⇒ドキュメント回廊

★能登の二重被災と総選挙~3候補者それぞれの被災体験~

★能登の二重被災と総選挙~3候補者それぞれの被災体験~

  元日の地震と9月の記録的な大雨に見舞われた選挙区である石川3区で立候補している3人はそれぞれが被災者でもある。これまで地元メディアで3氏が語った被災体験をピックアップしてみる。

  自民の前職の西田昭二氏は元日に地元七尾市内などでの街頭演説を終え、買い物をしていたときに揺れが襲った。市内の自宅は屋根瓦が落ちるなどの中規模半壊となった。しばらく家族とともに親族宅に身を寄せ、今は仮設住宅に入った。被災地をめぐり惨状を目にした。生活再建の支援策をめぐって被災者から辛辣な言葉を投げられたこともある。むしろ、そうした声を真摯に受け止め、国に伝えるパイプ役がこそが自らの役割と言い聞かせ、公費解体の加速化や液状化対策などの課題を関係省庁に訴え調整してきた。

  立憲民主の前職の近藤和也氏は、被災地の能登でなぜ今、選挙をしなければならないのか疑問を持って、選挙に臨んでいる。能登半島の先端にある須須神社で元日の初詣をして、七尾市への帰り道で妻子とともに被災した。場所は穴水町のガソリンスタンド。その日の夜になんとか七尾にたどり着き、町内の避難所に行く。仕切り役が不在で自らトイレや寝床の確報に奔走した。東日本大震災などの被災地で経験したことが役立った。これまで能登の仮設住宅をすべて回り、困りごとなど聞いてきた。給付金など実現できたこともあるが、やらねばならない課題が山積している。

  共産の新人の南章治氏は、金沢市と隣接する内灘町の自宅で被災した。内灘は液状化現象が激しく住宅や道路などで多数の被害が出た。震災の翌日には車を走らせ、羽咋市の党事務所で仲間の安否確認から始めた。この間、支援物資の提供や被災者の要望を聞いて回った。発生から1ヵ月もたたないとき、目を疑ったことがある。奥能登のある1次避難所を訪れたとき、冷たい弁当すらない現状だった。東日本大震災の対応より後退していると思った。被災地の人々は一緒に精神的打撃を受けたのに、建物の被害判定で支援の幅が異なることを歎く被災者の姿も見てきた。

  選挙という枠では票数が基準となるが、3氏のそれぞれの被災経験、そして被災地や避難所での活動には政治の枠を超えた「人道」を感じる。こうした体験や感性を今後、政治に活かしてほしいものだ。

⇒18日(金)午後・金沢の天気      くもり 

☆能登の二重被災と総選挙~仮設住宅の入り口にポスター掲示板~

☆能登の二重被災と総選挙~仮設住宅の入り口にポスター掲示板~

  読売新聞と日経新聞が協力して実施した総選挙序盤における世論調査(1選挙区500人以上、計16万5820人の有効回答、15ー16日実施)によると、自民は全289選挙区のうち議席獲得が「有力」だったのは3割ほどにとどまった。全国11ブロックで争う定数176の比例代表も前回2021年に獲得した72議席を下回る見通しとなった。このため、自民は定数465の衆院の過半数にあたる233議席に届かない可能性がある。自民の単独過半数割れとなれば民主党に政権交代した2009年衆院選以来となる。派閥を巡る政治資金問題など政治不信の強さが浮き彫りになった(16日付・日経新聞Web版)。

  また、共同通信の調査(15万6993人の有効回答、15ー16日実施)によると、小選挙区のうち自民がリードしているのは140程度にとどまり、比例代表も前回を下回るのは避けられない情勢。単独過半数は「予断を許さない」としている。両調査とも立憲民主に勢いがあると分析している(17日付・新聞メディア各社)。

  きのう(16日)石川3区(能登地区などの12市町)の輪島市に行ってきた。漁港では海底が隆起して港から漁船が出れなくなっていて、いまも海底の土砂をさらう浚渫(しゅんせつ)作業が行われている。漁協の荷捌き場も改修工事中だった。近くの漁師町も公費解体が進んでいないように見受けられた。漁港近くの通ると、元日の地震と9月の記録的な大雨に見舞われた奥能登での選挙を象徴するような光景が見えた。仮設住宅街の入り口に選挙の候補者ポスターの掲示板があった=写真=。

