⇒ドキュメント回廊

★つゆの世ながら さりながら

★つゆの世ながら さりながら

 お坊さんの話に初めて耳を傾けた。何かと相談に乗っていただいていた金沢大学のS教授が急逝し、昨夜通夜に参列した。57歳。急性心不全だった。

  S教授はインド哲学が専門で、自ら僧籍にもあった。酒を飲み、タバコも手放さなかった。急逝する前夜も知人と楽しく酒を飲んでいた、という。遺族の話では「人間ドックにひっかかるものは何もなかった」。社会貢献室の室長であり、大学教育開放センター長という学外に開かれたセクションの現場責任者だった。センター長室の机には花が飾られ、「未決」の決済箱には本人が印を押はずだった書類がたまっていた。

  57歳という仕事盛りの年齢が悔やまれる。「人間ドックにひっかかるものは何もなかった」という健康状態でありながら、なぜ。「その死は理不尽ではないのか」と思ってしまうほどに悔やまれる。肉親ならなお強くそう思うに違いない。

  通夜の読経の後、「身内」であるというお坊さんがあいさつした。誰しもが同じ思いの、割り切れなさに、そのお坊さんは応えようとしていた。話の中に小林一茶の句を紹介した。

     「つゆの世は つゆの世ながら さりながら」  

この句は一茶が幼い娘を亡くしたときに詠んだ句だという。人生を葉の上のつゆにたとえて、そのはかなさを詠むと同時に、それを受け入れることができない人間の本性を伝えていると、お坊さんは説いた。現代風に解釈すれば、「人生というのはね、はかないものなんだけど、わかっているんだけど、でもね…」という感じだろうか。別の言葉で言えば、「人は突然前触れもなく、こんなふうに逝ってしまうことがあるのはわかっているけど、でも…」ということだろうか。

  もっと前向きの解釈もある。職場の同僚の尊父はこう意味付けしたそうだ。「人の人生は露のようにはかないけれども、それでもすばらしい」と。S教授の人生は人より短かったけれども、それでもすばらしい物を私たちに残してくれた。その事を忘れないでおこう。S教授の死を、次に生き抜く私たちへのメッセージとしてとらえたいと思う。

 ⇒15日(火)夜・金沢の天気  はれ

☆値千金の「ナンセンス」

☆値千金の「ナンセンス」

 もう36年もたつのに、その時の記憶はいまも鮮明だ。生まれて初めて浴びた報道カメラのフラッシュ。いまにして思えば、あのフラッシュの感激がその後の私自身の進路を大きく左右したのかもしれない。

  能登で生まれ、金沢で高校時代を過ごした。2年生の冬、クラブはESSに所属していて、県英語弁論大会に出場する幸運に恵まれた。高校は同大会で4連勝を果たしていて、5度目の栄誉がかかっていた。このため、前年度優勝者の先輩からイントネーションや発音の厳しいチェックを受けたことを覚えている。また、当時貴重だったテープレコーダーをESSの仲間から借りて、下宿で練習したものだ。

  私が選んだスピーチのテーマは「学生運動について」だった。入学した年には大阪万博が華やかに開催され、南沙織の「17才」がヒット曲となっていた。世の中が芳しくカラフルに彩られた時代の始まりでもあった。その一方で、赤軍派による「よど号」のハイジャック事件があり、連合赤軍による浅間山荘事件もその後に起きた。金沢大学でも学生運動が盛んで、新聞紙面をにぎわせていた。そんな闘争の時代の残影に私は違和感や憤りを感じていた。

  英語弁論大会でのスピーチはその気持ちをストレートに表現したものだった。金沢市本多町の県社会教育センター分館で開かれた第7回石川県英語弁論大会は大学の部もあり、金大生も多く客席にいた。私のスピーチが余りにもストレートな表現だったせいか、大学生数人から「ナンセンス」と大声のヤジが飛び、会場は一時騒然となった。

  高校の部では、私を含め4人が参加した。審査委員の講評はいまでもよく覚えている。「これだけ会場をにぎわせた高校生のスピーチはこれまでなかった」と。自分自身それほど英語の発音が上手ではないと分かっていた。詰まるところ、大学生からヤジを浴びせられた分、ほかの3人より目立ったことがどうやら優勝の理由だった。この講評のあと、冒頭に記した新聞社の写真撮影となる。その後、後輩たちも優勝を重ねた。が、その後次第に弁論大会から英語劇へと表現方法がシフトしていった。

