⇒メディア時評

☆皇室の「全身全霊」

☆皇室の「全身全霊」

  けさ(14日)新聞を読んでいて、皇太子が13日、デンマーク訪問を前に東宮御所で記者会見をされた記事に目が止まった。注目したのが見出しだった。「皇太子さま務め『全身全霊』で」(朝日新聞)。もう一紙も「象徴の務め『全身全霊』 皇太子さま会見 退位法、言及控える」(北陸中日新聞)。

   「全身全霊」という言葉を両紙ともに見出しに使っている。前後の記事の文脈を読むと、記者から、生前退位特例法(今月9日成立)について感想を求められたが、皇太子は「皇室の制度面の事項について、私が言及することは控えたい」とコメントを避けた。続いて記者から象徴天皇の役割を引き継ぐことについて尋ねられ、「陛下はお仕事の一つ一つを心から大切にしてきた。そうした陛下のお気持ちを十分に踏まえ、これまで陛下より引き継いだ公務も含め、それぞれの務めに全身全霊で取り組んでいきたい」と答えられた。

  会見で皇太子は「全身全霊」という言葉について、昨年8月の陛下の生前退位の願いを込めたお言葉の中で使っていて、「とても心が揺さぶられた」と述べていて、今回はご自身の言葉としても使われ、陛下の思いを継承する決意を示したようだ。

  では、陛下は昨年8月8日のお言葉で「全身全霊」をどのように述べたのだろうか。「既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」

  全身全霊という言葉は一般的に「身も心も捧げる」といった意味で使うが、皇室ではもう一段踏み込んだ意味があるのではないかと推測している。そう思う根拠は、陛下の以下のお言葉から察する。「更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます」。「重い」と表現された「殯の行事」は、一般の葬儀とは違って、ご遺体と共にする「お通夜」が2ヵ月にわたって続く。つまり、ご遺体の腐敗が進むまで儀礼を続けることになる。

  こうした死者の弔い方は東南アジアで一部今でも残っている。ユネスコの世界文化遺産にも登録され、棚田で有名なフィリピンのイフガオを訪れたおり、聞いた話だ。死者を布でくるんで白骨化するまで自宅に置く。家族は死者を身近に置くことで、亡き人をしのぶ。日ごとに悲しみにと同時に死者への畏敬の念が沸いているのだという。その後、家族で洗骨の儀式を営み、埋葬する。こうした死者の弔い方は古代からの農耕文化の名残なのだろうか。

  話を戻す。昭和天皇の「殯の行事」は皇太子も体験されていることだろう。天皇を継承するということはこうした「重い」儀式を経て受けつがれるのだと察する。天皇が発した「全身全霊」という言葉に皇太子が反応して記者会見でも発しということは、この言葉は一般で考える以上に皇室ではよりスピリチュアルな響きがあるのではないだろうか。

⇒14日(水)朝・金沢の天気   はれ

   

★嵐の前の静けさ

★嵐の前の静けさ

北朝鮮はミサイル発射を繰り返している。さらに、アメリカや中国の出方にはかたくななまでに態度を硬化させている。そのような中で、国連安全保障理事会は昨日(日本時間で3日)、北朝鮮に対する経済制裁を拡大する決議を全会一致で採択した。これまで制裁に慎重だった中国とロシアがそろって採択に回った。報道によると、制裁ではあらたに北朝鮮の情報機関の局長や団体の資産凍結や渡航禁止とした。

  日本海側に住む身として気になったニュースは、今月1日、海上自衛隊の護衛艦2隻と航空自衛隊のF15戦闘機部隊が、アメリカ海軍の「カールビンソン」と「ロナルド・レーガン」の2隻の空母艦隊と日本海で共同訓練を実施したことだ(防衛省発表)。航空自衛隊小松基地からはF15戦闘機6機が参加し、アメリカの空母艦載機FA18戦闘攻撃機と模擬の空中戦を展開した。海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」と「あしがら」はアメリカ側の艦艇と通信訓練を実施した。護衛艦は3日まで、小松基地の戦闘機部隊は2日まで共同訓練を実施した。

