⇒ドキュメント回廊

★能登半島地震 がけ崩れなど複合災害に見舞われた里山

★能登半島地震 がけ崩れなど複合災害に見舞われた里山

   昨夜は雷鳴が響き渡っていた。金沢に住む者にとって、冬場の雷は大雪の前触れのようなもの。朝、2階の寝室のカーテンを開けると、一面の銀世界だった=写真・上、撮影は午前8時6分=。表現は少々古いが、「冬将軍のお成り」だ。さっそく玄関前など雪すかしをした。積雪は15㌢余りだが、北陸の雪はしっとりと湿っていて重く、けっこう疲れる。金沢地方気象台によると、この冬一番の強い寒気が流れ込んでいて、きょう夕方までに降る雪の量はいずれも多いところで能登地方の平地で30㌢、山地で50㌢、加賀地方の平地で30㌢、山地で70㌢と予想されている。

   加賀の積雪が能登より多いとの予想だが、やはり気になるのは能登半島地震の被災地。能登では中山間地、いわゆる里山の集落が多い。積雪は平地より格段に多い。地震で損傷を受けている建物が雪の重みで倒壊するおそれが出てくるのではなかと案じてしまう。今回の地震では積雪も含めて複合的な被害に見舞われているのが里山の集落ではないだろうか。

   輪島市では震度6強の地震に加え、中山間ではいたるところでがけ崩れが起き、道路が不通になった。さらに、がけ崩れで谷川がせき止められる「土砂ダム」ができ、各地で民家や集落が孤立した。(※写真・下は、土砂ダムで孤立した輪島市熊野町の民家=今月4日、国土交通省TEC-FORCE緊急災害対策派遣隊がドローンで撮影)

   このような言い方は適切ではないかもしれないが、民家や集落の孤立化の背景には中山間地の高齢化と過疎化という問題があった。奥能登では65歳以上の高齢化率が50%以上の地区が多い。今月5日時点で孤立した地区33ヵ所のほとんどが中山間地、あるいは海と山が接したリアス式海岸の集落だった(11日付・国土交通省「道路の緊急復旧状況」)。過疎地こそ道路の整備などが重要なのだが、能登の中山間地に入って不安になるのは山道のような細い道路が曲がりくねっている。過疎地には行政の手が行き届いていないと実感していたが、それが今回、孤立化というカタチで表れたと思っている。あくまでも推測だが。

⇒24日(水)午前・金沢の天気  くもり

☆能登半島地震 金沢ー七尾の鉄路 3週間ぶり復旧

☆能登半島地震 金沢ー七尾の鉄路 3週間ぶり復旧

   震度7の地震からきょうで3週間になる。少しずつではあるが交通インフラなどが改善に向かっている。メディア各社の報道によると、JR七尾線で運休していた一部区間での運転をきょう再開し、金沢駅から七尾駅までの運行が復旧した。七尾は能登半島の中心地でもあり、金沢との鉄路が復旧したことで通勤や通学、ビジネスなどの人の往来が徐々に日常に戻りそうだ。(※写真は、午後5時05分発のJR七尾線普通列車=22日・金沢駅4番ホームで)。   

   一歩前に進むニュースも。松本総務大臣は被災した七尾市と内灘町を視察後、金沢市内で記者会見に応じた。被災地で懸案となっている災害廃棄物について、自治体が処理を進めやすくするために、国の費用負担分を引き上げることを明らかにした。通常は、地方が負担する費用のうち80%について交付税措置をとっているが、95%にする。2016年にあった熊本地震と同様の対応となる(22日付・朝日新聞Web版)。

   ただ問題は災害廃棄物をどこで、どのように処理するのか、だ。石川県内だけでも家屋の全壊・半壊・一部損壊が3万7119棟に及んでいる。公共の建物も192棟が損壊している。廃棄物は気の遠くなるような量ではないだろうか。それを埋め立て、焼却、リサイクルなどに回すにしても、木材、コンクリ、鉄、ガラス、家電製品、アルミ、プラスティックなどと分別して処理することになる。膨大な作業量だろう。

