⇒メディア時評

☆土下座の記者会見

☆土下座の記者会見

  とても違和感を感じた謝罪会見だった。長野県軽井沢町で15日に起きたスキーバス転落事故(乗客の学生、運転手ら14人が死亡)で、バスを運行していた「イーエスピー」(東京都羽村市)の社長や営業部長ら3人が16日に本社で記者会見した様子が新聞やテレビで報じられた。

  この記者会見で、出発前の健康チェックやアルコール検査は法律で義務づけられているにもかかわらず、事故を起こしたバスの運転手に対する健康チェックを出発前にしていなかったことを明らかにした。しかも、そのチェックを社長自らが確認する予定だったが、「時間を勘違いして遅刻し、運転手が先に行った」と釈明していた。

  その記者会見の最後、午後4時40分いきなり社長ら3人が土下座を始めたのである。テレビの画面で見る限りで、顔を真っ赤にした社長は涙を流しながら床に額をつけ、「心よりお詫びを申し上げます」と。60秒余りの土下座だったろうか、その後も動かず、社員に引き離されるカタチで退出した。

  14人もの命が失われた大事故であり、土下座の謝罪は無理もないだろう。違和感を感じたのは、その土下座を会見で使った机の後ろ側で行ったことである。本来ならば、机の前に出てきて、カメラに向かっての土下座ポーズが本来の姿だろう。社長は土下座をしたものの、誰に向かっての謝罪かおそらく混乱して頭が回らなかったのではないかと想像した。

  この土下座で動揺したのは報道各社のカメラマンたちだった。社長らの土下座のポーズが机の下に隠れてしまい、慌ててカメラマンたちが前に出てきて、あるいは机の下から撮影するというハプニングだった。

  この事故報道でもう一つ、犠牲者の顔写真の入手にいかにフェイスブックやツイッタ-が役立ったかということが実感できた。中日新聞の例だと、死亡した12人の学生たちの全員の顔写真を掲載しているが、そのうち、8人の顔写真がインターネットからの引用である。フェイスブックが6人、ツイッターが1人、ホームページが1人の内訳だ。同紙は「※写真はフェイスブックから」などと引用元を明記している。

  一般的に考えれば、いくら引用元を明記しているとは言え、勝手に新聞社やテレビ局が掲載してよいのか、と思って不思議ではない。メディア側とすれば、動画投稿サイトやソーシャルメディアに掲載されている画像や画像の利用は、報道利用であれば、投稿者の許諾が得られない場合でも利用が可能との判断をしている。肖像権より報道利用は優先されるのである。投稿者本人が利用を拒否した場合でも、事件・事故に絡む報道利用であるならば、法律上での問題はない。メディアによっては引用元すら明記しないところもある。 ただ、読者や視聴者は顔写真を見たいか、見たくないかは別判断だ。

⇒17日(日)夜・金沢の天気   くもり

☆4Kの風

☆4Kの風

   先日(12月10日)金沢市に本社がある石川テレビ(フジテレビ系列)で、月刊ニューメディア主催の「Xデー勉強会㏌金沢」が開かれ、参加した=写真=。同局がことし8月から始めた4K制作の番組、そして効率的なワークフローを考えるための基本と、HDR技術を勉強するという、ちょっと欲張ったセミナーに心がひかれ参加した。参加は20人。北陸のTVメディア関係者が多いだろうと想像していたのだが、当日の顔ぶれをみると、北海道の札幌テレビ放送、南は琉球朝日放送からの参加があり、4Kの番組制作についての関心の高さがうかがえた。

   4K番組と言えば、最近は4K放送や4KVOD(ビデオ・オン・デマンド)サービスも充実してきたが、それは高速インターネットサービスや124/128度CS対応パラボラアンテナの設置によって視聴するもの。地上波やBSでの4K番組の放送がいつ始まるのか、気になる。総務省のHPを検索して調べてみると、4K・8K放送のロードマップが記されている。2014年には、4K放送「Channel 4K」(124/128度CS)、4K商用VODサービス「ひかりTV 4K」、4K商用VODサービス「4Kアクトビラ」が開始した。2015年には3月に4K商用放送「スカパー! 4K」(124/128度CS)が始まった。来年2016年は、BSで4K試験放送(最大3チャンネル)と8K試験放送(1チャンネル)を開始される予定。2018年にはBSで4K・8K実用放送の開始が予定されている。ところが、地上波での放送は空き周波数帯域の問題などもあり、現状では全くの未定なのだ。