  私はと言うと、スピーチコンテストでの優勝経験が忘れられず、東京の大学では日本語の弁論部に入った。そこで、調査と統計、そして憲法の精神に裏打ちされた弁論の手法を徹底的にたたき込まれた。マスコミをこころざし、Uターンして地元の新聞社に入社、その後、テレビ局へとマスメディアの世界を渡り歩いた。こうして振り返ると、あの英語弁論大会が私の人生を方向づけたのだと思う。

  後日談がある。新聞社時代によき先輩に恵まれ、居酒屋に誘われた。先輩はかつて学生運動でならした人だったと別の先輩から聞いていた。その彼が「君は○○高校の出身か。そう言えば、5年か6年前に英語で学生運動を批判した生意気そうなヤツがいたぞ」と言う。私はピンときて「それは私です」と告白した。その時の先輩のびっくりした様子は今でも思い出す。話のつじつまから、ヤジを飛ばした一人がどうやら先輩だということが分かった。彼はその後退社、音信はない。ただ、優勝に導いてくれたあの「ナンセンス」のヤジに私は今でも感謝している。

 ⇒12日(土)夜・金沢の天気   くもり

☆「13.5」の人からのメール

☆「13.5」の人からのメール

 阪神・淡路大震災(1995年1月)は震度7だった。今回の能登半島地震は震度6強。この6強を6.5と計算して、「おれは13.5の男」と自称している人がいる。石川県輪島市門前町の災害ボランティア現地本部スタッフ、岡本紀雄さん(52歳)は阪神と能登の2つの地震を経験した。そして被災者だ。

  被災者だから、本当に何が必要なのかよく理解できる。その経験を生かし、新潟県中越地震(2004年10月)では被災地で支援活動をした経験を持つ。2週間余り、炊き出しやがれきの後片付けをした。前回のブログ(4月10日付)で紹介した「猿回し慰問ボランティア計画」は、避難所生活のお年寄りはストレスや疲労がたまりやすく、エコノミークラス症候群などにかかりやすいので、「何とか、外に出て歩いてもらうきっかけを」とアイデアを出し合ってひらめいたのが猿回し公演だ。細やかなことにまで気が回るのも、被災地で支援活動をした経験を持つからこそだ。

  写真は3月30日、岡本さんに案内してもらって見舞金を被災地に届けた折に撮影、本人の許可を得て、今回ブログに掲載させてもらった。ところで、阪神から能登にきた理由は。阪神大震災では、兵庫県宝塚市のマンション6階にいて、自宅は半壊した。勤務していた大手進学塾を03年に退社。勤務先の研修施設があった門前町(現・輪島市門前町)に移り住み、旅行会社を設立する一方で、地域づくりのNPO法人能登ネットワークの立ち上げに参画し、事務局長に就いた。昨夏、金沢の子どもたち30人余りを能登に招いて「里山里海自然学校」を共催した。子どもたちを甘やかさず、自立を促すように導く。そんな接し方だった。

  その岡本さんから先日(11日)、メールをいただた。以下、本人の許可を得て、抜粋して紹介する。

  「被災の方々は、これからの暮らしについて考え始めています。仮設は立ちましたが、先ほど書いたような今までの家とは比べ物にならないものです(こちらでは町営住宅でも90平米もあって4万円台の家賃、駐車場付き)。具体的な広さは知りませんが、コンテナハウスのようなものが急ピッチでたっています。本当は言ったらダメなことなのでしょうが、部屋の狭さの不平は出てくるでしょう。IH調理器やユニットバスにもなれていないでしょうから、戸惑いも多いことでしょう。」

 「ご存知のように、年配者の多い地域です。独居老人や老夫婦のことを考えると、ケアハウスのようなものを早急に考えなくてはならないでしょう。仮説だけではなく、立替や修理などの住まいの問題は、先が見えません。いろんな業者が入ってきて営業しています。自分のことだから決めるのは各自ですが、行政が音頭をとって一括した説明会などを考えないと混乱が起こることが予想されます。」

