⇒ニュース走査

☆続・ 「香港騒乱」の様相

☆続・ 「香港騒乱」の様相

        騒乱状態の香港。アメリカのポンペオ国務長官が、デモ隊と警官隊の激化する衝突について「深刻な懸念」を表明したとメディアが報じている(19日付・共同通信Webニュース)。それによると、ポンペオ氏は香港市民はイギリスからの香港返還(1997年)に際し保障された自由を求めているだけだと指摘し、「中国共産党は約束を守らなければならない」と述べ、香港政府による暴力的対応を支持する中国政府をけん制した。一連の香港発のニュースをチェックしていると、警察によるまるで武力制圧の様相だ。

   香港の騒乱を詳細に報じているイギリスBBCのWebニュース(18日付日本語版)では、警察官が理工大学のキャンパスに入った様子を記者がルポしている。17日午後5時半ごろ、警官隊がキャンパスを制圧しようと攻勢に出た。デモ参加者は、火炎瓶やレンガを投げるなどして抵抗した。双方の衝突が散発的に続き、キャンパス内では火炎瓶による火災が発生した。一部のデモ参加者はキャンパスを出ようとしたが、警官隊の催涙ガスで押し戻した。

   警官隊は17日午後10時を最終期限とし、デモ参加者に降伏を呼びかけ、応じなければ殺傷能力のある武器を使う可能性もあると警告した。すると、多くのデモ参加者は黒い服を脱いでマスクを外し、姿を消した。多くの若者が拘束され、キャンパスには500人以上の若者がとどまっていてる。

   キャンパスに残った若者・学生たちは危険を考慮せず、覚悟を固めているようだという。BBC記者に学生は「もし私が死んだら、私のことを覚えていてほしい」と言った。記者が「そういう事態になると思うか」と聞くと、不安そうに肩をすくめたという。死を覚悟している若者の姿が目に浮かぶ。

   その若者たちを助けようと市民が動いた。けさ19日のNHKニュースによると、警察に包囲され大学にとどまる学生たちを助けようと大勢の市民が大学の周辺に集まった。しかし、警察は強制排除に乗り出し、市民と衝突した。拘束される人が相次いだ。ポンペオ氏が「深刻な懸念」を表明した背景は、保障されたはずの自由がすでに市民から奪われているこの現状に危機感を抱いたのだろう。

⇒19日(火)朝・金沢の天気    くもり

★ 「香港騒乱」の様相

★ 「香港騒乱」の様相

   まさに騒乱の様相だ。香港警察は18日、抗議活動参加者らとのにらみ合いの末、大学に突入したとイギリスBBCのWeb版が伝えている=写真=。150年以上もイギリスの植民地だった香港は、一国二制度の下に中国に返還され、特別行政区となった。表現の自由などの権利も保障されている。デモの発端は、犯罪容疑者の中国本土引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改定案をめぐってだった。

   逃亡犯条例が中国政府と間で成立すれば、中国に批判的な香港の人物がつくられた容疑で中国側に引き渡される。つまり、表現の自由などが脅かされるのではないかとの懸念が香港の学生や市民の間で高まった。10月に改正案は撤回されたものの、香港政府はデモの参加者にマスクの着用を禁止する緊急状況規則条例「覆面禁止法」を制定した。顔を出させることでデモの過激化を抑圧する効果を狙ったものだろう。中国社会では監視カメラによる顔認証システムの普及していて、個人の情報が警察などで蓄積されていることは知られている。これに反対して逆に学生たちが覆面化・仮面化して、抗議活動が過激化する。まさにパラドックス現象となった。

   衝撃的な映像が日本のテレビメディアでも流れた。警察官が交差点で、近づいてきた黒いマスクのデモ参加者に至近距離で発砲し、命中して倒れる様子だ(今月11日付)。この映像はもちろん世界に流れたであろう。冒頭で「騒乱の様相」と述べた。デモ参加者に対する警察側の発砲は、すでに警察では鎮めることが不可能な状態にあることを示すシンボリックな映像ではないかと読む。次なるステージは、軍による介入だろう。そう思案していたところに、別のニュースが流れてきた。香港に駐留する中国の人民解放軍の軍人らが、デモの学生らが路上に設置した障害物を撤去する活動に参加した(16日付・朝日新聞Web版)。軍の駐留部隊が動くのは初めてで、軍隊の存在を示し、デモ隊を牽制する狙いがあるのではないか、と報じられている。