   そうした廃棄物処理の作業に影響を与えるのが天候だ。気象庁によると、石川県内はあす23日夜遅くから25日ごろまで、大雪となる見込みだという。24日の午後6時までの24時間に降る雪の量は、能登地方の山沿いで30㌢から50㌢、平野部で20㌢から40㌢と予想されている。能登地方では、地震の影響やこれまでの降水で地盤の緩んでいる所があるため、少しの雨でも土砂災害の危険度が高まるとして、土砂災害にも警戒するよう呼びかけている(22日付・NHK金沢ニュースWeb版)。

⇒22日付(月)夜・金沢の天気    あめ

☆能登半島地震 損壊の家屋3万棟 歴史文化遺産も倒壊

☆能登半島地震 損壊の家屋3万棟 歴史文化遺産も倒壊

   能登には「九六(くろく)の意地」という言葉がある。能登の民家は特徴でもある黒瓦と白壁、そして間口9間(約16㍍)奥行き6間(約11㍍)の大きな家を建てることが人の甲斐性(かいしょう)という意味だ。先日訪れた能登町で九六の民家が倒れていた=写真・上=。建物は頑丈な造りなのだが、地震で裏山が崩れ倒されたのだろう。じつに痛々しい思いがした。

   石川県庁危機管理監室はきょう20日午後2時現在で、能登半島地震の住宅被害が3万1670棟と発表した。これまで「多数」と発表していた輪島市の戸数が一部判明したことに加え、各市町の被害戸数の実数が明らかになってきた。珠洲市は「多数」としており、実数が分かればさらに増える。

   自治体別にみると、全壊と半壊、一部破損を含めた数では七尾市が8342棟ともっとも多く、能登町5000棟、志賀町3443棟、金沢市3034棟、中能登町1818棟、羽咋市1578棟、小松市1288棟、内灘町1254棟と続く。輪島市は870棟としているが、罹災証明書の交付や申請の数から算出したもので、今後さらに増えるだろう。

   被害が輪島市と並んで大きかった珠洲市では詳しい状況は把握できていないとして、「多数」としている。同市の泉谷満寿裕市長はオンラインでの政府と意見交換(18日)で、全壊が市内約6000世帯のうち5割にのぼるという見通しを述べていた。

   文化財の建物にも大きな被害が及んだ。輪島市町野町にある「上時国(かみときくに)家」は1185年(文治元年)の平家滅亡後に能登へ配流になった平時忠の子孫・時国に由来する住宅で、国の重要文化財に指定されているが主屋が倒壊した。かつて日本海の水運に重要な役割を果たした輪島市門前町黒島地区は「伝統的建造物群保存地区」に指定されていて、旧・角海家住宅はシンボル的な建物だったが、これも主屋が倒壊した。地震によって歴史文化遺産が破壊された。(※写真・下は倒壊前の上時国家=輪島市公式サイトより)

⇒20日(土)夜・金沢の天気    あめ

★能登半島地震 水再生の技術を被災地で活かす

★能登半島地震 水再生の技術を被災地で活かす

   生活インフラは徐々にではあるものの回復している。停電は10日前の9日午後で1万8000戸だったが、きょう午後現在で7420戸となり、6割ほどが復旧した。問題は断水だ。9日午後に5万9000戸だったが、きょう午後現在でも4万9990戸で断水が続いている。中でも輪島市、珠洲市、七尾市、能登町、穴水町、志賀町の6市町はほぼ全域となっている(石川県庁生活環境部まとめ)。 

   そのような状況の中で、飲料水は配給されるペットボトルなどで確保できたとしても、風呂も入れず、シャワーも浴びていないという被災者も相当いる。そんな中で、被災地で「水再生装置を用いたシャワーセット」が活躍しているようだ。以下、経営戦略のコンサルタントで知られる大前研一氏のメールマガジン(12日付)で掲載された記事の引用。

   シャワーセットを被災地に提供しているのはベンチャー企業「WOTA(ウォータ)」(本社:東京都中央区)。すでに、七尾市の避難所で断水状況下でシャワー浴ができるポータブル水再生システム「WOTA BOX(ウォータボックス)」を設置している。可搬型の製品で、大きさは家庭用エアコンの室外機程度。RO(逆浸透)膜をはじめとする数種類のフィルターによる濾過、塩素殺菌、そして紫外線照射による殺菌で排水の98%を飲用レベルまで再生させる装置。上下水道管をつながなくても、装置の中で再生された清潔な水を繰り返し使うことができる仕組みだ。

