⇒メディア時評

★セウォル号の悲劇

★セウォル号の悲劇

 昨年8月に韓国・済州(チェジュ)島にシンポジウム参加のための渡島した。それゆえ、今回の旅客船「セウォル号」の珍島(チンド)付近での沈没事故が気になる。そして、テレビや新聞、インターネットでの報道をチェックすると、改めて日本と韓国の国民性の違いなども浮かび上がってくる。

  「セウォル」という韓国の言葉は、日本語でいう「歳月」と説明されている。歌手の天童よしみが「珍島物語」を歌っていたので、この島の名前くらいはかすかに覚えていた。その島で起きた済州への修学旅行に向かう高校生が主に犠牲者となった。まさに悲劇だ。

  不明者の家族らがきょう20日未明、抗議のために事故現場からソウルの大統領府に向かおうとして、警察と揉みあいになったとのニュースがあった。朴槿恵(パク・クネ)大統領への直訴が目的と伝えられている。沈没船の捜索活動が進まないことに対し、行方不明者の家族の怒りの行動だろう。この行動は、日本だったら起きるだろうか。おそらく、海洋警察(日本だと海上保安庁)の捜索をじっと待つ。日本の場合、捜査機関や救助隊への信頼感がある。もちろん、中には情報を早く開示しろといった抗議の声は上がるだろうが、大統領府のある青瓦台への抗議行動にはならないだろう。

  数字の訂正が相次いだことは、どのような背景があるのだろうか。16日午前の事故直後、旅客船を運航している海運会社は乗船者数を数回訂正した。事故発生当初は477人と発表していた。まもなくして、459人に訂正、さらに462人と変更し、同日夜には475人に訂正した。そして、18日には乗船者名簿に記載のない死亡者が見つかったと発表している。チケットを買わずに乗船していた人がいるらしい、との理由だ。では、なぜノーチケットで乗船できるのかと次なる疑問が出てくる。これは会社の内部の問題なのか、何か社会的な慣行でもあるのだろうか。

  船長が真っ先に船を離れるという事実があった。船長(68歳)、事故当時に操船していた3等航海士(25歳)、操舵手(55歳)の3人が逮捕された。3等航海士は「現場付近で速度を落として右に曲がるべきなのに、ほぼ全速力で進んで方向を変えた」と供述しているという。この方向転換によって、船がバランスを崩し、統制不能になったというのがどうやら沈没の原因らしいとメディア各社が報じている。救助されたがゆえに、事故原因も早々に分かったのだが、その次に船長として、操縦者としての責任論が浮かんでいる。乗客の誘導をなぜ行わなかったのか、救命ボートはなぜ下ろされなかったのか、なぜ任務を放棄して、真っ先に現場を離れたのか。これは個人的な行動なのか、会社のコンプライアンスの問題なのか、地域の気風なのか、国民性なのか、そんなことを考えてしまう。悲劇の要因もいくつもありそうだ。

⇒20日(日)午後・金沢の天気   くもり

☆学生とメディア

☆学生とメディア

  金沢大学では「ジャーナリズム論」「マスメディアと現代を読み解く」といった共通教育の科目(それぞれ2単位)を担当している。講義の中では、「ニュースは知識のワクチン」と繰り返し言っている。それは、間違った情報やうわさに惑わされないために、普段から新聞やテレビのニュースを読んだり見たりすることで、間違いのない情報の判断ができる、と。

  大学生はどのくらい新聞と向き合っているのか、昨年(2013年)10月に授業でアンケート調査を試みた。任意提出で112人が回答してくれた。「世の中の出来事を知る媒体は主になんですか」(複数選択可)の問いでは、①インターネット(47%)、②テレビ(42%)、③新聞(6%)の順だった。媒体としての新聞の存在感は薄いのだ。「新聞に対する印象」では、好きになれない理由として、「政治に関することが多く書かれており、内容がかたい」「おじさんが読む、かつ、おじさんが作っているもの」「文字を読むよりテレビで見た方が情報の取得が早く、読んでいる時間がもったいなく思える」「手が乾燥する、紙質が悪いのであまり触りたくない」「フニャフニャで読みにくく、手が黒くなる」「文字が多い。字が小さく目が疲れるので、あまり良い印象をもっていない」「家でゆっくり見るのには便利だけど外では見ることができないので不便なもの」など。

