⇒メディア時評

★ギリギリの共同会見

★ギリギリの共同会見

  伊勢志摩サミット(G7首脳会議)を前に、アメリカのオバマ大統領と安倍総理による首脳会談が始まったのが昨夜9時40分。そして両氏が共同記者会見に臨んだのは10時43分だった。会見が終了したのは11時32分だった。日をまたぐ直前まで記者会見を実施したのは、沖縄のアメリカ軍属の男による女性の遺体遺棄事件について、首脳として何とかサミットが始まる前にけじめをつけておきたかったのだろう。ある意味でギリギリ間に合ったと、政府関係者は胸をなでおろしているかもしれない。以下、共同記者会見の様子を=写真・「NHKニュース」=をテレビで見ていてのメモだ。

【沖縄のアメリカ軍属による遺体遺棄事件について】
  冒頭で安倍総理がこの事件でオバマ大統領に断固抗議した、と述べた。「身勝手で卑劣極まりない犯行に非常に強い憤りを覚える。沖縄だけでなく日本全体に影響を与え、日本国民の感情をしっかり受け止めてもらいたい」とオバマ氏に言い、実効的な再発防止策の徹底など厳正な対応を求めた。さらに、日本とアメリカで協力して沖縄の基地負担軽減に全力を尽くすことで一致したことを述べた。オバマ氏は、沖縄で起きた悲惨な事件について(安倍総理と)話し合い、心からのお悔やみと深い遺憾の意を表明した。アメリカは、日本の司法制度のもとで正義が下されるよう、引き続き全面的に捜査に協力すると述べた。

【日米地位協定について】
  安倍総理は、一つ一つの問題について目に見える改善を具体化し、結果を積み上げてゆく。日米の双方が努力を重ね、協定のあるべき姿を不断に追求したい、と述べた。さらに、犯罪を抑止し、県民の安全安心を確保する対策を検討するよう官房長官に指示したことにも言及した。

【サミットについて】
  安倍総理は、世界経済の持続的かつ力強い成長をG7で牽引しなければならないとの認識で一致した、述べた。オバマ大統領は、世界経済の力強い成長と、TPP環(太平洋パートナーシップ協定)を前進させる必要性について話し合った、と述べた。

【被爆地・広島訪問について】
  オバマ大統領は、広島訪問は第二次大戦で亡くなったすべての人を追悼し、核兵器のない世界という共通のビジョンを再確認し、アメリカと日本の同盟を強化する機会となるだろうと、述べた。また、安倍総理は、オバマ氏による広島訪問の決断を心から歓迎していると述べた。核兵器使用国(アメリカ)のリーダーが戦争被爆国で犠牲となった市民に哀悼の誠をささげるのは、核兵器のない世界へ大きな力となると述べた。記者の質問で、シカゴ・トリビューンの記者からハワイのパールハーバー訪問の可能性を問われ、安倍氏は「現在私がハワイを訪問する計画はない」と言い切った。

⇒26日(木)朝・金沢の天気   はれ時々くもり

☆ヒロシマで

☆ヒロシマで

  これまでブログで、アメリカのオバマ大統領による被爆地・広島訪問について触れてきた。それはオバマ氏が2009年4月にチェコ・プラハのフラッチャニ広場で行った核兵器の軍縮に関する演説を、ぜひ実行してほしいと願うからだ。プラハでの演説で感銘を受けた下りはこのフレーズだった。

 Just as we stood for freedom in the 20th century, we must stand together for the right of people everywhere to live free from fear in the 21st century.And as nuclear power — as a nuclear power, as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act. We cannot succeed in this endeavor alone, but we can lead it, we can start it.