   これにより、シャワーは100㍑だと2人しか浴びられないが、「WOTA BOX」だと100人が浴びられる。大前氏は記事の中でCEOの前田瑶介氏について、「水のないところで水を作る『小さな水再生システム』を開発・実現し、アフリカなど水に困る地域を救っている非常に志の高い人物」と評している。(※写真は、被災地に到着した「WOTA BOX」=前田瑶介氏の9日付「X」より)

   大前氏は被災地の様子をテレビで視聴していて、久しりぶりにシャワ-を浴びたと喜んでいる被災者のバックに「WOTA」と書かれ施設があったので、さっそく前田氏と電話で連絡を取ったようだ。「今朝、私が彼に電話をすると、彼はまだ能登におりましたので、私はその施設を一つ寄付するので本当に必要とするところに置いてあげてくれと伝えました」「彼は自分たちの技術が日本で生かされるとは、想像していなかったことでしょう。彼は今も、現地の非常に不便な環境での立ち上げを手伝っていると思います。一刻も早く、彼らの技術で困っている多くの人々を助けてくれることを願っています」

   自らの活かせる技術を被災地で役立てようと懸命になっている人物の様子が大前氏の記事から伝わってきたので紹介した。

⇒19日(金)夜・金沢の天気    くもり

★能登半島地震  中学生が集団避難で授業始める

★能登半島地震  中学生が集団避難で授業始める

    震度7の揺れで6400人余りが犠牲となった阪神・淡路大震災が起きたのは1995年のきょう1月17日。夜明け前の午前5時46分、金沢でも震度3の揺れがあり、びっくりして飛び起きた。当時、金沢のローカル民放の報道デスクをしていて、着の身着のままで職場に出かけたのを覚えている。あれから29年になる。

   能登半島地震の犠牲者が増え続けている。きょう石川県庁危機管理監室がまとめた午前9時現在の集計で、死者は10人増えて232人(災害関連死14人含む)となった。新たな死者は輪島市の朝市通りの周辺で見つかった。この地域は輪島塗を扱う漆器店や木造住宅が密集していて、地震による火災で200棟以上が全焼。県警などが9日から焼け跡などを捜索していた。

   その輪島市で中学生たちの集団避難が始まった。地元メディア各社の報道によると=写真=、同市では地震の影響で授業再開の見通しがたたないことから、市内3つの中学校の生徒、401人のうち保護者の同意を得た258人を、金沢市の南に位置する白山市にある「白山青年の家」と「白山ろく少年自然の家」に集団避難させることにした。

   集団避難は最長で2ヵ月程度を見込んでいて、1年と2年は白山ろく少年自然の家で、3年は白山青年の家で集団生活を送る。授業は避難施設のほか、白山市内の中学校などで行われる。3年は高校受験も控えていて、生徒たちの学びの環境を確保するのが狙いのようだ。地元に残った生徒については個別に対応する。震災でいまも小中学校が避難所として活用されていたり、校舎に被害が出て、始業時期が決まっていない学校が多い。

   輪島市と同様に、珠洲市と能登町の生徒144人も21日から金沢市の「医王山スポーツセンター」に集団避難して授業を始める。集団生活を送り学ぶ生徒たちにとって、これからさまざまな経験を積むことが一歩成長するきっかけになるかもしれない。

⇒17日(水)夜・金沢の天気    くもり

☆能登半島地震 またもや緊急地震速報が鳴り響く

☆能登半島地震 またもや緊急地震速報が鳴り響く

   夕方にスマホの緊急地震速報が鳴った=写真=。夕食中に、グラリと揺れが走った。テレビのニュース速報が流れた。時間は午後6時42分、能登を震源とするマグニチュード4.8、震度5弱の揺れ。自身が住む金沢は震度1だった。