 「一昨晩、沖に漁火が二つほど見えました。今日は道下の畑でかぼちゃの植え付け作業をしていました。田植えの準備のために水利組合の会合も開かれています。稲の種まきもされています。無傷の酒タンクに残っていた中野酒造のお酒は、タンクローリーで数馬・金七酒造に運ばれ、ビン詰め作業が始まっています。ラベルは中野さんのものが張られます。能登門前は一日一日元気になってきています。能登全体はほとんど震災前のままです。間接的ボランティアお願いします。能登の物産を買ってください。能登にお越しください。」

⇒13日(金)朝・金沢の天気  はれ

☆「雲を測る」スケール感の人

☆「雲を測る」スケール感の人

 金沢21世紀美術館の屋上に据え付けられているブロンズ作品は「雲を測る男」である。その作者であるヤン・ファーブル(ベルギー)はあの有名な昆虫学者ファン・アンリ・ファーブルのひ孫だ。が、この作品を実際に見た人はブログの写真と実物はちょっと違うと言うだろう。そう、男が胴から腰にかけて白い布をまとっている。この写真を撮影した2004年9月、台風16号と18号が立て続けにやってきた。何しろ屋上に設置されているので台風で倒れるかもしれないと、まず布を胴体に巻いて、その上にワイヤーを巻いて左右で固定したものだ。

   美術館はオープン前の一番あわただしいとき。案内役だった館長の蓑豊(みの・ゆたか)氏のそのときの言葉が振るっていた。「金太郎さんの腹巻のようでしょう」と。場を和ますユーモアの人である。その蓑氏が3月31日付で館長を退任する。

 蓑氏は初代館長として、子どもが訪れやすい美術館というコンセプトで運営。開館2年余りで来館者は300万人を突破した。いまや兼六園や武家屋敷と並ぶ金沢の名所となった。金沢生まれ、慶應義塾大学(美学美術史)を卒業し、米国ハーバード大学で博士号取得。シカゴ美術館東洋部長などを歴任、現在、全国美術館会議会長も務めている。

 その華麗な経歴に似合わず、話し振りは「人懐っこいオヤジさん」という感じ。アイデアがポンポンと飛び出す。開館当時語った目標の入場者は「1日千人」。この数字をいかに日々達成していくか。たとえば、館内にはこの建物に工事にかかわった2万人の名前を金属板に刻んで掲げてある。「その家族や兄弟、子孫が名前を見に足を運んでくれる。いいアイデアでしょう」とニヤリ。「その積み重ねで賑わいや30億、40億の経済の波及効果が生まれはず」とも。アメリカ仕込みの人の心をつかむアイデアと計算の緻密さが買われ、05年4月には金沢市助役にも抜擢された。

 その蓑氏の手腕を、世界的な美術品オークション会社「サザビーズ」も欲していたようだ。退任後、蓑氏は再び米国ニューヨークに渡り、この5月からサザビーズ北米本社の副社長に就任する。「10年以上前からサザビーズに誘われていた。渡米後は世界の超一流の美術品に囲まれて暮らしたい」(20日付の朝日新聞)と語った。雲の大きさを測るような、スケール感のある人なのである。

 ⇒20日(金)夜・金沢の天気  くもり

☆チャンネルレビュー2006「視聴率」

☆チャンネルレビュー2006「視聴率」

 ことしのテレビの年間視聴率(1月1日-12月24日)のランキングが30日付の北陸中日新聞で掲載されていた。サッカー・ワールドカップやトリノオリンピックなど大型のスポーツイベントがあり、総合ベスト10のうち、スポーツが9つも占めるという結果になった。そこから何が見えるのか。視聴率の調査会社「ビデオリサーチ社」が公開している視聴率データ(関東地区)をもとに振り返る。

  ことしの総合トップは52.7%で「サッカー・2006FIFAワールドカップ 日本VSクロアチア」(6月18日・テレビ朝日)だった。試合はドローだったが、175分の緊張感はこのゼロの試合展開で保たれ、高視聴率に結びついた。以下8位まで「ワールド・ベースボール・クラシック」「ボクシング・亀田兄弟ダブルメイン」「トリノオリンピック」と続く。9位にようやくドラマ「HERO」31.8%(7月3日・フジテレビ)がランキングされてくる。そして、10位で「ボクシング・世界ライトフライ級 亀田興毅VSファン・ランダエタ」となる。つまり、年間の高視聴率10番組のうち、9つもスポーツものがランキングされた。