 So today, I state clearly and with conviction America’s commitment to seek the peace and security of a world without nuclear weapons.
  (20世紀に自由のために立ち上がったように、21世紀にすべての人が恐怖から自由に生きられる権利のために一緒に立たなければいけません。核保有国として、核兵器を使用したことがあるただ一つの核保有国として、アメリカ合衆国は行動する道義的な責任を持っている。私たちは一カ国ではこの努力を成功させることはできないが、リードすることはでき、始めることはできる。  今日、私は信念として、アメリカが核兵器のない平和で安全な世界を追求すると約束する。)

  この演説の中で、「moral responsibility」という言葉が重いと感じている。「道義的な責任」との訳だ。核兵器を使用した国としての、二度と使わないために人類は何をすればよいか、それは明確だ。しかし、現実には核兵器廃絶の道は遠い。核弾頭は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国のほか、インド、パキスタン、北朝鮮が保有を表明している。イスラエルは公式な保有宣言はしていないものの、核保有国とみなされている。一番多いロシアが7500発分とされる(時事通信社ホームページ)。

  さらに、アメリカはいまだに核兵器禁止に向けての法的措置については消極的であり、現在ジュネーブで行われている国連作業部会にも出席していない。さらに、核軍縮に逆行するような「核兵器近代化計画」を膨大な予算を使って継続中である(長崎大学核兵器廃絶研究センターのホームページ)。そこで、懸念されるのが、被爆地訪問だけに終わって、核廃絶の動きに向かうパワーにはなりえないのではないかということだ。

  逆転の発想で、現職のアメリカ大統領によるヒロシマ訪問は未来可能性を秘めているとも言える。第一に、現職のアメリカの統領が被爆地を訪れることにより、ほかの核保有国のリーダーにとって、被爆地訪問の敷居が低くなる。伊勢志摩サミットに出席するイギリス、フランスの首相、大統領をぜひ誘ってヒロシマを訪問していほしい。第二に、ぜひ「ヒロシマ演説」だ。演説という形態になるかは別として、その内容によっては、膠着状態に陥っている核廃絶への動きに突破口が開かれるかもしれない。核兵器のない世界へ、実現可能性の未来が拓かれることを願っている。

⇒17日(火)朝・金沢の天気  くもり

★伊勢志摩からヒロシマへ

★伊勢志摩からヒロシマへ

  アメリカのオバマ大統領が被爆地、広島を訪れることが決まったと昨夜、テレビのニュース速報が流れた。5月27日の伊勢志摩サミット終了後に、安倍総理とともに広島を訪問する。任期の最終年で今回を逃せば、現職のアメリカ大統領の広島訪問の実現は難しいと、日本とアメリカの両政府は水面下で相当調整を進めてきたようだ。2009年4月、プラハでの演説でオバマ氏は「核兵器なき世界」を提唱し、ノーベル平和賞を受賞した。唯一の戦争被爆地の訪問は7年の歳月を経てようやく実現することになる。

  その予感はあった。GWに伊勢志摩を旅行した折、ガイドしてくれたタクシー運転手が「6機分のヘリポートがすでに設置されている」とサミット会場(志摩観光ホテル)の周囲の様子を話した。そのとき、「なぜ6機分もいるのか」と思ったが、今回のニュースでピンときた。ひょっとしてオバマ大統領だけでなく、他の首脳も同行するのではないか、と。G7なので本来7機分だが、ヘリポートは平場があれば仮設で増やせる。一斉にヒロシマに向けて飛びつ立つヘリの姿は「絵になる」かもしれない。

  それにしても、オバマ氏の決断は急だったのだろう。安倍総理が昨夜(10日)総理官邸で報道各社のインタビューに応じたのは午後9時4分、その直後にニュース速報が一斉に流れた。それまで総理は6時31分から東京・赤坂の料理屋で会食をしていた。8時30分に官邸に戻ってきた。その30分後にインタビューに応じた。

  急だったというのは安倍総理がインタビューしている様子がニュースで流れていたが、総理に向けられたテレビ局のマイクは2本しか映っていなかった。テレビ各社の中でこの慌ただしい動きを察知して総理インタビューに間に合ったのは2社だけだった。その後、ホワイトハウスでアーネスト報道官が記者会見で大統領の広島訪問を発表したのは日本時間で午後9時30分ごろだった。ということは、ホワイトハウス側が日本側にオバマ氏の決断を正式に知らせたのはアメリカ側の会見のわずか30分余り前だったことになる。

⇒11日(水)朝・金沢の天気   風雨

  

