⇒ドキュメント回廊

★ワクチン敗戦国の無残な姿~下

★ワクチン敗戦国の無残な姿~下

   新型コロナウイルスのワクチンをめぐって、興味深いニュースが流れていた。NHKニュースWeb版(5月6日付)によると、WTO(世界貿易機関)は、ワクチンの供給を拡大するためにワクチンの特許権を一時的に停止すべきかどうか協議している。南アフリカとインドが低価格のジェネリックワクチンを自由に生産できるよう、特許権を一時的に停止することを提案し、ワクチンを十分に確保できていない途上国の間で支持が広がっている。これについて、アメリカ政府は特許権の停止を支持すると表明した。

    予約で混乱、コロナ禍は拡大、まるで破滅の行進曲  

   また、時事通信Web版(同7日付)によると、ドイツ政府は生産能力の増強を目指すべきだとして消極的な姿勢を示した。報道官は声明で「ワクチン生産の障害となっているのは、生産能力と高い品質が要求されることであって、特許ではない」と強調。「知的財産権の保護は技術革新の源泉であり、将来もそうあるべきだ」と指摘した。

   記事を読んでの自身の感想で言えば、「ジェネリックワクチンはそう簡単ではない」ということだ。先発メーカーがコストと時間をかけて開発した新薬(先発医薬品)を安価に大量生産という目的のために簡単に技術を渡せるものなのか。特許権の一時的停止ではなく、むしろ、ワクチン製造メーカーが信頼がおけると判断したメーカーに委託生産をするという方式でなければ技術は伝わらない。この国際的な論議の中で、日本政府はどのような考えなのだろうか。日本国内での委託生産を積極的に受け入れると表明した方がよいでのはないか。

   きのうの続き。金沢市は6日にワクチン接種の予約受付を開始したが、市内の医療機関に足を運んでも受け付けてもらえず、コールセンターに電話しても繋がらない状態だった。朝9時に受付開始なのでけさ電話したが、『回線が混み合ってるのでかけ直して下さい』と自動音声が繰り返されるだけだった。結局、きょうも予約はできなかった。別に焦ってはいないのだが、行動範囲が狭められていることに気分がうっ積している。

   金沢市で起きているワクチン接種の予約をめぐるトラブルは全国でも起きている。横浜市では、80歳以上の34万人を対象に今月3日午前9時に始まった。ところが、専用ホームページや電話での申し込みが殺到し、45分で受付中止となった。サーバーを増設するなどして5日に再開したものの、電話は終日かかりにくい状態が続いた。6日朝、今回用意した7万6千人分の予約が埋まり、受付はいったん締め切った(5月6日付・毎日新聞Web版)。電話が繋がらない、アプリでアクセスできない、そのように取り残されたシニアの人たちはどう思っているだろうか。北陸では「ワクチンよこせ」の一揆が起きそうな気配だ。

   オープンな接種はできないものだろうか。たとえば、選挙管理委員会と連携して、予約なしで有権者名簿をチェックするだけで市内の地区ごとで接種ができるようにすればどうだろう。場所は選挙のように体育館を使う。その代わり、地区によって接種日が異なる。そうなれば、少なくとも予約の混乱は防げるのではないか。

   きょう石川県は1日の感染者としては最多となる47人の感染が確認され、1人が亡くなったと発表した。県ではコロナ禍で感染拡大に歯止めがかからないとして、政府に対し、金沢市を対象地域として「まん延防止等重点措置」の適用を要請した(6日付・石川県庁公式ホームページ)。これにともない、金沢市内の飲食店の営業時間は午後8時までになる見通しだ。ワクチンは十分に届かない、コロナ禍はさらに拡大する。破滅の行進曲が聞こえてくるようだ。

(※写真はファイザー社のワクチン=同社の公式ホームページより)