  一方、好意的な理由として、「ネットニュースと比べると情報量が多く、種類も豊富であると思う。誤報をできるだけ少なくするために取材が丁寧になされていると感じる」「書かれているイラスト等がとても分かりやすい。これによって難解な問題も簡単に分かる」「情報を得る媒体としては非常に人間的なスマートなもの、様々な情報があり、良い意味で興味のない記事にも出会える」など。

  新聞の現状は、情報としては一流だが、媒体としては学生たちからの支持が少ないとう現実が浮かび上がってくる。

  「新聞などメディアは特定秘密保護法になぜ反対しているのか」。そのような授業をこれまで何度か行った。報道機関は「権力のチェックが仕事」と自ら任じている。それは、民主主義社会は三権分立だが、権力は暴走しやく腐敗しやすいからだ。権力が隠そうとする秘密を暴くことで、浄化作用を促してきた。しかし、特定秘密保護法によって、権力側の取材のガードが強固になる。メディアの最大の懸念は、「国民の知る権利」「報道の自由」「取材の自由」が侵害されるということ。

  「掲載されない写真と映像、あなたはどのように考えるか」を授業で問いかけた。日本のマスメディア(新聞・テレビなど)は通常、遺体の写真を掲載していない。読者や視聴者の感情に配慮してのことだ。一方で、海外メディアはリアリティのある写真を掲載している。学生にこのメディアの有り様を問うと、「現状でよい」61%、「見直してもよい」39%だった。「現状でよい」の主な理由は、「見る側への心理的な影響(トラウマ、PTSDなど)が心配される」「遺体にも尊厳がある。プライバシーの問題もある」「インターネット掲載など別の方法がある」「これは日本人の独自の文化、メンタリティーである」など。一方、「見直してもよい」の主な理由は、「現実、事実を報道すべき」「メディアはタブーや自己規制をしてはならない」「見る側の選択肢を広げる報道を」など。

  「新聞記者の数が激減したアメリカで起きていること」をテーマにした授業も大きな反応があった。リーマン・ショック(2008年9月)以降、アメリカで212の新聞社が休刊。1990年代に6万人を数えた新聞記者は現在4万人に減った。「取材空白域」ではさまざまな事件も起きている。こうした、アメリカの「取材空白域」を調査したスティーブン・ワルドマン氏の言葉を授業で紹介した。「ニュースの鉱石を地中から掘り出すのは、現在でももっぱら新聞です。テレビは新聞の掘った原石を目立つように加工して周知させるのは得意ですが、自前で掘るのは不得手です。ネットは、新聞やテレビが報じたニュースを高速ですくって世界中に広める力は抜群ですが、自ら坑内にもぐることはしません。新聞記者がコツコツと坑内で採掘する作業を止めたらニュースは埋もれたまま終わってしまうのです」(2011年10月29日付・朝日新聞)

 
  学生たちにはこのようなメディアへの考察を通じて、「知識のワクチン」を打っている。

⇒5日(水)夜・金沢の天気    ゆき

★外交の仕掛け

★外交の仕掛け

 新聞に毎日目を通している。記憶は不思議なもので、新しい記事は以前見た記事との関係性を自動的に引っ張り出してくれる。そう、「記憶の引き出し」を開け閉めしてくれるのだ。そんなことを考えた記事がある。

 きょう26日付の各紙で報じられた記事(WEB含め)。ニュースの概要はこのようなものだった。沖縄県・尖閣諸島周辺の領海内で今月1日、熱気球による尖閣上陸に失敗した中国人男性を海上保安庁の巡視船が救助した際、中国政府が男性を逮捕したり連行したりしないよう日本政府に要求していたことが25日分かった。中国政府は、逮捕や連行をすれば、日中関係が抜き差しならないものになると理由を挙げたという。上陸未遂は安倍晋三首相が靖国神社に参拝してから6日後に発生。日中関係が緊迫する中、立件は見送られた。

