⇒メディア時評

★メディアの選挙モード

★メディアの選挙モード

きょう4日、衆院総選挙の公示された。この日をもって、テレビや新聞の報道は選挙モードに切り替わる。たとえば、候補者はすべて同じ扱い、たとえば新聞では取り上げる行数、テレビでは音声の取り切り秒数など同じだ。A候補が20秒で、B候補が30秒ということはない。こうした平等扱いをもって「政治的な公平」と称している。

 では、なぜそうしなけらばならないのか。これは法律で決められている。「新聞紙(これに類する通信類を含む)又は雑誌が、選挙に関し、報道及び評論を掲載する自由を妨げるものではない。但し、虚偽の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない」(公選法第148条)

「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。1.公安及び善良な風俗を害しないこと。2.政治的に公平であること。3.報道は事実をまげないですること。4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」(放送法第4条)

 私がテレビ局に在籍していたころの経験だ。「神の国」発言で森喜朗内閣が解散して行われた第42回総選挙(2000年6月25日)のときだったと記憶している。公示の日、候補者の第一声で12秒ほどの取り切りを使った。ところが、ある党の選挙事務所から「おたくのテレビは扱いが平等ではない」とクレームがついた。調べてみると、その党の候補者は10秒だった。昼のニュースだったので、時間がなかったのと、ちょうど10秒で切れがよかったのでそのまま放送したのだった。意図的ではなかった。選挙事務所では録画してチェックしていたのである。率直に詫びて、夕方のニュースでは12秒にした。話の内容ではなく、公平な扱いにこだわるというのが選挙期間のシビアのところではある。

 とくに今回の選挙は多党乱立。困っているのはテレビ局だ。比例代表には12党が届け出ている。2日に放送されたNHK「日曜討論」は壮観だった。この日は11党の幹部が勢ぞろいしていた。司会者が「1回の発言は1分以内」と念押ししていた。全員が発言を終えたときには、放送開始から20分経過していた。番組として争点や論点を戦わせるというより、「なるべく公平に話してもらう」という司会者の気遣いが目立った。こうなると番組の体をなさないため、とくに民放テレビ局は選挙期間中はニュース番組でも選挙ネタをなるべく避け、経済や環境といったテーマにシフトさせる。

 「テレビ選挙」といわれるアメリカでもかつて、フェアネスドクトリン(Fairness Doctrine)があり、番組の内容を政治的公平にしなければならないとされていた。ところが、ケーブルテレビなどマルチメディアの発達で言論の多様性こそ確保されなければならないとの流れになる。1987年にこのフェアネスドクトリンは撤廃された。つまり、フェアネスドクトリンは、チャンネル数が少なかった時代のもので、多チャンネル時代にはそぐわないという考えだった。

 日本の場合、全国紙の系列であるテレビキー局が固定され、一長一短はあるが多チャンネル化とはいまだにほど遠い。

⇒4日(火)夜・金沢の天気  くもり

☆米国からのメッセージ

☆米国からのメッセージ

 今回の総選挙をアメリカ側の眼から考えると、国内の選挙情勢とまったく違って見える。先月29日、アメリカ議会上院が、沖縄県の尖閣諸島について、アメリカの日本防衛義務を定めた日米安全保障条約の適用対象であることを明記した国防権限法の修正案を可決した。全会一致で可決された、この国防権限法の修正案は「アメリカは、尖閣諸島の最終的な主権に特定の立場はとらないが、日本の施政権下にあることを認識している」と指摘し、日米安保条約第5条のもと、「日本の施政権下にある領土に対する武力行使は、日米両国の平和と安全にとって危険であることを認識する」と明記している。中国を牽制した内容だった。上記は、日本のメディアが報じた。

 これより2月余り前の9月21日、アメリカのワシントン・ポストは、尖閣諸島をめぐる中国との対立などを背景に、日本が「緩やかだが、かなりの右傾化」を始めていると指摘、周辺地域での行動は「第2次大戦後、最も対決的」になっていると1面で伝えた。日本のメディアが報じたこのニュースの内容を読むと、同紙は、日本の政治家が与野党問わず集団的自衛権の行使容認を主張するようになり、憲法改正論が高まっていると分析し、与那国島への陸上自衛隊配備計画などを挙げ、自衛隊にも「より強力な役割」が与えられつつあるとの見方を示したという。

