★能登半島地震 「板子一枚、下は隆起」漁船は出漁できず
「板子一枚、下は地獄」。能登の漁師たちがよく口にする言葉だ。漁は危険を伴う職業だ。自然への恐れや畏怖の念を抱きながら、海からの恵みを得ようと生業を続けている。今回の地震で港はどうなったのか、輪島漁港に行った(今月5日)。同港は年間漁獲量(2022年実績)6000㌧の水揚げがあり、停泊する漁船も200隻余りと石川県最大の港だ。
行ってみると港には刺し網漁船や底引き網漁船などが肩を寄せ合うように停泊していた=写真・上=。冬場はタラやブリ、ズワイガニなどの水揚げでにぎわうのだが、静まり返っている。漁港の様子を見にきていた近くの輪島前町の漁師がいたので聞くと、海底が隆起して水深が足りないので船が出せないのだという。実際、港内で漁船2隻が座礁していた。
県農林水産部による被害状況のまとめ(2月5日現在)によると、県内69漁港のうち60漁港で岸壁や防波堤などに損傷が確認された。漁船は233隻が転覆、沈没、座礁、損壊、流失している。そして、地盤の隆起は半島北側のいわゆる外浦(そとうら)側の志賀、輪島、珠洲の3市町22漁港で顕著で、水深の不足や海底の露出で多くの漁船が出せない状態となっている。
県農林水産部などの調査によると、漁港の海底の隆起は1㍍から1.5㍍ほど。もともと日本海側は満潮干潮の潮位の変動は少なく、1年を通じても50㌢から60㌢ほど。なので、日本海側の漁港では干潮を見込んでの深めの水深を設定しておらず、3㍍から4㍍のところが多い。そこに1㍍から1.5㍍ほどの海底の隆起となると船底がつかえる漁船が出てしまう。
輪島漁港から西よりの同市門前町の漁港に行く。小さな漁港の海底や防波堤が隆起して、陸と化していた=写真・下=。向こうに見える海面から目測して2㍍余りの隆起ではないだろうか。こうした能登の漁港の光景を見ると、むなしくなる。一方で、半島の富山湾に面したいわゆる内浦(うちうら)側の漁港は海底の隆起は免れていて、ブリやタラなどの漁獲を再開している。なんとか能登の漁業を繋いでほしい。
⇒7日(水)夜・金沢の天気 くもり
その火災の様子をNHK中継番組で視聴していた=写真・上=。なぜこんなに燃える広がるか少々疑問に思った。元旦だったので、消防士の人数が不足していて消火活動が十分にできないのかといぶかった。その後、消火栓が断水で使用できず火災が広がったと報じられていた。そのときも、それなら朝市通りは海岸に近いので海の水をポンプでくみ上げて消火に使えばよかったのではと、またいぶかった。ところが、津波警報が出ていて、海に近づくことすらできなかったとことも後で理解した。さらに、朝市通りの近くを流れる河原田川も地震による地盤の隆起で当時は干し上がった状態になっていたようだ(2月1日付・NHKWeb特集)。
いろいろな悪条件が重なって焦土と化した朝市通り周辺に行った(今月5日)=写真・下=。1ヵ月以上経ってはいるものの、焼けごげた臭いがした。トラロープの結界を超えて、朝市通りに入ると懐かしさもこみ上げてきた。おばさんたちの「買うてくだぁー」「買うてくだぁー」の呼び声があちらこちらから響いてくるようだ。海の幸と山の幸の物々交換がルーツとされ、千年の歴史を有する輪島朝市。確かここには蒸しアワビを売るおばさんのテントの店があった。1個1万2千円の「蒸しアワビ」(120㌘)を思い切って買った、6年前のことを思い出した。
震度7を記録した能登半島の西端の志賀町香能(かのう)地区は小高い山の中にある=写真・上=。周囲にはレストランや牧場もあり、民家も点在している。外見を見る限り、建物の倒壊や屋根のめくれなどの被害もなく、道路などでの地割れも見られなかった。むしろ、香能から5㌔ほど離れ、震度6弱の揺れに見舞われた富来領家(とぎりょうけ)地区の方が被害は甚大と感じた=写真・中=。海沿いの平地で家並みが続く。両地点のこの違いは地盤の固さによるものなのか。富来領家地区のすぐそばには富来川が流れていて、地盤が柔らかかったことが被害拡大の要因なのだろうか。
