⇒ドキュメント回廊

★洗い使う「アベノマスク」が届く日

★洗い使う「アベノマスク」が届く日

   新型コロナウイルスの感染拡大の影響で緊急事態宣言が延長され、「新しい生活様式」という概念が提案された。ウイルス対策について話し合う政府の専門家会議が提言した、3つの基本として①身体的距離の確保、②マスクの着用、③手洗い、を掲げている。中でもマスクの着用は、街中を歩く人や車を運転する人、見かける人のほどんとが心がけている。もともと日本ではマスクの着用に抵抗感が薄かったので、新しい生活様式としてなじみやすかったのだろう。手洗いも同様。また、ソーシャルディスタンスの言葉として定着した身体的距離の確保はコンビニなどでもちろん、エレベーターでも見かける。4つの角にそれぞれ1人が立ち、5人目として入らずに次を待つ。

   新しい生活様式による日常の最大の変化は、マスクの洗濯かもしれない。マスクは衛生上、使い捨てという概念だったが、それが一変した。生活様式としてマスクを身につけるのであれば、それは衣類と同様に持続可能な使い方をしなけらばならない。それは洗濯である。自らも実践している。洗剤で手洗いをする。1枚を2日間使い、2枚か3枚をまとめ洗いをする。ハンガーにつるすと改めて時代の変化を感じる=写真=。

   マスクは消耗品ではないということに気づかせくれたのは需要と供給のアンバランス、「品切れ」だった。先日も金沢市内のドラッグストアを2軒回ったが商品棚にはなかった。3軒目を回ろうとしたがまるで「マスク・パトロール」のようでやめた。マスクを求めて店を探し回るとの意味だが、それが3密(密集、密閉、密接)のもととなる。

   ところで、安倍総理は洗濯して繰り返し使える布マスクを全世帯に2枚配布すると方針を表明した(4月1日・新型コロナウイルス感染症対策本部)。あれから1ヵ月以上たつが、466億円かけて支給されるマスクはいつ届くのか。気になって厚労省公式ホームページを検索する。「4月17日から東京都、5月11日の週から東京都以外の特定警戒都道府県に順次、配送を開始」とある。「特定警戒県」である石川県はあさって11日から配布されるようだ。「アベノマスク」と揶揄されてもいるが、ありがたく受け取りたい。何度も洗い、着け心地をそのつど試し、そしてパンデミックの時代を語るシンボルとして保存しておきたいものだ。

⇒9日(土)朝・金沢の天気     くもり

☆コロナ的日常が創り出すビジネスと新語

☆コロナ的日常が創り出すビジネスと新語

   今ではオンラインがすっかり定着した感がある。金沢大学でも「5月6日まで対面での授業は実施しない」との新型コロナウイルスの予防対策がとられ、オンラインでの講義が中心となっている。大型連休に入ってからは、「オンラインで飲み会をやろう」という輩(やから)もいて、それも「昼から」だという。きのうのことだ。30分ほどだったが画面に顔出しをした。会話が弾み、この時初めて意識したことは、飲み会とは本来「近況を語り合う会」なのだ、と。

   この飲み会の中で、「オンライン・ソムリエ」が話題になった。金沢のワイン・バーのソムリエがネットで客とつながり、客の自宅の食卓に並ぶ料理に合うワインの銘柄などを解説してくれるという。自宅にいながらにして「マリアージュ」の楽しみ方が学べる。確かに、ワインのソムリエからはグラスに注いでもうらうだけではなく、そのワインの歴史やエピソードなどの語りが面白い。参加者から「ハッピータイムだね」と声も上がり、雰囲気が盛り上がった。

   そのワイン・バーは夜の営業は今月11日から自粛しているが、その代わり午後2時から7時まで店を開いて貯蔵しているワインを販売している。きょう午後、オンライン・ソムリエの店に行った。ネットお客と会話が始まっていた。ソムリエはオーストラリアのワインについて説明していた。「最初にブドウの木が植えられたのは1788年で、場所はシドニーにだったそうです」とまるでカウンター越しに話しかけているようだった=写真=。

   話のルールはただ一つ、コロナウイルスの話はしないことだそうだ。「話がマイナスのイメージばかりになるので避けています」と。プロの世界はリアルでもオンラインでも話が面白い。これは新しいビジネスではないか、そう実感した。ちなみにオンライン・ソムリエの利用は20分間で2000円、ワインは客が自分で購入する。帰りに店でワインを数本購入した。

