★セウォル号の悲劇
「セウォル」という韓国の言葉は、日本語でいう「歳月」と説明されている。歌手の天童よしみが「珍島物語」を歌っていたので、この島の名前くらいはかすかに覚えていた。その島で起きた済州への修学旅行に向かう高校生が主に犠牲者となった。まさに悲劇だ。
不明者の家族らがきょう20日未明、抗議のために事故現場からソウルの大統領府に向かおうとして、警察と揉みあいになったとのニュースがあった。朴槿恵(パク・クネ)大統領への直訴が目的と伝えられている。沈没船の捜索活動が進まないことに対し、行方不明者の家族の怒りの行動だろう。この行動は、日本だったら起きるだろうか。おそらく、海洋警察(日本だと海上保安庁)の捜索をじっと待つ。日本の場合、捜査機関や救助隊への信頼感がある。もちろん、中には情報を早く開示しろといった抗議の声は上がるだろうが、大統領府のある青瓦台への抗議行動にはならないだろう。
数字の訂正が相次いだことは、どのような背景があるのだろうか。16日午前の事故直後、旅客船を運航している海運会社は乗船者数を数回訂正した。事故発生当初は477人と発表していた。まもなくして、459人に訂正、さらに462人と変更し、同日夜には475人に訂正した。そして、18日には乗船者名簿に記載のない死亡者が見つかったと発表している。チケットを買わずに乗船していた人がいるらしい、との理由だ。では、なぜノーチケットで乗船できるのかと次なる疑問が出てくる。これは会社の内部の問題なのか、何か社会的な慣行でもあるのだろうか。
船長が真っ先に船を離れるという事実があった。船長(68歳)、事故当時に操船していた3等航海士(25歳)、操舵手(55歳)の3人が逮捕された。3等航海士は「現場付近で速度を落として右に曲がるべきなのに、ほぼ全速力で進んで方向を変えた」と供述しているという。この方向転換によって、船がバランスを崩し、統制不能になったというのがどうやら沈没の原因らしいとメディア各社が報じている。救助されたがゆえに、事故原因も早々に分かったのだが、その次に船長として、操縦者としての責任論が浮かんでいる。乗客の誘導をなぜ行わなかったのか、救命ボートはなぜ下ろされなかったのか、なぜ任務を放棄して、真っ先に現場を離れたのか。これは個人的な行動なのか、会社のコンプライアンスの問題なのか、地域の気風なのか、国民性なのか、そんなことを考えてしまう。悲劇の要因もいくつもありそうだ。
⇒20日(日)午後・金沢の天気 くもり
り返し言っている。それは、間違った情報やうわさに惑わされないために、普段から新聞やテレビのニュースを読んだり見たりすることで、間違いのない情報の判断ができる、と。
「逮捕や連行をすれば、日中関係が抜き差しならないものになる」とは穏やかではない。たかが気球が外交どう関係があるのか、思ったが、「記憶の引き出し」は開かれた。正月早々、3日付の記事である=写真=。1日午後2時26分ごろ、台湾の救難調整本部から海上保安庁に「中国人の乗った熱気球が魚釣島の南で行方不明になった」と救助要請があった。第11管区海上保安本部(那覇市)が、沖縄県の尖閣諸島・魚釣島の南約22キロの日本の領海内の海上で熱気球が漂っているのを発見。近くに浮いていた中国人の男性(35)を救助した。11管によると、男性は1日午前7時に中国・福建省複製位置を1人で離陸。「魚釣島に向かい、上陸するつもりだった」と話したという。11管は1日夜、魚釣島の周辺を航行していた中国公船「海警2151」に男性を引き渡した。
小学生のときに視聴した「東京オリンピック」は鮮明だった。というのも、1953年に始まったテレビ放送で、それまで白黒だった画面がオリンピックを契機に一気にカラー化が進んだのだ。それだけでなく、スロービデオなどの導入でスポーツを見せる画面上の工夫もされた。また、静止衛星による衛星中継も初めて行われた。長野の冬季オリンピックでは、ハイビジョン放送としてハンディ型カメラが登場した。オリンピックとテレビの技術革新は無縁ではない。それでは、これからのオリンピックのテレビの存在価値はなんだろうか。ひょっとして、「4K」「8K」かもしれない。
