⇒ドキュメント回廊

☆能登半島地震 遺産と伝統文化の気がかりな行く末

☆能登半島地震 遺産と伝統文化の気がかりな行く末

   石川県は昨夜から雨続きで、気象庁は能登の輪島市、珠洲市、七尾市、中能登町に大雨警報を発表し、きょう10日夕方にかけて雨や雪解け水により土砂災害の危険度が高まると注意を呼びかけている。メディア各社の報道によると、県は震災による死亡を203人(10日午前9時現在)、このうち地震や津波が直接的な原因でない、いわゆる災害関連死が7人と発表した。

   先日、能登町の実家に行く際、う回路の穴水町を経由した。道路はどこもかしこもヒビ割れて隆起し、傾いていまにも崩れそうな家屋も多い。のと鉄道「穴水駅」近くにある穴水大宮の前を通ると、鳥居や手水舎(てみずしゃ)が無残にも崩れ落ちていた=写真=。毎年9月に大宮などを中心に盛大なキリコ祭りが開催される。神輿やキリコ、山車などが曳き出され、提灯や奉灯で長い光の帯ができ、イヤサカヤッサイ、サカヤッサイと男衆の掛け声も勇ましく、笛と鉦、太鼓の囃子が町中に響き渡る。崩れた鳥居や周囲の家屋を眺めると、能登の伝統のキリコ祭りは今後どうなるのかと気がかりになる。

   珠洲市で木炭製造会社を経営する大野長一郎氏と連絡がつき電話で話した。伝統的な炭焼きを今も生業(なりわい)としている県内で唯一の事業所で、付加価値の高い茶道用の炭の生産に力を入れている。自宅と作業場は市内の山中にある。被害を尋ねると、「3つある(炭焼き)窯は全滅です」と。

   茶道用の炭は切り口がキクの花模様に似ていることから「菊炭」とも呼ばれ、炉や風炉で釜の湯を沸かすのに使う。クヌギの木を材料としていて、大野氏の菊炭はススが出ず、長く燃え、燃え姿がいいと評価が高く、全国から茶人が炭窯を見学に訪れている。大野氏は日本の茶道文化の一端を担えてうれしいと話していただけに、窯の全壊による落胆の様子が電話からも伝わってきた。

   能登の里山里海に伝承される農業や漁業、林業が国連食糧農業機関の世界農業遺産(GIAHS)に認定されたのは2011年6月のこと。FAOによる日本で初めての国際評価で、輪島の千枚田はそのシンボルだ。その千枚田に震災によって多くのヒビ割れができていると地元紙が伝えている(5日付・北國新聞Web版)。もともとこの地は地滑り地帯で、地元で語り継がれる「大(おお)ぬけ」と呼ばれる大規模災害が1684年(貞享元年)にあった。今でいう深層崩壊だ。その土砂崩れ現場を200年余りかけて棚田として復元したことから、「農業のレジリエンス(復興)」としてFAOは高く評価している。それが棚田に多くのヒビ割れとなると水耕栽培は当面は難しいかもしれない。

⇒10日(水)午後・金沢の天気   あめ

★能登半島地震 液状化現象でゆがむ街並み

★能登半島地震 液状化現象でゆがむ街並み

   日を追うごとに犠牲者が増えている。石川県庁危機管理監室のまとめによると、亡くなった人は202人、重軽傷者は565人に上る(9日午後2時現在)。道路の寸断などで輪島や珠洲など奥能登2市2町などでいまも24地区3300人が孤立状態に。生活インフラの復旧もまだ途上で、1万8000戸で停電、5万9000戸で断水が続いている。

   2万8000人が地域の公民館など400ヵ所に避難しているが、低体温症や感染症などに注意が必要なことから、県では金沢を含め県内外の宿泊施設に被災者を移す「2次避難」へと動いている。気象庁はきのう8日の会見で、地震活動は活発な状態が続いていることから今後1ヵ月程度、最大震度5強以上の地震に注意するように呼びかけた。