 上記の2つの記事を読むと、こう解釈できる。ワシントン・ポストなどアメリカのメディアには、尖閣諸島をめぐる中国との対立をきっかけに、日本のナショナリズム(右傾化)が増大しているという見方が広がっている。とくに、憲法改正論など高まると、アメリカとの軋轢も生じかねない。それを危惧したアメリカ議会上院では、中国を牽制し、日米両国の平和と安全を強調することで、総選挙で過熱するかもしれない日本の右傾化を冷まそうと国防権限法の修正案可決を急いだ、と。

 我々日本人とすると複雑な思いだ。尖閣諸島や竹島をめぐって緊張を高めるつもりはない。そもそも、いずれの問題も「日本から始めたものではない」からだ。所有権の移転をあえて政治問題化し、暴徒化を煽ったのは日本ではない。日本人は、国際法を尊重して平和的に対処することを願っているだけだ。それを日本のナショナリズム(右傾化)だとアメリカのメディアに騒がれても困る。

 アメリカ側から見れば、「脱原発」や「消費税増税」はあまり関心ないのかもしれない。むしろ、極東アジアの安定に貢献できるリーダーは誰なのか、だろう。すると、消去法でだいたい決まってくる。国防権限法の修正案可決は、アメリカ側からの政治的なメッセージなのかもしれない。

⇒2日(日)夜・金沢の天気  あめ

☆「15分間の有名人」

☆「15分間の有名人」

 愛知県で豊川信用金庫の支店にサバイバルナイフを持った男が職員が人質にとって立てこもっていた事件はきょう23日未明、警察官が突入してして人質全員が無事保護された。32歳の男は調べに対し「野田内閣は総辞職が目的だった」と供述しているという。今朝、事件のニュースをテレビで見て、金嬉老(きんきろう)事件が脳裏をかすめた。1968年2月、当時39歳の在日韓国人2世の金嬉老(故人)が、借金返済を迫った暴力団員2人をライフル銃を乱射して射殺、さらに静岡県の寸又峡温泉の旅館に人質をとって籠城し、人質解放の条件として、警官による日韓国人・朝鮮人への蔑視発言の謝罪を要求した。崖っぷちの犯人が道義や政局をかざして人質をとる様が妙にだぶった。

 犯人による派手な振る舞いは「劇場型犯罪」とも言われる。ポップアーチストのアンディ・ウォーホル(1928-1987)の名言「誰でも15分間は有名人でいられる時代が来る」は、劇場型犯罪の時代を予見した言葉でもある。犯行を予告、事件を派手に起こし、捜査が入る、テレビの中継が入る。テレビメディアにとっては、「血が流れればトップニュース」である。テレビメディアはショッキングな映像を求め続ける。事実、金嬉老事件では、テレビ局のスタッフが「ライフルを空に向けて撃ってくれませんか」と依頼し、犯人が実際に空に向かって数発撃っている映像を流したのだった。

 このような過熱取材の現場に実際に遭遇した。2007年3月25日、震度6強の能登半島地震で多くの家屋が倒壊した。当時、大学のスタッフとして学生ボランティアの可能性を調査するために、翌日現地入りした。輪島市門前町道下の道路で10数人のカメラクルーが一点を見つめていた。その目線の先は、前のめりになり、いまにも倒壊しそうな民家だ。余震で倒壊をするのを待っていた。あるカメラマンのぼやききが聞こえた。「でかいのがこないかな」と。「でかい」とは余震のこと。倒壊の決定的なシーンを撮影したいと思う余りに出た言葉だろう。テレビ側には、その民家の向こうに、テレビ映像をじっと見つめる視聴者の姿を思い描き、さらにその先に視聴率アップを期している。逆に、問題提起を含んだスクープ映像であっても、視聴者が嫌悪感を抱く映像(遺体など)は放送しない。これは「テレビ局の論理」だ。

