⇒ノウハウ検証

☆ブログの技術⑩

☆ブログの技術⑩

  ブログは続けることに意味がある。そのポイントは毎日のネタ探しをいかに行うかだ。そこで、ちょっと考えればネタは身の回りに転がっている。たとえば、お天気ネタがある。

    テーマ「お天気ネタは身を助ける」  

  お天気ネタのよいところはオリジナルであることだ。全国一律ではなく、同じ日でも東京や北陸や沖縄などでは季節に応じた独特の天気状況というものがある。そして、その天気に沿った生活の話題というものがあるはずだ。

  北陸の場合だと、「雪の季節到来、通勤途中に霰(あられ)が降った」という風景描写がある。それを写真に撮る。ガソリンスタンドではスタッドレスタイヤの交換で順番の列がついていて、ついでスタッドレスタイヤの交換は一本当たり850円ぐらいが金沢市内では相場ではないだろうか、と数字的なものを盛り込む。本来なら自分で取り付けるのだが、家人が「素人(私)が交換するとタイヤが外れるかもしれないので危ない」と信用がなく、ここ10年ほどはプロに任せている、といった余談を織り交ぜる。こういった内容でも十分にネタとして成立するものだ。

   この季節ネタというのは相手が自然現象だけに、写真を撮影する場合に著作権や肖像、プライバシーといったものを心配しなくてよいという利点がある。加えて、天気概況の説明に欠かせない気圧や前線、雨量や風速、予報などは各地の気象台が数時間ごとに発表していて、データは豊富にある。時間の余力があったら季節の歳時記を著した本を読んで参考にすれば、話は十分に展開できるというものだ。文章やデータを抜粋するのであれば、「○○気象台によると」とか「○○社の××歳時記によれば」とかクレジットを入れると文章表現の信頼性にもつながる。

   ついでに言うと、クレジットを入れる場合は出版社や気象台にいちいち断りを入れる必要はない。ブログを市販している訳でもないので、個人の「表現の自由」の範ちゅうなのだ。気兼ねなく使えばよい。

⇒6日(火)・朝   金沢の天気   あめ  

★ブログの技術⑨

★ブログの技術⑨

  ブログを書くことはある意味での精神活動である。相当な意欲やヤル気がないと続けることができない。ところがそれなりの意欲なりを出すと時として勢いが余って、書いてはならないことをつい書いてしまいトラブルになったりする。

    テーマ「ブログと会社、私と公のタブー」

  私の知人で、会社(通信系)の上司にブログのことで睨まれ、ブログを閉鎖した人がいる。彼は交遊録を本人も相手も匿名で書いていたのだが、社名とスナップ写真を入れていた。彼のブログは社内で評判となり、上司の目に止まった。上司は、プライベイトとは言え交遊録の中に同業他社の社員が複数いたことが気になったようだ。上司はプライバシーの点で問題があると彼を追及したのだった。「他人のプライバシーを守れない社員は会社として問題視する」と。確かに、本人も相手も匿名であったものの、社名とスナップ写真(夜の飲み会など)でだいたい人物が特定できた。

  これとはケースは若干異なるが、会社の上司から注意を受けブログを閉鎖した別の友人もいる。ブログと会社とのかかわりでトラブルになっているケースは案外と多いのではないか、と私は推測している。

     会社サイドに立てば、社員のブログは「危ない」と見る。その理由は▽業務上で知りえた情報や取引先、新商品プランなどについて社員が守秘義務を守るのか不安▽職場のパソコンでブログを書くのは公私混同、社員が使っていないと主張しても、頻繁にアップロードされていると「少しぐらいは使っているのではないか」という疑念▽社員が著作権やプライバシー、誹謗中傷などで別の企業から訴えられた場合、時にして社名がマスコミに出るのではないかとの心配-などである。社員にはブログを書いてほしくない、というのが会社(経営者)の本音だろう。

  確かに、米マイクロソフト社内にアップル社製のパソコンが運び込まれるのを写真に撮ってブログに掲載した社員が解雇されたとのニュースが話題となった。日本では解雇という事例はまだ聞いたことがないものの、ケースによってはそれも今後ありうる話だ。

  好事魔多し、である。アクセスIP(訪問者)数がぐんぐんと増えてきたりすると、つい勢いに乗って、「ばれたら困るが、これを書けばアクセスがもっと増えるかもしれない」との誘惑にかられることはままある。これが危ない。ブログに冒険心はない。自らタブーとして戒めよう。自己責任を自ら言い聞かせるという意味で、実名でブログを書くということも一つの手である。