   気象庁によると、震度1以上の揺れを観測した地震は16日午前4時までに1400回以上になる。能登地方やその周辺を震源とする地震は徐々に減少しているものの、地震活動が活発な状態が続いている。気象庁が今後2、3週間は震度5強程度か、それ以上の揺れに注意が必要と呼びかけていた矢先に先ほどの震度5の揺れが起きた。

   石川県庁危機管理監室のまとめによると、県内の犠牲者は16日午後2時の時点で222人となった。このうち、避難所生活などで病気などが悪化したり、体調を崩したりして亡くなった災害関連死は14人となっている。重軽傷者は1036人に上る。

   県内の市や町が設ける避難所に避難している人はきょう16日午後2時現在、372ヵ所で1万6070人に上る。また、高齢者や妊婦など配慮が必要な被災者とその家族を優先して金沢市のホテルや旅館に入ってもらう「2次避難所」には42ヵ所に1278人が避難している。

   生活インフラの復旧が進んでいない。とくに断水は広範囲にわたっていて、8つの市町の5万5500戸に上っている。中でも大きな災害が出た輪島市、珠洲市、七尾市、穴水町、能登町、志賀町ではほぼ全域で断水が続いている。

   寒気の影響できょう日中は厳しい冷え込みとなった。あす17日の最低気温は輪島市でマイナス3度と予想されている。揺れが続き、厳冬の避難所生活ではなかなか展望が見いだせないのではないだろうか。

⇒16日(火)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

★能登半島地震 仮設住宅を3階建てに 珠洲市長が要望

★能登半島地震 仮設住宅を3階建てに 珠洲市長が要望

   元旦の能登半島地震から2週間経った。石川県危機管監室がまとめによると、きょう15日午前9時現在で犠牲者は221人(珠洲市99人、輪島市88人、穴水町20人、能登町6人ほか)、うち災害関連死は13人となっている。地元紙の朝刊に「おくやみ欄」がある。亡くなった人の通夜と葬儀の日時、喪主名、遺族の話が短文で紹介されている。震災で亡くなった人たちのおくやみも掲載されている。それは、死亡日が「1日」あるいは「2日」となっていることから推察できる。

   きょうの地元紙には、震災の犠牲者を荼毘に付すことすらままならない現状が記事として掲載されている。犠牲者が多く出た奥能登には輪島市、珠洲市、能登町の3ヵ所に火葬場があるものの、火葬炉計8基のうち6基が被災して使えない状態になっている。6基の復旧のめども立っていない。このため、災害時の協定に基づき、金沢市など他市町の火葬場に遺体を搬送することになる。このため、12日からは全国から寝台車15台の応援を受けて搬送を行っている(15日付・北陸中日新聞)。

   奥能登から金沢に遺体を搬送するだけでも5時間ほどかかる。そして、葬儀を終え、火葬を済ませたとしても納骨がままならない。前回のブログでも述べたように、奥能登の墓地は崩れるなどかなりのダメージを受けている。

   話は変わる。珠洲市の泉谷満寿裕市長は県が着工した応急仮設住宅に関し、建設用地不足への対応策として、東日本大震災で3階建て仮設住宅を手掛けた、建築家の坂茂(ばん・しげる)氏に設計を依頼できないか、県に働きかける意向を示している(15日付・北國新聞)。同市は約6千世帯で、今回の震災で仮設住宅を必要と市民は4千世帯と見込んでいる。

   坂氏は1995年1月の阪神淡路大震災を契機に世界各地で被災地の支援活動に取り組んでいて、2011年3月の東日本大震災では、住居用に加工した海上輸送用コンテナを使った3階建ての仮設住宅を宮城県女川町で手掛けている=写真・上、「坂茂建築設計」公式サイトより=。限られた土地により多くの戸数を確保するという画期的なシステムでもあり、泉谷市長が仮設住宅を手掛ける県に提案するのだろう。

   坂氏は去年5月5日に珠洲市を襲った震度6強の地震の際も避難所にプライバシーに配慮したダンボール製の間仕切りを寄贈している。坂氏の間仕切りは、今回の地震でも能登の被災者の二次避難所となっている金沢市の体育館にも寄贈され、使われている=写真・下、同=。個室には透けないカーテン布が張られ、中にあるベッドもダンボール。環境と人権に配慮した避難所なのだ。