 「逮捕や連行をすれば、日中関係が抜き差しならないものになる」とは穏やかではない。たかが気球が外交どう関係があるのか、思ったが、「記憶の引き出し」は開かれた。正月早々、3日付の記事である=写真=。1日午後2時26分ごろ、台湾の救難調整本部から海上保安庁に「中国人の乗った熱気球が魚釣島の南で行方不明になった」と救助要請があった。第11管区海上保安本部(那覇市)が、沖縄県の尖閣諸島・魚釣島の南約22キロの日本の領海内の海上で熱気球が漂っているのを発見。近くに浮いていた中国人の男性(35)を救助した。11管によると、男性は1日午前7時に中国・福建省複製位置を1人で離陸。「魚釣島に向かい、上陸するつもりだった」と話したという。11管は1日夜、魚釣島の周辺を航行していた中国公船「海警2151」に男性を引き渡した。

 この2つの記事から分かること。そうかこの気球の一件は中国側の外交の仕掛けだったのか、と。以下推論である。中国側は、気球の達人を使って、元旦早々に尖閣諸島に着陸させようとした。ところが、海面に不時着してしまった。それを、日本の海上保安庁が救助し、連行しようとしていた。中国側は、もし尖閣に気球が舞い降りていたら、おそらく人道的な救助目的で尖閣に上陸して、そのまま居座るという戦略ではなかったか。それは気球の男と打ち合わせ済みであったので、日本側に連行されてそのシナオリがばれると大変なことになると思い、「逮捕や連行をすれば、日中関係が抜き差しならないものになる」と脅したのだろう。

 合点がいかないのは、台湾の救難調整本部から海上保安庁に「中国人の乗った熱気球が魚釣島の南で行方不明になった」と救助要請があったことだ。これは台湾側が中国と連携していたとうことなのか、よく分からない。中国側とすれば気球が着陸失敗したのだから、むしろ救助されない方が「死人に口なし」である。あれやこれや憶測で、真実は定かではない。

⇒26日(日)正午、金沢の天気  はれ

☆東京五輪と8Kテレビ

☆東京五輪と8Kテレビ

 東京オリンピックとパラリンピックは1964年の大会以来56年ぶりとなる。夏季大会を2回以上開催するのは、アテネ(1896、2004)、パリ(1900、1924)、ロサンゼルス(1932、1984)、ロンドン(1908、1948、2012)に次いで5都市目、アジアでは初めてとなる。

 1964年大会からこれまでは紆余曲折だった。1988年の招致で名乗りを上げた名古屋がソウルに、2008年の招致で名乗りを上げた大阪は北京に、2016年の招致でも東京はリオデジャネイロにそれぞれ敗れた。それだけに、今回の「東京」の決定は朗報だ。東京オリンピックのステージでは、「安心、安全、確実な五輪」だけでなく、「震災からの復興」「障がい者スポーツの祭典」「コンパクトな五輪」「エコなスポーツの祭典」などを世界にアピールしてほしいものだ。

 小学生のときに視聴した「東京オリンピック」は鮮明だった。というのも、1953年に始まったテレビ放送で、それまで白黒だった画面がオリンピックを契機に一気にカラー化が進んだのだ。それだけでなく、スロービデオなどの導入でスポーツを見せる画面上の工夫もされた。また、静止衛星による衛星中継も初めて行われた。長野の冬季オリンピックでは、ハイビジョン放送としてハンディ型カメラが登場した。オリンピックとテレビの技術革新は無縁ではない。それでは、これからのオリンピックのテレビの存在価値はなんだろうか。ひょっとして、「4K」「8K」かもしれない。

 では、「4K」あるいは「4K放送」とは何か。現在、日本を含め、世界のテレビ放送はデジタルとなり、基本はハイビジョン放送だ。画質が鮮明で、テレビの薄型化と相まってテレビは大型化している。ハイビジョンであっても、画面が大型化すると、たとえば50インチ以上になると、画質の粗さを感じるようになる。ハイビジョンは縦横がそれぞれ1920ドット、1080ドットとなっている。1920を大ざっぱに2K(Kは1000の単位)と呼ぶ。これをもっと繊細な表示にしたものが「4K」。3840×2160ドットの画素数で、ハイビジョンの縦横が2倍のレベルとなる。縦2倍、横2倍となるので、ハイビジョンの4倍のデータとなる。

