⇒ノウハウ検証

☆ブログの技術⑯

☆ブログの技術⑯

  前回のテーマ「タイトルはブログの羅針盤」に引き続き、タイトルをどうひねり出すか、考えてみよう。タイトルが決まれば、ブログの本文は流れるように書けるかのごとく記したが、実際のところ、本文はそこそこ書けたのに、タイトルがいつまでもしっくりこないということもままある。

        テーマ「タイトルをひねる」

  タイトルで一番オーソドックスなのはキーワードの配列だ。いくつかのキーワードをゴロよく流す工夫をする。12月15日付の「自在コラム」のタイトルは「寒波一服 ドカ雪の朝」である。大雪の翌朝、久々に晴れ上がり、写真が存分に撮れた日だった。「ドカ雪」とすることで何か大変なことになっているという印象を持たせる。また、真ん中に「ド」の濁音を持ってくることで言葉のリズムにアクセントがつき、流れがよくなる。これを「大雪」とすると平板な流れとなる。比べてほしい。

   問題は、キ-ワードも浮かばないときはどうするかである。そんな場合はキーワードを創作するしかない。12月20日付の「岩城宏之氏の『運命の輪』」はその一つ。私なりにこだわってつけたタイトルだ。文字を解析しよう。「運命」はベート-ベンの代表作、交響曲第5番「運命」のこと。ベートーベンの連続演奏に「ステージで倒れてもいい」と命をはっている岩城氏の姿をだぶらせたのが「運命」の2文字だ。その演奏に多くのソリストたちがかかわり、そして自分もインターネットを通じてかかわっているので「輪」の字を入れた。何を隠そう、この「運命の輪」はタレントのタモリが出演する番組でよく使う「友達の輪」をもじったものだ。

   キーワードを一つに絞り、それをさまざまに展開することもある。ことし8月の衆院解散前、小泉総理に説得を試みて失敗した森喜朗前総理が苦虫をつぶしながら「かびたチーズ」と称した高級チーズ「ミモレット」は余りにも有名になった。これを「『ミモレットの誤解』と選挙」(8月25日付)、「『ミモレットの和解』と計略」(8月26日付)、「『ミモレットの約束』と同調」(8月27日付)と3本立てにした。シリーズ化しても尽きない選挙ネタだったのである。

   「自在コラム」では、シリーズ化する場合に「続」「続々」のトッピングを用いる場合がある。これで2本立て、3本立てにする。せっかくつけたタイトルを長く生かす工夫である。

   最大13文字と決めて、あれこれと俳句のようにひねり出す。ただし、カタカナは半角にするので少々文字数が増えてもよいことに自分なりにルールを作っている。ブログ本文は書けたが、タイトルがしっくりこないため何度も書き換えることもある。あれやこれやとそれも楽しいものだ。

 ⇒26日(月)朝・金沢の天気   くもり

★ブログの技術⑮

★ブログの技術⑮

  日々のブログを書くとき悩むのがタイトルだ。このタイトルが決まらないことにはなかなか先へ進まないものだ。「goo」で言えば、「ジャンル」⇒「カテゴリー」⇒「本文」が埋まりにくい。今回はタイトル、すなわち見出しについて述べる。

       テーマ「タイトルはブログの羅針盤」

  ブログのタイトルは通常、向かって右、あるいは左の縦の列の「RECENT ENTRY」でラインナップされる。横文字で表記で、「goo」の場合だと文字数は全角14文字分である。つまり、15文字だと下に1文字落ちて2行にわたってしまう。私にはこれが何となくだらしなく、野放図なように感じられ、タイトルは一行で納まるように工夫している。従って、私の場合は★か☆を入れて14字なので、全角で13字である。もちろんタイトルは2行分と決めて、28字での表記でもよい。要は、日々のブログの核心を表現する部分なので、自らの考えを整然と表記するよう心がけたい。上記のように言うとなんだか「ブログ道」のように精神が入ってくるのだが…。