  防衛省ホームページには、今月2日行われたの防衛大臣の記者会見の概要が掲載されている。記者との質疑でこのような下りがある。「Q:空母と自衛隊の共同訓練について、北朝鮮に対する圧力につながるとお考えでしょうか。」と記者が問いかけた。これに対し防衛大臣は次のように返答している。「A:今回の訓練の目的自体は自衛隊の戦術技量の向上と米軍との連携強化を図ることが目的であります。そして、今回こうした形で共同訓練を行うことは、わが国の安全保障環境が厳しさを増している中で、効果として日米同盟全体の抑止力・対処力を強化して、地域の安定化に向けたわが国の意思と高い能力を示すものであるというふうに考えているところでございます」と。

  つまり、北朝鮮への圧力ではない。あくまでも自衛隊の戦術技量の向上とアメリカ軍との連携強化である、と。なんとも煮え切らない防衛大臣の答えではないだろうか。誰が考えても、朝鮮半島の東側の日本海で海と空の共同訓練を実施すれば、それは「北に対する圧力」以外の何ものでもない。

  現に、アメリカのマティス国防長官は3日、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)でリアリティのある演説をしている。以下、朝日新聞の記事引用。マティス氏は、北朝鮮が核・ミサイル開発を急ピッチで進めていることについて「最も危険で差し迫った脅威」と危機感を示し、日本や韓国などの同盟国に加え、中国とも協力し、「北朝鮮が核・ミサイル計画を放棄するまで、外交的、経済的な圧力を高めていく」と述べた。その上で、アメリカは北朝鮮問題や台頭する中国の脅威に対応するため、アメリカ海軍の艦艇の60%、陸軍の55%、艦隊海兵部隊の3分の2をアジア・太平洋地域に重点的に配備していることも明らかにした。

  マティス国防長官の上記の発言を読んだだけでも、今回の日本海での共同訓練は実践的な軍事訓練、つまり「圧力」である。さらに、兵力の注ぎ方にも驚く。アメリカ・ワシントン州の海軍基地を今月1日に出港した原子力空母「ニミッツ」が日本海で合流することになれば空母3隻目となる。「アメリカ海軍の艦艇の60%」をアジア・太平洋地域に重点的に注ぐとはこのことかと実感として伝わってくる。先月30日、アメリカ国防総省は大陸間弾道ミサイル(ICBM)の迎撃実験を初めて実施し、成功したと発表した。北のミサイル攻撃への対応を整えたということだろう。日々拡大する日本周辺での「軍事拠点化」である。とくに日本海側に住む我々にとって、ただごとではない。いま状況は「嵐の前の静けさ」か。

⇒4日(日)午後・金沢の天気    はれ

★気になる沖縄での動き

★気になる沖縄での動き

   気になるニュースがあった。沖縄県の地元紙「沖縄タイムズ」のウエッブ版を読んでいたら、こんな記事だ。以下昨日(10日付)のニュースである。

  「米軍嘉手納基地上空で10日午後7時35分、パラシュート降下訓練が実施された。同基地所属のMC130特殊作戦支援機=写真=から降下し、パラシュートを開いて基地内に着地する兵士の姿が4人確認された。嘉手納町によると、夜間の訓練は少なくとも近年では例がない。沖縄県や基地周辺自治体は沖縄防衛局や外務省沖縄事務所を通じて訓練の中止を申し入れたが、米軍は強行した。嘉手納基地での同訓練は4月24日に6年ぶりに実施されて以来。…」

  このニュースをまともに読めば、アメリカ軍がはた迷惑な夜の訓練をやったとの印象だが、MC130特殊作戦支援機を使った夜のパラシュート訓練となると、ただごとではないと直感する。ウイキペディアなどになると、MC130特殊作戦支援機は赤外線暗視装置、地形追随レーダーを装備し、敵の防空網を突破することができる。その目的は敵地での特殊部隊の潜入・退去・補給、捜索救難活動の支援、心理作戦などに活用されるという。これは北朝鮮への「斬首作戦」の訓練ではないのか。

  北朝鮮への斬首作戦とは金正恩党委員長へのピンポイント攻撃のこと。アメリカによる斬首作戦で有名なのが、パキスタンでオサマ・ビン・ラディンに対して行った2011年5月2日(日本時間)の攻撃。新月(5月3日)の前日だった。つまり肉眼で感知されにくい、夜の闇の中で決行された。記事では嘉手納基地で「先月4月24日」にも実施されている。この月の新月は27日だった。さらに「6年ぶり」とある。すなわち2011月の斬首作戦には嘉手納基地から参加していたのかとも連想させる。