   勉強会で、あいさつ立った石川テレビの高羽国広社長は、「新社屋のメディア館が完成し、喫茶店で現場の担当者に4K番組の制作を話題にしたら、『できますよ』と言われ即断した。そして、間もなく取材が動き出した。新しい4Kという技術があるのに、地上波だけが取り残されていいのかという思いがあった。周波数の割り当てがないからとBSやCSの後塵を拝していていいのだろうか」と懸念を述べた。

   石川テレビはことし8月から4Kカメラで取材する週一回のレギュラー番組『新ふるさと 人と人』の放送を開始した。4Kカメラで撮影したものを2Kにダウンコンバートした映像で放送している。ところが、他局からは「4Kで撮影しても2Kで放送するのなら4Kは無駄ではないか」との意見が出た。実際は、4Kから2Kにダウンコンしても、4Kの映像のシャープさ(精鋭感、解像感)はさほど衰えないことが実証されている。

   周波数の割り当てが不明確だから、4K番組にチカラが入らないというのはまったく当てはまらない。むしろ、積極的に4K番組を先駆的につくってこそ時代のテクノロジーを未来に活かせるのだ。ディスカッションで、札幌テレビの参加者は「アジアで4K番組を売れる手応えがある。アジアのコンテンツ市場はすでに4Kが前提だ」と。4K映像に詳しい立教大の佐藤一彦教授は「4Kの風はローカルから吹き始めている」と述べたのが印象的だった。

   映像の美しさを求めるのは人間の欲求である。それは、解像度や自然界の色の「色域」の広がり。それに輝きをどう加えるか、その欲求は果てしない。勉強会に参加しての感想だ。

⇒14日(月)朝・金沢の天気    くもり

☆「クロ現」問題のてん末

☆「クロ現」問題のてん末

  「出家詐欺」を扱ったNHK報道番組「クローズアップ現代」をめぐる問題で、今月6日、「重大な放送倫理違反があった」とする放送倫理・番組向上機構(BPO)の検証委員会の意見が公表され、新聞・テレビのニュースでも大きく報じられた。意見書はBPOのホームページで公開されていて、その内容は、「情報提供者に依存した安易な取材」「報道番組で許容される範囲を逸脱した表現」など厳しいコメントとなった。

  この問題は、私が大学で担当する総合科目「マスメディアと現代を読み解く」でも取り上げ、BPOのコメントには注目していた。番組は去年5月14日放送の「追跡“出家詐欺”~狙われる宗教法人~」。寺で出家の儀式「得度」を受けると戸籍の下の名前を法名に変更できることを悪用して別人を装い、金融機関から融資をだまし取るケースが広がっていると紹介した。ところが、番組内で多重債務者に出家を指南するブローカーとされた男性が今年3月18日付の週刊文春に「NHKのやらせ」と告発した。

   これを受けたNHKの対応は速かった。4月3日に調査委員会を立ち上げ、同9日に中間報告書を、同月28日に最終報告書を公表し、「過剰な演出」や「実際の取材過程とかけ離れた編集」があったことを認める一方で、「事実のねつ造につながるいわゆる『やらせ』は行っていない」と結論づけた。「やらせ」との言葉が世間で独り歩きすることを極度に恐れ、必死になって報告書をまとめたであろうことは想像に難くない。BPOの放送倫理検証委員会は5月8日、審議の対象にすることを決めた。BPOの調査目的は、果たして「過剰な演出」や「実際の取材過程とかけ離れた編集」というレベルにとどまるものなのかどうか、その一点にあったようだ。番組制作関係者11人と番組内での「ブローカー」、「多重債務者」の計13人に25時間に及ぶ聞き取り調査を行った。

