⇒ドキュメント回廊

★震災で倒壊した輪島の7階建てビルを解体 焦土と化した朝市通りは更地に

★震災で倒壊した輪島の7階建てビルを解体 焦土と化した朝市通りは更地に

  輪島の漁港で漁船の水揚げの様子を見た後、元日の最大震度7の能登地震で倒壊した7階建てビルや、200棟の店舗・住宅が全焼した朝市通りをめぐった。横倒しとなった7階建ての輪島塗製造販売会社「五島屋」ビルは能登震災のシンボルのような光景となっていて、現地に行くと周囲には十数人が見学に訪れていた。さりげなく「どこから」と尋ねると、九州から来た行政関係者だった。

  現地では、パワーショベルなど重機が3台が動いていた=写真・上=。行政による公費解体で、2棟ある五島屋ビルのうち倒壊を免れた3階建てのビルは解体が終わり、市道にはみ出している7階建てビルの解体が始まっていた。解体と合わせて、国交省は倒壊原因について基礎部分の調査を現在行っている。解体は当初、上部から段階的に輪切りにして解体していく予定だったが、周囲への安全面に配慮して側面から崩すように作業を変更した。3階以上は年内に、ビル全体は年度内に作業を終えるようだ(17日付・地元メディア各社の報道)。

  震災のもう一つのシンボルとなっていた焦土と化した朝市通りはほぼ更地にようになっていた=写真・下=。朝市組合の関係者は震災以降は金沢などで出張朝市などを続けてきたが、最近では「カムバック朝市」を目指して、朝市通りの近くにある輪島市マリンタウンの特設会場で1日限定のイベントを催したり、地元での屋外開催を増やしている。

  震災前は360㍍の通りに200余りの露店が並び、地元で獲れた魚介類や魚の干物、野菜、民芸品などがずらりと並んでいた。おなじみのオレンジ色のテントが並ぶと、中から「買うてくだー」と声掛けがある。売り手と買い手のおばさんたちの楽しそうなやり取りが目に浮かぶ。市民生活を日常に戻すためにも、一日も早い朝市通りの復興を願う。

⇒17日(日)午後・金沢の天気  あめ  

★能登に伝わる奇怪なUFO伝説、そして火星人説のルーツとなった能登の海

★能登に伝わる奇怪なUFO伝説、そして火星人説のルーツとなった能登の海

  NHKにしては珍しいUFOのニュースがきょう流れていた。アメリカ国防総省が14日に発表したUFOに関する年次報告書によると、ことし6月までの1年間でアメリカや中東、東アジアなどを中心にUFOの目撃情報が757件あった。そのうち300件については、気球や鳥、無人機などと判断。また、アメリカのスペースXが開発した衛星通信網「スターリンク」の人工衛星を誤ってUFOとして報告するケースも増えている。国防総省の報道官は記者会見で、「これまでのところ、地球外生命体やその活動と技術の存在を示す証拠は見つかっていない」と述べた。国防総省では、UFOかどうか特定ができていないケースについて引き続き分析を続けるとしている。

  このニュースを視聴して、つい能登のUFO伝説を思い起こした。羽咋市に伝わる昔話の中に「そうちぼん伝説」がある。「そうちぼん」とは、仏教で使われる仏具のことで、楽器のシンバルのような形をしている。伝説では、そうちぼんが羽咋の北部にある眉丈山(びじょうざん)の中腹を夜に怪火を発して飛んでいたと伝えられている。さらに、眉丈山の辺りには「ナベが空から降ってきて人をさらう」という神隠し伝説もある。また、羽咋の正覚院という寺の『気多古縁起』という巻物には、神力自在に飛ぶ物体について書かれている(宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」のホームページより)。

  さらにUFOを連想させる奇怪な伝説が能登にある。神から十戒を授かった聖者モーゼが、宝達志水町にある能登で一番高い山、宝達山(637㍍)の山麓、三ツ子塚古墳群の中に葬られているという伝説だ。モーゼは40年の歳月をかけ、ユダヤの民衆をイスラエルの地へ導いた後、シナイ山に登った。そこから「天浮船」(UFO)に乗ったモーゼは宝達山にたどり着き、583歳までの余生をこの地で過ごしたという伝説だ。同町には聖者モーゼが眠るされる伝説の森公園「モーゼパーク」がある=写真・上=。