⇒7日(金)夜・金沢の天気      くもり

☆ワクチン敗戦国の無残な姿~上

☆ワクチン敗戦国の無残な姿~上

   きょう6日、金沢市でも65歳以上を対象にした新型コロナウイルスのワクチン接種の予約受付が始まった。自身もその対象に入るのでさっそく自宅近くの内科医院へ申し込みに出かけた。「電話での申し込み」と市の説明書に書いてあったが、電話だと混雑してかかりにくいかもしれないと察して、直接申し込みに行くことにした。ところが、医院の受付の女性は「せっかくおいでいただきましたが、直接の申込受付はいたしておりません。市のコールセンターに電話して申し込むか、LINEでも予約ができます」とチラシ=写真=を出してきた。

      自国で開発できず、国民は求めさまよう、これが日本の姿か

   せっかく来たのにと文句の一つでもと思わないでもなかったが、「市の健康政策課の担当者からは医療機関に電話で直接申し込むことができる言われましたよ。わざわざ足を運んだのですから、受付の登録をしてくださいよ」とお願いした。すると、「当院では直接受け付けておりませんので市のコールセンターにお電話ください」の一点張りだ。すると、「そんなダラなね。せっかく来たのに」と背後から声がしたので振り返ると、順番待ちの人が5人いて、私と受付の女性のやり取り聞いていたようだ。「市のコールセンターに電話をかけたけど、電話が繋がらんからわざわざ来たんや。それがダメならどうすりゃいいんや」と、杖をついた高齢の男性が怒りだした。一触即発の状況だととっさに思い、「ここで言い合っていてもラチがあきませんので、自宅から気長にコールセンターに電話しましょう」と場をなだめて外に出た。

   そもそも、高齢者にLINEで予約を申し込めということ自体が間違っているのではないか。総務省「情報通信白書(令和2年版)」によると、70代(70-79歳)のSNS利用者は41%だ。さらに、「NTTドコモ」モバイル社会研究所のSNS利用動向についての調査リポート(2020年6月29日付)によると、スマホを所持する70代の46%がLINEを利用している。この割合でいくと、LINEを使っている70代は19%、つまり5人に1人ということになる。金沢市の65歳以上の人口は12万人なので、LINEで申し込んでいる人は2万2千人だ。残り9万8千人は電話で申し込むか、直接申し込むしかない。

   午後4時、コールセンターに30回目の電話をしたが、『回線が混み合ってるのでかけ直して下さい』と自動的に繰り返さるだけだった。そこで、近くの別の内科医院を探して申し込みに行った。この医院では窓口に「コロナワクチン受付」と貼り紙がしてあり、名簿に記入して待合室で順番を待った。番号は「165」だった。しばらくして受付の女性から名前が呼ばれた。「ウノさんは当院は初めてですよね。当院では通院をされておられる方のみワクチン接種は受け付けています。申し訳ありません」と。「えっ、でもコロナワクチン受付と書いてあるではないですか。ダメなんですか」と言うと、「配布されるワクチンの量が限られているということで仕方なく通院されている方を優先させていただいています」と。

   実に情けない気分になった。LINEは使わないことにしているので、わざわざ申し込みに出向いたのにこの様だ。その後、コ-ルセンターに電話しても繋がらない。高校時代からの友人が金沢に住んでいるので電話した。すると彼も通っている病院に申し込んだが、1週間後に再度申し込んでほしいと言われたという。「まるで日本はワクチン後進国だね」と言うと、彼は「いや、ワクチン敗戦国だよ」と返してきた。自国でワクチン開発をできず、他国の企業に頼らざるを得ない。一国の首相がわざわざ製薬会社の社長に電話して拝む頼むでワクチンの供給を懇願する。そして、国民はワクチンを求めてさまよっている。まさに、敗戦国の姿ではないか。

⇒6日(木)夜・金沢の天気     はれ

★「心の灯り」能登の祭りがことしも

★「心の灯り」能登の祭りがことしも

   地域の祭りが盛んな能登でよく使われる言葉がある。「盆や正月に帰らんでいい。祭りには帰っておいで」と。親たちが、ふるさとを離れて都会などで暮らす子どもたちによく言う。能登の祭りは「キリコ」と呼ぶ高さ10㍍ほどの奉灯(ほうとう)や曳山(ひきやま)がにぎやかに練り、地域にとっては年に一度のビッグイベントなのだ。その祭りがことしも開催が危ぶまれている。