 劇場型犯罪の構成要素。それは、実行犯が主役、警察が脇役、マスメディアが中継役、視聴者が観客という構造になっている。犯人が派手な振る舞いをすればするほど、視聴率が上がるという、あす意味でメディア社会の歪んだ姿がそこにある。そして、ウォーホルが言うように、事件が一見落着すれば、先ほどまで見ていたテレビ映像が視聴者の記憶にとどまるのはせいぜいが15分間。今回の豊川信用金庫の事件にしても、「何が野田総理の退陣だ。バカバカしい」と、人々はこの時間で事件があったことすら忘れているだろう。テレビ局も、あす以降はニュースの続報、裁判の判決すら報じない。そして、人々はまた新たなメディアの刺激を求めている。ウォーホルが予見した時代を我々は今生きている。

⇒23日(祝)朝・金沢の天気  雨

★選挙の世論調査を読む

★選挙の世論調査を読む

 総選挙(12月4日告示、同16日投開票)に向けて、新聞各紙は電話による世論調査の結果を掲載している。20日付のローカル紙では、共同通信社が17、18日の両日で実施した「第1回トレンド調査」が載っていた。比例区の投票先は「自民23%、民主10.8%、維新6.8%、太陽1.0%」という数値だった。同日に同じく電話調査した朝日新聞の結果は「自民22%、民主15%、維新6%、太陽1%(小数点以下は四捨五入)」だった。ところが、これも同日に調査した毎日新聞は「自民17%、民主12%、維新13%、太陽4%(小数点以下は四捨五入)」と維新が民主を上回っているのである。

 3社とも自民が民主を上回る傾向は同じものの、維新の会が1ケタの朝日と共同、2ケタの毎日とでは数字の印象がまったく異なる。たとえば、総選挙でキーワードとなりそうな「第3極」について、朝日と共同では維新と太陽はこれからとのイメージだが、毎日だと維新と太陽は「第3極」として、すでに民主を凌いで自民と肩を並べているとの読み方になる。17日は、「太陽の党」が解党して「日本維新の会」に合流した日なので、調査する側にも多少の混乱はあったかもしれないと察するが、それにしてもこの数値の違いはどこからくるのか。

 この謎を解くカギは「調査の仕方」の違いによる。新聞社の世論調査は、インターネットではなく、電話、面接、郵送の3つの方法のいずれかで実施しているが、内閣支持率や緊急調査の場合は「RDD方式」と呼ばれる電話調査で行う。コンピューターで無作為に数字を組み合わせて番号を作り、電話をかけて調査する方法で、RDDは「Random Digit Dialing」の略。一般世帯が対象で、「○○新聞社ですが、世論調査にご協力いただけますか」と相手の了解を得て行う。「調査の仕方」の違いとは、尋ねる側(新聞社)が「比例代表ではどの政党に投票しますか」と聞いて、答える側(有権者)が「自民」「民主」「維新」「まだ決めていない」などと返事をするのを待つタイプ。もう一つが読み上げタイプで、尋ねる側が「今から政党名を読み上げますので、お答えください」と政党名を読み上げ、「その政党がいい」と返事を誘う。

 もう10年以上も前だが、私自身もテレビ局時代に電話調査を何度か行った経験がある。質問の文言のちょっとした違いや順番、選択肢によって、相手の反応は異なるものだ。たとえば、上記の「比例代表ではどの政党に」と問うた場合、「返事待ちタイプ」では、選択肢が少ない場合は政党名が出てくるが、今回の選挙のように政党が乱立気味の場合は意中の政党名がなかなか出てこないのでは、と察する。たとえば代表の「小沢一郎」という名は浮かんでも、「国民の生活が第一」と即答できるだろうか。あるいは政党名が長い「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」や、よく似た感じの「国民新党」「新党日本」だと迷ってしまう。返事待ちの場合は、やはり与党や野党第一党が数値的に有利ではないだろうか。逆に、返事を誘う読み上げタイプでは新興政党や少数政党には有利かもしれない。これは想像だが、今回の調査では、おそらく朝日と共同は「返事待ちタイプ」、毎日は「返事を誘う読み上げタイプ」ではなかったかと想像する。