  そして、宇宙人説も能登がある意味で発祥の地だ。アメリカの天文学者パーシバル・ローエル(1855-1916)は冥王星の存在を予測したことで天文学史上で名前を残したが、ほかにも火星に運河が張り巡らされていると主張し、火星人説を打ち立て論争を巻き起こしたことで知られる。

  そのローエルは滞在していた東京で日本地図を眺め、能登半島の形に関心を抱き、「NOTO」の語感に惹(ひ)かれて1889年5月に能登を訪れた。能登の湾では魚の見張り台である「ボラ待ち櫓(やぐら)」によじ登り、「ここではフランスの小説でも読んでおればいい場所」と一日を過ごした。その訪問記は随筆本『NOTO: An Unexplored Corner of Japan』(1891、「NOTO:能登、知られざる日本の辺境」)で著されている。ローエル研究者のウィリアム・シーハンは論文『To Mars by way of NOTO』(2005)で能登の海での体験から火星の運河説を着想したのではないかと述べている。

  ローエルの火星人説はその後、アメリカにSFブームを巻き起こす。1938年10月、俳優であり監督のオーソン・ウエルズが、ラジオ番組で小説『宇宙戦争』をドラマ化するなど、アメリカでは宇宙への関心が高まり、戦後はソ連との宇宙開発競争へと突き進んでいく。(※写真・下は、能登半島・穴水町にあるパーシバル・ローエルの来訪記念碑)

⇒15日(金)夜・金沢の天気    はれ

☆紅葉の景色あれこれ 1週間遅れの見ごろ、間もなく落ち葉の季節に

☆紅葉の景色あれこれ 1週間遅れの見ごろ、間もなく落ち葉の季節に

  金沢市内の紅葉の写真をけさ10時半ごろに撮影した。並木道のカエデが紅く色づき=写真・上=、イチョウは黄色く=写真・下=、それぞれ青空をバックに映えている。この色彩感のある風景を仰ぎ見ると、晩秋の訪れを感じる。ただ、立冬の頃とは言え、きのう金沢の最高気温は21度、そしてきょうの予想最高気温は18度だ。撮影にダウンのベストを着て外出したが、脱いだ方がよいかどうかと迷った。11月半ばのこの時節、平年だと11度か12度なのでベストは欠かせない。地球の温暖化を肌で感じる。

  去年もそうだったが、温暖化のせいなのか紅葉の季節が遅れている。先月下旬に 長野県大町市で開催された「北アルプス国際芸術祭」を鑑賞に訪れときも、ガイドのスタッフが「芸術作品と紅葉の風景が混ざると面白いのですが、ことしの紅葉は1週間ほど遅れてますね」と話していた。山々は薄く色づいていたものの、全体として緑の景色だった。大町市の公式観光サイト「信濃大町なび」を検索すると、「11月10日現在、全体的に紅葉真っ盛りの大町市です。」とある。紅葉シーズンの遅れは全国的な傾向のようだ。

  遅い紅葉もさることながら、紅葉の樹木を見て感じることは、色づきが見事ではない。紅葉したばかりなのに、黒ずみが混じっているなど染まりが悪いように感じるのは自身だけだろうか。

  そして間もなくすると、紅葉は道路や広場、駐車場などいたるところに舞い落ちていく。落ち葉の季節だ。ある意味で落ち葉は、緑の街である金沢らしい晩秋の光景でもある。この時節の仕事は落ち葉かき。一度すっきりと掃いても、数日たつとまた降り積もり落ち葉かきに追われる。週間天気を見ると、金沢はあさって15日から週明け月曜日まで雨模様が続く。厄介な「ぬれ落ち葉」の季節がやってくる。水気のある舗装面などに張りついて、ほうきで掃いてもなかなか剥がれない。結局、手で一枚一枚取ることになる。紅葉を眺めながら、いろいろ季節のイメージを膨らませてみた。