  ただし、ブログがきっかけで内部告発を決意したら、堂々と名乗り、マスコミに記者会見するくらいの腹をくくらなければならない。

 ⇒3日(土)午前・金沢の天気   あめ

☆ブログの技術⑧

☆ブログの技術⑧

  「ブログを書いている」と知人に話すと、「毎日書くのか」とよく問われる。そんなときは「ブログは続けることで意味がある」としか答えられない。では、どのような間隔で続けるのかということになる。つまり、毎日なのか、毎日ではないにしろ定期的なのか、たまにの不定期でよいのか、月何回くらいか-など。結論から言えば、「決まりなどない。自由に書けばよい」のである。

     テー「ブログは毎日書くのか」

   日記には「三日坊主」という言葉が連想されるくらい、続けるのは難しいと相場は決まっている。小さいころから50歳を過ぎた今でも日記を書いているという人が稀にいる。そんな尊敬に値する私の知人の場合、仕事のことはほとんど書かず、子どもの成長や身の回りのこと、庭や通勤路の草花など「生活日記」風である。仕事と言えば、「出張先で訪れた街の感想や職場の仲間の慶弔ぐらい」と。寝る前の歯磨きの前に書くことを習慣づけているそうだ。

   日記は公開される前提で書いているわけではないので、おそらく彼の日記にはプライバシーのことが「満載」されているのだろう。公開を前提としない日記では書こうと思えばネタは豊富にあるのだ。ところが、ブログのように公開を前提とすると、仮に匿名であったとしてもテーマは制約される。実名だとさらにネタの範囲は狭まる。途中まで書いて、「誰それに見られたらヤバイな」と思ってしまうと書けないものだ。日記帳では書けても、ブログでは書けない場合もある-と割り切る必要がある。

  私の場合、ことし4月28日に「自在コラム」を立ち上げて、11月30日までで163本のブログを書いた。163本÷217日=0.751、つまりブログ(を書く)率75%である。当初は張り切って一日2本書いたこともある。ペースとすれば自分で言うのもおかしいが、「とても優秀」だと思う。何しろ、総務省は2005年3月末時点の国内ブログ利用者数は延べ約335万人、アクティブブログ利用者(ブログ利用者のうち、少なくとも月に1度はブログを更新しているユーザ)数は約95万人と発表している。総務省の定義では、月1回書けば「アクティブブログ利用者」なのだ。

   パーフェクトを目指したい人はどうぞ、月1回でもアクティブなのだ。統計ではアクティブでないブログは全体の3分の2以上もある。そのように考えれば、書く方は随分と楽になるはずだ。

 ⇒2日(金)朝・金沢の天気  あめ

★ブログの技術⑦

★ブログの技術⑦

  一度書いた記事は何度でも生かそう、これが今回のテーマだ。記事というのはある意味で造形のようにブラッシュ・アップし、使い回し、そして作り変えていくことが可能だ。

             テーマ「記事をリフォームする」 

  以下の記事はテーマが一つなのに見出しはまったく違い、記事と写真は少しずつ違う。「軒下にダイコンつるして 冬が来る」を先に書き、翌日、これに縄文遺跡をネタと合わせて「DNAの騒ぎ」とした。ダイコンは風景描写として、DNAは心象風景を描いた。少々強引な手法かもしれないが、「作り変えブログ」なのである。これは2つのブログサイトを掛け持ちしたからできたことだ。

   同じサイトだと、少々手の込んだ作り変えが必要だ。「続々・ブログ選挙」「『ネット選挙』の読み方」は、インターネットの選挙利用がテーマながら、切り口を違わせた。前者をニュース解説風にストレートに取り上げ、後者はコラム風に斜めから切り込んだ。一度書いた記事を切り口を変えて何度でもリメイクすることもできる。また、自身の理解度も深まる。

   写真についても同じことが言える。同じ建物だが昼と夜の撮影でこれだけ違うのである。心象によってはまったく別物に見えたとしても不思議ではない。この建物は金沢大学の創立五十周年記念館「角間の里」。白山ろくの旧・白峰村にあった築280年の古民家である。何度もリフォームを繰り返し、その度に建物としての機能や建築美に磨きをかけてきた。

  記事にしても建物にしても、つまりソフトにしてもハードにしても手を入れることで命を吹き返すのである。

⇒29日(火)・朝  金沢の天気      あめ

☆ブログの技術⑥

☆ブログの技術⑥

  ブログはメディアか否か、という論議がある。27年間、マスメディアに身を置いてきた私の判断では否である。ただし、極めて少数だが個人ジャーナリズムと言おうか、身銭を切って総選挙(9月)の現場をリポートしたり、自民党など各政党に取材を申し込み、政策を問うなどして、記事をブログにアップしている人がいる。応援したい気分になる。    