   帰宅すると、高校時代からの友人が訪ねてきてくれた。先日(27日付)ブログで金沢市内のドラッグストアを4軒回ったもののマスクが販売されてなかったと書いたが、それを読んでわざわざ新品のマスク(5枚セット)を持参してくれたのだ。「マスク・パトロールばかりやっていると感染するから注意しろよ」とアドバイスがあった。マスク・パトロールという言葉を初めて聞いた。マスクを求めて、店を探し回ることを意味するそうだ。それが、3密(密集、密閉、密接)」のもととなる、とか。気遣ってマスクをプレゼントしてくれた友人にお礼として購入したワイン1本を持って帰ってもらった。

   コロナ的な日常はオンラインとうビジネスチャンスと新しい言葉を創り出している。そのひとコマを記した。とくに話の文脈はない。

⇒30日(木)午後・金沢の天気    はれ

☆コロナ的な常識 胃カメラは鼻から入れず

☆コロナ的な常識 胃カメラは鼻から入れず

   先日(22日)金沢市内の病院で胃カメラの検査を受けた。胃カメラを口からではなく、鼻から入れてほしいと頼んだ。すると看護師が一瞬身構えるように「当病院では鼻からの内視鏡検査は当面行わないことにしています。鎮静薬を注射して口から入れさていただきます。ご理解をお願いします」と言う。口からだと激しい吐き気をともなうので、これまで何回か左の鼻から入れてもらっていた。「なぜ、鼻からはダメなの」と聞き返した。

   病院では口からの胃カメラのことを「経口内視鏡」、鼻からの胃カメラのことを「経鼻内視鏡」と言っている。鼻からのチューブはやや細い。経口内視鏡は人体の防御反応による激しい吐き気をともなうケースがあり、最近では経鼻内視鏡での検査を希望する人が増えているそうだ。ところが、猛威をふるっている新型コロナウイルスは鼻の奥で多く増殖しているとされ、PCR検査も専用の綿棒を鼻から入れる。では、なぜ鼻から胃カメラを行わないのか。鼻から内視鏡を出し入れすると検査室にウイルスが飛び散る危険性があるというのだ。要は医療従事者への感染を防ぐ措置ではある。「ご理解ください」の意味が分かった。

   鎮静薬を注射して間もなく睡眠状態に入った。「終わりましたよ」の看護師の声で目が覚めた。吐き気も痛みもまったくない。案内された別室のベッドで再び眠りについた。30分ほどで目覚める。鼻の奥にある嗅覚細胞がウイルスに感染することで嗅覚障害が起こるとの説明を思い出し、室内の匂いを意識して嗅いでみる。院内独特の薬品のような匂いがして、鼻は健全だと確認して安心した。

   石川県で初めて新型コロナウイルスの罹患が確認されたのは2月21日のことで、あれから2ヵ月余り経った。罹患した50歳代の男性が前の17日と19 日にこの病院で受診していて、連日この病院のことがメディアで報じられた。それ以来、病院では感染予防に積極的な対応を取っている。検査室前の待ち合いのイスも間隔を空けて座るように工夫がなされている=写真=。

   検査後、医師の問診があった。体温の話をした。というのも、病院に入って内科のカウンターでコロナ感染予防のためと体温計を渡され3回測ったが、いずれも34度後半だったことを伝えた。医師は体調不良がなければ様子を見ましょう、ということになった。最後に「でも、コロナではなさそうですね」と。確かに、このご時世では高体温がむしろ怖い。

   一方で体温が下がると免疫力も低下するとも言われた。そこで、スマホで体を温める食材を調べ、帰りに病院近くのスーパーでキムチを買った。普段そのような思いでキムチを求めたことはない。日常でコロナ対策が常識化しつつある、ということか。

⇒24日(金)朝・金沢の天気    くもり時々あめ  

☆花の命は短くも、コロナは散らず

☆花の命は短くも、コロナは散らず

   このところの雨風で桜吹雪が舞い散り、自家用車に花びらがこびりつく。給油スタンドで洗車すること2回、毎年のことながらようやく桜の季節が終わったと実感した。自宅の庭先には、ヤマシャクヤク(山芍薬)とイチリンソウ(一輪草)が競うように白い花を咲かせている=写真=。

   山芍薬の白い花は丸いボール型に咲く、「抱え咲き」の花である。3日か4日で散ってしまう。花の命が短いだけに、実にけなげで清楚な感じがする。名前の由来の通り、もともと山中に自生している。根は生薬として鎮痛薬として利用される。山の芍薬はかつて乱獲され、今では環境省のレッドリストで準絶滅危惧種に登録されている。花言葉は「恥じらい」「はにかみ」。日陰にそっと咲く。   

