⇒メディア時評

★「タラタラ質問してるんじゃね~よ」

★「タラタラ質問してるんじゃね~よ」

   心が弾むニュースだった。女子ゴルフの全英女子オープンで渋野日向子選手が優勝した。日本選手として樋口久子選手が1977年に全米女子プロ選手権で優勝して以来、実に42年ぶりのメジャータイトルでの優勝だ。気さくに笑いながらインタビューに応じるその姿は海外でも「スマイルシンデレラ」というニックネームがついているそうだ。きょう6日午後3時30分から、帰国してた羽田空港で渋野日向子記者会見を行う様子を民放各社が生中継しているのを視聴した。

   会見で記者が海外で「スマイルシンデレラ」というニックネームで親しまれていていることについて質問すると、渋野選手は「そうやって名付けてもらえるのはうれしかったが、シンデレラは良く言いすぎ」「ゴルフは自分が楽しんでやらないとみんな楽しくないのでそこは心がけている」「世界でも笑顔は共通だと思った」と話していた。ギャラリーとのハイタッチが負担にならないかという質問に対しては、「無視されるより、注目されるほうがずっといい。大会中は、どんどんタッチをしてくれる人が増えていってすごくうれしかった」と笑顔で話していたのが印象的だった。

   また、昨年7月の西日本豪雨で出身地の岡山県が大きな被害を受けたことを質問された渋野選手は「豪雨災害のときと同じタイミングでプロテストに合格した」「被災地の人たちに何も手助けができなくて、このままでいいのだろうかと思っていた」「豪雨災害の日のことを忘れたことはない。地元の皆さんを元気づけるには私が結果を出さないといけないと思っていた」と郷土愛がにじみ出た言葉だった。

   記者会見で違和感を感じた質問も多かった。「ゴルフとソフトボール、どっちが好きですか」「うれし泣きする瞬間はありましたか」「樋口久子さんに新人類と言わせるぐらいのメンタルを身につけた秘訣は」「優勝の実感はわいてきましたか」などなど。渋野選手は笑顔で答えていたが、視聴しているこちらの方がいらいらと。

   記者会見での質問は基本的に相手の心情を引き出すものだろう。「優勝の実感はわいてきましたか」などと抽象的な質問しても、本人は「だんだんとわいてくると思います」としか答えようがなかった。つい、こちらが「タラタラ質問してるんじゃね~よ」とつぶやいてしまった。(※写真は、渋野日向子選手の優勝を伝えるイギリス「BBCニュース」Web版)

⇒6日(火)夜・金沢の天気    はれ

☆「大騒ぎ」という病(やまい)

☆「大騒ぎ」という病(やまい)

      北朝鮮がまた2発のミサイルを発射した。報道によると、きょう2日午前2時59分と3時23分に、朝鮮半島の東部の咸鏡南道付近から日本海に向けて短距離の飛翔体を2回にわたって発射した。先月25日に新型短距離弾道ミサイルを2発、31日に新型多連装ロケット砲を2発それぞれ発射している。また、政府発表によると、日本の領域や排他的経済水域(EEZ)への弾道ミサイルの落下は確認されていないようだ。それにしても、日本海側に住む者にとって迷惑極まりない。

   アメリカと韓国の合同軍事演習が今月5日から始まるのを前に、韓国への「武力示威」だと警告(7月25日付・朝鮮中央日報HP版)している。3回連続となると、逆に合同軍事演習をチャンスととらえて、発射実験を繰り替えているのではないか勘ぐってしまう。単なる警告ならば、新型の短距離弾道ミサイルや新型の多連装ロケット砲を発射しないだろう。

   北の金正恩氏と負けず劣らずなのが、韓国の文寅在大統領ではないだろうか。日本が安全保障上の輸出管理で優遇措置を取る「ホワイト国」(優遇対象国)から韓国を除外する政令改正を行うことについて、韓国側が大騒ぎしている。今月末に更新期限を迎える日本と韓国の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)にも韓国側は更新しないと揺さぶりをかけている。