   BPOの意見書を読むと、驚くことが掲載されている。番組では初対面で相談する「ブローカー」と「多重債務者」のそれぞれの男性は10年来の知り合いであり、番組をコーディネートしたNKH記者とも旧知の間柄だった。さらに、2014年4月19日に撮影が行われた、2人が相談する場所も「多重債務者」の方が事前に準備したもので、さらに撮影終了後には、記者と「ブローカー」と「多重債務者」の3人が「打ち上げ」と称して居酒屋で飲食を共にしていたのである。これが報道番組「クローズアップ現代」で隠し撮りシーンとして紹介された場面の撮影の舞台裏だった。視聴者にとって全く想定外だろう。これを一般の視聴者に問えば、十中八九「それは『やらせ』です」と答えるに違いない。

   NHK側は、「ブローカー」と「多重債務者」のそれぞれの男性が知り合いで、番組をコーディネートした記者とも知り合いだったことから、2人が記者が説明した番組の意図を忖度して、それぞれの知識や体験にオーバートークを交えて「出家の相談をするブローカーと多重債務者の相談場面」を演じた、いわゆる「過剰演出」と結論づけた。相談場面は、この意見書を読む限り、番組の狙いを強調する事実をわい曲ではないのかと思ってしまう。

   もう一点、腑に落ちないことがある。NHKが最終報告書を公表し、番組に携わった記者ら15人を処分した4月28日、その同日に総務大臣名で文書による厳重注意の行政処分がNHKに対してあった。5月8日にBPO放送倫理検証委員会が審議入りする前に行政指導に踏み切ったのである。このことについて、今月6日に公表されたBPOの意見書の「おわりに」の章で、「政府が個別番組の内容に介入することは許されない」と総務省を批判ししている。また、新聞メディアなどもきょう7日付の紙面でむしろ政府の「介入」を問題視している=写真=。

   私はもう少しうがった見方をしている。NHKの最終報告書の公表と社内処分、総務省による行政処分のタイミングがよすぎるのである。これは、BPO放送倫理検証委員会が審議入りする前にこの問題の幕引きをはかりたいというNHK側の意図があり、NHKが総務省に行政処分を出すよう働きかけたのではないか、と。放送界の第三者機関(BPO)に「やらせ」と詮索されては困るからである。一連の「クロ現」問題のニュースを読んで、そう考える人も多いのではないか。メディアの批判の矛先がNHKより、むしろ政権党や総務省に向かい、NHKサイドも今頃ホッと胸をなでおろしているのではないか。

⇒7日(土)午後・金沢の天気    くもり
  

☆辺野古から-下

☆辺野古から-下

          キャンプ・シュワブから辺野古地区に入った。紺碧の海と空が見える海岸べり、ここで海上基地反対の運動を10年余り続けているテント村を訪ねた。「座り込み4175日」とある。東京から来たという女子学生3人がテント村の人たちと話し込んでいた。「私たちはこのきれいな海を戦場にしたくない。新基地がどれだけ県民の心の負担になるか察してほしい」とテント村のスタッフが訴えていた。

    一方で、辺野古周辺で、機械システム工学科や情報通信システム工学科がある国立高専があるの建設、IT企業も誘致されているという。おそらく地域振興策として多額の国のお金が投入されたことは想像に難くない。もちろん政府が勝手に国立高専を設置したわけではなく、高等教育機関の誘致を望む地元の強い要望に応えたものだろう。辺野古地区の人々は、新基地反対と辺野古移設の間で板挟みなっているのではないかと察した。

    23日付の琉球新報と沖縄タイムスの記事を読んで気が付いた点がいくつかあった。翁長知事が国連人権理事会で2分間の演説をしたことに関する記事である。知事は、辺野古の新基地建設が進められること関して、「県民の自己決定権や人権がないがしろにされている」と訴えたが、日本政府代表部が「基地問題を人権理事会で取り上げるのははじまない」とクギを刺したのに対し、知事は「基地問題が一番大きな事件問題だ」と反論した。