   タイトル冒頭の★や☆は、ブログの出来、不出来を示すものではなく、タイトルの「始まり」を表記している。交互に★☆とするのはさらにその区分を分かりやすくするためだ。

  冒頭で「タイトル、すなわち見出し」と述べた。新聞社の編集部では、「見出しの立つ原稿」「見出しの立たない原稿」という言い方をする。紙面を構成し、見出しを立てる編集マン(整理記者)が原稿を読み、その感想を言うときに使う言葉だ。原稿で言いたいことがきっちりとキーワードとして表現されていれば「見出しの立つ原稿」なのである。だから、デスクなどは新人記者に「まず自分で何を書きたいのか見出しを考えて原稿を書け」「見出しは原稿のエキスだ」などと教える。

   私の場合、タイトル(見出し)はブログの羅針盤だと自分に言い聞かせている。内容がぶれないように、タイトルには集中する。逆に納得いくタイトルが決まればブログ本文もスムーズに書けるものだ。では、どのように集中するのか。この仕掛けが実は、タイトル字数を決めるということなのだ。「自在コラム」は13字でブログのエキスを表現する。俳句は17文字、新聞のメインの主見出しは9文字である。制限された字数で全体を言い切る。このことに集中すればおのずと内容も締まったものになる。ストーリー展開もおおむね決まってくる。

   ブログ初心者はこのことに心がけるだけでも随分とブログが上達するはずだ。まずタイトルに集中するという「癖」が身につけばしめたものだ。

 ⇒25日(日)朝・金沢の天気   くもりのちはれ   

☆ブログの技術⑭

☆ブログの技術⑭

  この3週間(11月27日-12月17日)で「自在コラム」へのアクセスIP(訪問者)数は1300を超えた。コラムという、どちらかと言えば地味なページにようこそとお礼を言いたい。ただ、われわれは何のためにブログを書くのかという問いを自らしなければならない。いくら訪問者が増えたとしても、この問いがないと長続きしないからだ。

         テーマ「何のために書くのか」

  私が所属する金沢大学のブログ仲間との最近の会話はこうだ。「写真撮れた?」「青空だったから雪景色がきれいだったね」「そう雪には青空が一番」…といった感じだ。ブログ用の写真が撮れたかどうか、情報を交換しているのである。また、「撮ろうとしたら電池がなくなっていてね、残念…」「じゃ、一枚あげようか」といった互助的な話し合いもする。私の場合、ブログがコミュニケーションの一つのテーマとなっている。

   アクセスIP数が増えることはうれしいことだが、減っても別段落ち込むことはない。私の場合、この世に生きた証(あかし)としてブログを書いているような気がする。ビジュアルな視点や自分の考えをインターネットの大海原に投げ込んでおきたい。そして誰かがたまに沈没船の引き揚げようにサルベージしてくれて、「こんなこと書いたヤツがいたのか」と感想のひと言もあればそれでよい。

  ブログ仲間とこんな話をしたことがある。「墓守のため永代供養をお寺にすることがあるが、死後にネット上でブログを50年間保存してくれる信託会社があれば、永代供養のお金をその会社に回してもいい」と。ちなみに金沢での永代供養の相場は300万円とか。とすると年間で6万円、月5千円である。ちょっと高い気もするが、そのうち欧米系の銀行が「ブログ・トラスト業務」を始めるだろう。

   特にアメリカでは実名で政治を評論をしている玄人はだしのブロガーの猛者たちがごまんといる。命をかけたブログ評論であろう。また、人生をかけてつくり上げたブログは自伝あるいは遺言と同じ意味を持つ。そんな気持ちで日々ブログと向き合って人は世界中に数え切れないほどいる。そのような人たちのためのブログ・トラスト、なかなかよいアイデアではないだろうか…。