   今回の能登半島地震では能登の被災地が主に報道されているが、金沢市に隣接し、日本海に面した内灘町でも大きな被害が起きている。きのう現場を見に行った。シニア世代ならば聞き覚えがあるかもしれないが、内灘は1952年に在日アメリカ軍が砲弾試射場を砂丘に設置したことがきっかで起きた住民による基地反対闘争で知られる。その町の一部が今回の地震で道路がいたるところで隆起したり陥没したりしている=写真・上=。地面がゆがみ、多くの住宅や電柱が傾いている=写真・下=。道路が15度ほど斜めになっているところもある。

   元旦の地震では内灘町は震度5弱だった。震源となった能登からは距離がある地域だが、なぜこのように被害が大きくなってしまったのか。隆起した現場をよく見ると、土砂が噴き上げた様子があちらこちらにある。これを見て液状化現象だと思った。2007年7月16日に震度6強の揺れとなった新潟県中越沖地震の後、柏崎市を訪れたことがある。このときも道路に土砂があふれていて、初めて液状化現象の現場を見た。

   今回、液状化現象が見られた内灘町の西荒屋地区は、河北潟の西側に広がる。この地域は江戸時代から河北潟を埋め立てる干拓事業が進められてきた。もともと砂地だった場所なので液状化現象が起きたのだろうか。

⇒9日(火)夜・金沢の天気   あめ

☆能登半島地震 氷点下の被災地で「低体温症」が気がかり

☆能登半島地震 氷点下の被災地で「低体温症」が気がかり

   能登半島地震が発生してからきょうで1週間、朝は冷え込んでいる。天気予報によると、金沢の最高気温は4度、最低気温は1度、能登はさらに冷え込みが強く、輪島は最高気温は3度、最低気温はマイナス1度だ。雪も積もっている。金沢の自宅周辺は5㌢ほどだが、能登の珠洲市で12㌢、七尾市で11㌢、輪島市で9㌢などとなっている(8日午前5時現在・日本気象協会「tenki.jp」より)。今後さらに積雪が予想されるという。(※写真は、8日午前7時35分ごろの金沢市内の積雪の様子)

   積雪は去年12月22日、気象庁が北陸に「顕著な大雪」を呼びかけて以来だ。ここで気になるのは、雪の重みだ。北陸の雪はパウダースノーではなく、湿気を含んで重く、庭木の枝などがよく折れる。北陸の家々で雪吊りを施すのはこのためだ。被災地でこの重い雪がさらに積もると、どのような影響を及ぼすのか。屋根瓦が崩れた家に雪が積もると重圧となり、倒壊するのではないかと思ったりする。

   これまで確認された死者は128人に上る(7日午後2時現在)。そして石川県のまとめによると、県内15市町の約400の避難所に2万8000人が身を寄せているという。これは行政が把握している避難者の数で、孤立した集落などではビニールハウスや民家、神社・寺院などに自主的に退避している人も相当いると見込まれる。また、被害が大きい輪島、珠洲、能登、穴水の2市2町で2300人が孤立状態で、連絡の取れない安否不明者が195人に上っている。

   そのような中で断水と停電がいまも続き、さらに気温がマイナスとなった。そこで懸念するのが、いわゆる「災害関連死」だ。ネット上で公開されている内閣府政策統括官リポート「災害関連死について」によると、2016年4月の熊本地震の犠牲者270人のうち、生き埋めになるなどして死亡した人は50人、災害と関連して亡くなったのは220人だった。関連死の事例として、「83歳女性が慣れない避難所生活から肺炎状態となり入院先の病院で死亡」「78歳男性が地震後の疲労等による心不全で死亡」「避難中の車内で74歳女性が疲労による心疾患で死亡」「32歳男性が地震による疲労が原因と思われる交通事故による死亡」「43歳女性がエコノミー症候群の疑いで死亡」など。

