☆「壺中日月長」 庭清掃と茶の湯のこと
寺社の庭園で清掃ボランティアをして、その後、茶会に臨む。4日に金沢市山の上町にある浄土宗心蓮社でそのような催しが開かれ、参加した。ボランティアとしてではなく、茶会のバックヤードでのスタッフとしての参加だった。
このイベントは金沢市などが主催する「東アジア文化都市2018金沢」の中の「金沢みらい茶会」の一つ。みらい茶会では「トラディショナル(伝統)」と「コンテンポラリー(現在)」の2つをテーマに茶の湯の文化を味わうという、ある意味で野心的な試みでもある。
「ボランティア茶会」を企画したのは国連大学IAS研究員のフアン・パストール・イヴァールス氏。日本の建築と庭園が専門で、研究のかたわら茶道をたしむ。フアン氏は金沢の寺社などで研究を進める中であることに気づいた。市内には庭園が数多くあるものの、所有者の高齢化などによって、あるいは経費的に維持管理ができない状態に陥っているケースが目立つことだった。心蓮社も住職が兼務で、庭園になかなか手が回らない状態だった。2年前にフアン氏が同社の庭園を訪れ、ボランティアによる清掃を住職に提案。その後、学生や知り合いの外国人仲間を誘って清掃のボランティア活動を続けている。
同社の庭園は「築山池泉式」と呼ばれる江戸時代に造られた書院庭園。湧水の池は「心」をかたどり、池のきわにはタブの巨木がそびえる。市指定名勝でもある。今回午前と午後に分けて30人余りのボランティアが参加。サンショウウオが住む池の周囲で落ち葉を拾い集めたり、草刈りなどを行った。参加したボランティアのほどんどが女性。東京や大阪などから観光で訪れ偶然イベントを知って参加した人たちや、フアン氏の活動を支援する外国人も。また、趣味で寺巡りをしている女性、テラジョ(寺女)と呼ばれる人たちもいてなかなかにぎやか。2時間ほどの作業で、庭園が清められた=写真・上=。
その後、書院での茶会に。床の間には「壺中日月長」の掛け軸。秋明菊など種の季節の花が彩りを添える=写真・下=。参加者は薄茶を味わいながら、書院から清められた庭園を眺める。寺社の庭で清掃ボランティア、そして茶会という2つのステージは参加者にとって2度心が洗われ満足度も高かったのではないだろうか。
私の仕事は「点(たて)出し」。 茶の湯で薄茶を客の前でたてるのは正客と次客の2人。3人目の客からはあからじめ、「点出しでさせていただきます」とことわってから、水屋でたてたお茶を運ぶ。お湯に入れて茶碗を温め、薄茶の粉を茶碗に入れて、茶筅(ちゃせん)をスクリューにように回してたてる。それを半東(はんとう)役が客に運ぶ。
庭園の清掃ボランティアと茶の湯という小さな空間だが、それはそれで歴史的な背景もあり、人の作法や人生観、人と自然のかかわりが時空として深く広がる。掛け軸の壺中日月長(こちゅうじつげつながし)という禅語はこの一日のことを筆一行に凝縮しているように思えた。
⇒6日(火)夜・金沢の天気 くもり










議員の「バカ」発言に別の感情を抱いた。「財務官僚にとってはショックな言葉だろう」と。財務省のようなエリート官僚たちは、点数主義の入試を突破して東京大学などに入学、さらに国家公務員試験の合格を目指し黙々と励んできた。断わっておくが点数主義の入試は透明性と公平性がある選抜システムともいえる。それを勝ち抜いてきただけにプライドは人一倍高いだろう。財務省の隠ぺい体質に浴びせられた「バカ」発言で財務官僚たちのプライドはひどく傷ついたのではないか。
本来ならば国産化は急務なのだが、それがなかなか進まない。何がネックになっているのか、それが知りたかった。また、個人的にも若干の興味はあった。私の金沢住まいは旧町名が「地黄煎町(じおうせんまち)」だった。江戸時代から、ここでは漢方薬の地黄を煎じて飴状にして売られていた。飴といっても現代のいわゆる飴ではなく、地黄を圧搾して汁を絞り出し、湯の上で半減するまで煎じ詰める。滓(かす)を絞り去り、さらに水分を蒸発させ堅飴のようにして仕上げる。堅く固まるのでノミで削って食べたと親たちから聞いたことがある。滋養強壮や夏バテに効果があったようだ。ただ、高度成長とともに宅地化が進み、地黄煎町の町名も50年前に変更になった。近所にある「地黄八幡神社」=写真=という社名から当時の地域の生業(なりわい)をしのぶのみだ。
恩師は関丕(せき・ひろ)さん、享年86歳。7年前から循環器系の病気を患っていた。高校1年のときのクラス担任で英語の女性教師、カウンセリングでもよく相談に乗っていただいた。高校を卒業して20年後、テレビ局で番組づくりに携わっていたとき取材でインタビューする機会に恵まれた。1992年10月公開のアニメ映画『パッチンして!おばあちゃん』の原作者であり、そして主人公としてだった。