⇒19日(月)朝・金沢の天気   ゆき           

☆ブログの技術⑬

☆ブログの技術⑬

  動画を試みる。これまで「自在コラム」以外の自らのブログでムービ-を掲載したことが何度かある。自分なりに満足だが、見る人にとってどうだろう。制作者と視聴者の意識のギャップが大きく開くのがこの動画である。

       テーマ「ムービー掲載の見極め」

   冒頭の動画は金沢市内で雪が降る様子を撮影したもの(12日)。27秒のムービーだ。「goo」のブログサイトでは動画のデータ容量は240kが上限である。ちなみに241kの動画をアップロードしようとしたが、弾かれてしまった。「堅いことを言うなよ」とブツブツ言いながらムービーを編集し、240k以内に収めた。拡張子はAMC, 3GP, 3GP2のみ。カメラは携帯電話カメラ(ボーダフォン、J-SH53)のモーションカメラ(MPEG)モードで撮影した。

  撮影したファイルは携帯電話のSDカードにデータが保存される。これをブログの画像フォルダに取り込み、アップロードする。

    続いて、 この動画をご覧いただきたい。金沢大学「角間の里山自然学校」が運営しているブログサイトである。このムービーは「i2(アイ・ツー)モーション」と言って、動画再生ソフトを使用しない、JAVA技術を使ったPlayerだ。ウインドーズ、マック、リナックスで再生可能で、その上、映像フィアイルのダウンロードやユーザーのマシンにキャッシュされることがないため、肖像権や著作権の保護ができるという特徴を持つ。 この技術を提供しているのは金沢市のITベンチャー「i2(アイ・ツー)」だ。この場合、サーバー上の設定が必要だ。参考まで。

  結論を急ごう。では、何を動画にして、何を画像にするかである。本来、画像では表現できない動きのある映像を掲載すべきである。この意味では、動きの感じられない今回の雪の降る映像は「不可」、つまり一枚の降雪の写真があれば済む話だ。

  また、「goo」の場合、先ほども述べたように最大で240kもの容量を食うことになる。1枚の画像で表現できるのあれば、それを圧縮すれば30kほどで済む。さらに動画はどうしても画質が粗い。数十秒程度ならよいが、延々と続くものは見たくないものだ。動画を掲載する場合、意義のある動きが存在するのか、その見極めをまず優先したい。

⇒13日(火)朝・金沢の天気   くもり

★ブログの技術⑫

★ブログの技術⑫

   シリーズ「ブログの技術」では身近なテーマをいかにブログ化していくかという点にこだわって解説している。実はこのシリーズを始めてアクセスIP数(訪問者数)が徐々に増えている。ブログを始めたものの、書き方がよく分からないというユーザーも多いのではないかと思う。そこで今回は身近なテーマの決定版である「食」を取り上げる。

       テーマ「食に食文化の味付け」

  ブログではラーメンの食べ歩きの感想や、どこそこのコンビニ弁当がうまい-などといった記述が多い。食は身近な、というより毎日2回から3回は接している日常である。これをブログ化するというのは簡単そうで実は難しい。難しいというよりネタがすぐ尽きてしまう。ただ、以下の点に心がければブログとしての広がりができる。

   <記述例・1>冬の金沢名物の一つが「だいこん鮨」である。取り寄せたものをお気に入りの器に盛り付けた。もちろんブログ用の写真を撮るため。携帯電話のカメラ(1メガピクセル)でも彩りがよければそこそこに映る。だいこん鮨は冬のダイコンに乾燥ニシンをのせ重石で加減しながら塩、麹(こうじ)を入れて漬け込んだ庶民の味だ。シャッキとくる歯触りがいい。日本酒に実に合う…。