   写真手前のイチリンソウ(一輪草)は「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」と称されるように、早春に芽を出し、白い花をつけ結実させて、初夏には地上からさっと姿を消す。一瞬に姿を現わし、可憐な花をつける様子が「春の妖精」の由来だろうか。1本の花茎に一つ花をつけるので「一輪草」の名だが、写真のように群生する。ただ、可憐な姿とは裏腹に、有毒でむやみに摘んだりすると皮膚炎を起こしたり、間違って食べたりすると胃腸炎を引き起こす。

   それにしてもなかなか咲かない花が、新型コロナウイルスの対策に伴う給付金だ。当初の「減収世帯へ30万円」から急きょ実施が決まった「1人一律10万円」。花の大きさにたとえると、減収世帯30万円はヤマシャクヤクのようで清楚さを感じたが、一律10万円はイチリンソウのよう。小さな花がたくさん咲いてにぎやかしく思えたが、少々毒があるようで世の中が落ちつかない。

   麻生財務大臣が今月17日の会見で「手を上げた方に1人10万円」と述べ、自己申告制で辞退もできると発言したことで物議をかもした。政府では、住民基本台帳で各家庭に申請書を送り、振込先の口座を書いて返送してもらい、送金となる。ただ、全国民を対象にした給付である以上、いわゆるネットカフェ難民といわれる人たちや、ホームレスの人たちなど住所がない人たちにはどう対処するのか、などの課題もある。

   当たり前のことだが、お金は花のようにきれいに咲かない。花は約束したように季節に咲いてくれるが、お金の約束はなかなかできない。ただ、花の命は短い。

⇒20日(月)午後・金沢の天気   くもり時々あめ

☆猿回し芸、能登への想い

☆猿回し芸、能登への想い

   奥能登・珠洲市の旧家で、江戸時代から伝わるという「猿回しの翁(おきな)」の陶器の置き物=写真・上=を見せていただいたことがある。翁は太鼓を抱えて切り株に座り、その左肩に子ザルが乗っている。古来からサルは水の神の使いとされ、農村では歓迎された。大きな河川のない能登などでは古くからため池による水田稲作が行われていて、猿使いたちの巡り先だった。猿使いたちは神社の境内などで演じ、老若男女の笑いや好奇心を誘った。代々床の間に飾られるこの猿回しの翁の置き物は、その時代の農村の風景を彷彿(ほうふつ)させる。

   その猿回しの翁とそっくりな人物と出会った。職業も同じ、「猿舞座」座長の村崎修二さん。2006年5月に友人の紹介で金沢大学の角間キャンパスで猿回し芸を披露してもらったのが最初だった。きょう午後、村崎さんから久しぶりに電話をいただいた。「コロナ騒ぎで世の中は自粛ムードなので芸人は大変ですよ」と開口一番に。続けて「昭和天皇の崩御のときも猿回しと伊勢神楽と狂言は自粛しなかった。それはね、それぞれが神様を持ち歩く人たちだから」と。人を惹きつける語り口調は相変わらずだった。本人は72歳になり、生まれ故郷の山口県周防に戻っている。

   電話での話は、猿回しという伝統芸を復活させた経緯から始まった。日本の霊長類研究の草分けである今西錦司氏(故人)が村崎さんと民俗学者の宮本常一氏(故人)に「おサルの学校」をつくってほしいと依頼したことがきっかけだった。江戸時代から連綿と続いた周防の猿回しが途絶えたのは昭和42年(1967)。佐々木組という一座が最後に演じた場所が能登半島の輪島市大西山町だった。かつて、猿回しの旅の一座を無料で泊めてくれる家を善根宿(ぜんこんやど)と呼んでいたが、戦後の高度成長期、そのような善根宿は全国的に少なくなっていた。能登は猿回しの旅芸人を快く迎えてくれた最後の場所だった、と。

   その後、今西氏らの支援を受けて、昭和52年(1977)に「周防猿まわしの会」が結成され復活する。平成19年(2007)3月25日に震度6強の能登半島地震が発生。4月21日、村崎さんの一座が相棒の安登夢(あとむ)を伴って、被災地の輪島市門前町を慰問ボランティアに駆けつけた。跳び上がって輪をくぐる「ウグイスの谷渡り」などの芸を披露。被災地のお年寄りたちを喜ばせた。このとき、村崎さんは観客の前で重大なことを言った。「安登夢は15歳、人間の年齢ならば還暦は過ぎている。きょうが引退の公演です」と。