 「スーパーハイビジョン」。NHKが技術開発を進める画質はなんと「8K」だ。7680×4320で、7680を大ざっぱに「8K」と称している。これらの技術革新が進むにはタイミングもよい。「4K」「8K」の次世代放送は、2014年のブラジルW杯、2016年のリオオリンピック、2018年の韓国・平昌冬季オリンピックと続き、2020年の東京へと向かう。2年ごとの国際的なスポーツ大会が完成度の高い次世代放送をもたらすだろう。2020年の東京リンピックが決定した。どのような映像で、テレビは視聴者を楽しませてくれるのか。

⇒8日(日)朝・金沢の天気   あめ

★「影の銀行」のこと

★「影の銀行」のこと

  最近、新聞やテレビなどで、中国発の経済危機の可能性について報じられることが多い。そのキーワードが「影の銀行」(シャドーバンキング)だ。「通常の銀行システム外の事業体および活動に関連する信用仲介」と定義される「影の銀行」が個人や企業の資金を地方の不動産開発に流し込み、信用バブルを生じさせる温床ともなっていると指摘されている。

  その信用バブルについて、中国で実感したことがいくつかある。昨年8月に浙江省青田県方山郷竜現村を世界農業遺産(GIAHS)の現地見学に訪れたとき、田舎に不釣り合いな看板が目に飛び込んできた。「161㎡ 江景…」との文字、川べりの豪華マンションの看板=写真=だ。地方に似つかわしくない看板なのである。中国人の女性ガイドに聞くと、マンションは1平方㍍当たり1万元が相場という。1元は当時12円だったので、1戸161㎡では円換算で1932万円の物件である。確かに、村に行くまでの近隣の都市部では川べりにすでにマンションがいくつか建っていた。夕食を終え、帰り道、それらのマンションからは明かりがほとんど見えない。投資向けマンションなのだ。2011年6月に訪れた首都・北京でも夜に明かりのないマンション群があった。
 
 もちろん、投資向けのマンションを購入するマネーは人民元だ。投資を繰り返して膨らんだマネーの行きつく先は将来のリスクを考えてのポートフォリオ、つまり分散投資をすることになる。はたして、中国の「投資家」が人民元を持ち続けることができるだろうか。中国は日本をしのぐ経済規模になったといわれ、人民元がアジアを代表する基軸通貨になれば中国の人々は安心して元を持ち続けるだろう。ただ、通貨には「価値の尺度」「交換の手段」「価値の保存」という3つの要件があるといわれる。中でも問題は「価値の保存」なのだ。その国にたとえば政治の不安定要因があれば、「価値の保存」は崩れやすい。

 繰り返しになるが、実体経済とかけ離れたマネーが中国国内にあふれている。しかも、そのマネー(通貨)は自由や平等といった価値観によって守られているとは言い難い。それどころか、軍事力を背景に中国が、近隣諸国に対して「挑戦」する姿勢を強めている。つまり、安全保障上の脅威ともなっている。これは逆に言えば、国内の政治の不安定要因でもある。つまり、通貨の「価値の保存」は崩れやすく、人民元でその資産を保有する意味がなくなる可能性が大きい。

 このことを見越した「投資家」たちは国外へのマネーの逃避を始めているだろう。習近平体制の腐敗防止キャンペーンとは、単純に言えば、逃避する可能性のあるマネーの没収大作戦ではないのか、とついうがった見方をしたくなる。日本では「バブル崩壊」の経験があるだけに、中国の「影の銀行」がクローズアップされているが、本当の問題は政治とリンクした人民元の通貨の価値の問題ではないのか。今回の話はミクロとマクロがごっちゃになって分かり難いのだが…。

⇒1日(木)夜・金沢の天気   あめ

☆選挙とメディア-下

☆選挙とメディア-下

  今回の参院選挙からインターネットを選挙運動に活用することがスタートした。「ネット選挙」の元年ともいえる。ただ、アメリカではすでに政治と民意をつなぐ媒体としてネットの選挙利用は定着している。