⇒13日(水)夜・金沢の天気   はれ

☆元日の地震と9月豪雨 農耕儀礼「奥能登のあえのこと」に農家どう向き合う

☆元日の地震と9月豪雨 農耕儀礼「奥能登のあえのこと」に農家どう向き合う

  ユネスコ無形文化遺産の農耕儀礼「奥能登のあえのこと」(2009年登録)は毎年12月5日に各農家で営まれ、目が不自由とされる田の神さまを丁寧にもてなす民俗行事として知られる。家の主(あるじ)は田の神は見えないもの、あたかもそこに客人がいるかのように家に迎え入れ、入浴と食事でもてなし、一年の労をねぎらう。12月5日に迎え、春耕が近づく翌年2月9日に送り出す。「あえのこと」は、「あえ=饗」「こと=祭り」の意味。この日に行事が一般公開されるのが能登町の柳田植物公園にある「合鹿庵(ごうろくあん)」という茅葺民家だ。(※写真は、2022年の合鹿庵「あえのこと」迎え行事)

  元日の最大震度7の能登地震で、この合鹿庵も壁が剥がれ落ちるなどしたため、ことし2月9日の送りの行事は中止となっていた。そこで、間もなく迎える12月5日の迎え行事について、能登町ふるさと振興課に問い合わせると、建物の修復ができない状態が続いていて、迎え行事は中止するとの返事だった。ユネスコの無形文化遺産であり、国の重要無形民俗文化財(1976年指定)でもある民俗行事が見学できないことに残念な思いがした。もちろん、あくまでも一般公開向けの「あえのこと」行事が中止になっただけで、本来の各農家では例年通り行われるのだろう。ただ、他人事ながら不安もある。

  奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)では地震によって、農地の亀裂など538件、水路の破損655件、ため池の亀裂や崩壊が165件、農道の亀裂や隆起などの損壊が398件に上った(3月26日時点・石川県農林水産課のまとめ)。このため、奥能登の田植えの作付面積は去年の2800㌶からことしは1600㌶にとほぼ半減した(同)。輪島市の白米千枚田では多数のひび割れが入り、耕せたのは120枚だった。

  輪島市の旧知の農家に電話で尋ねると、元日の地震の被害に加え、9月の記録的な大雨で田んぼに河川の泥水が流れ込むなどの被害が広がっていて来春の耕作の見通しが立たないとのことだった。この農家では12月5日に「あえのこと」は行うものの、特別な料理などは供えたりせずに、「ほそぼそと行う」と。また、高齢やサラリーマンの農家では農業法人に委託して耕作するケースが増えていて、耕さない農家は「あえのこと」も行うことはないだろう、とのことだった。確かに、田んぼを耕さなければ農耕儀礼はない。田の神さまはこの奥能登の現実、時代の流れをどう思っているだろうか。

⇒11日(月)夜・金沢の天気    はれ

☆能登の震災遺構 5㍍の津波に見舞われた郵便局、海底隆起の白い岩場が広がる海岸

☆能登の震災遺構 5㍍の津波に見舞われた郵便局、海底隆起の白い岩場が広がる海岸

  元日の能登半島震災から300日と10日余りが経った。同じ石川県に住む金沢市や加賀地方の人たちとの会話の中で能登地震が話題に上ることがめっきり減った。こちらから話を持ちかけても、「そうなんやね」との返事で、話が続かないことが多い。そう言う自身のブログも能登地震をテーマにしたものは減っている。きょうは今月1日以来、8日ぶりに震災関連を。

  能登の被災地では「震災遺構」として被害を受けた建物などを残す動きが始まっている。石川県の「創造的復興プラン」ではリーディングプロジェクトとして13の取り組みを打ち出しているが、その中に「震災遺構の地域資源化に向けた取り組み」がある。このプランに沿って、能登町では地震の津波で被災した白丸地区の郵便局を震災遺構として保存・活用する計画が進んている。郵便局は防波堤を乗り越えてきた高さ5㍍の津波で窓や壁が壊れた=写真・上=。今月5日に現地を見て回ったが、郵便局のほか地域全体が津波に襲われ、多くの民家などが全半壊したままになっていた。

  郵便局は現在も業務を休止していて、町は所有者から土地と建物の寄付を受けたことから震災遺構として保存することにした。町では津波の高さを示す看板なども設置し、自然災害の脅威を知ってもらうとともに、防災教育にも役立てていく(11月4日付・メディア各社の報道)。