   被災地では疲労に寒さが加わり低体温症などで体調を崩す人が続出するのではないかと心配になる。

⇒8日(月・祝)午前・金沢の天気    くもり

☆能登半島地震 救急車が行き交う被災現場を行く

☆能登半島地震 救急車が行き交う被災現場を行く

    震災から4日たったきのう5日、能登町の実家を訪れた。生まれ育ったところでもあり、震災でどのようになったのかこの目で確かめたかった。兄夫妻が家業を継いでいる。震度7に見舞われた1日から電話やスマホが繋がらない状態になっていた。4日午前になって初めて、家族から「なんとか車中生活でしのでいる」と連絡があった。そこで、金沢で買い込んたブルーシートや飲料水などを弟のライトバンに積んで、いっしょに出かけた。

   午前7時に出発。金沢から輪島に向かう半島の縦貫道「のと里山海道」(全長83㌔)を走る。これまでだったら時速80㌔での走りは爽快で、金沢から実家までは2時間足らずで着く。ところが、地震で道路にゆがみやひび、亀裂が走っていてスピードは出せない。道路には亀裂にタイヤが挟まれた車やパンクした車がところどころに置き去りにされている。

   「上棚矢田インター」で下道に降りる。これ以上は道路が崩れているので、通行止めとなっている。ここからは国道や県道、市道などを繋いで走る。そもそも、通行量が多く長だの列だ。自衛隊や警察や消防のほか、災害救助や復旧活動、物資輸送のための車両が行き交う。こうした車両を優先するため、一般車は道を譲ることになる。実家に到着したのは午後1時ごろだった。じつに6時間。

   半島の北部に位置する奥能登では、能登町が震度6弱、輪島市と珠洲市、穴水町は6強だった。兄夫妻から聞いた話だと、20世帯の集落うち19世帯が全壊したところもある。さらに、地震で家はなんとか大丈夫だったが、その後に裏山でがけ崩れが起きて押し倒された家屋もある。

   実家は家屋そのものは壊れなかったが、屋根の瓦がめくれていた。部屋の壁も剥がれ落ちている。台所は食器棚が崩れた。本震は午後4時すぎだったので調理用のガスを使っていなかったが、この揺れが午後6時ごろだったら火災が発生していかもしれない、と。

   地震の発生からいまも断水と停電が続いている。また、震度5の揺れは続いている。このため夜は車中泊、日中は散乱した室内などの片付けが続いている。屋根のブルーシート張りは集落の人たちと互助で行っているというので、そのまま置いてきた。実家での滞在は1時間ほどだった。金沢の自宅に戻ったのは午後9時ごろ。じつに7時間。

(※写真は5日に撮影。救急車や救助車が行き交う。輪島市と能登町を結ぶ県道幹線が崩れ、一車線で車が走る。寺院の鐘つき堂が崩れ落ちそうな状態に=能登町)

⇒6日(土)夜・金沢の天気    くもり   

★「2023 アレどうなった」⑤ 地球の沸騰化 対策の道筋

★「2023 アレどうなった」⑤ 地球の沸騰化 対策の道筋

   さきほど菩提寺で除夜の鐘をついてきた。寺では去年前から門徒や近所の人たちが自由に参加できる「プレ除夜の鐘」というイベントを行っている。勢いをつけて鐘をつくと、鐘の響きが全身を包むように伝わってきて、欲望や執念にかられた煩悩が払われたような気持ちになる=写真・上=。このプレ除夜の鐘は午後2時から2時間ほど行われた。そして本番の除夜の鐘は午後11時半から。大晦日の昼夜に2度鐘が鳴る。

   COP28「化石燃料からの脱却」は合意されたものの

   この1年を振り返ると、まずイメージするのは地球温暖化だ。ことしの夏は異常な暑さだった。8月31日、自宅近くの街路の温度計は37度だった=写真・下=。街を歩くと熱風に煽られた。金沢市の南に位置する小松市では8月10日に観測史上最高の40度を記録した。この日の気象台の石川県内11の観測地点がすべて35度以上の猛暑日となり、「熱中症警戒アラート」が飛び交った。体感したこの猛暑は石川だけでなく、日本全体、そして世界的な傾向だった。