   そもそも、ホワイト国は政府が信頼できる輸出先だと認める国だ。武器や大量破壊兵器、それに関連する資材、兵器の汎用品などについて経産大臣の許可が必要だ。ところが、韓国側が認めているように、武器製造に転用可能な戦略物資の違法輸出を摘発した事例が2015年から19年3月までに156件あった(7月12日付・東京新聞HP版)。日本政府が信頼できないというのであればホワイト国を除外するのが道理だろう。それを、アメリカに、いわゆる「告げ口外交」で攻勢をかけたり、アメリカにとっても迷惑な話だろう。

   政府は午前中の閣議で、ホワイト国から韓国を除外する政令改正を決定した、とのニュース速報が流れた。政令公布の21日後に施行され、今月28日に発動する。冷静に対応すればまったく問題のない通商問題なのだが、あえて大騒ぎする。韓国の病(やまい)かもしれない。(※写真は、イタリアのフィレンツェにあるサンタ・クローチェ教会の壁画に描かれている「聖十字架物語」)

⇒2日(金)午前・金沢の天気     はれ

★「マスメディアと現代を読み解く」の講義から-5-

★「マスメディアと現代を読み解く」の講義から-5-

    記者会見をテーマにした講義では、学生たちに「最近印象に残っている記者会見は何か」とリアクション・ペーパー(感想文)に記述してもらった。65名から回答があったが、芸能人やスポーツ選手の会見が印象深いようだ。

    ~計算された記者会見、人生のドラマが凝縮される記者会見~

    お笑いコンビ「南海キャンディーズ」の山里亮太と女優の蒼井優の結婚発表会見(6月5日)は「予想もしなかった電撃結婚」。面識のない女性をコンビニで平手打ちしたとして逮捕された音楽グループ「AAA」のリーダー浦田直也のお詫び会見(4月21日)は「スーツを着てキリッとした格好で記者会見に現れたが、記憶にない、覚えていないとヘラヘラ笑っていた。違和感を感じた」。 ウィンブルドン・ジュニア選手権の男子シングルスで初優勝した望月慎太郎の記者会見(7月14日)には「16歳ながら、落ち着いた態度で記者を端々で笑わせる面白い会見だった」と。記者会見ではさまざま人間模様が見えてくる。

    講義では自分自身の印象に残る会見として、日本大学と関西学院大学のアメリカンフットボールの定期戦で悪質なタックルをし、関学大選手を負傷させた日大の加害選手の記者会見(2018年5月22日)を紹介した。特徴として、20歳で実名での会見だったこと、場所が日本記者クラブで会見したことだ。同記者クラブでの会見は弁護士は同席させないルールだが、本人が20歳ということで2人の弁護士が同席したことも異例だった。会見では、故意や動機、計画性、事件に至る心情、事件後の状況をとつとつと述べ、深い反省の態度を示した。その上で、悪質なタックルは前監督とコーチの指示だったと述べた。このことで、加害選手に同情が寄せられた。

    では、加害選手は誰に向けてメッセージを発したのか。けがの程度は全治3週間の軽傷で、会見の3日前に日大監督が西宮市内を訪れて被害選手と父親に謝罪、あわせて監督を辞任している。普通ならばこの一件はここで落着となるが、5月21日に被害選手の父親が(大阪市議)が記者会見で大阪府警に被害届を出したと発表した。加害選手の会見はその翌日だった。刑事処分になった場合、加害選手本人が傷害罪として罰せられる。この最悪のケースを防ぐ必要があり、弁護士2人が急きょ記者会見をセットした。ポイントは本人の深い反省の弁と、前監督とコーチの指示によるものだったと強調することだった。つまり、記者会見を通して、警察・検察にメッセージを送ったのだ。刑事処分を念頭に、計算され尽くした記者会見だった。

   記者会見にはさまざまなパターンがある。災害の緊急記者会見は混乱を伴う。原告団記者会見は大人数が並ぶ。謝罪会見ではお詫び、頭の下げ方まで注目される。記者会見は筋書きのないドラマでもある。「前代未聞の記者会見」と呼ばれた佐藤栄作総理の退陣表明の会見(1972年)は「新聞記者所払い」があった。「テレビカメラはどこかね。僕は国民に直接話したい。テレビは真実を伝える。偏向的新聞は大嫌いだ」と述べた。怒った新聞記者が退席した会見場で、総理はNHKのカメラに向かって一人でしゃべり続けた。これがノーベル平和賞を受賞した日本の総理の最後の会見だった。