  国立天文台のホームページで調べると、次に夜が真っ暗闇となる5月の新月は今月26日4時44分だ。今回の沖縄での夜のパラシュート降下訓練は斬首作戦を実行する訓練なのか、あるいは相手を動揺させるための心理作戦なのか。

  韓国大統領選で当選した文在寅氏が10日夜、アメリカのトランプ大統領と電話会談を行い、北朝鮮による核・ミサイル開発の廃棄に向け、話し合ったと11日付でメディア各社が伝えている。会談の中でアメリカ側の北への圧力のカードの一つとして斬首作戦のことも当然伝えたはずだと想像する。それに、どう文大統領は答えたのだろうか。(※写真はウイキペディアより)

⇒11日(木)朝・金沢の天気   あめ  

☆「八田與一」評価視点を変えてみる

☆「八田與一」評価視点を変えてみる

   前回に続いて、台湾・台南市にある烏山頭ダム建設を指導した金沢出身の技師・八田與一の座像の切断事件をテーマに。7日の座像修復の除幕に続いて、昨日(8日)は慰霊祭が行われた。その様子を台南市のホームページから引用する。

 ダム建設後、八田與一は軍の命令でフィリピンの綿花栽培のための灌漑施設の調査ため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で船が沈没し亡くなった。1942年(昭和17年)5月8日だった。つまり逝去75周年だ。慰霊祭は烏山頭ダム公園の座像の前で営まれ、日本側から八田與一の子孫や金沢市の山野之義市長らが出席した。ホームページによると、あいさつに立った台南市の頼清徳市長のあいさつは以下だった(要約)。

   「台南市民を代表して最高の謝意と無限の悲しい思いを込めて献花したい。ことしも無事、慰霊祭を開催することができ、また以前より多くの方々に集まってもらい盛大な催しとなった。銅像の破壊は成功しない、台湾と日本の友好も破壊されない。反対にますます友好関係は堅固で、さらに厚いものになる」
      「87年前に八田與一は烏山頭ダムを建設して、嘉南地区の土地に灌漑が整い、さらに彼はダム建設だけでなく農民を指導し、この地区は今では台湾の米所となった。台湾の農業経済を大いに発展させた。烏山頭ダムは実は同じく多くの台湾人と日本人の心の田を潅漑してくれた。私たちは水を飲むときその水源を思うべきで、内心から八田與一に感謝したい」

   上記の思いを胸に日本と台湾の友好が発展的に醸成されることを祈る。ただ、現実はなかなか難しいようだ。政治情勢は台湾の独立派と中国と台湾の統一派によるつばぜり合いとなっていて、今回のように、独立派が蒋介石像を、統一派が八田與一像を切断するといった、争いのシンボリックな出来事になっている。日本のメディア(9日付朝刊)によると、700人が参列した慰霊祭の場外では、独立派と統一派が集会を開いたようだ。統一派50人ほどが「日本人は帰れ」と叫んでダム公園のゲートに詰めかけたが200人ほどの警察官に阻まれ、大きな衝突はなかった、と伝えている。

   こうした台湾内部の政情と日本と台湾の友好関係が絡まってしまった状況をどうほぐせばよいのか。八田與一の功績は台南市長があいさつの後半で述べたように、87年前の烏山頭ダム完成からすでに地域に認められ評価は確立している。現在、台湾では「ダム水利システム」としてユネスコの世界遺産に登録しようとする動きもあるようだ。

        そこで、八田與一座像を日本と台湾の友好の象徴として強調するより、むしろ、アジアにおける農業発展のダム水利システムの先駆者としての評価を双方で高める方が、八田與一座像が政争に巻き込まれなくて済むのではないか。台南市長のあいさつから、そんなことを考えた。(※写真は台南市役所のホームページより)