   先日、輪島市門前町の「黒島天領祭」の関係者から電話でヒアリングがあった。黒島はかつて北前船船主が集住した街で、貞享元年(1684)に幕府の天領(直轄地)となり、立葵(たちあおい)の紋が贈られたことを祝って始まった祭礼とされる。輪島塗と金箔銀箔で飾った豪華な曳山=写真=が特徴で、毎年8月17、18日に行われる。自身もこれまで祭りに参加する学生たち40人ほどを連れて黒島を訪れている。昨年(2020年)は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため中止となっていた。

    ヒアリングは「ことし祭りを実施したら、学生のみなさんには参加してもらえるでしょうか」との内容だった。祭りの実施をめぐって祭礼実行委員会のメンバーの中で意見が分かれているとのこと。2台の曳山には曳き手や行列などでそれぞれ100人ほどが携わる。まさに「3密」状態となるので、コロナ禍が治まっていない現状ではことしも中止せざるを得ない、との意見。一方、これまで祭りの歴史にはさまざま困難はあったものの継続してきたので、規模を縮小してでも実施すべきとの意見に分かれている。

   ヒアリングでの問いにはこう答えた。「大学の講義でもオンラインと対面の授業に分かれている。この状況では学生たちも前向きに祭りに参加しようというモチベーションにはなれない」と。「ワクチン接種が行き届くまで待ちましょう」と付け加えた。黒島天領祭の実施の結論はまだ出ていないが、中止派が多数と聞いた。地域の人にとって祭りは「心の灯り」のようなものだ。その灯りを絶やしたくないという想いは双方同じだろう。

   能登を代表する祭りとして知られる七尾市「青柏祭」(5月3-5日)のメイン行事は高さ12㍍の山車「でか山」3基が街を練るが、昨年に続きことしも山車の運行は中止となった。そして、きょうの紙面では「金沢百万石まつり」(6月4-6日)がことしも中止の方向で検討されているようだ(4月29日付・北國新聞)。石川県の発表によると、きょう新たに新型コロナウイルス感染者39人を確認した。1日の感染者数としては過去最多となった。また、能登半島の尖端に位置する珠洲市で初めて陽性が確認され、県内の全市町で感染者が出たことになる。祭りの季節を前にコロナ禍がことしも立ち塞がる。

⇒29日(木)夜・金沢の天気      くもり時々あめ

★震災から5年、熊本城は復旧半ば

★震災から5年、熊本城は復旧半ば

   5年前の2016年4月14日、熊本地方を震源とする最大震度7の地震が発生した。その28時間後にも再び震度7の地震に見舞われた。その後も震度6弱以上の地震が7回発生した。2度の震度7の揺れで被害を受けた熊本城は天守閣や石垣などが崩れ、被災のシンボルでもあった。震災から6ヵ月後となる10月8日に被災地を訪ねた。

   当時テレビで熊本城の被災の様子が報じられていた。かろうじて「一本足の石垣」で支えられた「飯田丸五階櫓(やぐら)」を見に行った。ところが、石垣が崩れるなどの恐れから城の大部分は立ち入り禁止区域になっていて、見学することはできなかった。ボランティアの腕章を付けた女性がいたので、「被災した熊本城でかろうじて残った縦一列の石垣で支えらた城はどこから見えますか」と尋ねた。すると、「湧々座(わくわくざ)の2階からだったら見えますよ」と丁寧にもその施設に案内までしてくれた。

   「湧々座」は熊本城の近くにある県の施設で、飯田丸五階櫓の様子がよく見えた。応急工事が施されていた。ボランティアの女性の説明によると、櫓の重さは35㌧で、震災後しばらくはその半分の重量を一本足の石垣が支えていた=写真・上、熊本市役所公式ホームページより=。まさに「奇跡の一本石垣」だった。それを高さ10㍍の「コ」の字形の鉄骨の架台で櫓を支え、一本足の石垣の倒壊を防いでいるのだと説明してくれた=写真・下=。湧々座からの見学後、熊本城の周囲をぐるりと一周したが、飯田丸五階櫓だけでなく、あちこちの石垣が崩れ、櫓がいまにも崩れそうになっていた。

