★「小泉訪朝」から20年 「拉致1号事件」から45年
もう20年になる。2002年9月17日、当時の小泉総理が北朝鮮を訪れた。金正日総書記は小泉総理に対し、日本人拉致の事実を認めて謝罪した。拉致被害者5人の生存も確認され、帰国した。ただ、日本政府が認定している拉致被害者17人のうち、帰国できたのはこの5人だけだった。
北朝鮮による拉致問題はいまだに解決していない。2021年11月、国連総会で人権問題を扱う第3委員会は北朝鮮に対してすべての拉致被害者の即時帰還を求める決議案を採択した。採択は17年連続となる。拉致被害者は日本だけではない。ヨーロッパではオランダ、フランス、イタリア、ルーマニアなど5ヵ国に及んでいる。アジアでは日本のほか韓国、タイ、マレーシア、シンガポール、マカオの6つの国・地域だ。
これまで何度か、日本人拉致「1号事件」の現場を訪れたことがある。能登半島の尖端近く、能登町宇出津(うしつ)の遠島山公園の下の入り江がその現場だ=写真・上=。1977年9月19日に事件は起きた。以下、当時事件を取材した元新聞記者のK氏から聞いた話だ。
同年9月18日、東京都三鷹市の警備員だった久米裕さん(当時52歳)と在日朝鮮人の男(同37歳)はJR三鷹駅を出発。翌19日、現場と近い旅館「紫雲荘」に到着した。午後9時、2人は黒っぽい服装で宿を出た。怪しんだ旅館の経営者は警察に通報し、石川県警の捜査員らが現場に急行した。旅館から歩いて5分ほどの入り江で男は石をカチカチとたたいた。数人の工作員が船で姿を現し、久米さんを船に乗せて闇に消えた。男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた捜査員に逮捕された。旅館からはラジオや久米さんが持参していた警棒などが見つかった。
しかし、当時は拉致事件としては扱われず、公にされなかった。その後、拉致は立て続けに起きた。同年10月21日に鳥取県では松本京子さん(同29歳)が自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪(2号事件)。そして、11月15日、新潟県では下校途中だった横田めぐみさん(同13歳)が日本海に面した町から姿を消した(3号事件)=写真・下=。
政府は拉致事件として認定していないが、1963年5月11日、能登半島の志賀町沖に刺し網漁に出た寺越昭二さん(当時36歳)、寺越外雄さん(同24歳)、寺越武志さん(同13歳)の3人が行方不明となり、後日、船だけが沖合いで発見された。1987年1月22日、外雄さんから姉に北朝鮮から手紙が届いて生存が分かった。2002年10月3日、武志さんは朝鮮労働党員として来日し、能登の生家で宿泊した。武志さんは「自分は拉致されたのではなく、北朝鮮の漁船に助けられた」と拉致疑惑を否定している。このケースは、北朝鮮の工作船と遭遇したため連れ去られた「遭遇拉致」と見られている。
1999年3月23日朝、能登半島東方沖の海上から不審な電波発信を自衛隊が傍受し、能登沖と佐渡島沖で2隻の「漁船」が発見された。北朝鮮の不審船による日本領海侵犯事件として、海上自衛隊と海上保安庁の巡視船など追跡したが、不審船は高速で逃げ切った。いまでも海上保安庁は北朝鮮の不審船による領海侵犯に目を光らせている。拉致事件は終わってはいない。
⇒17日(土)午後・金沢の天気 はれ
地元でアサギマダラの保護活動を取り組んでいる人たちに同行してもらい、アサギマダラを捕獲し、マーキングして放す様子を見せてもらった。面白いのは捕獲の様子だ。右手で白いタオルを振り回すと、そのタオルをめがけてふわふわとまるでダンスを踊っているようにアサギマダラが飛んで来る。近寄って来たところを、左手に持ったネットで捕まえる。
ふだんは山奥にいるクマが人里に降りてくるのは、エサ不足が主な原因とされる。とくに冬眠前になるとクマも必死にエサを探し求めて人里に降りてくる。そのエサとなるブナの実のドングリが、県が調査した24ヵ所中16ヵ所で「大凶作」ないし「凶作」だった。このことから、秋の深まりとともにクマの出没頻度が高まると予測される。
クマは中心街にも出る。兼六園近くの金沢城公園で、たびたび出没していたことから、捕獲用のおりを仕掛けたところ体長1㍍のオスがかかったことがある(2014年9月)。周辺にはオフィスビルなどが立ち並ぶ。