   会社や役所内で不祥事があれば、記者会見での対応が必要となる。記者会見でさらに印象が悪くなることがある。記者会見は「危機管理」の対象でもある。誰が出席して対応すべきか、記者会見中に打ち合わせをしてよいのか、どのような服装で会見に臨めばよいのか、記者会見はどのようなタイミングで終わればよいか、謝罪会見の場合、「おじぎ」は何秒頭を下げればよいのか。記者会見には人生のドラマが凝縮される。 

      (※写真は首相官邸HPに掲載されている安倍総理の記者会見の様子。右側に設置されているプロンプターには原稿が映し出されている)

⇒19日(金)朝・金沢の天気     あめ

☆「マスメディアと現代を読み解く」の講義から-4-

☆「マスメディアと現代を読み解く」の講義から-4-

        そもそもマスメディアって何だと学生たちに問いかける。「情報やニュースを人々に伝達する媒体(メディア=media)である新聞・雑誌、ラジオを集合的に示す言葉。1923年初見の広告の業界用語」(オックスフォード英語辞典)。1922年にアメリカでラジオ放送が始まった。マスメディアの報道としての役割が加速したのは1915年、第一次世界大戦中に起きたドイツによるイギリス客船の撃沈事件でアメリカ国民が多数犠牲になり、ニュース・報道への関心が急速に高まった。その後、ニュース・情報を掲載した広告媒体というビジネスモデルがアメリカで確立されることになる。

    ~震災から戦争、そして東京オリンピック、日本の現代史を刻む~

   では、日本でのマスメディアの成り立ちはどうか。原点の一つは「災害情報」にある。江戸時代に普及した瓦版は約4割が安政大地震を伝えたものと言われる。1923年、マグニチュード7.9、日本の災害史上最大級とされた関東大震災を契機に災害報道の速報性がニーズとして高まり、2年後の1925年にラジオが開局する。1953年にテレビ放送が開始され、自然災害を速報性と映像で伝えるテレビの役割へと展開する。現代は、SNS・ソーシャルメディアの普及で、被災地から人々がその状況を直接発信するようになり、災害情報は垂直から水平へと展開するようにもなってきた。

   明治時代は新聞ジャーナリズムの黎明期だった。1869年(明治2年)の新聞印行条例で、発行許可制と事後検閲制のもとで新聞発行を認めることでスタートした。毎日新聞は1872年(明治5年)に創刊、以下、読売新聞、朝日新聞と続く。当時は世の中の事件や社会の大衆ネタを扱う「小新聞」と、政治・政党色の強い「大新聞」に色分けされていたが、毎日や読売、朝日のスタートは小新聞だった。

   そんな中で、福沢諭吉が1882年(明治15年)に創刊した時事新報は、不羈(ふき)独立の精神を掲げたマスメディアだった。独立自尊という言葉の意味にも直結するが、自らの新聞社の経営をしっかりしたものにし、政府権力に依存せず、また市民におもねないことを目指していた。ただ、新聞印行条例により、福沢が論じた「藩閥寡人政府論」や「西洋人の日本疎外論」は発行停止処分を受けた。また、福沢の進歩的な論評はときに読者にも誤解され、「ホラを福沢 ウソを諭吉」などと揶揄された。1936年(昭和11年)、大阪進出が失敗した時事新報は解散することになる。

   太平洋戦争の開戦(1941年)とともに、新聞は同年に公布された新聞事業令によって、国家が新聞社の廃止や解散の権限を握ることになり、すべてのマスメディアは戦争遂行の道具へと転換する。新聞統合も進み、1937年(昭和12年)に全国で1208社あった日刊発行社は55社になった。開戦を最初に国民に知らせたマスメディアはラジオ、敗戦を告げたものラジオだった。あらゆる技術は軍需産業へ転換し、テレビの技術開発は中止に追い込まれた。