    テーマ「メディア化するブロガー像」

  私がブログはメディアにはなりえないと判断するのは、ブログでは客観的な事実関係の裏づけができない、と思うからだ。理由は簡単である、事実の裏づけ作業は複数でしなければならない。1人だとどうしても独断になってしまう。フリーのジャーナリストにしても原稿を出版社やマスコミに持ち込む場合、編集デスクの手を通る。ノーチェックでそのまま掲載することは稀だろう。

   ただし、ブログはブロガーをメディア化する、と思っている。説明しよう。ブログに目覚めた人はカメラを手放さないだろうし、ちょっとした思い付きでもネタ帳にメモをする癖ができているはずだ。「ブログの技術①」でも紹介したように新聞の切り抜きも日常になっていると思う。そして、職場や同好のサークルで聞き耳を立てて面白そうな話を探しているに違いない。逆にこのくらいのことをしないとブログは書けないし、続かないのだ。実は言うと、このような所作はマスメディアの記者たちが日常行っていることなのだ。熱心なブロガーは知らず知らずのうちにマスメディアの記者たちと同じベクトル上を歩いている。

  ことし9月14日に最高裁が判断した「在外選挙権訴訟」の違憲判決を受けて、インターネットの選挙利用が解禁になる見通しだ。早ければ来年の通常国会にも公選法改正案が議員立法で提出される。07年夏の参院選は「ネット選挙」あるいは「ブログ選挙」となることを視野に入れていた方がよい。2003年、日本にブログサイトが立ち上がって4年後である。この頃になれば、熟練し、高度にメディア化したブログの猛者たちが数多く存在していることだろう。こうしたブロガーたちが政治に対しても発言し、投票行動を大きく左右するようになって初めて「ブログはメディアになった」と新聞やテレビで評価を得るのかもしれない。

⇒28日(月)朝・金沢の天気   くもり          

☆ブログの技術⑤

☆ブログの技術⑤

  文中に貼り付けた写真画像の横に文が流れると随分とすっきりする。ワード文章でそれをするには、画像を貼り付け、右クリックで「図の書式設定」、次いで「レイアウト」、その中から折り返しの種類と配置を選べば簡単に写真の横に文章が流れてくれる。サイト「gooブログ」でこの作業を行うには、編集画面の「画像を選択」をクリックして、予め登録しておいた画像を選択すると、画像の位置とサイズが固定されて貼り付く仕組みだ。ところが、文中に自由な大きさで気に入った位置で、しかも画像の横に文章を流すというマニュアル説明が十分ではない。

    テーマ「画像の回り込み」

  そこで、「自在コラム」ではちょっと工夫をした。画像の横に文章を流す方法はいろいろあると思うが、以下は「自在コラム」流である。ちなみに左の画像は私が金沢で一番うまいと信じてやまないある寿司屋の「さば寿し」である。

  まず、TEXTエディターで文章を作成する。次いで画像フォルダから予め登録しておいた画像の上を右クリック、画像のURLを表示させて、それをコピーする。文章画面に戻り、画像を入れたいところに、カーソルを合わせクリック、次いでイメージ挿入の「IMG」をクリック、「スクリプト プロンプト」のウィンドーにURLを貼り付けダブルクリックすると、画像貼り付けのスクリプトが挿入される。

  しかし、この作業では文章は横に流れない。で、どうするか。スクリプトはこうなっている(…は途中略)。

 <a href=”http://”><imgsrc=”http…….jpg”></a>

  このスクリプトのjpg”以下に画像の左の回り込みを指示するstyle=”float:left; margin:5px;”を挿入する。5pxは画像と文字の間隔を空けるスクリプトなので数字を変えることができる。回り込みのスクリプトはこうなる。

 <a href=”http://”><imgsrc=”http…….jpg”style=”float:left; margin:5px;”></a>

   この作業を終えたら一度「投稿」(下書きのまま保存)して、今度はHTMLエディターを開く。すると、TEXTエディターではスクリプト部分が実際の画像となって表れる。画像の上を左クリックすると伸縮の操作ができる。携帯電話カメラ(1メガ)で撮ったさば寿しでも、画像を縮小すればそれなりに見える。

  ちなみに、この画像のように青縁を除く場合は、スクリプトの頭の<a href=”http://”>を取ればよい。これも随分とすっきりとする。

⇒26日(土)朝・金沢の天気   くもり 

★ブログの技術④

★ブログの技術④

  ブログの語源は公開を前提として日誌を書くので、「Web」と「Log」(日誌)を一語にして「weblog」(ウェブログ)、略して「blog」(ブログ)となったというのが定説だ。ところが同じブログでも、日々の身の回りの出来事や交遊録を綴った日記風や、本ページ「自在コラム」のように時事問題やニュース、日常の出来事に感想や意見を盛り込み一話を完結させるコラム風などスタイルは様々である。