サイゴンのラジオ局に向かった。敗戦で父たちの捕虜収容所があった場所がかつての「無線台敷地」、現在のラジオ局の周辺だった。父たちは周囲で畑をつくり、近くの川で魚を釣りながら、戦闘のない日常を楽しんでいたと話していた。ラジオ局の近くを流れるのはティ・ゲー川。生前父から見せてもらった捕虜生活の写真が数枚あり、その一枚がこの川で魚釣りをしている写真だった。兄弟でこの川の遊覧船に乗った=写真=。川面を走る風が頬をなでるようにして流れ、捕虜生活の様子を偲ぶことができた。
今月4日、石川県の加賀地方は災害級の記録的な大雨に見舞われた=写真・上=。金沢地方気象台によると、4日午後8時30分時点の24時間降水量は白山河内で395㍉、白山白峰で274㍉、小松で251㍉とそれぞれ観測史上最大を記録した。金沢は132㍉だった。
た、各家々ではボランティアも入り、家の中の泥などの除去作業が行われていた=写真・中=。
酒店を営む80歳の女性もその日の午後4時ごろにひざのあたりまで水が来て、知人に助けを呼ぶと、消防隊のボートが救助に来てくれたと話した。店では、ビールなどを冷やす大型の冷蔵庫が倒れて使えない。「いまごろはお中元で忙しい時期なのに。店を続けるかどうか迷っている」と肩を落としていた。
きょうもうだるような暑さだった。午後3時過ぎごろに金沢34.4度と「猛暑日」並みの暑さだった。そして、気象庁と環境省はきょう午後5時、あす29日も予想最高気温が金沢で34度を上回るとして、石川県に「熱中症警戒アラート」を出して、注意を呼び掛けている。石川県では今シーズン初めての「アラート」。外出はなるべく避け、室内をエアコンなどで涼しい環境にして過ごすこと、水分補給を行うことなどを呼びかけている。
タマネギはサラダをはじめステーキやカレーなどさまざまな料理に使われる「万能野菜」でもある。ただ、このところ気になるのが、タマネギの価格高騰だ。ニュースでもよく取り上げられている。タマネギといえば、北海道産というイメージだが、その北海道では2021年、雨が少なく記録的な猛暑となった影響で不作だった。 出荷量では全国のシェアの60%以上を占める一大産地だけに影響が大きい。
町役場ではカメラを設置して定点観測を行っているものの、ひな鳥の保護の観点から具体的な場所については問い合わせがあっても教えていないと記事で記されていた。そこで、巣の場所を見たことがある現地の人を探し出すことにした。
珠洲焼の古陶の多くは民家の土蔵に眠っている。家宝として、大切に保管されている。多くはしっかりとした棚の下段に並べられている。上段に置くと、誤って手が触れて落ちる可能性があるのであえて下段に置いている。ところが、震度6弱、震度5強と連続すると棚から転がり落ちる。それは、珠洲焼資料館を見れば一目瞭然だ。底に固定する下支えを入れたとしても、ヨコ揺れタテ揺れには耐えられないのだろう。民家の蔵の中では相当数の作品が被害を受けていることは想像に難くない。
珠洲焼の魅力に見入ったのは、2007年暮れごろだった。珠洲市のあるお宅に招かれ座敷に上がると、現代作家の手による珠洲焼の花入れに一輪の寒ツバキが活けてあった。黒い器と赤い花のコントラスに存在感があり、しばし、見とれてしまった=写真・中=。そういえば、玄関にもさりげなく珠洲焼の一輪挿しがあった。「お宅にお茶やお花を嗜(たしな)まれる方がいらっしゃるのですか」と無礼を承知で尋ねると、「いやおりません。先代からこんな感じで自己流で活けております」と主(あるじ)は笑った。
っしりとした能登の家構えに合う。中でも、主が大切にしていると語っていたのは、「海揚がり」の壺だった。珠洲は室町時代にかけて中世日本を代表する焼き物の産地だったが、各地へ船で運ぶ際に船が難破。海底に眠っていた壺やかめが漁船の底引き網に引っ掛かり、古陶として揚がってくることがある。壺にへばりついた貝類がそのままになっていて、時空を超えた作品に仕上がっている。この家の主は、先祖が明治時代に引き揚げた家宝だと、うれしそうに話していたのを覚えている。
能登半島の尖端部分を震源とする、深さ10㌔、マグニチュードは5.2の揺れ。震度6弱は珠洲市、震度5弱は能登町、震度4が輪島市と。石川県内だけでなく、震度3の揺れが新潟県上越市、富山県高岡市、氷見市、福井県あわら市で観測された。(※その後、震源の深さは13㌔、マグニチュードは5.4に修正されている)
震度6以上の強い地震がこれまでも起きている。15年前の2007年3月25日の「能登半島地震」ではマグニチュード6.9、震度6強の揺れが七尾市、輪島市、穴水町を襲った。