   電話の話はこれまで何度か聞いたことがあったが、実に鮮明に周防猿回しと能登の関係、そして自分史について語っておられた。「できたらまた能登に行きたい」と。体調を崩され、デイケアにも通っているが、私への電話はそのメッセージだった。「心から歓迎します」と伝え、電話の別れを惜しんだ。(写真・下は村崎さんと安登夢の共演=2006年5月・金沢市)

⇒12日(日)夜・金沢の天気    くもり

☆蟄居生活、グランドカバーの攻防

☆蟄居生活、グランドカバーの攻防

  新型コロナウイルスの感染を警戒して自宅にこもるような生活を「巣ごもり」とメディアでは紹介され、自らは「蟄居(ちっきょ)」と言っている。江戸時代の武士に科せられた刑罰で、閉門の上、自宅の一室に謹慎する。TBS番組『水戸黄門』で黄門様が蟄居の武士と障子戸ごしに対話するシーンがあったのを覚えている。現代では都会を退いての田舎暮らしを謙遜してそう言ったり、外出をなるべく避けて家で暮らすことを指す。

   一昨日の土曜日、そして昨日の日曜日はまさに蟄居生活だった。不要不急な外出を避け、買いだめした食材を自宅で食べ、パソコンとテレビで国内外のニュースをチェックしブログを書き、読書、掃除と洗濯をする。ただ、そのような中で戦いに挑んだのが「グランドカバーの攻防」だった。分かりやすく言えば、「草むしり」だ。

   ソメイヨシノの開花ごろから雑草の勢いが増す。庭にはグランドカバープランツ(地べたに生やす植物)があり、芝生とスギゴケの2つのゾーンで、手入れをしている。ところが、油断すると雑草に覆われる。スギナ、ヨモギ、ヤブカラシ、ドクダミ、チドメグサなどは通年で生えてくる。最近はチドメグサの勢いが強い。チドメグサは茎全体が横にはって、節から根を出し、どこまでも広がる=写真=。これが芝生ゾ-ン、スギゴケ・ゾーンに侵入し、急速に増殖する。

   雑草には専用の除草剤はあるのだが、使いたくないので手作業での草取りだ。手作業は地味だ。芝生ゾーンでは、芝生の根に絡まるようにして生えているので、しかたなく芝生の根ごと除草することもある。スギゴケの場合、スギゴケをかき分けて、チドメグサの茎を捜し出して抜く。1日に2時間ほどの戦いを終えると爽快感がある。ただ、敵もさるもの、こちらの気の緩みうかがってまた攻防が始まる。持久戦ではある。

   ひと昔前なら、「年寄くさい」と一笑に付された話ではある。が、金沢の街も雑草が生い茂っている公園や住宅、道路をよく見かけるようになった。雑草をあまり気にしない人が多くなったのか。あるいは、行政は公共施設の美化に予算をさけなくなったのか。このままでは街全体のグランドカバーの攻防はじわじわと雑草にやられてしまうのではないか。

   新型コロナウイルス感染で不要不急な外出は自粛するが、この際、自宅や周囲の公園の美化清掃を行政が市民に呼びかけてはどうだろう。          

          と、書いたところで、ニュースが飛び込んできた。安倍総理はようやく緊急事態宣言の発令の意向を固めた、とメディア各社が報じている。緊急事態宣言はロックダウン(都市封鎖)かと以前から騒がれているが、法的強制力と罰則を伴う外出禁止令などが発令される海外の緊急事態宣言とは違い、日本の場合はあくまでも「自粛要請」であり、法的拘束力も罰則もない。緩い。

⇒6日(月)朝・金沢の天気      はれ

★未明にグラグラ、能登で震度5強

★未明にグラグラ、能登で震度5強

   先ほど金沢の自宅で就寝しているとグラグラと揺れを感じた。一瞬「関西か」「能登か」と思い浮かんだ。1995年1月17日の阪神淡路大震災、2007年3月25日の能登半島地震のときもも同じような揺れを感じたからだ。スマホでNHKニュースを確認すると「能登地方で震度5強」の速報が出た。能登に住む知人にショートメールで「どうだった」と確認すると、「ガタガタと揺れたが、家は大丈夫」と返信があった。

   テレビのNHKを確認すると、「午前2時18分に輪島市で震度5強、穴水町で震度5弱、マグニチュード5.5、七尾市や中能登町、志賀町、能登町、高岡市、富山市などで震度4、金沢市などで震度3」と報じられている。   