  輪島市など能登半島の外浦側の海岸では海底隆起し、最大で4㍍も上昇したところがある。隆起した海岸では白い岩が広がっている。輪島市では隆起した海岸に国道249号のう回路が造成されるなど特異な景観もある=写真・下=。同市ではこうした隆起した海岸を震災遺構として保存し、さらに一部を海岸を見て回るサイクルロードとして整備する構想を打ち出している(11月5日付・同)。

  能登町や輪島市のケースを皮切りに今後、他の市町でも復興プランとして震災遺構が次々と持ち上がってくるだろう。かつて、震災遺構が議論となったことがあった。2011年3月11日の東日本大震災での気仙沼市のケース。津波で陸に打ち上げられた大型巻き網漁船を同市は震災遺構として保存を目指していた。ところが反対論もあり、市民アンケートを実施したところ、回答数のうち68%が「保存の必要はない」で、「保存が望ましい」16%を大きく上回った。この住民の意向を受けて、漁船は解体撤去された。被災住民とすれば、日常の光景の中でいつまでも被災の面影を見たくはなかったのだろう。震災遺構の指定に行政は住民の微妙な感情に配慮する必要があるとの事例だ。

⇒9日(土)夜・金沢の天気    はれ

☆能登の震災から10ヵ月、豪雨から40日 泥出しボランティア集めに躍起

☆能登の震災から10ヵ月、豪雨から40日 泥出しボランティア集めに躍起

  きょうから11月、元日に能登半島で起きた震度7の強烈な地震から10ヵ月が経った。復旧・復興の途上の9月21日に奥能登が48時間で498㍉の記録的な豪雨に見舞われた。これまで金沢と能登を自家用車で何度も往復して、二重被害の現地の様子を見てきた。この目で見た能登の現状をまとめてみたい。

  半島を縦断する自動車専用道路「のと里山海道」を走ると、救急車とすれ違うことがある。1月や2月ほど頻繁ではないが、いまもある。金沢市や七尾市の病院への救急搬送だろうと推測する。石川県危機対策課がまとめた10月29日時点での地震による死者は408人で、そのうち、家屋の下敷きになるなどして亡くなった直接死は227人、災害による負傷の悪化や避難生活での身体的負担による疾病で亡くなった関連死は181人だった。県は10月23日と31日に関連死の審査会(医師、弁護士5人で構成)を開き、新たに33人の認定を決め、各市町が近く正式に認定することになる。これにより、犠牲者は441人に増えることになる。また、能登豪雨で亡くなった人は15人になる。

  二重被害が集中した地域の一つが輪島市だった。震災による火災で中心部の朝市通りの店舗や住宅など200棟が焼けて、焦土と化した。大通りでは輪島塗の製造販売会社の7階建てのビルが転倒した。そして豪雨では、中心部に近い久手川町を流れる塚田川に架かる橋に流木が大量に引っかかり、せき止められた泥水があふれて、住宅地に流れ込んだ=写真=。このため、住宅4棟が流され、14歳の少女ら4人が犠牲となった。同市町野町では震災と洪水で中心部の街並み全体が倒壊した状態になっている。輪島市では地震による仮設住宅が2900戸あるが、うち205戸で床上浸水となった(11月1日付・北國新聞)。県では年内をメドに被災者の再入居のため泥の除去など改修工事を進めている。

  二重被害のあった輪島市や珠洲市など奥能登をめぐると、場所にもよるが、全半壊した家屋が並ぶ街の光景がこの10ヵ月まったく変わっていないところが多い。輪島市の町野町などはその典型かもしれない。石川県の「被災建物の公費解体の進捗状況」によると、公費解体の申請があった3万1613棟ののうち、10月28日時点で解体が完了したのは全体の23%、7251棟となっている。作業は4月下旬から本格的に始まっていて、半年余りでこのペースだとあと2年ほどかかるのではないか。冬季には積雪もある。そして、豪雨での全半壊は55棟(10月18日時点)あり、政府は半壊した家屋も全壊と同様に公費解体を認めている。