⇒15日(月)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

☆能登半島地震 「利家とまつ」墓所の石灯籠くずれる

☆能登半島地震 「利家とまつ」墓所の石灯籠くずれる

   能登半島地震の被災地を視察するため、岸田総理が石川県を訪れている。その最中、北朝鮮はきょう午後2時53分に1発の弾道ミサイルを北東方向に向けて発射。最高高度50㌔以上で、少なくとも500㌔飛翔し、朝鮮半島東岸付近の日本海に落下した。日本のEEZ外と推定される(14日付・防衛省公式サイト)。石川県庁で岸田総理は「状況の把握と国民に対する適切な情報提供、船舶等の安全の確保、不測の事態に的確に対応するように万全を期すという3点の総理指示を出した」と記者団に述べた。

北朝鮮のミサイル等関連情報(続報)   能登半島地震の被害について、北朝鮮の金正恩総書記は5日、岸田総理に宛てて見舞いの電報を送った。これを受けて、林官房長官は記者会見で、「能登半島地震による被害には各国からお見舞いのメッセージを受け取っており、金総書記からのメッセージにも感謝の意を表したい」と述べていた(6日付・NHKニュースWeb版)。そして今回の日本海に向けた弾道ミサイルの発射だ。日本海側に住む者にとって不信感がさらに募る。

   話は変わる。今回の地震で金沢の最大震度は5強だった。その被害は、住宅地でのがけ崩れや金沢城の石垣の崩れ、兼六園でも石灯篭や石垣が崩れるなどした。そして、国の史跡でもある「加賀藩主前田家墓所」にも被害があった。見に行くと、加賀百万石の礎を築いた前田利家の墓碑、そして横にある正室まつの墓碑は無事だった。ただ、両墓碑の入り口などにある石灯篭の笠の部分が崩れたりしていた=写真・上=。前田家墓所は全体で敷地面積が8万6千平方㍍もあり、すべてを見たわけではないが、多くの石灯篭などが倒れていて、相当な数になる。国史跡なので金沢市文化財保護課が修復することになるのだろう。

   今回の地震で「庭の石灯篭が倒れた」という話をよく聞いた。和の雰囲気を醸す石灯篭は日本の庭文化のシンボルのような存在で、金沢の一般家庭の庭でもよく見かける。ただ、石灯篭は地震で縦揺れや横揺れにさらされると、上部にある笠や球体などが揺れ動き、崩れやすいのかもしれない=写真・下、金沢市内で=。

   同じ石でも墓石はどうか。前田家墓所の周辺は野田山墓地と言って、山頂から山腹に一般の墓地が広がる。見渡した限りでは、崩れている墓石はほとんどなかった。自宅近くの菩提寺の墓地でも崩れた墓石は見当たらなかった。逆に、5日に訪れた震度6弱の能登町の実家の墓地ではほとんど上の塔の部分化が落ちていた。墓石のカタチにそれほど違いがある訳でもない。震度5と6の揺れの違いを思い知らされた。

⇒14日(日)夜・金沢の天気   くもり

★能登半島地震 リアス式海岸で繰り返されてきた災害

★能登半島地震 リアス式海岸で繰り返されてきた災害

   集落の孤立状態が続いている。石川県によると、12日午後2時の時点で、輪島市、珠洲市、能登町の少なくとも17地区の1900人余りが孤立している。その最大の原因は、海と山が接するリアス式海岸でのがけ崩れなどで他の集落とつながる道路が寸断された状態になっているからだ。

   能登半島で孤立化している17の地区をチェックすると地理的に一つの傾向がある=図・上=。それは17のうち15の地区が半島の尖端部分で大陸に面する海岸沿いにあり、地元では「外浦(そとうら)」と呼ばれる地域だ。富山湾の側は「内浦(うちうら)」と呼ばれている。ちなみに、外浦と呼ばれるのには波が荒く、内浦は波が静かとのいわれがある。