   テレビ画面で表記されている震源(✖印)は2007年3月25日の能登半島地震のときと同じ場所、輪島市門前町沖だ。このときは輪島市と穴水町でマグニチュード6.9、震度6強だった。写真はそのときの輪島市門前町の様子だ。この地区だけで200余りの住宅が全壊したと記憶している=写真・上、2007年3月26日撮影=。明け方になるにつれて全容が明らかになるだろう。地域のみなさんの無事を祈りたい。 ⇒記述:3月13日午前3時24分現在

        震源地近くで震度5強だった輪島市門前町に住む知人に8時50分に電話して、街の状況を聞いた。「13年前に比べると棚から物がそれほど落ちていない。瓦が落ちたとか壁が崩れたということもない。ただ、総持寺の石灯籠が一部崩れたらしい。13年前と比べるとおとなしい地震だった」と。この地域ではけが人も倒壊家屋もなかったと聞いて少し安心した。気象庁が午前4時30分から行った記者会見をネットのライブ中継で視聴していた。今後1週間ほど最大震度5強程度の地震に注意が必要とのこと。 ⇒記述:3月13日午前9時19分現在 

  新聞各紙は夕刊で被害状況を詳細に伝えている=写真・下=。JR七尾線、のと鉄道は一部で区間運休となった。輪島市の小学校などでは図書館で棚から落ちた大量の書籍類が散乱、給食室でも食器棚から皿など食器が落下した。能登地域では地震に人的被害や火災の発生はなかった。 ⇒記述:3月13日午後7時50分現在 

        世界の金融・経済も大揺れだ。12日のニューヨーク株式市場のダウ終値は前日比2352㌦安の2万1200㌦、下げ幅は9日につけた2013㌦安を超え、過去最大となった。ドイツやフランスの株価指数は12%強下落し、イタリアの指数は17%近く値下がりした。新型コロナウイルスの感染拡大が直撃している。13日東京株式の日経平均も一時1830円を超え、取引時間中の下げ幅としてはバブル経済末期の1990年4月以来、30年ぶりの大きさになった。日経平均の終値は12日より1128円58銭安い、1万7431円なった。終値が1万8000円を下回るのは2016年11月以来となる。(13日付・日経新聞Web版)。 ⇒記述:3月13日午後8時10分現在 

★「団子まき」まで中止とは

★「団子まき」まで中止とは

  「団子(だんご)まき」をご存じだろうか。金沢市などの寺では、釈迦をしのぶ涅槃会(ねはんえ)の法要がこの時節に営まれる。釈迦の遺骨に見立てた団子は僧侶らが米粉で作る。法要の後に団子がまかれ、参拝者は無病息災のご利益があるとされる団子を一生懸命に拾い集める。参拝者の中には、お守りとして身につける人もいる。子どものころ、競うように拾い集めたことを思い出す。

  懐かしい心の風景でもある団子まきが中止されると、きょう菩提寺からはがきが届いた。「恒例の涅槃会法要は3月22日とご案内致しましたが、昨今の新型コロナウイルス事情に鑑み、特に県内でも複数の患者が発生した事を重く受け止めて、今回は開催を自粛する方が良いと判断致しました。誠に残念ではありますが、予防と安心のためです。」と。確かに毎年境内には何十人と近所や檀家の人が集まるので、「やむなく中止」とせざるを得なかった和尚の苦渋の決断が伝わる。

  さらに別の行事の中止のお知らせもメールで届いた。茶道の利休忌の中止の案内だ。お茶の社中で3月29日に予定されていた。茶道を大成した千利休の遺徳をしので毎年営まれる。床の間に利休が描かれた掛け軸をかけ、茶を供え、一同で薄茶をいただく。利休忌ではしのぶだけではなく、「廻り花」「茶カブキ」などといった茶の湯の修練に励む大切な行事でもある。それをあえて中止するとなると、主宰者は相当の決断を要したはずだ。

   きょう石川県で5人目となる感染確認が発表された。5人とは言え、会を催す主宰者にとってナーバスにならざるを得ないだろう。勤め先の大学ではきょうも学術イベントの中止の知らせが相次ぎ届いた。新型コロナウイルスが日常の暮らしや職場環境、そして伝統文化や行事にまで暗い影を落としている。いま金沢はそんな状態だ。