☆続々・核なき世界への一歩

☆続々・核なき世界への一歩

  アメリカのオバマ大統領が来月(5月)下旬に三重県で開かれる伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)のため来日する折、被爆地・広島の平和記念公園を訪問する方針で最終調整しているとメディア各社が報じている=写真=。実現すれば、現役のアメリカ大統領としては初めてのことだが、それより何より、オバマ大統領が掲げる「核兵器のない世界」に向けた国際的な取り組みを継続的に発展させるためのシンボリックな一歩となる。

  オバマ大統領がまだ訪問を鮮明にしていないのは、アメリカ国内の退役軍人らを中心に「原爆投下によって終戦が早まった」とする意見が根強いからだろう。オバマ氏が広島を訪問する目的を「謝罪」ではなく、「不戦の誓い」の献花でよいのではないか。オバマ大統領の広島での献花の後、安倍総理が機会をつくって、今度はハワイのパールハーバーで献花すれば、日米相互の信頼関係を新構築する外交のチャンスだと考える。

日本政府がアメリカをはじめとする連合軍の占領から統治権を回復するまで、原爆問題はタブーだった。連合国軍総司令部(GHQ)の指令によって、日本のメディア(主に新聞、ラジオ)は情報統制(プレスコード)下に置かれたからだ。プレスコードの内容は、1)報道は絶対に真実に即すること、2)公安を害するようなものを掲載してはならない、3)連合国に関し虚偽的または破壊的批評を加えてはならない、4)連合国進駐軍に関し破壊的に批評したり、または軍に対し不信または憤激を招くような記事は一切掲載してはならない、5)連合軍軍隊の動向に関し、公式に発表解禁となるまでその事項を掲載しまたは論議してはならない、といったものだった。つまり、原爆の問題性を議論することそのものがこうしたプレスコードにひっかかった。

  1952年4月のサンフランシスコ講和条約以降になって、日本国内で自由に原爆問題が議論された。また、広島に平和記念公園が開設された1954年から現在の平和記念式典が開催されるようになった。戦争の恐ろしさと参戦という悲惨な過ちを繰り返さないという趣旨の行事であり、アメリカ側に原爆投下の責任を求める集会とはなっていない。

  むしろ、アメリカに原爆投下の責任を問うたのはストックホルム・アピール(1950年3月)だろう。1949年、ソビエトによる原爆保有声明が発せられ、アメリカのトルーマン大統領が水爆製造命令を出すなど、米ソの核軍備競争が過熱し出した。国際緊張が高まり、1950年3月にスウェーデンのストックホルムで開催された平和擁護世界大会で、「原子兵器の絶対禁止」「原子兵器禁止のための厳格な国際管理の実現」「最初に原子兵器を使用した政府(アメリカ)を人類に対する犯罪者として扱われるべき」とのアピールを採択された。世界中で署名運動が繰り広げられ、2億7347万の署名が集まったとされる。

  日本では署名が639万の署名が集まった。しかし、1950年の平和擁護世界大会に日本代表として作家の川端康成ら3人が派遣される計画だったが、GHQの渡航許可が得られず、出席は果たされなかった。

  同年(1950年)6月に朝鮮戦争が始まり、国連軍総司令官のダグラス・マッカーサーが核兵器使用を主張したが、トルーマン大統領はマッカーサーの司令官を罷免し、核兵器使用は見送られた。この核兵器使用の見送りはストックホルム・アピールや署名活動など国際的な反核運動の高まりが背景にあったとされる。

  北朝鮮は、アメリカと韓国の両軍による合同軍事演習を非難し、遂行するならば米韓両国に「無差別の」核攻撃を実施するとの談話を発表している(2016年3月7日付・BBCウエッブ版)。核兵器の使用を「正義の核先制攻撃」とする北朝鮮の挑発する事態の中でこそ、オバマ大統領のヒロシマ・アピールが期待される、と考えている。

⇒23日(土)午前、金沢の天気  はれ

★続・核なき世界への一歩

★続・核なき世界への一歩

   アメリカのオバマ大統領の被爆地訪問をめぐっては、同国内で意見が分かれるだろうことは想像に難くない。アメリカでは現場投下が終戦を早めた「正しい判断だった」とする認識がこれまで喧伝されてきたからだ。では、今の若い世代はどう考えているか興味深い。