  数字だけを眺めれば、日本のテレビ局はスポーツコンテンツに頼らざるを得ないのか、という気分になってくる。が、つぶさに数字を追っていくとスポーツ番組の中で異変が生じているのが分かる。

  3月21日の「ワールド・ベースボール・クラシック」43.4%は、キューバとの決勝に勝ち日本が世界一となったため。しかし、これを除けば、日本のプロ野球コンテンツは上位にランキングされていないのである。序盤に巨人が首位を快走しながら数字が伸び悩み、巨人の負けがこみ出すとさらに低下した。そして、7月の巨人戦ナイターの月間平均視聴率が7.2%に落ち込むと、フジテレビが8月以降の地上波での中継をやめるという事態になった。

  さらに、読売グループの日本テレビは来季の巨人戦の主催試合(72試合)について、地上波は40試合しか放送しないと発表した(12月14日)。系列のCS放送では全試合を放送する。つまり、もう地上波の放送コンテンツとして営業的に限界線を超えているとの判断だろう。

 ちょうど10年前の1996年の視聴率ランキングでは、日本シリーズ第2戦・巨人VSオリックスと総選挙開票スペシャル番組を同一画面で見せた日本テレビが43.3%を稼ぎ、年間ランキングで2位。ほかにもベスト10のうち、巨人戦がらみの3つの中継番組が入った。こうした数字とことしを比較すると、日本テレビの危機感は相当のものだろう。民放キー局の9月中間決算でも、日本テレビの売上高は対前年同期比でマイナス5.5%となり他キー局に比べ際立った。

  スポーツ以外の番組視聴率はどうか。世界で起きていることを事実に基づき検証するといった報道番組となると、「教育・教養」のジャンルで10位にランキングされてる「筑紫哲也・安住紳一郎NYテロ5年目の真実」17.4%(9月11日・TBS)ぐらいである。それではエンターテイメントの娯楽番組はいうと、これは1位が「SMAP×SMAP」26.6%(3月13日・フジテレビ)。視聴率とすると悪くはない。「面白くなければテレビではない」のフジテレビは健在だ。

  そこで注目が集まるのは、きょう31日夜のNHK紅白歌合戦の視聴率だ。かつて大晦日の風物詩、あるいは国民的行事とまでいわれた番組も2000年以降、一度も視聴率50%を超えていない。面白いのは、フジテレビはきょうの紅白歌合戦に最近人気のフィギュアスケートをぶつけてくる。全日本選手権を制した浅田真央ら大会上位選手が顔をそろえる華やかなアイスショーの収録もの。さらにNHKはこれを意識して、紅白歌合戦の特別ゲストにトリノオリンピックのフィギュアスケート金メダリスト、荒川静香を起用している。

  不祥事が続き、受信料不払い、命令放送などなど、この1年も揺れに揺れたNHKはこの番組だけは死守したい。あやかれる人気にすべてあやかりたい、そんな思いが滲む。おそらくNHKの目標は1部40%(前回35.4%)、2部45%(同42.9%)だろう。しかし、他のマスメディアの関心事は2部が40%を切るかどうか、その一点に違いない。NHKを見る目線はいまだに厳しい。

 ⇒31日(日)午後・金沢の天気  はれ 

★ニュースアングル2006「敗北か」

★ニュースアングル2006「敗北か」

 ことしのニュースで印象深かったもの、それは12月10日の剣道世界選手権だった。男子団体が準決勝にアメリカに敗れた。37年目にして喫した敗北だった。各紙が歴史的な敗北として、「剣道敗れる。日本の国技危うし」「剣道最大の危機」などど見出しを立てた。折りしも、ハリウッド映画「ラストサムライ」がヒットしただけに、日本のプライドが傷ついたのかも知れない。しかし、当の外国人は勝負のレベルでこの試合結果を考えているのだろうか、と思う。