   上記の表現だったらグルメ調だが、これに以下の食文化の味付けをしてみたい。

   <記述例・2>金沢の冬を代表する味覚の横綱が「かぶら鮨」ならば、さしずめ大関は「だいこん鮨」と言ったところか。だいこん鮨が大関なのはともに漬ける魚がニシン、横綱のかぶら鮨は出世魚のブリだから。ニシンは北陸で獲れる魚ではない。江戸時代に日本海を行き来した北前船によって北海道から運ばれた食材だ。 ところでこの時節、近所のあいさつは「上手く漬からんね」とか「もっと寒ならんとだめやね」と言った、だいこん鮨やかぶら鮨の漬かり具合が母親たちの会話となる。それほどに庶民の味なのだ…。

   「文化の味付け」はもったいぶったものではない。ちょっとした歴史的な文言や、人々の生活とのかかわりを記述するだけでも、広がりができる。歴史は縦の、生活は横の広がりである。つまり、話をいかに膨らませるか、という技術なのだ。記述例の1と2をつなぐとコラム風になる。

⇒9日(金)朝・金沢の天気   くもり  

★ブログの技術⑪

★ブログの技術⑪

  ブログにはオリジナルな価値がなければ意味がない。たとえば、時事問題で他のブロガーが書いているのと同じ意見や感想をいくら書いても、その存在感は薄いのではないだろうか。そこで人と違った意見を述べるトレーニングを兼ねて、書評を書くことをお勧めする。

      テーマ「書評を書こう」

   書評は日曜日付の新聞紙面で書評欄が掲載されている。よほど本を読み込んで、内容を噛んで含んで書評を書いているのだろうと一般読者は思っている。が、むしろ実際に書評に携わった人に聞くと、直感的である。興味ある一文から自分なりの意見や感想を述べたりしている。その人は言う。「百人の評者がいれば百の書評ができる」と。

   要は、書評は自分の感想や意見なのである。だから、書評は誰でも書くことができる。学者や評論家の「特権」ではない。そこで「自在コラム」流の書評の技術を紹介する。

ポイント①自分が読みたい本をまず読破する
ポイント②印象に残ったページをチェック(付箋-など)
ポイント③チェックページを読み返し、その感想を書く
ポイント④本全体の読後感を書く
ポイント⑤本のタイトル、著者、出版社は必ず明記する

   文章にもコツがある。感想は自分の意見なのだが、それを全面に出さずに、たとえば「筆者の意図は…であるに違いない」や「…であることは想像に難くない」、「…と考えても不思議ではない」と客観性を持たせた表現を使えば、文章全体に感情の抑えが効き、読みやすくなる。

   著者への敬意を忘れず、感情的な攻撃や文書の「あげ足」を取ることは慎みたい。また、本の中のあるいは本の表紙のイラストや画像は著作権の問題があるので撮らないこと。自分の印象に合う、フリー素材のイラストや画像を選べばよい。書評を何度か繰り返せば、生徒や学生のころ書いた読書感想文と違った味わいが出てくるものだ。

   最後に、書評は短く書くことを心がけたい。余分な形容詞や蛇足を落として文章を締める。せいぜい800-1000字程度だろう。

 ⇒7日(水)朝・金沢の天気   くもり

☆ブログの技術⑩

☆ブログの技術⑩

  ブログは続けることに意味がある。そのポイントは毎日のネタ探しをいかに行うかだ。そこで、ちょっと考えればネタは身の回りに転がっている。たとえば、お天気ネタがある。

    テーマ「お天気ネタは身を助ける」  

  お天気ネタのよいところはオリジナルであることだ。全国一律ではなく、同じ日でも東京や北陸や沖縄などでは季節に応じた独特の天気状況というものがある。そして、その天気に沿った生活の話題というものがあるはずだ。

  北陸の場合だと、「雪の季節到来、通勤途中に霰(あられ)が降った」という風景描写がある。それを写真に撮る。ガソリンスタンドではスタッドレスタイヤの交換で順番の列がついていて、ついでスタッドレスタイヤの交換は一本当たり850円ぐらいが金沢市内では相場ではないだろうか、と数字的なものを盛り込む。本来なら自分で取り付けるのだが、家人が「素人(私)が交換するとタイヤが外れるかもしれないので危ない」と信用がなく、ここ10年ほどはプロに任せている、といった余談を織り交ぜる。こういった内容でも十分にネタとして成立するものだ。