   熊本城は築城の名人として知られた加藤清正が慶長12(1607)が築いた。「日本一の名城」は熊本市民の誇りであり、城の復旧は「熊本復興のシンボル」でもある。天守閣が復旧工事を終え、今月26日から内部が一般公開される。しかし、崩れた10万個にもおよぶ石垣を元に戻す作業は時間がかかる。飯田丸五階櫓もようやく石垣部分の積み直しが終わったものの、建物部分はまだ解体されたままとなっている。復旧工事は2037年度まで続く(熊本市役所公式ホームページ)。名城の復旧には時間がかかる。

⇒14日(水)夜・金沢の天気   はれ

☆庭仕事の愉しみと床の間の風景

☆庭仕事の愉しみと床の間の風景

   きょう11日、金沢の気温は17度まで上がった。これまで肌寒さを感じる「四寒三温」が続いていたが、ようやく春めいた天気となった。午後から庭の「草むしり」に精を出した。雑草は例年、ソメイヨシノの開花ごろから勢いが増す。スギナ、ヨモギ、ヤブカラシ、ドクダミ、チドメグサなどがもう顔を出していた。無心に雑草を抜き取り、落ち葉を掃く。草むしりはまるで雑念を払う修行のようなものだ。 

  作業の途中、松の枝葉がサラサラと音を立て、風が頬をなでた。ドイツの詩人、ヘルマン・ヘッセの詩を思い出した。ヘッセは庭好きだった。庭に関するヘッセの詩やエッセイを集めた『庭仕事の愉しみ』(草思社)の中に、「青春時代の庭」という詩がある。「あの涼しい庭のこずえのざわめきが 私から遠のけば遠のくほど 私はいっそう深く心から耳をすまさずにはいられない その頃よりもずっと美しくひびく歌声に」。庭の梢(こずえ)のざわめきが美しい歌声に響くほどにヘッセは庭をめでたのだ。

   草むしりを終え、心地よかった庭の風を連想して、床の間に『閑坐聴松風』の掛け軸を出してみた=写真=。「かんざして しょうふうをきく」と読む。静かに心落ち着かせて坐り、松林を通り抜ける風の音を聴く。茶席によくこの軸け物が掛かる。釜の湯がシュン、シュンと煮えたぎる音を「松風」と称したりする。花は庭のリキュウバイ(利休梅)とフクジュソウ(福寿草)を生けた。日曜日の静かな午後の愉しみでもある。

⇒11日(日)夜・金沢の天気      はれ

★イフガオの絶景と未来可能性~下~

★イフガオの絶景と未来可能性~下~

   フィリピン・ルソン島のイフガオの棚田は、ユネスコやFAOにより国際的に評価を受け世界遺産や世界農業遺産(GIAHS)に登録されているものの、若者の農業離れやマニラなど都市部への流出により、耕作放棄地の増加が懸念されている。地域の生活・文化を維持し、「天国への階段」とも称される絶景の棚田群をどう守るか。JICAや世界のNGOが懸命になって、地域を支援している。

   実は、イフガオとはスケールは違うが同様の課題を有しているのが、能登半島だ。担い手が減り、田んぼを始め、山林や畑、地域の祭り文化も後継者がいないというところが目立っている。そこで、金沢大学と自治体は連携して2007年から、若者たちに地域の価値を理解してもらい、地域資源をどのように活用するかを考え、実践する人材を育てる「能登里山里海マイスター育成プログラム」(現在「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」)に取り組んでいる。スタート時のプロジェクトリーダーは中村浩二教授(当時)だった。

   人材育成プログラムで見えてきた「ボトムアップ民族」の力強さ

   この能登で取り組みを、中村教授がフィリピン大学の教授たちに紹介したのがきっかけとなり、能登の人材養成を取り組みをイフガオでも活かせないだろうかと訪れたのが、前回のブログで述べた2012年1月の訪問だった。