        デジタルとアナログの選挙運動が両輪で回るアメリカ

  アメリカにおけるネットの選挙利用として、よく引き合いに出される話が「オバマ大統領は先の大統領選で5億㌦をネットで集めた」である。2008年からオバマ氏とその陣営はフェイスブックの活用を始め、支持者がどのような書き込み内容に反応するのかを念頭に、工夫を重ねてきた。その極めつけが、「資金集め」である。「シカゴの集会に参加して、歴史へのチケットを手に入れよう」なとど呼びかけ、献金を募る。10㌦、25㌦、50㌦・・・1000㌦まで、支援するネットユーザーは献金が可能な額にクリックして、送金手続きを行う。すると集会の招待券がメールを送られてきて、集会に出かけるという手法だ。このやり方で450万人から5億㌦も集めたといわれる。

  日本では選挙期間中、有権者の家を訪ねて投票を依頼する戸別訪問は公職選挙法で禁止されている。これは、候補者が戸別訪問し、有権者に金を渡し「買収」をするのを防ぐためだ。ことほど左様に、かつて「選挙と金」の生々しい時代の記憶があるからだ。今日では、戸別訪問もできないようでは民主主義と言えないと叫んでもよいくらいだ。言いたかったのは、アメリカでは逆に、ネットでの政治献金を通じて、人々が政治への参加意識を高めている、ということだ。しかも、アメリカでは、インターネットでのキャンペーンを空中戦でたとえるならば、戸別訪問を地上戦と位置づけ、運動員が実績を訴えるパンフレット持参して個別訪問する。まるで、デジタルとアナログの選挙運動が両輪で回っている感じだ。

  ただ、問題はそうして集めた政治献金の使われ方だ。アメリカでは、テレビ討論が大統領を決めると言われるくらいにテレビは選挙におけるポジションが高い。しかし、 もう一つの空中戦であるテレビCMによるネガティブ・キャンペーン(中傷)もまた、テレビCMを通じて大量に流される。ロムニー陣営が「オバマの医療保険改革であなたの保険はなくなる」と流せば、オバマ陣営も「ビッグバードもロムニーに反対」とやり返す。ちなみに、財政立て直しのために、ビッグバードのキャラクターで有名な番組「セサミストリート」を放送している公共放送「PBS」の予算をカットするとロムニー氏が述べたことによる。こうしたネガティブ・キャンペーンは、2010年にアメリカ連邦最高裁判決で企業や団体による政治CMの自由が認められ、拍車がかかった。中傷CMが飛び交うと同時に、巨額の金が飛び交う選挙の構図である。

  日本でネガティブ・キャンペーンを流せば、流した方のイメージがダウンするかもしれない。

⇒23日(火)夜・金沢の天気    はれ

★選挙とメディア-中

★選挙とメディア-中

 第23回参院選挙は22日未明に、改選定数121の全議席数がすべて確定した。自民65、民主17、公明11、みんな8、共産8、日本維新8、社民1、諸派・無所属3。自公で非改選を含めて参院の過半数(122議席)を獲得したことになる。午後8時の投票の締切とほぼ同時に各テレビ局は選挙特番を始めた。「22日未明」を待たなくても、もうこの時点で「大勢」は決まった。さらにテレビ局は「衆参のねじれ解消」「民主幹事長の責任問題は」などとボルテージを高くした。

         テレビの当打ち、「評価しない」38%の背景

 開票作業はまだなのにもう「選挙は終わり大勢は決した。次はこうなる」などとまくしたてられても、有権者や視聴者にはピンと来ない。新聞社やテレビ局が世論調査などデータを積み上げ、「投票行動の流れ」を予め分析しているの知ってはいるが、いつもの当打ち速報と特番合戦には違和感を感じると思っている人も多い。