   熱波が世界を襲っている様子をBBCニュースWeb版(7月16日付)は「Europe heatwave: No respite in sight for heat-stricken southern Europe」(ヨーロッパの熱波、暑さに苦しむ南欧にもう猶予はない)の見出しで伝えた。ギリシャでは7月14日に気温が40度以上となり、遺跡「パルテノン神殿」がある観光名所アクロポリスが一時閉鎖された。また、イタリアでは週末にローマ、ボローニャ、フィレンツェを含む16都市にレッドアラート(「死の危険」を意味する)が発令された。イタリアでは去年も熱波が原因で1万8000人の死者が出て、ヨーロッパでは最多だった。

   猛暑や豪雨などの異常気象をもらたしているのが地球温暖化だ。地球環境学者のレスター・ブラウンは著書『プランB3.0』(2008)で警告している。「温暖化がもたらす脅威は何も海面の上昇だけではない。海面温度が上昇すれば、より多くのエネルギーが大気中に広がり、暴風雨の破壊力が増すことになる。破壊力を増した強力な暴風雨と海面の上昇が組み合わされば、大災害につながる恐れがある」

   レスター・ブラウンの警鐘は現実となった。7月の暑さが記録的だったことから、国連のグレーテス事務総長は「the planet is entering an “era of global boiling”」(地球は沸騰化の時代に入った)と述べた。地球温暖化対策や温室効果ガスの削減に向けて世界は動き始めている。「国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)」が11月30日から今月13日までアラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開催され、「化石燃料からの脱却」という対策の方向性が初めて合意文書に明記された。「脱化石燃料」の実現に向け、各国がどのような目標を作成し、具体策を示すかがこれから焦点になる。

   COP28に出席した岸田総理は、2030年に温室効果ガスの46%削減、2050年までに大気中に排出される二酸化炭素を実質ゼロとするカーボンニュートラルの実現など日本の取り組みについて演説した。岸田政権が打ち出しているのは原発の活用だ。ことし5月に築60年を超える原発の運転を可能とする法律「GX(グリーン・トランスフォーメーション)脱炭素電源法」を成立させている。そして、日本と真逆の政策に舵を切ったのがドイツ。原発をすべて停止し、風力や太陽光、そして石炭火力にシフトしている。

   来年も猛暑になるのか、二酸化炭素の排出は人類の煩悩の象徴ではないのか、などとつらつらと思いのままブログをしたため、2023年は暮れていく。

⇒31日(日)夕・金沢の天気     あめ

☆「2023 アレどうなった」➃ マスクとワクチンは防衛本能

☆「2023 アレどうなった」➃ マスクとワクチンは防衛本能

   新型コロナウイルスの感染はことし5月8日に感染症法上の位置づけが「2類相当」から季節性インフルエンザと同じ扱いの「5類」に移行した。2020年1月から足掛け4年に渡る、人とウイルスの長い戦いだった。

           感染症法「5類」に移行とは言え、マスクは手放せない

   平時に戻って、世の中全体が肩の荷を下ろしたように楽になった。なんと言っても、マスク着用は個人の判断に委ねられるようになった。また、感染症法に基づく外出自粛要請や濃厚接触者の特定などは廃止となった。もちろん、5類に移行したからと言って、コロナ感染が世の中から消えたわけではない。5類以降でコロナに罹った知人から発熱とのどの痛みに悩まされたと聞かされ不安に思ったこともある。

   とりあえずワクチンを打とうと思い、先月11月13日に金沢市内のクリニックで新型コロナワクチンを接種してきた。前回は6月で7回目の接種だった。接種のつい数日前までは感染症法上の位置づけが5類に移行していることだし、「もういいだろう」と接種を止めようと思い、9月に市役所から郵送されてきた接種券をほったらかしにしていた。しかし、間もなく師走。年の瀬ともなれば年末の行事や買い物など忙しくなり、人と会う機会も格段に増える。で、「やっぱり打っておこうか」と接種を申し込んだ次第。コロナ禍で人混みを気にするようになり、自己防衛の本能が働いたようだ。

   コロナ禍で、新たな習慣として一つ身に着いたのはマスクの洗濯かもしれない。マスクは衛生上も使い捨てという概念だったが、それが一変した。生活様式としてマスクを身につけるのであれば、それは衣類と同様に持続可能な使い方をしなけらばならない。それは洗濯である。洗剤で手洗いをする。1枚を2日間使い、2枚か3枚をまとめ洗いをする。そして、ハンガーにつるす=写真=。「5類」移行後は洗濯の回数はずいぶんと減ったが、それでもたまにマスク洗いをしている。時代の変化をマスクで感じたものだ。