   大きく動いたのは2013年5月だった。能登の七尾市でFAO主催の 世界農業遺産(GIAHS)国際フォーラムが開催され、「能登コミュニケ(共同声明)」が採択された。その内容の一つが「先進国と開発途上国の間の認定地域の結びつきを促進する」との勧告だった。開催地の能登GIAHSはどう取り組めよいのか、議論となった。中村教授が提案したのは、能登とイフガオの連携、そして持続可能な地域づくりに欠かせない人材育成事業のイフガオでの展開だった。JICAへの事業申請に取り掛かり、実施主体を金沢大学、さらに能登と佐渡の世界農業遺産の関係者を交えた「イフガオGIAHS支援協議会」を結成することですそ野を広げた、JICAの採択を受け、2014年2月からフガオ里山マイスター養成プログラム事業が始まった。

   現地イフガオでは、「イフガオGIAHS持続発展協議会」が設立され、イフガオ州、イフガオ大学、フィリピン大学、地元4自治体(バナウェ、ホンデュアン、マユヤオ、キアンガン)、政府機関のイフガオ州事務所が参加。 会長にイフガオ州知事が就いた。この年の3月に「イフガオ里山マイスター養成プログラム」が開講した。面接で社会人の受講生20人が選ばれた。月に一度、1泊2日の泊りがけでの研修だ。カリキュラムに沿って学ぶ。里山概論や土地利用、生態学的な視点、伝統的なコメづくり、地元食材の料理法などを学んでいる。その上で、イフガオ棚田を保全し、活性化することを自らのテーマとして選び、調査し、議論を重ねた。

   9月には能登での研修が組まれ、能登のマイスタープログラムの交流や先進地視察など行う。この年の受講生のうち10人が能登を訪れた。輪島市の千枚田では稲刈りを体験した。イフガオの稲は背丈が高く、カミソリのような道具で稲穂の部分のみ刈り取っており、カマを使って根元から刈る伝統的な日本式の稲刈りは初めて=写真・上=。イフガオの民族衣装を着た受講生たちは、収穫に感謝する歌と踊りを披露した。

   11月、受講生たちは課題研究の中間発表を行った。マリヤ・ナユサンさん=保育士=のテーマは「離乳食に活用する伝統のコメ品種」。保育士の立場から、離乳食の歴史を調べ、乳児の発育によいイフガオ伝統コメ品種を比較調査している。マイラ・ワチャイナさん=家事手伝い・主婦=のテーマは「伝統品種米の醸造加工」。親族が遺した伝統のライスワイン製造器を活用し、イネ品種やイースト菌の違いによる酒味やコクを調査。売上の一部を棚田保全に役立てる販売システムを研究していた。発表を聴いたイフガオ州知事のハバウエル氏は「州の発展に役立つものばかりだ。ぜひ実行してほしい。予算を考えたい」と賛辞を送った。

   そして、2015年3月、1期生の修了式が国立イフガオ大学で執り行われた=写真・下=。1年間の講義とフィールド実習、能登研修、卒業課題研究を修了した14人一人ひとりに中村教授から修了証書が手渡された。ハバウエル知事は祝辞で、同州でも地域活性化の人材養成はまったなしの課題になっていると人材育成プログラムに期待を寄せた。

   その後、ワチャイナさんのライスワインはどう展開しているのか。ライスワインはで家々の酒だったが、同じ酵母による品質の基準化と瓶詰の商品ラベルを統一化を図り、共同出荷する体制を整えて販売を始めた。品質のラベルの統一化は能登での研修でヒントを得た。今はコメ農家と契約で品質の向上に取り組んでいる。イフガオで新たなライスワイン・ビジネスが生まれたのだ。

   2012年1月、壮大な棚田を見上げて、「イフガオはいつまで持つのか」が第一印象だった。「ところがどっこい」である。今では、女性たちによるライスワインの共同販売や、特産の黒ブタのブランド化、田んぼでのドジョウの養殖、棚田を守る運動などマイスター修了生たちによるアクティブな活動が目立つようになってきた。それも、トップダウン型ではなく、ボトムアップ型の動きなのである。2000年前に「天国への階段」をつくり上げたのは一部の権力者ではなく、民のチカラだったとイフガオの人々は自負する。まさに、「ボトムアップ民族」ではないかと考察している。