   戦後、マスメディアの主流はテレビへとシフトする。1953年(昭和28年)2月にNHK東京テレビジョンが開局、半年後の8月に民放の日本テレビが放送を始めた。とは言え、シャープが発売した日本最初のテレビは14インチで17万5000円、大卒銀行マンの初任給が5600円の時代だった。テレビの普及は進まず、「街頭テレビ」を市民がみんなで見るという時代があった。1959年(昭和34年)、今の上皇夫妻のご成婚をきっかけにテレビが爆発的に売れる。美智子妃殿下のお姿を見たいという「ミッチーブーム」が起きた。

   ご成婚から3年後の1962年にはテレビが1000万台、普及率50%という大台に乗った。もちろん、戦後の高度経済成長が背景にあったのは言うまでもない。1964年の東京オリンピックによって、テレビは飛躍的な技術的な進化を遂げる。カラー放送、衛星中継、スローVTRの導入など。今のテレビのベースになる放送技術がこのころに確立されたと言ってよい。(※写真はNHKのポスター。テレビの黎明期、食い入るように相撲番組を視聴する子供たちの様子)

⇒18日(木)夜・金沢の天気     あめ

☆「マスメディアと現代を読み解く」の講義から-3-

☆「マスメディアと現代を読み解く」の講義から-3-

  講義科目「マスメディアと現代を読み解く」(全8回、1単位)では「震災とマスメディア」をテーマに2回(6月26日、7月3日)にわたって講義した。その中で記者時代の体験談も語った。津波を体験している。1983年5月26日正午ごろ、秋田沖が震源の日本海中部沖地震が起きた。輪島では震度そのもは3だったが、猛烈な津波がその後に押し寄せた。高さ数㍍の波が海上を滑って走るように向かってくる。当時、新聞記者で輪島支局員だった。輪島港が湾内に大きな渦が出来て、漁船同士が衝突し沈没しかかっている船から乗組員を助け上げているを見て、現場へ走り、1回シャッターを切ってすぐ逃げた。大波が間近に見えていたからである。「あの時、取材で欲を出して数回シャッターを切っていたら、おそらくこの講義はなかったろう」と話すと、学生たちは複雑な顔で聴いていた。

   ~震災被災地でシャッターチャンスを狙う取材者と被災者目線の違和感~

  2007年3月25日の能登半島地震(震度6強)では翌日現場に駆け付けた。学生たちを復旧ボランティアに参加させる計画を立てるためだった。このとき、地震対策本部からは「余震が続いているのでボランティアは見合わせてほしい」と告げられた。全半壊の街を歩くと、半壊となっていた家屋が余震で壊れるシーンを撮影しようと身構えるカメラマンたちがいた=写真・上=。とても違和感を感じた。しかし、自身が現役の報道デスクだったら、「チャンスを逃すな」と激励していたに違いない。被災地の感覚と、取材者側の感覚の違いが自身の中で浮かんだ。

  同じ年の7月16日、同じ日本海側で新潟県中越沖地震(震度6強)が発生した。被災地を取材に訪れたのは震災から3ヵ月後だった。柏崎駅前の商店街の歩道はあちこちでひずみが残っていて歩きにくく、復旧半ばという印象だった=写真・下=。コミュニティー放送「FMピッカラ」はそうした商店街の一角にあった。祝日の午前の静けさを破る震度6強の揺れがあったのは午前10時13分ごろ。その1分45秒後には、「お聞きの放送は76.3メガヘルツ。ただいま大きな揺れを感じましたが、皆さんは大丈夫ですか」と緊急放送に入った。午前11時から始まるレギュラーの生番組の準備をしていたタイミングだったので立ち上がりは速かった。

   通常のピッカラの生放送は平日およそ9時間だが、災害時の緊急編成は24時間の生放送。柏崎市では75ヵ所、およそ6000人が避難所生活を余儀なくされた。このため、市の災害対策本部にスタッフを常駐させ、被災者が当面最も必要とする避難所や炊き出し時刻、物資の支給先、仮設の風呂の場所、開店店舗の情報などライフライン情報を中心に4人のパーソナリティーが交代で流し続けた。