   2015年8月6日付でニューズウィーク日本版ウェブがこう伝えている。引用させていただく。インターネットマーケティングリサーチ会社の「YouGov(ユーガブ)」が発表したアメリカ人の意識調査によると、広島と長崎に原爆を投下した判断を「正しかった」と回答した人は全体の45%で、「間違っていた」と回答した人の29%を依然として上回っていた。しかし、調査結果を年齢別に見ると、18~29歳の若年層では45%が「間違っていた」と回答、「正しかった」と回答した41%を上回った。また30~44歳の中年層でも36%が「間違っていた」と回答し、「正しかった」と回答した33%を上回った。ちなみに、45~65歳では約55%、65歳以上では65%が「正しかった」と回答した、という。

   これまでアメリカでは、原爆投下を肯定する意見が世論の大半を占め、世論調査機関ギャラップが戦後50年(1995年)に実施した調査では59%が、戦後60年(2005年)の調査では57%が原爆投を支持していた。日本とアメリカ両国で戦争の記憶が薄れる中、アメリカの若い世代では、核兵器への忌避感が強く、原爆投下にしても「間違っていた」と徐々に変化していることは想像がつく。オバマ大統領は被爆地訪問を希望しているといわれるが、こうした国内世論を慎重に見極めているのだろう。民主党、共和党がそれぞれに大統領候補の指名争いのただなかにある。ここで、退役軍人らの支持を広げたい共和党の候補者らを勢いづかせては元もこうもないとオバマ大統領が思案していることは察しがつく。

  とくに、オバマ大統領の外交姿勢は、アジア重視を強調しながら、その成長の明るい面ばかりに目を向け、たとえば中国が周辺国に与えている脅威などリアルさに十分注意を払っていないと、とよく指摘されている。こうしたリアルさをサ欠いたままで、被爆地訪問が果たしてどれだけば効果があるのだろうか、と。

  では周辺国の反応はとチェックすると。これはあくまでも、韓国・中央日報の論調なのだが、オバマ大統領に被爆地訪問は現時点で反対なのだ。12日付のウェブ版の社説「米国務長官の広島訪問、日帝免罪符なってはいけない」として、以下のように述べている。「オバマ大統領も来月の日本G7首脳会議を契機に広島を訪問することを検討中という。任期初めから核なき世界を推進してきたオバマ大統領としては歴史的なここでフィナーレを飾りたいと思うだろう。しかし東アジア全体の目で見ると、いま米大統領が広島に行くのは時期尚早だ。まず日本は韓国や中国など被害国から完全に許しを受けたわけではない。被害国が心を開けないのは、日本政府が心から過去の過ちを反省していないと見るからだ。」と。

  「東アジアの許しを得ていない」という、まるで戦勝国の発想なのだ。日本は韓国を併合したが、戦った相手ではない。むしろ、オバマ大統領の被爆地訪問がどれだけ北朝鮮の核開発に対してプレッシャーを与えることになるだろうか。韓国政府がどのような見解なのか、知りたいところだ。

  ケリー国務長官の今回の広島訪問が、オバマ大統領が5月の伊勢志摩サミットの際に広島を訪れる「試金石」、あるいは「さきがけ」「露払い」になったのかどうか。オバマ氏が広島の地に立ち「核なき世界」の演説をすれば、彼自身の人生最大の政治ショーとなり、「レガシ-(遺産)」となることは間違いない。「アメリカは原爆投下の道義的な責任がある。核廃絶の先頭に立つ」(2009年4月・プラハ演説)

⇒14日(木)朝・金沢の天気   はれ

☆核なき世界への一歩

☆核なき世界への一歩

  G7(主要7ヵ国)の外務大臣がきのう(11日)、広島市の平和記念公園を訪れ、原爆死没者の慰霊碑に花輪をささげた。とりわけ、アメリカのケリー国務長官の姿に視線が注がれた。ケリー氏は予定になかった原爆ドームも見学した。テレビ画面を視聴しての印象だが、すがすがしい感じがした。