 そこで選挙期間中だった今月16日、「マスメディアと現代を読み解く」の授業で、学生たちに「はい」「いいえ」の二者択一で、「新聞社と系列のテレビ局が組んで、投票日に出口調査など実施し、テレビで開票速報を打ちます。あなたが有権者だとして、こうしたメディアの当打ちを評価しますか」とリアクション・ペーパー(感想文)で問うた。学生たちのほとんどは1年で有権者は少ない。回答してくれた182人の学生のうち「はい」(評価する)は102人、「いいえ」(評価しない)80人だった。パーセンテージで表せば、「62%」対「38%」である。これは意外だった。「評価しない」が予想より多いと感じた。

 ちなみに、「評価する」の主な理由は、「有権者は一票が反映されたか、速く正確な選挙結果を知りたがっている」「競争することで選挙速報におけるメディア全体の質が高まる」「かなり緻密、多角的な分析が行われており、速報は信頼できる」「当落について有権者の関心は高く、選挙特番は国民の間ではすでに定着している」「誤報のリスクを抱えながらも、速報するのはメディアのあるべき姿」などだった。

 逆に「評価しない」は、「当打ちはメディア側の自己満足にすぎない」「選挙速報を競うより、公的機関として投票率を上げる工夫が必要」「当打ちを急ぐことが果たして民主主義か、国民のためだと思わない」「誤報の可能性もあり、なぜそこまで速報にこだわるのか、そもそも疑問」「もともと速報は国民が望んだものとは思えない」。なかなか手厳しい。

 確かに「誤報の可能性もあり、なぜそこまで速報にこだわるのか、そもそも疑問」とする理由はテレビ局側にもある。昨年12月16日の衆院総選挙では、テレビ業界で「フライング」と称する当打ちの誤報が2件(日本テレビ系、TBS系)あった。それにしても「評価しない」38%の背景は何だろうと考えてしまう。

 回答してくれた学生のほどんどがまだ選挙権を有していない。とすれば、実際に一票を投じた有権者の「結果を知りたい」という実感が理解できないのかもしれない、と思ったりもする。あるいは若者たちのドライな感覚に立てば、「NHKが速報やっているのに、なぜ民放までもがワイワイやらなきゃいけないのか」などと思っているのかもしれない。これはむしろ、どのリモコンを押しても同じような番組というテレビ批判と考えていい。

⇒22日(月)未明・珠洲市の天気   はれ

☆選挙とメディア‐上

☆選挙とメディア‐上

  金沢大学共通教育の科目で「マスメディアと現代を読み解く」の授業を担当している。ちょうどいま参院選挙なので「選挙とメディア」が講義のテーマだ。今回の選挙は何かと話題性が多い。ひとつには、インターネットが選挙活動に解禁される初めての選挙として注目され、また、安倍政権がいうところの、いわゆる「ねじれ国会」、衆院と参院で与党・野党の議席数における優位が逆転した状態で開催される国会を解消したいとの政権側の思惑。そして、3つめがアベノミクスの国民の評価であろう。

     選挙期間中、記事では公平・平等な扱いがされているか

 先の授業で選挙公示以降の新聞・テレビのメディアの公平性をテーマに講義をした。候補者を紹介する写真と記事の量・スペースの平等性など、新聞・テレビとも結構気を使っている、との講義内容だった。学生から質問があった。公平・平等とは言え、4日の公示の各陣営の模様を伝える5日付の新聞紙面で、自民の党首(安倍氏)の写真が他党の党首の顔写真より6倍もサイズが大きな写真だった。学生から「これは政権与党だからの配慮ですか」と問われ、これをどう説明しようか迷った。

       
 新聞やテレビのメディアには、いわゆる選挙公報的に、各候補者の主張を平等、公平に扱い、有権者に対し、投票の判断材料を提供するという役割がある。テレビで言えば、放送法で公平な報道が明記されている。一方で、メディアには「報道・評論の自由」がある。メディアが考える選挙の焦点について有権者に詳しく伝え、読者や視聴者や考えてもらう役割だ。何を、どう書き、どう扱うか。それはメディアの自由裁量の範囲として認められている。メディアの選挙報道には大きくこの2つがある。