    コミュニティー放送局であるがゆえに「被災者のための情報」に徹することができたといえるかもしれない。インタビューに応じてくれた、パーソナリティーで放送部長の船崎幸子さんは「放送は双方向でより深まった」と当時を振り返った。ピッカラは一方的に行政からの情報を流すのではなく、市民からの声を吸い上げることでより被災者にとって価値のある情報として伝えた。たとえば、水道やガスの復旧が遅れ、夏場だけに洗髪に不自由さを感じた人も多かった。「水を使わないシャンプーはどこに行けばありますか」という被災者からの質問を放送で紹介。すると、リスナーから「どこそこのお店に行けばあります」などの情報が寄せられた。行政から得られない細やかな情報である。

    24時間の生放送を41日間。この間、応援スタッフのオファーも他のFM局からあったが、4人のパーソナリティーは交代しなかった。「聞き慣れた声が被災者に安心感を与える」(船崎さん)という理由だった。このため、リスナーから「疲れはないの、大丈夫ですか」とスタッフを気遣うメールが届いたほどだった。

    ピッカラの災害放送対応を他のコミュニティー放送が真似ようとしても、おそらく難しいだろう。コミュニティー放送局そのものが被災した場合、放送したくても放送施設が十分確保されないケースもある。そして、災害の発生時、その場所、その状況によって放送する人員が確保されない場合もある。その意味で、発生から1分45秒後に放送ができた「FMピッカラ」は幸運だったともいえる。そして、「情報こそライフライン」に徹して、コミュニティー放送の役割を見事に果たした事例としてピッカラは評価される。

    取材の後、柏崎の街を歩きながらなぜ震災の復旧が進まないのかと改めて考えた。中越沖地震の場合、マスメディアを通した耳目が柏崎刈羽原発に集中してしまい、街の復旧や復興の様子が視聴者には見えにくくなっていたのではないだろうか。もちろん行政は全力投球していただろう。しかし、マスメディアの取材の優先度が原発が先になると、行政もそれに引きずられる。原発というシリアスな問題では、街の復興・復旧は盲点となりかねない。柏崎の街を歩きながら考えたことも学生たちに話した。

⇒16日(火)朝・金沢の天気    あめ

★「マスメディアと現代を読み解く」の講義から-2-

★「マスメディアと現代を読み解く」の講義から-2-

   金沢大学での講義科目「マスメディアと現代を読み解く」では震災を新聞・テレビがどう報じるかを「震災とマスメディア」をテーマに2回(6月26日、7月3日)にわたって講義した。重いテーマだ。震災報道について論点をいくつか述べた。

   ~震災報道について、風化のハードル、既視感との闘い~

   突然やってくる災害報道に新聞・テレビはどう対応しているのか。新聞各社はそれぞれに、あるいはテレビだと系列として地震対応マニュアルを作成し、発生時のスタッフの役割・人配置を決めて、シュミレーションを実施している。ただ、2011年3月11日の東日本大震災のように広範囲で地震が起きた場合、津波や火災、原発事故などが同時に発生し、想定外の災害となる。また、現地メディアも被災した。

   東日本大震災では報道する側も被災者となり、連絡不能のなかで、スタッフは独自判断で行動することが求められた。仙台空港に駐機していたヘリは津波で機体が損壊して空撮ができず、災害の全体像を把握できなかった。それでもテレビ各社は3日間にわたって緊急特番を報じた。停電や輪転工場の損壊で一時印刷できなくなった石巻日日新聞は6日間にわたって「壁新聞」を発行し続けた。アメリカのニュース博物館「NEWSEUM」はこの壁新聞を展示し、「この新聞は人間の知ることへのニーズとそれに応えるジャーナリストの責務の力強い証しである」と評価している。震災時におけるメディアの宿命を端的に表現した事例だった。

   「災害は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦)とう教訓がある。260年前、経済学者アダム・スミスは『道徳感情論』の講義で災害に対する人々の思いは一時的な道徳的感情であり、心の風化は確実にやってくると述べた。マスメディアにとって風化という視聴者のハードルをどう乗り越えるかは大きなテーマだ。被災地の復興は一般に思われているほどには進んでいない。この復興に対する意識のギャップを埋めるために、震災発生から定期的に特番を放送する。被災地の人々の心情は「忘れてほしくない」ということに尽きる。その心情を新聞・テレビが代弁している。一方で、マスメディア内部では「既視感」との闘いがある。被災地のローカル局と東京キー局との報道スタンスは異なる。ローカル局は被災者に寄り添う番組づくりを心がけているが、キー局は視聴率重視のスタンスがあり、すべての復興特番が全国ネットに上がるわけでもない。