、   確かに人権理事会では、新たな人権問題を条約化しており、たとえば、「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」(強制失踪防止条約)では、日本政府とこれまで、日本人拉致問題を念頭に「国境を越えた拉致」を条約案に盛り込むよう働きかけて、採択されている。こうした条約の中に、知事が訴える「基地は人権問題」という概念を落とし込む条約は見当たらないのではないか。見当たらないとしても、沖縄タイムスが記事にしているように、人権理事会の円形会議場には「同じように助けを求めに来ている人がたくさんいた」ということだ。

    続けて、記事にはこのような下りがある。「自民党県連は知事の出発前、『先住民』と名乗らないように要請した。言葉が持つ『未開の』といった謝ったイメージから、県民の間にある抵抗感を代弁している。知事もその言葉を使わなかった」と。「先住民と基地問題」というふうに国際的に理解されては、県民のプライドが許さない。安全保障の圧力の下で、人権がないがしろにされてはならないと、今度どううまく訴えるのか。今回、国連人権理事会でデビューしたものの、微妙なバランスの上に立っているとも言える。

⇒24日(木)夜・金沢の天気     くもり

★安保法成立

★安保法成立

安保保障関連法をめぐる与野党の攻防が19日午前零時すぎ、法案採決の本会議が始まった。特別委員会で強行された可決を委員長が報告し、与野党が討論した。民主党の議員は「立憲主義、平和主義、民主主義。戦後70年の日本の歩みにことごとく反する法案を、数の力におごった与党が通過させる。申し訳ない。戦いはここからスタートする」と反対意見を、また、自民党の議員は「日米同盟がより強固になり、戦争を未然に防ぐ。我が国の能力に応じ国際社会で責任を果たす。政治の責任で我が国の安全保障のあり方を決めないといけない」と賛成意見を述べた。

  午前2時すぎに記名投票が始まった。壇上の野党議員は「戦争法案反対」などと叫びながら、法案反対の青票を掲げていた。与党議員は賛成の白票を積み上げていた。午前2時18分。野党議員が「憲法違反」と叫ぶ中、賛成多数で同法は可決した。中谷防衛大臣が議長と議場に向かって頭を3回下げた。賛成148票、反対90票だった。

  午前2時すぎだったので、新聞の朝刊はごく一部の地域を除いて、きょう(19日)付の朝刊一面の大見出しは「安保法成立へ」だった。そこで午後から普段は購読していない夕刊を金沢市内のコンビニで買い集めた。夕刊の見出しを比較すると、読売新聞は「安保法成立 集団的自衛権行使 可能に 防衛政策 歴史的転機」だった。北陸中日新聞は「安保法 未明に成立 平和主義転換、米支援拡大」、地元紙の北國新聞は「安保法が成立 集団的自衛権可能に 戦後政策の大転換」だった。北陸に輪転工場がない朝日新聞、毎日新聞の各紙はコンビニでは売っていない。

  ここで見出しから各紙を比較すると、「安保法で平和主義の転換」と位置づけするのか、「安保法で防衛政策の転機」とするのかで解釈が分かれる。「平和主義の転換」の論拠は平和憲法の根本の拠り所である9条のなし崩しによる転換となろう。一方、「防衛政策の転機」は従来の憲法解釈では認められなかった集団的自衛権の行使が可能になったことで、安全保障政策が転機を迎えたという意義付けである。

それにしても、ちょっとドキリとした写真と見出しがあった。19日付朝刊の北陸中日新聞の社会面の見出しは、「戦場 いつか」で、その写真が迷彩服を着た自衛隊員の後ろ姿だった。はやとちりか、自衛隊員がさっそく戦闘行動を始めたような印象なのだ。記事を読むと、関東・東北で被害を出した茨城県常総市で行方不明者を捜索する自衛隊員の後姿。記事を読むと、自衛隊員に救助された主婦が感謝の言葉で、戦場に行ってほしくないという内容なのだ。主婦は実名でない。迷彩服の自衛隊員のバックショットの写真が異様に大きいので違和感を感じるのだ。

