログで、昨年7月24日に能登半島の先端エリアがアロナグ波を止め、完全デジタルに移行した話をした。この日は地元に総務省や民放・NHKのテレビ業界の関係者らが訪れ、記念セレモニーが開かれた。このとき、「珠洲モデル」という言葉を初めて聞いた。

 珠洲モデルというのは、地域の電器店15軒が手分けして、高齢者世帯などを一軒一軒回り、アナログ受信機(テレビ)にチューナーの取り付けをした。ボランティアではない。ただ、お年寄り宅を何度も訪ね、丁寧に対応し、見事に地デジ化のウイークポイントといわれた高齢者世帯の普及に成し遂げたと評価された。記念セレモニーでは、デジタル放送推進協議会の木村政孝理事が一人ひとり電器店の店主の名前を読み上げ感謝状を贈ったほどだ=写真=。

 その珠洲モデルの内容をさらに詳しく説明する。能登半島は少子高齢化のモデルのような地域だ。珠洲市では6600世帯のうち40%が高齢者のみの世帯で、さらにその半分に当たる1000世帯余りが独居である。デジタル対応テレビの普及は進まない。では、そうした世帯にチューナーを無償貸与すれば、お年寄りは自ら上手に取り付けて、それでOKなのだろうか。問題はここから始まる。高齢者世帯を町の電器屋が一軒一軒訪問し、チューナーの取り付けからリモコンの操作を丁寧に教える。このリモコンにはチューナーとテレビの2つの電源がある。一つだけ押して、お年寄りからは「テレビが映らないと」とSOSの電話が入る。このような調子で、「4回訪ねたお宅もある」(同市・沢谷信一氏)という。チューナーを配っただけでは普及はしない。丁寧なフォローが必要なのだ。

 話はがらりと変わる。先日、金沢市内の電器店の経営者と雑談を交わした。電器屋氏いわく、「ことしの7月24日が怖い」と。街の電器店が1年の中で一番忙しいのは6月から7月という。エアコンの工事も増え、冷蔵庫などの修理も多くなる。そんなときに、ことしは「地デジ」と重なり、駆け込み発注でパニックになるかもしれない、と。

 地デジの場合、家庭ごとに条件が違っていて、アンテナの位置が少しずれただけで映りが悪くなったり、屋内の配線やブースターが原因で映らない場合もある。「とにかく、やってみないと分からないケースが多い」。普通、アンテナ工事は2、3時間で済むが、地デジのアンテナの場合は半日から丸1日かかるケースもあるという。しかも、長梅雨が続けば、屋根には上がれない…。

 7月24日といえば、ことしは日曜日。おそらく夏の高校野球ローカル大会の決勝戦がこの日、ラッシュを迎える。そんな日に、歴史的な日本の地デジ化が訪れるのだ。

⇒10日(祝)朝・金沢の天気  ゆき

★地デジ、能登半島から

★地デジ、能登半島から

  日本、いやアジアで最初にアナログ放送が停止し、完全デジタル化したのは能登半島だった。2010年7月24日正午に停波した珠洲市と能登町の一部8800世帯(珠洲市6600世帯と能登町の一部2200世帯)がそのエリアである。同日珠洲市での記念セレモニーであいさつに立った総務省の久保田誠之官房審議官は、今回の停波で空いた周波数帯(ホワイト・スペース)で、観光・行政情報をローカル番組として流す「エリア・ワンセグ放送」の実証実験を珠洲で行うと打ち上げた。アナログ放送の停波に伴うエリア・ワンセグの実験は全国初ということになるが、地デジへの先行モデル地区として自治体が先頭に立って頑張ったという「ごほうび」の意味合いもあるだろう。

  では、能登半島が先行モデル地区として役割は果たせたのだろうかと振り返ってみる。丘の上から珠洲市内を眺めると、受信障害となるような高いビルはないし、当地の民放4局のうち3局がいわゆる「Uチャン」なのでアンテナ交換の必要もない。都市型の地デジ問題とは一見かけ離れているようにも思えるが、山陰や北風・塩害問題による共聴施設が市内で36ヵ所あり、市の世帯の40%をカバーしていた。しかも、珠洲市の場合、65歳以上の最高齢者率は40%を超え、高齢者のみの世帯率は36%、さらに高齢者世帯の半分1000世帯余りが独居のまさに過疎・高齢化の地域だ。電波障害による共聴と高齢者宅の対策は地デジの2大問題で、それを乗り切った能登の先行実施は「モデル」といえるだろう。

 去年8月18日、東京都北区の区議3人が珠洲市役所を地デジ対策の視察に訪れた。同区(33万人)の高齢者率は22%を超え、集合住宅に住む独居の高齢者も多い。だれがどう対応すべきなのか、区議の質問は高齢者世帯への地デジ対策に質問が集中した。応対した同市総務課情報統計係長の前田保夫氏は「お年寄りにとって、テレビはさみしさを紛らわすための生活の一部」と話し、市職員の戸別訪問や市内の電器店との連携による簡易チューナーの取り付けの経緯を説明した。能登であれ、東京であれ、高齢者対策は地デジ対策のポイントなのだ。

 能登を調査に回って、気がかりな点が2つある。一つは、自治体の動きが読めないこと。珠洲市への議員視察は複数あるものの、他の自治体からの視察はゼロである(8月末現在)。前田氏は「地デジ対策は自治体の仕事ではなく、国とテレビ局の仕事と思っているところが多いのはないか」と懸念する。

 もう一つ。地デジ移行を終えた同市内で、高齢者20人に地デジに関する簡単なアンケート調査を試みた。その中で、「国はなぜ地デジに移行するのかご存知ですか」の問いに、正解だったのは「電波のやり繰り」と答えた2人だけだった。15人が「分からない」と答えた。わずか20サンプルで、しかも高齢者へのアンケートで推測するのは危険だが、地デジ移行の本来の目的が国民の間で理解されているのだろうかと気になった。国民の理解なき政策は政争の火種になりかねないと思うからだ。

※写真は、アナログ波を停波した民放局の珠洲中継所。周囲は葉タバコ畑。

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