        BBCの記事は生々しい。「Large fires broke out at entrances to the Polytechnic University (PolyU), where protesters hurled petrol bombs and shot arrows from behind barricades.Officers earlier warned they could use live ammunition if protesters did not stop attacking them using such weapons.」(ポリテクニック大学(PolyU)の入り口で大規模な火災が発生し、抗議参加者は警察にガソリン爆弾を投げつけ、バリケードの後ろから矢を放った。警官は以前、抗議者がそのような武器を使用して攻撃するのを止めなかった場合、実弾を使用できると警告していた)。先が読めない、騒乱の様相だ。

⇒18日(月)午前・金沢の天気    はれ

☆「桜を見る会」野党追及が内閣支持率を

☆「桜を見る会」野党追及が内閣支持率を

    この支持率の意味を考えてみた。きのう(15日)の時事通信Webニュースによると、11月の世論調査(8-11日、回収率62.5%)は内閣支持率が前月比で4.3ポイント増えて48.5%、不支持率は3.6ポイント減り29.4%となった。NHKの世論調査(8-10日、回答率58%)は内閣支持率が9月調査より1ポイント減り47%、不支持は2ポイント増え35%だった。経産大臣と法務大臣の閣僚の相次ぐ辞任や、大学入試への英語民間試験の導入見送り、総理主催の公的行事「桜を見る会」の私物化問題など政権側の不手際が相次いでいるにもかかわらず、この内閣支持率の高さは一体なぜなのか。

    その考えるヒントは意外と、きょう朝に視聴した日テレ系番組『ウェークアップ!ぷらす』にあるかもしれない。番組では、桜を見る会が来年は開催中止となることを特集していた。桜を見る会の前日に都内ホテルで開かれた安倍総理の後援会「前夜祭」の夕食会の会費が5千円だったことから、野党側は総理サイドが差額分を負担していたら公職選挙法に抵触することになり、「総理辞職」を念頭に徹底して追及する構え。この件では安倍総理は記者団に「事務所や後援会としての収入、支出は一切ない。金額はホテル側が設定した」と説明している(15日)。

    この一連の国会の動きに、キャスターの辛坊治郎氏が「連日の野党の追及を聞いていると、野党の人たちはバカなんじゃないかと多くの人は思います」と持論を述べていた。この辛坊氏のコメントは総理を擁護するという立場の発言ではなく、関西人の目線だ。「私、関西でメディアやってて不思議なのは、けっこう大騒ぎになってますが、在京のテレビ局にしろ新聞社にしろ全員幹部が毎年参加していて実態知らないはずがない」と辛口だった。これは視聴者と近い感覚かもしれない。視聴者の大多数は有権者でもある。

    有権者の感覚は「そんなこともあるだろう。本人がやりすぎたと反省すればそれで済む話ではないか。来年は中止、それでよい」ではないだろうか。国会で野党が連日追及し、それを大見出しで新聞やテレビメディアが報じていることに、有権者は意外とさめている。そこに、「世論調査です、協力ください」と電話がかかり、「安倍内閣を支持しますか」と問われると、現内閣支持と答え、その理由に「他に適当な人がいない」(時事通信の調査23.0%)の選択肢を取ってしまうのではないか。政党支持率は自民が前月比2.6ポイント増の30.1%でトップ、立憲民主は同2.7ポイント減の3.1%だ。野党頑張れの有権者のエールはこの数字からは読むことができない。

    今月23日に失効が迫っている日本と韓国のGSOMIA(軍事情報包括保護協定)について与野党のまともな論戦を見たことがない。野党は倒閣ありきの追及ではなく、国際問題や国内問題で政権と論戦を交わしてほしい。

⇒16日(土)午後・金沢の天気    くもり時々あめ

★NHKの同時配信の意義はどこに

★NHKの同時配信の意義はどこに

   NHKが民放に先駆けて進めている番組のインターネット同時配信について、待ったがかかった。高市総務大臣が閣議後の記者会見(11月8日)で、NHKが同時配信の認可を総務省に申請していることに関して、コストが適正かどうかなど懸念を述べ、NHKの肥大化につながる恐れがあるとの考えを示した、と報じられている。