   今後、コロナとどう向き合い、そして共生していけばよいか、マスクを手にしながらそんなことを考える。

⇒30日(土)午後・金沢の天気    はれ

★「2023 アレどうなった」③ バンさんのマジキリとレストラン

★「2023 アレどうなった」③ バンさんのマジキリとレストラン

   ことし5月5日に能登半島の尖端は激震に見舞われた。マグニチュ-ド6.5、震度6強の揺れで、死者1人、負傷者数48人、住宅の全半壊131棟、一部破損581棟など被害が大きかった。最も被災したのは珠洲市だった。さらに、6日から雨が強まり、同市は土砂災害警戒区域にある740世帯1630人に避難指示を出した。激震と非情の雨が続いた。

    環境と人権に配慮した避難所、アートな建築構造

   地震から10日目となる5月15日に被災地を訪ねた。ブルーシートで覆われた家々が並び、神社の鳥居が倒れていた。被害が大きかった正院地区を歩いていると、視察に訪れていた泉谷満寿裕市長から声を掛けられた。「避難所にバンさんのマジキリがあるので見てください」とのこと。「バンさんのマジキリ」の意味を理解しないまま、とりあえず避難所に向った。

   バンさんとは建築家の坂茂(ばん・しげる)氏のこと、マジキリは被災した人々のための避難所用の「間仕切り」のことだった。坂氏は1995年の阪神大震災を契機に世界各地で被災地の支援活動に取り組んでいて、同市にもその間仕切りが寄贈された。間仕切りはプラスティックなどではなく、ダンボール製の簡単な仕組み。個室にはカーテン布が張られているが、プライバシー確保のために透けない=写真・上=。中にあるベッドもダンボールだ。まさに環境と人権に配慮した避難所なのだ。

   その後、珠洲市ではあるテ-マをめぐり議論が沸き起こった。9月に予定している「奥能登国際芸術祭2023」を開催すべきかどうか。市議会では、震災復興を優先して開催経費をこれに充てるべきとの意見が相次いだ。芸術祭は2017年からトリエンナーレで開催されことしで3回目。開催予算は3億円とされていた。泉谷市長は「地域が悲嘆にくれる中、何か目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたい」と答弁し、予定より3週間遅れで開催にこぎつけた。

   坂氏の建築作品を再び鑑賞したのは芸術祭だった。急な坂道を上り、丘の上に立つと眼下に日本海の絶景が見渡せる。海岸線に沿うように長さ40㍍、幅5㍍の細長い建物「潮騒レストラン」があった。

   このレストランで坂氏の発想と知恵を感じた。一見して鉄骨を感じさせる構造だが、よく見るとすべて木製だ。公式ガイドブックによると、ヒノキの木を圧縮して強度を上げた木材を、鉄骨などで用いられる「トラス構造」で設計した日本初の建造物、とある。日本海の強風に耐えるため本来は鉄骨構造が必要なのかもしれないが、それでは芸術祭にふさわしくない。そこで、鉄骨のような形状をした木製という稀にみる構造体になった。これもアートだ。

   間仕切りは避難者がいなくなり撤去。レストランは芸術祭の期間中だけの営業だったが、オーシャンビューのロケーションと能登の魚介類を使ったパスタの人気が高く、今月8日に営業を再開している。

⇒29日(金)夜・金沢の天気    くもり

☆「2023 アレどうなった」➁ ドラッグストアのシェア争い

☆「2023 アレどうなった」➁ ドラッグストアのシェア争い

   政治の次は、経済のアレ。金沢はドラッグストアのシェア争いの主戦場なのだろう。なにしろ、ドラッグストアがまるで、コンビニのように乱立している。地元・石川県白山市に本社がある東証上場企業の「クスリのアオキ」は、最近自宅近くに1店舗増え=写真・上=、周囲に4店舗もある。同社の公式サイトによると、石川県内のドラッグストアの数は99店舗、北陸3県で246店舗あるようだ(2023年11月30日現在)。