⇒9日(火)朝・金沢の天気   くもり

★切断された八田與一座像その後

★切断された八田與一座像その後

   このブログで取り上げた台湾統治時代に烏山頭ダム建設を指導した、金沢出身の技師・八田與一の座像の切断事件から3週間。きょう(7日)台湾・台南市役所のホームページをチェックすると、切断された座像の首から頭部の修復が完了し、きょう金沢市からの関係者を交え、除幕式が行われたと掲載されていた。  
 
 除幕式は台南市の烏山頭ダム公園であり、式には日本側から八田與一の子孫や金沢市の山野之義市長らが出席したようだ。ホームページによると、あいさつに立った台南市の頼清徳市長は「銅像の破壊者(元台北市義)は台湾と日本の友情を破壊しようとしたが、試練を経て両者の感情は本物になった」と強調した。山野市長は「銅像の破壊は残念だったが、台湾のみなさん始め頼市長が修理に全力を尽くしてくれて感謝している。地元金沢の偉人の銅像に再び会うことができ、日本と台湾の友好関係を確認できた」と述べた。また、八田與一の孫にあたる八田修一氏は「銅像が完全に修復されて、台湾のみなさんに感謝したい」と述べた。

    台湾では切断事件が相次いだ。ことし2月28日、輔仁大学(新北市)のキャンパスで蒋介石の立像の一部が切断され、学生たちが逮捕された。先月16日、八田與一の座像の首切断され、中台統一派の政治団体に所属する元台北市議が警察に出頭し逮捕された。そして先月22日の台北市の蒋介石の座像の首切断事件があった。

   修復は25年前に製作され保管されていた複製品の頭部を継ぎ合わせる方法で行われ、先月26日に完成した。修復後に再度、破壊されることを警戒して、ダムを管理する水利組合や台南市の警察が警備に当たっているようだ。(※写真は台南市役所のホームページより)

⇒7日(日)夜・金沢の天気   はれ

★手玉に取る

★手玉に取る

  「手玉に取る」という言葉がある。お手玉をもてあそぶように、人を思いどおりに操るという意味で使っている。国有地が地下のごみ撤去費用の名目で8億円余りが差し引かれ1億3千万円余りで売却されていたとされる一連の森友学園問題で、マスメディアに対応する籠池泰典前理事長のコメントなどをニュースで視聴していると、そんな言葉が浮かんでくる。手玉に取られたのは、財務省側と民進党ではないだろうか。

 先月28日、民進党のヒアリングに籠池氏が応じ、「国との土地取引の交渉の最中、たびたび昭恵氏に経緯を報告していた」と述べたという。報道によると、2014年4月、籠池氏が小学校建設を目指していた国有地に昭恵氏を案内し、財務省との交渉の内容を説明、早く工事を進めたいとの意向を昭恵氏に伝えていたという。このニュースの文脈だと、あたかも昭恵氏が国有地売却に裏で関わっていて、籠池氏が財務省との交渉過程を逐一報告していたような印象を与える。

   一人の視聴者・読者として知りたいのは、この「報告」の具体的な事実関係だ。電話での「報告」の内容だが、たとえば「おかげさまで先に見学いただいた国有地の件は何とかうまくいっています」と電話で話したとする。その相手(昭恵氏)がその一件に関わっていなくても、「それはよかったですね」と愛想で相槌を打つだろう。今度はその「報告」をもって、籠池氏が財務省側の担当者に「昭恵夫人に報告した。すると、大変喜んでおられた」と説明したとする。すると財務省側は今回の土地取引を昭恵氏も注視していると勘違いする。そのようにして、籠池氏側は財務省側の「忖度」をうまく引き出すというシナオリだ。いわば「言葉のあや」を「価値ある言語」として実体化する。

   民進党もうまく手玉に取られているという印象だ。問題の渦中の人物が言葉を公の場で発することで「証言」としての価値を付ける、「言葉の権威づけ」と言ってよい。公党である民進党のヒアリングという場は、その言葉の権威づけに最適だ。その言葉を今度は民進党が国会で政府追及の道具として活用することになる。籠池氏は衆参両院の予算委員会での証人喚問(3月23日)やマスメディアからの数々のインタビューで自らの言葉を価値化する技を磨いたのかもしれない。あるいは、天性の才能かもしれない。