  今回の外相会議に際してアメリカ側は「原爆投下について謝罪はしない」とのスタンスだ。なぜなら、今は現在と未来について話し合っているからだ、と。この方針のもと、ケリー氏は平和記念公園を訪れた。適切なスタンスだ。日本人として不快感を感じる人はいなかっただろう。記者会見したケリー氏は帰国後にオバマ大統領に「(被爆地)訪問がいかに大切かを確実に伝えたい」と述べたという。未来を切り拓く、未来を担保するとはこのようなスタンスなのだと思う。

  もし、日本の世論がケリー氏に原爆投下の責任と謝罪を迫ったり、非人道的な行為だったとデモが平和記念公園周囲で起きていたら、おそらくこうはならなかった。アメリカ側も戦勝国意識を強く打ち出していれば、ケリー氏の被爆地訪問すら実現しなかったろう。

  70年前の過去の乗り越えて、いかに被爆地・広島から核兵器のない世界を目指すか。核軍縮と不拡散にG7で一致して取り組むかが、今問われている。ましてや、核実験や弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮問題が憂慮されていからなおさらだ。

  核なき世界を掲げたオバマ大統領にとって広島への訪問はおそらく悲願だろう。オバマ大統領は2009年のプラハ演説で「核兵器を使った唯一の国として行動する道義的責任がある」と述べ、ノーベル平和賞を受賞している。が、それが思うようにできないところにアメリカの事情がある。大統領の被爆地訪問を「謝罪」と受け止めるアメリカ側の世論があり、原爆投下によって戦争を早く終結させたとのアメリカ側の大義名分を揺るがす恐れがあるからだ。

  日本はこれまでアメリカ側に原爆投下に関して謝罪を求めてこなかった。国際司法裁判も起こしていない。現実を受け入れ、未来に向けて、日本とアメリカが共に協力して、自由と民主主義、基本的人権の尊重、法治と国際法遵守の価値観のもとで世界の平和にどう貢献していけばよいか、これまで模索してきたからだ。戦勝国と敗戦国の関係で世界平和は築けないことは両国が一番よく気づいているのではないか。 

  今回G7の外務大臣が平和記念公園を訪れたことによって、国際社会で核なき世界を作っていく機運を盛り上げる歴史的な一歩になった、そう感じたニュースだった。

⇒12日(火)朝・金沢の天気   はれ

☆論点のずれ

☆論点のずれ

  高市総務大臣による「放送局の電波停止の可能性」について、テレビの著名なキャスターやコメンテーター、評論家から「政治家の発言は現場の萎縮を招く」や「権力の言論への介入は許さない」といった批判が相次いでいる。検証したい。

  3月24日、田原総一郎氏や鳥越俊太郎氏らが外国特派員協会で記者会見したとの報道があったので、各紙の記事をつぶさに読むと、以下のようなことが書かれてあった。

  会見に臨んだコメンテーターらは「高市総務大臣の発言は黙って聞き逃すことのできない暴言だ」と述べ、「政権がおかしな方向に行ったときはそれをチェックし、ブレーキをかけるのがジャーナリズムの使命。それが果たせなかったとすればジャーナリズムは死んだもと同じだ」と。田原氏らは「テレビ局の上層部が萎縮してしまう」と指摘した。しかし特派員から質疑応答が始まると、逆に鋭い質問が会見者側に向けられた、という。

  前ニューヨーク・タイムズ東京支局長は「圧力というが、中国のように政権を批判すると逮捕されるわけではない。なぜ、日本のメディアはこんなに萎縮するのか。どのような圧力がかかるのか、そのメカニズムを教えて欲しい」と。インターネットニュースの記者は「高市発言、あの程度のことでなぜそこまで萎縮しなければならないか。NHKは人事や予算が国会に握られているから政権に弱腰なのはわかるが」と。

  さらにきつい一発が飛んだ。香港のテレビ局の東京支局長は「そもそもみなさんは記者クラブ制度をどう考えているのか。また、日本の場合は電波を少数のメディアが握っているため規制を受けている。この放送法の枠組みをどう思うのか」と。