    超高齢化社会のマーケットの主導権を握るか   

   これに挑むかのように店舗数を増やしているのが、同じく上場企業の「スギ薬局」(本社・愛知県大府市)や「ゲンキー」(本社・福井県坂井市)だ。とくに、「スギ薬局」は2020年に金沢に初めて3店舗を開設。2024年2月までに北陸で一気に100店舗を計画している(同社公式サイト)。中でも目立っているのが、片町きらら店だろう=写真・下=。片町通りは金沢の繁華街にあり、多くの市民は「まさかドラッグストアが片町に」と思ったに違いない。ドラッグストアは繁華街ではなく、病院がある住宅街の近くにある店舗というイメージだったので、それが覆された。ちなみに、クスリのアオキは片町通りにはない。

   以下は自身の憶測だが、後発で店舗を構えたスギ薬局にとって、片町きらら店は採算性というよりPR効果を狙ったものなのだろう。と同時に、同業者であるクスリのアオキに対する挑戦状なのかもしれない。というのも、近くにある両店舗はスギ薬局がクスリのアオキに接するように店舗を構え、距離にして200㍍ほど。素人目で見ても、シェア争いに挑んでいるようにも見える。他でも、スギ薬局はクスリのアオキに付きまとうように店舗を配置している。悪い意味ではなく、業界の熾烈なシェア争いを間近に見ているようで迫力ある光景なのだ。コンビニ業界も同じだ。

   さらに、店舗のコンセプトにも工夫がある。クスリのアオキは複数の医療機関から幅広く処方せんを受け付け、「地域のかかりつけ薬局」としての機能を重視している。これに対し、後発のスギ薬局は店舗の多様性をアピールしている。繁華街にある片町きらら店は売り場面積の半分を化粧品やスキンケア、ヘアケア用品をそろえた「ビューティー強化型店」として、「美の拠点」と位置付けている。また、地域の在宅医療における訪問調剤サービスなど行っている。それぞれ個性を打ち出している。

   ドラッグストアチェーンのこうした積極的な経営戦略は超高齢化社会を迎えるマーケットの主導権を握るだろう。ドラッグストアと食品スーパ-、ドラッグストアと介護・診療施設の併設、あるいはドラッグストアと家族葬を中心とした葬儀場もあり、かもしれない。そのくらい勢いのある業界ではないだろうか。何しろ、スギ薬局は2024年2月期の連結売上高を前期比11%増の7425億円、クスリのアオキは2024年5月期の連結売上高を前期比15%増の4350億円と見込んでいる(両社公式サイトより)。

⇒28日(木)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

★「2023 アレどうなった」① 馳知事の不測の発言

★「2023 アレどうなった」① 馳知事の不測の発言

   ことしも残すところあと4日となった。この一年の世相を振り返ってみると、釈然としない自民党の裏金問題やロシアによるとウクライナ侵攻が続く一方で、大谷翔平選手の大リーグでのMVP満票受賞や7億㌦契約など前例のない快挙もあった。そこで、阪神の岡田監督が使って話題となった「アレ」を自分なりの解釈で、この一年を振り返ってみる。題して、「2023 アレどうなった」。

   一回目は、全国ニュースにもなった、石川県の馳知事の不測の発言。馳氏は11月17日に都内でスポーツ振興の会合で講演し、自身が自民党代議士で東京オリンピック・パラリンピックの招致推進本部長だった当時のことを語った裏話が物議をかもした。

      官房機密費とIOC委員アルバム発言 その始末はお粗末

   「当時、総理だった安倍晋三さんからですね。『国会を代表してオリンピック招致は必ず勝ち取れ』と。ここから、今からしゃべること、メモを取らないようにしてくださいね。『馳、カネはいくらでも出す。官房機密費もあるから』」 「それでね、IOCの委員のアルバムを作ったんです。IOC委員が選手の時に、各競技団体の役員の時に、各大会での活躍の場面を撮った写真があり、105人のIOC委員全員のアルバムを作って、お土産はそれだけ。だけども、そのお土産の額を今から言いますよ。外で言っちゃダメですよ。官房機密費使っているから。1冊20万円するんですよ」(メディア各社の報道)