  ポスター掲示板を眺めている地元の人が数人いた。その横を通ると、「なんで選挙なんかするんや、ダラくさい」の声が聞こえた。「ダラくさい」は能登の方言でばかばかしいという意味だ。誰のために、何のために選挙をするのかと問うているようにも聞こえた。このひと言が能登の被災地の人たちの率直な気持ちを言い表しているのかもしれない。

  そして、輪島市内では選挙の雰囲気が感じられない。ポスター掲示板そのものがほとんど見当たらないのだ。同市は前回選で159ヵ所にポスターの掲示板を設置したが、土地の所有者と連絡が取れないケースが相次ぎ、今回は60ヵ所にしたようだ(15日付・読売新聞Web版)。市内には2時間半ほど滞在したが、石川3区で3人が立候補しているにもかかわらず、選挙カーを一度も見かけなかった。被災地での選挙遊説を遠慮しているのか。

⇒17日(木)午前・金沢の天気     はれ

★金沢も能登の二重被災地も選挙戦に突入 季節の花も咲き競う

★金沢も能登の二重被災地も選挙戦に突入 季節の花も咲き競う

☆豪雨被害の農地復元に4、5年 世界農業遺産の能登が問われるレジリエンス

☆豪雨被害の農地復元に4、5年 世界農業遺産の能登が問われるレジリエンス

  前回ブログでは千枚田での記録的な大雨の被害にスポットを当てたが、能登地方の水田ではさらに深刻な被害が起きている。がけ崩れや河川の氾濫が顕著だった輪島市町野町の農村部に行くと、町野川の周囲の田んぼには河川水が流れ込み流木など積み重なっていた=写真・上、今月3日撮影=。同じ町野町の時国集落に行くと、集落の裏山から流れてきた土石流がふもとの農地を覆っていた=写真・下、今月1日撮影=。平氏と源氏が一戦を交えた壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が敗れ、平時忠が能登に流刑となった。その時忠の子孫がこの地を開墾したと伝えられている。2軒の時国家(国の重要文化財)のうち上時国家は元日の地震で倒壊した。

  能登の農村集落でよく見る風景は、農家には裏山があるということだ。田畑だけでなく山林も所有してきたのだろう。今回巡った町野町の集落では、いくつかの農家でその裏山が崩れていた。中には、住居や農機具などを保管する納屋が土砂で半壊状態になっているところもあった。地震で山の地盤が緩み、豪雨で土砂崩れが起きたのだろう。裏山が崩れ、田畑は冠水。能登の農家の底知れぬ苦難を見る思いだった。

  メディア各社の報道によると、石川県の馳知事は今月9日の記者会見で9月の記録的な大雨で、輪島市や珠洲市など奥能登地区で水田を中心に950㌶の農地が冠水し、このうち400㌶で土砂や流木が堆積するといった被害が出ていると説明した。400㌶のうち「大規模被害」とされる100㌶は、河川などの流れによる浸食などで農地が原形をとどめない状態で、復旧には4年から5年以上かかる見通し。また、「中規模被害」の150㌶は、大量の土砂が堆積し復旧には1年から3年程度かかる見込みという(9日付・NHKニュースWeb版)。

  馳知事は「生産者にやる気を出してもらうためにも可能なところから早めに修復することが必要だ。作付けまでの半年で整備が進められるところを軸に復旧をお願いしたい」と述べた(同)。前回ブログでも述べたが、能登半島の里山や里海は2011年6月に国連世界食糧農業機関(FAO)の「世界農業遺産(GIAHS)」に認定された。この後、GIAHS国際会議(2013年5月)が能登の七尾市で開催されるなど、能登の里山里海が世界から注目されるようになった。大規模被害などを被った農地をどう速やかに復元していくのか、能登のレジエンス(復興)を世界は注目している。馳知事には「復旧をお願いしたい」ではなく、陣頭指揮で自ら掲げる「能登の創造的復興」に取り組んでほしい。

⇒14日(月)午後・金沢の天気    はれ

★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~風車停止、転落車そのまま~

★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~風車停止、転落車そのまま~

      元日の地震の被災地をさらに記録的な豪雨が襲い、多くの住宅が損壊した。これまで自治体は災害ごとに罹災証明書を発行していた。この場合、判定結果によって公費解体や生活再建支援金給付の対象にならないケースもある。そこで、石川県では内閣府と協議し、地震と豪雨の二重被災を一体的に扱うことで、被害認定を迅速にそして被災者への支援を拡充できるようにした(11日付・地元メディア各社の報道)。たとえば、地震で公費解体から除外されていた「準半壊」の家屋が豪雨で浸水によって「一部損壊」となった場合、被害を加算して「半壊」扱いとする。これによって公費解体が行われるようになり、生活再建の支援も手厚くなる。県と内閣府と協議がスムーズに行われたことは、石破総理による能登視察(今月5日)の成果の一つかもしれない。