 では、「返事待ちタイプ」「返事を誘う読み上げタイプ」の調査の仕方では、どちらの方が民意を引き出す調査方法とよいのだろうか。実際に投票場に足を運び、意中の政党があれば迷うことなく政党名を書くだろうが、投票場に来てでも迷っている有権者は多い。迷いがあると、「投票用紙に書きやすい」政党名を書いてしまうものだ。というふうに考えると、「返事待ちタイプ」の方がリアリティ(現実味)があるのではないだろうか。もちろん、この話は科学的な根拠があるわけではなく、思いをめぐらせただけである。

⇒22日(木)夜・金沢の天気  くもり

☆学生「選挙と関わりたい」

☆学生「選挙と関わりたい」

 今月16日、衆議院は解散し、来月12月4日告示、同16日に投票と開票が行われる。マスメディア(テレビや新聞)はその選挙結果(当落)を伝えるために、水面下で動き出している。さまざま調査活動を実施するための人員の確保だ。

 前回のブログで述べたように、知り合いの新聞記者からメールがあった。「選挙の投開票の日に開披台調査を実施するので学生たちの協力を得たい」との相談だった。「開披台(かいひだい)調査」をもう一度簡単に説明すると、投票日の午後8時に投票は締め切られ、各投票場の票が開票場に集められる。全部集まったところで、自治体の職員が一斉に開票、集計の作業を行う。この開票作業の様子を双眼鏡でウオッチし、刻一刻と積み上がる票数を開票者の手元で数え、マスメディアの選挙報道センターに伝えるのが開披台調査だ。新聞社と連携したテレビの選挙特番では、こうした開披台調査や、投票所の出口で有権者にどの候補に投票したのか記入してもらう出口調査のデータなどを突き合わせ、リアルタイムに当選確実の速報を打っていく。記者の相談は、「この開披台調査、学生の参加が多ければ多いほどいい」という。

 金沢大学では総合科目の『マスメディアと現代を読み解く』や『ジャーナリズム論』を担当していて、「選挙とメディア」のコマでは上記の調査データの収集と分析の意義なども講義している。メディアにとって今後の国政を左右する衆院選挙は、総力で報道する一大イベントである。そこで「総選挙をメディア論の実習に」と位置づけて、記者に協力することを約束した。記者からは時給、交通費などの条件も示された。しかし、数十人の学生の参加を募るのは大変な作業なのだ。

 まず、衆議院が解散したその日(16日)、「マスメディアを通して選挙を知る、学ぶ、体感する選挙調査の説明会(11月21日)を実施」と学生向けに学内メールを流した。参加は自由としたが、学生たちからの反応は速かった。「選挙報道の一端にかかわることで選挙を勉強したい」「自分たちの将来を左右する大事な選挙だと思うので参加したい」「就活をする上でメディア業界に関心があるので参加したい」と参加意向のメールが寄せられた。手応えを感じた。

 そして、きょう(21日)夕方、説明会を開いた=写真=。50部用意した資料がほぼなくなった。授業を通じて思うことなのだが、学生たちは社会参加に意欲を持っているものの、チャンスに恵まれていない。もちろん、震災ボランティアなどあるが、日常でかかわる社会参加は企業のアルバイトが主で限られている。今回は1日、厳密にいうと夕方から半日の調査活動だ。それでも、テレビで選挙特番を視聴するのではなく、その報道の裏方として選挙と関わってみたい、参加してみたい、そうした学生たちの欲求を感じた。

⇒21日(水)夜・金沢の天気  はれ
 

☆「京」の強さ

☆「京」の強さ

 今朝のメディアで気になるニュ-スから。スーパーコンピューターの計算速度を競う世界ランキング最新版で、これまで2位だった理化学研究所の「京(けい)」が3位に順位を落としたとのニュースが流れている。ニュースをそのまま読んでしまえば残念な話に思えるが。