     NHKの同時配信はことし5月29日に改正放送法が参院本会議で可決成立したことを受けてのことだ。同時配信の時代が日本にも遅ればせながらやってくる、と期待している。遅ればせというのは、同時配信はイギリスの公共放送BBCは2008年から、そのほかアメリカやフランスなど欧米では当たり前のように行われているからだ。PCやスマホがあればリアルアイムで世界のニュースを視聴できる時代なのだ。

   それになぜ待ったがかかったのか。NHKは総務大臣の認可を経て2019年度中の開始を予定しているが、見直しを迫られる事態となった。問題は、NHKが提出した同時配信の実施基準案についてだ。基準案では、同時配信などの基本業務は受信料収入の2.5%を上限とする今の基準を守るとした。一方で、1)東京オリンピック、2)国際放送の配信、3)字幕と手話への対応、4)地方向け放送や民放連との連携の4業務は公益性が高いので別枠扱いにするとした。これに対して、総務省サイドは費用が最大で受信料収入の3.8%に膨らむではないかとクレームをつけたかっこうだ。

   自身の個人的な考えで言えば、総務省サイドの意見に齟齬(そご)はない。NHKは最優先の公益性を災害報道だと位置づけ、同時配信をまずスタートさせることを考えるべきだ。関東を直撃した台風19号(10月12日)では、NHKは情報の量と速さ、ネットワークといった点で、民放を寄せ付けなかった。自然災害は台風と豪雨・洪水だけではない。豪雪、干ばつ、地震、津波、火山噴火、土石流・地滑りなど、日本の災害は多様だ。狂暴化し、広域化する自然災害に向けての同時配信を早く進めてほしい。国際放送の配信や民放との連携など次なるステップでよい。

   国民の命と財産を守るための情報はNHKの本来のミッションのはずだ。災害はいつでもやって来る。繰り返すが、同時配信をそのものを早く進めてほしいそれだけだ。(※写真は、2011年3月11日の東日本大震災で津波で陸に打ち上げられた大型漁船=宮城県気仙沼市)

⇒11日(月)朝・金沢の天気    はれ

☆祝賀御列の儀を安堵のお気持ちで

☆祝賀御列の儀を安堵のお気持ちで

   天皇陛下の即位にともなうパレード、「祝賀御列の儀」がきょう午後3時ごろ、皇居から両陛下がオープンカーに乗り込み始まった。NHKと民放が中継していたので視聴した。この様子を誰よりも喜んで見ていたのは上皇陛下ではないかと察する。この日を思い描いておられたのは上皇陛下なのだから。

   2016年8月8日、テレビで放送された天皇のお言葉(ビデオメッセージ)にじっと聞き入っていた。「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」

   なるほど、天皇はこう考えておられたのだ、ということを知った思いがした。とくに、天皇が国民との関係や距離をどう考え、自らの象徴天皇の役割を担ってこられたのか、改めて感じ入った。

    今でも脳裏に残っているお言葉もある。「天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き・・・」。「殯(もがり)」は、人の死後に本格的に埋葬するまで、遺体を棺(ひつぎ)に納めて安置し、近親者が儀礼を尽くして幽魂を慰める習俗のことを指す。天皇家の殯は亡き天皇の全霊を次の代が引き継ぐ大切な儀式なのだ。しかし、当時天皇が述べられた「重い殯」の意味合いを察した。2ヵ月続く皇室の伝統的な葬送「殯」は、心に重いのだろう。あえて「重い殯」とお言葉にすることで、こうした皇室の伝統的な葬送の在り様も含めて見直したい、とのお気持ちを述べられたのではないかと今も思っている。

    生前に皇位が継承されれば、殯の儀式は重くなくてよい。国民が祝福する中で、パレードが無事執り行われ、国事行為としての「即位の礼」はすべて終わったことになる。あのビデオで発せられたお言葉から3年余り、上皇陛下は安堵のお気持ちではないだろうか。

⇒10日(日)夜・金沢の天気   くもり

★首里城、再建への難題

★首里城、再建への難題

       正殿など全焼した首里城の火災の原因は、報道によると、火元とみられる正殿北側1階部分の焼け跡から分電盤とみられる焦げた電気設備が見つかっている(琉球新報Web版・4日付)。防犯カメラの解析などから、外部侵入による事件性は低いようだ。関連記事で気になるのが、正殿が木造の漆塗りであったことが燃焼速度を速めた要因になった可能性があるとの指摘だ(朝日新聞Web版・10月31日付)。漆塗りのため木造に水が浸透しづらく、消火を妨げた可能性はある、という。