  今後の政治とメディアはどのように動くのか。いよいよ来夏の参院選など国政選挙が面白くなってきた。18歳以上の若者も参政する選挙である。今回の安倍政権の一連の行動を国民がどう判断するのか。

⇒19日(土)夜・金沢の天気    くもり

☆政治と憲法のはざま

☆政治と憲法のはざま

   安保法制をめぐる動きで、気になるのか言葉の質の低下である。衆院本会議で安保法案が可決された7月16日、新聞紙面を拾ってみると、こんな言葉があった。以下。

   本会議の採決を退席した民主の議員は「これほど国会の中の光景と、国会の外の国民の声がかけ離れて聞こえた経験はない」と語った。議員は審議を振り返り、「総理は何をしてもいいとお考えなら、勘違いされているのでは」(7月17日付・朝日新聞)

   この議員は世論がこれだけ安保法制に国民世論が異議を唱えているのになぜ法案成立へと突き進むのか、と言いたいのだろう。しかし、これは政治家の言葉だろうか。世論を味方につけるという政治手法はあるが、この安保法制はそのレベルの議論なのだろうか、と思ってしまう。

   憲法を守る立場に政治家が改憲という正式な手続きを踏まずに、中身だけを変える、いわゆる解釈改憲をするのは、憲法に対するクーデターであり、民主主義の危機だと法案に強く反対する声がある。その声の背景をさらに突き詰めると、国際法との解釈と連動してくる。集団的自衛権は国連憲章でも例外的に認めている。が、実際には自衛というより、軍事的に優位なアメリカが自国の権益や利権を守るために武力を行使するための「口実」にすぎない。今回の安保法制は、アメリカの世界戦略のために自衛隊とアメリカ軍の一体化を進める狙いが透けて見える。だから、反対という立場だ。

   これに対し政治の論理がある。まとめると、戦後の日本の平和は憲法9条で守られてきたというのは現実的はない。日本とアメリカの安全保障条約があったがゆえに戦後の平和も守られてきた。では、なぜこれまで日本は集団的自衛権に踏み込んでこなかったというと、アメリカとソビエトの冷戦時代があり、一方に組すると米ソが全面戦争になった場合、その戦争に参画さぜるを得なくなる、それは9条にも反し、余りに危険というのが政治の立場だった。ところが現在は全面戦争ではなく、地域紛争の時代である。たとえば南シナ海といった海域で、中国とフィリピンの有事があれば、中国との尖閣問題を抱える日本にもその影響は及ぶ。そのときに、自衛の手段が集団的か個別的かという議論をしている場合でなない。東アジアの国々と紛争の平和的解決に向けて連帯的に行動を取る必要がある。

   周囲に地域紛争の可能性がなければ、ときの政権が9条の立憲の精神を見直して安保法制を破棄すればよい。つまり、9条というのは政策目標であるべきで、日本の平和を守るために、世界の政治の動きを見ながら、集団的自衛権に組する、しないを判断すればよい。そう考えるのだが。

⇒18日(金)朝・金沢の天気     くもり

★「国会周辺」を読む

★「国会周辺」を読む

  参院特別委で安保関連法案が可決したきょう17日、東京へ日帰り出張があった。出張先が国会議事堂の近くだったこともあり、帰りにタクシ-で国会周辺を一回りした。雨が時折強く降っていた。

  金沢でテレビを視聴ていると、最近、安保法制に関して「国会周辺では…」とのフレーズをやたらと耳にする。国会内での政治的な動きより、むしろ外の動きをメディアは気しているのではいかと思うほど、アナウンサーやキャスターが「国会周辺では…」と繰り返している。そこで、国会周辺は一体どうなっているのか、どのような人たちが行動を起こしているのか、気になったので、ちょっと現場を覗いてみたということだ。滞在時間はわずか15分ほどだった。

  タクシーの運転手に尋ねると、きょう(17日)は、午前9時ごろから国会正門前で抗議集会が始まり、「戦争法案、今すぐ廃案」と訴えていたという。訪れたのは午後2時ごろ。雨が断続的に降っているが、雨具を着た人たちが「強行採決、絶対反対!」などと叫んでいた。道路両側の歩道は目算で150㍍ほどが人で埋め尽くされていたという印象だった。

