☆桜の季節を締めくくる兼六園菊桜のこと
けさから強い風が吹いている。午前中、兼六園に行くとその強風に桜の花が揺れている。桜の花びらが風に乱れ散るようすを吹雪にたとえて、桜吹雪と表現するが、この桜は風に散る様子もない。兼六園菊桜(ケンロクエンキクザクラ)を眺めている。
兼六園には四季折々の楽しみ方があり、ケンロクエンキクザクラもその一つ。兼六園は桜の名所で40種類、400本を超える木々があり、その中でも遅咲きの桜。ソメイヨシノが散るころに花を咲かせ、5月中旬ごろまで楽しませてくれる。一つの桜に花弁が300枚を超え、菊の花のように咲くことからこの名があるようだ。

見どころの一つは花の色が3回変わること、白咲き始めのころは濃い紅色だが、徐々に薄紅色になる。そして落下が近くなると白に近い色に変わる。そして、見どころの二つ目とされるのが散り際だ。最後は風任せの散り方ではなく、花柄ごとポロリと落ちる。桜の季節を終わりまで楽しませてくれて、潔く花の命を終わらせる。散り際に美学を感じさせることから、武家の庭園らしい見事な花だと語り継がれる桜でもある。(※写真は、花びらが薄紅色に変化している兼六園菊桜=27日午前10時ごろ撮影)
いまのケンロクエンキクザクラは2代目となる。初代は慶應年間(1865-68)に天皇より加賀藩主が賜わったものと伝えられ、別名「御所桜」とも称されていた。昭和3年(1928)に国の天然記念物に指定され、昭和45年(1970)に古死した(樹齢250年)。2代目は接ぎ木によって生まれた。あと100年もすれば国の天然記念物に指定されるのではないだろうか。
兼六園では「名木を守る」ため、台風などで名木が折れた場合に備え、次世代の後継木がスタンバイしている。人が変り、時代が変わっても、兼六園は変わらない。時空と空間を超えた壮大な芸術作品でもある。
⇒27日(日)午後・金沢の天気 はれ










勢訪れていた。河川敷では花見宴会を楽しむグループも。絵になる風景があった。菜の花とソメイヨシノの競演だ。黄色とピンクの花が咲き誇り、気持ちを和ませてくれる=写真・上=。
日本大震災の直後の2011年5月に東京でお会いして、その年の9月に能登で開催したシンポジウムで、「人は自然災害とどのように向き合っていけばよいのか」をテーマに基調講演をいただいた。
その金沢港に関する気になるニュース。メディア各社の報道(2日付)によると、政府は有事の際に自衛隊や海上保安庁による利用に備えて整備する「特定利用空港・港湾」に7道県の計8ヵ所を追加すると決定した。追加された8ヵ所のうちの港湾として金沢港が入っている。港湾では輸送鑑や護衛艦などの接岸に向けて海底の掘り下げや岸壁整備が行われる。個別の経費は掲載されていないが、2025年度予算で8ヵ所で計968億円を充てる。
金沢でもソメイヨシノが咲き始め、金沢地方気象台は29日に開花は発表した。平年より5日早い開花という。自宅の近くにある「六斗の広見(ろくとうのひろみ)では、泉野菅原神社の早咲きの寒桜が満開を迎えている=写真・上=。後を追うようにソメイヨシノが咲くとまるで競い咲きのような華やかさが楽しめる。ちなみに広見はいわゆる広場のことで、市内の何ヵ所で設けられている。これは藩政時代から火災の延焼を防ぐため火除け地としての役割があったとされる場所だ。
との文字が見えたので、「いよいよ騒動になってきたのか」と憂鬱な気持ちになった。
(Wikipedia「尹奉吉」)。戦後、韓国では「尹奉吉義士」と称され、野田山には在日大韓民国民団石川県地方本部が建立した碑がある=写真・下=。
筋コンクリート造)の集合住宅150戸が2027年3月までに建設される予定となっている。ほかの3ヵ所については場所や戸数や建て方、構造などはまだ未定のようだ。県では9市町で計3000戸程度の公営住宅を建設する見通しを示していて、「災害に強く地域の景観やコミュニティの維持に寄与し、子供から高齢者まで安心して暮らせる環境や持続性を持った住まいづくり」を整備指針に掲げている。
因にもなり、かなり厄介だ。そして、給油スタンドでの洗車の待ちに時間が取られることになる。たかが黄砂、されど黄砂、だ。
26の学習プログラム内容を紹介する冊子を『能登復興の旅プログラム集』とのタイトルで5千部作成し、3大都市圏(東京、大阪、名古屋)の中学校や旅行会社に配布する。ことし8月に教育関係者、12月に旅行会社向けのモニタ-ツアーを実施する段取りで、来年度から本格的にツアーの受け入れを行うようだ。(※写真は、七尾市の学習プログラム「被災商店街で語り継ぐ能登半島地震の記憶」の現場。被災した和ろうそくの店など=2024年1月29日撮影)