その富来領家地区では、仮設住宅の建設が進んでいた=写真・下=。いわゆる「トレーラーハウス」で、説明書を見ると、高さ4㍍、幅11㍍、奥行き3.4㍍、広さ37平方㍍の1LDKだ。浴室やトイレのほか、キッチンやエアコンも備え付けられている。水道などが整えば、早ければ今月下旬ごろ入居が可能になるようだ。
り上げる「みなし仮設住宅」を3800戸、県内の公営住宅800戸、県外(富山、愛知両県や大阪府など)の公営住宅8000戸の計1万5600戸を3月末までに確保すると発表している。
この目で確かめたかったこと、それは珠洲市で開催された奥能登国際芸術祭の作品だった。金沢市在住のアーティスト山本基氏の作品『記憶への回廊』(2021年制作)=写真・上=が倒壊したとメディア各社が報道していた。作品がある場所は、旧・保育所の施設。真っ青に塗装された壁、廊下、天井にドローイング(線画)が描かれ、活気と静謐(せいひつ)が交錯するような空間が演出されている。遊戯場には塩を素材にした立体アートが据えられ、天空への階段のようなイメージだ。途中で壊れたように見える部分は作者が意図的に初めから崩したもので、地震によるものではない。作品には10㌧もの塩が使われている。2023年5月5日に起きた震度6強の揺れには耐えたが、今回の地震では塩の作品が崩れたという(※写真は2022年8月23日に撮影)。
塩田千春氏(日本/ドイツ)の作品『時を運ぶ船』=写真・下=は芸術祭の公式ガイドブックの表紙を飾るなどシンボル的な作品だ。この作品は2017年の第1回芸術祭で制作された。赤い毛糸は強烈なイメージで、作品を観賞するたびに人間の本能をくすぐるような感動を覚える。この作品は無事だったようだ(※写真は2023年8月23日に撮影)。
志賀町の全壊・半壊など家屋被害は4900棟におよび、その多くがこの富来地区での家屋だった。増穂浦海岸は、さくら貝が流れ着く観光名所として知られる。8月になれば30基の奉灯キリコが威勢よく担がれ冨木八朔祭礼が行われる。町の中を歩くと、本祭りで神輿が集う住吉神社の鳥居が砕け落ちていた=写真・上=。2007年3月25日の能登半島地震は震度7クラスの揺れだったが、石灯ろうが倒れるくらいで済んだ。しかし、今回倒壊した鳥居を見ると相当な揺れだったことが分かる。全壊の家も数多く、全壊は免れても窓ガラスが割れたり、屋根の瓦が崩れ落ちたりしている家は相当な数にのぼる。
察するため現地を訪れた。当地でのヒナの誕生は2年連続だった。気になるというのも、コウノトリの巣が地震で落ちたり、壊れたりしているのではないかと思ったからだ。
「能登はやさしや」に障がいを持った人たちへの気遣いも感じる。ユネスコ無形文化遺産にも登録されている能登の農耕儀礼『あえのこと』は、目が不自由な田の神様を食でもてなす行事だ=写真=。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂で目を突いてしまったなど云われがある。目が不自由であるがゆえに、農家の人たちはその障がいに配慮して田の神に接する。座敷に案内する際に段差がある場合は介添えをし、供えた料理を一つ一つ口頭で説明する。じつに丁寧なもてなしだ。
前回ブログの続き。珠洲市に行き、山の中で製炭業を営む大野長一郎氏を訪ねた。茶道用の炭である「菊炭」を生産する県内では唯一の業者でもある。今回の地震で稼働していた3つの炭焼き窯が全壊した=写真・上=。2022年6月19日の震度6弱の揺れで窯の一部がひび割れ、工場の天井が一部壊れた。2023年5月5日の震度6強では窯の一部が崩れた。支援者の力添えを得ながら修復してようやく炭を焼き始め、品質にもメドがたちこれからというときに今回全壊となった。
窯をじっと見つめる大野氏の口から「でも、やめませんよ」の言葉が出た。1971年に父親が創業した製炭業を2003年に引き継いだ。茶炭に使うクヌギの木は炭焼き工場の近くの山でボランティアを募り植林した。そして、二酸化炭素を増やさない「カーボンニュートラルな生業(なりわい)」を目指すことを決意する。