   2020年現在で修了生は100人を超え、2021年からは国立イフガオ大学の社会人教育プログラムとしてイフガオ里山マイスター養成プログラムは継続される。

⇒6日(火)午前・金沢の天気     はれ

☆イフガオの絶景と未来可能性~上~

☆イフガオの絶景と未来可能性~上~

   自身のパソコンは「Windows10」の設定で、電源を入れるとスクリーンに世界の絶景が表示される。画像は2、3日置きに入れ替わり、楽しく眺めている。現在表示されているのはフィリピンのルソン島イフガオの棚田の風景=写真=で、懐かしい思いで眺めている。

   金沢大学のJICA事業として2014年2月から、「世界農業遺産(GIAHS)イフガオの棚田の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援事業」(略称:イフガオ里山マイスター養成プログラム、ISMTP)に取り組んだ。3年間の節目で事業主体は変更したものの、ISMTPそのものは今年1月まで足掛け7年間に及ぶプロジェクトとなった。自身もこれまで5回現地に赴いた。

    危機遺産リストが教えてくれたイフガオの現状と為すべきこと

   最初に訪れたのは2012年1月だった。FAOの世界農業遺産に能登半島の「NOTO’s Satoyama and Satoumi(能登の里山里海)」が2011年6月に認定され、大学の中村浩二教授(当時)の発案でGIAHSの国際ネットワークづくりができないか相手先を探していた。フィリピン大学の教授から、すでにユネスコ世界遺産に登録され、GIAHSにも認定されていたイフガオを紹介され、連携の可能性を探りにイフガオに赴いた。チャーターしたワゴン車でマニラから車で8時間かけて移動した。

   ルソン島中央のコルディレラ山脈の中央に位置するイフガオ族の村、バナウエに着いた。2000年前に造られたとされる棚田は「天国への階段」とも呼ばれている。最初に見た村の光景は、半世紀前の奥能登の農村のようだった。男の子は青ばなを垂らして鬼ごっこに興じている。女子はたらいと板で洗濯をしている。赤ん坊をおんぶしながら。ニワトリは放し飼いでエサをついばんでいる。七面鳥も放し飼い、ヤギも。家族の様子、動物たちの様子は先に述べた「昭和30年代の明るい農村」なのだ。

   一つ気になることがあった。人と犬の関係が離れている。子たちが犬を抱きかかえたりはしない。犬も人に近寄ろうとはしない。同行してくれたフィリピン大学のイフガオの農村研究者に訪ねると、こともなげに「イフガオでは犬も家畜なんですよ」と。

   もう一つ気になったことがある。バナウエの棚田をよく見渡すと、棚田のど真ん中にぽつりと新築の一軒家が立っていたり、振興住宅地のように数十軒が軒を並べていたり、3階建てのホテルのようなビルも建っていて、世界遺産や世界農業遺産の景観と不釣り合いなのだ。ここ10年余りで棚田の宅地化が進んでいると先の研究者が説明してくれた。1995年にユネスコ世界遺産に登録されてから、欧米などの外国人観光客が増え、2010年の現地の統計で観光客数は10万3000人だった。

   確かに、沿道には土産物店が軒を連ね、バイクの横に1人乗りの籠(かご)をくつけた、「トライサイクル」と呼ばれる3輪車が数多く走り回っている。トライサイクルの料金は1時間30ペソだ。精米されたコメが1㌔35ペソで市販されるので、コメを作るより、トライサイクルを走らせた方が稼げると考える若者が増えている。いわゆる若者の農業離れが観光化とともに進んでるのが現状のようだ。バナウエ市役所に当時のジェリー・ダリボグ市長を訪ねると本人も「深刻な問題だ」と語った。同市の棚田の面積は1155㌶(水稲と陸稲の合計)で、これを専業の農家270軒で耕している。最近はマニラなどの大都市に出稼ぎに出るオーナー(地主)も多くなり、耕作放棄地は332㌶に増えていると。