  話は変わる。能登半島を縦断する自動車専用道路「のと里山海道」を走行すると、震災直後と変わらぬ風景がいくつか見えてくる。その一つが山並の山頂にある停止した状態の風力発電の風車だ=写真・上、9月10日撮影=。金沢から走行すると横田ICの手前に見える風景はまるで、「山頂の一本足のカカシ」ではないかと。メンテナンスを施して順次稼働させればよいのではと考えるが、風車は山地にあり、たどり着くまでの山の道路に亀裂ができたり、土砂崩れなどで寸断されているのだろう。風力発電が立地する場所は珠洲市が30基、輪島市が11基、志賀町が22基、七尾市が10基で、いずれも震度6弱以上の揺れがあった地域だ。そのうち再稼働しているのは、志賀町にある日本海発電(本社・富山市)の9基を含めて10数基ではないだろうか。記録的な豪雨でさらに山道が崩れメンテが難しくなっているところがあるのかもしれない。

  横田ICを過ぎてしばらくして見えてくるのが、アスファルト道路に大きなひび割れが入り陥没した風景だ。崩落した道路を走行した乗用車が転落した現場はいまもそのままの状態だ=写真・下、8月8日撮影=。道路から転落した車の風景だ。のと里山海道を走行していると見えるので、自身を含めて多くの人が「いつになったら車体を引き揚げるのか」「なぜ片付けないのか」などと思っているに違いない。むしろ、車の所有者と道路を修復している国交省の間でどのようなやり取りが交わされているのか。ある意味で不思議な風景ではある。(※写真・上と下の風景は今月9日に確認。そのままだった)

⇒11日(金)夜・金沢の天気    はれ

☆解散いろいろ「バカヤロー解散」や「郵政解散」 選挙手始めはポスター掲示板

☆解散いろいろ「バカヤロー解散」や「郵政解散」 選挙手始めはポスター掲示板

       きのう(9日)NHK中継の衆院本会議での模様を視聴した。額賀議長が解散詔書を読み上げ、恒例の万歳三唱が響き渡った。総選挙(今月15日公示・27日投開票)へと動き始めた。その後の記者会見で、石破総理は今回の解散を日本の社会のあり方を大きく変える「日本創成解散だ」と強調していた。今一つピンと来ないネーミングだ。解散をめぐる俗称はいろいろあるが、強烈なのは「バカヤロー解散」だろう。1953年(昭和28)3月の衆院予算委員会で、当時の吉田総理が社会党の議員との質疑応答中に「バカヤロー」と発言したことがきっかけで解散にいたった。日本の政治史に残る名称となった。(※写真・上は、衆院解散を報道する各紙)

  自身の印象に残る解散は「郵政解散」だ。2005年(平成17)8月8日、参院本会議で郵政民営化法案が否決されたのを受けて当時の小泉総理は臨時閣議を開いて衆院の解散を決定。小泉氏は郵政法案が参院で否決された場合は衆院を解散して総選挙に打って出ると予め明言していた。そして、衆院で反対票を投じた自民議員には公認を与えず、郵政民営化に賛成する候補を擁立した。郵政民営化を前面に出したことで改革イメージが有権者に浸透し、9月11日の投開票では自民は公示前の212議席を大きく伸ばして単独過半数(233)を上回る296議席を獲得。当時は「地滑り的勝利」と評価された。

  1986年(昭和61)7月6日の衆院選で初当選を果たし、2002年(平成14)9月30日の小泉内閣で防衛庁長官に任じられた石破氏は上記の「郵政解散」のいきさつなど小泉氏の手法を熟知していることだろう。身内であっても断罪する姿勢だ。今回、派閥の政治資金規正法違反事件をめぐり、収支報告書に不記載があった議員と選挙区支部長の計12人は公認せず。不記載があったほかの34人については公認したものの、比例選の重複立候補は認めず。ただ、非公認の議員については、「選挙のみそぎ」を受けて当選すれば、追加公認をする(9日・党首討論)。