  気がついたことが2点あった。テレビメディアなどでは、若者たちの抗議グループ「SEALDs(シールズ)」がよく抗議の声を上げている映像や写真が掲載されているので、大学生たちが大勢い活動に加わっているのだと思っていた。いまは学生は夏休みでもあり、日中でも一番動きやすい時期でもある。ところが、若者らしき姿はちらほら見えるが、グループ化していないのだ。唯一目にしたのは「○○美大有志」というプラカードはあった。かつての「70年安保」のように、学生たちが「○○大学学生自治会」といった横断幕やプラカードを多数掲げてのデモの先頭を行進するイメージをしていたのだが、そうではない。

  むしろ目立ったのは、「○○教組」「国労○○」「自治労」「新日本婦人の会○○」といった政党と結びついた組織だった。それも、地名を読むと全国から来ている。つまり、「組織動員」という感じなのだ。

  近年にない、国会周辺での盛り上がりなのだが、来る参院選で選挙権が与えられる18歳からの若者世代がどう動くのか。「SEALDs」の代表はよくテレビに出て発言しているが、彼が本当の若者たちのシンボルなのか。安保法制をめぐる動きからはまだ学生・若者たちのトレンドが読めない。(※写真は17日午後2時ごろ、国会正門前の道路で)

⇒17日(木)夜・金沢の天気     くもり

★中国の爆発と記者会見

★中国の爆発と記者会見

   中国・天津市で、13日未明に起きた大規模な爆発は日本のテレビでも大々的に報道されている。すさまじい爆破だったと察する。報じられた気象衛星「ひまわり8号」の撮影による地球上空の画像でも、天津の爆発がはっきり見えている。現場から500㍍離れた地点で、24時間余りたった今も、黒煙が上がっている。

   こうした事故の様子、たとえば死者や負傷者の数は日本の場合、消防当局がその都度記者会見して発表する。中国でもこの天津の爆発に関して13日午後に会見した、と日本のテレビが伝えている。それによると、これまでに44人が死亡し、けが人は521人にのぼっているとの発表だった。爆風で広範囲のマンションなどに被害が出ていて、住民3500人ほどが避難しているという。

   注目したのは44人の死者の内訳だった。44人の死亡者のうち、12人が消防士という。消防士は爆発の後に現場にやってきて、消火や救助活動に当たる。そうした消防士の12人が亡くなったということは、住民の被害は相当に大きいと想像する。2001年9月11日のニューヨーク市での同時多発テロでの犠牲者3025人のうち、消防士は343人といわれている。災害現場に入る救助活動のプロでもこれだけの命を落としている。救助側の犠牲が大きいということは、住民側の犠牲者もまた相当に大きいと察する。

   問題は会見の発表内容だ。当局はどんな化学物質が爆発現場の倉庫に保管してあり、爆発したのかは明らかにせず、会見は打ち切られたという。そして、防護服を着た消防隊が、砂の混じった消火剤をまくなどして、対応にあたっていることだ。つまり、化学物質が特定できないので、消火の対応に決め手がなく、とりあえず砂をまいているという風にも解釈できる。これが日本で起きた事故だったら、メディアは「場渡り的な対応」と消防当局に批難を集中させるだろう。

   願うのは、被害の大きさ(死者や負傷者数、家屋の倒壊数など)の事故原因を解明してほしいということだ。2011年7月に起きた中国・温州市での鉄道衝突脱線事故では死者40人(中国政府発表)とされたものの、事故原因の徹底究明がなされないまま、車両が現場の高架下に埋められたとの一件が記憶に生々しい。今回の爆発事故では、記者会見を一回限りで打ち切ることなく、その都度開催して事故の真相を明らかにしてほしいと願う。当局のそうした真摯な態度が、中国への信頼を回復させるきっかけとなると考えるからだ。