    講義の最後に、マスメディアは災害や事故、事件で遺体の写真を掲載しない現状について述べた。被災者や読者・視聴者の感情に配慮してのことだ。リアクション・ペーパー(感想文)で学生たちに意見を求めた。「日本のマスメデイア(新聞・テレビなど)は通常、遺体の写真を掲載していません。被災者や読者・視聴者の感情に配慮してのことだと考えられます。一方で、海外メディアはリアリティのある写真を掲載しています。以下の問いのどちらかを選び、あなたの考えを簡潔に述べてください」と。学生には「1.現状でよい」「2.見直してよい」で選択してもらい、その理由を記入してもらった。

    67名の学生から回答があり、「現状でよい」54%、「見直してよい」46%だった。「現状でよい」の主な意見は「見る側への心理的な影響(PTSDなど)、とくに子供への影響が心配」「遺体にも尊厳がある」「インターネット掲載など別の方法がある」だった。「見直してよい」の意見を整理すると「震災を風化させないためにも、現実や事実を報道すべき」「見る側の選択肢を広げる報道をしてほしい」といった内容だった。

    2011年の東日本大震災をきっかけにこのアンケートを始めた。当初は「現状でよい」が70%近くあったが、今回は僅差になった。遺体写真は見たくはないものの、報道は事実優先でやってほしいというマスメディアに対する「あるべき論」が学生の間で高まっているようにも思える。(※写真は、2011年5月11日に撮影した宮城県気仙沼市の被災現場)

⇒14日(日)午後・金沢の天気    あめ

☆「マスメディアと現代を読み解く」の講義から‐1-

☆「マスメディアと現代を読み解く」の講義から‐1-

   金沢大学の講義科目「マスメディアと現代を読み解く」(全8回、1単位)では国内外のさまざまニュースをとらえ、マスメディアはどう報じているかを分析することで、新聞・テレビの取材の手法と視点が視聴者・読者とどのような距離感があるのかなど、学生の意見を交えながら論じている。きのう10日の講義は、4日に公示された参院選と絡めて「マスメディアは選挙をどう伝えるのか」をテーマとした。

   ~候補者、政党の報道の扱いにおける公平性や平等性とは何か~

   講義は、マスメディアに選挙報道の公平さを規定している法律から入った。新聞やテレビに選挙報道の公正さを求める(公選法148-1)、テレビ放送に政治的な公平性を求める(放送法4)、テレビ放送に候補者の平等条件での放送を求める(放送法13)などだ。この法律に従って、マスメディアの選挙報道は公示・告示の日から投票時終了まで、候補者の公平的な扱いを原則守っている。候補者の扱いでの公平性は新聞の場合、写真の大きさやプロフィル、記事の行数など。参院選では選挙区選挙と比例代表選挙があるが、比例では政見放送の扱いの事例を紹介した。講義の当日10日午前にNHKが放送した「NHKから国民を守る党」の政見放送では、事前収録の放送にもかかわらず、「NHKをぶっ壊せ」と候補者が叫んでいた。NHKとすればまさに業務妨害にも相当するが、政見放送なのであえて放送している。

   マスメデアィアがいかにして「当選確実」を速く正確に打つのか。2つの技術がある。出口調査は投票を終えた有権者にお願いし、誰に投票したか、比例区ではどの党の入れたかのかなど記入してもらう。出口調査での票数を分析し、テレビ局は選挙特番で投票終了後に「当確」を打つ。出口調査の実施にあたっては、新聞社と系列のテレビ局がタッグを組むケースが多い。開披台調査は、出口調査での選挙区候補者間の得票率が10ポイント未満の僅差に場合に行われる。体育館などでの開票作業をバードウォッチングのように双眼鏡で仕分けしている票を読んで得票を確かめる。電子投票が進めば将来的に開披台調査はなくなるが、今回の参院選では電子投票を行う自治体はない。