   首里城の特徴は漆塗りを駆使した、いわば「漆の城」である。今後再建に向けた議論の中で漆の特徴を最大限に生かすのか、防災対策として漆の使用を抑制するのか、この点が論議になってくるのではないか。

   2009年5月に首里城=写真・上=を訪れた。正殿入り口の二本の柱「金龍五色之雲」が目に飛び込んでくる。四本足の竜が金箔で描かれ、これが東アジアの王朝のロマンをかきたてる。全体の弁柄(赤漆)はこの二本の柱の文様を強調するために塗られたのではないかと想像してしまう。さらに内部の塗装や色彩も中国建築の影響を随分と受けているのであろう、鮮やかな朱塗りである。国王の御座所=写真・下=の上の額木(がくぎ)には泳ぐ竜が彫刻され金色に耀いている。琉球漆器の職人たちが首里城の塗りと加飾を施し、一つの巨大な作品に仕上げた。ウチナーンチュ(沖縄の人)の誇りをかけた仕事だったことは想像に難くない。

   ユネスコ世界文化遺産「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」(2000年登録)の首里城跡は、4.7㌶におよぶ地下の遺構や、琉球王朝時代の他の城跡などで、今回焼失した正殿などの建造物は世界遺産ではない。その意味で、正殿などの建造物は再建は進めやすいだろう。正殿などは本土復帰20年の記念事業として1989年に着工し、92年に「首里城公園」としてオープンした。事業費は建物だけで73億円かかった。

   再建を進める際に浮上する問題は想像するにいくつかある。国を支援を得て復興資金は工面できたとしても、プロ職人と建築資材が集まるかどうか。92年の首里城復元時には樹齢400年のヒノキが他府県や台湾から集められたが、正殿を造る大木を確保できるだろうか。また、正殿だけで5万枚、全体で22万枚という赤瓦を調達できるだろうか。木造の板壁に塗る弁柄漆は確保できるのだろうか。御座所や周辺の装飾に沈金(ちんきん)など伝統の漆塗り職人の確保はどうか、だ。

   さらに、冒頭で述べた木造の漆塗りと防災の問題だ。まさかと思うが、防災を優先して、この際、正殿を木造から鉄筋コンクリートにするという議論だけにはなってほしくない。玉城知事は記者会見(1日・総理官邸)で本土復帰50年となる2022年5月までに再建計画をまとめると述べたが、ウチナーンチュの誇りをかけた仕事となることを願う。

⇒4日(月・振休)昼・夜金沢の天気     はれ

★「漆の城」首里城 燃ゆ

★「漆の城」首里城 燃ゆ

   北陸に住んでいて、沖縄・那覇市の弁柄(べんがら)の首里城はとても異国情緒にあふれた文化遺産だと、2003年と2009年の2回訪れたときに感じた。「これは巨大な漆器だ」と。それが、昨日(10月31日)未明に出火し、無残な姿になった。復興に向けて沖縄県と国の話し合いも今後進むだろう。ただ、建物だけ再建すれば済む話ではなく、巨大な漆芸術という点で容易くなはない。

    戦前の首里城は正殿などが国宝だった。戦時中、日本軍が首里城の下に地下壕を築いて、司令部を置いたこともあり、1945年(昭和20年)、アメリカの軍艦から砲撃された。さらに戦後に大学施設の建設が進み、当時をしのぶ城壁や建物の基礎がわずかに残っていた。大学の移転とともに1980年代から復元工事が進み、1992年には正殿が復元された。2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではなかった。

    これまでブログで書いた首里城の印象を以下採録する。首里城の正殿に向かうと、入り口の二本の柱「金龍五色之雲」が目に飛び込んでくる。四本足の竜が金箔で描かれ、これが東アジアの王朝のロマンをかきたてる。全体の弁柄はこの二本の柱の文様を強調するために塗られたのではないかと想像してしまう。さらに内部の塗装や色彩も中国建築の影響を随分と受けているのであろう、鮮やかな朱塗りである。国王の御座所の上の額木(がくぎ)には泳ぐ竜が彫刻され金色に耀いている。