  さらに難題がある。石川県の試算では輪島と珠洲、能登3市町で泥出しが必要な宅地は2600棟におよんでいて、家の中の泥出しは各自が行う。このうちボランティアの協力が必要なほど泥が堆積しているのは1500棟と想定していて、県など行政は泥出しボランティアを集めるのに躍起になっている。

⇒1日(金)午後・金沢の天気    あめ

★地震と豪雨の能登・石川3区で立民の近藤氏が勝利、与党過半数割れで政局突入か

★地震と豪雨の能登・石川3区で立民の近藤氏が勝利、与党過半数割れで政局突入か

  きょうは衆院総選挙の投票日。元日の震災と9月の記録的な大雨に見舞われた輪島市町野町の現場を見に行った。現地で農業を営む従兄(いとこ)の案内で被害に遭った自宅を見せてもらった。裏山が大規模に崩れ、この集落は土砂に埋まるなど壊滅的な状態になっていた=写真・上=。いまは仮設住宅で家族と暮らしている。農地は3分の2ほどが残り、耕運機なども無事だったことから、来春の作付けに意欲的な様子だった。復旧・復興が遅い能登を政治はどう導いていくのか。

  地震と豪雨で大きな被害を受けた能登の輪島市と珠洲市では、投票時間が短縮されて午後6時で投票が締め切られた。NHKの開票速報によると、輪島市と珠洲市を含む石川3区では立憲民主の前職・近藤和也氏が自民・前職の西田昭二氏を破り、4回目の当選を果たした。近藤氏は2009年の衆院選で小選挙区で初当選。その後、2017年、2021年には選挙区で敗れたものの、比例で復活していた。  

  近藤氏の選挙活動はじつにユニークだった。立ち姿はまったく候補者らしくない。防災服姿で、名前入りのたすき掛けもしていないのだ=写真・下=。近藤氏は七尾市での出陣式(今月15日)で「与党も野党も関係なく、助け合わなければならない時期。選挙なんてやっている場合か。それが能登の総意だと思う」と憤りの声を上げた。選挙実施への反発の意味を込め、選挙期間中は防災服姿で、たすき掛けをしないことを宣言していた。ただ、選挙活動は実にアクティブだった。元日の地震後、これまで選挙区内で整備された6000戸余りにもなる仮設住宅を足しげく回り、被災者の声を国会論戦などで反映させてきた。地震と豪雨の二重被災の奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)へは選挙期間中にそれぞれの自治体を2回ずつ回った。「まだ能登は大変なんだと全国に訴えていきたい」と述べていた。  

  「自民党王国」と称されていた石川3区で2009年以来、15年ぶり2度目の勝利を果たした立憲民主の近藤氏。今回の選挙も2009年と同様、政局に異変をもたらしそうな様相だ。メディア各社の開票速報によると、与党が勝敗ライン「自公で過半数(233議席)」を下回る見通しとなったと報じている。自民党派閥のパーティー収入不記載事件を受け、選挙戦では「政治とカネ」の問題に関心が高まった。有権者は自公政権に対し、厳しい審判を下したようだ。そして永田町は今後、波乱含みの政局に突入しそうだ。ただ、政局がどうであろうと能登のことを忘れてほしくない。

⇒27日(日)夜・金沢の天気   あめ

★能登の二重被災と総選挙~赤黄の花を横目に選挙カーが走る~

★能登の二重被災と総選挙~赤黄の花を横目に選挙カーが走る~

  金沢と能登を自家用車で往復すると、この季節の色とりどりの「フラワーロード」を目にする。能登空港の近くを走る奥能登の幹線道路「珠洲道路」を走ると赤いサルビアの花が咲き競っている。観光マップによると、道路両サイドで併せて4㌔、4万本のサルビアが植えられている。例年だと6月から9月が見ごろだが、10月に入っても25度前後の暑さが続いたせいか、いまも赤々と咲き誇っている。そして、自動車専用道路「のと里山海道」の法面で黄色く群生しているのがセイタカアワダチソウだ。帰化植物(外来種)。北アメリカ原産の多年草で、土手や荒れ地、休耕田などで生い茂っている。環境省が対策が必要な外来種としてリストに掲載している。もちろん花に罪はなく、赤や黄色の花がまぶしいほどだ。