   ユネスコも観光の影響や後継者不足による耕作放棄地、転作による景観への影響などを問題視にしていて、すでに2001年に「危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)」に追加していた。このため、たフィリピン政府とイフガ州などは環境保護対策や国内外の支援、保全技術の開発などに取り組んだことが認められて、ようやく2012年7月に危機遺産リストからの削除が決まった。このニュースに耳立てたのはイフガオから帰国して半年後のことだった。

   このニュースによって、現地の若者が稲作を通して「イフガオのブランド価値」を高めるという発想を持ってもらえるチャンスではないと考えた。それが、「イフガオ里山マイスター養成プログラム」という人材育成事業だった。

⇒5日(月)午後・金沢の天気      はれ  

☆身の回りのコロナ世情

☆身の回りのコロナ世情

   コロナ禍の世情を眺めてみると、実は身の回りにいろいろ起きていると気付く。きのう2日、コーヒーのカプセルを通販で注文している「ネスカフェ」からお詫びのメールが届いた。以下。

「専用カプセルをご購入いただいているお客様にお知らせとお詫びがございます。専用カプセルは、主にヨーロッパの工場で製造し、輸入していますが、世界的な商品の需要増加と昨年末からの国際輸送の逼迫により、現在一部の商品で欠品が発生しております。さらに、その他の商品の安定供給も困難な状況となりましたため、十分な供給体制が確保されるまでの間は、専用カプセルにおきまして、新規の定期お届け便への商品追加注文と単品購入を休止とさせていただきます」

   新型コロナウイルスのパンデミックで自宅でのコーヒ-飲みが世界中で急増していて、ヨーロッパでの生産が追いついていないという内容だった。5月半ばで再開するので、それまでは我が家もインスタントコーヒーで。

   先日自宅近くのガソリンスタンドで給油した。ガソリンはまだ半分ほど残っていたが、このところ毎日のように価格が値上がりしているので、1円でも安いうちにと消費者心理が働いて満タンにした。1㍑当たり149円だった。それにしても不思議だ。新型コロナウイルスの感染で、不要不急の外出自粛やオンライン会議、リモートワークの生活スタイルが定着して、自身もマイカーに乗る回数が減ったと実感している。街中でもコロナ禍以前の3分の2ほどの交通量だ。さらに、脱炭素化で「EVシフト」が加速し、電気自動車やプラグインハイブリッド車が目立つようになってきた。

         車のガソリン需要は全国、あるいはグローバルに見ても減少傾向だろう。脱炭素時代に入り、石油が余っていると思うのだが、ガソリンの小売価格が上がっている。解せない。

   そしてこれは、おそらく日本人の誰もの感じていることだ。なぜ日本の製薬メーカーが新型コロナウイルスのワクチンや治療薬を独自開発できないのか。メディアに報じられている開発メーカーは、ファイザーやモデルナ、アストラゼネカ、ジョンソン・エンド・ジョンソン、ノババックスなどアメリカやイギリスの会社だ。日本の製薬メーカーは不活化ワクチンというインフルエンザのワクチンをつくる伝統的な技術には強いが、独自にコロナワクチンを開発したというニュースを見たことも聞いたこともない。

   日本の最大手、武田薬品工業は売上高で世界トップ10に入るメガファーマ(巨大製薬企業)だ。それでも、コロナワクチンの独自開発をしていない。ただ、同社はノババックス(アメリカ)が開発したコロナワクチンについて、日本国内での臨床試験(治験)を開始したと発表した(2月24日付・時事通信Web版)。下請けだが、7月以降に結果をまとめ、厚生労働省に薬事承認を申請。年内の供給開始を目指すという。

   きょう石川県は、新たに11人に新型コロナウイルスへの感染が確認されたと発表した。きのうは14人で2日連続の二桁の人数だ。いよいよ第4波の始まりか。県内のワクチン接種は今月13日から一部自治体でようやく始まる。ワクチンから日本の滞った国の姿がよく見える。