  2階の柱には唐草文様が描かれ、どこまでも続く。パンフレットでこれが沈金(ちんきん)だと知って驚いた。石川県能登半島には輪島塗がある。輪島塗の2つの特徴は、椀の縁に布を被せて漆を塗ることで強度が増す「布着せ」と沈金による加飾。沈金は、塗った器に文様を線掘りして、金粉や金箔を埋めていく。この2つは輪島塗のオリジナルだと思っていたが、琉球漆器でも16世紀ごろから用いられた技法だったことは発見だった。

  那覇市内で漆器店のよく看板を見かけた。「漆器・仏具」とセットになっていて、器物と並んで、仏壇や位牌、仏具などが陳列されている。祖先崇拝が伝統的に強い風土に根ざした地場産業だ。ということは、漆塗りの職人が今でもおそらく何百人という単位でいるのだろう。これらの漆工職人を動員して自前で首里城の塗りと加飾を施し、一つの巨大な作品に仕上げた。漆器王国、沖縄の実力ともいえる。

 その首里城を遠望すると、朱塗りの椀に金箔の加飾が施されたようにも見えた。ゴールデンウイークだったせいもあり、首里城には多くの観光客が押し寄せ、まるで、人々を受け入れる巨大な器のようだった。

⇒1日(金)夜・金沢の天気 くもり時々あめ

☆新幹線戻る、その心理効果

☆新幹線戻る、その心理効果

   水に浸かった北陸新幹線のあのショッキングな画像から13日ぶりに安堵を得た気がした。台風19号の影響で長野市内を流れる千曲川の堤防が決壊し、新幹線車両センターが浸水し、電気設備の修繕や復旧のため、長野‐上越妙高間で運転を見合わせていた。それがきのう25日の始発から金沢ー東京間の全線で運転を再開した。首都圏との大動脈がつながるだけで、安心感が漂うので不思議なものだ。

   地元紙をチェックすると、「金沢駅 かがやき戻る」(北國新聞25日付夕刊)、「安堵 北陸新幹線13日ぶり全通」(北陸中日新聞26日付朝刊)などと各紙一面トップで伝えている=写真=。記事も面白い。同日午前8時45分に東京駅始発「かがやき501号」が金沢駅に到着すると、石川県内の温泉どころである和倉、山代、片山津、山中、湯涌の温泉旅館の女将らが法被姿で、改札をくぐってきた利用者に「いらっしゃいませ」と声をかけていたと報じている。行楽シーズンの真っ盛りでの新幹線の不通は、宿泊キャンセルなどで相当に痛みがあったことは想像に難くない。全線再開でひと安心だろう。

   しかし、客足はすぐ戻るだろうか。台風21号の影響で、千葉県など関東では記録的な大雨になり、河川の氾濫や土砂崩れによる家屋の倒壊など死者も出ている。新幹線が再開したからといって、関東からの観光客が果たして戻るだろうか。心理的に微妙なところだ。

   とは言え、街ににぎわいが戻ってほしいのは金沢に住む一人として正直な気持ちだ。きょうは、一足早いハローウイーンの行列が金沢駅から武蔵や香林坊までの目抜き通りを練り歩いた。大人もこどもも思い思いの仮装をして楽しそうに歩いていた。あす27日は「金沢マラソン2019」が開催され、国内外のランナー1万3000人が中心街などを走る。11月になれば兼六園では雪吊りが始まる。冬へと季節は移ろう。

⇒26日(土)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

★祝意と違和感と

★祝意と違和感と

   191の国と国際機関から代表が参列し、天皇陛下の中心的な儀式である「即位礼正殿の儀」が滞りなく執り行われた。国民を代表して安倍総理が「寿詞(よごと)」という祝辞を読み上げた。テレビで即位礼正殿の儀を視聴したのは人生で二度目だ。今回も古式にのっとり行われ、タイムスリップした感覚で見ていた。

   正直、違和感があったのは安倍総理の「天皇陛下万歳」の三唱だった。ほかに言い方はなかったのだろうかと思った。というのも、私は小さいころ亡き父から聞いていた話は、戦時中、仏領インドシナ(ベトナム)の戦線でフランス軍と戦うとき、兵士たちは「天皇陛下万歳」と叫びながら突進していった、と。父はそれを否定的に言っていたのではなく、今思い起こせば、戦友たちは勇敢に戦ったと表現するために「天皇陛下万歳」という言葉を持ち出して話を聞かせてくれたのだと思う。