道」を北上すると崩落の箇所などがあり、う回路を経由して走行することになる。そのう回路には警察のパトカ-や自衛隊のトラック、救急車、支援物資を運ぶ車が列をなしていてゆっくり運転が続く。(※NHK図=✖が震源とされる珠洲市大谷・馬緤地区)
2時現在)によると、犠牲者は101人、重軽傷者249人、全壊2092棟、半壊1036棟だ。同市は約6000世帯なので、半数超えが全半壊となった。2022年6月19日に震度6弱、2023年5月5日に震度6強の揺れがあり一部地域に損壊があったものの、それでも芸術祭は実施できた。ところが今回はさらに幅広い場所で被害が出た。海岸沿いでは4㍍の津波による被害、そして山沿いでは土砂崩れとまさに複合被害だ。(※写真・上=地震と土砂崩れで崩壊した住宅)
珠洲市の観光名所として知られる見附島も変わり果てていた。そのカタチから通称「軍艦島」と呼ばれていたが、2022年と2023年、そして今回と度重なる揺れで、勇壮な面影は変化した。(※写真・下=津波で海岸に打ち上げられた漁船、地震で崩れた見附島)
中心街の老舗が並ぶ一本杉商店街を歩くと無残にも倒壊した店も。創業130年の和ろうそくの店で知られる「高澤ろうそく」は、建物が国の有形文化財に登録されているが、今回の地震で軒先が倒壊し、母屋も傾くなど大きな被害を受けた=写真・上=。同店はそれにもめげず、フランス・パリで開かれた世界最大規模のインテリアとデザイン関連の国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」(今月18-22日)に出品し注目を集めたようだ(29日付・NHKニュースWeb版)。復興へのともし火のようなニュースだ。
七尾市の中心街から北側にある和倉温泉に車で移動した。途中でJR七尾線の線路の修復工事が行われていた=写真・中=。金沢駅から七尾駅は今月22日に運転を再開したものの、七尾駅から和倉温泉駅の間は終日運転を取り止めている。レールのゆがみや架線柱が傾斜している箇所もあり、JRは2月中旬の運転再開を目指して復旧作業を進めている。
和倉温泉街に入ると、いつものにぎわいはなく、閑散としていた。開湯1200年の歴史がある和倉温泉。建物の損壊などで22の旅館すべてが休業に追い込まれている。「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(旅行新聞社主催)で通算40回総合1位に輝くなど、「おもてなし日本一」の旅館として知られる「加賀屋」でも入り口に立ち入り禁止の規制線がはられていた=写真・下=。入り口には歪んでいるところもあり、建物を眺めると外壁の一部が落ちてる。内部は揺れで食器なども相当に散乱したに違いない。
ところが、道半ばでストップの貼り紙が。「地震のため 古墳は登れません 中能登町教育委員会」=写真・上=。関係者に問い合わせると、36基の古墳の中でも大きな1号墳と2号墳の頂上部分で数㍍にわたって地割れ走っていて、ブルーシートで応急措置を施している。適切な修復方法を文化庁などと模索中で、当面の間は立ち入り禁止となるとのことだった。これまで、学生たちを連れて能登スタディツアーを実施する際には能登の歴史を理解するポイント地点として雨の宮古墳群 を訪れていた。行政予算は生活や交通インフラなどが優先されるのが常だが、地域が誇る文化財の修復を願う。
冒頭で述べたように、中能登町は古くから広大な平地でコメづくりが営まれた豊かな地域だ。その様子は街並みを見れば理解できる。「あずまだち」あるは「あずまづくり(東造り)」と呼ばれる切妻型の屋根は建物の上に大きな本を開いて覆いかぶせたようなカタチをしている。黒瓦と白壁のコントラストも特徴的で、旧加賀藩の農家の伝統的な建築様式とも言われている。
町の様子を眺めながら車で走ると、「能登は 負けません!! 震災復興にがんばりましょう」「能登に 暖かいご支援 ありがとうございます」と書かれた看板が目に入った。看板の場所は国道159号に面した道の駅「織姫の里なかのと」。この看板を見て、「能登はやさしや土までも」という言葉を思い起こした。