 首位は、オークリッジ国立研究所(アメリカ)の「タイタン」。1秒間に1京(京は1兆の1万倍)7590兆回の計算速度を記録したという。3位の「京」は1京510兆回。速さだけを競うのであれば「3位」だが、実用的という意味では「京」は優れている。計算科学研究機構(AICS)のホームページで掲載されている立花隆氏(ジャーナリスト)の文が分かりやすいので、以下部分引用させていただく。

 「もともとの設計性能が10ペタだったとはいえ、こんなに早くトップ性能が引き出せた背景には関係者のなみなみならぬ努力があったことと思う。これもひとえに斬新な富士通の高性能低電力消費型チップ(SPARC64TM VIIIfx)と6次元メッシュトーラスという独特のアーキテクチャ構造をとることで、高速性と高信頼性(壊れても全面的には壊れない。すぐ自己修復する)を同時に達成するという優れたハードウェア技術が見事に功を奏したが故にだと思う。次のステップは、このすぐれたハードを見事に使いこなして、ソフトウェア(アプリケーション)と計算実績の面でも、世界一の業績を次々にあげていくことだ。それが実現できたら、ケタちがいの計算力を利用したケタちがいのシミュレーション力(速度と精度)で、日本の科学技術力と産業力を数倍レベルアップすることができる。日本の国力を数十倍にしていくことができる。」

 上記の「産業力を数倍レベルアップすることができる」というところがポイントだと思う。ことし9月から本格稼働が始まり、大学や国立の研究所だけでなく、産業界の研究にも門戸が開かれている。公募に対して製薬や化学、ゼネコン、自動車メーカーなど、産業界から25件が採択され、利用が始まってる。

 産業や研究に役立つ、とはどういうことなのか。参考例として、2010年のノーベル化学賞の根岸・鈴木博士のクロスカップリング反応がある。有機化合物と別の有機化合物を触媒のパラジウムによりカップリンングし、ビアリール化合物という新たな有機化合物をつくっていく。パラジウムという触媒は自体はカップリングが成功すると、さっと離れて、次なるカップリングに動く。新しくできた化合物はテレビの液晶材料や抗がん剤など幅広く使われる。鈴木・根岸博士のカップリング反応というのは、原料が安定していて扱いやすい、化学反応が穏和で操作が簡単、有害な廃棄物をほとんどださない。つまり配合を間違えても爆発しない、猛毒を発生させないので、扱いやすい。だから産業に役立つ、扱いやすいということなのだ。スーパーコンピューターも同じで、計算が速いだけでなく、「壊れても全面的には壊れない、すぐ自己修復する」という高信頼性が伴わなければ活用できないのだ。

 このようなスパコンをアメリカでは製造できるのだろうか。メディアは「3位に転落」などと見出しで報じている。視点を変えれば、評価は一転する。

※写真は、スーパーコンピューター「京」を製造している富士通ITプロダクツ=石川県かほく市

⇒13日(火)朝・金沢の天気  はれ

 
 

☆地震予知と異端審問

☆地震予知と異端審問

 「こんなに科学が進んで、宇宙に人工衛星まで飛ばして、いまだに、なぜ正確な地震の予知ができないのか」。人はおそらく1度くらいは思うはずだ。非科学的といわれる「地震雲」などがテレビなどに紹介されたりするのは、そうした人々のもどかしさのせいかもしれない。きょう(23日)のニュースで、300人以上が死亡した2009年4月6日のイタリア中部ラクイラの地震で、「安全宣言」が被害を広げたとして過失致死罪に問われた学者や政府担当者ら7人に対し、現地の地裁が禁錮6年の有罪判決を言い渡したとのニュースが目に飛び込んできた。

 新聞社のウエッブニュースを検索すると、盛んに取り上げられている。被告は、イタリアを代表する国立地球物理学火山学研究所の所長(当時)や、記者会見で事実上の「安全宣言」をした政府防災局の副長官(同)で、マグニチュード6.3の地震が発生する直前の「高リスク検討会」に出席した7人。求刑の禁錮4年を上回る重い判決で、執行猶予はついていない。被告側は控訴するという。