 このニュースを読んで、去年7月、金沢大学で講演いただいたイギリスの大英博物館名誉日本部長、ヴィクター・ハリス氏=写真=の言葉を思い出した。ハリス氏は日本の刀剣に造詣が深く、宮本武蔵の「五輪書」を初めて英訳した人物だ。ハリス氏はヨーロッパ剣道連盟の副会長の要職にあった。そのハリス氏が講演の最後の方に以下のような苦言を呈した。

 日本の剣道は精神文化の一つの行き着く先でもある。それを、国際的なスポーツにしようと意識する余り、勝ち負けという小さな世界に押し込めるのはいかがなものか、と。「ヨーロッパで剣道を始める人のほとんどは、勝ち負けを超えた、その精神性にあこがれて入門している」と。剣道をオリンピックの競技種目にとの声が日本人から発せられていることを牽制したかたちだ。「誇り高い精神修養を勝ち負けだけの判断基準であるスポーツに貶(おとし)めるな」とハリス氏は強調したのを覚えている。

 この点からいくと、アメリカチームが日本チームを凌いだことは意味がある。ハリス氏流に解釈すれば、剣道の宗家である日本に勝つことは宮本武蔵に一歩近づくことと同じなのだ。サムライの中のサムライ、宮本武蔵に近づいたという実感がアメリカチームに湧き上がったに違いない。

 勝ち負けではなく、ストイックに技を極めるプロテスタントの精神と剣道は合理性が合っているのかもしれない。ふとそんなことを考えさせるニュースだった。

⇒28日(木)夜・加賀市山代温泉の天気  あめ

 

☆哀悼2006「岩城宏之さん」

☆哀悼2006「岩城宏之さん」

 このブログを、ベートーベンの交響曲第7番を聴きながら書いている。この明るく軽快な曲想にどれほど癒されたことか。聴いているCDは今年6月に逝去した指揮者の岩城宏之さんとオーケストラ・アサンブル金沢(OEK)によるものである。私にとって、岩城さんのCDということで思い入れが深い。

  05年の大晦日から06年の元旦の年越しコンサート(東京芸術劇場)は岩城さんがベートーベンの交響曲9番までを全曲指揮する世界で唯一のクラシックコンテンツだった。経済産業省から事業委託を受けた石川県映像事業協同組合は、北陸朝日放送(HAB)にインターネット配信のコンテンツ制作を委託。HABはスカイ・A(大阪)と共同制作するという枠組みで05年のベートーベンチクルス(連続演奏)を番組化した。私はそのネット配信の総合プロデュース役で、演奏を聴きながら東京で越年した。

  大晦日で通信回線が混み合うことを想定して、ストリーミングサーバを日本テレコムの社屋内に置いた。9時間40分のネット配信でのIPアクセス(訪問者数)は2234となった。クラシック音楽のファンは国民の数%と言われおり、スポーツ映像やドラマと比べれば格段に少ないIPアクセスかも知れないが、クラシックコンテンツとすると随分とアクセスを集めた。

  2234のログを解析をした結果、訪問者のうちウイーンから17アクセスがあった。テレコム・オーストリアのサーバードメインだった。クラシックの本場から、このコンサートイベントはモニターされていたのである。私自身の怠慢で、このことを岩城さんに報告するチャンスを逸してしまった。その岩城さんは手術のために入院、そしてことし6月に逝去された。

  もしこのウイーンからのアクセスを報告していれば、岩城さんはニヤリと笑って、「ニホンのイワキはとんでもないことをやってくれたと世界の連中は言っているだろう。それで本望だ」と言葉を返してくれたに違いない。

  04年に岩城さんが初めて大晦日のベートーベン演奏をやると宣言したとき、「派手好きな山本直純(故人)がやるなら理解できるが、岩城さんがやるべきコンサートではないのではないか」と評する声もあった。しかし、その目標設定が手術を重ねた岩城さんを元気にしたのは間違いない。

  岩城さんは2度目の演奏を終えた打ち上げパーティーの席上で、3度目の挑戦を宣言していた。それが叶わなくなった今、その後も「岩城さんの後を引き継いで大晦日のベートーベンをオレがやる」という指揮者は現れていない。