⇒14日(金)朝・金沢の天気   あめ

☆天国への階段を守る

☆天国への階段を守る

  7月30日のNHK-BS1番組「国際報道2015」で、金沢大学が取り組んでいる、フィリピンのユネスコ世界文化遺産、FAO世界農業遺産の「イフガオの棚田」での人材養成プログラムが紹介された。午後10時40分からのワールド・ラウンジのコーナーで10分ほどの特集だった=写真=。タイトル「〝天国への階段〟を守るために」。7月25日には地上デジタルのNHK「おはよう日本」でも紹介されていて、知人からは「テレビ見たよ」とメールをいただいた。

  このプログラムは、金沢大学がフィリピン・ルソン島イフガオで実施している国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業「世界農業遺産(GIAHS)イフガオの棚田の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援事業」(通称:イフガオ里山マイスター養成プログラム)だ。2013年5月、能登で世界農業遺産国際フォーラムが開催され、そのときに能登コミュニケ(共同声明)が採択された。その内容は「先進国と開発途上国の間の認定地域の結びつきを促進する」などの勧告だった。このコミュニケを今後の能登にどう活かせばよいのか。金沢大学里山里海プロジェクトの代表、中村浩二教授と思案をめぐらし、フィリピンのイフガオ棚田との連携を思い立った。

  イフガオの棚田は、ユネスコや国連食糧農業機関(FAO)により国際的に評価を受けているものの、若者の農業離れや都市部への流出により、耕作放棄地の増加が懸念されている。4分の1が耕作放棄地になりつつあるとの指摘もある。地域の生活・文化を守り、継承していく若者も減っている。さらに、絶景で「天国への階段」とも称される棚田が崩れることもままある。そのために、JICAや世界のNGOが懸命になって、地域を支援している。ただ、土地には土地の人の考えがあり、そう簡単ではない。

  実は、同様の課題を有しているのが、能登半島だ。担い手が減り、田んぼを始め、山林や畑、地域の祭り文化も後継者がいないというところが目立っている。若者たちにもう一度地域の価値を理解してもらい、地域をどのように活用すればよいか、そのようなことを考え、実践する人材を育てている。金沢大学が地域の自治体とともに取り組んでいる、「能登里山里海マイスター」育成プログラムがそれだ。もう8年間続け、修了生(マイスター)は107人になった。各地で107人の活動は能登を明るくしていると自負している。

  イフガオの話は金沢大学の中村教授が勝手に進めたのではなく、フィリピン大学の教授たちから、能登の人材養成を取り組みをぜひイフガオで活かしたいとのオファーが中村教授にあり、どうノウハウを移転すればよいか、JICA北陸や同じ世界農業遺産の佐渡の人たちと連携を進めた結果なのだ。

  そのイフガオ里山マイスター養成プログラムが昨年4月に始まり、2年目にしてさまざまな成果が表れてきた。番組で紹介されたマイラ・ワチャイナさん(29)のライス・ワイン。当地では伝統的な酒づくり。大鍋を使って米を火で炒(い)る。こんがりきつね色になるまで炒って、水を入れて炊きく。そこに昔から伝わるイースト菌を入れてバナナの葉でくるみ、5日間発酵させれば出来上がり。イフガオ伝統のティブンと呼ばれるライスワイン。酸味が効いて、甘味があり、確かに日本酒よりもワインに似た味だ。これまでは各家の地酒だった。それを品質を統一して共同出荷することでイフガオブランドの酒として地元のホテルや海外に出荷できないか視野が広がってきた。昨年9月、能登研修で造り酒屋を見学したマイラさんは酒瓶のラベルに注目していた。自作のラベルを考案して、酒瓶に貼って、共同出荷する。もともと有機栽培のイフガオの米はもっと世界に売れてよい、さらにライスワインが売れれば、土地の誇りにもなり、棚田を耕そうとする若者も増える、そうマイラさんは考えているのだ。