  ブログのシリーズ「能登の二重被災と総選挙」では、今回の衆院選挙について能登の有権者は何を思い、どの候補に一票を入れるのか、そして候補者は何を訴えているのか、そんな目線で書いている。

  選挙戦も後半戦に入り、メディア各社が情勢を伝えている。共同通信の調査(20、21日)に地元メディアが独自の取材を加味して報じている。北國新聞(22日付)は、「与党過半数は微妙 自民苦戦、大幅減も」、接戦となっている能登地区を含む石川3区については「近藤氏を西田氏追う」との見出しで情勢を紹介している。それによると、立憲民主・前職の近藤和也氏(50)は立民支持層の8割を固め、「支持政党なし」の無党派層でも6割以上に浸透している。自民・前職の西田昭二氏(55)は自民支持層の6割超、公明支持層の8割を固め、無党派層の取り込みを急いでいる、としている。共産新人の南章治氏(69)を支持する共産支持層は7割で、2割は近藤氏に流れている、としている。

  北陸中日新聞(22日付)は共同通信の調査に加え、石川3区について独自のネット調査を加味して報じている。「与党過半数は微妙 立民が勢い維持」、石川3区については「近藤氏優勢変わらず」との見出しで情勢を紹介している。記事によると、近藤氏は支持政党なし層にも浸透。自民支持層の一部が近藤氏に投票すると答え、裏金問題などで西田氏が支持層を固め切れていない状況がうかがえる、としている。

  前回ブログで輪島市の仮設住宅で設けられた期日前投票所での「出口聞き取り」の内容を紹介した。わずか10人(男女それぞれ5人)に聞いた話だが、近藤氏を支持する声がやや多かった(6人)。その中で意外な声だったのが女性から聴いた、「(地震と豪雨の二重被害では)立民と自民が協力してほしい。自民にハッパをかける意味であえて近藤さんに入れた」との声だった。近藤氏は今回の選挙に一貫して反対し、防災服を着てたすきを掛けず、能登復興を最優先すると、被災地区を中心に選挙活動を続けている。そんな姿が能登の自民や共産支持層の一部でも共感を呼んでいるのかもしれない。

⇒22日(火)午前・金沢の天気   くもり

☆能登の二重被災と総選挙~仮設住宅で期日前投票、出口で聞き取り~

☆能登の二重被災と総選挙~仮設住宅で期日前投票、出口で聞き取り~

  きょう21日は奥能登の「記録的な大雨」から1ヵ月となる。石川県のまとめによると、住宅の床上浸水などの被害は1487棟に上る。これにより、輪島市と珠洲市、能登町の3市町で合せて434人が避難生活を続けている(今月18日時点)。豪雨の影響で輪島市と珠洲市で断水が起きていて、両市で合せて1000戸余りにおよぶ。今回の能登豪雨ではこれまでに14人が死亡、1人の行方が未だ分かっていない。地元メディアによると、輪島市役所ではきょう午前9時30分、市長や職員が犠牲者に黙とうを捧げた。先月21日の午前9時22分までの1時間に降った雨の量が輪島市で観測史上最大の121㍉に達し、犠牲者が出たことからこの時間での黙とうを設定した。

  話は衆院選に。輪島市町野町の仮設住宅「町野町第2団地」(268戸)できょう期日前投票所が設けられた。現地を見に行った。町野町ではこれまで、市役所の支所で期日前投票が行われていたが、今回の豪雨で床上浸水となり使えなくなり、仮設住宅の集会所に期日前投票所が設けられた。訪れた人たちはこれまでとは少々狭い場所ながら1票を投じ=写真=、出口で知り合いと出会うとあいさつを交わしていた。投票所には仮設住宅だけでなく地域の有権者も訪れている。

  現地に出向いた動機に「出口調査」を試みたいとの思惑があった。仮設住宅に住む人たちはこの選挙をどう思い、誰に投票したのか、そんなことが知りたかった。そこで、投票を終えた人に声かけし、石川3区の候補者のポスター掲示板を撮影し画像をプリントしたものを見せて、投票した候補者を指差ししてもらった。何人にも断れたが、男女それぞれ5人に応じてもらった。立候補しているのは、3選を目指す自民前職の西田昭二氏(55)、4選を目指す立憲民主前職の近藤和也氏(50)、共産新人の南章治氏の3氏(69)。近藤氏は2回連続で西田氏に敗れたたものの、比例代表で復活当選している。