⇒27日(水)朝・金沢の天気  くもり

★正論暴論2006「石油論」

★正論暴論2006「石油論」

 これを暴論と解釈するか、先見と理解するか、おそらく意見は分かれるだろう。今年、識者のピニンオンでじっくり考えさせてもらったものを2つ紹介する。先日届いた07年1月1日-8日号の「アエラ」(朝日新聞社発行)で、脳学者の養老孟司氏が述べている「早く石油を使い切れ!!」は相当にインパクトがある。

  限りある天然資源、石油の可採年数はあと40.5年とされる。そこで「省エネ」と言って、長くも持たせよう、効率よく使おうと、地球温暖化現象ともあいまって世界中が大合唱している。しかし、養老氏は「ちょっと乱暴な言い方ですが」と前置きして、「省エネすれば石油資源の寿命が延びてしまう」「限りある資源だから一刻も早く使い切れ」「その先に幸せな地球が待っている」と断じる。

 石油をめぐり世界は戦争をしてきた。そもそも太平洋戦争はアメリカのルーズベルト大統領が日本への石油を止めて日本の譲歩を引き出そうとしたことが発端だった。これに過敏に反応した東条英機がパニックとなった。そこで、日本はシンガポールを攻略し、フィリピンを占領し、インドネシアの油田を確保した。この時点で日本の目的は達成された。しかし、深みにはまっていく。

  また、養老氏は石油がなくなれば社会問題(地方分権、医療問題、子どもの教育問題など)が解決すると主張する。要は、石油のために、人間が楽をすることを覚え、体を動かさなくなった。「人間は石油を使って機会をより便利にするために躍起になってきたけれど、機械を丈夫にすると人間が壊れる」

  最後に、中国が日本や欧米のように石油を使って都市機能を動かし始めると、温暖化どころか地球は滅びる、との内容で締めくくっている。

  もう一つ紹介する。先月、金沢大学で講演した月尾嘉男氏。東大名誉教授で「ITの伝道者」でもある。その月尾氏の持論は「日本が滅びるならテレビから滅びる」である。

  「では、なぜテレビから滅びるのか」。月尾氏の持論はこうだ。世界最大にして消滅した国家は古代ローマ帝国である。末期になり腐敗した帝国は「パンとサーカス」の政策で国民支持を集め国家を維持しようとした。ローマ市民には食料と娯楽を無料で提供したのである。巨大なコロセウムで開催される残虐な闘技、いつでも利用できる巨大な浴場を無償で提供する愚民政策により、政治への不信、社会への不満を解消しようとした。そして市民が娯楽に耽った結果、ローマ市民が蛮族と蔑視していたゲルマン民族により、帝国は短期で崩壊した。衰退の原因はサーカスであった、と月尾氏は強調する。

  月尾氏にすれば、現在のサーカスがテレビ放送なのである。月尾氏はTBSの番組審議委員でもあり、いくつもの番組を視聴して批評している。そして、レベルの低さに驚嘆する。背景となる知識のない芸人が社会を評論する番組、占師の独断と偏見に満ちたご託宣に若者が感嘆する番組、学者が世間に迎合するためだけの意見を開陳する番組など。

  さらにテレビの問題は、何事も画像で表現しようとすることだ。人間の重要な能力は物事を抽象し、言葉で表現し文字で記録することである。しかし、テレビは最初に画像ありきで、一字一句までをも画像で表現しようとする。このため日本人は現実を抽象する能力と、言葉から現実を想像する能力を急速に喪失しつつある。最近の若者の短絡した行動は、この能力の喪失と無縁ではない、と。

  50年ほど前、ジャーナリストで批評家だった大宅壮一が喝破した「一億総白痴化」は着実に進行している、と言うのだ。

 ⇒26日(火)朝・金沢の天気  くもり

☆ブック2006「リアルな虚栄」

☆ブック2006「リアルな虚栄」

 今年読んだ本の中で、印象深い本と言えば、アメリカ史上最大の合併といわれ、ウォールストリート最大の失敗に終わったAOLとタイムワーナー社との合併劇の結末を描いたルポルタージュ「虚妄の帝国の終焉」(アレック・クライン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン社刊)と、1990年代のボスニア紛争でうごめいた情報操作の一部始終を描いた「ドキュメント戦争広告代理店」(高木徹著、講談社文庫)だ。とくに「虚妄の帝国の終焉」は2度読んだ。