 記事を総合すると話をラクイラ一帯では当時、弱いながらも群発地震が続きており、「大地震」を警告する学者もいた。高リスク検討会の学者らは「大地震がないとは断定できない」としながらも、「群発地震を大地震の予兆とする根拠はない」と議事録に残していた。裁判では、学者側は「行政に科学的な知見を伝えただけだ」と主張、行政当局は「根拠のない『予知』をとめるためだった」などと無罪を訴えた。これに対し、検察は情報提供のあり方を問題視した。政府の防災局は市民の動揺を静めようと3月31日、高リスク検討会の後の記者会見で事実上の「安全宣言」をした。この発表を受けて、屋外避難を取りやめて犠牲になった人もいたという。

 学者が「地震が来るかわからない」と言い、行政当局は数ヵ月前から続いていた群発地震による住民の動揺を鎮めるために、それを「安全だ」と発表した。言葉の誤謬が生んだ悲劇か、学者と行政のミスなのか。このニュースを読んで、カトリック教会の異端審問を連想した。ローマなどでは、中世以降のカトリック教会で正統信仰に反する教えを持つ「異端」という疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステムだ。地震学者として、行政担当者としてその言葉がふさわしかったか、どうか。科学者を入れた検討会で、その発した言葉が罪になるとすれば、科学者は口をつぐむだろう。こうなると「言葉狩り」になってしまう。

⇒23日(火)朝・金沢の天気  あめ

☆戦後賠償と国民感情

☆戦後賠償と国民感情

 アサヒ・コムなど新聞系のウエッブページはきょうの夕方、中日友好協会が27日に中国・人民大会堂で予定していた国交正常化40周年記念レセプションを中止することを決めた、と報じている。確か、今月19日には、中国側は「予定通り行う」と日本側に伝えたと報じられていたので、相当の混乱が先方にあるのだろう。「開催日を再調整する」と中国側は伝えているようだが、それにしても異例だ。

 日本と中国は明治以降、日清戦争、日中戦争と戦火を交えた。戦後、中国共産党が政権を奪取して、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言した。しかし、日本はアメリカとともに、共産党との内戦で台湾に渡った中華民国の蒋介石政権を中国の代表とした。当時の国際情勢は、アメリカなど欧米や日本などの資本主義陣営と、ソ連や東欧、中国などの共産主義陣営に分かれて対立していた。しかし1960年代に入ると、同じ共産主義陣営のソ連と中国の対立が鮮明になり、中国の方がソ連に対抗するために、アメリカや日本との関係改善を望んでいた。米ソ対立を有利に進めたいアメリカは1971年7月、ニクソン大統領が中国訪問を「電撃発表」し、翌1972年2月にニクソン大統領の訪中が実現した。この間、71年10月に中華人民共和国が国際連合に加盟し、台湾から代表権が移った。

 日本もこの潮目に乗じた。ニクソン訪中の7ヵ月後、1972年9月29日、田中角栄首相と周恩来首相が日中共同声明に調印した。内容は、日本が国交のあった台湾と断交し、中国は戦争で受けた損害の賠償請求を放棄することで合意した。この「賠償請求の放棄」が問題含みではなかったか。諸説ある。中国はサンフランシスコ平和条約の締約国ではないが、同条約第21条の規定により、日本政府と日本国民が中国(東部内モンゴルおよび満州含む)に有していた財産、鉱業権、鉄道権益などを放棄し、中国は相当の日本資産を得たとされる。とくに、南満州鉄道を始めとした重工業施設、公共施設、軍事施設など。その上で、中国側とすれば賠償請求より「恩を売る」というカタチがよいとの判断だったとされる。その後、1978年には日中平和友好条約が結ばれ、日本は中国への円借款を始め、2007年度の終了までに3兆円を投じ中国の産業発展に貢献した。