   講義の最後にリアクション・ペーパーのアンケートで、マスメディアの選挙期間中における候補者・政党の公平・平等な扱いについて意見を求めた。「アメリカではテレビ局に選挙などの政治的な扱いに公平性を課すフェアネスドクトリン(The Fairness Doctrine)がありましたが、言論の多様性こそ確保されなければならず、フェアネス性を課すことのほうがむしろ言論の自由に反するとの司法判決で1987年にファネスドクトリンは撤廃されました。日本の放送法や公選法では候補者への扱いに公平性を求めていますが、あなたの考えを簡単に述べてください」。学生には「1.現状でよい」「2.見直してよい」で選択してもらい、理由を記入してもらった。

   65名の学生から回答があった。「現状でよい」71%、「見直してよい」29%だった。現状肯定が圧倒的に多かった。学生の意見では「選挙報道の公平性は選挙の本来的な在り方である政策論争を場を守るために必要なルールだと思う」と。一方の見直しの学生の中では「年齢や性別など、有権者にはそれぞれ異なる立ち場があり求める情報も異なる。選挙報道にもっと多様性があっていい」と。このほかにも、まったく平等にすべての候補者と政党を同じ大きさで扱うのなら、単なる選挙公報になってしまうので、それは選挙管理委員会に任せ、マスメディアはもっと選挙の争点や論点を報道してほしい、と手厳しい意見が散見された。

   2016年施行された18歳選挙権で、受講する学生の多くは選挙権を有している。そのせいか、アンケートからは選挙に対してリアリティのある意見を述べる学生たちが以前に比べて増えているというのが実感だ。

⇒11日(木)夜・金沢の天気   くもり

☆「DMZ電撃会談」、ツイッターの実力

☆「DMZ電撃会談」、ツイッターの実力

   「まさか」「いや、もしかしたら」などと考えあぐているうちに事態はどんどん進行し、ついに現実となった。前回の29日付のこのブログで取り上げたトランプ大統領のツイッターだ。「G20」大阪サミットで日本を訪れていたアメリカのトランプ大統領は29日午前7時51分のツイッターで「While there, if Chairman Kim of North Korea sees this, I would meet him at the Border/DMZ just to shake his hand and say Hello(?)!」(北朝鮮のキム主席がこれを見たら、握手してあいさつするためだけでも南北軍事境界線DMZで彼と会うかも?!)と、北朝鮮の金正恩党委員長との面談をほのめかしていた。それが、きのう30日午後3時45分、DMZでの電撃的な会談が実現した。

   ニュースの流れはこうだ。午前11時、韓国を訪れているトランプ氏は文在寅大統領と首脳会談を行う。午後1時、会談後の共同記者会見でトランプ氏は「DMZに行き、キム委員長と会う」と明言。ヘリコプターで午後2時45分ごろに現地の監視所に到着する。この1時間後の午後3時45分、板門店でトランプ氏と金氏が面会する。ここからの様子はホワイトハウスがツイッターで動画を公開している。トランプ氏は金氏の姿を確認するとゆっくりと進み、軍事境界線を挟んで握手を交わし=写真=、その後、国境をまたいで北朝鮮側に入る。現職のアメリカ大統領として、初めて北朝鮮側に入ったことになる。

   この後、韓国側の「自由の家」で午後4時ごろから3回目の米朝首脳会談が始まる。その冒頭で、トランプ氏は金氏にこう語った。「とても特別な瞬間であり、2人の面会は歴史的なことだ。ソーシャルメディアでメッセージを送って、あなたが出て来てくれなければ、またメディアにたたかれるところだったが、あなたがこうして出てきてくれたので、2人ともそうならずに済んだ。そのことに感謝したい」(30日付「NHKニュース」サイト)

   一連の流れをツイッター動画とニュースで見て、これまでメディアによって演出されてきた政治ドラマが、SNSによって演出される時代になったと、ある意味感慨深かった。おそらくどこかで仕掛け人がいて、演出がある。それを一切メディアに明かさずに、ソーシャルメディアで仕掛けて実演する。メディアを介さずに、ダイレクトに世間にばらす。トランプ流と言えばそれまでなのかもしれないが。

   それにしても、悔しがっているのは安倍総理かもしれない。「前提条件なし」に日朝首脳会談を模索している安倍氏にとって、ツイッターでいとも簡単に実現する首脳会談って何だろう、と。