 学生から質問があった写真の扱いは、後者だ。「報道・評論の自由」の範疇の中で、「安倍政権を問う」という今回の選挙構図、自民という巨大政党に対し、中小政党が乱立している現状をわかりやすく伝えたもの。まったく平等に、すべての政党を同じ大きさで扱うのなら、何の面白みもない、平板な選挙公報、あるいは選挙管理委員会のチラシになってしまう。石川選挙区には5人の候補者がいる。新聞各紙、テレビを見たり読んでいると、ニュースの価値や読者、視聴者の関心を考慮し、自民、民主、共産の主要政党の候補3人と他の諸派・無所属の候補2人とは、記事の扱いで差をつけている。しかし、その場合でも候補者の経歴紹介や候補者アンケートについては、まったく平等に扱っている。諸派や無所属の候補者であってもできるだけ公平に、できるだけ不平等な扱いをしないように、気を配っている。

 そこで、学生が質問した紙面を見ると、確かに安倍氏の写真は他の党首の6倍の大きさだ。しかし、よく見ると背景とポーズが入っているので大きくなっている。顔のサイズは他の党首とは変わらない大きさなのだ。これだと他党から不公平ではないかとクレームが来たとしても「顔のサイズは同じ」と言い張れる。微妙にして、足がすくわれない写真の掲載の意図である。質問した学生も「う~ん。なるほど」とうなった。この件、公平か、不公平かの議論より、選挙報道の面白さ、妙味とした方がよさそうだ。

⇒16日(火)朝・金沢の天気   はれ

★匿名報道へのワナ

★匿名報道へのワナ

  これはある種のワナではないか、一連の記事を読んで感じた。18日付の朝刊各紙で報じられた、中国海軍のフリゲート艦が1月に海上自衛隊護衛艦にレーダー照射した問題で、中国軍の複数の高級幹部は17日までに、共同通信の取材に、攻撃用の射撃管制レーダーを照射したことを認めた、という内容の記事である。記事では、「艦長の緊急判断だった」と計画的な作戦との見方を否定し、昨年12月、中国の国家海洋局の航空機が尖閣付近で領空侵犯した問題は「軍の作戦計画」と認めたが「事態をエスカレートさせるつもりはなかったし、今もない」と言明した、と続けている。この記事だけを読めば、レーダー照射問題に関して一貫して否定してきた中国側の「奥深い」訂正のメッセージかと思ってしまう。

  これに対して、18日のメディア各社のネットニュースでは、中国国防省報道事務局は18日、中国海軍艦艇による海上自衛隊護衛艦へのレーダー照射問題で、中国軍幹部が射撃管制用レーダー照射を認めたとする日本の一部メディアの報道について「事実に合致しない」と改めて否定する談話を発表した、とある。さらに、同局は「日本側がマスコミを使って大げさに宣伝し、中国軍の面目をつぶして、国際社会を誤解させるのは、下心があってのことだ」と非難。「日本側は深く反省し、無責任な言論の発表をやめ、実際の行動で両国関係の大局を守るべきだ」と求めた、というのだ。

  中国国防省報道事務局がノーコメントならば、「奥深い」訂正のメッセージと解釈できるのだが、「日本側がマスコミを使って大げさに宣伝し、中国軍の面目をつぶして…」とあるように、日本の政府が仕組んだ宣伝と発表したことで、冒頭の「ワナではないか」と感じるのだ。

  国内メディアを徹底的に管理監督している中国政府はメディアのツボというものを熟知している。共同通信の取材源は「中国軍の複数の高級幹部」としており、匿名報道なのだ。日本のメディアではこの匿名報道を多用している。国内でも「政府筋によると」や「事件の捜査担当者によると」などとして実名を明かさない。「情報源の秘匿」と言えば、そうなのだが、アメリカのメディアなどは実名報道を原則としている。中国で、匿名報道がどれほど通用するだろうか。直観したのは、この日本のメディアの匿名報道の手法が逆用されて、日本政府への攻撃キャンペーンに利用されるのではないか、と。