⇒3日(土)夜・金沢の天気      はれ

☆黄砂がもたらすもの

☆黄砂がもたらすもの

   きのう野外の駐車場に停めておいた自家用車のフロントガラスが一夜で白くなった。きょう日中も金沢を囲む山々がかすんで見えた=写真=。黄砂だ。ソメイヨシノは満開なのだが、空がこのようにかすんでいては見栄えがしない。

   日本から4000㌔も離れた中国大陸のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠から偏西風に乗って黄砂はやってくる。最近では、黄砂の飛散と同時にPM2.5(微小粒子状物質)の日本での濃度が高くなったりと環境問題としてもクローズアップされている。外出してしばらくすると目がかゆくなってきた。黄砂そのものはアレルギー物質になりにくいとされているが、黄砂に付着した微生物や大気汚染物質がアレルギーの原因となり、鼻炎など引き起こすようだ。さらに、黄砂の粒子が鼻や口から体の奥の方まで入り、気管支喘息を起こす人もいる。

   黄砂は「厄介者」とのイメージがあるが、意外な側面もある。黄砂といっしょにやってくる微生物を「黄砂バイオエアロゾル」と呼ぶ。金沢大学のある研究者は、食品発酵に関連する微生物が多いこと気づき、大気中で採取したバチルス菌で実際に納豆を商品化した。その納豆の試食会に参加したことがある。日本の納豆文化はひょっとして黄砂が運んできたのではないかとのその研究者の解説に妙に納得したものだ。

   生態系の中ではたとえば、魚のエサを増やす役割もある。黄砂にはミネラル成分が含まれ、それが海に落ちて植物性プランクトンの発生を促し、それを動物性プランクトンが食べ、さらに魚が食べるという食物連鎖があるとの研究もある。地球規模から見れば、「小さな生け簀(す)」のような日本海になぜブリやサバ、フグ、イカ、カニなど魚介類が豊富に獲れるのか、黄砂のおかげかもしれない。

⇒30日(火)夜・金沢の天気        くもり

★「外来種」ヒメリュウキンカを生ける

★「外来種」ヒメリュウキンカを生ける

   春分のこの時節、金沢でもウグイスの鳴き声を聞く。庭にはウメやツバキが、地面にはヒメリュウキンカの黄色い花が咲いている。床の間に季節の花を活けてみる=写真=。ヒメリュウキンカの花は小ぶりなので主役ではないが、愛くるし眼差しのようで目を引く。

   これまで意識はしていなかったが、ヒメリュウキンカはヨーロッパが原産のいわゆる外来種のようだ(3月21日付・北陸中日新聞)。日本の固有種を駆逐するような特定外来生物などには指定されていない。1950年代ごろに園芸用として国内に入り、金沢市内でも一時、流行したという。葉の形が似たリュウキンカから名前が取られたが、属は異なる。英語名のセランダインとも呼ばれる(同)。

 
   外来種といえば、このブログでも何度か取り上げたタカサゴユリもそうだ。旧盆が過ぎるころ、花の少ない季節に咲く。「高砂百合」の名前の通り、日本による台湾の統治時代の1924年ごろに園芸用として待ちこまれたようだ(ウィキペディア)。当時は外来種という概念もなく、花の少ない季節に咲くユリの花ということで日本で受け入れられたのではないだろうか。匂いもなく、同じころに咲くアカジクミズヒキやキンミズヒキといった花と色合いもよく、床の間に飾られてきたのだろう。
 
   ヒメリュウキンカにしても、タカサゴユリにしても外来種だからといって、自身はほかの在来種と分け隔てしているわけではない。ただ、両方とも繁殖が旺盛なため、増えすぎると根ごと除去することにしている。そして、庭を眺めて植物の生存戦略というものに感じ入ったりする。タカサゴユリは同じ場所に何年も生育すると、土壌に球根を弱める特定のバクテリア(病原菌)が繁殖して枯死してしまう。連作障害だ。そのため、タカサゴユリは種子を風に乗せて周辺の土地にばらまいて新たな生育地に移動する。「旅するユリ」とも称される。

   ブログでこのようなことを書くと、知り合いの植物学者からは、「外来種を床の間に生けるなんて、そんなのんきなことをやっているから在来種が駆逐されるんだ」と言われそうだが。

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