     また、有機の水田を活用したドジョウの養殖も番組では紹介された。ライスワインとドジョウ、地道なビジネスかもしれないが地に足をつけた、可能性のあるビジネスだ。

  イフガオ里山マイスター養成プログラムはそういったアイデアを持った若者たちの夢や希望を育む場、なのである。同じく若者たちが都会に流失して田んぼが荒れていることを憂う能登里山里海マイスター育成プログラムの受講生たちとは相通じるマインドがそこにある。まさに棚田を救う天国への階段、NHKが2度も放送した価値はそこにあるのだろう。

⇒2日(日)午後・金沢の天気  はれ

★「金沢空襲」計画

★「金沢空襲」計画

  戦争ネタが新聞やテレビに載りやすい夏の時期、ちょっと意外な記事があった。1945年7月にアメリカ軍によって「金沢空襲」が計画された、というのだ(7月26日付・北陸中日新聞)。金沢に住んでいる者の根拠のない共通の理解として、金沢は京都と同じく文化財的な街並みや寺院が多く、空襲の対象にはならなかったという認識を有している。その証拠に、金沢市郊外の湯涌汚染にかつてあった「白雲楼ホテル」は戦後、GHQ(連合軍総司令部)のリゾートホテルとして接収され、マッカーサー元帥らアメリカ軍将兵が訪れていた、と。

  新聞記事を以下引用する。太平洋のマリアナ諸島から出撃するアメリカ軍の日本空襲は1944年11月に開始され、東京や大阪、名古屋などの大都市攻撃がほぼ終了した45年6月からはその標的が地方都市に移った。北陸地方で最初の空襲は同年7月12日の福井県敦賀市、日本海側の空襲はとくに7月中旬から8月上旬に集中した。その後は、爆撃目標が市街地から港湾や鉄道に変更された。

  アメリカ軍が金沢市を攻撃目標とする空襲計画を立てていたことが分かったのは、アメリカ軍資料を収集する徳山高専元教授の工藤洋三さ氏(65)=山口県周南市=が分析したもの。金沢空襲の計画書は1945年7月20日付で作成され、同年8月1日夜に甚大な被害が出た富山大空襲の計画書が作られたのと同じ日だったという。一方で、同じく8月1日に空襲を受けた新潟県長岡市の計画書は、金沢より遅い7月24日付で作成されている。

  金沢空襲の計画書によると、攻撃目標は北緯36.34度、東経136.40度。現在の座標とは数100㍍の差異があるが、旧日本軍の司令部があった金沢城付近を狙ったとみられる。高度4500㍍ほどから爆弾を投下し、70分以内で攻撃を完了する計画だったようだ。

  記事では金沢への爆撃ルートも紹介されている。攻撃隊はまずグアム島の基地から出撃。硫黄島や現在の静岡県御前崎市上空を通過し、富山県黒部市付近で進路を北西に変える。石川県の穴水町あたり周回し、金沢に向かって南下。空襲後は再び、御前崎市や硫黄島の上空を通って帰還するルート想定だった、という。

  7月19日には福井市が焦土と化していたのでは、次は金沢と誰もが覚悟したことだろう。8月1日、B29の爆撃編隊は、金沢の上空を通り過ぎて、富山市に1万2000発余りの焼夷弾を投下した。11万人が焼け出され、2700人余りの死者が出た。実際は金沢に空襲なかった。計画が実行されていれば金沢市の中心分は灰じんに帰したていたことだろう。

  なぜ金沢は空襲を免れたのだろうか。そのヒントは北陸で最初に空襲を受けた敦賀市の事例にあるのかと考える。敦賀市では当時、日本海側の主要港湾で、大阪周辺で被災した軍事施設が疎開していたといわれる。また、富山には発電所を基盤とした重工業の工場が立地していた。ところが、当時の金沢は陸軍第九師団が置かれていたものの、産業といえば繊維が主だった。しかも、九師団の兵は台湾などに赴いていた。総合的に考察すれば、空襲の計画はされたものの、軍事的な価値では優先度が低かったのではないか。

  しかし、富山の場合は工場が集中的に目標になったのはなく全市が標的になった。いわゆる「無差別攻撃」である。この意味では金沢も攻撃対象になり得たのではないか。その後、8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が投下される。無差別攻撃は一気にエスカレートしたのである。

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