 以下想像を膨らませる。どのような理由があれ、戦勝国の国民は「賠償請求の放棄」を許さないものだ。こんな事例が日本にある。1905年9月5日の「日比谷焼打ち事件」だ。日露戦争でかろうじて勝った日本側が最終的に「金が欲しくて戦争した訳ではない」と賠償金を放棄してポーツマス講和条約を結んだことで、当時の日本国民の多くは、どうして賠償金を放棄しなければならないのかと憤り、東京の日比谷公園で全権大使の小村寿太郎を弾劾する国民大会が開かれた。これを解散させようとする警官隊と群衆が衝突し、さらに数万が首相官邸などに押しかけて、政府高官の邸宅など襲撃、交番や電車を焼き打ちするなどの暴動が発生した。「主張する正当性は我にあり」式の弾劾である。この時、ニコライ堂も標的になったが近衛兵の護衛で難を免れたが、講和を斡旋したアメリカにも怒りは向けられ、東京のアメリカ公使館やアメリカ人牧師がいるキリスト教会までも襲撃の対象となったとされる。東京は無政府状態となり、戒厳令が敷かれた。神戸、横浜でも暴動が起きた。こうした世論を煽ったのは新聞だった。

 さらに日本の群衆の怒りがアメリカにも向けられたことで、アメリカ国内では、アジア人への差別感を表現する「黄禍論」の世論が沸騰した。また、対日感情が悪化してアメリカ国内で日本人排斥運動が起こる一因となったとされる。このように国民感情は「悪のスパイラル」へと連鎖していった。 

 話を戻す。中国国民はいまだに「賠償請求の放棄」を許していないのではないか。「愛国無罪」というスローガンを根っこのところで考えると「賠償請求の放棄」の拒否にまで行き着くのではないかと想像する。中国では国を責めると反乱罪になるので、あえて日本と日系企業にその思いをぶつけ暴れる、そのような根深い国民感情があるのではないか。40年たった今でも、その思いは煮えたぎっているのではないか。

⇒23日(日)夜・金沢の天気   あめ

★今そこにある歴史

★今そこにある歴史

 すさまじい歴史の造られ方である。これが50年後、100年後にどのように評価されるのか。

 「日本製品ボイコット」を叫びながら日系スーパーをことごとく襲い商品を略奪する。「反日無罪」を叫びながら日本の自動車メーカーの車を焼き、日系ディーラーの建物を破壊する。日本料理店を襲う。テレビで見る中国の反日デモは単なる暴徒にしか見えない。おそらく常識ある中国の人々は恥じているに違いない。

 政教分離は日本では当然のごとく受け入れられている。しかし、分離していないのが世界の常識だ。「イスラム教の預言者を冒涜(ぼうとく)した」とされるアメリカ映画をきっかけに、反米デモが止まらない。リビアでは、駐アメリカ大使が殺害され、中東全域のほか南アジアまでイスラム圏の11の国と地域に一気に加速した。クリントン国務長官が「アメリカ政府は、この映画とは全く関係ない」といくら説明していても、アラブ人たちが振り上げた拳は「反米」の表現を取らざるを得ない。宗教対立と化している。アメリカとしては表現や言論の自由を制限することはできない、ましてイスラム圏に武力攻撃を仕掛けることもできない、事態の沈静化を待つしかない。

 テレビや新聞などのメディアで連日取りあげられていること、それは「今そこにある歴史」だ。きょうも中国の浙江省と福建省から多数の漁船が東シナ海に向け出航し、漁船団は尖閣諸島周辺海域に展開する見通しだという。中国の新聞は「1000隻の漁船が釣魚島(尖閣諸島)に向かう」と「予言」している。この1000隻もの漁船は魚を取らずに尖閣諸島に上陸して気勢を上げるのだろうか。

 この大量の漁船に動員をかけ、メディアで煽り、そして国際世論をつくる。「中国人はこんなに、日本政府による釣魚島の国有化を怒っている」と。この演出力や、ボルテージの上げ方は日本人には到底、真似できないだろう。こうした混沌とした中で歴史は日々造られる。中国では「(国有化による)日本政府の挑発に対し、党も国民も一致して毅然と反撃に出た」という表現で語られているのであろうか。日本人は違和感を覚えるが、激しい嫌悪感を感じる人も少なくないだろう。あるいは面白くなってきたと思う人もいるだろう。この騒乱状態がいつま続くのか、どこまで広がるのか、想像がつかない。