   その外浦ではがけ崩れが頻繁に起きている。データがある。防災科学技術研究所が作成した「地滑り地形分布図データベース」(2012年)=図・下=によると、能登北部でがけ崩れ現場が集中している場所は外浦であり、今回孤立化している地域とほぼ一致する。

   なぜ、外浦ががけ崩れ地帯なのだろうか。以下、地質学の専門家でもない自身の憶測である。ウエザーニュースのまとめによると、元旦の震度7から4日夜にかけて観測された「震央」の分布図(震源の真上の地表の点)は能登半島の西の沖合から佐渡島近くまでの約150kmの範囲に広がっている。このため、断層活動による岩盤の破壊が広範囲におよんでいると推察できる。

   政府の地震調査委員会の資料「1700年代以降、能登地方で観測され、記憶が残るマグニチュード6級の震央の位置」(2023年)によると、能登では1729年8月のマグニチュード6.6から7と推測される揺れや、2007年3月25日の同6.9など、2023年5月5日の同6.5にかけて強い地震が12回も起きている。それ以前にも能登では相当の揺れが繰り返されてきたことは想像に難くない。このため、リアス式海岸が広がる外浦では地盤が広範囲に緩んでいて、山側のがけ崩れの要因になっているのではないだろうか。

   その典型的な事例が、国指定名勝である「輪島・白米の千枚田」=写真、2018年3月撮影=ではないか。この地区では貞享元年(1684)に大きな地滑りがあり、棚田があった山が崩れた。「大ぬけ」と地元では伝えられる。いまで言う深層崩壊だ。その崩れた跡を200年かけて棚田として再生した。いまも地滑りを警戒して、千枚田の真ん中を走る国道249号の土台に発砲スチロールを使用するなど傾斜地に圧力をかけない工夫がなされている。自然災害と向き合ってきた能登の人々の精神性をあらためて感じる。

⇒13日(土)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

☆能登半島地震 海底隆起で港が陸になった

☆能登半島地震 海底隆起で港が陸になった

   内閣が情報収集衛星を使って撮影した画像は特定秘密保護法に基づいて公開されることはないが、大規模災害の際、被害状況の把握や救助、避難活動に活用できると判断した場合には公開している。今回の能登半島地震は公開に相当するとの判断で、内閣衛星情報センターは内閣官房の公式サイトで今月2日から5日にかけて撮影した21枚を掲載している。

   その中でショックを受けたのは珠洲市長橋漁港が陸地化している写真だった。漁港は能登半島の外浦と呼ばれる大陸側の海岸にある。小さな集落の漁港で周囲には民宿などもあり、能登の漁村をイメージさせる。その漁港の防波堤を含めて周囲一面で隆起し、陸地化している。

   海岸線の隆起の規模はどのくらいか。国土地理院の地球観測衛星「だいち2号」による解析では、珠洲市から輪島市、志賀町にかけて、沿岸部の海底が総延長約85㌔にわたって隆起して陸地となり、輪島市の地点では約4㍍隆起し、地震前より最大約200㍍海岸線が海にせり出したこともわかっている(10日付・読売新聞Web版)。この写真は隆起した海岸線のごく一部だ。

   このような海岸線での海の隆起は、木彫りの仮面を被り太鼓を打ち鳴らす御陣乗太鼓の発祥地である輪島市名舟町の漁港でも起きている。現場の目の前に住む人からのまた聞きの話だが、海面だった部分が震災翌日には陸地化していて、「港も船も干し上がっていた。これでは漁業はできない」とぼう然としていたという。

   漁業だけでなく、伝統的な製塩方法が伝わる珠洲市清水町の「揚げ浜式製塩」ではこれまでの海岸線からさらに100㍍ほど海岸線が遠くなった(12日付・北國新聞)。揚げ浜式製塩では、浜士(はまじ)と呼ばれる塩づくりの職人が浜で海水を桶で汲んで塩田まで30㍍ほどを担いで運ぶ。機械化のモノづくりに慣れた現代人が忘れた、愚直な労働の姿でもある。その塩(海水)汲みの浜がさらに100㍍遠くなると果たして伝統の製塩を続けられるのか。

⇒12日(金)午後・金沢の天気   あめ時々くもり