  会見者側は、国による電波停止の発言はジャーナリズムの危機だと訴えたかったのだが、話はむしろ日本のジャーナリズムの異質性や矛盾へと展開していく。とくに記者クラブに関しては日本独特の制度でもある。公的な機関の中で、クラブというマスメディア(新聞・テレビ・通信社)の拠点がある。もともとメディア間の親睦組織だ。記者はよく「虎穴入らずんば虎児を得ず」と言う。ジャーナリズムを名乗る以上、政治との間に明確な一線を引き、緊張感のある関係を維持しなければ、権力監視の役割などできるはずもないのだが、記者クラブはまさに「虎穴」の入口のようでもある。公的な機関の幹部との懇談なども記者クラブが窓口になっている。その記者クラブには他のメディアは実施的に入れないので、排他性や多様性の無さが問題となっているのだ。

  そうした日本固有のジャーナリズムの在り様や現実問題には触れずに、「報道現場が委縮すると」「権力の言論への介入」と言ってみたところで、違和感を感じるのは外国特派員だけではないだろう。記者クラブだけでなく、ある新聞社が購読料を一律に読者に請求する再販制度、あるいは香港のテレビ局の東京支局長が指摘したように、新聞社が系列のテレビ局をつくり、持ち株や人事など支配するクロスオーナシップなどは、少数のマスメディアの特権と化していると言っても過言ではない。

  誤解のないように言うが、記者クラブを廃止せよと主張しているわけでない。新聞社とテレビ局、通信社が独占的に運用している記者クラブの制度に問題があるのではないかと問うている。誘拐事件のとき、人命尊重を優先させるため報道を控えるという記者クラブと警察当局による報道協定などメリットなども否定しているわけではない。

  よれより何より、高市発言で一番の論点は、電波停止の可能性の発言で本来、異議申し立てすべきテレビ局の動きが目立たないことだ。3月17日、民間放送連盟の井上弘会長(TBS会長)は定例の記者会見で、電波停止発言について、「放送事業者は放送法以前に、民放連や各社の放送基準から逸脱しないよう努力している。(電波停止という)非常事態に至ることは想像していない」と述べた。また、テレビ業界で萎縮が広がっているのかという記者の質問に対して「そんな雰囲気はない」と否定している。会見の場で高市発言に真っ向反対の意見を期待した記者団は肩透かしだったに違いない。この高市発言の論点の何かがずれている。

⇒6日(水)朝・金沢の天気   はれ

☆トランプと異次元の世界秩序

☆トランプと異次元の世界秩序

    アメリカ大統領選挙の序盤の戦いをこんなにぞくぞくした思いで日々テレビ画面をみつめたことは過去にない。それほど面白い。そのポイントは、ドナルド・トランプが勝つか、ヒラリー・クリントンが勝つかではなく、トランプが大統領になったらどんな世界になるのだろうか、との近未来の国際政治の組み立てが脳裏を駆け巡るからだ。

  3月1日の「スーパー・チューズデー」、共和、民主両党の大統領候補指名獲得争いの今後の方向性を決める予備選挙、党員集会がアメリカ10州で実施され、共和党では595名、民主党では865名の代議員がそれぞれ選出。そして、共和党ではドナルド・トランプが、また、民主党ではヒラリー・クリントンが他候補を寄せ付けず、それぞれ指名獲得に向け大きく踏み出す結果となった。

  トランプの支持層は、ムードではなく、強固な支持層を基盤にしていることが分かる。過日のネバダ州党員集会での出口調査では、トランプを支持しているのは保守穏健派、キリスト教福音派(エヴァンジェリカル)、若年層、高齢者、高学歴層、低学歴層、ヒスパニック系といった様々な有権者層なのである。

  そのトランプの演説で繰り返されるのが次のフレーズだ。「すべてのイスラム教徒のアメリカ入国を拒否すべきだ」「メキシコ人は麻薬や犯罪を持ち込む。国境に万里の長城を築こう」 と。宗教や人種差別、暴言が物議をかもしているのだが、その乱暴な言葉は日本に対しても向けられている。「日本はアメリカに何百万台もの車を送ってくるが、東京でシボレーを見たことがありますか。我々は日本人には叩かれっぱなしだ」「中国、日本、メキシコからアメリカに雇用を取り戻す」と。