⇒2日(火)夜・金沢の天気   はれ

☆日本海の波高し

☆日本海の波高し

   日本海が「にぎやか」になってきた。きのう28日、金沢港にイタリアの大型クルーズ船「コスタ・ネオロマンチカ」(5万7千㌧、乗客定員1800人)が接岸した。金沢港が発着で、境港、釜山港、博多港、舞鶴港など日本海を周遊する。船内ではイタリア料理や社交ダンスを楽しみながら6日間の船旅を楽しむ。北陸新幹線の開業効果の一つで、東京から金沢に来 て、金沢港で船に乗り込めば日本海クルーズが楽しめるというわけだ。10月まで32回を予定しているという。

   一方、アメリカの原子力空母「カール・ビンソン」はきょう29日、長崎県沖の対馬海峡を通過し、日本海に入ったとのニュースが流れた。海上自衛隊の護衛艦とさっそく共同訓練を行うなど、北朝鮮をにらんだ緊張状態が続く。そして、北朝鮮がきょう午前5時30分ごろ、日本海に向けて弾道ミサイル1発を発射したとのニュースが速報で流れた。菅官房長官は記者会見で「50㌔離れた北朝鮮内陸部に落下したと推定される」と述べた。弾道ミサイルは日本海へは届かなかったようだ。ニュースを見て心配になったことは、アメリカなどが圧力を強める中、北朝鮮側があえて挑発行為に出たことだ。

   関連して気になることが一つ。今回の北のミサイル発射で日本国内で過敏ともいえる動きが出始めていることだ。北のミサイル発射で、北陸新幹線は午前6時8分から19分までの11分間、金沢-上越妙高間での運転を見合わせた。ブレーキをかけての緊急停車。JR西日本が、北のミサイルへの対応で新幹線を停止させたのはこれが初めてという。

   先に「過敏ともいえる動き」と表現したのは、JR西日本は「Jアラート」など政府の警報が発動した時に新幹線を止めるルールの運用を今月から始めているが、今回はJアラートが発動したわけではなく、ニュースを知って同社が総合的に判断して、念のために止めたということだ。これを「過剰反応」というか、「安全の最優先」というかは別として、今後同類の反応がいたるところで起きてくることだろう。

   話を冒頭に戻す。日本海のクルーズが本格化し、新たな観光の時代の幕開けと期待できる。ただ、北朝鮮の動きや、空母「カール・ビンソン」が今後どのように日本海に展開するのか気が気でならない。果たして、このような状況の中でクルーズを楽しむ気になれるだろうか。タイミングがよくない。日本海の波高しだ。

⇒29日(土)夜・金沢の天気    はれ

★像の切断を政争の具に使う愚

★像の切断を政争の具に使う愚

メディア各社のニュースによると、きのう22日、台湾の初代総統である蔣介石の座像の頭部が切断される事件が起きたという。今月16日には日本統治時代に烏山頭(うさんとう)ダムの建設を主導した日本人技師、八田與一(はった・よいち)の座像の頭部が切断される事件があったばかり。八田與一の座像と蒋介石の立像の切断事件に関しては、ブログ「座像の切断事件、金沢からの考察」(今月20日付)でも紹介した。

  今回の切断事件があった場所は台北市北部陽明山にある公園で、蔣介石の座像の頭部が切断され、赤いペンキが掛けられていた。壊された座像の台座には「2・28事件の元凶」「殺人魔」などと落書きがされていた。報道では、一連の像の切断事件が報復の応酬のニュアンスで報じられる向きもあるが、前回のブログでも述べたように、八田與一の像と蒋介石の像は成り立ちも異なれば、造った人も違う。つまり、政敵でもなんでもないのだ。

  以下、前回のブログのおさらい。烏山頭ダムが建設を指揮した八田與一はダム建設後、不毛の大地とされた原野を穀倉地帯に変えたとして、内省人と呼ばれた台湾の人たちに評価された。八田は金沢で生まれの水利土木技師で、八田の銅像は当時の地元の農民が感謝を込めて自発的につくったものだ。八田の功績は、戦後日本と台湾の友好の絆も育み、命日の5月8日には金沢からも多くの人が慰霊祭に出かける。日台友好のシンボル行事にもなっている。

