☆2016 ミサ・ソレニムス-続
真珠湾攻撃から75年、安倍総理がアメリカのオバマ大統領とともにハワイの地・パールハーバーを訪れ、かつて攻撃した側と攻撃された側の国の首脳がそろって慰霊した。日本のマスメディアは「謝罪はせず」という見出しをあえて立てて、この慰霊の様子を報じた=写真=。5月にオバマ氏が広島を訪問したときと同じように、安倍総理も謝罪に関することは口にしなかった。では、日本の総理の真珠湾訪問は、アメリカ、日本の両国民にどのように映ったのだろうか。
パールハーバーで「不戦の決意」を語った総理の演説は格調高かったのではないか。とくに最後の2フレーズだ。「私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。パールハーバー。真珠の輝きに満ちたこの美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。私たち日本人の子どもたち、そしてオバマ大統領、皆さんアメリカ人の子どもたちが、またその子どもたち、孫たちが、そして世界中の人々が、パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います。そのための努力を私たちはこれからも惜しみなく続けていく。オバマ大統領とともに、ここに固く誓います。ありがとうございました。」
「場の演出」の総合プロデューサーは誰か
とくに練られていると感じた言葉は「パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを(will continue to remember Pearl Harbor as the symbol of reconciliation.)」の下りだ。アメリカ人にとって、「remember Pearl Harbor」は憎しみを喚起する言葉だ。そのフレーズをあえて使って、「remember Pearl Harbor as the symbol of reconciliation」としたことだ。
これに対し、オバマ氏はこう応えた。「As nations, and as people, we cannot choose the history that we inherit. But we can choose what lessons to draw from it, and use those lessons to chart our own futures.Prime Minister Abe, I welcome you here in the spirit of friendship, as the people of Japan have always welcomed me. I hope that together, we send a message to the world that there is more to be won in peace than in war; that reconciliation carries more rewards than retribution.(国も、人間も、自分たちが受け継ぐ歴史を選ぶことはできません。でも、歴史から何を学ぶかは、選ぶことができます。安倍総理、私は友情に基づいて、あなたを歓迎します。日本国民が常に私を歓迎してくれてきたように。戦争ではなく、平和で勝ち得るものが多く、和解は報復よりも報われるというメッセージを、私たちが一緒に世界へ送りたいと願っています。)」
双方の演説を読めば、今回の安倍総理の訪問は日本とアメリカの同盟関係をより強化するというコンセプトだったことが理解できる。オバマ氏の広島訪問のときもそうだった。両国のトップが互いに「シンボリックな場」を訪れ、献花し、慰霊した。「場の演出」とすれば、官邸やホワイトハウス、国会や上院などに比べれば、パールハーバーやヒロシマはより臨場感があり、同盟関係の強化を双方が強烈にアピールできた。そう理解すれば、「謝罪の言葉」はこの場にはそぐわない。
では一体誰がこのような「場の演出」を見事にプロデュースしたのか。これまでの経緯をたどると、総合プロデューサーはオバマ氏だ。演説は格調高かったが、安倍総理はオバマ氏の演出に乗った役者だった。では、トランプ次期大統領にはこのような「場の演出」ができるだろうか。トランプ氏にはそのセンスがどうもなさそうだ。
⇒29日(木)朝・金沢の天気 くもり
仰、移動とへと進んでいく。アメリカ社会では、こうした共通価値の創造を政治・社会における規範(ポリティカル・コレクトネス=Political Correctness)と呼んで、自由と平等に基づく文化的多様性を標榜してきた。
路(片側1車線、13㌔)は慢性的な交通渋滞になっている。さらに、今回の噴火で渋滞に拍車がかかっている、という。プロの運転手にそこまで言われると、無理強いもできない。「それでは益城(ましき)町へ行ってほしい」と方針を変えたのだった。