  通常だったら、このようなヘイトスピーチめいた言葉が予備選挙とは言え、有権者が集う政治の舞台で平気でまかり通ること自体に、国連人権委員会が動き出してもよいと思うのだが、そうはならない。また、日本のマスメディア(新聞・テレビ)でもトランプ演説に正面切って論評していない。

  トランプ人気の背景には、今アメリカに沸き起こっている「政治家嫌い」があるのではないかと推測する。今のオバマ政権下で貧富の格差が拡大し、さらにミドルクラスの生活も落ち込み始めている。保守層を中心に現在のアメリカの政治システムに裏切られたと感じている、あるいは、懸命に働けばきっと成功するという「アメリカンドリーム」は消滅したとの絶望感があるのではないか。その反動で、「偉大なアメリカを取り戻す」とトランプが豪言壮語すれば、白人労働階級の支持が集まるという構図だ。「理想主義を世界に振りまく政治家たちは嫌いだ、良きアメリカを立て直す改革者に一票を投じたい」という声がアメリカの民衆の中でうねっているのではないか、と。

  トランプが大統領になれば、世界の政治的な価値観は激変する。トランプはオバマ大統領がリーダーシップを発揮してきたTPP(環太平洋経済連携協定)に対して、これまで「TPPはアメリカのビジネスへの攻撃だ」と激しく批判を展開してきた。また、日米同盟でも「日本はアメリカを守らない」と繰り返し述べている。予測可能なこの近未来に日本は、そして世界各国はどう対応するのか。異次元の国際秩序が展開するのではないか。大統領選に関するニュースから目が離せない。

⇒3日(木)夜・金沢の天気   くもり

★質問の価値

★質問の価値

   還暦も過ぎると、世の中の見方が変わるものだ。最近、同年代の友人の会話の中で「ニュース断ち」という言葉があった。「最近の新聞やテレビのニュースは気分が悪い。別に見なくてもよいので、ニュース断ちをしている」と言う。聞けば、ここ数か月テレビも新聞も見ていないのだとか。確かに、最近のニュースは気分はよくない。親の子殺し、SMAP騒動、元プロ野球選手の覚せい剤、北朝鮮による水爆実験・ミサイル発射、世の中が殺伐とした雰囲気だ。でも、私は言葉を返した。「ニュースを知識のワクチンだと思えば、苦にならないだろう」と。気分の悪いニュースも見ておけば、心の耐性ができる。もっと悪いニュースが起きて、心がインフルエンザに罹るよりはましではないか、と論を述べた。すると友人は「なるほど」と笑った。

   きょう(9日)は朝から雷鳴がとどろき、庭の木々もうっすらと雪化粧のたたずまいだ=写真=。さて、朝刊のニュースは何だろうと新聞を手に取る。目にとまったのが、高市総務大臣が8日の衆院予算委員会で、テレビ局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合には、「放送法4条」違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性もあると言及したという記事だ。民主党の議員が放送法の規定を引いて「政権に批判的な番組を流しただけで停波が起こりうるのか」との質問に答えたものだ。

   民主党の議員の質問の前段には、週刊誌報道で、安倍政権に批判的とされる番組の看板キャスターが相次いで降板するとあり、それを質問のネタにしたものだ。この記事を読んで思い出したのが、「椿(つばき)発言」だ。

   1993年、テレビ朝日の取締報道局長だった椿貞良氏(2015年12月死去、享年79)が日本民間放送連盟の勉強会で、総選挙報道について「反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないかと報道内部で話した」などと発言した。当時、非自民政権が樹立され、細川内閣が発足していた。この内輪の会合の椿氏の発言が大きく新聞で報じられ、同氏は責任をとって辞任。その後、マスメディア関係者として初めて、国会に証人喚問され、テレビ報道の公平公正が問われた。このとき、初めて放送法違反による放送免許取消し処分が本格的に検討されたが、視聴者へのインパクトも大きいとして、行政処分にとどまった。