  これに対し、初代総統だったは蒋介石の像は権力の象徴として造られた。ところが、1947年に起きた「2・28事件」が70周年に当たることから。蒋介石の功績評価の見直しが起きているようだ。戦後、日本に代わり台湾を統治した国民党だが、その年の2月28日に外省人(大陸から移住してきた中国人)と国民党の支配に反発する本省人が抗議デモを繰り広げ、大規模な流血事件が起きた。2・28の流血事件の責任者は蒋介石だったとして、本省人系の与党民進党が中心となり、学校から蒋介石の銅像を撤去する動きが表面化しているのだ。

  切断事件は上記ような背景で起きた。ことし2月28日、輔仁大学(新北市)のキャンパスの蒋介石の立像の一部が切断され、学生たちが逮捕された。今度は今月16日、八田與一の座像の首切断され、台湾市の元市議を逮捕。そして今回22日の台北市の蒋介石の座像の首切断事件である。

  冒頭でも述べたように、政敵でもなかった二人の座像を切断することに何の意味があるのだろうか。政争ならば国会など政治の場でやればよいだけだ。逆に、こうした破壊行為を政治のシンボリックな行為と同一視して報じるメディアの在り様も問われている。

⇒23日(日)朝・金沢の天気  はれ

☆座像の切断事件、金沢からの考察

☆座像の切断事件、金沢からの考察

  最近、友人や知人たちとの日常会話で出てくる主語は「北は…」「トランプは…」である。それまでは「籠池は…」「小池は…」だった。会話というのは無意識のうちに世相を敏感に映すボイス・メディアだと改めて思う。もちろん、その会話というのはマス・メディアの影響を受けてのことだが。そんな会話からにじみ出た最近のニュースを一つ。

  金沢市ではよく知られた歴史上の人物で「八田與一(はった・よいち)」がいる。台湾の日本統治時代、台南市に烏山頭(うさんとう)ダムが建設され、不毛の大地とされた原野を穀倉地帯に変えたとして、台湾の人たちに評価されている。このダム建設のリーダーが、金沢で生まれの水利土木技師、八田與一だった。八田の功績は戦後日本と台湾の友好の絆も育んだ。ダム記念公園には八田與一の銅像があるが、今月16日に銅像(座像)の首が切断されてのが見つかり、石川県内のメディアでも大きく報道された。犯行は台北市の元市議だった。

  同じような銅像の切断事件が台湾であったことを思い出し、ネットで検索した。ことし2月28日、輔仁大学(新北市)のキャンパスに設置されている、初代中華民国総統だった蒋介石の像が破壊され、学生たちが逮捕された。学生たちは蒋介石像(立像)の杖の部分を工作機械で切断した。相次ぐ銅像の切断事件、無関係なのかと思いきや因果関係がありそうだ。以下は、金沢に住む台湾通の友人が解説してくれた。

  蒋介石は国民党の権威のシンボルでもある人物だが、その評価を見直す動きが起きているようだ。ちょうど70年前の1947年に起きた「2・28事件」。戦後、日本に代わり台湾を統治した国民党だが、その年の2月28日に外省人(大陸から移住してきた中国人)と国民党の支配に反発する本省人(もともとの台湾人)が抗議デモを繰り広げ、大規模な流血事件があった。その後、国共内戦で毛沢東の中国共産党に敗れて1949年に台湾に移って政権を樹立した蒋介石だが、2・28の流血事件の責任者は蒋介石だったとして、本省人系の与党民進党が中心となり、学校から蒋介石の銅像を撤去する動きが表面化している。学生らによる蒋介石像の切断事件もまさに2・28事件のちょうど70年後の象徴的な出来事だった、という。

  そこで、知人にこんな質問をした。「ということは、八田與一の像が切断されたのは、蒋介石を尊敬する、いわゆる外省人系の人たちの趣意返しということか」と。「八田の像を切断した元台北市議の逮捕後の供述がその後、報じられていないので何とも言えない。ただ、台湾に八田の像は一つしかない。それを台北市から台南市にまでわざわざやって来て、像の首を切断し、警察に出頭したとなると、与党民進党に反発する層の支持を集めたいという政治屋のパフォーマンスだったのかもしれない」と。