     テーマ「日記風かコラム風か」 

ブログの発祥地はアメリカと言われる。2003年のイラク戦争の時には現地から更新されるブログが話題となってその知名度が大きく上がった。2004年の米大統領選挙では民主党陣営が草の根的にブログを使い広がった。ブロガーは本名記載、コメントも本名投稿が原則である。これに対し、日本では「2ちゃんねる」に代表される掲示板というインターネット文化がブログ以前からあり、文章も一話完結ではなく、「日々綴る」風の日記形式が多い。そして、書き手は匿名あるいはハンドルネームが主流だ。大雑把に言えば、日本は匿名・日記風、アメリカは本名・コラム風と対比できるかもしれない。

   では、どんなスタイルを自分は選択したらよいのか、これは本人次第だ。もちろん交互にどちらのスタイルを取るもの自由なのだが、文章の形式というのはどうしてもパターン化してしまい、昨日は日記風(口語)、きょうはコラム風(文語)というふうに使いこなすのは結構難しい。

   どのスタイルであれ基準は一つだ。どちらが自分にとって持続可能か、だ。基本的に日誌なので続けなければ、「三日坊主」では意味がない。このように選択を迫られると、多くの人は「コラム風は文章が長く漢字も苦手だから、日記風の方が気軽に書けて楽かもしれない」と判断するだろう。ところが、これは逆である。日常生活はそれこそパターン化されていて、よほど活発に動かない限り書くネタはすぐ尽きてしまう。それに比べ、コラム風はネタが外にある。日々動く政治、経済、社会のニュースに独自の情報や見解をつけて文章をつくり上げるほうが楽なのである。

   いわば「ネタのマーケット」を日常で求めるか、社会で求めるか、である。面白い事例がある。それまで日記風に書いていたブロガー(私の知人)が8月の「小泉解散」、9月の総選挙をきっかけに政治ネタを書くようになった。それ以降、コラム風のブログに目覚めた彼の文章は切れ味がシャープになり、鮮度が格段によくなった。

⇒24日(木)午前・金沢の天気  くもり

☆ブログの技術③

☆ブログの技術③

  新聞でも記事ばかりだと紙面全体のアクセントがなくなる。見た目で読む気がしなくなる。同じことがブログでも言える。テキストのみで構成されたブログはどこか味気ない。カット(小さい挿絵)や写真を入れて画面構成にアクセントをつけることはアクセス者(訪問者)を読む気にさせるという意味で大切なことである。

      テーマ「写真、カットの使用法」

   カットや写真がテキストの中身とマッチしていればなおよい。が、その場の雰囲気に合っていれば、必ずしもテキストの中身と関連した意味合いがなくてもよい場合もある。要は、趣(おもむき)を添える「あしらい」なのだから文面との意味づけをこだわる必要はない。

  写真は金沢大学角間キャンパスの回廊から見た紅葉である(22日撮影)。季節の写真が一枚あるだけで、文面にアクセントがつく。この写真についての感想は訪問者にお任せする。

  ところで、手元に写真はないが、どうしても文面に即した写真やカットが欲しいというときがある。この場合、インターネット中のフリー素材を探す。非営利目的であるならば自由に使用してよい(著作権フリー)との条件がついたものだ。「自在コラム」では、政治やマスメディアのことを取り上げるので国会議事堂やマスコミの東京本社の外観、あるいは内閣が広報として出している写真を重宝している。カットはマイクロ・ソフトの膨大なクリップアートの中から選んでいる。

  注意したいのは、自分で撮影した写真だからと言って、自由にブログで使ってよいかというとこれはNG(ノー・グッド=使えない)である。俳優や歌手には著作権、一般の人であっても肖像権が相手方にある。芸術作品の大写しは著作権の問題にひっかかる。また、特定の新聞記事の見出しなどをそのまま撮影して掲載することも著作権がありできない。この場合、何紙か並べて「○○事件を報じる各紙」といったふうに新聞を特定しないように工夫したい。また、友人の絵画だからといって、許可なく使用することも避けたい。