   秘匿すべき官房機密費の使い道をばらし、さらに、アルバムは買収工作としてIOCの倫理規定に抵触したのではないかとメディアなどで報じられると、馳氏は発言を「事実誤認があった。全面的に撤回する」と口を閉ざした。その後、県議会での質問にも「全面的に撤回している」をひたすら繰り返した。(※写真は石川県庁公式サイト「知事のホームページ 」より)

   発言に変化があったのは、今月に入ってから。県議会予算委員会(15日)の後の記者会見で、アルバムについて問われ、「自民党の予算しか使えないと言われた。私が関知する限り、官房機密費は1円ももらっていない」と述べている(地元メディア各社の報道)。これを今ごろになって言うのは釈明の筋道が違う。「全面的に撤回」を言う前に、「官房機密費ではなく党の予算だった。当方の誤解」とまず釈明すべきだったろう。

   ことしの元旦に東京の日本武道館で開催されたプロレス興行の試合に参戦し、得意技のジャイアントスイグンなどで会場を沸かせた。正月の休暇中だったとはいえ、側近はけがなどの負傷を心配し出場を止めるよう進言したが、それを押し切って、リングに立った。その後、年頭記者会見(1月4日)で問われ、「私は死ぬまでプロレスラー」と述べ、再度登板することに含みを持たせるような発言をした。これも釈明の仕方が異なり、知事職を軽視した発言のようにも聞こえる。「知事が最優先」と明言すべきだったろう。不測の発言は来年も続くのか。

⇒27日(水)午後・金沢の天気    くもり時々はれ

☆道路への倒木で問われる 山の所有と境界の問題

☆道路への倒木で問われる 山の所有と境界の問題

   きょうの金沢は寒気から一転して寒さがやわらぎ、金沢では日中の最高気温が9度だった。あさからときおり雨も降り、積もっていた雪がずいぶんと溶けている。自宅2階からの雪景色が一変している。左の五葉松の枝に積もっていた雪がまったくなく、屋根雪も少なくなった。(※写真は、26日午前7時59分に自宅2階から撮影した近所の雪景色)

   積雪60㌢の記録的な大雪となった能登半島の輪島市では、雪による倒木で道路がふさがれ、一時220世帯余りが孤立状態となっていたが、きのう25日夕方にはすべて解消した。また、停電となっていた2200戸はほとんどが復旧したものの、80戸でまだ停電が続いている。

   雪害に遭われた方々に申し訳ない言い方になるかもしれないが、今回の能登の集落の孤立や停電は過疎高齢化による里山問題の象徴的な事象ではないかと考えている。孤立した集落の市道などは車2台がすれ違うのが精一杯の細い道で、雪の重みで倒れた樹木などが道をふさいだ。輪島など奥能登の中山間地の道路には杉やアテ(能登ヒバ)など常緑樹が多く植林されているが、枝打ちなどがなされず、横に傾いて、道路を覆うようになっている木も多く見かける。本来ならば山の持ち主が枝打ちなどするが、所有者が地域で不在になって、山の木々が荒れ放題になるケースが増えている。

   また、「境界管理」の問題もある。森林には私的所有権が設定されているが、実のところオーナーが健在である場合、その隣地との境界は代々からの言い伝えで分かるが、代を重ねるごとにあいまいになり、分からなくなる。すると、道路沿いの境界にある杉やアテをだれも管理しないということが起きる。こうした木々が今回の大雪で道路に倒れ込む、さらに倒木で電柱の電線を切断することは想像に難くない。また、山道の倒木問題は冬だけでなく、地盤が緩みやすくなる梅雨の時期にも起きる。

   里山の管理の問題はこれまでクマやイノシシなどの獣害でよく指摘されてきたが、今回の倒木による集落の孤立問題をきっかけに、危機管理として所有や境界を超えた対策が必要ではないだろうか。

⇒26日(火)夜・金沢の天気   くもり時々あめ