  そのような話を率直に聞くと、八田與一の像はとんだ災難に巻き込まれた感じがして、なんだか無念さがこみ上げてくる。ダム建設後、八田は軍の命令でフィリピンの綿花栽培のための灌漑施設の調査ため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で船が沈没し亡くなった。1942年(昭和17年)5月8日だった。終戦直後、八田の妻は烏山頭ダムの放水口に身投げし後追い自殺したことは金沢ではよく知られた逸話だ。

  八田の命日当たる5月8日には慰霊祭が毎年営まれ、金沢市からも関係者らが訪台して参列する。ことしの慰霊祭はどうなるのか。先日、台南市の市長は像の修復を急ぎ、例年通り慰霊祭を開催すると日本側に通知したことが、石川県の地元メディアでニュースとなっていた。先の友人はこう付け加えた。「八田の銅像は地元の農民が感謝を込めて自発的につくったもの。だから一つしかない。蒋介石の像は権力の象徴としてあちこちで造られた。八田を政治的に巻き込むは筋違いなのだが…」と残念そうに天を仰いだ。

※写真は八田與一の座像。ウィキペディアより引用

⇒20日(木)朝・金沢の天気    くもり

★日本海、島民の憂い

★日本海、島民の憂い

  能登半島の先端からさらに沖合50㌔に舳倉島(へぐらじま)がある。アワビやサザエの漁場でもあり、漁業の中継拠点でもある。この島の周囲は南からの対馬海流(暖流)と北からのリマン海流(寒流)がぶつかり、混じり合うところ。そのため海岸では、日本語だけでなく中国語やハングル、ロシア語で書かれたゴミ(ポリ容器、ペットボトル、ナイロン袋など)を拾うことができる。かつて、テレビ局時代に取材した島の住民からこんな話を聞かされたことがある。「島に住んでいると、よその国の兵隊が島を占領したり、大量の難民が押し寄せてきたり、そんなことをふと考え不安になることがある。本土の人たちには思いもつかないだろうけど」と。北朝鮮による拉致問題がクローズアップされ、当時の小泉総理が北朝鮮を訪問した2002年ごろの話だ。

  島民の話が現実になるかもしれないと思ったのが昨日7日のニュースだ。安倍総理が本部長を務める総合海洋政策本部会合で舳倉島や新潟・佐渡、島根・隠岐諸島など国境に近い148の有人の離島の振興に向けた基本方針を策定したと報じられた。なかでも、領海警備や治安の  確保が政策の柱となったようだ。政府としては海洋権益の確保といった言葉になるのだが、それほど海の安全保障が揺らいできたということだろう。

  同じ7日朝、アメリカが、シアリの化学兵器を保管しているとされる空軍基地を巡航ミサイル「トマホーク」59発で攻撃したとテレビ速報が流れた。シリアのアサド政権が民間人に化学兵器を使用したことに対するアメリカの報復措置で、トランプ大統領が「レッドラインを越えた」と表明し、その後電撃的にトマホークが発射された。このニュースで、「トランプ大統領の次なる標的は北朝鮮かも」と脳裏をかすめた人は少なくなかったのではないか。

  というのも、北朝鮮は5日に弾道ミサイルを日本海に向けて発射している。国連安全保障理事会は6日、安保理決議への「重大な違反」「強く非難する」との報道声明を出した。7日はアメリカと中国の首脳会談が開催された。ニュースによると、トランプ大統領は習主席に対し、北朝鮮の核とミサイルを阻止するよう中国が強く対北朝鮮制裁に動くべきだと要求したという。一連の報道から読み取れることは、今回のシリアへ空爆の事例を後ろ盾に、中国が動かなければアメリカが動くと習主席に事前通告したとも読み取れる。

  北朝鮮有事は近い。そんな空気が漂い始めた。現実になれば、大量の北朝鮮の難民が船に乗ってやってくるだろう。ガソリンが切れたり、エンジンが止まった船の一部はリマン海流に乗って舳倉島、能登半島に漂着する。無事漂着したとして大量の難民をどう受け入れるのか、武装難民だっているだろう。シリア人を乗せた難民船が地中海で航行不能となり転覆するという事故は今も起きている。地中海の悲劇は日本海でも起きるのか。島民の憂いがようやく理解できた気がした。

⇒8日(土)夜・金沢の天気    はれ