  自宅近くの金沢市総合体育館を前を通ると、選挙のポスター掲示板が早々と設置されていた=写真・下=。能登半島地震や9月の記録的な豪雨にさらされた能登の市町では選挙実施は重荷だろう。災害対応に関わっている職員が多く、果たして職員の人手が足りないのではと憶測する。とは言え、選挙は選挙だ。震災と豪雨、そして選挙の難関をどう能登の自治体は乗り切るのか。

⇒10日(木)夜・金沢の天気     くもり 

★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~倒壊ビル解体へ、3D住宅~

★能登震災から280日余り 変わる風景・変わらぬ風景~倒壊ビル解体へ、3D住宅~

  能登半島地震から280日余り、季節は移ろい「寒露」の頃だ。金沢の最高気温が20度を下回り、街路樹が色づき始めている。そして被災地の様子も変わり始めている。きのう(8日)輪島市を珠洲市を巡った。

  徐々にではあるものの、地震で全半壊した家屋などの公費解体も進んでいる。焼失家屋が約300棟にも及んだ輪島市河井町の朝市通りは焼け焦げたビルなどはほぼ解体され、更地に戻りつつある。今月5日に輪島市の現場を視察した石破総理に対し、同市の坂口市長は新たな建物を建てるため、土地区画整理を行うなどと説明していた(5日付・地元メディア各社の報道)。地域の再開発が動き出すのだろう。

  横倒しとなった7階建ての「五島屋」ビルは震災のシンボルのような光景となっている。その倒壊ビルの解体作業が7日に始まった(5日付・地元メディア各社の報道)。現地に行くと、倒れた基礎部分でパワーショベルが動いていた=写真・上=。報道によると、行政による公費解体で、2棟ある五島屋ビルのうち倒壊を免れた3階建てのビルの解体から着手し、市道にはみ出している7階建てビルは来月から取り掛かるようようだ。国交省は倒壊原因について基礎部分の調査を現在行っていて、行政は国交省と連携を取りながら、市道にはみ出した7階部分から本格的な解体作業を進めるようだ。

  このブログの8月9日付で紹介した珠洲市の「3Dプリンター住宅」が完成したとニュースになっていたので見に行った。同市上戸町にことし7月にオープンしたホテルの別室。ホテルの支配人が兵庫県西宮市のスタートアップ企業である建築会社に発注して造った建物。2人世帯向け平屋タイプで、ダイニングや寝室、バスルームなどがある。石川県では初めての「3D住宅」という。中には入れなかったが、日本海が一望できる。そもそもが何が3Dなのかと言うと、3Dプリンターが設計データを読み込み、ロボットがコンクリートを塗り重ねて、壁や屋根を成形する仕組みのようだ。

  8月上旬にホテルで食事をとった時にホテル関係者から、「耐震性や耐水性、防火性に優れていて、家のカタチもこれまでの能登にはなかったもの。地震で壊れた住宅の再建を気軽な別荘風にと考えれば住みやすい家になりますよ」と聞いた。一戸建てより安価に、仮設住宅より居心地よくと考えれば、「なるほど」と思えた。これまで能登になかった家の風景が能登半島の尖端、珠洲市にある。

⇒9日(水)夕・金沢の天気    はれ

☆自民裏金問題で石破総理の決断 20日後の総選挙は果たして「吉」と出るのか

☆自民裏金問題で石破総理の決断 20日後の総選挙は果たして「吉」と出るのか

  能登半島の地震と豪雨の被災地(5日)を視察して激甚災害の指定を表明した石破総理は6日、矢継ぎ早に自民党本部で派閥の政治資金パーティーを巡る不記載があった議員の衆院選(今月15日公示・27日投開票)の対応方針を公表した。党の処分が継続中なら政治倫理審査会で説明した場合を除き非公認とし、不記載議員は公認する場合も比例代表への重複立候補を認めない(7日付・メディア各社の報道)。石破氏らしい即決感のある対応だ。

  今回の方針では、地元石川1区の小森卓郎代議士と2区の佐々木紀代議士の比例代表への重複立候補は認められないことになる。ちなみに、旧安部派の2人の不記載額は小森氏が70万円、佐々木氏が184万円。小森氏は財務官僚出身で石川出身ではないが、かつて県の総務部長を担った経験から2021年10月の総選挙で初当選を果たした。佐々木氏は大御所の森喜朗元総理と同じ根上町生まれ。森氏の地盤を引き継いで当選連続4回。同じく不記載額が1482万円で党の役職停止となった宮本周司参院議員の後任として4月から自民県連会長の座にある。