その信用バブルについて、中国で実感したことがいくつかある。昨年8月に浙江省青田県方山郷竜現村を世界農業遺産(GIAHS)の現地見学に訪れたとき、田舎に不釣り合いな看板が目に飛び込んできた。「161㎡ 江景…」との文字、川べりの豪華マンションの看板=写真=だ。地方に似つかわしくない看板なのである。中国人の女性ガイドに聞くと、マンションは1平方㍍当たり1万元が相場という。1元は当時12円だったので、1戸161㎡では円換算で1932万円の物件である。確かに、村に行くまでの近隣の都市部では川べりにすでにマンションがいくつか建っていた。夕食を終え、帰り道、それらのマンションからは明かりがほとんど見えない。投資向けマンションなのだ。2011年6月に訪れた首都・北京でも夜に明かりのないマンション群があった。
日本では選挙期間中、有権者の家を訪ねて投票を依頼する戸別訪問は公職選挙法で禁止されている。これは、候補者が戸別訪問し、有権者に金を渡し「買収」をするのを防ぐためだ。ことほど左様に、かつて「選挙と金」の生々しい時代の記憶があるからだ。今日では、戸別訪問もできないようでは民主主義と言えないと叫んでもよいくらいだ。言いたかったのは、アメリカでは逆に、ネットでの政治献金を通じて、人々が政治への参加意識を高めている、ということだ。しかも、アメリカでは、インターネットでのキャンペーンを空中戦でたとえるならば、戸別訪問を地上戦と位置づけ、運動員が実績を訴えるパンフレット持参して個別訪問する。まるで、デジタルとアナログの選挙運動が両輪で回っている感じだ。
開票作業はまだなのにもう「選挙は終わり大勢は決した。次はこうなる」などとまくしたてられても、有権者や視聴者にはピンと来ない。新聞社やテレビ局が世論調査などデータを積み上げ、「投票行動の流れ」を予め分析しているの知ってはいるが、いつもの当打ち速報と特番合戦には違和感を感じると思っている人も多い。
先の授業で選挙公示以降の新聞・テレビのメディアの公平性をテーマに講義をした。候補者を紹介する写真と記事の量・スペースの平等性など、新聞・テレビとも結構気を使っている、との講義内容だった。学生から質問があった。公平・平等とは言え、4日の公示の各陣営の模様を伝える5日付の新聞紙面で、自民の党首(安倍氏)の写真が他党の党首の顔写真より6倍もサイズが大きな写真だった。学生から「これは政権与党だからの配慮ですか」と問われ、これをどう説明しようか迷った。
これに対して、18日のメディア各社のネットニュースでは、中国国防省報道事務局は18日、中国海軍艦艇による海上自衛隊護衛艦へのレーダー照射問題で、中国軍幹部が射撃管制用レーダー照射を認めたとする日本の一部メディアの報道について「事実に合致しない」と改めて否定する談話を発表した、とある。さらに、同局は「日本側がマスコミを使って大げさに宣伝し、中国軍の面目をつぶして、国際社会を誤解させるのは、下心があってのことだ」と非難。「日本側は深く反省し、無責任な言論の発表をやめ、実際の行動で両国関係の大局を守るべきだ」と求めた、というのだ。
地震の被災地を訪れたのは2007年3月25日の能登半島地震、同年7月16日の新潟県中越沖地震以来だった。新潟は震度6強の激しい揺れに見舞われた。震源に近く、被害が大きかった柏崎市は原子力発電所の立地場所でもあり、地震と原発がメディアの取材のポイントとなっていた。そんな中で、「情報こそライフライン」と被災者向けの情報に徹底し、24時間の生放送を41日間続けたコミュニティー放送(FM)を取材した。それ以降、毎年、マスメディアの授業では、メディアが被災者と被災地に果たす役割とは何かをテーマに「震災とメディア」の講義を2コマないし3コマを組み入れている。震災から2ヵ月後に訪れた仙台市と気仙沼市は講義の取材のためだった。