英虞湾を望む風景はまさに、人の営みと自然が織りなす里山里海の絶景だった。真珠やカキの養殖イカダが湾の入り組みに浮かぶ。昭和26年(1951)11月にこの地を訪れた当時の昭和天皇は「色づきし さるとりいばら そよごの実 目にうつくしき この賢島」と歌にされた。晩秋に赤く熟した実をつけたサルトリイバラ(ユリ科)とソヨゴ(モチノキ科)が英虞湾の空と海に映えて心を和ませたのだろう。昭和天皇はその後も4回この地を訪れている。歌碑は志摩観光ホテルの敷地にある。その少し離れた横に俳人・山口誓子の句碑もある。「高き屋に 志摩の横崎 雲の峯」。ホテルの屋上から湾を眺めた誓子は志摩半島かかる雲のパノラマの壮大な景色をそう詠んだ。志摩観光ホテルはサミット会場となった。各国首脳はこの景色を臨んで何を思ったのだろうか。
会談も行うという。総理は「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという未来に向けた決意を示したい」と首相官邸で記者団に語っていた。謝罪ではなく、あくまでも未来志向なのだ。
庭に無数の穴を開け、ハチがブンブンと音をたてている=写真=。調べてみると、地面に穴を掘るハチのうち、黒くて細長い体つきをしているのがジガバチやアナバチの仲間。地下に巣を作るスズメバチは、少しズングリとした体型とある。やっかいなスズメバチかと思い、観察してみると体系はスリムなので、ジガバチやアナバチではないだろうか。
じられていた。我が家でいま咲き誇っているのはドクダミの花、それもヤエドクダミだ=写真=。
かつて鳥羽では真珠養殖にとって、海女はなくてはならない存在だった。海底に潜ってアコヤ貝を採取し、核入れした貝を再び海底に戻す作業が仕事だった。赤潮の襲来や台風の時には、貝を安全な場所に移す作業に従事した。海女の潜水技術がなければ御木本幸吉の養殖真珠の成功はありえなかった。現在は養殖技術が発達し、海女の作業の必要性はなくなったが、ミキモト真珠島では伝統的な海女の潜水作業が1時間ごとに実演されている=写真=。単なるショーではなく、「真珠養殖の功労者」を記念するイベントとして紹介している。
マリーゴールドなど使って、赤や青、黄色など花の色分けでサミット参加国の国旗をあしらった花壇が設置されている。随分と工夫を重ねたディスプレイだと感心する。花でサミットの成功を祈念する地域の人たちの意気込みが伝わってくる。
ディアセンターがある。野次馬根性で会場を見学してみたいと現地を訪れたが、入口で丁重に断わられた。確かにまだ工事中なので関係者以外の立ち入りは難しい。本館メインアリーナでは、テレビなど映像メディア向けのブースが120も準備される。サブアリーナでは記者の共用作業スペースとして800席の設ける準備が進んでいる。サンアリーナ南側では仮設の別館が設けられ、新聞や雑誌など国内メディアの記者たちの作業場となる。別館ではビュッフェ形式のダイニングスペースが設けられる。ざっと5000人のメディア関係者の参加が予想されている。伊勢志摩からどのようなニュースが世界に発信されるのか楽しみが増えた。
設や広場の看板を見渡すと、すべてが日本語と英語の表記、ガイドでもショッピングでも店員スタッフが英語で対応している。様子を見る限り、スタッフの対応は下から目線でも上から目線でもない。客と正面から向きあって、丁寧に商品説明をしている。
2日目は伊勢神宮の内宮(ないくう)=写真・上=と外宮(げくう)を訪れた。いにしえより「お伊勢さん参り」は日本人の心をつかんで離さなかった聖地巡礼の場だ。おそらく我が家の遠い先祖たちも参拝しただろうと想像すると緊張感も湧いてくる。
を起こし日本を守ったとして「昇格」したとのこと。神様にも論功行賞があって面白い。
ンサの像が出迎えてくれる。セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』に登場する二人。まっすぐな理想主義を掲げる主人公のドン・キホーテと対照的に、大食漢で肥満、現実派の従者サンチョ・パンサ。二人のキャラは人間性を表現する永遠のテーマだろう。レストランで、スペイン産イベリコ豚のパエリア、小エビのアヒージョ、アサリのオーブン焼き、それにスペイン産の赤ワインも注文して、束の間の食事を堪能した。
夕方、鳥羽市にある相差海女文化資料館を訪れた。相差は「おおさつ」と読む。かつて記者時代に能登半島・輪島市の海士町や舳倉島を訪れ、海女さんたちを取材し、ルポルタージュを描いたので、伊勢志摩の海女さんたちにも以前から関心を寄せていた。同市国崎では海女さんたちがとったアワビを熨斗あわびに調製して、伊勢神宮に献上する御料鰒調製所がある。二千年の歴史があるといわれる。資料館では、深くはやく潜るために石を重りにした石イカリがあった。平均50秒という海女さんの潜水時間を有効に使うため、速く深く潜るための道具である。かつて輪島でも夫婦舟といって、石を抱いて船に海に潜った海女がアワビをとり、命綱をクイクイと引っ張ると、舟上の夫が綱をたぐり寄せて海女を引き上げる。輪島と同じ漁法だ。写真(下)にあるセイマン(星形)とドウマン(網型)は海女が磯着に縫った魔除けのまじない。それほどに命がけの仕事でもあった。