  使えるか、使えないかで迷った写真はまず使わないことだ。代替で使った著作権フリーのイメージカットの方がむしろ文意とマッチして意味深あるいは哲学的であったりする。

⇒23日(水)朝・金沢の天気  はれ   

★ブログの技術②

★ブログの技術②

  無料ブログのサービスが日本で始まって丸2年、ことし9月現在で総務省が調べたブログの利用登録数は473万人にもなっている。一方、不特定多数に制限をかけ、会員による招待を参加条件とした交流サイトSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)も399万人にのぼっている。SNSの日本での草分けとなったのは「MIXI(ミクシィ)」で2004年3月に開設された。

     テーマ「ブログサイトの選び方」

  ブログにしろ、SNSにしろ無料のサービスが多い。では、同じ無料という条件のなのに、あまたあるブログのサイトの中から、私の場合なぜ「goo」のサイトを選んだのか、である。確かにライブドアは2003年12月にブログサイトを開設した「老舗」である。その老舗を選ばなかった理由は…。

   実は、前回述べた秋田の友人Y・M氏から影響を受けて、ブログに手を染めることになったのだが、彼はライブドアのサイトを利用していた。そのブログが私には眩(まば)ゆいくらいに羨ましく感じられた。が、一点だけ気に入らないことがあった。彼のブログ(いまは故あって閉鎖)の右だったか左だったかのサイドにライブドアが運営する出会い系サイトのバナーが貼ってあった。出会い系サイトのバナーを貼ったのはY・M氏ではもちろんない。ブログサイトの運営者であるライブドアの裁量による。「無料で使わせてあげるから、君のブログには広告を貼らせてもらうよ」ということだ。しかも、そのバナーはギャルが微笑む「いかにも」といったデザインで、友人の書くブログの内容と随分と違和感を感じたものだ。

   私の場合、ブログはコラム風の「堅め」の内容を当初から思い描いていたので、出会い系のバナーが貼られそうなサイトは避けた。そんな基準から、最終的にNTT系の「goo」を選んだというわけだ。もし、このサイトがその手のバナーを貼り始めたらさっさと撤収しようと思っている。 150編にもなっているブログを引っ越すとなるとそれはそれで大変なのだが…。

⇒22日(火)午前・金沢の天気   くもり時々あめ

☆ブログの技術①

☆ブログの技術①

  ブログ「自在コラム」をスタートさせて8カ月になる。アクセスIP数(訪問者数)を気にするわけではないが、これまで積算で8000カウントになっている。アクセスカウントのことよりむしろ、ブログという概念が思考や生活に定着し始め、いろいろなことが変化したことに気づかされることがままある。中には、ブログをめぐる思考術や生活術といったノウハウ化したものもある。折に触れて、そうしたノウハウをまとめてみたい。

        テーマ「ネタを集める方法」 

  もともとブログを始めたのは秋田市に住む友人Y・M氏の影響だ。ブログそのものは2003年12月にニフティとライブドアが無料ブログのサービスを開始してから、気にはなっていた。Y・M氏のメールの署名にブログのURLが付けてあり、クリックするとアート展の話題や美術館めぐりの感想、交遊録などが綴られ、そのうちに「アクセスIP数6000突破!」などと、いかにも本来のブログ(日記風)を楽しんでいるといった様子が目に浮かんだ。彼も私ももともとライターを生業(なりわい)としていた時期があって、書くことの楽しさというものを感覚と共有している。有り体に言えば、彼がちょっと羨ましくなったのである。

   同じころ金沢大学での就職が決まり、心機一転で何か新しいことを始めたいという思いがあった。ブログをそんなタイミングでスタートさせた。ことし4月28日が記念すべきその日である。

  生活習慣で変わったことと言えば、新聞の切り抜きをするようになったこと。なぜ切り抜きかと言うと、ブログのネタ帳をつくるためだ。新聞を読んでいて、ブログを書くヒントのようなものがあると切り抜き、スクラップをしておく。糊(のり)付けのスクラップではなく、ビニールに記事を挟み込むクリアファイルの方が便利だ。「100円ショップ」のダイソーでは一冊60ポケット(A4版)、つまり60枚で100円(税込み105円)で売っている。新聞一面の大きさでも折りたためば1ポケットに入る。1ポケット1記事がちょうどいい。

  新聞記事というのは不思議なもので、自分が書きたいと意識した記事ほど目に留まる。逆に言えば、何気なく新聞を読んでいても自分なりのテーマ設定がなければ脳裏に焼きつかないということだろう。その意味で、切り抜きを始めて、新聞の読み方が変わったと言ってもいいだろう。ブログの相乗効果(シナジー)かもしれない。

   生活の動線が変われば習慣が代わる。習慣が変われば日常が変わる。日常が変われば思考が変わる。思考が変われば生き方が変わる。要は、ブログというものを前向きに考えればいいのである。

⇒ 21日(月)午前・金沢の天気   はれ