  「出口調査」と述べたが、対象はわずか10人なので調査としてはデータ不足でもあるので、「出口聞き取り」との表現が適切だ。その結果は、近藤6票、西田4票だった。女性5人は全員、近藤氏を指差した。男性は4人が西田氏を、1人が近藤氏を指さした。その理由も尋ねた。女性は「地震と大雨の能登を任せるのはなるべく若い人がいい」「近藤さんは仮設住宅を訪れ、私たちの不満などに耳を傾けてくれている」「(地震と豪雨の二重被害では)立民と自民が協力してほしい。自民にハッパをかける意味であえて近藤さんに入れた」と話してくれた。一方、西田氏に入れた男性は「(能登の二重被災には)自民がしっかりしてもらわないと困る」「復興復旧をはやく進めるために自民の国会議員にはがんばってほしい」「国への要望などパイプ役を西田氏は担っている」と述べた。

  仮設住宅のある地域に住民票を移していない人も多いことから有権者であれば誰でも投票できる期日前投票所を仮設住宅に設けた。ここでの期日前投票はあす22日も午前9時から午後4時まで行われる。23日以降は輪島市町野小学校に場所を移す。

⇒21日(月)夜・金沢の天気   はれ

★能登の二重被災と総選挙~防災服姿でたすき掛けはせず~

★能登の二重被災と総選挙~防災服姿でたすき掛けはせず~

  能登地方を含む石川3区で立候補している、立憲民主の前職の近藤和也氏の選挙活動を金沢市と隣接する内灘町で見てきた。その立ち姿はまったく選挙らしくない。防災服姿で、たすき掛けもしていないのだ=写真=。地元メディアで何度も報じられているが、近藤氏は七尾市での出陣式で「与党も野党も関係なく、助け合わなければならない時期。選挙なんてやっている場合か。それが能登の総意だと思う」と憤りの声を上げた。選挙実施への反発を込め、選挙期間中は防災服姿で、たすき掛けをしないことを宣言したのだ。その主張はいまも一貫している。

  元日の地震後、これまで選挙区内で整備された6000戸余りにもなる仮設住宅を足しげく回り、被災者の声を国会論戦などで反映させてきた。地震と豪雨の二重被災の奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)へは選挙期間中にそれぞれの自治体を2回ずつ回るという。「まだ能登は大変なんだと全国に訴えていきたい」と述べていた。

  選挙戦はあすから後半戦に入る。メディア各社は世論調査による選挙情勢を伝えている。石川3区の情勢はある意味で全国が注目する選挙でもある。自民前職の西田昭二氏、そして近藤氏、共産新人の南章治氏の3氏が立候補しているが、注目されているのが西田氏と近藤氏の競り合いだ。3選を目指す西田氏の前回(2021年10月31日投開票)の得票数は8万692票、4選を目指す近藤氏の前回は7万6747票だった。その差は3945票。近藤氏は2回連続で比例代表で復活当選していて、選挙区での議席獲得を目指す。

  選挙序盤の情勢を日経新聞(18日付)は「近藤先行、西田が猛追」との見出しで「近藤が立民支持層の9割、無党派層の5割をおさえて先行する。西田は自民支持層の7割をまとめ激しく追う」と記している。共同通信の情勢調査では、「近藤氏やや先行、西田氏追う」の見出しで、「西田、近藤両氏の3度目の対決となる3区では、近藤氏が立民支持層の9割以上を固め、共産支持層の3割近くにも浸透している。無党派層は6割が近藤氏を支持している。西田氏は公明の7割超、自民の6割近くを押さえた」とある(17日付・北國新聞)。

  「選挙なんてやっている場合か、これは能登の総意だ」と解散を批判してきた近藤氏に風は吹くのか。復興に向け国とのパイプ役を訴える西田氏が後半戦を突破するのか。

⇒20日(日)夜・金沢の天気    はれ