  一度目は茶の蛍光ペンで気になるセンテンスをマークした。二度目はピンクの蛍光ペンで印をつけた。どこに反復して読む価値があるのか。この合併劇の失敗は「放送と通信の融合の失敗の事例」と日本でも喧伝されていた。果たしてそうなのかと検証したかったからである。単にルポルタージュを楽しみながら読むというより、今後日本でも十分起こりうる放送と通信・インターネット企業の合併という展開を分析したかったからだ。

  精緻な資料分析とインタビューを構成した「虚妄の帝国の終焉」は、CNNなどを擁しメディア帝国と呼ばれたタイムワーナーが企業風土も違う新興のAOLとの合併を決意したものの、最終的にはAOL側の粉飾決算などで、そのシナジー(相乗効果)が十分に発揮されないまま、AOLがタイムワーナーの一部門に降格していく様を描いている。アメリカンドリームの面白さと企業ドキュメントのリアルさが蛍光ペンを2度走らせることになったのである。

  もう一冊の「戦争広告代理店」もアメリカのネタである。NHKの取材ディレクターが丹念に取材したドキュメンタリー番組をその後に加筆してまとめ上げたもの。ボスニア紛争で「モスレム人=被害者」、「セルビア人=加害者」という分かりやすい善玉・悪玉論を情報操作したアメリカのPR会社「ルーダー・フィン」社のジム・ハーフという男の動きに焦点をあてている。どのような手法で世論を形成し、アメリカ大統領をどのように動かし、紛争に介入させたか…。そのキーワードとなった「民族浄化(エスニック・クレンジング)」という言葉がどう使われたのか、克明に描かれている。

  ジム・ハーフが駆使したPR手法の数々は高度なテクニックではあるものの、なかには企業の広報マンも使えそうな細やかな対人折衝の心得のようなものもある。「インタビューする主役に最大限に注目が集まるように、黒子(PR担当マン)は息を殺してその存在感を消す」といったプロの所作である。この本が単行本として世に出た2002年に講談社ノンフィクション賞などを受賞している。

  2冊ともダイナミックな政治と経済がテーマである。アメリカンドームと紛争。受け止めようによってはアメリカのリアルな虚栄とも表現できる。

⇒25日(月)夜・金沢の天気   はれ

★マイ・アングル2006「救いを」

★マイ・アングル2006「救いを」

 今年も残すところあと1週間。振り返ってみると、思い出深い1年ではあった。去年のいまごろは、指揮者・岩城宏之さんのベートーベン全交響曲コンサート(東京芸術劇場)をインターネット中継(05年12月31日~06年1月1日)するための準備で右往左往していた。

  ネット配信を無事終え、その2週間後にイタリアのフィレンツェに調査のため渡航した。しかも、渡航前日の成田でパスポートを金沢の自宅に置き忘れたことに気がつき、フライト当日の朝、家人に送ってもらったパスポートを羽田空港に取りに行くというハプニングも。そんなあわただしい1年のスタートだった。

  その後の仕事と生活のキーワードは「雪だるままつり」「フォーリンプレスツアー」「テレビ番組『われら里山大家族』」「長崎」「社会人大学院フォーラム」「南極教室」「三井物産環境基金」「ニュージーランド」「大学コンソーシアム石川シティカレッジ」「能登半島 里山里海自然学校」「マツタケ」「E-コマース」「エル・ネット番組」…と続く。

  その傍らにはノートPCとデジカメと携帯電話が常にあった。写真を整理すると、そのフォルダが70余り。それらの写真をもとに今年書いたブログは2つのブログサイトを合計して200余りとなった。

  今年の写真の中で印象に残った一枚はというとイタリアでのこと。国立フィレンツェ修復研究所を訪れた。世界でトップクラスの修復のプロたちが集う研究所である。許可を得て撮影をさせてもらった。修復士たちが傷んだ聖像を囲んで打ち合わせしている。ベッドに横たわり、「病んでいる私を救ってほしい」と訴える患者、その声に耳を傾ける医師、まるで病院のようなその光景に思わずシャッターを切った。日付は06年1月18日である。

⇒23日(土)朝・金沢の天気  くもり