 ただ、歴史の目撃者である我々には、「主張の真実」はどこにあるのか、それが見えない。日本政府が尖閣諸島の領有をめぐり中国政府を論破したという話は聞いたことがないからだ。互いが言い合っているから、すっきりとせず近未来の解決策が見えにくい。論争でカタをつけろ、と言いた。

⇒18日(火)夜・金沢の天気  あめ

★五輪の後味

★五輪の後味

 第30回の夏季オリンピック・ロンドン大会は日本時間の13日早朝からオリンピック・スタジアムで閉会式が行われている。「007」の映画のパラシュート降下の映像、「Mr.ビーン」のパロディーの映像で注目された開会式は、映像を使い安上がりだったが、簡素さを感じさせない、華やかな演出だった。運営では競技プールの水を水洗トイレに使うという「もったいない」の精神が貫徹されていた。見事だったのは、ホスト国として競技会場や選手村の運営、そしてテロ対策に気を配り、金メダルを29個も獲得し、堂々の世界3位(アメリカ、中国に続く)である。大会を通じてイギリスの底チカラをというものを感じた。経済危機で混乱するEUにあって今大会でイギリスの存在感を高めたのではないだろうか。

 ロンドンでのオリンピックは1908年、48年に続き同一都市で3度目だった。東京も2度目の2020年大会誘致向けて余念がないが、ハプニングも。IOC国際オリンピック委員会は、IOCの選手委員に立候補していた陸上男子ハンマー投げの室伏広治が、選挙活動規定に違反したとして、候補者から取り消したと発表した(11日)。室伏は立候補した21人中、選手間による投票数は1位、つまりほぼ当確だった。その違反とは、選手村のダイニングホールで選挙活動をしたとのこと。当選すれば、IOC委員もかねるため、東京五輪招致に向けての活動が期待されていただけに、JOC日本オリンピック委員会の落胆ぶりが目に浮かぶ。うがった見方をすれば、ダイニングホールでの名刺交換を「選挙活動だ」とIOCに指したライバルがいるということだ。後味が悪い。

 後味の悪さをもう一つ。日本と韓国戦となったサッカー男子3位決定戦の試合後に、勝った韓国の選手が竹島の領有権を主張する紙を掲げたとして、IOCが調査に入った。韓国の朴鍾佑選手が「独島は我々の領土」と韓国語で書かれた紙を頭上に掲げている写真を韓国メディアの掲載し発覚した。写真があるのだからこれは事実だ。オリンピック憲章は、施設や試合会場での政治的メッセージを含む宣伝活動を一切禁じている。この紙は、会場に応援に来た韓国サポーターが掲げていたものを試合終了後に朴選手が受け取ってスタジアムを走り回ったというから連携プレー、つまりどさくさ紛れの計画的な政治活動ということになる。

 日本領として残されることを決定したサンフランシスコ講和条約発効直前の1952年(昭和27年)1月18日、韓国の李承晩大統領が領土ラインを一方的に設定して竹島を占領した経緯がある。この騒動の発端となった、韓国の李明博大統領による竹島上陸問題。日本政府が領有権問題解決のため国際司法裁判所(ICJ)への提訴を検討すると表明したことに、韓国の与党・セヌリ党の洪日杓報道官が日本を「盗っ人たけだけしい」などと批判したとニュースになった。この言葉をそのままお返した方がよさそうだ。

 12日最終日にレスリング男子フリースタイル66㌔級で米満達弘選手が、前日にはボクシング男子ミドル級で村田諒大選手がそれぞれ金メダルを獲得して、日本選手団の金は7個となった。目標とした金15個以上には届かなかった。メダル総数は2004年アテネ大会を上回る史上最多の38個に達した。ここで前回のブログで書いた「金1個の放送権料」を修正する必要が出てきた。IOC国際オリンピック委員会に支払ったテレビ放映権料は日本コンソーシアム(NHKと民放)が3億5480万㌦(※バンクーバー冬季大会含む一括)、アメリカ(NBCテレビ1社)20億㌦(同)である。日本は金7個なので1個当たり約5000万㌦、アメリカは金46個なので1個当たり4300万㌦となる。「有終の金」2個、なんとか日本五輪に花を添えた。

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