⇒1日(月)朝・金沢の天気    くもり

☆「いずれ菖蒲か」「立てば芍薬」 花の精気

☆「いずれ菖蒲か」「立てば芍薬」 花の精気

   庭の季節の花が彩りを増している。アヤメが紫色の花びらを一斉つけている。アヤメの花を眺めていると、花びらに網状の文様が見える。わいゆる文目、これがアヤメの名の由来かと思ったりする。花だけを見るとカキツバタやショウブと見分けがつけにくいものの、自生地を見れば分かる。アヤメは乾いた土地に咲き、カキツバタとショウブは池など湿地に咲く。 

  「いずれ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)」という言葉がある。優劣がつけ難い、選択に迷うことのたとえ。アヤメかカキツバタかハナショウブかとこだわるのは日本人だけかもしれない。英語ではひっくるめてアリス(iris)と呼ばれているようだ。

  「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合(ユリ)の花」。女性の美しさとは、立っていても、座っていても、歩いていてもまるで花のよう、との言葉のたとえと自己流に解釈している。そこはかとなく高貴な姿をイメージさせ、「お守りして差し上げたい」と人間の本能がくすぐられる。シャクヤクが庭で咲き誇っている。「これまでの花は前座よ、本番のステージは私です」といわんばかりの精気を放っている。花が咲き競い、心を和ませてくれる。

⇒17日(金)夜・金沢の天気   はれ 

★ブローカー暗躍、アメリカの大学入学事情

★ブローカー暗躍、アメリカの大学入学事情

       アメリカの名門大学を舞台にした不正入学事件が相次いでいる。中国人の富豪が娘のスタンフォード大への入学時、ブローカー役のアメリカ人に650万㌦を支払っていたことが分かった(5月4日付「朝日新聞」Web版)。ブローカーは同大学のスポーツ推薦枠を悪用し、富豪の娘をセーリング選手と偽る書類を用意し、2017年に合格させたが、「提出書類に不正があった」との理由でその後、退学処分となっている。

  ブローカーが絡んだ不正入学はこれだけではない。エール大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)、南カリフォルニア大学といった名門大学にハリウッドスターを含む多くの富裕層が子弟の裏口入学事件に関わり、賄賂の総額は2500万㌦、27億円相当になるという。

  そもそも、アメリカの大学が学生を入学させる基準が日本とは異なる。プリンストンやハーバードは点数もさることながら、面接を重視する選抜制度を採用している。入試ではエッセイ(作文)、推薦状2通、大学進学適性試験(SAT)、そして面接が選抜の要件。とても手の込んだ入試制度だ。その理念は多様な社会のリーダーを育てるということだ。「新たな知識の扉を開き、その知見を学生と共有し、学生の知性・人間性いずれにおいても最大限の可能性を引き出し、やがて学生をして社会に貢献する」(The Mission of Harvard Collegeより訳)。社会へ貢献は多様だ。だから、多様な人材をそろえる、大学の使命として理にかなっている。

  アメリカの入試制度は日本のような点数主義のエリートを育てるシステムではないが、裏を返せばブローカーが暗躍する土壌がそこにある。依頼者の子供である高校生がスポーツの花形選手だったという虚偽の記録をつくるため、実際に活躍したスポーツ選手の顔をフォトショップですげ替える写真の捏造まで行っている。さらに、大学のコーチを買収して合否選考に便宜を図ってもらう(4月25日付「CNN」Web版)。実に手の込んだ、用意周到な手口だ。写真の真ん中の女優、フェリシティ・ハフマンは1万5000㌦を支払って長女のSATで替え玉を使った疑いでことし3月に訴追されている。

  これらの工作資金を寄付というかたちで受け取るために、ブローカーは教育関連のNPO法人を設立し、そこに振込をさせていた。摘発を受けた際の言い逃れのためだ。冒頭の中国人富豪も「貧しい学生の奨学金に当てる正当な寄付と考えていた」と弁明している。知能犯ではある。 ※写真は「college admissions scandal(大学入学スキャンダル)」を報じる4月27日付「ニューヨークタイムズ」Web版

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