⇒27日(木)夜・金沢の天気   くもり

☆いよいよ「自分ごと」に

☆いよいよ「自分ごと」に

   新型コロナウイルス問題がいよいよ「自分ごと」になってきた。来月24日に金沢市内のホテルで予定していたある報告会を中止にすることにした。自身が事業の総括報告、そしてパネルディスカッションの司会をつとめる予定だった。8つの大学の事業関係者に出席を呼びかけた矢先だった。

   中止を決断したきっかけとなったのは大学からの通達だった。きょう午後、「新型コロナウイルス対応」という書面が教職員全員にメールで届いた。「新型コロナウイルス感染症の発生状況が落ち着くまでの間は、以下の対応を実施する。」との書き出しで、「・できるだけ人込みの多い場所を避ける」「・不要不急の出張は中止する」「・イベントについては、可能な範囲で中止、延期又は規模縮小を行う」と。この通達をもとにスタッフと相談し、中止することを決めた。

   やってやれないことはない。ただ、スタッフからの意見は「通達が来ているのに、なぜあえて実施するのかという風当りも強まるのではないか」と。事業の報告書を作成中なので、後日関係者に郵送することで報告会に代えることにした。この通達の直後から学内イベントの中止の知らせが次々とメールで届いている。

   さらにショックだったのは能登に住む関係者からのメールだ。今月29日に能登で研究発表の審査会があり、出席を予定している。その審査会の主催者あてにコメントがメールで届いた。「大変申し訳ないと思うが、金沢市及び、感染経路内で活動されている方々の奥能登再訪は現在慎んで戴きたい」と。金沢市内では4人の感染者が出ている。「金沢の人間には能登に来てほしくない」という警戒心が能登の人々の心に広がっているのだろう。自分自身が警戒されているのだが、ある意味、当然と言えば当然かもしれない。

   冒頭で「自分ごと」と述べたが、中国・武漢からクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」へ。そして、日本各地から金沢での4人の感染者と事態が接近してきた。きょうは自らイベント中止の決断をし、そして能登の在住者からは「金沢の人間は能登に来てほしくない」のメールが届いた。コロナウイルス問題は、実に濃厚な自分ごとになった。

⇒26日(水)夜・金沢の天気    あめ

☆「雪中四友」のころ

☆「雪中四友」のころ

  「雪中四友(せっちゅうしゆう)」という言葉がある。厳冬のこの季節でも咲く4つの花、ロウバイ、ウメ、サザンカ、スイセンのことだ。我が家でもこの時節、床の間に飾る花はロウバイとスイセンの「ニ友」である=写真=。晴れ間を見計らって庭に出て、2種の花を切ってくる。黄色い花のロウバイは「蝋梅」と漢字表記され、ほのかな香りも楽しめる。

         もう一つの花、スイセンも可憐に咲き誇っている。学名の「Narcissus(ナルシサス)」はギリシャ神話のエピソードに由来するそうだ。美しいがゆえに、「自己愛」「神秘」といった花言葉がある。二友はそれぞれに花の個性を放っているものの、二友を引き立てる「雪中」の状況がいまだにないのは心もとない。

   金沢地方気象台は昨年12月6日に初雪を観測と発表しているが、正確には「みぞれ」を観測したのだ。みぞれは、雨と雪が混在して降る降水のこと。北陸に住む者の感性では、本来の雪とは表現し難い。それはさておき、1月半ばに入ったきょう現在でも、雪がなし状態が続いている。ご近所さんとの年初のあいさつは「雪が降らんで、いい正月やね」だったが、最近は「雪が降らんで、これはこれで気味悪いね」に変わってきた。

   積雪に備えて庭には雪吊りを施し、路面凍結でも走行できるように自家用車もスタッドレスタイヤに交換している。心の準備はでてきているのに、その雪がない。肩透かしをくらった格好だ。そんな話を友人たちとすると、「何を狼狽(ろうばい)しとる。大寒は今月20日やろ、心配せんでもこれからドカッと降るわな」と笑われた。

   雪に対する北陸独特の感性がある。雪害に対するリスク管理は個人の責任である。そのために、雪害と正面から向き合う。大雪が降れば、地域の人たちは道路の除雪するために協働し、屋根雪下ろしに互助もいとわない。

   逆に、雪をよく知るがゆえに雪をめでる。冬のこの時期に、雪見茶会が開かれる。抹茶をいただきながら、雪見障子ごしに庭をめでる。雪吊りの庭の雪景色はまさに造形と自然の融合デザインではある。少しは雪が降ってほしいものだ。

⇒15日(水)夜・金沢の天気    あめ