  というもの、最近中国側の外国メディアに対する関わりが散見される。18日付の読売新聞ネットニュースでは、ニューヨーク特派員の署名記事で、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は、WSJ中国支局の社員が情報提供の見返りに複数の中国政府当局者に贈賄行為を行ったとの告発があり、米司法省の調査を受けたことを明らかにした、との報道があった。しかし、WSJによる内部調査の結果、告発を裏付ける証拠はなく、同紙の中国報道への報復を狙った可能性があると同省に伝えたという。その報復とは、WSJによると、職権乱用や巨額収賄などを問われて公職から追放された薄煕来・元重慶市党委書記に関する報道と関連があり、告発者は中国政府の意向を受けた人物とみている。WSJは中国指導者層の腐敗などに関する記事を掲載している。司法当局に「タレこむ」でことで、ある種の取材抑制を仕掛ける意図が見えてくる。

⇒18日(月)夜・金沢の天気     あめ  

☆震災とマスメディア

☆震災とマスメディア

  きょう11日は東日本大震災から丸2年となる。震災が発生した2011年3月11日14時46分ごろ、私は金沢大学サテライトプラザで「事業企画・広報力向上セミナー」という社会人向けの講座を開いていた。イベント企画などをマスメディアに向けて発信するニュースリリース文の書き方の実習を行っていた。当時、金沢の揺れは震度3だったが、揺れを感じた人は少なかった。講義室は2階だった。別の教員がたまたま1階の事務室でテレビ速報を見ていて、「東北と関東が地震で大変なことになっている」と血相を変えて2階に上がってきた。それが震災を知った最初だった。

  自宅に帰り、テレビにくぎ付けになった。NHKが空撮の映像を流していた。東北のテレビ局の友人に聞くと、当時、マスメディアの中で、ヘリコプターを飛ばすことができたのはNHKだけだった。たまたま別の取材でスタンバイしていて、瞬時に飛ばすことがた。ほかの民放テレビ局のヘリは、駐機していた仙台空港が津波に襲われ破損したのだった。この話を聞いて、メディアも被災者だったのだと実感した。その後、東北の被災地に何度か出かけた。震災から2ヵ月後の5月11日から13日に仙台市と気仙沼市を取材に、昨年2月2日と3日に仙台市をシンポジウム参加で、ことしに入って、2月25日に福島市をシンポジウム参加で訪れた。

  地震の被災地を訪れたのは2007年3月25日の能登半島地震、同年7月16日の新潟県中越沖地震以来だった。新潟は震度6強の激しい揺れに見舞われた。震源に近く、被害が大きかった柏崎市は原子力発電所の立地場所でもあり、地震と原発がメディアの取材のポイントとなっていた。そんな中で、「情報こそライフライン」と被災者向けの情報に徹底し、24時間の生放送を41日間続けたコミュニティー放送(FM)を取材した。それ以降、毎年、マスメディアの授業では、メディアが被災者と被災地に果たす役割とは何かをテーマに「震災とメディア」の講義を2コマないし3コマを組み入れている。震災から2ヵ月後に訪れた仙台市と気仙沼市は講義の取材のためだった。

  東日本大震災は、震災、津波、火災だけにとどまらず、原発事故も重なり痛ましい災害となった。担当しているマスメディアの授業では、学生たちの被災地の様子を伝えたいと考え、自ら被災者でもある現地の東日本放送(仙台市)の番組プロデューサー(局長)や報道部長に金沢大学に来てもらい、「震災とメディア」をテーマにこれまで講義を2回(2011年12月13日、2012年5月8日)をいただいた。ことしも5月に同放送局の報道の編集長を招いて、その後の被災者とメディアのかかわりについて話してもらう。これまでの講義で「寄り添うメディアでありたい」との言葉が印象的だ。3年目を迎え、それを具体化するためにどのような番組づくりを行っているのか、学生たちに直接話を聞かせてやってほしい。授業を通じて、震災を考える、メディアの在り様を考える、地味ではあるが続けていきたい。2007年から始めた「震災とメディア」の講義はこれまで6年間で1200人余りの学生が履修してくれた。

※写真は、被災地とメディアの有り様を学生たちに考えさせる授業で使っている写真の中の1枚。2007年3月の能登半島地震後に撮影

⇒11日(月)朝・金沢の天気   はれ