   つまり、民主党の議員が週刊誌報道を引用し、軽々と「電波停止はあるのか」と質問をしたが、こうした椿発言のような事例を踏まえての質問だったのか、どうか。降板が相次ぐ看板キャスターがこれまで、国会に証人として引っ張り出されるような国政を揺るがす発言したのであれば、その質問も価値があろう。

   しかし、週刊誌の記事引用で、電波停止を質問をするというのは少々軽い。質問の価値というのはどこにあるのだろかと疑ってしまった。

⇒9日(火)朝・金沢の天気    ゆき

☆報道自由ランキング

☆報道自由ランキング

 「報道の自由度ランキング」という「格付け」がある。ジャーナリストで構成する国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)が毎年2月ごろ発表していて、もうそろそろ2016年版の報告書が出るころなので楽しみにしている。ちなみに、2015年版では日本は61位(180ヶ国中)で前年より2ランク下げている。

 その「国境なき記者団」(Reporters Without Borders)は1985年に設立され、活動の中心は各国の報道機関の活動と政府による規制の状況を監視することにある。その他にも、世界各地で拘束された記者の保護や解放、紛争地帯での記者を守る活動などを展開している。昨年12月にフリージャーナリストの安田純平さんがシリアで武装勢力に拉致され、身代金を要求されているとの声明を出したものの、その後声明を撤回して、日本では話題となったこともある。

 中心的な活動であるメディア体制の監視と調査の結果をまとめた年次報告書「報道自由度ランキング」は2002年がスタートで、メディアの独立性、多様性と透明性、自主規制、インフラ、法規制などを客観的に数値化して評価している、という。では本題、日本のランキングはどうなのだろう。日本の最高は2010年の11位が最高だった。民主党政権誕生による社会的状況の変化や、政府による記者会見を一部オープンにしたこと評価された。ところが、2011年の東日本大震災と福島第一原発事故が起き、2012年は22位に下がる。さらに、2013年は53位、2014年は59位、そして2015年は過去最低の61位となる。
 
  順位が下がった理由が報告書で解説されている。東日本大震災によって発生した福島第一原発事故に対する報道の問題だ。一つは、電力会社などによる、いわゆる「原子力ムラ」と呼ばれる内なる規制でメディアに対する発表が閉鎖的だと指摘されている。二つ目が「記者クラブ」制度がフリーランスの記者や外国メディアの排除しているというのだ。日本のメディアの在り様そのものがマイナス要因だと指摘していることが注目される。

  もう少し深堀りする。重大な災害、とくに震災や原発事故などが発生したときは、情報が監督官庁などに集中する。それを集約して記者会見、これが公式発表となる。監督官庁は記者クラブを通じて発表するカタチとなり、フリーランスの記者や外国メディアには記者発表の日時や場所の案内はない。そのため、フリーランスの記者や外国メディアの特派員は日本のメディアの発表を追いかけて、発表文を入手することになる。そのため、海外から「発表ジャーナリズム」だと批判されることが多い。政府の記者会見での発表をそのまま報道する、いわゆる「垂れ流し」だというのだ。

  さらに海外から批判があるのは、紛争地への記者の派遣を、日本のテレビ局や新聞社、いわゆる「組織ジャーナリズム」は原則として認めていないことだ。組織としては危険な場所に記者を派遣することはコンプライアンス(法令順守)に反するということがベースにある。では、紛争地の情報をどう入手するのか、フリーのジャーナリストに依頼するしかない。危険な場所で取材するのはフリーのジャーナリストなのだ。こうした構造的な問題に、とくに欧米のメディアは日本のメディアの在り様をいぶかっている。

 さらに2013年に特定秘密保護法が成立し、自由な報道の妨げになるというマイナス評価となり、日本の順位は下落。韓国よりもランク下という事態になっている。「報道自由度ランキング」は毎年発表されるが、実は日本のテレビや新聞は熱心に取り上げてはいない。「不都合な真実」だからだ。日本のメディアそのものに改革の余地あり。

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