  石破総理とすれば、政治資金パーティーを巡る裏金問題に片を付けない限り、有権者の支持は得られないとの判断だったのだろう。何しろ、衆院選の投開票まであと20日と時間がない。「党内野党」とも言われた石破氏でしかできない厳正な対応だったのかもしれない。

  今回の石破総理の選挙対応の背景には、この問題を散らかしたままでは自民党が相当追い込まれるとの危機感があるのだろう。それが読める数字がメディア各社の世論調査だ。たとえば、内閣発足を受けて実施された日経新聞の緊急世論調査(今月1、2日)の内閣支持率は51%、不支持率は37%だった。これを前の岸田内閣の発足時(2021年10月)の支持率59%、不支持率29%と比べると、かなり下回っている。さらに前の菅内閣の発足時(2020年9月)の支持率は74%だった。日経調査では、2002年以降の内閣と発足時の支持率と比較して石破内閣が最も低い数字だ。また、読売新聞の緊急世論調査(今月1、2日)でも支持率51%、不支持率32%となっている。本来ならばご祝儀相場で高いはずの内閣発足時の数字がようやく過半数越えでは、低迷状態とも言えるだろう。

  もちろん、党内では「マスコミに迎合しすぎる」や「低額なのに、不記載で悪者扱いにもほどがある」といった怨嗟の声もあるだろう。今月27日の総選挙で民意はどう判断を下すのか。

⇒7日(月)夜・金沢の天気    あめ

★日曜アラカルト~大の里が凱旋巡業、総理の「置き土産」は激甚指定と自衛隊風呂~

★日曜アラカルト~大の里が凱旋巡業、総理の「置き土産」は激甚指定と自衛隊風呂~

  自宅近くに金沢市総合体育館がある。午前9時すぎにコンビニでの買い物帰りに近くを通ると、体育館を囲むように長蛇の列ができていた=写真・上=。列の光景はこれまで何度か見たことがあるが、これほど長い列は初めてかもしれない。ピンと来た。そうかきょうは大相撲地方巡業の金沢場所か、と。地元出身のあの大の里が出場する。この秋場所で幕内2度目の優勝を果たし、大関昇進を決めた大の里だ。まさに、故郷凱旋の巡業だ。地元の相撲ファンとすれば晴れ姿を見逃すわけにはいかないという心境なのだろう。それにしても長い列だ。

  石破総理がきのう能登の震災と豪雨の被災地を視察に訪れ、豪雨被害について「激甚災害」に指定する意向を表明した(6日付・メディア各社の報道)。元日の震災についてはすでに激甚災害を受けており、それに続く指定となる。これによって国からの支援が多岐にわたる。公共施設では学校や病院などの復旧が優先され、道路や橋、上下水道といったインフラも優先される。農業や漁業など一次産業への支援があり、被害を受けた農地や漁港の復旧、農業機械や漁船の修理・再購入の支援が行われる。個々の被災者に対しては、住宅の再建費用や一時的な住居の提供、災害融資の利子補給や、生活再建支援金の支給など多岐にわたる支援が行われる。石破総理の能登視察の「置き土産」だろう。

  9月21日の記録的な大雨で河川の氾濫や土砂崩れが起きたため、住家や仮設住宅を離れ二週間経った今でも490人余りが避難所での生活を送っている。このような中、「自衛隊風呂」が珠洲市で再開した。6日付の地元メディアによると、大量の流木や土砂が流れ込み地区全体で断水が続いている同市大谷地区の公民館駐車場で陸上自衛隊が入浴場をきのう開設した。地震による同市での自衛隊による入浴支援は、銭湯などの入浴施設などが復旧したため、8月31日で終了となっていた。しかし、大谷地区は市内中心部とつながる国道の通行止めの状態続いていて、大雨では一時孤立状態となった。男女別風呂で、入浴時間は午後4時から同8時まで。地域の人たちは2週間ぶりの湯船に心が和んだのではないだろうか。これも石破総理の「置き土産」なのかとふと思った。(※写真・下は、自衛隊による入浴支援施設=珠洲市で、2月22日撮影)

⇒6日(日)午後・金沢の天気   くもり  

☆就任早々に能登の被災地視察 石破総理の足で稼ぐ政権の存在感

☆就任早々に能登の被災地視察 石破総理の足で稼ぐ政権の存在感