   もう少し詳細に父が話してくれたことを述べる。父が所属したのは歩兵第八十三連隊第六中隊。フランス軍との戦闘で、カンボジアとの国境の町、ロクニンに転戦。昭和20年8月15日、敗戦の報をこの地で聞くことになる。終戦処理の占領軍はイギリスが任に当たり、父の部隊はサイゴンで捕虜となる。このころから部隊を逃亡する兵士が続出。その数は600人とも言われている。多くは、ベトナムの解放をスローガンに掲げる現地のゲリラ組織に加わり、再植民地化をもくろむフランス軍との戦いに加わった。中にはベトナム独立同盟(ベトミン)の解放軍の中核として作戦を指揮する元日本兵たちもいた。父はゲリラ組織には加わらなかったが、ベトナム解放戦線に加わりその後再び捕虜となった元同僚の兵士から聞いた話として、はやりフランス軍に突進するときには「天皇陛下万歳」と声を上げていた、と。

   当時日本軍兵士は死を覚悟で敵に対峙するときに、このフレーズを使ったのだろう。戦場の叫びだ。安倍総理はこうした事実を理解しているのだろうか。私は戦争体験者である父から聴いて知っていたので違和感が残った。ご存命の元兵士の方々は今回の万歳三唱を視聴してどのような思いだっただろうか。

⇒23日(水)夜・金沢の天気     くもり

☆衝突映像、公開のタイミング

☆衝突映像、公開のタイミング

   ビデオの3分29秒で「ガシャーン」という衝突音が響く。映像は今月7日、能登半島沖の350㌔の日本の排他的経済水域(EEZ)で、水産庁の取締船「おおくに」と北朝鮮の漁船が衝突したときの動画だ。18日夜、水産庁がホームページで公開した。

   動画(12分54秒)は「退去警告に従わないため、撮影を開始する」とコメントが入り、撮影が始まっている。漁船の船体には北朝鮮の国旗が描かれ、漁の網を引き揚げている様子が映る。違法操業と確認できたため、取締船が漁船に向けて放水を開始する。EEZから退去するよう警告アナウンスを何度も伝える。放水するため取締船が漁船に併走している。「石を投げる様子ないか」と取締船は漁船の様子を確認しながら並走を続ける。すると、漁船が左に方向を変えて急接近、漁船の左の側面が取締船の船首に衝突する「ガシャーン」という音が響く。同時に「ガイセンが本船とぶつかった」と撮影者の声が入っている。ガイセンは「該船」のこと、取り締まる対象の船のことを指す。

   ビデオでは、衝突の後、漁船が取締船を追い越すように離れていく様子が映っている。しばらくして、漁船が傾き始め沈没する。海に飛び込み脱出する乗組員の様子が生々しく映っている。取締船は救助ボートを出し、救命いかだを現場に投げて救助に当たる。ビデオの12分00秒には、別の北朝鮮の船が来て、救助された船員たちが次々と乗り移っていく様子が映っている。「救命いかだからNK公船に全員が乗り移った模様」「救命いかだからNK公船が離れていく」のコメントを最後に映像は終了する。

   北朝鮮外務省の報道官は12日の声明で、「日本側が故意に衝突した犯罪的な行為だ」と指摘、日本に対し漁船沈没の損害賠償を強く求めた。漁船が急旋回したため衝突したとの日本の主張に対して、声明では通常の航行状態だったと反論し、「日本は意図的な行為を正当化しようとしている」とも非難した。

   北朝鮮が声明を出したとき、水産庁ははやく映像を公開し事実関係を明らかにすべきではないか、何をもたもたしているのかと不信感すら抱いた。水産庁が公表した映像を見る限り、声明にある「日本側が故意に衝突した犯罪的な行為」との指摘は論外ではあることは言うまでもない。むしろ遅れたタイミングの映像公開によって、北朝鮮の声明の論拠を崩したことにもなる。仮に、この映像が先に公開されていたらどうか。それでも、声明は「映像は捏造」と主張していたかもしれない。
(※写真は、北朝鮮の漁船が水産庁の取締船に衝突する様子=水産庁ホームページの動画より)

⇒20日(日)午後・金沢の天気    はれ