   この季節ネタというのは相手が自然現象だけに、写真を撮影する場合に著作権や肖像、プライバシーといったものを心配しなくてよいという利点がある。加えて、天気概況の説明に欠かせない気圧や前線、雨量や風速、予報などは各地の気象台が数時間ごとに発表していて、データは豊富にある。時間の余力があったら季節の歳時記を著した本を読んで参考にすれば、話は十分に展開できるというものだ。文章やデータを抜粋するのであれば、「○○気象台によると」とか「○○社の××歳時記によれば」とかクレジットを入れると文章表現の信頼性にもつながる。

   ついでに言うと、クレジットを入れる場合は出版社や気象台にいちいち断りを入れる必要はない。ブログを市販している訳でもないので、個人の「表現の自由」の範ちゅうなのだ。気兼ねなく使えばよい。

⇒6日(火)・朝   金沢の天気   あめ  

★ブログの技術⑨

★ブログの技術⑨

  ブログを書くことはある意味での精神活動である。相当な意欲やヤル気がないと続けることができない。ところがそれなりの意欲なりを出すと時として勢いが余って、書いてはならないことをつい書いてしまいトラブルになったりする。

    テーマ「ブログと会社、私と公のタブー」

  私の知人で、会社(通信系)の上司にブログのことで睨まれ、ブログを閉鎖した人がいる。彼は交遊録を本人も相手も匿名で書いていたのだが、社名とスナップ写真を入れていた。彼のブログは社内で評判となり、上司の目に止まった。上司は、プライベイトとは言え交遊録の中に同業他社の社員が複数いたことが気になったようだ。上司はプライバシーの点で問題があると彼を追及したのだった。「他人のプライバシーを守れない社員は会社として問題視する」と。確かに、本人も相手も匿名であったものの、社名とスナップ写真(夜の飲み会など)でだいたい人物が特定できた。

  これとはケースは若干異なるが、会社の上司から注意を受けブログを閉鎖した別の友人もいる。ブログと会社とのかかわりでトラブルになっているケースは案外と多いのではないか、と私は推測している。

     会社サイドに立てば、社員のブログは「危ない」と見る。その理由は▽業務上で知りえた情報や取引先、新商品プランなどについて社員が守秘義務を守るのか不安▽職場のパソコンでブログを書くのは公私混同、社員が使っていないと主張しても、頻繁にアップロードされていると「少しぐらいは使っているのではないか」という疑念▽社員が著作権やプライバシー、誹謗中傷などで別の企業から訴えられた場合、時にして社名がマスコミに出るのではないかとの心配-などである。社員にはブログを書いてほしくない、というのが会社(経営者)の本音だろう。

  確かに、米マイクロソフト社内にアップル社製のパソコンが運び込まれるのを写真に撮ってブログに掲載した社員が解雇されたとのニュースが話題となった。日本では解雇という事例はまだ聞いたことがないものの、ケースによってはそれも今後ありうる話だ。

  好事魔多し、である。アクセスIP(訪問者)数がぐんぐんと増えてきたりすると、つい勢いに乗って、「ばれたら困るが、これを書けばアクセスがもっと増えるかもしれない」との誘惑にかられることはままある。これが危ない。ブログに冒険心はない。自らタブーとして戒めよう。自己責任を自ら言い聞かせるという意味で、実名でブログを書くということも一つの手である。

  ただし、ブログがきっかけで内部告発を決意したら、堂々と名乗り、マスコミに記者会見するくらいの腹をくくらなければならない。

 ⇒3日(土)午前・金沢の天気   あめ

☆ブログの技術⑧

☆ブログの技術⑧

  「ブログを書いている」と知人に話すと、「毎日書くのか」とよく問われる。そんなときは「ブログは続けることで意味がある」としか答えられない。では、どのような間隔で続けるのかということになる。つまり、毎日なのか、毎日ではないにしろ定期的なのか、たまにの不定期でよいのか、月何回くらいか-など。結論から言えば、「決まりなどない。自由に書けばよい」のである。

     テー「ブログは毎日書くのか」

   日記には「三日坊主」という言葉が連想されるくらい、続けるのは難しいと相場は決まっている。小さいころから50歳を過ぎた今でも日記を書いているという人が稀にいる。そんな尊敬に値する私の知人の場合、仕事のことはほとんど書かず、子どもの成長や身の回りのこと、庭や通勤路の草花など「生活日記」風である。仕事と言えば、「出張先で訪れた街の感想や職場の仲間の慶弔ぐらい」と。寝る前の歯磨きの前に書くことを習慣づけているそうだ。

   日記は公開される前提で書いているわけではないので、おそらく彼の日記にはプライバシーのことが「満載」されているのだろう。公開を前提としない日記では書こうと思えばネタは豊富にあるのだ。ところが、ブログのように公開を前提とすると、仮に匿名であったとしてもテーマは制約される。実名だとさらにネタの範囲は狭まる。途中まで書いて、「誰それに見られたらヤバイな」と思ってしまうと書けないものだ。日記帳では書けても、ブログでは書けない場合もある-と割り切る必要がある。

  私の場合、ことし4月28日に「自在コラム」を立ち上げて、11月30日までで163本のブログを書いた。163本÷217日=0.751、つまりブログ(を書く)率75%である。当初は張り切って一日2本書いたこともある。ペースとすれば自分で言うのもおかしいが、「とても優秀」だと思う。何しろ、総務省は2005年3月末時点の国内ブログ利用者数は延べ約335万人、アクティブブログ利用者(ブログ利用者のうち、少なくとも月に1度はブログを更新しているユーザ)数は約95万人と発表している。総務省の定義では、月1回書けば「アクティブブログ利用者」なのだ。

   パーフェクトを目指したい人はどうぞ、月1回でもアクティブなのだ。統計ではアクティブでないブログは全体の3分の2以上もある。そのように考えれば、書く方は随分と楽になるはずだ。

 ⇒2日(金)朝・金沢の天気  あめ

★ブログの技術⑦

★ブログの技術⑦

  一度書いた記事は何度でも生かそう、これが今回のテーマだ。記事というのはある意味で造形のようにブラッシュ・アップし、使い回し、そして作り変えていくことが可能だ。

             テーマ「記事をリフォームする」 

  以下の記事はテーマが一つなのに見出しはまったく違い、記事と写真は少しずつ違う。「軒下にダイコンつるして 冬が来る」を先に書き、翌日、これに縄文遺跡をネタと合わせて「DNAの騒ぎ」とした。ダイコンは風景描写として、DNAは心象風景を描いた。少々強引な手法かもしれないが、「作り変えブログ」なのである。これは2つのブログサイトを掛け持ちしたからできたことだ。

   同じサイトだと、少々手の込んだ作り変えが必要だ。「続々・ブログ選挙」「『ネット選挙』の読み方」は、インターネットの選挙利用がテーマながら、切り口を違わせた。前者をニュース解説風にストレートに取り上げ、後者はコラム風に斜めから切り込んだ。一度書いた記事を切り口を変えて何度でもリメイクすることもできる。また、自身の理解度も深まる。

   写真についても同じことが言える。同じ建物だが昼と夜の撮影でこれだけ違うのである。心象によってはまったく別物に見えたとしても不思議ではない。この建物は金沢大学の創立五十周年記念館「角間の里」。白山ろくの旧・白峰村にあった築280年の古民家である。何度もリフォームを繰り返し、その度に建物としての機能や建築美に磨きをかけてきた。

  記事にしても建物にしても、つまりソフトにしてもハードにしても手を入れることで命を吹き返すのである。

⇒29日(火)・朝  金沢の天気      あめ